「北海道官設鉄道」の版間の差分
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{{出典の明記| date = 2023-08}} |
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{{行政官庁 |
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|国名 = {{JPN}} |
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|正式名称 = 北海道庁鉄道部 |
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|紋章 = HGR logomark.svg |
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|紋章サイズ = 100px |
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|画像説明 = |
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|主席閣僚職名 = 部長技師 |
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|主席閣僚氏名 = 国沢能長 |
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|所在地 = {{JPN}} [[北海道]][[札幌市|札幌区]] |
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|位置 = |
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|会計年度 = |
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|設置年月日 = [[1897年]](明治30年)[[11月5日]] |
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|改称年月日 = |
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|廃止年月日 = [[1905年]](明治38年)[[3月31日]] |
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|後身 = [[逓信省]] [[鉄道作業局]] |
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|その他 = |
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'''北海道官設鉄道'''(ほっかいどうかんせつてつどう)とは、[[明治]]時代に[[北海道庁 (1886-1947)|北海道庁]]鉄道部が建設、運営した[[鉄道]]である。 |
'''北海道官設鉄道'''(ほっかいどうかんせつてつどう)とは、[[明治]]時代に[[北海道庁 (1886-1947)|北海道庁]]鉄道部が建設、運営した[[鉄道]]である。 |
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==概要== |
==概要== |
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[[北海道]]の鉄道は、[[ |
[[北海道]]の鉄道は、[[1880年]]︵明治13年︶に開業した[[官営幌内鉄道]]に始まるが、これは[[開拓使|北海道開拓使]]が建設、運営する鉄道であった。しかし、[[1886年]]︵明治19年︶に開拓使が廃止され、北海道庁が置かれると鉄道払い下げの方針が出され、[[北海道炭礦鉄道]]が設立されて、[[1889年]]︵明治22年︶に幌内鉄道の路線はこれに譲渡、民営化された。
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北海道庁にとっては、開拓の推進ためにも鉄道の建設が不可欠であったが、北海道炭礦鉄道にはその遂行は不可能であると判断され、北海道庁自ら鉄道建設・運営を行う方針が打ち出された。国においても、北海道における鉄道網建設計画を策定していたが、[[1892年]]に公布、施行された[[鉄道敷設法]]には、北海道における予定線が除外されており、北海道における鉄道建設・運営を北海道庁自ら行なうことを追認した形となった。 |
北海道庁にとっては、開拓の推進ためにも鉄道の建設が不可欠であったが、北海道炭礦鉄道にはその遂行は不可能であると判断され、北海道庁自ら鉄道建設・運営を行う方針が打ち出された。国においても、北海道における鉄道網建設計画を策定していたが、[[1892年]]︵明治25年︶に公布、施行された[[鉄道敷設法]]には、北海道における予定線が除外されており、北海道における鉄道建設・運営を北海道庁自ら行なうことを追認した形となった。
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[[1896年]]には、[[鉄道敷設法#北海道鉄道敷設法|北海道鉄道敷設法]]が公布・施行され、北海道庁がその建設にあたることとなった。[[1898年]]の滝川 - 空知太間の開業を皮切りに、現在の[[函館本線]]、[[宗谷本線]]、[[根室本線]]([[富良野線]])等の一部を開業していった。しかし、[[1905年]]に[[ |
