ドミニカ共和国

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ドミニカ共和国
República Dominicana
ドミニカ共和国の国旗
国旗 国章
国の標語:Dios, patria, libertad
(スペイン語: 神、祖国、自由)
国歌Quisqueyanos Valientes(スペイン語)
勇敢なるキスケージャの民
ドミニカ共和国の位置
公用語 スペイン語
首都 サントドミンゴ
最大の都市 サントドミンゴ
政府
大統領 ルイス・アビナデル
副大統領 ラケル・ペニャスペイン語版
面積
総計 48,730km2127位
水面積率 0.7%
人口
総計(2020年 1084万8000[1]人(84位
人口密度 224.5[1]人/km2
GDP(自国通貨表示)
合計(2019年 4兆5622億3500万[2]ドミニカ・ペソ
GDP(MER
合計(2019年890億3200万[2]ドル(65位
1人あたり 8,595.611[2]ドル
GDP(PPP
合計(2019年2060億8100万[2]ドル(72位
1人あたり 19,896.190[2]ドル
独立
 - 日付
スペインより
1821年12月1日

ハイチより
1844年2月27日

スペインより
1865年8月16日
通貨 ドミニカ・ペソDOP
時間帯 UTC-4 (DST:なし)
ISO 3166-1 DO / DOM
ccTLD .do
国際電話番号 1-809、1-829、1-849

: República Dominicana: Dominican Republic西

2西[ 1]西

1496[3]

[]


 República Dominicana : [reˈpuβlika ðominiˈkana] Dominicano[4]

 Dominican Republic Dominican[4]

 (Dominica)[5][4]

18441865[6]

歴史[ソースを編集]

先コロンブス期[ソースを編集]

紀元前4000年から1000年までの間に先住民アラワク族タイノ人)が南アメリカ大陸のギアナ地方から移住してきた。タイノ人は島をアイティ(Haiti)、ボイオ(Bohio)、キスケージャ(Quesquiya)と呼び、島は五つのカシーケ(酋長)の指導する部族集団に分かれていた。ヨーロッパ人の征服によりアラワク族は消え去ったが、それでもドミニカの文化にはアラワク族の文化の影響が、特に食事、言語、家族構成、そしてモラルの中に見て取ることが出来る。なお、征服時にいたインディヘナの数は、イスパニョーラ島の全てを併せるとおよそ100万人から300万人程だろうと推測されている。

スペイン植民地時代[ソースを編集]

クリストーバル・コロンイスパニョーラ島上陸

1492(): La Isla Española(Hispaniola)[7]149615021503貿12使1526

西 (1654-1660)en:Siege of Santo Domingo (1655)西1697西32

1717173917771786

ハイチの占領[ソースを編集]


1791179518011804

180918141821113018221

再独立と再植民地化[ソースを編集]


1844227Matías Ramón MellaFrancisco del Rosario Sánchez1845

186118651875

[]


18821899

アメリカ軍政期[ソースを編集]

アメリカ海兵隊の上陸(1916年)

1906501915191619247退

トルヒーヨ時代[ソースを編集]

ラファエル・トルヒーヨ(右)

193021930Third Dominican Republic

1937117,00035,00075姿1959

1960OAS1961

ボッシュ維新政権とドミニカ内戦[ソースを編集]

フアン・ボッシュスペイン語版英語版

196230196319631963

1965424196325426427284029 82430調1,13025018416021335,000: Operation Power Pack[8]4000

[]


1966使1978198219821986 

198680199250019941996200052004

20122020820202020816

政治[ソースを編集]

サント・ドミンゴの国民宮殿

4

321504

201851[9][10][11]

国家安全保障[ソースを編集]

ドミニカ共和国海軍Altair (PB 112)。

ドミニカ共和国大統領は軍の最高指揮権を持つ。ドミニカ共和国軍は44,000人の現役兵から構成されているが、実際に軍務に服しているのは24,000人程度で、それ以外の要員は非軍事部門で活躍している。

国家警察は約32,000人でありこのうちの15,000人が通常の警察業務にあたっている。国家警察は内務省の傘下であるため軍の機構ではないが、それでも軍と警察の任務に重なる部分は存在する。現在、国家警察の約半分が、軍事部門と酷似した部門において、伝統的な警察の任務から出た領域で勤務している。

このため、重複している人員約15,000人が軍と警察の中間的業務を担っている。

地方行政区分[ソースを編集]

