ツングース系民族
表示
Тунгусо-маньчжурские народы (ロシア語) 通古斯民族 (中国語) Tungusic peoples(英語) | |
---|---|
ツングース系諸民族の分布図 ツングース民族旗(ロシア)[要出典] | |
総人口 | |
Approx. 10,745,859 | |
居住地域 | |
シベリア, ロシア極東, 中国 | |
中国 | 10,646,954 |
ロシア | 78,051 |
台湾 | 12,000 |
日本 | 1,020 |
ウクライナ | 610 |
モンゴル | 537 |
言語 | |
ツングース諸語、ロシア語、中国語 | |
宗教 | |
シャーマニズム、正教、チベット仏教など | |
関連する民族 | |
モンゴル系民族、チュルク系民族、朝鮮人、日本人 |
ツングース系民族︵ツングースけいみんぞく、ロシア語: Тунгусо-маньчжурские народы、英語: Tungusic peoples、中国語: 通古斯民族 Tōnggŭsī mínzú︶は、満洲からシベリア、極東にかけての北東アジア地域に住み、ツングース語族に属する言語を母語とする諸民族のこと。
ツングース系民族は、北部 (エヴェンキ=ツングース) と南部︵女真-ナナイ︶の主要な2系統に分けられ、また、両者の中間グループ︵オロチ-ウデヘ︶が認められることがある。
ツングース系民族の分布図
緑色は北方ツングースの諸民族、赤色は南東ツングースでアムール川︵黒竜江︶流域やサハリンに住む諸民族、青色は南西ツングース︵満洲族、シベ族︶
﹁ツングース系﹂なる名辞は人為的なものであり、﹁ツングース諸語﹂とみなされる諸言語を話す人びとを一括して指しているにすぎない[1]。そしてこれは、ロシア語によるエヴェンキの外名、ツングース︵Тунгус、Tungus) に由来する。また、ロシアのヤクート人が、自分たちと混血を進めていたエヴェンキ人を﹁トングース︵Toŋus︶﹂と呼んだことによるともいわれている。英語における Tungus の使用は、1850年代にフリードリヒ・マックス・ミュラーによって始まった。これは、それに先立つユリウス・ハインリヒ・クラプロートによるドイツ語での使用に基づく。﹁ツングース・満洲系民族﹂ (Тунгусо-маньчжурские 'Tunguso-Manchu'︶の名称もしばしば使用される。
ツングースカ︵Tunguska︶なる地名があり、これは、西はエニセイ川︵別名、ツングースカ川︶から東は太平洋におよぶ東シベリアの一地域を指し、この地名はエヴェンキ語に由来する[2]。ロシア語におけるТунгус︵ツングース︶は、東チュルク語︵ヤクート語︶の﹁ツングス tunguz ﹂︵意味は﹁野生のブタ、イノシシ﹂、古いチュルク語ではトングス、tonguz︶から借用された可能性が高いと指摘されるが[注釈 1]、一部の学者は、現代中国語の単語﹁东胡﹂(Dōnghú、ドンフー)︵﹁東胡﹂=東の異民族︶から派生したのではないかと主張している[3][注釈 2]。こうした現代における発音の偶然の類似は、歴史上の東胡人がすなわちツングース人であるというかつて広く信じられた仮説につながっているが、理論そのものは明確な根拠をほとんど欠いている[4]。
名称[編集]
分布と分類[編集]
北方ツングースと南方ツングース[編集]
ツングース諸語は北と南のサブグループに大別され、各民族もこれに応じて南北に大別される[5]。中間グループとして、オロチ-ウデヘ語群を独立させ三大別する場合もあり、さらに、学者によっては南方ツングースを満洲語群とナナイ語群とに分けて四大別することもなされている。
●北方ツングース ︵Northern Tungus︶
●エヴェン︵エヴェン語、トナカイ飼養︶
●エヴェンキ語群
●エヴェンキ︵エヴェンキ語、トナカイ飼養︶
●エヴェンキのソロン族︵ソロン語︶
●オロチョン族︵オロチョン語、狩猟、トナカイ飼養︶
●ネギダール︵ネギダール語、漁撈︶
●キリ語を話す集団
●オロチ・ウデヘ語群
●オロチ︵オロチ語、狩猟と漁撈︶
●ウデヘ︵ウデヘ語、狩猟中心︶
●南方ツングース ︵Southern Tungus︶
●満洲語群
●満洲族︵かつては半猟半農の民[6]。満洲語・満洲文字を使用し、後金→清を建国した[6]。︶
●シベ族︵シベ語・満洲文字を改良したシベ文字を使用︶