[[1896年]]︵明治29年︶には、[[鉄道敷設法#北海道鉄道敷設法第2条で規定されている予定鉄道線路|北海道鉄道敷設法]]が公布・施行され、北海道庁がその建設にあたることとなった。[[1898年]]︵明治31年︶の滝川 - 空知太間の開業を皮切りに、現在の[[函館本線]]、[[宗谷本線]]、[[根室本線]]︵[[富良野線]]︶等の一部を開業していった。しかし、[[1905年]]︵明治38年︶に[[鉄道省|鉄道作業局]]に移管され、北海道庁の管轄を離れて[[逓信省]]管轄となり、道外の国有鉄道同様の扱いとなった。
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== 歴史 == |
== 歴史 == |
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** [[5月11日]] 【信号停車場→駅】伊納 |
** [[5月11日]] 【信号停車場→駅】伊納 |
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** [[8月1日]] 【延伸開業】上富良野 - 下富良野 【駅新設】中富良野、下富良野 |
** [[8月1日]] 【延伸開業】上富良野 - 下富良野 【駅新設】中富良野、下富良野 |
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** [[8月5日]] 【延伸開業】和寒 - 士別 【駅新設】剣淵、 |
** [[8月5日]] 【延伸開業】和寒 - 士別 【駅新設】剣淵、士別 |
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** [[9月18日]] 【線路名称設定】'''上川線'''空知太 - 旭川、'''天塩線'''旭川 - 士別( - 宗谷)(*1)、'''十勝線'''旭川 - 下富良野( - 帯広)、'''釧路線'''(帯広 - 釧路)、'''根室線'''(釧路 - 根室)、'''網走線'''(厚岸 - 網走) |
** [[9月18日]] 【線路名称設定】'''上川線'''空知太 - 旭川、'''天塩線'''旭川 - 士別( - 宗谷)(*1)、'''十勝線'''旭川 - 下富良野( - 帯広)、'''釧路線'''(帯広 - 釧路)、'''根室線'''(釧路 - 根室)、'''網走線'''(厚岸 - 網走) |
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** [[10月1日]] - 釧路出張所を設置<ref>『官報』第5158号、明治33年9月10日。</ref>。 |
** [[10月1日]] - 釧路出張所を設置<ref>『官報』第5158号、明治33年9月10日。</ref>。 |
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** [[12月15日]] 【延伸開業】豊頃 - 利別 【駅新設】池田、利別 |
** [[12月15日]] 【延伸開業】豊頃 - 利別 【駅新設】池田、利別 |
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*[[1905年]](明治38年) |
*[[1905年]](明治38年) |
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** [[3月31日]] - 北海道鉄道部廃止。 |
** [[3月31日]] - 北海道庁鉄道部廃止。 |
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** 4月1日 - 逓信省札幌鉄道作業局出張所へ移管。 |
** 4月1日 - 逓信省札幌鉄道作業局出張所へ移管。 |
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:(*1) 括弧書きは予定区間 |
:(*1) 括弧書きは予定区間 |
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==路線・駅一覧== |
== 路線・駅一覧 == |
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下記は、国有鉄道(鉄道作業局)編入直前(1905年3月31日)における開業路線及び駅(停車場)の一覧である。 |
下記は、国有鉄道(鉄道作業局)編入直前(1905年3月31日)における開業路線及び駅(停車場)の一覧である。 |
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;'''上川線'''(かみかわせん):空知太 - 旭川(36.2[[マイル|M]])・北海道炭礦鉄道借入:砂川 - 空知太(3.0M) - 現在の[[函館本線]]の一部 |
;'''上川線'''(かみかわせん):空知太 - 旭川(36.2[[マイル|M]])・北海道炭礦鉄道借入:砂川 - 空知太(3.0M) - 現在の[[函館本線]]の一部 |
