5人目のビートルズ
5人目のビートルズ︵5にんめのビートルズ︶は、ビートルズの4人の正式メンバーに準じる立場にいる人物を指す呼称。
ビートルズは1962年のメジャー・デビューから1970年の解散まで、4人の正式メンバーしか在籍していない。だが、それ以外の人物がビートルズに直接或いは間接的に関わっている場合、ファン或いはマスコミによって﹁メンバーに準じる立場﹂と認められる場合がある。また、自称の場合もある。確認されているだけでも、以下の人物達が﹁5人目のビートルズ﹂と呼称された事があった。
右端がジミー・ニコル︵1964年6月︶
トニー・シェリダン
無名時代のビートルズをバックに据えて録音したシングル盤を﹁トニー・シェリダンとザ・ビート・ブラザース﹂名義でリリースしている。
アンディ・ホワイト︵Andy White︶
デビュー曲﹁ラヴ・ミー・ドゥ﹂でリンゴ・スターのドラムに満足がいかなかったジョージ・マーティンが代わりにドラムを叩かせたセッション・ミュージシャン。
ジミー・ニコル︵Jimmie Nicol︶
イギリスのドラマー。1964年6月のツアーで扁桃炎で入院したリンゴ・スターの代役でドラムを担当した。その後ザ・スプートニクスに加入し、1966年にはスプートニクスの一員としてビートルズより一足早く来日している。周りから調子を聞かれたときの口癖﹁It's getting better︵だんだん良くなってるよ︶﹂がビートルズの楽曲﹁ゲッティング・ベター﹂のタイトルの由来となった。
エリック・クラプトン
﹁ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス﹂のギター・ソロを担当[7]。1969年1月にジョージ・ハリスンがバンドを一時的に脱退した際に、ジョン・レノンが代わりに加入させることを提案したことがある。ハリスンとは親友で、そのソロアルバムにたびたび参加している。
ビリー・プレストン
﹁ゲット・バック﹂におけるエレクトリック・ピアノの演奏などで有名。外部から招かれた演奏者としては、唯一公式にクレジットされたアーティストである。ブラック・ビートルと称されることもある[8]。
元メンバー[編集]
ピート・ベスト 元ドラマー。1962年8月15日、メジャーデビューの直前に事実上解雇された。後任はリンゴ・スター。 スチュアート・サトクリフ 元ベーシスト。1962年のハンブルク巡業の後、画家になるため脱退した。後任はポール・マッカートニー︵ギターからベースに転向︶。スタッフ[編集]
ジョージ・マーティン デビュー・シングルの﹁ラヴ・ミー・ドゥ﹂から、実質的なラスト・アルバムである﹁アビイ・ロード﹂までのプロデュースを務めた。クラシック系の楽器の使用方法に疎いメンバーに数多くの助言やサポートを行ったり、初期には自らピアノでレコーディングに参加するなど、メンバー以外でビートルズ音楽に最も影響を与えた人物とされている。2016年3月に死去した時には、その訃報にも5人目のビートルズという呼称が使われていた[1][2]。また、ジョン・レノンの実子であるジュリアン・レノンも5人目のビートルズとしてジョージ・マーティンの名前を挙げている[3]。 ブライアン・エプスタイン 1962年から1967年の死亡時までマネージャーを務めた。メジャー・デビューやアメリカでの成功はブライアンの功績が大きいとされている。また、実際にポール・マッカートニーは過去に﹁彼こそ5人目のビートルズだ﹂と述べている[4][5]。 ニール・アスピノール 設立から2007年の退任まで長きに渡りアップル・コアの代表取締役として経営を行った。ジョージ・ハリスンが過去に5人目のビートルズとして名前を挙げたことがある[6]。 デレク・テイラー︵Derek Taylor︶ ビートルズの広報を担当。﹁平和を我等に﹂にコーラスで参加している。ニール・アスピノールと同様に、ジョージ・ハリスンが過去に5人目のビートルズとして名前を挙げたことがある[6]。 ジェフ・リン エレクトリック・ライト・オーケストラ︵ELO︶のリーダーであり、自身は熱狂的なビートルズファン。音楽プロデューサーとしてジョージ・ハリスン、ポール・マッカートニー、リンゴ・スターのソロアルバムなどを手掛け、ビートルズの﹁フリー・アズ・ア・バード﹂、﹁リアル・ラヴ﹂にもプロデューサーとして参加した。また、ハリスンと共にトラベリング・ウィルベリーズのメンバーの一人である。セッション参加ミュージシャン[編集]
その他[編集]
ジョージ・ベスト ビートルズと同時代に活躍したサッカー選手。華麗なプレーや甘いマスク、ファッションなどで非常に高い人気を博したことから、当時同じように人気のあったビートルズと掛けて5人目のビートルズやエル・ビートルと呼ばれるようになった[9][10][11]。 マレー・ザ・K アメリカのDJ。ビートルズが初めてアメリカに上陸した際に彼の番組に電話出演し、マレーは自ら﹁5人目のビートルズ﹂を名乗り積極的に彼らの楽曲を紹介した。 ビクター・スピネッティ イギリス出身の俳優。ビートルズ主演の映画﹃ハード・デイズ・ナイト﹄﹃ヘルプ! 4人はアイドル﹄﹃マジカル・ミステリー・ツアー﹄に出演していた[12]。 ウィリアム・キャンベル︵William Stuart Campbell︶ 都市伝説﹁ポール・マッカートニー死亡説﹂において、﹁ポールの替え玉として選ばれた﹂とされるポールのそっくりさん。 ロイ・ヤング︵Roy Young︶ ピアニスト、ビートルズのデビュー前に正式なオファーがあったが、断っている。脚注[編集]
(一)^ “﹁5人目のビートルズ﹂ジョージ・マーティンさん死去 90歳”. スポニチアネックス (2016年3月9日). 2016年3月9日閲覧。
(二)^ ﹁﹃5人目のビートルズ﹄死去――ジョージ・マーティンさん90歳﹂︵朝日新聞、2016年3月10日号・39面︶
(三)^ “Julian Lennon”. web.facebook.com (2016年3月9日). 2018年11月18日閲覧。
(四)^ “Brian Epstein Play to Open in Liverpool”. The Daily Telegraph. (2012年8月27日) 2018年11月18日閲覧. "Sir Paul McCartney said of him: 'If anyone was the Fifth Beatle, it was Brian.'"
(五)^ 記録映画﹃ジョージ・ハリスン/リヴィング・イン・ザ・マテリアル・ワールド﹄内のインタビュー
(六)^ abO'Dell, Chris; with Ketcham, Katherine (2009). Miss O'Dell: My Hard Days and Long Nights with The Beatles, The Stones, Bob Dylan, Eric Clapton, and the Women They Loved. New York, NY: Touchstone. ISBN 978-1-4165-9093-4
(七)^ Adamson, Nancy (2002年8月11日). “Book Review: New rock 'n' roll trivia book hits a nice note”. Midland Reporter-Telegram
(八)^ Martin, Philip (2001). Artificial Southerner: Equivocations and Love Songs. University of Arkansas Press. p. 76. ISBN 1557287163
(九)^ “Manchester United Official Web Site”. Manchester United F.C.. 2018年11月18日閲覧。
(十)^ “The birth of El Beatle - Premier League - Football”. The Independent (2005年12月7日). 2012年6月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年11月18日閲覧。
(11)^ “The birth of El Beatle”. The Independent. 2018年11月18日閲覧。
(12)^ “Victor Spinetti, the raconteur of genius -Wales Online”. 2018年11月18日閲覧。