●ナナイ語群
●ナナイ︵ナナイ語、漁撈中心︶
●ウリチ︵ウリチ語を使用。漁撈中心。かつて山丹交易を担った︶
●ウィルタ︵ウィルタ語を使用。樺太東岸の幌内川やロモウ川の流域に居住。かつてオロッコと呼ばれた。トナカイ飼養民︶
地域集団[編集]
セルゲイ・シロコゴロフによれば、ツングース系民族の地域による分類は以下のとおりである[5]。 ●バルグジン・ツングース ●上アンガラ川地方のツングース…狩猟、馴鹿︵トナカイ︶の飼養、漁撈を生業とし、上アンガラ部族管理局,下アンガラ部族管理局の2つの行政単位に分割されている。 ●バイカル湖付近に居住するツングース…漁撈を生業とするツングース。サマギル氏族管理局に編入されている。 ●ネルチンスク・ツングース…自らをオロチョンと称し、ヤクーツク州の馴鹿ツングース・遊牧ツングースを﹁エヴェンキ﹂と呼び、ブリヤート人を﹁ボレン ︵boren︶ ﹂、遊牧ツングースを﹁ムルチル︵murčir︶﹂、ヤクート人を﹁ヨコ︵joko︶﹂と呼ぶ。 ●外バイカルの遊牧ツングース…ツングース語を使用しつつけるグループ︵エヴェンキ︶と、ツングース語を使わなくなりブリヤートの借用語を使用しているグループ︵ハムナガン︶の2グループに分かれる。 ●満洲の北方ツングース ●ソロン︵solon︶…牛馬の飼養・狩猟・農業で生活。 ●興安ツングース…狩猟と馬の飼養で生活。自らを﹁オロチョン︵oročen︶﹂と称す。 ●メルゲン︵墨爾根︶ツングース…ナウンチェン︵naunčen︶、ゲンチェン︵gänčen︶といった小集団を形成。自称はエヴェンキ。 ●満洲の馴鹿ツングース ●クマルチェン・ツングース ●ビラルチェン・ツングース起源と略史[編集]
「ツングース語族#原郷と拡散」も参照
一般的に、ツングース系諸族の原郷は満洲北東部、あるいはアムール川流域周辺一帯のどこかであると示唆されている[7]。ツングース語族はチュルク語族やモンゴル語族とともに、一語族を成すアルタイ諸語︵または狭義のアルタイ語族︶として提起された言語連合に分類される。ロシア極東のウリチ地区から収集された遺伝学的な証拠は、アルタイ語族の拡散が紀元前3500年以前にさかのぼることを示している[8]。
ツングース語族のシベリアへの拡大は、現在﹁古シベリア諸語﹂という用語の下にグループ化されているシベリア先住民の土着言語に取って代わるかたちで進んだと考えられる。いくつかの学説では、中央・東および東南ヨーロッパに広がるパンノニアアヴァール人によるアヴァール可汗国がツングース起源か、あるいはその一部︵支配階級として︶がツングース起源であったことを示唆している[9]。
ウデヘ、ウリチ、ナナイといったアムール川流域のツングース系住民は、儀式用のガウンに描かれた龍、巻いたり螺旋を描いたりする鳥類、悪霊の仮面のデザイン、中国式の正月、絹と綿の使用、調理用の鉄鍋、中国起源の暖かい家など、宗教その他服飾などで中国の影響を受けた[10]。
満洲民族︵満洲人︶は満洲の地、すなわち現代の中国東北部および極東ロシア︵﹁外満洲﹂と称する。沿海州、現在のプリモルスキー地方を含む︶に起源を発している。満洲族は、17世紀に清︵清朝︶を樹立したのち、清朝中後期から中国本土の漢民族の言語と文化にほぼ同化していった。
南ツングース系の満洲族は定住農耕生活を送り、その生活様式は、移動する狩猟採集民や遊牧民など、より北方に住むツングース諸族の生活様式とは大きな隔たりがあった。ことにワルカ︵野人女真︶は、清朝が彼らをして定住農耕させようと試みたため清国を離れている[11][12]。
17世紀を通じてロシア・ツァーリ国は、シベリアを東に横断して拡大し、ツングース系民族の土地に入り込んだ結果、清朝とのあいだに初期の清露国境紛争が引き起こされ、それは1689年のネルチンスク条約まで続いた。ロシアを越えてヨーロッパの他地域に到達したツングース系民族に関する最初の著述は、1612年にオランダの旅行者イサーク・マッサによって出版された。彼は、モスクワ滞在ののちロシアの報告にもとづいた情報を西欧に伝えた[13]。
未だ定説は確立していないが、以下のような仮説がある。
南方由来説
