ドミニカ共和国
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- ドミニカ共和国
- República Dominicana
-
(国旗) (国章) - 国の標語:Dios, patria, libertad
(スペイン語: 神、祖国、自由) - 国歌:Quisqueyanos Valientes(スペイン語)
勇敢なるキスケージャの民 -
公用語 スペイン語 首都 サントドミンゴ 最大の都市 サントドミンゴ 独立
- 日付スペインより
1821年12月1日
スペインより
1865年8月16日通貨 ドミニカ・ペソ(DOP) 時間帯 UTC-4 (DST:なし) ISO 3166-1 DO / DOM ccTLD .do 国際電話番号 1-809、1-829、1-849
国名[ソースを編集]
正式名称はスペイン語で República Dominicana スペイン語発音: [reˈpuβlika ðominiˈkana]。スペイン語に限らず、政体名を省略することは少ない。形容詞は Dominicano[4]。 公式な英語表記は Dominican Republic。形容詞は Dominican[4]。 日本語の表記はドミニカ共和国。漢字表記は土弥尼加共和国。小アンティル諸島にあるドミニカ国と区別するため、政体名の﹁共和国﹂を付けて呼ばれるが、日本においては、こちらの方が知名度が高いためか、単に﹁ドミニカ﹂と称した場合は、ドミニカ共和国の方を指す事が多い。一方でスペイン語・英語などは単に﹁ドミニカ (Dominica)﹂と称した場合、多くはドミニカ国を指す。国際連合においてもドミニカ国は﹁ドミニカ﹂[5]、ドミニカ共和国は政体名を省略せず﹁ドミニカ共和国﹂と呼ばれている[4]。 植民地時代はサントドミンゴと呼ばれており、スペイン人ハイチ共和国など様々な名前の変遷を経て、1844年のハイチからの独立後、1865年のスペインからの最終的な独立時に現在の名称に定まった。国名は首都のサントドミンゴに由来し、サントドミンゴはカトリックの聖人である聖ドミニコを意味する[6]。なお、ハイチの植民地時代の名称はサン=ドマングで、サント・ドミンゴがフランス語に変化したものである。また同名のドミニカ国の由来はスペイン語で日曜日を意味するドミンゴであり、ドミニカ共和国との関連性はない。歴史[ソースを編集]
先コロンブス期[ソースを編集]
紀元前4000年から1000年までの間に先住民アラワク族(タイノ人)が南アメリカ大陸のギアナ地方から移住してきた。タイノ人は島をアイティ(Haiti)、ボイオ(Bohio)、キスケージャ(Quesquiya)と呼び、島は五つのカシーケ(酋長)の指導する部族集団に分かれていた。ヨーロッパ人の征服によりアラワク族は消え去ったが、それでもドミニカの文化にはアラワク族の文化の影響が、特に食事、言語、家族構成、そしてモラルの中に見て取ることが出来る。なお、征服時にいたインディヘナの数は、イスパニョーラ島の全てを併せるとおよそ100万人から300万人程だろうと推測されている。
スペイン植民地時代[ソースを編集]
ハイチの占領[ソースを編集]
再独立と再植民地化[ソースを編集]
独立国家として[ソースを編集]
アメリカ軍政期[ソースを編集]
トルヒーヨ時代[ソースを編集]
ボッシュ維新政権とドミニカ内戦[ソースを編集]
ドミニカ内戦以降[ソースを編集]
政治[ソースを編集]
国家安全保障[ソースを編集]
ドミニカ共和国大統領は軍の最高指揮権を持つ。ドミニカ共和国軍は44,000人の現役兵から構成されているが、実際に軍務に服しているのは24,000人程度で、それ以外の要員は非軍事部門で活躍している。
国家警察は約32,000人でありこのうちの15,000人が通常の警察業務にあたっている。国家警察は内務省の傘下であるため軍の機構ではないが、それでも軍と警察の任務に重なる部分は存在する。現在、国家警察の約半分が、軍事部門と酷似した部門において、伝統的な警察の任務から出た領域で勤務している。
このため、重複している人員約15,000人が軍と警察の中間的業務を担っている。
