「サウジアラビア」の版間の差分
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[[日本]]とは[[1970年代]]に[[田中角栄]]の特使で訪問した[[三木武夫]]が、親アラブ外交を約束した際の対日石油供給制限解除以来<ref>一七会『われは傍流にあらず 政治改革に生涯をかけた三木武夫の軌跡 政治記者の記録』人間の科学社、1991年, pp. 170,173-177,181-185</ref><ref>海部俊樹、明治大学三木武夫研究会「海部俊樹氏インタビュー」『三木武夫研究II』明治大学史資料センター、明治大学史資料センター、2011年 pp. 419-420.</ref>、日本最大の原油輸入先なこともあって経済的に密接な関係にある<ref>{{Cite news| url=https://www.nikkei.com/article/DGKKZO49859880W9A910C1NN1000/| title=原油4割依存、企業は警戒 サウジ施設攻撃| work=| publisher=[[日本経済新聞]]| date=2019-09-17| accessdate=2019-09-29}}</ref>。一方でサウジアラビア王国とは文化の大きな違いがあるため、[[宮内庁]]は日本の[[皇室]]のサウジアラビアへの接近には極めて慎重であるが、経済的理由からサウジアラビア王国とのつながりを深めたい[[内閣 (日本)|内閣]] |
[[日本]]とは[[1970年代]]に[[田中角栄]]の特使で訪問した[[三木武夫]]が、親アラブ外交を約束した際の対日石油供給制限解除以来<ref>一七会『われは傍流にあらず 政治改革に生涯をかけた三木武夫の軌跡 政治記者の記録』人間の科学社、1991年, pp. 170,173-177,181-185</ref><ref>海部俊樹、明治大学三木武夫研究会「海部俊樹氏インタビュー」『三木武夫研究II』明治大学史資料センター、明治大学史資料センター、2011年 pp. 419-420.</ref>、日本最大の原油輸入先なこともあって経済的に密接な関係にある<ref>{{Cite news| url=https://www.nikkei.com/article/DGKKZO49859880W9A910C1NN1000/| title=原油4割依存、企業は警戒 サウジ施設攻撃| work=| publisher=[[日本経済新聞]]| date=2019-09-17| accessdate=2019-09-29}}</ref>。一方でサウジアラビア王国とは文化の大きな違いがあるため、[[宮内庁]]は日本の[[皇室]]のサウジアラビアへの接近には極めて慎重であるが、経済的理由からサウジアラビア王国とのつながりを深めたい[[内閣 (日本)|内閣]]などの強い要望で、天皇[[徳仁]]が皇太子時代に複数回訪問したことがあり、アブドラ国王崩御の際にも訪問している<ref>[http://flyteam.jp/news/article/45614 政府専用機、サウジアラビア国王崩御による皇太子殿下の御弔問で運航 FlyTeam ニュース]</ref>。 |
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気候は砂漠気候で夏は平均45°C、春と秋は29°Cで、冬はまれに零下になり、標高2000mの高原地帯では過去に積雪も観測されている。ジッダやダンマーム |
気候は砂漠気候で夏は平均45°C、春と秋は29°Cで、冬はまれに零下になり、標高2000mの高原地帯では過去に積雪も観測されている。ジッダやダンマームなどの沿岸部は高温多湿、リヤドなどの内陸部は高温乾燥となり内陸部は昼夜の気温差が大きい。標高1500~2200mに位置する[[ターイフ]]、[[ハミース・ムシャイト]]、[[アブハー]]、[[バーハ]]などが位置する高原地帯は避暑地となり快適な気候となる。インド洋モンスーンの影響を受ける[[バーハ州]]、[[アスィール州]]は降水量が多く、年間降水量が200㎜~500㎜に達する。
