コンテンツにスキップ

「北海道官設鉄道」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
27行目: 27行目:

北海道庁にとっては、開拓の推進ためにも鉄道の建設が不可欠であったが、北海道炭礦鉄道にはその遂行は不可能であると判断され、北海道庁自ら鉄道建設・運営を行う方針が打ち出された。国においても、北海道における鉄道網建設計画を策定していたが、[[1892年]](明治25年)に公布、施行された[[鉄道敷設法]]には、北海道における予定線が除外されており、北海道における鉄道建設・運営を北海道庁自ら行なうことを追認した形となった。

北海道庁にとっては、開拓の推進ためにも鉄道の建設が不可欠であったが、北海道炭礦鉄道にはその遂行は不可能であると判断され、北海道庁自ら鉄道建設・運営を行う方針が打ち出された。国においても、北海道における鉄道網建設計画を策定していたが、[[1892年]](明治25年)に公布、施行された[[鉄道敷設法]]には、北海道における予定線が除外されており、北海道における鉄道建設・運営を北海道庁自ら行なうことを追認した形となった。



[[1896年]](明治29年)には、[[鉄道敷設法#北海道鉄道敷設法|北海道鉄道敷設法]]が公布・施行され、北海道庁がその建設にあたることとなった。[[1898年]](明治31年)の滝川 - 空知太間の開業を皮切りに、現在の[[函館本線]]、[[宗谷本線]]、[[根室本線]]([[富良野線]])等の一部を開業していった。しかし、[[1905年]](明治38年)に[[日本国有鉄道|鉄道作業局]]に移管され、北海道庁の管轄を離れて逓信省管轄となり、道外の国有鉄道同様の扱いとなった。

[[1896年]](明治29年)には、[[鉄道敷設法#北海道鉄道敷設法|北海道鉄道敷設法]]が公布・施行され、北海道庁がその建設にあたることとなった。[[1898年]](明治31年)の滝川 - 空知太間の開業を皮切りに、現在の[[函館本線]]、[[宗谷本線]]、[[根室本線]]([[富良野線]])等の一部を開業していった。しかし、[[1905年]](明治38年)に[[鉄道|鉄道作業局]]に移管され、北海道庁の管轄を離れて[[逓信省]]管轄となり、道外の国有鉄道同様の扱いとなった。



== 歴史 ==

== 歴史 ==

68行目: 68行目:

:(*1) 括弧書きは予定区間

:(*1) 括弧書きは予定区間



==路線・駅一覧==

== 路線・駅一覧 ==

下記は、国有鉄道(鉄道作業局)編入直前(1905年3月31日)における開業路線及び駅(停車場)の一覧である。

下記は、国有鉄道(鉄道作業局)編入直前(1905年3月31日)における開業路線及び駅(停車場)の一覧である。

;'''上川線'''(かみかわせん):空知太 - 旭川(36.2[[マイル|M]])・北海道炭礦鉄道借入:砂川 - 空知太(3.0M) - 現在の[[函館本線]]の一部

;'''上川線'''(かみかわせん):空知太 - 旭川(36.2[[マイル|M]])・北海道炭礦鉄道借入:砂川 - 空知太(3.0M) - 現在の[[函館本線]]の一部

109行目: 109行目:

* [{{NDLDC|805341/64}} 『逓信省年報. 第19』](国立国会図書館デジタルコレクション)

* [{{NDLDC|805341/64}} 『逓信省年報. 第19』](国立国会図書館デジタルコレクション)



==車両==

== 車両 ==

===蒸気機関車===

=== 蒸気機関車 ===

番号は便宜的に全て[[アラビア数字]]で記しているが、1号から9号までの現車への標記は[[漢数字]]で、前面へは漢数字のみを丸形のプレートに、側面へは切り抜き文字で「號四」のように標記していた。形式のアルファベットは、Bが[[車軸配置]]2-6-0(1C)形の[[テンダ機関車]]、Cが車軸配置0-6-0(C)形のテンダ機関車、Dが車軸配置2-6-2(1C1)形の[[タンク機関車]]、Eが車軸配置0-6-0(C)形のタンク機関車を意味し、それぞれの登場順に数字を付している。また、これらは国有鉄道(鉄道作業局)編入後に、鉄道作業局の形式に準じた形式が与えられ、1909年の鉄道院の形式称号制定まで使用された。

番号は便宜的に全て[[アラビア数字]]で記しているが、1号から9号までの現車への標記は[[漢数字]]で、前面へは漢数字のみを丸形のプレートに、側面へは切り抜き文字で「號四」のように標記していた。形式のアルファベットは、Bが[[車軸配置]]2-6-0(1C)形の[[テンダ機関車]]、Cが車軸配置0-6-0(C)形のテンダ機関車、Dが車軸配置2-6-2(1C1)形の[[タンク機関車]]、Eが車軸配置0-6-0(C)形のタンク機関車を意味し、それぞれの登場順に数字を付している。また、これらは国有鉄道(鉄道作業局)編入後に、鉄道作業局の形式に準じた形式が与えられ、1909年の鉄道院の形式称号制定まで使用された。