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:(*2) 空知太駅については、北海道官設鉄道開業時に廃止され、北海道炭礦鉄道・北海道官設鉄道の分界点として残った。この分界点の名称は当初は空知太であったようだが、1901年度以降の年報には空知川と記載されている。 |
:(*2) 空知太駅については、北海道官設鉄道開業時に廃止され、北海道炭礦鉄道・北海道官設鉄道の分界点として残った。この分界点の名称は当初は空知太であったようだが、1901年度以降の年報には空知川と記載されている。 |
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:下富良野駅(現在の富良野駅) - 落合駅間は2024年4月1日付で廃止された。 |
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== 輸送・収支実績 == |
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!年度 |
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!旅客人員 |
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!貨物噸 |
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!営業収入 |
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!営業費 |
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!益金 |
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!開業線路(哩) |
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|1898||141,225||28,437||79,370||142,688||▲ 63,318||50.31 |
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|1899||355,365||85,447||240,971||315,137||▲ 74,166||83.42 |
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|1900||484,911||164,537||395,874||465,348||▲ 69,474||126.28 |
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|- |
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|1901||477,853||143,461||442,209||609,339||▲ 167,130||154.13 |
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|1902||495,383||211,990||608,180||685,465||▲ 77,285||164.13 |
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|- |
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|1903||530,091||247,956||747,373||861,473||▲ 114,100||198.69 |
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|1904||611,518||350,505||1,038,370||1,024,783||13,587||217.50 |
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|} |
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* [{{NDLDC|805341/64}} 『逓信省年報. 第19』](国立国会図書館デジタルコレクション) |
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番号は便宜的に全て[[アラビア数字]]で記しているが、1号から9号までの現車への標記は[[漢数字]]で、前面へは漢数字のみを丸形のプレートに、側面へは切り抜き文字で「號四」のように標記していた。形式のアルファベットは、Bが[[車軸配置]]2-6-0(1C)形の[[テンダ機関車]]、Cが車軸配置0-6-0(C)形のテンダ機関車、Dが車軸配置2-6-2(1C1)形の[[タンク機関車]]、Eが車軸配置0-6-0(C)形のタンク機関車を意味し、それぞれの登場順に数字を付している。また、これらは国有鉄道(鉄道作業局)編入後に、鉄道作業局の形式に準じた形式が与えられ、1909年の鉄道院の形式称号制定まで使用された。 |
