「銀あけみ」の版間の差分
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* 小学校から無遅刻無欠席。責任感が強く、宝塚音楽学校の同期生からも一目置かれる存在であった。<ref name=asahi93124 /> |
* 小学校から無遅刻無欠席。責任感が強く、宝塚音楽学校の同期生からも一目置かれる存在であった。<ref name=asahi93124 /> |
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* 宝塚歌劇団入団後は、伸びのある歌声と安定した歌唱で早くから注目を集めた<ref name=kageki813p54 />。舞踊でも評価を受けており、藤間流の名取として藤間勘緒を名乗っていたほか、ダンスでは振付家[[パディ・ストーン]]によるオーディションに合格して第2回ヨーロッパ公演に参加<ref name=kageki813p50 />。公演参加者の中では最下級生<ref>在団年数が最も短い団員を指す。詳細は[[宝塚歌劇団#劇団員と宝塚音楽学校]]を参照。</ref>であった。 |
* 宝塚歌劇団入団後は、伸びのある歌声と安定した歌唱で早くから注目を集めた<ref name=kageki813p54 />。舞踊でも評価を受けており、藤間流の名取として藤間勘緒を名乗っていたほか、ダンスでは振付家[[パディ・ストーン]]によるオーディションに合格して第2回ヨーロッパ公演に参加<ref name=kageki813p50 />。公演参加者の中では最下級生<ref>在団年数が最も短い団員を指す。詳細は[[宝塚歌劇団#劇団員と宝塚音楽学校]]を参照。</ref>であった。 |
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*麻実れい退団公演『さよならショー』では、雪組組長として、司会進行を務め、麻実の宝塚在団中の思い出やエピソードなども語っている。 |
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* 銀は生前、宝塚おとめ<ref>宝塚歌劇団全生徒のプロフィールを掲載した書籍。毎年新版が発行される。基本的なプロフィールの他に﹁好きだった役﹂や﹁演じてみたい役﹂という項目があり、これらは団員自身が選んだものが掲載される。</ref>で﹁好きだった役﹂として﹃[[メナムに赤い花が散る]]﹄の田鶴役を挙げていた。この役は作・演出の[[植田紳爾]]が﹁イムコ︵銀︶の持つ得難い人柄と、豊饒な歌唱力を何とか生かしたい﹂という思いから銀に当て書きした役である<ref name=kageki813p55>植田紳爾﹁寂﹂ ﹃[[歌劇 (雑誌)|歌劇]]﹄、通算813号、1993年6月1日発行、55頁</ref>。この役を演じた銀について植田は﹁人の心を素直に歌いあげるのは、簡単なようでそうではない。気持ちさえ込めれば情感が出ると思うのはまちがいで、彼女の歌はそのいちばんむずかしいところに到達していた﹂と語っている<ref name=asahi93128>﹁銀あけみ︵死を生きる・第一部3つの物語‥13︶/兵庫﹂﹃[[朝日新聞]]﹄、1993年12月8日発行、朝刊、兵庫面 - 聞蔵IIビジュアルにて閲覧</ref>。
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* 銀は生前、宝塚おとめ<ref>宝塚歌劇団全生徒のプロフィールを掲載した書籍。毎年新版が発行される。基本的なプロフィールの他に﹁好きだった役﹂や﹁演じてみたい役﹂という項目があり、これらは団員自身が選んだものが掲載される。</ref>で﹁好きだった役﹂として﹃[[メナムに赤い花が散る]]﹄の田鶴役を挙げていた。この役は作・演出の[[植田紳爾]]が﹁イムコ︵銀︶の持つ得難い人柄と、豊饒な歌唱力を何とか生かしたい﹂という思いから銀に当て書きした役である<ref name=kageki813p55>植田紳爾﹁寂﹂ ﹃[[歌劇 (雑誌)|歌劇]]﹄、通算813号、1993年6月1日発行、55頁</ref>。この役を演じた銀について植田は﹁人の心を素直に歌いあげるのは、簡単なようでそうではない。気持ちさえ込めれば情感が出ると思うのはまちがいで、彼女の歌はそのいちばんむずかしいところに到達していた﹂と語っている<ref name=asahi93128>﹁銀あけみ︵死を生きる・第一部3つの物語‥13︶/兵庫﹂﹃[[朝日新聞]]﹄、1993年12月8日発行、朝刊、兵庫面 - 聞蔵IIビジュアルにて閲覧</ref>。
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* [[小林公平]]は銀について「たいへん美声の持ち主」「和・洋何れにも貴重な存在であった」と語っている<ref name=kageki813p50 />。 |
* [[小林公平]]は銀について「たいへん美声の持ち主」「和・洋何れにも貴重な存在であった」と語っている<ref name=kageki813p50 />。 |