「銀あけみ」の版間の差分
m →略歴 |
m Bot作業依頼#Cite webの和書引数追加 |
||
(20人の利用者による、間の38版が非表示) | |||
1行目: | 1行目: | ||
'''銀 あけみ'''(しろがね - 、[[1944年]][[4月30日]]<ref name=asahi93124>「銀あけみ(死を生きる・第一部 3つの物語:11)/兵庫」『[[朝日新聞]]』、1993年12月4日発行、朝刊、兵庫面 - 聞蔵IIビジュアルにて閲覧</ref> - [[1993年]][[5月7日]]) |
'''銀 あけみ'''(しろがね - 、本名・'''井村 洋子'''<ref name=kageki813p54>「銀あけみ、逝去」 『[[歌劇 (雑誌)|歌劇]]』、通算813号、1993年6月1日発行、54頁</ref>、[[1944年]][[4月30日]]<ref name=asahi93124>「銀あけみ(死を生きる・第一部 3つの物語:11)/兵庫」『[[朝日新聞]]』、1993年12月4日発行、朝刊、兵庫面 - 聞蔵IIビジュアルにて閲覧</ref> - [[1993年]][[5月7日]])は元[[宝塚歌劇団]]娘役(元[[雪組 (宝塚歌劇)|雪組]][[組長 (宝塚歌劇)|組長]])。日本舞踊藤間流・藤間勘緒<ref name=kageki813p50>小林公平 「花の道より」 『[[歌劇 (雑誌)|歌劇]]』、通算813号、1993年6月1日発行、50頁</ref>。[[神奈川県]][[鎌倉市]]出身。愛称は「イムコ」「ヨーコちゃん」「イム長」。 |
||
==略歴== |
==略歴== |
||
* 1944年4月30日、[[東京]]で生まれる<ref name=asahi93124 />。 |
* 1944年4月30日、[[東京]]で生まれる<ref name=asahi93124 />。 |
||
*「宝塚に合格者を出している」という理由から |
*「宝塚に合格者を出している」という理由から山脇学園中等部に入学<ref name=asahi93124 />。 |
||
* [[1960年]]、[[宝塚音楽学校]]入学<ref name=kageki813p50 />。 |
* [[1960年]]、[[宝塚音楽学校]]入学<ref name=kageki813p50 />。 |
||
* [[1962年]]、[[宝塚歌劇団48期生|48期生]]として[[宝塚歌劇団]]に入団。[[星組 (宝塚歌劇)|星組]]公演﹃メイド・イン・ニッポン﹄で初舞台。 |
* [[1962年]]、[[宝塚歌劇団48期生|48期生]]として[[宝塚歌劇団]]に入団。[[星組 (宝塚歌劇)|星組]]公演﹃メイド・イン・ニッポン<ref name='thundred'/>﹄で初舞台。宝塚入団時の成績は75人中6位<ref name="thundred">監修‥[[小林公一]]﹃宝塚歌劇100年史 虹の橋 渡り続けて︵人物編︶﹄、[[阪急コミュニケーションズ]]、[[2014年]][[4月1日]]、64-65頁。ISBN 9784484146010</ref>。
|
||
* [[ |
* [[1964年]][[1月1日]]<ref name='thundred'/>、[[花組 (宝塚歌劇)|花組]]に配属。 |
||
* [[1965年]]、第2回ヨーロッパ公演([[フランス]][[パリ]])参加。 |
* [[1965年]]、第2回ヨーロッパ公演([[フランス]][[パリ]])参加。 |
||
* [[1967年]]2月-3月、[[ニューヨーク]]公演に参加。 |
* [[1967年]]2月-3月、[[ニューヨーク]]公演に参加。 |
||
17行目: | 17行目: | ||
* [[1983年]]3月、[[雪組 (宝塚歌劇)|雪組]]組長に就任。同年5月-6月、『[[うたかたの恋 (宝塚歌劇)|うたかたの恋]]』ジェシカ役で出演。 |
* [[1983年]]3月、[[雪組 (宝塚歌劇)|雪組]]組長に就任。同年5月-6月、『[[うたかたの恋 (宝塚歌劇)|うたかたの恋]]』ジェシカ役で出演。 |
||
* [[1984年]]3月-5月、『[[風と共に去りぬ (宝塚歌劇)|風と共に去りぬ]]』ミード夫人役で出演。 |
* [[1984年]]3月-5月、『[[風と共に去りぬ (宝塚歌劇)|風と共に去りぬ]]』ミード夫人役で出演。 |
||
* [[1987年]]5月26日-28日、『カラベル・プチコンサート』出演。同年11月、カラベル・プチコンサートで初披露したオリジナル曲を収録したCD「たからづかジュエリー・ポップス -歌は私のいのち-」発売。 |