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[[サッカーサウジアラビア代表]]はアジア地域における強豪として知られており、[[AFCアジアカップ]]では3度の優勝を誇る。[[FIFAワールドカップ]]には[[1994 FIFAワールドカップ|1994年大会]]で初出場して以降、完全に常連として定着しており6回の出場を果たしている<ref>{{Cite web|url=http://www.fifa.com/associations/association=ksa/index.html|title=Saudi Arabia - Honours - FIFA World Cup appearances|publisher=FIFA.com|accessdate=2012-11-28}}</ref>。さらに[[FIFAコンフェデレーションズカップ|キング・ファハド・カップ]]︵現‥コンフェデレーションズカップ︶では、[[キング・ファハド・カップ1992|1992年大会]]で準優勝に輝いている。
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[[サッカーサウジアラビア代表]]はアジア地域における強豪として知られており、[[AFCアジアカップ]]では3度の優勝を誇る。[[FIFAワールドカップ]]には[[1994 FIFAワールドカップ|1994年大会]]で初出場して以降、完全に常連として定着しており6回の出場を果たしている<ref>{{Cite web|url=http://www.fifa.com/associations/association=ksa/index.html|title=Saudi Arabia - Honours - FIFA World Cup appearances|publisher=FIFA.com|accessdate=2012-11-28}}</ref>。さらに[[FIFAコンフェデレーションズカップ|キング・ファハド・カップ]]︵現‥コンフェデレーションズカップ︶では、[[キング・ファハド・カップ1992|1992年大会]]で準優勝に輝いている。
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また、過去には女性がスタジアムでサッカー観戦する事が禁止されていたが、2018年以降は[[アクリル板]]で区切る |
また、過去には女性がスタジアムでサッカー観戦する事が禁止されていたが、2018年以降は[[アクリル板]]で区切るなどの条件付きで解禁されている<ref>[https://www.afpbb.com/articles/-/3158363?cx_part=top_block&cx_position=2 サウジで初、女性がサッカー生観戦 「歴史的な日」と喜び] AFP(2018年1月13日)2018年1月13日閲覧</ref>。さらに2021年には{{仮リンク|サッカーサウジアラビア女子代表|en|Saudi Arabia women's national football team}}が新設され、2022年2月20日に初めて{{仮リンク|サッカーセーシェル女子代表|en|Seychelles women's national football team}}との国際試合が行われた。 |
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=== その他の競技 === |
=== その他の競技 === |
2023年9月4日 (月) 14:22時点における版
- サウジアラビア王国
- المملكة العربية السعودية
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(国旗) (サウード家大紋章) - 国の標語:لا إله إلا الله محمد رسول الله
(Lā ʾilāha ʾillā Llāh, Muḥammadan rasūlu Llāh)
(シャハーダ。アラビア語:アッラーの他に神はなし、ムハンマドはアッラーの使徒なり) - 国歌:サウジアラビアの国歌
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公用語 アラビア語 首都 リヤド 最大の都市 リヤド - 政府
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国王 サルマーン・ビン・アブドゥルアズィーズ 皇太子兼首相 ムハンマド・ビン・サルマーン 諮問評議会(立法府)議長 アブドゥッラー・アル・シェイク - 面積