19世紀に提示されて以来、ツングース諸語のモンゴル諸語やチュルク諸語との近縁性から、多くの学者がシベリアの遊牧ツングースを黒竜江沿いに北上してきたモンゴル民族とした。1920年代にソ連人︵ロシア人︶学者シロコゴロフが、現地調査などから松花江・ウスリー川流域一帯をツングース人が形成された土地とし、形成以前の起源を更に河北東北部へ求める説を発表。言語学や人類学の観点から数多くの学者に支持されるが、華北東北部を起源とする点に関しては考古学的な裏付けが乏しく仮説の域を出ないとされている。
西方由来説
セレンガ川やバイカル湖畔の周辺から来たとする仮説を2人のソ連人︵ロシア人︶学者が唱えた。
太古土着説
1960年代にソ連人学者[14] から出された仮説、文化の独自性から数千年に渡り外部から隔絶していたとする。古い年代の考古物の中に南方地域と類似する物が見られる点と、急激な寒冷化が起きた時期に人口増加によると思われる出土物の増加が確認される点から、主流とはなっていない。
極東・シベリア諸民族︵諸地域︶のミトコンドリアDNA解析
TAI、STE、NYUK、IENGは、エヴェンキ族。SAK、SEB、TOM、BER、KAMはエヴェン族。UDIはウデヘ族︵以上、ツングース系︶。VIL‐YAK、CNT‐YAK、NE‐YAKはヤクート族︵チュルク系︶。KORはコリャーク︵チュクチ=カムチャツカ系︶。YUKはユカギール︵孤立︶。NIVはニヴフ︵孤立︶
ツングース系民族にはY染色体ハプログループのC2系統が高頻度に観察される[16]。オロチョン族で61%[17]-91%[18]、エヴェンキで44%[18]-71%[19][20]、ウリチで69%[21]、満洲族で26%[17]-27%[18] などである。
中でも下位系統C-F5484がツングース系民族を特徴付けるタイプであり、このタイプは3300年前に誕生したと考えられている。さらに満洲族、エヴェン、エヴェンキ、オロチョン、ダウールの各々に特有のC-F5484のサブグループが存在し、これらは1900年前から徐々に分岐したものと推定される[22]。
その他、ロシアにおけるエヴェンキなど一部の民族集団ではN系統も高頻度にみられる[23]。
生業・習俗[編集]
ツングース系民族はその生業によっていくつかのグループに分けられる。 ●馴鹿ツングース(Reindeer Tungus)…馴鹿の飼養を生業としているツングース系民族。ツングースの間では﹁馴鹿を所有する﹂という意味でオロチェン(oročen)と呼ばれている。バルグジン・タイガおよびネルチンスク・タイガの地方に住み、その一部はブリヤート人やロシア民族の間に混ざって移行地帯に定住している[5]。 ●遊牧ツングース(Nomad Tungus)…遊牧を生業としているツングース系民族。ツングースの間では﹁馬を所有する﹂という意味でムルチェン(murčen)と呼ばれている。ブリヤート人やロシア人と雑居して移行地帯および草原地帯に住んでいる。 ●農耕ツングース…農業で生活し、定住化しているツングース系民族。ロシア民族の生活文化の影響が進んでいる。 ●モンゴル人化したツングース︵Mongolized Tungus︶…言語的にモンゴル系言語を使用するようになったツングース系民族。狩猟[編集]
狩猟は家畜の飼養,農業,馴鹿の飼養に適した地方を除くすべての地方において、ツングースの主要な生業である。獲物は主に食用として、毛皮の供給源として利用する。主な動物は栗鼠,狐,熊,山猫,黒貂,野猪,鹿である[5]。馴鹿︵トナカイ︶の飼養[編集]
ツングースの家畜は主に馴鹿︵トナカイ︶である。トナカイはツングース諸語でオロン(oron),オロ(oro),オヨン(ojon),オロン・ブク(oron buku),ホラ(hora),ホラナ(horana)[要出典]などと呼ばれるが、彼らが何時頃から飼い始めたのかはわからない[5]。宗教[編集]
多くはアニミズムである。﹁シャーマン︵šaman︶﹂と呼ばれる祈祷師がおり、19世紀以降に民俗学者や旅行家、探検家たちによって、極北や北アジアの呪術あるいは宗教的職能者一般を呼ぶために用いられるようになり、その後に宗教学、民俗学、人類学などの学問領域でも類似現象を指すための用語︵学術用語︶として用いられるようになった[15]。遺伝子からみたツングース系民族[編集]
現代のツングース系諸民族[編集]