* [[1987年]]5月26日-28日、『カラベル・プチコンサート』出演。同年11月、カラベル・プチコンサートで初披露したオリジナル曲を収録したCD「たからづかジュエリー・ポップス -歌は私のいのち-」発売。個人としての(収録)CD第1号(退団記念盤をのぞく)である。TMPC-3A |
||
* [[1988年]]2月16日、﹃風と共に去りぬ﹄千秋楽公演中に激しい頭痛を訴えたため、同公演を休演し宝塚市内の病院へ搬送。[[クモ膜下出血]]の診断を受け入院 |
* [[1988年]]2月16日、﹃風と共に去りぬ﹄千秋楽公演中に激しい頭痛を訴えたため、同公演を休演し宝塚市内の病院へ搬送。[[クモ膜下出血]]の診断を受け入院<ref name=asahi93121>﹁銀あけみ︵死を生きる・第一部3つの物語‥8︶/兵庫﹂﹃[[朝日新聞]]﹄、1993年12月1日発行、朝刊、兵庫面 - 聞蔵IIビジュアルにて閲覧</ref>。
|
||
* [[1989年]]3月、雪組組長退任。 |
* [[1989年]]3月、雪組組長退任。 |
||
* 1993年5月7日午後11時30分、 |
* 1993年5月7日<ref name='thundred'/>午後11時30分、急性心不全のため逝去<ref name=kageki813p54 />。享年49。 |
||
== エピソード == |
== エピソード == |
||
* 父親は海軍軍人<ref name=kageki813p51>小林公平 ﹁花の道より﹂ ﹃歌劇﹄、通算813号、1993年6月1日発行、51頁</ref>。銀の誕生から19日後、搭乗していた潜水艦が南太平洋ソロモン海域で爆撃を受け戦死。銀と父親は一度も対面したことがない<ref name=asahi93124 /><ref name=kageki813p51 />。父親の死後、母親は美容師の資格を取り、銀を育てた<ref name=asahi93124 />。
|
* 父親は海軍軍人<ref name=kageki813p51>小林公平 ﹁花の道より﹂ ﹃歌劇﹄、通算813号、1993年6月1日発行、51頁</ref>。銀の誕生から19日後、搭乗していた[[伊号第十六潜水艦|潜水艦]]が南太平洋ソロモン海域で爆撃を受け戦死。銀と父親は一度も対面したことがない<ref name=asahi93124 /><ref name=kageki813p51 />。父親の死後、母親は美容師の資格を取り、銀を育てた<ref name=asahi93124 />。
|
||
* 幼少期は東京築地の[[歌舞伎座]]近くで育つ。宝塚歌劇ファンの母親は、東京公演のたびに銀を連れて観劇した。銀はこの頃から「タカラヅカのおねえさんになる」と入団を志す発言をしていた。<ref name=asahi93124 /> |
* 幼少期は東京築地の[[歌舞伎座]]近くで育つ。宝塚歌劇ファンの母親は、東京公演のたびに銀を連れて観劇した。銀はこの頃から「タカラヅカのおねえさんになる」と入団を志す発言をしていた。<ref name=asahi93124 /> |
||
* 幼少期から日本舞踊や長唄を習っていた。中学校入学後は自分で探し出した教室でバレエと声楽のレッスンを受けた。<ref name=asahi93124 /> |
* 幼少期から日本舞踊や長唄を習っていた。中学校入学後は自分で探し出した教室でバレエと声楽のレッスンを受けた。<ref name=asahi93124 /> |
||
* 小学校から無遅刻無欠席。責任感が強く、宝塚音楽学校の同期生からも一目置かれる存在であった。<ref name=asahi93124 /> |
* 小学校から無遅刻無欠席。責任感が強く、宝塚音楽学校の同期生からも一目置かれる存在であった。<ref name=asahi93124 /> |
||
* 宝塚歌劇団入団後は、伸びのある歌声と安定した歌唱で早くから注目を集めた<ref name=kageki813p54 />。舞踊でも評価を受けており、藤間流の名取として藤間勘緒を名乗っていたほか、ダンスでは振付家[[パディ・ストーン]]によるオーディションに合格して第2回ヨーロッパ公演に参加<ref name=kageki813p50 />。公演参加者の中では最下級生<ref>在団年数が最も短い団員を指す。詳細は[[宝塚歌劇団#劇団員と宝塚音楽学校]]を参照 |
* 宝塚歌劇団入団後は、伸びのある歌声と安定した歌唱で早くから注目を集めた<ref name=kageki813p54 />。舞踊でも評価を受けており、藤間流の名取として藤間勘緒を名乗っていたほか、ダンスでは振付家[[パディ・ストーン]]によるオーディションに合格して第2回ヨーロッパ公演に参加<ref name=kageki813p50 />。公演参加者の中では最下級生<ref>在団年数が最も短い団員を指す。詳細は[[宝塚歌劇団#歌劇団員と宝塚音楽学校]]を参照。</ref>であった。