番号は便宜的に全て[[アラビア数字]]で記しているが、1号から9号までの現車への標記は[[漢数字]]で、前面へは漢数字のみを丸形のプレートに、側面へは切り抜き文字で「號四」のように標記していた。形式のアルファベットは、Bが[[車軸配置]]2-6-0(1C)形の[[テンダ機関車]]、Cが車軸配置0-6-0(C)形のテンダ機関車、Dが車軸配置2-6-2(1C1)形の[[タンク機関車]]、Eが車軸配置0-6-0(C)形のタンク機関車を意味し、それぞれの登場順に数字を付している。また、これらは国有鉄道(鉄道作業局)編入後に、鉄道作業局の形式に準じた形式が与えられ、1909年の鉄道院の形式称号制定まで使用された。 |
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*'''D1形''' - '''6, 7''' - (1897年米ボールドウィン製)鉄道作業局Ba形 → 鉄道院[[国鉄3010形蒸気機関車|3010形]](3010, 3011) |
*'''D1形''' - '''6, 7''' - (1897年米ボールドウィン製)鉄道作業局Ba形 → 鉄道院[[国鉄3010形蒸気機関車|3010形]](3010, 3011) |
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*'''D2形''' - '''8, 9, 12''' - (1899年米ボールドウィン製)鉄道作業局Bb形 → 鉄道院[[国鉄3000形蒸気機関車|3000形]](3000 - 3002) |
*'''D2形''' - '''8, 9, 12''' - (1899年米ボールドウィン製)鉄道作業局Bb形 → 鉄道院[[国鉄3000形蒸気機関車|3000形]](3000 - 3002) |
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*'''E1形''' - '''10''' - (1886年[[イギリス|英]][[ダブス]]社製。旧[[西成鉄道]]3を1900年譲受)鉄道作業局Bc形 → 鉄道院[[国鉄1100形蒸気機関車#1150形・1270形|1150形]](1153) |
*'''E1形''' - '''10''' - (1886年[[イギリス|英]][[ダブス]]社製。旧[[西成鉄道]]3を1900年譲受)鉄道作業局Bc形 → 鉄道院[[国鉄1100形蒸気機関車#1150形・1270形(ダブス製1100系)|1150形]](1153) |
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*'''B2形''' - '''11''' - (1889年米[[ポーター (車両メーカー)|H.K.ポーター]]製)旧[[北海道炭礦鉄道]]形式イ7(1899年譲受)鉄道作業局Ec形 → 鉄道院[[国鉄7100形蒸気機関車|7100形]](7100) |
*'''B2形''' - '''11''' - (1889年米[[ポーター (車両メーカー)|H.K.ポーター]]製)旧[[北海道炭礦鉄道]]形式イ7(1899年譲受)鉄道作業局Ec形 → 鉄道院[[国鉄7100形蒸気機関車|7100形]](7100) |
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*'''B3形''' - '''13 - 16''' - (1900年米[[ブルックス・ロコモティブ・ワークス|ブルックス]]製)鉄道作業局Ed形 → 鉄道院[[国鉄7270形蒸気機関車|7270形]](7270 - 7273) |
*'''B3形''' - '''13 - 16''' - (1900年米[[ブルックス・ロコモティブ・ワークス|ブルックス]]製)鉄道作業局Ed形 → 鉄道院[[国鉄7270形蒸気機関車|7270形]](7270 - 7273) |
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*'''B8形''' - '''36, 37''' - (1905年[[汽車製造]]製)鉄道作業局Ef形 → 鉄道院[[国鉄7270形蒸気機関車|7270形]](7274, 7275) |
*'''B8形''' - '''36, 37''' - (1905年[[汽車製造]]製)鉄道作業局Ef形 → 鉄道院[[国鉄7270形蒸気機関車|7270形]](7274, 7275) |
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===客車=== |
=== 客車 === |
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引継時は42両。1910-1911年作成の『[[客車略図]]』では北海道官設鉄道所属の客車は合計137両。残り95両は1905年以降に新造または本州から転属したものと見られる<ref>星良助「北海道内客車のうごき」『鉄道ピクトリアル』No.386-387</ref>。 |
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====単車==== |
==== 単車 ==== |
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*ほ1-4 4両(引継時は2両) 月島工場製 定員26/24人 鉄道院フロ840-843(形式840) 二等車(手用制動機附)[{{NDLDC|2942239/132}} 形式図] |
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* |