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総計 2,149,690km2(13位) 水面積率 極僅か - 人口
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総計(2022年) 3481万4000[1]人(41位) 人口密度 16.2[1]人/km2 - GDP(自国通貨表示)
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合計(2020年) 2兆6254億4200万[2]サウディ・リヤル(Riyal) - GDP(MER)
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合計(2020年) 7001億1800万[2]ドル(19位) 1人あたり 1万9995.704[2]ドル - GDP(PPP)
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合計(2020年) 1兆6277億5000万[2]ドル(14位) 1人あたり 4万6489.329[2]ドル
統一 1932年9月23日 通貨 サウディ・リヤル(Riyal)(SAR) 時間帯 UTC+3 (DST:なし) ISO 3166-1 SA / SAU ccTLD .sa 国際電話番号 966
国名
歴史
第一次サウード王国の支配
オスマン帝国などへの抗争
続く150年間、サウード家はアラビア半島の支配を巡ってエジプトやオスマン帝国やラシード家のジャバル・シャンマル王国と争い興亡を繰り返した[注釈 1]。ナジュド及びハッサ王国の支配
第三次サウード王国に当たる現在のサウード国家は、1902年に僅か22歳のアブドゥルアズィーズ・イブン・サウード国王︵サウジアラビア王国の初代国王︶がサウード王家先祖伝来の本拠地リヤドをラシード家から奪回し、ナジュドで建国したものである︵ナジュド及びハッサ王国︶。勢力拡大
アブドゥルアズィーズは、1913年からハサー、1921年のハーイル征服までにカティーフ、ナジュドの残り︵ナジュド・スルタン国︶を制圧した。 一方、1915年にメッカ︵マッカ︶の太守︵シャリーフ︶であったハーシム家のフサイン・イブン・アリーが、イギリス軍のトーマス・エドワード・ロレンスの協力を得てアカバを占領し、その後ダマスカスに進軍してヒジャーズ王国を建国した︵アラブ反乱︶。アブドゥルアズィーズは、1926年までにこのヒジャーズ王国を制圧︵サウード家のヒジャーズ征服︶し、1926年1月8日、アブドゥルアズィーズはヒジャーズの王︵マリク︶となった。サウジアラビア王国の成立
つづく1927年1月29日にはナジュド王の称号を得た︵彼の以前のナジュドの称号はスルタン︶。1927年5月20日にはジッダ条約によってイギリスはアブドゥルアズィーズの領域の独立を認めて、ヒジャーズ・ナジュド王国が成立した。さらに1932年に主要地域のハサー、カティーフ、ナジュド、ヒジャーズを統一してサウジアラビア王国が成立した。その後1934年には、サウジ・イエメン戦争がおこりイドリシ朝アシール首長国を併合した。経済の発展
しかし、アブドゥルアズィーズの政治的成功も経済には及ばなかった。1933年にサウジアラムコが設立され、1938年3月にダーラン︵ザフラーン︶で﹁ダンマン油田﹂が発見されるまで国は貧しい状態だった︵サウジアラビアの石油産業の歴史︶。油田開発は第二次世界大戦のために中断したものの、1946年には開発が本格的に始まり、1949年に採油活動が全面操業した。石油はサウジアラビアに経済的繁栄をもたらしただけでなく、国際社会における大きな影響力も与えた。王家の失脚
アブドゥルアズィーズは、拡大した一族ネットワークに依拠する他の地域の絶対的支配者たちと対する難しさに配慮して王位継承の規定を図った。1953年にアブドゥルアズィーズが崩御し、次男サウードが父の死を受けて第2代国王に即位したものの、1960年代にサウード国王の経済的失政によって王国は危機に陥り、またエジプトのナーセル大統領からの地域的な難問への対応にも失敗してしまった。その結果、1964年にサウード国王は退位させられ、代わって異母弟のファイサルが第3代国王として即位した。 1973年、第4次中東戦争に際してサウジアラビアはいわゆる石油戦略を用い、石油危機を引き起こした。この後、サウジアラビアをはじめとする石油輸出国機構 (OPEC) が大きな国際的影響力を発揮するようになる。 1974年、リチャード・ニクソン米大統領とヘンリー・キッシンジャー国務長官がサウジアラビアを訪問してファイサル国王らとの会談でドル建て決済で原油を安定的に供給することと引き換えに安全保障を提供する協定︵ワシントン・リヤド密約︶を結んでオイルダラーが確立された[8][9][10][11][12]。 1975年、家族間抗争が一因でファイサル国王が甥のファイサル・ビン・ムサーイド王子により暗殺された。その後、やはり異母弟のハーリドが王位を継ぎ第4代国王となった。イスラム過激派への配慮