現代、民族集団を形成しているツングース系民族には、満洲族、シベ族、オロチョン族、エヴェンキ︵ソロンを含む︶、エヴェン、ナナイ、オロチ族、ウリチ、ネギダール、ウデヘ、ウィルタがある。これらの民族は満洲族を除いて人口が少なく、漢民族︵中国語︶やロシア民族︵ロシア語︶の影響が大きく、固有の言語文化が危機にさらされている。 現在、民族集団を形成しているツングース系民族の詳細な情報は以下である。日本語名称 | 中国語/ロシア語名称 | 民族語名称 | 地区 | 人口 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
満洲族 | 满族/Маньчжуры | ᠮᠠᠨᠵᡠ(転写:manju) | 中華人民共和国遼寧省;吉林省;黒竜江省;内モンゴル自治区;河北省;北京市等[24] | 10,410,585[24] | 台湾に12000人[25] 香港に1000人[26] アメリカ合衆国に379人[27] |
オロチョン族 | 鄂伦春族/Орочоны | 中華人民共和国内モンゴル自治区フルンボイル市、オロチョン自治旗等 | 8,659[28] | ||
シベ族 | 锡伯族/Сибо | ᠰᡞᠪᡝ(転写:sibe) | 中華人民共和国遼寧省;新疆ウイグル自治区イリ・カザフ自治州チャプチャル・シベ族自治県等 | 190,481[28] | 僅かに新疆のコルガス、タルバガタイ、ウルムチに分布している。黒竜江省、吉林省、内モンゴル自治区、北京市における人口は1000人を超える。 |
エベンキ人 | 鄂温克族、埃文基人/Эвенки | Эвэнкил | 中華人民共和国内モンゴル自治区フルンボイル市エベンキ族自治旗、モリンダワ・ダウール族自治旗、オロチョン自治旗、陳バルグ旗、アロン旗等;黒竜江省訥河 ロシア連邦クラスノヤルスク地方、サハ共和国、ブリヤート共和国、イルクーツク州、ザバイカリエ地方、アムール州及びサハリン州 モンゴル国セレンゲ県等。 |
30,875(中国, 2010)[29] 38,396(ロシア, 2012)[30] |
モンゴルに537人(2015)[31] ウクライナに48人(2001)[32] |
ナナイ人 (別名:ホジェン族) |
赫哲族、那乃人、纳奈人/нанайцы | ロシア連邦ハバロフスク地方、沿海地方;中華人民共和国黒竜江省同江市、双鴨山市 | 12,160(ロシア, 2002)[33] 5,354(中国,2010)[34] |
||
エヴェン人 | 埃文人/эвены | эвэсэл | ロシア連邦サハ(ヤクート)共和国、マガダン州、カムチャッカ地方、チュクチ自治管区 | 22,383(ロシア,2012)[30] | ウクライナに104人(2001)[35] |
ネギダール人 | 涅吉达尔人/негидальцы | ロシア連邦ハバロフスク地方 | 513(ロシア,2012)[36] | ウクライナに52人(2001)[37] | |
ウィルタ人 (別名:オロッコ人) |
乌尔他人、鄂罗克人/Ороки | Уилта[38] | ロシア連邦サハリン州ポロナイスキー地区;日本国網走市、札幌市 | 295(ロシア,2012)[39] | 日本に20人(1989) |
ウリチ人 | 乌尔奇人/Ульчи | ロシア連邦ハバロフスク地方ウリチ地区 | 2,765(ロシア,2012)[36] | ウクライナに76人 | |
オロチ人 | 奥罗奇人/Орочи | ロシア連邦ハバロフスク地方、沿海地方、サハリン州、マガダン州 | 596(ロシア,2010)[36] | ウクライナに288人(2001) | |
ウデヘ人 | 乌德赫人/Удэгейцы | ロシア連邦ハバロフスク地方、沿海地方 | 1,496(ロシア,2010)[36] | ウクライナに42人(2001)[40] |
-
ツングース男性の肖像(en:Carl Peter Mazer、1850年)
-
福州の満洲族(1915年)
-
満洲の衛兵
-
エヴェンキの木造家屋
-
シベ族(1885年)
-
ウデヘの家族
-
クラスノヤルスク地方Vorogovoのツングース男性(1914年)
-
伝統衣装を着用した満洲族の男性
-
ウィルタの少女(1931年)
-
ウリチの男性(1960-70年代)
-
オロチョンの男性(1900年頃)
-
ナナイの子どもたち
-
エヴェンの女性たち
歴史上のツングース系民族[編集]
歴史上に登場する民族・国家でツングース系民族に比定する説があるのは、以下の民族・国家である。
●扶余語族
●濊貊︵濊貊語を使用。濊、貊︶[注釈 3]
●夫余︵夫余語を使用︶[注釈 4]
●高句麗︵高句麗語を使用︶[注釈 5]