*へ1-10 10両(引継時は2両) 月島工場製 定員41/39人 鉄道院フハ3384-3393(形式3384) 三等車(手用制動機附)[{{NDLDC|2942239/281}} 形式図] |
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* |
*よさ11-50 40両(1908年新造) 不明 定員不明 鉄道院フハ3394-3433(形式3394) 三等車(手用制動機附)[{{NDLDC|2942239/282}} 形式図なし] |
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*とち |
*とち1-3 3両(当初4両あり1両は1903年焼失) 三等郵便手荷物緩急車へとち1-3を1903年改造(とち)したもの。 月島工場製 鉄道院ユニ3963-3965(形式3963) 郵便手荷物緩急車 [{{NDLDC|2942239/408}} 形式図] |
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* |
*とちり1-4 4両 三等車へ3-6(初代)を1903年郵便緩急車とち1-4へ改造しさらに郵便手荷物緩急車(とちり)に改造したもの。 月島工場製 鉄道院ユニ3976-3979(形式3976) 郵便手荷物緩急車 [{{NDLDC|2942239/413}} 形式図] |
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*ヨリ1-45 45両(1908年新造)神戸工場製 鉄道院ニ4344-4388(形式4344) 手荷物緩急車 [{{NDLDC|2942239/445}} 形式図なし] |
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====ボギー車==== |
==== ボギー車 ==== |
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*ろは1.2 2両 北海道鉄道部工場製 定員二等16人三等46人 鉄道院フホロハ5940.5941(形式5940)二三等車(手用制動機附)[http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2942240/066 形式図] |
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*ろは |
*ろは1.2 2両 北海道鉄道部工場製 定員二等16人三等46人 鉄道院フホロハ5940.5941(形式5940)二三等車(手用制動機附)[{{NDLDC|2942240/066}} 形式図] |
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*ろは |
*ろは3-10 8両 平岡、東京機械、旭川、月島製 定員二等16/14人三等48/44人 鉄道院フホロハ5942-5949(形式5945)二三等車(手用制動機附)[{{NDLDC|2942240/067}} 形式図] |
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*は |
*ろは11-13 3両 東京車輌製造所製 定員二等18/16人三等60/56人 鉄道院フホロハ5950-5952(形式5945)二三等車(手用制動機附)[{{NDLDC|2942240/068}} 形式図] |
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*は |
*は1.2 2両 北海道鉄道部工場製 定員72人 鉄道院フホハ7905.7906(形式7905)三等車(手用制動機附)[{{NDLDC|2942240/117}} 形式図] |
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⚫ | *は6-21 16両 平岡、東京機械、旭川、月島、日車製 定員92/84人 鉄道院フホハ7907-7922(形式7905)三等車(手用制動機附)[{{NDLDC|2942240/118}} 形式図] |
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定員の後者は冬期間 |
定員の後者は冬期間 |
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リンク先は国立国会図書館 |
リンク先は国立国会図書館デジタルコレクションの『客車略図 』 |
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=== 車両数の推移 === |
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{| class="wikitable" border="1" cellspacing="0" cellpadding="2" style="font-size:90%; text-align:center; width:30%;" |
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! 年度 !!機関車 !! 客車 !! 貨車 |
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|1898||7||12||108 |