126行目: 126行目:

*'''B8形''' - '''36, 37''' - (1905年[[汽車製造]]製)鉄道作業局Ef形 → 鉄道院[[国鉄7270形蒸気機関車|7270形]](7274, 7275)

*'''B8形''' - '''36, 37''' - (1905年[[汽車製造]]製)鉄道作業局Ef形 → 鉄道院[[国鉄7270形蒸気機関車|7270形]](7274, 7275)



===客車===

=== 客車 ===

引継時は42両。1910-1911年作成の『[[客車略図]]』では北海道官設鉄道所属の客車は合計137両。残り95両は1905年以降に新造または本州から転属したものと見られる<ref>星良助「北海道内客車のうごき」『鉄道ピクトリアル』No.386-387</ref>。

引継時は42両。1910-1911年作成の『[[客車略図]]』では北海道官設鉄道所属の客車は合計137両。残り95両は1905年以降に新造または本州から転属したものと見られる<ref>星良助「北海道内客車のうごき」『鉄道ピクトリアル』No.386-387</ref>。

====単車====

==== 単車 ====

*ほ1-4 4両(引継時は2両) 月島工場製 定員26/24人 鉄道院フロ840-843(形式840) 二等車(手用制動機附)[{{NDLDC|2942239/132}} 形式図]

*ほ1-4 4両(引継時は2両) 月島工場製 定員26/24人 鉄道院フロ840-843(形式840) 二等車(手用制動機附)[{{NDLDC|2942239/132}} 形式図]

*へ1-10 10両(引継時は2両) 月島工場製 定員41/39人 鉄道院フハ3384-3393(形式3384) 三等車(手用制動機附)[{{NDLDC|2942239/281}} 形式図]

*へ1-10 10両(引継時は2両) 月島工場製 定員41/39人 鉄道院フハ3384-3393(形式3384) 三等車(手用制動機附)[{{NDLDC|2942239/281}} 形式図]

135行目: 135行目:

*とちり1-4 4両 三等車へ3-6(初代)を1903年郵便緩急車とち1-4へ改造しさらに郵便手荷物緩急車(とちり)に改造したもの。 月島工場製 鉄道院ユニ3976-3979(形式3976) 郵便手荷物緩急車 [{{NDLDC|2942239/413}} 形式図]

*とちり1-4 4両 三等車へ3-6(初代)を1903年郵便緩急車とち1-4へ改造しさらに郵便手荷物緩急車(とちり)に改造したもの。 月島工場製 鉄道院ユニ3976-3979(形式3976) 郵便手荷物緩急車 [{{NDLDC|2942239/413}} 形式図]

*ヨリ1-45 45両(1908年新造)神戸工場製 鉄道院ニ4344-4388(形式4344) 手荷物緩急車 [{{NDLDC|2942239/445}} 形式図なし]

*ヨリ1-45 45両(1908年新造)神戸工場製 鉄道院ニ4344-4388(形式4344) 手荷物緩急車 [{{NDLDC|2942239/445}} 形式図なし]

====ボギー車====

==== ボギー車 ====

*ろは1.2 2両 北海道鉄道部工場製 定員二等16人三等46人 鉄道院フホロハ5940.5941(形式5940)二三等車(手用制動機附)[{{NDLDC|2942240/066}} 形式図]

*ろは1.2 2両 北海道鉄道部工場製 定員二等16人三等46人 鉄道院フホロハ5940.5941(形式5940)二三等車(手用制動機附)[{{NDLDC|2942240/066}} 形式図]

*ろは3-10 8両 平岡、東京機械、旭川、月島製 定員二等16/14人三等48/44人 鉄道院フホロハ5942-5949(形式5945)二三等車(手用制動機附)[{{NDLDC|2942240/067}} 形式図]

*ろは3-10 8両 平岡、東京機械、旭川、月島製 定員二等16/14人三等48/44人 鉄道院フホロハ5942-5949(形式5945)二三等車(手用制動機附)[{{NDLDC|2942240/067}} 形式図]

174行目: 174行目:

{{Reflist}}

{{Reflist}}



==参考文献==

== 参考文献 ==

*『[[官報]]』

*『[[官報]]』



188行目: 188行目:

[[Category:かつて存在した日本の鉄道事業者]]

[[Category:かつて存在した日本の鉄道事業者]]

[[Category:国有化された日本の鉄道事業者]]

[[Category:国有化された日本の鉄道事業者]]

[[Category:函館本線]]

[[Category:根室本線]]

[[Category:富良野線]]

[[Category:富良野線]]

[[Category:宗谷本線]]


2019年11月16日 (土) 07:30時点における版

日本の旗 日本行政機関
北海道庁鉄道部
役職
部長技師 国沢能長
概要
所在地 日本の旗 日本 北海道札幌区
設置 1897年(明治30年)11月5日
廃止 1905年(明治38年)3月31日
後身 逓信省 鉄道作業局
テンプレートを表示