地方行政区分[ソースを編集]
ドミニカ共和国は31の州(provincia)に分けられる。加えて、首都サント・ドミンゴは首都地区(Distrito Nacional)として独立している。州は郡、市町村などの地方行政区にさらに分けられる。
- アスア州
- バオルコ州 (シエラ・デ・ネイバ)
- バラオナ州
- ダハボン州
- ドゥアルテ州 (サン・フランシスコ・デ・マコリス)
- エリアス・ピーニャ州 (コメンダドール)
- エル・セイボ州 (サンタ・クルス・デル・セイボ)
- エスパイジャト州 (モカ)
- アト・マジョール州
- インデペンデンシア州 (ヒマニ)
- ラ・アルタグラシア州 (サルバレオン・デ・イグエイ)
- ラ・ロマーナ州
- ラ・ベガ州
- マリア・トリニダー・サンチェス州 (ナグア)
- モンセニョール・ノウエル州 (ボナオ)
- モンテ・クリスティ州
- モンテ・プラタ州
- ペデルナレス州
- ペラビア州 (バニ)
- プエルト・プラタ州
- エルマナス・ミラバル州 (かつてのサルセド)
- サマナ州
- サンチェス・ラミレス州 (コツイ)
- サン・クリストバル州
- サン・ホセ・デ・オコア州
- サン・フアン州
- サン・ペドロ・デ・マコリス州
- サンティアゴ州
- サンティアゴ・ロドリゲス州 (サン・イグナシオ・デ・サバネタ)
- サント・ドミンゴ州
- バルベルデ州 (マオ)
D.N.*
主要都市[ソースを編集]
- サントドミンゴ(Santo Domingo) - 首都
- サンティアゴ・デ・ロス・カバリェロス(Santiago)
- サンペドロ・デ・マコリス(San Pedro de Macorís)
- プエルト・プラタ(Puerto Plata)
- ラ・ロマーナ(La Romana)
地理[ソースを編集]
河川と湖[ソースを編集]
気候[ソースを編集]
気候は熱帯のサバナ気候(Aw)に属すが、標高と海岸からの距離によって高山性か海洋性かに分かれる。その受ける影響によって気候の地域差がはっきりする。国内の日中の最高気温は、年間を通じてほとんどの都市で30度を超える。しかし、海岸沿いの都市では海洋性を帯びているため過ごしやすい。標高の高い高原都市では気温の割合に少しひんやりとした風が山から下りてくる[14]。 ドミニカ共和国は、北半球にあるため、雨季は夏季︵5月から11月︶であり、6月から11月はハリケーンが飛来する。この時期には年間平均2〜4個の熱帯低気圧が発生する。12月から3月は北大西洋寒気団の影響を受ける。北部と東部で最も多く雨が降り、西部で最も少なくなる。年間平均降水量は1346mmだが蒸発が激しい。例を挙げると北部のサマナでは2500mm以上、南西部のバラオナでは625mmといった具合である。 年平均気温は32℃を超えることは稀であり、季節風の影響ですごしやすい。しかし、中央山脈の高原都市コンスタンサ[要曖昧さ回避]のような都市では、冬季(12月や1月)の気温が氷点下に達することもある。しかし、日本ほどの季節差はない。環境問題[ソースを編集]
ブラックスミス研究所によると、サント・ドミンゴから20kmも離れていないバホス・デ・アイナは世界でも十指に入る程汚染された土地となっており、そのことからの小児への影響が危惧されている。経済[ソースを編集]
鉱業[ソースを編集]
ドミニカ共和国は比較的に鉱物資源に恵まれており、主要鉱物は金、銀、銅、ニッケルである。特にニッケルの産出量は多く同国の重要な財源となっている。また近年新たな金鉱山の開発が期待されている。観光[ソースを編集]
観光はドミニカ共和国の経済成長にとって重要な産業である。プンタ・カナやカサ・デ・カンポなどのリゾートが有名である。エコツーリズムも近年増加し、ハラバコアやその近郊のコンスタンサ、ピコ・ドゥアルテやバイア・デ・ラス・アギラスなども観光産業誘致に注力している。
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国民[ソースを編集]
民族[ソースを編集]