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|1899||9||17||127 |
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|1900||12||20||205 |
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|- |
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|1901||16||30||286 |
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|- |
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|1902||20||31||351 |
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|1903||24||39||539 |
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|1904||31||42||627 |
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|} |
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* [{{NDLDC|805341/63}} 『逓信省年報. 第19』](国立国会図書館デジタルコレクション) |
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==北海道庁鉄道部長== |
==北海道庁鉄道部長== |
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*(心得)小山友直 道庁鉄道技師:1900月 |
*(心得)小山友直 道庁鉄道技師:1900年2月8日 - 3月28日 |
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*国沢能長 道庁鉄道技師:1900 |
*国沢能長 道庁鉄道技師:1900年3月28日 - |
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== 脚注 == |
== 脚注 == |
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{{Reflist}} |
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<references /> |
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==参考文献== |
== 参考文献 == |
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*『[[官報]]』 |
*『[[官報]]』 |
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== 関連項目 == |
== 関連項目 == |
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*[[北垣国道]] - 北海道官設鉄道建設を計画・推進する |
*[[北垣国道]] - 北海道官設鉄道建設を計画・推進する |
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*[[田辺朔郎]] - 北海道庁鉄道部長として北海道官設鉄道建設にあたる |
*[[田辺朔郎]] - 北海道庁鉄道部長として北海道官設鉄道建設にあたる |
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{{鉄道国有法被買収私鉄}} |
{{鉄道国有法被買収私鉄}} |
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{{DEFAULTSORT:ほつかいとうかんせつてつとう}} |
{{DEFAULTSORT:ほつかいとうかんせつてつとう}} |
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[[Category:北海道官設鉄道|*]] |
[[Category:北海道官設鉄道|*]] |
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[[Category:北海道の |
[[Category:北海道の交通史]] |
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[[Category:かつて存在した日本の鉄道事業者]] |
[[Category:かつて存在した日本の鉄道事業者]] |
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[[Category:国有化された日本の鉄道事業者]] |
[[Category:国有化された日本の鉄道事業者]] |
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[[Category:函館本線]] |
