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原子爆弾

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原爆から転送)
核兵器 > 核爆弾 > 原子爆弾
長崎に投下された原子爆弾のキノコ雲
1945年8月9日
1945年8月6日に投下された広島型原爆(リトルボーイ)による被害者の一人。(1945年10月。日本赤十字病院において。)

: atomic bomb使使[1][2] 使

原子爆弾の開発[編集]

トリニティ実験での核爆発 (1945)
Upshot–Knothole Grable test (ビデオ)(1953年5月25日)

19452,000

2使西100300使4-5[ 1][ 2]使

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TNT

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[5]1.5kg2kg3-5kg

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2

ガンバレル型[編集]

ガンバレル型(英:Gun barrel)または砲身方式はウラン[注 4]を臨界量に達しない2つの物体に分けて筒の両端に入れておき、投下時に起爆装置を使って片方を移動させ、もう一つと合体させることで超臨界に達するものである。合体の容易性から構造は凹型と凸型の組み合わせ、または筒型と柱型の組み合わせとなる。広島に投下されたリトルボーイがこの方式を採用した。しかしリトルボーイでは、60キログラムとされる搭載ウランのうち実際に核分裂反応を起こしたのは約1キログラムと推定されている。その他のウランは核分裂を起こさずに四散した。初期の核砲弾用弾頭などの量産例はあるが、必要な核物質の量に対して威力に劣ることから砲身方式を積極的に選択する意義は少ないため、核開発・製造において主流ではない。

インプロージョン型[編集]


Implosionexplosionex-in-

調使10

改良型の原子爆弾[編集]

D-T強化方式

D-TBoosted fission weapon

21

D-T使D2HT3H50%51D-T71D-TDT2-3DT514%D-T30%[ 5][ 6][6]

D-TD-TD-T

過早爆発[編集]

プルトニウム原爆において、反応材のプルトニウム240含有量が7%を超過、爆縮が不完全、軽量化のため爆縮火薬を削減しすぎた余裕のない設計、などの場合では、爆縮方式であってもプルトニウム240の自発核分裂の発生する外向きの爆風が、TNT爆縮火薬の内向きの圧力に打ち勝ってプルトニウム239の塊が充分に核分裂を完了する前に吹き飛ばしてしまう。この現象が過早爆発であり、プルトニウム239の一部しか核分裂しないため、爆発力が計画値を大幅に下回ってしまう。

日本への原子爆弾投下[編集]

実戦においては1945年8月に日本の二つの都市に原子爆弾が投下された。

広島市[編集]

広島被曝図
被爆直後の広島
広島市への原爆投下により被爆して焼け焦げた広島電鉄650形電車651号車。
爆心地から僅か700mで被爆したが、その後修理され、冷房化される等の改修が行われつつ2019年現在でも現役で運用されており[7]、「被爆電車」として著名である。
爆心地の島病院(現在は島外科)前にあるモニュメント

19452086815()83B-29(S)

T600



姿

3.5km2km

西341.2km50%121420


長崎市[編集]

長崎市で撮影された、熱線にさらされた外壁に残った人間と梯子の影
長崎の爆心地公園。レンガ造りの構造物(手前)は旧浦上天主堂の被爆遺構を建て替え時に移設したもの。黒色の構造物(奥)が原爆落下中心碑

3194589112B-291715

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814

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原子爆弾の健康被害と影響[編集]

原子爆弾は、高温の熱線と強い爆風だけでなく、強い放射線を放出し、放射化した塵などを多量に排出したため、被害はTNT換算で推し量れる爆発の熱や爆風だけに留まらず、原爆症と呼ばれる放射線障害白血病などの病気を被曝者に引き起こし、その影響は現在も続いている。

脚注[編集]

注釈[編集]



(一)^ 280mmW9

(二)^ 0.02

(三)^   74

(四)^ Mark 2 ()

(五)^ D-T238

(六)^ D-T19563.25m1.52m4,500kg58cm29.5cm45.6kg2015

出典[編集]



(一)^  - ATOMICA -. atomica.jaea.go.jp. 2020629

(二)^ _.  _(). 2018224

(三)^ . 202283

(四)^ . 202283

(五)^ NRDC Profile: Thomas B. Cochran 

(六)^  PHP200913011ISBN 9784569706443

(七)^  - 650 2022319

(八)^ 西 ISBN 978-4896601329

関連文献[編集]

  • 有馬哲夫『原爆 私たちは何もしらなかった』(2019年新潮新書)
  • 『原爆を投下するまで日本を降伏させるな』鳥居民、草思社、2005年、ISBN 9784794214089

関連項目[編集]

外部リンク[編集]