●沃沮︵沃沮語を使用︶[注釈 6]
●百済︵王族は百済語を使用︶[注釈 7]
●豆莫婁[注釈 8]
●女真︵女真語・女真文字を使用し、金・東夏・後金を建国︶
また、文献資料に登場する民族や国家で、﹁ツングース系﹂の可能性が指摘されるものに、以下の民族・国家がある。
●粛慎︵しゅくしん︶[注釈 9]
●挹婁︵ゆうろう︶[注釈 10]
●勿吉︵もっきつ︶[注釈 11]
●靺鞨︵まっかつ︶[注釈 12]︵靺鞨語→渤海語︶を使用し、渤海を建国︶[注釈 13]
なお、古代出雲の住民がツングース族であり、いわゆる﹁ズーズー弁﹂はツングース語起源とする説もある[41][42]。
脚注[編集]
注釈[編集]
(一)^ ユリウス・ハインリヒ・クラプロートの提唱した説。J・クラプロートは古チュルク語の﹁トングス﹂がブタを意味しているところから、古来、ブタの飼育に長けていたとされる勿吉や靺鞨を称していたとする。
(二)^ 中国の史書が伝える東北アジアの民族﹁Dōnghú﹂が古チュルク語の﹁トングース︵Toŋus︶﹂の発音が似ていることから、ヨーロッパの学者を中心に支持された説である。
(三)^ *﹃白鳥庫吉全集 第4巻﹄︵1970年、岩波書店︶P536﹁︻濊貊は果たして何民族と見做すべきか︼濊貊の言語には多量のTunguse語に少量の蒙古語を混入していることが認められる。想うにこの民族は今日のSolon人の如く、Tunguse種を骨子とし、之に蒙古種を加味した雑種であろう。﹂
●下中直人﹃新訂増補 朝鮮を知る事典﹄︵1986年、平凡社︶﹁︻濊貊︼彼らの言語は白鳥庫吉によれば、ツングース系を主として若干のモンゴル系を混合したものと推測されている。︽村山正雄︾﹂
●﹃Yahoo!百科事典﹄﹁︻濊貊︼前3世紀ごろモンゴル系民族に押されて朝鮮半島北東部に南下し、夫余︵ふよ︶,高句麗︵こうくり︶,沃沮︵よくそ︶を構成したツングース系の諸族を含むのである︽浜田耕策︾。﹂
(四)^ *井上秀雄、他訳注﹃東アジア民族史1-正史東夷伝﹄︵1974年、平凡社︶p103﹁︵高句麗、夫余の︶両族は、ともにツングース系と考えられている。両族が同系であることは始祖神話︵東明・朱蒙伝説︶の類同によっても推測できよう。﹂
●﹃世界史小辞典﹄︵2004年、山川出版社︶﹁︻夫余︼トゥングース系の貊人が建てた﹂
●﹃Yahoo!百科事典﹄﹁︻夫余︼古代中国の東北地方に割拠していたツングース系と思われる民族が建てた国名︽村山正雄︾。﹂
(五)^ *井上秀雄、他訳注﹃東アジア民族史1-正史東夷伝﹄︵1974年、平凡社︶p103﹁︵高句麗、夫余の︶両族は、ともにツングース系と考えられている。両族が同系であることは始祖神話︵東明・朱蒙伝説︶の類同によっても推測できよう。﹂
●京大東洋史辞典編纂会﹃新編 東洋史辞典﹄︵1980年、東京創元社︶p272﹁︻高句麗︼トゥングース系の扶余族の支族。︽朝鮮総督府﹃朝鮮史﹄︵1932~38︶、池内宏・梅原末治﹃通溝 上下巻﹄︵1938~40︶、田村実造編﹃アジア史講座3﹄︵1956︶︾﹂
●加藤九祚﹃北東アジア民族学史の研究﹄︵1986年、恒文社︶p156﹁高句麗は北扶余から発したとされるが、その北扶余がツングース・満州語族に属することは定説となっている﹂
●室谷克実﹃日韓がタブーにする半島の歴史﹄︵2010年、新潮新書︶p193﹁︵中国の史書には︶高句麗などのツングース系民族と韓族との間には、比較の記述がない。︵民族が︶違うことが大前提であり、わざわざ違うとは書いていない﹂
(六)^ 三上次男・神田信夫編﹃民族の世界史3 東北アジアの民族と歴史﹄︵1989年、山川出版社︶p161﹁Ⅱ︵夫余、高句麗、濊、東沃沮︶の言語はツングース・満州語の一派か、またはそれに近い言語と思われるが、むしろ朝鮮語と近い親縁関係にあるか、詳しく調べてみなければわからない。﹂
(七)^ 史書に夫余の別種と記す﹃旧唐書東夷伝﹄﹁百済国、本亦扶余之別種、当為馬韓故地﹂
(八)^ ﹃魏書﹄旧北扶余也。地宜五谷,不生五果。其人長大,性強勇,謹厚,不寇抄。其君長皆以六畜名官,邑落有豪帥。飲食亦用俎豆。有麻布,衣制類高麗而幅大,其国大人,以金銀飾之。用刑厳急,殺人者死,没其家人為奴婢。俗淫,尤悪妬婦,妬者殺之,屍其国南山上至腐。女家欲得,輸牛馬乃与之。或言本濊貊之地也。