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[[Category:根室本線]] |
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[[Category:富良野線]] |
[[Category:富良野線]] |
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[[Category:宗谷本線]] |
2024年5月14日 (火) 21:16時点における最新版
![]() |
北海道庁鉄道部 | |
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![]() | |
役職 | |
部長技師 | 国沢能長 |
概要 | |
所在地 |
![]() |
設置 | 1897年(明治30年)11月5日 |
廃止 | 1905年(明治38年)3月31日 |
後身 | 逓信省 鉄道作業局 |
概要[編集]
北海道の鉄道は、1880年︵明治13年︶に開業した官営幌内鉄道に始まるが、これは北海道開拓使が建設、運営する鉄道であった。しかし、1886年︵明治19年︶に開拓使が廃止され、北海道庁が置かれると鉄道払い下げの方針が出され、北海道炭礦鉄道が設立されて、1889年︵明治22年︶に幌内鉄道の路線はこれに譲渡、民営化された。 北海道庁にとっては、開拓の推進ためにも鉄道の建設が不可欠であったが、北海道炭礦鉄道にはその遂行は不可能であると判断され、北海道庁自ら鉄道建設・運営を行う方針が打ち出された。国においても、北海道における鉄道網建設計画を策定していたが、1892年︵明治25年︶に公布、施行された鉄道敷設法には、北海道における予定線が除外されており、北海道における鉄道建設・運営を北海道庁自ら行なうことを追認した形となった。 1896年︵明治29年︶には、北海道鉄道敷設法が公布・施行され、北海道庁がその建設にあたることとなった。1898年︵明治31年︶の滝川 - 空知太間の開業を皮切りに、現在の函館本線、宗谷本線、根室本線︵富良野線︶等の一部を開業していった。しかし、1905年︵明治38年︶に鉄道作業局に移管され、北海道庁の管轄を離れて逓信省管轄となり、道外の国有鉄道同様の扱いとなった。歴史[編集]
●1896年︵明治29年︶ ●5月8日 - 北海道庁に臨時北海道鉄道敷設部を設置。 ●5月14日 - ﹁北海道鉄道敷設法﹂公布。 ●1897年︵明治30年︶11月5日 - 臨時北海道鉄道敷設部を廃止し、北海道庁鉄道部を設置。 ●1898年︵明治31年︶ ●7月16日 ︻開業︼空知太 - 旭川 ︻駅新設︼滝川、江部乙、妹背牛、深川、納内、伊納︵信号停車場︶、旭川 ︻借入︼砂川 - 空知太︵北海道炭礦鉄道︶ ︻駅廃止︼空知太[1] ●8月12日 ︻延伸開業︼旭川 - 永山 ︻駅新設︼永山 ●11月1日 - 北海道庁鉄道部を廃止し、北海道鉄道部を設置。 ●11月25日 ︻延伸開業︼永山 - 蘭留 ︻駅新設︼比布、蘭留 ●1899年︵明治32年︶ ●8月11日 ︻駅新設︼近文︵信号停車場︶ ●9月1日 ︻延伸開業︼旭川 - 美瑛 ︻駅新設︼辺別、美瑛 ●11月15日 ︻延伸開業︼蘭留 - 和寒 ︻駅新設︼和寒 ︻延伸開業︼美瑛 - 上富良野 ︻駅新設︼上富良野 ●1900年︵明治33年︶ ●5月11日 ︻信号停車場→駅︼伊納 ●8月1日 ︻延伸開業︼上富良野 - 下富良野 ︻駅新設︼中富良野、下富良野 ●8月5日 ︻延伸開業︼和寒 - 士別 ︻駅新設︼剣淵、士別 ●9月18日 ︻線路名称設定︼上川線空知太 - 旭川、天塩線旭川 - 士別︵ - 宗谷︶(*1)、十勝線旭川 - 下富良野︵ - 帯広︶、釧路線︵帯広 - 釧路︶、根室線︵釧路 - 根室︶、網走線︵厚岸 - 網走︶ ●10月1日 - 釧路出張所を設置[2]。 ●12月2日 ︻延伸開業︼十勝線下富良野 - 鹿越 ︻駅新設︼山部︵信号停車場︶、金山、鹿越 ●1901年︵明治34年︶ ●4月1日 ︻信号停車場→駅︼山部 ●7月20日 ︻開業︼釧路線釧路 - 白糠 ︻駅新設︼釧路、大楽毛、庶路、白糠 ●9月3日 ︻延伸開業︼十勝線鹿越 - 落合 ︻駅新設︼落合 ●12月5日 ︻駅新設︼神居古潭︵簡易停車場︶ ●1902年︵明治35年︶12月6日 ︻駅新設︼幾寅 ●1903年︵明治36年︶ ●3月1日 ︻延伸開業︼釧路線白糠 - 音別 ︻駅新設︼音別 ●9月3日 ︻延伸開業︼天塩線士別 - 名寄 ︻駅新設︼多寄、風連、名寄 ●12月25日 ︻延伸開業︼釧路線音別 - 浦幌 ︻駅新設︼厚内、浦幌 ●1904年︵明治37年︶ ●8月12日 ︻延伸開業︼釧路線浦幌 - 豊頃 ︻駅新設︼豊頃 ●12月15日 ︻延伸開業︼豊頃 - 利別 ︻駅新設︼池田、利別 ●1905年︵明治38年︶ ●3月31日 - 北海道庁鉄道部廃止。 ●4月1日 - 逓信省札幌鉄道作業局出張所へ移管。 (*1) 括弧書きは予定区間路線・駅一覧[編集]
下記は、国有鉄道︵鉄道作業局︶編入直前︵1905年3月31日︶における開業路線及び駅︵停車場︶の一覧である。- 上川線(かみかわせん):空知太 - 旭川(36.2M)・北海道炭礦鉄道借入:砂川 - 空知太(3.0M) - 現在の函館本線の一部
- (砂川駅) - (空知太駅)(*2) - 滝川駅 - 江部乙駅 - 妹背牛駅 - 深川駅 - 納内駅 - 神居古潭簡易停車場 - 伊納駅 - 近文信号停車場 - 旭川駅
- 天塩線(てしおせん)旭川 - 名寄(47.2M) - 現在の宗谷本線の一部