ドミニカ共和国は31の(provincia)に分けられる。加えて、首都サント・ドミンゴは首都地区(Distrito Nacional)として独立している。州は郡、市町村などの地方行政区にさらに分けられる。

ドミニカ共和国の地方行政区分。

主要都市[ソースを編集]

地理[ソースを編集]

ドミニカ共和国の地図。
エンリキーリョ湖

2/3西西91[12]

 3175m

河川と湖[ソースを編集]


85km西40m5545321308使[13]

[]


(Aw)30沿[14] 51161124123西西1346mm2500mm西625mm

32[](121)

[]


20km

経済[ソースを編集]

プンタ・カナ

IMF2013GDP613GDP5,88260%

70%12%77%[15][15]



 - 

[]



観光[ソースを編集]

バヤイベのリゾートの庭園

観光はドミニカ共和国の経済成長にとって重要な産業である。プンタ・カナカサ・デ・カンポなどのリゾートが有名である。エコツーリズムも近年増加し、ハラバコアやその近郊のコンスタンサピコ・ドゥアルテバイア・デ・ラス・アギラスなども観光産業誘致に注力している。

国民[ソースを編集]

ドミニカ人。
タイノ人に扮する少女-ドミニカ共和国のカルナバルにて。

民族[ソースを編集]

住民の人種構成は、ヨーロッパ系が16%、アフリカ系が11%、ムラートが73%となっている。10-20%は先住民であるタイノ族の血が流れている[注 2]

人口[ソースを編集]


1794103,00035,00038,00030,00050193010019603,407,07019754,697,000

[]


18201800190020[]1930


日系移民[ソースを編集]


1954 

1956 

1961 退

2000 

2003 

2006 20

[]


120s¿Cómo tú estás? (how are you?) másmore

[]

宗教は、ローマ・カトリックが64%である[17]ユダヤ人ヨーロッパでのナチスによる迫害から逃れたものが、1930年代後半になってからようやくドミニカ社会に現れるようになった[要出典]

教育[ソースを編集]

6歳から13歳までの7年間の初等教育が無償の義務教育である。2002年のセンサスによれば、15歳以上の国民の識字率は87%である。全体的に、教育レベルは低い。子供がいる家庭に、日本のように勉強机や本棚がある家庭は珍しい[18]

主な高等教育機関としてはサント・ドミンゴ自治大学(1538年)、マドレ・イ・マエストラ・カトリカ大学(1962年)、サンティアゴ工科大学(1974年)などが挙げられ、サント・ドミンゴ自治大学はアメリカ大陸で最も古く建設された大学である。

保健[ソースを編集]

治安[ソースを編集]

同国はラテンアメリカ諸国の中では治安が比較的良い方だとされているが、それでも旅行者を標的にした犯罪は後を絶たない[要出典]。また、ドミニカ共和国はコロンビアからのコカインの輸出中継地である。

文化[ソースを編集]

サント・ドミンゴの植民都市 - (1990年、文化遺産)。

ドミニカ共和国の文化はアラワク族の文化、西アフリカから移入された黒人の文化、スペイン人の文化の影響を受けている。近年は政情が安定しない隣国ハイチから逃れてくる人も多く、そうしたハイチ人の文化がドミニカ共和国の文化に更なる多様性をもたらしている[要出典]

食文化[ソースを編集]




[] []

文学[ソースを編集]

文学では、マヌエル・デ・ヘスス・ガルバンの『エンリキージョ』(1882年)が特筆される。

音楽[ソースを編集]

1840年代にメレンゲが生まれた。生まれた当初は田舎の野蛮な音楽という位置づけだったが、地道に伝承、発展が続けられ、1930年代以降にはメレンゲをこよなく愛した独裁者トルヒーヨによって国民文化として保護され、現在の地位に至っている[要出典]

1920年代の占領統治時代にアメリカ軍の兵士向けにメレンゲが発達し、パムビーチェ英語版が生まれ、1950年代にはバチャータ英語版が生まれた。

現在ではニューヨーク生まれのサルサも人気であり、在米ドミニカ人の活躍により、ドミニカ音楽の合衆国市場への進出も盛んである。

世界遺産[ソースを編集]

ドミニカ共和国国内には、ユネスコ世界遺産リストに登録された文化遺産が1件存在する。

祝祭日[ソースを編集]

