小池重明

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   19471224 - 199251宿

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使[ 3]

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エピソード[編集]

  • 普段の生活の中で将棋の研究などは一切行わず、そもそも自宅に将棋盤を置いていなかった。
  • 事前に対戦相手の対策を練らないことでも知られた。ある大会に小池が出場した際、明らかに酒に酔った状態で会場入りして控え室で寝てしまい、対局直前になっても目覚めないため係員が揺り起こしたという逸話が残されている。なお、この対局は寝起きであるにも関わらず小池の圧勝に終わった。
  • 加賀敬治と互角の勝負をしたことで小池の真剣師としての名声は高まったが、そのため彼に賭け将棋を挑む者が激減してしまった。後年、縁を深めることになる団鬼六も「借金は真剣(賭け将棋)で返します」と言う小池に「小池重明と真剣で指す相手なんて日本中何処を捜してもいない」と一喝したという。
  • 大山康晴との対局の前夜、泥酔して暴行事件をおこし、留置所に監禁されてしまう。知り合いの都議に連絡をとって出所し、対局に間に合わせることができた。将棋自体は角落ちながら中盤から小池が圧倒し、短時間で勝利した。あまりの大差に周囲が顔色を失うほどであったという。
▽升田 持ち駒 歩
987654321 
     
        
  
     
     
    
     
      
   

退退退8898888[ 4]7退

56使





1981

198233

198218[4]

1001001



宿姿2:1


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 1511 0.577

 108 0.556

53 0.625
年月日 対戦棋士 手合 手数 手番
対局名 場所 主催
昭和53年11月8日 飯野健二四段 平手 159手 後手 アマ・プロオープン平手戦 千駄ヶ谷 将棋会館 将棋世界
昭和54年10月20日 滝誠一郎四段 平手 130手 先手 アマ・プロオープン平手戦 千駄ヶ谷 将棋会館 将棋世界
昭和55年5月24日 鈴木輝彦四段 平手 108手 後手 アマ・プロ対抗リーグ戦第1局 四谷 主婦会館 将棋ジャーナル
昭和55年5月24日 森信雄四段 平手 167手 先手 アマ・プロ対抗リーグ戦第2局 四谷 主婦会館 将棋ジャーナル
昭和55年5月24日 脇謙二四段 平手 181手 後手 アマ・プロ対抗リーグ戦第3局 四谷 主婦会館 将棋ジャーナル
昭和55年5月25日 滝誠一郎五段 平手 128手 後手 アマ・プロ対抗リーグ戦第4局 四谷 主婦会館 将棋ジャーナル
昭和55年5月25日 菊地常夫五段 平手 105手 先手 アマ・プロ対抗リーグ戦第5局 四谷 主婦会館 将棋ジャーナル
昭和55年9月29日 中原誠名人 角落 173手 下手 プロ・アマ名人記念対局 千駄ヶ谷 将棋会館  
昭和55年12月12日 鈴木英春奨励会三段 平手 173手 後手 プロ・アマ対抗勝抜戦 千駄ヶ谷 将棋会館  
昭和56年1月12日 高橋道雄四段 平手 131手 後手 プロ・アマ対抗勝抜戦 千駄ヶ谷 将棋会館  
昭和56年10月 花村元司九段 平手 132手 先手 アマ・プロ平手戦 山梨県 いずみごう  
昭和56年5月31日 大山康晴十五世名人 角落 86手 下手 プロ・アマ角落ち戦 千駄ヶ谷 将棋会館 朝日新聞社
昭和56年 田中寅彦五段 平手 141手 先手   秋葉原将棋会館 将棋ジャーナル
昭和56年11月4日 中原誠名人 角落 158手 下手 プロ・アマ名人記念対局 千駄ヶ谷 将棋会館  
昭和56年11月15日 中村修四段 平手 129手 先手 プロ・アマお好み対局 秦野市西公民館  
昭和57年2月27日 升田幸三九段 角落 101手 下手 プロ・アマお好み対局 広尾 羽沢ガーデン  
昭和57年3月3日 加藤一二三十段 角落 171手 下手 加藤一二三十段の駒落道場 千駄ヶ谷 将棋会館 将棋世界
昭和57年6月11日 森雞二八段 角落 178手 下手 プロ・アマ指し込み三番勝負第1局 千駄ヶ谷 将棋会館 将棋ジャーナル
昭和57年6月11日 森雞二八段 香落 96手 下手 プロ・アマ指し込み三番勝負第2局 千駄ヶ谷 将棋会館 将棋ジャーナル
昭和57年6月11日 森雞二八段 平手 165手 先手 プロ・アマ指し込み三番勝負第3局 千駄ヶ谷 将棋会館 将棋ジャーナル
昭和57年 米長邦雄九段 角落 100手 下手 お好み対局 秋葉原ラジオ会館  
昭和58年4月1日 武市三郎四段 平手 157手 後手 アマ・プロオープン平手戦 千駄ヶ谷 将棋会館 将棋世界
平成2年4月30日 櫛田陽一四段(NHK杯 平手 180手 後手 五番勝負第1局   将棋ジャーナル
平成2年5月6日 櫛田陽一四段(NHK杯) 平手 134手 先手 五番勝負第2局   将棋ジャーナル
平成2年5月6日 櫛田陽一四段(NHK杯) 平手 159手 後手 五番勝負第3局   将棋ジャーナル
平成2年 櫛田陽一四段(NHK杯) 平手 178手 先手 五番勝負第4局   将棋ジャーナル

小池の段位は昭和54年以前の対局時アマ五段、昭和55年からアマ六段。また、同年9月の中原戦から昭和57年の米長戦まではアマ名人。

主なタイトル[編集]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ プロ棋士になるためには、まず19歳までに奨励会という棋士養成機関に試験を受けて入会し、その後所定の成績をあげて31歳まで(後に26歳まで)に四段の段位を認定される必要があった。当時小池は既に33歳になっており、プロ入りのために必要ないずれの条件も満たすことができなかった。その後、2005年に瀬川晶司が編入試験に合格し、1944年の花村以来となるプロ編入を果たし、年齢制限を越えた者のプロ棋士への道も開かれている。
  2. ^ なお、天野高志はこの後の竜王戦6組準決勝戦で、丸山忠久持将棋指し直し局の末敗れた。
  3. ^ 持ち時間を使い切った後は、相手の指し手の後あらかじめ決めた短い時間(30秒、1分など)以内に指さなければならない。
  4. ^ ここではまだしも、▲8五同銀△8七歩成とさせて、すぐに▲9五角~▲8四歩△7二玉▲8三金であった。実践では結局下手の小池は8五銀からの拠点もくさびも築けず、上手玉が逃げられてから▲9五角としたので、形勢が挽回できなかった。

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(一)^ 10 - 20131116

(二)^ 29 . (). (2017627). https://www.nikkansports.com/general/nikkan/news/1846444-2.html 2017627 

(三)^ 1996

(四)^ 200051-53 

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 宿1995ISBN 978-4872570434  ISBN 4877284591 

 1996ISBN 978-4877281168

  19981219ISBN 4905689600

2002ISBN 4094030174

2003ISBN 4905689740

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 at the Wayback Machine (archived 2007-05-25) - 

 2nd at the Wayback Machine (archived 2006-06-30) - 2

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 -  199278