- 旭川駅 - 永山駅 - 比布駅 - 蘭留駅 - 和寒駅 - 剣淵駅 - 士別駅 - 多寄駅 - 風連駅 - 名寄駅
- 十勝線(とかちせん):旭川 - 落合(67.3M) - 現在の富良野線及び根室本線の一部
- 旭川駅 - 辺別駅 - 美瑛駅 - 上富良野駅 - 中富良野駅 - 下富良野駅 - 山部駅 - 金山駅 - 鹿越駅 - 幾寅駅 - 落合駅
- 釧路線(くしろせん)釧路 - 利別(67.0M) - 現在の根室本線の一部
- 釧路駅 - 大楽毛駅 - 庶路駅 - 白糠駅 - 音別駅 - 厚内駅 - 浦幌駅 - 豊頃駅 - 池田駅 - 利別駅
- (*2) 空知太駅については、北海道官設鉄道開業時に廃止され、北海道炭礦鉄道・北海道官設鉄道の分界点として残った。この分界点の名称は当初は空知太であったようだが、1901年度以降の年報には空知川と記載されている。
- 下富良野駅(現在の富良野駅) - 落合駅間は2024年4月1日付で廃止された。
輸送・収支実績[編集]
年度 | 旅客人員 | 貨物噸 | 営業収入 | 営業費 | 益金 | 開業線路(哩) |
---|---|---|---|---|---|---|
1898 | 141,225 | 28,437 | 79,370 | 142,688 | ▲ 63,318 | 50.31 |
1899 | 355,365 | 85,447 | 240,971 | 315,137 | ▲ 74,166 | 83.42 |
1900 | 484,911 | 164,537 | 395,874 | 465,348 | ▲ 69,474 | 126.28 |
1901 | 477,853 | 143,461 | 442,209 | 609,339 | ▲ 167,130 | 154.13 |
1902 | 495,383 | 211,990 | 608,180 | 685,465 | ▲ 77,285 | 164.13 |
1903 | 530,091 | 247,956 | 747,373 | 861,473 | ▲ 114,100 | 198.69 |
1904 | 611,518 | 350,505 | 1,038,370 | 1,024,783 | 13,587 | 217.50 |
- 『逓信省年報. 第19』(国立国会図書館デジタルコレクション)
車両[編集]
蒸気機関車[編集]
客車[編集]
引継時は42両。1910-1911年作成の﹃客車略図﹄では北海道官設鉄道所属の客車は合計137両。残り95両は1905年以降に新造または本州から転属したものと見られる[3]。単車[編集]
●ほ1-4 4両︵引継時は2両︶ 月島工場製 定員26/24人 鉄道院フロ840-843︵形式840︶ 二等車︵手用制動機附︶形式図 ●へ1-10 10両︵引継時は2両︶ 月島工場製 定員41/39人 鉄道院フハ3384-3393︵形式3384︶ 三等車︵手用制動機附︶形式図 ●よさ11-50 40両︵1908年新造︶ 不明 定員不明 鉄道院フハ3394-3433︵形式3394︶ 三等車︵手用制動機附︶形式図なし ●とち1-3 3両︵当初4両あり1両は1903年焼失︶ 三等郵便手荷物緩急車へとち1-3を1903年改造︵とち︶したもの。 月島工場製 鉄道院ユニ3963-3965︵形式3963︶ 郵便手荷物緩急車 形式図 ●とちり1-4 4両 三等車へ3-6︵初代︶を1903年郵便緩急車とち1-4へ改造しさらに郵便手荷物緩急車︵とちり︶に改造したもの。 月島工場製 鉄道院ユニ3976-3979︵形式3976︶ 郵便手荷物緩急車 形式図 ●ヨリ1-45 45両︵1908年新造︶神戸工場製 鉄道院ニ4344-4388︵形式4344︶ 手荷物緩急車 形式図なしボギー車[編集]
●ろは1.2 2両 北海道鉄道部工場製 定員二等16人三等46人 鉄道院フホロハ5940.5941︵形式5940︶二三等車︵手用制動機附︶形式図 ●ろは3-10 8両 平岡、東京機械、旭川、月島製 定員二等16/14人三等48/44人 鉄道院フホロハ5942-5949︵形式5945︶二三等車︵手用制動機附︶形式図 ●ろは11-13 3両 東京車輌製造所製 定員二等18/16人三等60/56人 鉄道院フホロハ5950-5952︵形式5945︶二三等車︵手用制動機附︶形式図 ●は1.2 2両 北海道鉄道部工場製 定員72人 鉄道院フホハ7905.7906︵形式7905︶三等車︵手用制動機附︶形式図 ●は6-21 16両 平岡、東京機械、旭川、月島、日車製 定員92/84人 鉄道院フホハ7907-7922︵形式7905︶三等車︵手用制動機附︶形式図 定員の後者は冬期間 リンク先は国立国会図書館デジタルコレクションの﹃客車略図 ﹄車両数の推移[編集]
年度 | 機関車 | 客車 | 貨車 |
---|---|---|---|
1898 | 7 | 12 | 108 |
1899 | 9 | 17 | 127 |
1900 | 12 | 20 | 205 |
1901 | 16 | 30 | 286 |
1902 | 20 | 31 | 351 |
1903 | 24 | 39 | 539 |
1904 | 31 | 42 | 627 |
- 『逓信省年報. 第19』(国立国会図書館デジタルコレクション)
北海道庁鉄道部長[編集]
- (心得)小山友直 道庁鉄道技師:1900年2月8日 - 3月28日
- 国沢能長 道庁鉄道技師:1900年3月28日 -
脚注[編集]
参考文献[編集]
- 『官報』