住民の人種構成は、ヨーロッパ系が16%、アフリカ系が11%、ムラートが73%となっている。10-20%は先住民であるタイノ族の血が流れている[注 2]。
人口[ソースを編集]
移民[ソースを編集]
1820年代のハイチ占領時のドミニカ共和国東部には、ハイチ政府の招きに応じてやってきたアメリカ合衆国の黒人奴隷が定住した。1800年代後半から1900年代初頭にかけてはベネスエラ人、プエルトリコ人の大規模な移民もあった。20世紀の初頭にはレバノン人が移住し、中国人やインド人の移民もあった。トルヒージョ大統領はドミニカを白人国家にしようとヨーロッパ系の移民を誘致したが、これは限定的な成果しか挙げなかった[要出典]。1930年代後半から第二次世界大戦後はユダヤ人の移民が多かった。主な移民としてはハイチ人、ドイツ人、イタリア人、フランス人、ユダヤ人、スペイン人、中国人、アメリカ合衆国人など。ごく少数だが日本人やアラブ人︵特にレバノン人︶の移民もあった。 近年はドミニカ人のアメリカ合衆国やプエルトリコへの出稼ぎ移住が多い。アメリカで出稼ぎしているドミニカ人の送金で、ドミニカ共和国国内で車を持てるようになった人が増え、渋滞が大きな問題となっている。日系移民[ソースを編集]
言語[ソースを編集]
言語はスペイン語が公用語であり、国民の間ではカリブ・スペイン語の方言であるスペイン語ドミニカ共和国方言が話されているが、移民によってハイチ・クレオール語やフランス語、ドイツ語、英語、イタリア語なども話されている。特にハイチ・クレオール語はハイチ人移民やその子孫によって、約120万人が話していると推測されている。ドミニカ共和国のスペイン語は、語彙の面でアラワク族の言葉の影響を大きく受けている。他国のスペイン語に比べると、かなり癖がある。sを省いて発音するので、¿Cómo tú estás? ﹁コモ・トゥ・エスタス?﹂(how are you?) を、﹁コモトゥタ?﹂と発音したり、﹁ドス﹂を﹁ドォ﹂、más﹁マス﹂︵more︶を﹁マ﹂と発音する。宗教[ソースを編集]
宗教は、ローマ・カトリックが64%である[17]。ユダヤ人はヨーロッパでのナチスによる迫害から逃れたものが、1930年代後半になってからようやくドミニカ社会に現れるようになった[要出典]。
教育[ソースを編集]
6歳から13歳までの7年間の初等教育が無償の義務教育である。2002年のセンサスによれば、15歳以上の国民の識字率は87%である。全体的に、教育レベルは低い。子供がいる家庭に、日本のように勉強机や本棚がある家庭は珍しい[18]。
主な高等教育機関としてはサント・ドミンゴ自治大学(1538年)、マドレ・イ・マエストラ・カトリカ大学(1962年)、サンティアゴ工科大学(1974年)などが挙げられ、サント・ドミンゴ自治大学はアメリカ大陸で最も古く建設された大学である。
保健[ソースを編集]
治安[ソースを編集]
同国はラテンアメリカ諸国の中では治安が比較的良い方だとされているが、それでも旅行者を標的にした犯罪は後を絶たない[要出典]。また、ドミニカ共和国はコロンビアからのコカインの輸出中継地である。
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文化[ソースを編集]
ドミニカ共和国の文化はアラワク族の文化、西アフリカから移入された黒人の文化、スペイン人の文化の影響を受けている。近年は政情が安定しない隣国ハイチから逃れてくる人も多く、そうしたハイチ人の文化がドミニカ共和国の文化に更なる多様性をもたらしている[要出典]。
食文化[ソースを編集]
文学[ソースを編集]
文学では、マヌエル・デ・ヘスス・ガルバンの『エンリキージョ』(1882年)が特筆される。
音楽[ソースを編集]
1840年代にメレンゲが生まれた。生まれた当初は田舎の野蛮な音楽という位置づけだったが、地道に伝承、発展が続けられ、1930年代以降にはメレンゲをこよなく愛した独裁者トルヒーヨによって国民文化として保護され、現在の地位に至っている[要出典]。
1920年代の占領統治時代にアメリカ軍の兵士向けにメレンゲが発達し、パムビーチェが生まれ、1950年代にはバチャータが生まれた。