(九)^ *﹃白鳥庫吉全集 第4巻﹄︵1970年、岩波書店︶p321﹁︻粛慎考︼漢史の伝える所によれば、古の粛慎は後漢・三国に挹婁といい、後魏に勿吉といい、隋唐に靺鞨といい、宋元明に女真といい、共に満州人の祖先なりという。若しもこの説の如くんば、粛慎は今日のツングース種に属すべきのなれども、この民族に関する記事の後世に伝わるもの甚だ僅少なるが故に、その果たして然りや否やについては更に考究を要せざるべからず。﹂
●京大東洋史辞典編纂会﹃新編 東洋史辞典﹄︵1980年、東京創元社︶p631﹁︻トゥングース族︼歴史上では粛慎,挹婁,勿吉,靺鞨,女真,満州として活躍した。﹂
●高凱軍﹃通古斯族系的興起﹄︵2006年、中華書局︶あらすじp1﹁同概念は踏襲発展の民族伝統を指すものであり、前秦時代の粛慎、漢晋時代の挹婁、南北朝時代の勿吉、隋唐時代の靺鞨、遼、宋、金、元時代の女真、明末及び以後の満洲族、エヴェンキ族、ホジェン族などの各歴史時期の部落、部落集団及び民族を含められるものである。﹂
(十)^ *京大東洋史辞典編纂会﹃新編 東洋史辞典﹄︵1980年、東京創元社︶p631﹁︻トゥングース族︼歴史上では粛慎,挹婁,勿吉,靺鞨,女真,満州として活躍した。﹂
●西川正雄﹃角川世界史辞典﹄︵2001年、角川書店︶﹁︻挹婁︼トゥングース系の夫余に従属していた︽大金富雄︾。﹂
●高凱軍﹃通古斯族系的興起﹄︵2006年、中華書局︶p50﹁従文化特点来看、一方面、反映粛慎,挹婁,勿吉,靺鞨状況的鶯歌嶺、蜿蜒河、同仁1期等一脈相承的文化。︵中略︶主要是釜、甑、罐、而没有豆形器物﹂
●﹃Yahoo!百科事典﹄﹁︻挹婁︼高句麗︵こうくり︶や夫余などと違った言語を用い、毒矢を使い、また穴居して厠︵かわや︶を住居の中央に置きそれを洗浄用に使用するなど、独特の習俗をもっていた。︽護雅夫︾。﹂
(11)^ *内田吟風、田村実造、他訳注﹃騎馬民族史1-正史北狄伝﹄︵1971年、平凡社︶p343﹁勿吉や靺鞨はだいたいツングース系の民族と思われるが、その民族系統や諸部の位置について異論が多い。﹂
●井上秀雄、他訳注﹃東アジア民族史2-正史東夷伝﹄︵1976年、平凡社︶p99﹁︵靺鞨について︶中国東北地方に拠ったツングース族の一種で、勿吉ともいった。﹂
●京大東洋史辞典編纂会﹃新編 東洋史辞典﹄︵1980年、東京創元社︶p631﹁︻トゥングース族︼歴史上では粛慎,挹婁,勿吉,靺鞨,女真,満州として活躍した。﹂
●高凱軍﹃通古斯族系的興起﹄︵2006年、中華書局︶p48﹁反映勿吉‐靺鞨人状況的同仁1期文化︵早段年代距今1420±80年、樹輪校正1380±80年、相当于599‐684年。晩段年代距今990±80年、樹輪校正960±80年、相当于994‐1186年︶的分布版図、挹婁時期較大為発展。﹂
(12)^ *鉄利部・越喜部︵黒水靺鞨に属す︶。井上秀雄、他訳注﹃東アジア民族史2-正史東夷伝﹄︵1976年、平凡社︶p440﹁鉄利は中国黒竜江省南部からソ連沿海州南部にかけて居住する純ツングース種族である。p441同越喜﹂
●内田吟風、田村実造、他訳注﹃騎馬民族史1-正史北狄伝﹄︵1971年、平凡社︶p343﹁勿吉や靺鞨はだいたいツングース系の民族と思われるが、その民族系統や諸部の位置について異論が多い。﹂
●井上秀雄、他訳注﹃東アジア民族史2-正史東夷伝﹄︵1976年、平凡社︶p99﹁︵靺鞨について︶中国東北地方に拠ったツングース族の一種で、勿吉ともいった。﹂
●京大東洋史辞典編纂会﹃新編 東洋史辞典﹄︵1980年、東京創元社︶p631﹁︻トゥングース族︼歴史上では粛慎,挹婁,勿吉,靺鞨,女真,満州として活躍した。﹂、p803﹁︻靺鞨︼満州東北部から朝鮮半島北部に住んだトゥングース族の一種。︽日野開三郎﹃靺鞨七部考﹄︾﹂
●西川正雄﹃角川世界史辞典﹄︵2001年、角川書店︶
●﹃世界史小辞典﹄︵2004年、山川出版社︶
●白石典之﹃チンギス・カン﹄︵2006年、中央公論新社︶p13﹁当時、蒙兀室韋などのモンゴル系民族が居住するアムール川上流の、西にはトルコ系の突厥が控えていた。また、東にはツングース系といわれる靺鞨という強力な集団がいた。﹂
●高凱軍﹃通古斯族系的興起﹄p48﹁反映勿吉‐靺鞨人状況的同仁1期文化︵早段年代距今1420±80年、樹輪校正1380±80年、相当于599‐684年。晩段年代距今990±80年、樹輪校正960±80年、相当于994‐1186年︶的分布版図、挹婁時期較大為発展。﹂