1979年、イラン革命に影響を受けたイスラム過激主義者によるアル=ハラム・モスク占拠事件が発生。武力で鎮圧したものの、以後、イスラム過激派に配慮した政策を行うことになった。 1982年、ハーリド国王が崩御して異母弟のファハド︵﹁スデイリー・セブン﹂の一人︶が第5代国王に即位する。 1990年、イラクが隣国クウェートを侵略して湾岸危機が起こると、国土防衛のために米軍の駐留を許可した。敬虔なイスラム教徒たちは聖地メッカのあるサウジアラビアに異教徒の軍隊が駐留することに反発し、後に同国人のウサーマ・ビン=ラーディンが反米テロを組織する原因ともなった。 2005年、ファハド国王が崩御し、彼の異母弟のアブドゥッラーが第6代国王に即位した。アブドゥッラー国王治世下では、スルターン、ナーイフ、サルマーンのスデイリー・セブンが3代続けて皇太子を務めた。 2015年1月、アブドゥッラー国王が崩御し、異母弟のサルマーンが第7代国王に即位、異母弟のムクリンが皇太子となった。同年4月、ムクリンは皇太子を解任され、ナーイフ元皇太子の息子のムハンマド・ビン・ナーイフが皇太子となり、第3世代王族への王位継承に初めて道筋をつけた。政治
絶対君主制・政教一致
行政・立法
税制
司法
サウジアラビアでは宗教が法律となり、コーランに基づくシャリーア︵イスラム法︶により統治が行われている。しかし、実際は部族的慣習がそのまま社会的慣習となっているケースが多く、これが数々の矛盾を孕んでいるため、他のイスラム圏では見られない独特の環境を生み出している。近年では、この複雑な法体系の近代化が進められ、大幅に制度改革が実施されている。 司法は原則としてワッハーブ派に基づいて執行されることになっているが、東部州のシーア派住民は、例外的に法務省の下位機関であるシーア派裁判所のシーア派裁判官︵カーディー︶による裁判権が認められている。このため一国に二種類の刑法と民法が存在するという複雑な事情があり、どちらの裁判所によって判決が出されるかによって、適用される法律が異なる場合もある。ただしシーア派に認められているのは24条にある、刑法と婚姻、遺産相続、ワクフのみであり、ワッハーブ派住民とシーア派住民の間で訴訟になった場合には、ワッハーブ派の法が優先される差別的な状況になっている。 かつては通常の警察組織とは別に、勧善懲悪委員会︵宗教警察︶が厳しい取り締まりを行っており、違反者は外国人であっても問答無用で逮捕されていた。しかし国内外でも不満の声が強くなったことに加え、改革路線を強めるムハンマド・ビン・サルマーン皇太子の意向により宗教警察の逮捕権は縮小された。 原則的に女性と男性は完全に区別されている。公共の場所でのアバヤ︵コート︶、ヒジャーブ︵スカーフ︶、ニカーブ︵ベール︶の着用は、一般にサウジアラビアの習慣について語る際にしばし用いられる特徴的なことであろう。女性による自動車の運転も世界で唯一禁止されてきたが︵イスラムでは禁じられていない︶、2017年9月26日にサルマーン国王が運転を許可する勅令を出し[17]、2018年6月24日解禁された[18][19][20][21][22]。結婚、就職、旅行など全ての行為について、女性は父またはその男兄弟︵即ち、伯父または叔父︶、夫などの﹁男性保護者﹂の許可が必要である。このシステムは20世紀初頭までのアジアでのいわゆる﹁三従﹂に似る。しかしながらこの制度を守っているものは実際には少なくムハンマド・ビン・サルマーン皇太子の改革で徐々に制限が解かれている。2019年8月には男性後見人制度は実質廃止された。 裁判はアラビア語のみで行われ、仮に被告がアラビア語を理解できなくても通訳なしで一方的に進められる。また、証人はイスラム教徒の男性がアラビア語で証言しなければ証拠能力を認めない。このため、アラビア語を理解できない外国人労働者には極めて不利な裁判になる。 酒やポルノ類の持込などに対しては、重刑が課せられる。イスラム思想に則り法整備をしており、麻薬、強姦、殺人、同性愛においては死刑となる。