188013使188619使188922

189225

189629189831 - 190538


189629
58 - 

514 - 

189730115 - 

189831
716  -    -  [1]

812  -  

111 - 

1125  -  

189932
811 

91  -  

1115  -    -  

190033
511 

81  -  

85  -  

918  -  -  - (*1) -  -  -  -  - 

101 - [2]

122  - 鹿 鹿

190134
41 

720  -  

93 鹿 -  

125 

190235126 

190336
31  -  

93  -  

1225  -  

190437
812  -  

1215  -  

190538
331 - 

41 - 

(*1) 


1905331
上川線(かみかわせん):空知太 - 旭川(36.2M)・北海道炭礦鉄道借入:砂川 - 空知太(3.0M) - 現在の函館本線の一部
砂川駅) - (空知太駅)(*2) - 滝川駅 - 江部乙駅 - 妹背牛駅 - 深川駅 - 納内駅 - 神居古潭簡易停車場 - 伊納駅 - 近文信号停車場 - 旭川駅
天塩線(てしおせん)旭川 - 名寄(47.2M) - 現在の宗谷本線の一部
旭川駅 - 永山駅 - 比布駅 - 蘭留駅 - 和寒駅 - 剣淵駅 - 士別駅 - 多寄駅 - 風連駅 - 名寄駅
十勝線(とかちせん):旭川 - 落合(67.3M) - 現在の富良野線及び根室本線の一部
旭川駅 - 辺別駅 - 美瑛駅 - 上富良野駅 - 中富良野駅 - 下富良野駅 - 山部駅 - 金山駅 - 鹿越駅 - 幾寅駅 - 落合駅
釧路線(くしろせん)釧路 - 利別(67.0M) - 現在の根室本線の一部
釧路駅 - 大楽毛駅 - 庶路駅 - 白糠駅 - 音別駅 - 厚内駅 - 浦幌駅 - 豊頃駅 - 池田駅 - 利別駅
(*2) 空知太駅については、北海道官設鉄道開業時に廃止され、北海道炭礦鉄道・北海道官設鉄道の分界点として残った。この分界点の名称は当初は空知太であったようだが、1901年度以降の年報には空知川と記載されている。

輸送・収支実績

年度 旅客人員 貨物噸 営業収入 営業費 益金 開業線路(哩)
1898 141,225 28,437 79,370 142,688 ▲ 63,318 50.31
1899 355,365 85,447 240,971 315,137 ▲ 74,166 83.42
1900 484,911 164,537 395,874 465,348 ▲ 69,474 126.28
1901 477,853 143,461 442,209 609,339 ▲ 167,130 154.13
1902 495,383 211,990 608,180 685,465 ▲ 77,285 164.13
1903 530,091 247,956 747,373 861,473 ▲ 114,100 198.69
1904 611,518 350,505 1,038,370 1,024,783 13,587 217.50

車両

蒸気機関車


便19B2-6-0(1C)C0-6-0(C)D2-6-2(1C1)E0-6-0(C)1909使

B1 - 1 - 3 - 1896Ea  74007400 - 7402

C1 - 4, 5 - 18871897Eb  70007000, 7001

D1 - 6, 7 - 1897Ba  30103010, 3011

D2 - 8, 9, 12 - 1899Bb  30003000 - 3002

E1 - 10- 1886西31900Bc  11501153

B2 - 11- 1889H.K.71899Ec  71007100

B3 - 13 - 16 - 1900Ed  72707270 - 7273

B4 - 17 - 22 - 1902Ee  73507350 - 7355

B5 - 23 - 26 - 1902Ee  73007300 - 7303

B6 - 27 - 30, 34, 35 - 19031904Ef  75007500 - 7505

B7 - 31 - 33 - 1904Ef  75507550 - 7552

B8 - 36, 37 - 1905Ef  72707274, 7275


421910-1911137951905[3]


1-4 42  26/24 840-843840 

1-10 102  41/39 3384-33933384 

11-50 401908   3394-34333394 

1-3 3411903 便1-31903  3963-39653963 便 

1-4 4 3-61903便1-4便  3976-39793976 便 

1-45 451908 4344-43884344  


1.2 2  1646 5940.59415940

3-10 8  16/1448/44 5942-59495945

11-13 3  18/1660/56 5950-59525945

1.2 2  72 7905.79067905

6-21 16  92/84 7907-79227905

 

車両数の推移

年度 機関車 客車 貨車
1898 7 12 108
1899 9 17 127
1900 12 20 205
1901 16 30 286
1902 20 31 351
1903 24 39 539
1904 31 42 627

北海道庁鉄道部長

  • (心得)小山友直 道庁鉄道技師:1900年2月8日 - 3月28日
  • 国沢能長 道庁鉄道技師:1900年3月28日 -

脚注



(一)^ -使

(二)^ 515833910

(三)^ No.386-387

参考文献

関連項目

  • 北垣国道 - 北海道官設鉄道建設を計画・推進する
  • 田辺朔郎 - 北海道庁鉄道部長として北海道官設鉄道建設にあたる