●﹃Yahoo!百科事典﹄﹁︻靺鞨︼6世紀後半から中国東北の松花江流域を中心に、北は黒竜江中・下流域、東はウスリー川流域、南は朝鮮半島北部に勢力を振るったツングース系諸族の一派︽菊池俊彦︾。﹂
●﹃宋会要輯稿﹄﹁唐貞観中、靺鞨来朝、初聞女真之名﹂
(13)^ *朱国忱・魏国忠︵訳‥佐伯有清・浜田耕策︶﹃渤海史﹄︵1996年、東方書店︶﹁渤海国の公用語は靺鞨語︵支配者層︶、のちに漢語。靺鞨語はツングース系、扶余語は古シベリア︵古アジア︶系、契丹・室韋はモンゴル系、突厥・回紇はトルコ︵テュルク︶系﹂
出典[編集]
(一)^ シロコゴロフ︵1941︶p.93
(二)^ The Languages of the Seat of War in the East, by Max Müller, 1855
(三)^ Marie Antoinette Czaplicka, The Collected Works of M. A. Czap p. 88
(四)^ Pulleyblank (1983), p. 452
(五)^ abcdeシロコゴロフ︵1941︶
(六)^ ab﹃満洲族﹄ - コトバンク
(七)^ С.М.Широкогорова, Sergei Mikhailovich Shirokogorov
(八)^ Balanovska, E. V. (2018). “Demographic and Genetic Portraits of the Ulchi Population”. Russian Journal of Genetics 54 (10): 1245–1253. doi:10.1134/s1022795418100046.
(九)^ Helimski, E. (2004). “Die Sprache(n) der Awaren: Die mandschu-tungusische Alternative”. Proceedings of the First International Conference on Manchu-Tungus Studies II: 59–72.
(十)^ Forsyth, James (1994). A History of the Peoples of Siberia: Russia's North Asian Colony 1581-1990 (illustrated, reprint, revised ed.). Cambridge University Press. p. 214. ISBN 0521477719
(11)^ Smith, Norman, ed (2017). Empire and Environment in the Making of Manchuria. Contemporary Chinese Studies. UBC Press. pp. 68, 69. ISBN 978-0774832922
(12)^ Bello, David A. (2016). Across Forest, Steppe, and Mountain: Environment, Identity, and Empire in Qing China's Borderlands. Studies in Environment and History (illustrated ed.). Cambridge University Press. p. 90. ISBN 978-1107068841
(13)^ Asia in the Making of Europe, Volume III: A Century of Advance. Book 4. By Donald F. Lach
(14)^ А.П. Οкладников, Алексей Павлович
(15)^ 佐々木︵1973︶pp.249-253
(16)^ 崎谷︵2010︶
(17)^ abXue Y, Zerjal T, Bao W et al. (April 2006). "Male demography in East Asia: a north-south contrast in human population expansion times". Genetics 172 (4): 2431–9. doi:10.1534/genetics.105.054270. PMC 1456369. PMID 16489223.
