松平頼和
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松平 頼和︵まつだいら よりかず、慶応元年5月7日︿1865年5月31日﹀ - 昭和15年︿1940年﹀7月18日︶は、日本の華族、官吏。西条松平家第11代当主。従二位勲五等子爵[1]。
生涯[編集]
讃岐高松藩第10代藩主・松平頼胤の七男として生まれる。伊予西条藩第10代藩主、のち藩知事、子爵となる松平頼英の養嗣子となる。慶應義塾を経てドイツ帝国に留学し、政治学や法学、経済学などを学ぶ。ドイツ南部テュービンゲンにあるテュービンゲン大学を卒業し、Dr. rer. pol.︵日本の政治学博士に相当︶を取得する[2]。帰朝後は宮内省に入省し、式部官、主猟官、雅楽部副長心得などを歴任した。 養父の死去により、明治38年︵1905年︶12月16日に家督を相続する。明治41年︵1908年︶2月22日、大韓帝国より勲三等八卦章を受章する[3]。大正5年︵1916年︶3月16日に高等官二等︵勅任官︶に陞叙するが、翌3月17日には依願免官となる[4]。古希を迎えるに際し、昭和9年︵1934年︶2月に御紋章付銀盃および酒肴料を下賜される。 昭和15年︵1940年︶7月18日午前3時40分、気管支肺炎のため東京府東京市麻布区広尾町14番地︵現在の東京都渋谷区広尾︶の自邸で死去した[5]。75歳没。家督は長男の頼庸が継いだ。栄典[編集]
- 外国
家族[編集]
脚注[編集]
参考文献[編集]
●筒井住蓮編﹃大日本華族大鑑﹄都通信社、1911年、170頁。 ●華族会館編﹃華族家庭録︵昭和11年12月調︶﹄華族会館、1937年、395頁。 ●華族大鑑刊行会﹃華族大鑑﹄日本図書センター、1990年、168-169頁。日本の爵位 | ||
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先代 松平頼英 |
子爵 (西条)松平家第2代 1905年 - 1940年 |
次代 松平頼庸 |