また窃盗においては手首切断や、飲酒においては鞭打ち刑などの身体刑を行っている(鞭打ち刑は2020年4月サウジアラビア最高裁により廃止)。裁判についても、被告人が外国人である場合、理解できないアラビア語で公判が進められたりするため、公平でない上、判決を容認しない場合は、弁護士などは資格を剥奪される。これらの法令は西欧各国のメディアにより非難されている。 2005年5月には、スリランカから出稼ぎに来ていたリザナ・ナシカというメイド︵事件当時17歳︶の与えたミルクが乳児の気管に詰まり、救命措置を取ったにもかかわらず死亡してしまった。これが公判では事故死ではなく殺人であると判定され、死刑が宣告された。スリランカ政府は寛大な処分を求めたにもかかわらず、2013年1月、斬首刑が執行された。司法改革の歴史
保守的なサウジアラビアの司法制度であるが、近年になってからはさまざまな司法制度改革が行われている。まず、建国以来、長年にわたって憲法がなかったが、1993年3月1日に公布された統治基本法が実質的な憲法となった。そして長らくシャリーアでは特許や著作権などの欧米では一般的な権利について認めていなかったが、1989年に特許と著作権に関する法律が施行され、1990年には特許を認定する特許局が設置された。サウジアラビア人の特許が初めて認められたのは1996年のことである。特許は15年間有効とされ、さらに5年間の延長が可能である。ただし、サウジアラビアで公式の暦はヒジュラ暦であり、1年がグレゴリオ暦にくらべて11日ほど短いため、期限切れがグレゴリオ暦のそれよりも若干早く来るという特徴がある。 2007年10月の勅令に始まり、さらに2009年2月14日の勅令で大規模な司法制度改革が行われた。今までの最高司法委員会に代わり最高裁判所、控訴裁判所、普通裁判所が設置され、日本や欧米のような三審制の裁判が行えるようになった。続く2009年2月14日の勅令では大規模な人事異動が実施され、初めての女性副大臣が誕生するなどリベラル派人材への大幅入れ替えが実施されている。人権
国際関係
日本との関係
イランとの関係
軍事
- 正規軍
- 準軍事組織
- サウジアラビア国家警備隊
- サウジアラビア王室警備隊
- サウジアラビア国境警備隊
- サウジアラビア総合情報庁
- 武装警察
- サウジライトニングフォース
地理
気候
行政区画
国内には13の州があるが、知事は、すべて王族が勅任されている。
主要都市
- リヤド(リヤード:首都、650万、標高612 m)
- ジッダ(ジェッダ:397万、標高12 m)
- メッカ(マッカ:191万、標高277 m)
- マディーナ(メディナ:127万、標高608 m)
- フフーフ(アル・フフーフ:113万、標高154 m)
- ターイフ(110万、標高1,879 m)
- ダンマーム(ダンマン:97万)
- ブライダ(65万)
- アル=フバル(62万)
- タブーク(60万、標高760 m)
- カティーフ(55万)
- ハミース・ムシャイト(54万、標高2,066 m)
- ハーイル(44万、標高992 m)
- アル=ジュバイル(41万) - ロイヤルコミッション(Royal Commission for Jubail and Yanbu)管轄の石油工業団地都市
- アブハー(39万、標高2,270 m)
- ナジュラーン(35万、標高1,293 m)
- ヤンブー(ヤンブウ:32万)
- バーハ(アル・バハ:10万、標高2,155 m)
- ジーザーン(ジャーザーン:10万、標高40 m)
交通
経済
水資源
サウジアラビアの水資源は、古くはオアシスなどの湧水と井戸からの取水に頼ってきた。聖地メッカではザムザムの泉と呼ばれる湧水を頼りに定住生活が営まれてきた。1932年に300メートル以上の深井戸の掘削に成功すると化石水の採取により水の供給量は大幅に増加し農業生産を支えている。汲み上げられる地下水は、アラビア半島が湿潤だった1万年以上前に降った雨水が地下の帯水層に閉じこめられた化石水であり、今後補給されることはほぼない。このため各地の井戸では水位の低下が深刻化し、現在のペースで水を使い続ければ、地下水資源は2040年までに枯渇すると予測されている。 サウジアラビアは世界最大の海水淡水化プラント稼働国である。その多くは省エネの逆浸透法 (RO:Reverse Osmosis) 海水淡水化プラントであり自力で建設し自国に逆浸透膜 (RO膜) 工場をつくるなど特にサウジ政府は力を入れている。