(18)^ abcKarafet T, Xu L, Du R et al. (September 2001). "Paternal population history of East Asia: sources, patterns, and microevolutionary processes". Am. J. Hum. Genet. 69 (3): 615–28. doi:10.1086/323299. PMC 1235490. PMID 11481588.
(19)^ Tatiana M. Karafet, Ludmila P. Osipova, Marina A. Gubina et al., High Levels of Y-Chromosome Differentiation among Native Siberian Populations and the Genetic Signature of a Boreal Hunter-Gatherer Way of Life, Human Biology, December 2002, v. 74, no. 6, pp. 761–789.
(20)^ Pakendorf B, Novgorodov IN, Osakovskij VL, Stoneking M (July 2007). "Mating patterns amongst Siberian reindeer herders: inferences from mtDNA and Y-chromosomal analyses". Am. J. Phys. Anthropol. 133 (3): 1013–27. doi:10.1002/ajpa.20590. PMID 17492671.
(21)^ E. V. Balanovska, Y. V. Bogunov, E. N. Kamenshikova, et al., "Demographic and Genetic Portraits of the Ulchi Population." ISSN 1022-7954, Russian Journal of Genetics, 2018, Vol. 54, No. 10, pp. 1245–1253. doi:10.1134/S1022795418100046
(22)^ Bing-Li Liu, Peng-Cheng Ma, Chi-Zao Wang, Shi Yan, Hong-Bing Yao, Yong-Lan Li, Yong-Mei Xie, Song-Lin Meng, Jin Sun, Yan-Huan Cai, Sarengaowa Sarengaowa, Hui Li, Hui-Zhen Cheng, Lan-Hai Wei (2020) Paternal origin of Tungusic-speaking populations: Insights from the updated phylogenetic tree of Y-chromosome haplogroup C2a-M86 American Journal of Human Biology 33(2) https://doi.org/10.1002/ajhb.23462
(23)^ Fedorova SA, Reidla M, Metspalu E, et al. Autosomal and uniparental portraits of the native populations of Sakha (Yakutia): implications for the peopling of Northeast Eurasia. BMC Evol Biol. 2013;13:127. Published 2013 Jun 19. doi:10.1186/1471-2148-13-127
(24)^ ab2010人口普查︽中国2010年人口普查资料︵上中下︶︾,国务院人口普查办公室编,中国统计出版社,2012年1月,ISBN 978-7-5037-6507-0
(25)^ 中华民国满族协会|1=台灣滿族的由來暨現況 中華民國滿族協會 翁福祥
(26)^ 中国人民大学 (1997). 民族研究. pp. 21.
(27)^ “Census: Table 1. First, Second, and Total Responses to the Ancestry Question by Detailed Ancestry Code: 2000”. 美国人口普查局 (2000年). 2017年12月4日閲覧。
(28)^ ab中国2010年人口普查资料
(29)^ “Evenk Archives - Intercontinental Cry” (英語). Intercontinental Cry. 2017年6月30日閲覧。
(30)^ abEthnic groups in Russia, 2010 census, Rosstat. Retrieved 15 February 2012 ︵ロシア語︶
(31)^ [1]
(32)^ “About number and composition population of Ukraine by data All-Ukrainian census of the population 2001”. Ukraine Census 2001. State Statistics Committee of Ukraine. 2011年12月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年1月17日閲覧。
(33)^ Russia Population Census
(34)^ Sixth National Population Census of the People's Republic of China [2] (2010)
(35)^ “About number and composition population of Ukraine by data All-Ukrainian census of the population 2001”. Ukraine Census 2001. State Statistics Committee of Ukraine. 2011年12月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年1月17日閲覧。
(36)^ abcdRussian Census 2010: Population by ethnicity ︵ロシア語︶
(37)^ State statistics committee of Ukraine - National composition of population, 2001 census (Ukrainian)
(38)^ Уилтадаирису(2008), 池上二良等, p.104 ︵ウィルタ語、ロシア語︶
(39)^ “ВПН-2010”. Perepis-2010.ru. 2014年12月1日閲覧。
(40)^ State statistics committee of Ukraine - National composition of population, 2001 census (Ukrainian)
(41)^ 司馬遼太郎︵1994︶﹃歴史の中の日本﹄ 中央公論社
(42)^ ﹃古代に真実を求めて 第七集 (古田史学論集)﹄ 2004 古田史学の会 (編集)