現在ではニューヨーク生まれのサルサも人気であり、在米ドミニカ人の活躍により、ドミニカ音楽の合衆国市場への進出も盛んである。
世界遺産[ソースを編集]
ドミニカ共和国国内には、ユネスコの世界遺産リストに登録された文化遺産が1件存在する。
祝祭日[ソースを編集]
日付 | 日本語表記 | 現地語表記 | 備考 |
---|---|---|---|
1月1日 | 元日 | Año Nuevo | |
1月6日 | 公現祭 | Epifanía, Santos Reyes Magos | |
1月21日 | アルタグラシアの聖母 | Virgen de la Altagracia | |
1月26日 | フアン・パブロ・ドゥアルテの日 | Día de Juan Pablo Duarte | |
2月27日 | 独立記念日 | Independencia Nacional de la República Dominicana | |
3月か4月 | 聖金曜日 | Viernes Santo | |
5月1日 | メーデー | Día del Trabajador | |
5月17日 | 国際コンタドールの日 | Día del Contador de las Américas | |
8月16日 | 民族維新の日 | Restauración Nacional | |
9月24日 | メルセデスの聖母 | Vírgen de las Mercedes | |
11月6日 | 憲法記念日 | Día de la Constitución | |
12月25日 | クリスマス | Navidad |
スポーツ[ソースを編集]
野球[ソースを編集]
バスケットボール[ソースを編集]
サッカー[ソースを編集]
自然災害[ソースを編集]
熱帯地方特有の自然の災害である毎年雨季に襲来するハリケーンと勢力の強い熱帯性低気圧は、その多くが東または南東で生まれ接近しながら発達してくる。最近100年間では、大型ハリケーンといわれる風速49メートル以上のハリケーンの上陸が5回、それ以下のレベルのハリケーンと強い熱帯性低気圧の接近や上陸は毎年起こっている。国土を東西に横断し、強風とともに長時間の豪雨を伴う。毎年人的及び物的被害が甚大である。 1946年8月4日、マグニチュード8.1の地震で約10メートルの津波が観測されたにもかかわらず、ドミニカには地震は起こらないと多くのドミニカ人が勘違いをしている。活断層も多くあるのに、それらの情報が人々に行き渡っていない[23]。脚注[ソースを編集]
注釈[ソースを編集]
出典[ソースを編集]
参考文献[ソースを編集]
●Yuki Yamagata﹁ドミニカ共和国‥国際情勢から見える内情﹂、Global News View (GNV)、2021年5月。 ●エドゥアルド・ガレアーノ 著、大久保光夫 訳﹃収奪された大地──ラテンアメリカ五百年﹄新評論、東京、1986年9月。 ●後藤政子﹃新現代のラテンアメリカ﹄時事通信社、東京、1993年4月。ISBN 4-7887-9308-3。 ●下中彌三郎 編﹃ラテンアメリカ﹄平凡社、東京︿世界文化地理体系24﹀、1954年。 ●二村久則、野田隆、牛田千鶴、志柿光浩﹃ラテンアメリカ現代史III﹄山川出版社、東京︿世界現代史35﹀、2006年4月。ISBN 4-634-42350-2。 ●P.E.ジェームズ 著、山本正三、菅野峰明 訳﹃ラテンアメリカII﹄二宮書店、1979年。 ●福井英一郎 編﹃ラテンアメリカII﹄朝倉書店、東京︿世界地理15﹀、1978年。 ●﹃ラテン・アメリカを知る事典﹄大貫良夫ほか監修、平凡社、1987年。ISBN 4-582-12609-X。関連項目[ソースを編集]
●ドミニカ共和国関係記事の一覧 ●ドミニカ共和国国家地区 ●サントドミンゴの植民都市 ●トラテロルコ条約外部リンク[ソースを編集]
- 政府
- ドミニカ共和国大統領府 (スペイン語)(英語)
- 日本政府
- 日本外務省 - ドミニカ共和国
- 在ドミニカ共和国日本国大使館 (スペイン語)
- 観光
- ドミニカ共和国観光省 (英語)
- その他