祝祭日
日付 日本語表記 現地語表記 備考
1月1日 元日 Año Nuevo
1月6日 公現祭 Epifanía, Santos Reyes Magos
1月21日 アルタグラシアの聖母 Virgen de la Altagracia
1月26日 フアン・パブロ・ドゥアルテの日 Día de Juan Pablo Duarte
2月27日 独立記念日 Independencia Nacional de la República Dominicana
3月4月 聖金曜日 Viernes Santo
5月1日 メーデー Día del Trabajador
5月17日 国際コンタドールの日 Día del Contador de las Américas
8月16日 民族維新の日 Restauración Nacional
9月24日 メルセデスの聖母 Vírgen de las Mercedes
11月6日 憲法記念日 Día de la Constitución
12月25日 クリスマス Navidad

スポーツ[ソースを編集]


19

196420213122004400m

野球[ソースを編集]

アルバート・プホルス

19MLB19562020789[19]MLBMiLB10MLBMiLB6LIDOM

1970

19922020220133WBC8MVPMiLB使[20]MLB[21]

[]


19882023-2410NBA3NBA42005

420193229NBAG1[22]20032011

サッカー[ソースを編集]


FIFACONCACAF22退

20131[ 3]

[]


100495西 1946848.110[23]

脚注[ソースを編集]

注釈[ソースを編集]

  1. ^ 九州と高知県を合わせた広さにほぼひとしい(国元伊代編 『ドミニカ共和国を知るための60章』 明石書店<エリア・スタディーズ122> 2013年)18ページ
  2. ^ 隣国であり類似した歴史と風土を持つプエルトリコの遺伝子調査によれば、プエルトリコ人の遺伝子は、タイノ族のDNA12.5%、アフリカ人のDNA26.4%、そしてヨーロッパ人のDNA61.1%によって構成されていることが分かっている。「消滅した」と伝えられる「先住民タイノ族」の遺伝子は、現代のプエルトリコ人に一定の割合で受け継がれている[16]
  3. ^ 2022年時点においても、マリアーノはスペイン代表には未招集である。

出典[ソースを編集]



(一)^ abUNdata.  . 20211110

(二)^ abcdeWorld Economic Outlook Database, October 2021 ().  IMF (202110). 20211110

(三)^   2020219

(四)^ abcthe Dominican Republic.  The United Nations Terminology Database. 2021104

(五)^ the Commonwealth of Dominica.  The United Nations Terminology Database. 2021104

(六)^ Dominican Republic/Government.   (2021923). 2021104

(七)^ McIntosh, Gregory C (2000). The Piri Reis Map of 1513. University of Georgia Press. p. 88. ISBN 978-0-8203-2157-8. https://books.google.co.jp/books?id=wgRXuOWah7MC&pg=PA88&dq=Hispaniola+Espa%C3%B1ola&redir_esc=y&hl=ja 

(八)^   pp.77-81

(九)^ Dominican Republic breaks with Taiwan to form diplomatic ties with China. Hong Kong Free Press. (201851). https://www.hongkongfp.com/2018/05/01/just-dominican-republic-breaks-taiwan-form-diplomatic-ties-china/ 201851 

(十)^   . . (201851). https://www.nikkei.com/article/DGXMZO3001751001052018FF8000/ 201851 

(11)^  . . (201851). https://web.archive.org/web/20180501161302/http://japan.cna.com.tw/news/apol/201805010003.aspx 201851 

(12)^  60 <122> 2013 18-19

(13)^  60 <122> 201319

(14)^  60 <122> 2013 19-20

(15)^ abp.266 

(16)^  60 <122> 201326

(17)^ http://www.dominicanaonline.org/Portal/espanol/cpo_religion.asp

(18)^ https://www.cia.gov/library/publications/the-world-factbook/geos/dr.html 2009330

(19)^ Players by birthplace: Dominican Republic Baseball Stats and Info - Baseball-Reference.com2020327

(20)^ 6 2009/07/18

(21)^  nikkansports.com

(22)^  W. Sponichi Annex. (201996). https://www.sponichi.co.jp/sports/news/2019/09/06/kiji/20190906s00011000022000c.html 202245 

(23)^  60 <122> 2013 24-25

[]


Yuki YamagataGlobal News View (GNV)20215

 19869 

19934ISBN 4-7887-9308-3 

 ︿241954 

III︿3520064ISBN 4-634-42350-2 

P.E.  II1979 

 II︿151978 

1987ISBN 4-582-12609-X 

[]









[]

政府
日本政府
観光
その他