|
||
*[[麻実れい]]退団公演『さよならショー』では、雪組組長として、司会進行を務め、麻実の宝塚在団中の思い出やエピソードなども語っている。 |
|||
* 銀は生前、宝塚おとめ<ref>宝塚歌劇団全生徒のプロフィールを掲載した書籍。毎年新版が発行される。基本的なプロフィールの他に﹁好きだった役﹂や﹁演じてみたい役﹂という項目があり、これらは団員自身が選んだものが掲載される。</ref>で﹁好だった役﹂として﹃[[メナムに赤い花が散る]]﹄の田鶴役を挙げていた。この役は作・演出の[[植田紳爾]]が﹁イムコ︵銀︶の持つ得難い人柄と、豊饒な歌唱力を何とか生かしたい﹂という思いから銀に当て書きした役である<ref name=kageki813p55>植田紳爾﹁寂﹂ ﹃[[歌劇 (雑誌)|歌劇]]﹄、通算813号、1993年6月1日発行、55頁</ref>。この役を演じた銀について植田は﹁人の心を素直に歌いあげるのは、簡単なようでそうではない。気持ちさえ込めれば情感が出ると思うのはまちがいで、彼女の歌はそのいちばんむずかしいところに到達していた﹂と語っている<ref name=asahi93128>﹁銀あけみ︵死を生きる・第一部3つの物語‥13︶/兵庫﹂﹃[[朝日新聞]]﹄、1993年12月8日発行、朝刊、兵庫面 - 聞蔵IIビジュアルにて閲覧</ref>。
|
* 銀は生前、宝塚おとめ<ref>宝塚歌劇団全生徒のプロフィールを掲載した書籍。毎年新版が発行される。基本的なプロフィールの他に﹁好きだった役﹂や﹁演じてみたい役﹂という項目があり、これらは団員自身が選んだものが掲載される。</ref>で﹁好きだった役﹂として﹃[[メナムに赤い花が散る]]﹄の田鶴役を挙げていた。この役は作・演出の[[植田紳爾]]が﹁イムコ︵銀︶の持つ得難い人柄と、豊饒な歌唱力を何とか生かしたい﹂という思いから銀に当て書きした役である<ref name=kageki813p55>植田紳爾﹁寂﹂ ﹃[[歌劇 (雑誌)|歌劇]]﹄、通算813号、1993年6月1日発行、55頁</ref>。この役を演じた銀について植田は﹁人の心を素直に歌いあげるのは、簡単なようでそうではない。気持ちさえ込めれば情感が出ると思うのはまちがいで、彼女の歌はそのいちばんむずかしいところに到達していた﹂と語っている<ref name=asahi93128>﹁銀あけみ︵死を生きる・第一部3つの物語‥13︶/兵庫﹂﹃[[朝日新聞]]﹄、1993年12月8日発行、朝刊、兵庫面 - 聞蔵IIビジュアルにて閲覧</ref>。
|
||
* [[小林公平]]は銀について「たいへん美声の持ち主」「和・洋何れにも貴重な存在であった」と語っている<ref name=kageki813p50 />。 |
* [[小林公平]]は銀について「たいへん美声の持ち主」「和・洋何れにも貴重な存在であった」と語っている<ref name=kageki813p50 />。 |
||
* 植田は銀について「気配りや心遣いがいつも的確」「人間的な優しさや暖かさは同期生の中でも群を抜いていた」と語っている<ref name=kageki813p55 />。 |
* 植田は銀について「気配りや心遣いがいつも的確」「人間的な優しさや暖かさは同期生の中でも群を抜いていた」と語っている<ref name=kageki813p55 />。 |
||
* 雪組組長を務めていた時、研究科3年生であった[[北原遥子]]が(カメラテストのみときいて出かけたテレビドラマの撮影で、結果的に顔が映る形での「出演」となり、その責任をとる形で)退団させられた際には「北原を正式退団者にしてくれないのなら、自分たちも辞める」と、歌劇団に対して猛抗議したという。その後、北原は正式退団者として扱われ、『宝塚歌劇団80年史』には「昭和59年退団」と記されているという<ref>{{Cite web|和書|date=2009-02-05|url=https://coccinelle-king.seesaa.net/article/200902article_2.html|title=へそだんご「北原遥子さん、御巣鷹山に散った悲劇のタカラジェンヌの思い出」|publisher=ウェブリブログ|accessdate=2013-04-20}}</ref>。 |
|||
==宝塚時代の主な舞台== |
==宝塚歌劇団時代の主な舞台== |
||
*『[[マイ・アイドル]]』歌う娘 役(1968年3月 - 4月) |
|||
*『[[メナムに赤い花が散る]]』田鶴 役(1968年9月) |
*『[[メナムに赤い花が散る]]』田鶴 役(1968年9月) |
||
*『[[宝塚歌劇 |
*『[[アポローン (宝塚歌劇)|アポローン]]』歌手 役(1970年10月 - 11月) |
||
*『[[ |
*『[[人魚姫 (宝塚歌劇)|人魚姫]]』アンリエッタ姫 役(1971年7 - 8月) |
||
*『[[ |
*『[[ラ・ロンド]]』踊る淑女 役(1972年1 - 2月) |
||
*『 |
*『[[この恋は雲の涯まで]]』玲姫 役(1973年7 - 8月) |
||
*『[[花のお嬢吉三]]』歌手 役(1974年1月) |
|||
*『[[春愁の記]]』辨 役(1979年6月 - 8月) |
|||
*『[[若草物語]]』ミセス・マーチ 役(1980年4 - 5月) |
|||
*『[[夜明けの序曲]]』お新 役(1982年8月 - 9月) |
|||
*『[[オペラ・トロピカル]]』ノアノア 役(1983年2月 - 3月) |
|||
*『[[うたかたの恋 (宝塚歌劇)|うたかたの恋]]』ジェシカ 役(1983年5月 - 6月) |
*『[[うたかたの恋 (宝塚歌劇)|うたかたの恋]]』ジェシカ 役(1983年5月 - 6月) |
||
*『[[風と共に去りぬ (宝塚歌劇)|風と共に去りぬ]]』ミード夫人 役(1984年3月 - 5月) |
|||
*『[[千太郎纏しぐれ]]』春駒 役(1984年9月 - 11月) |
|||
*『[[花夢幻]]』/『[[はばたけ黄金の翼よ]]』サンドラ 役(1985年1月 - 2月) |
|||
*『[[愛のカレードスコープ]]』第三話:エリザベート 役(1985年6月 - 8月) |
*『[[愛のカレードスコープ]]』第三話:エリザベート 役(1985年6月 - 8月) |
||
*『[[ |
*『[[大江山花伝 -燃えつきてこそ-|大江山花伝]]』伊勢式部 役(1986年2月 - 3月) |
||
*『 |
*『[[宝塚をどり讃歌]]』/『[[サマルカンドの赤いばら]]』パルヴィーン 役(1987年3月 - 5月) |
||
*『[[ |
*『[[梨花 王城に舞う -マルコ・ポーロ秘話-]]』ジャムイ 役(1987年9月 - 11月) |
||
*『風と共に去りぬ』ミード夫人 役(1988年1月 - 2月) |
|||
== 脚注 == |
== 脚注 == |
||
<references/> |
<references/> |
||
==関連項目== |
|||
*[[神奈川県出身の人物一覧]] |
|||
*[[星空ひかる]](銀入団時の花組トップスター。[[1951年]] - 1965年) |
|||
{{宝塚歌劇団}} |
{{宝塚歌劇団}} |
||
{{宝塚歌劇団雪組組長|1983- |
{{宝塚歌劇団雪組組長|1983-1989}} |
||
{{DEFAULTSORT:しろかね あけみ}} |
{{DEFAULTSORT:しろかね あけみ}} |
||
[[Category:宝塚歌劇団卒業生]] |
[[Category:宝塚歌劇団卒業生]] |
||
61行目: | 69行目: | ||
[[Category:1944年生]] |
[[Category:1944年生]] |
||
[[Category:1993年没]] |
[[Category:1993年没]] |
||
[[Category:藤間流]] |
|||
== 外部リンク == |
|||
*[https://www.takarazuka-an.co.jp/c/shop/item/i_movie/i_movie_cd/i_movie_cd_07/TMPC-3A 銀あけみ たからづかジュエリー・ポップス ページ] |
|||
*[https://www.takarazuka-an.co.jp/c/shop/item/i_movie/i_movie_cd/i_movie_cd_07/TMPC-1A TMPC-1A 参考ページ] |
|||
*[https://www.takarazuka-an.co.jp/c/shop/item/i_movie/i_movie_cd/i_movie_cd_07/TMPC-2A TMPC-2A 参考ページ] |
|||
*[https://www.takarazuka-an.co.jp/c/shop/item/i_movie/i_movie_video/i_movie_video_07/TMPV-3B 麻実れい ラスト・ステージ また逢う日まで TMPV-3B さよならショー収録] |