その88%は農業用水で残りは工業用水と飲料水に使われている。20余りの主要都市に人口の80%が集中し、都市部ではオアシスや地下水の水源だけでは全く不足するため、海水淡水化プラントからの供給無しには生活できない。アシュベールにある世界最大のプラントは毎日100万トンを生産しており、国全体では年間で12億2千万立方メートルの水を海水淡水化によって得ている。プラントの多くは1970~1980年代に建設されており、2000年ごろから多くのプラントが老朽化を迎え始め、メンテナンスと建て替えのために多くの事業が日本を始めとする海外へ発注されている。 主要都市では下水を再処理して都市周辺の農業用水に回すための浄化施設がある。海水淡水化プラントから供給される水は1リットルあたり2リヤルのコストがかかり、さらに内陸部へ送水するのに1 - 2リヤルのコストがかかるため、大変に高価な水である。しかし、水道代は10トン1リヤルほどで、一般家庭の水道代が1か月4リヤルを超えることはあまりない。送水設備とコストの関係から主要都市部以外への送水はあまり活発ではなく、地方では古来からの井戸とオアシスの水源に頼っている。地方の内陸都市などではダムをつくり雨水をためてそれを使っており、リヤドの真ん中を通るワディ・ハニーファもダムなどによって川と化している。海水淡水化プラント自体は、サウジ国内で15から20箇所ほどあるとされる。 リヤドなど内陸部でも毎年冬場になると数日は雨が降る[61]。ただ、砂漠気候であるため、降雨はわずかな期間に集中、数日経てば再び乾燥するため水資源としての価値はない。近年になってからは降雨量は増加傾向にあり、雨が降ると都市の低地が水没するようになっている。もともと砂漠であるため都市部には排水路などの水害対策の設備が全くなく、毎年水害によって数十人の死者が出ている。膨大な地下水のくみ上げと淡水化プラントによって総雨量を超えるほどの水が使用されていることが原因ではないかと言われており、実際にここ20年あまりでサウジアラビアの気候が穏やかになってきている。国民
民族
言語
言語は公用語が古典アラビア語で、日常生活での共通口語は、サウジアラビアの現代口語アラビア語変種である。 ●アラビア語ヒジャーズ方言 (約600万人) - アラビア半島の紅海沿岸の地方 ●アラビア語ナジュド方言 (約800万人) - アラビア半島の中央部にある高原地帯 ●アラビア語湾岸方言 (約20万人) - ペルシャ湾岸 外国人労働者の母語として、いくつかの言語が話されている。- タガログ語 (約70万人)
- ロヒンギャ語 (約40万人)
- ウルドゥー語 (約38万人)
- アラビア語エジプト方言 (約30万人)
宗教
婚姻と姓
アラブ社会に近現代日本のような姓は存在しない。その代わりに ●本人のファーストネーム+父の名前+出身部族を示す語 ●本人のファーストネーム+父の名前+出身氏族を示す語 ●本人のファーストネーム+父の名前+先祖名由来の家名 ●本人のファーストネーム+父の名前+祖父の名前 ●本人のファーストネーム+父の名前+祖父の名前+出身部族を示す語 ●本人のファーストネーム+父の名前+祖父の名前+出身氏族を示す語 ●本人のファーストネーム+父の名前+祖父の名前+先祖名由来の家名 ●本人のファーストネーム+父の名前+祖父の名前+曽祖父の名前 といった形でその人物の出自が示され[63][64]、これらがフルネームとして扱われている。 このうち本人のファーストネーム以降の部分を非アラブ諸国における姓・苗字/名字・家名に相当する部分として用いるため、サウジ人を含むアラブ人のラストネームは本人の父もしくはそれ以前の祖先の名前や一族が所属する部族の名前︵多くは遠い父祖の名前由来︶になっていることが一般的である。 これらは出自表示であり姓とは異なるため、結婚時に夫のラストネーム・家名に変更するといった改姓を行う習慣は存在せず、いわゆる夫婦別姓とは異なる概念となっている。いくつかのアラブ諸国では西洋風に結婚後夫のラストネームを名乗ることも行われているが、サウジアラビアでは一般的ではない。教育
スポーツ
サッカー
その他の競技
バスケットボールは、サッカーに次いでサウジアラビアで人気のスポーツである。バスケットボール・サウジ・プレミアリーグには、FIBA男子アジアカップ(旧:FIBAアジア選手権)に出場する選手も所属しており、マクムード・アブドゥル=ラウーフのようにNBAでプレーした選手も所属するようになっている。他方で、2021年よりF1世界選手権のサウジアラビアGP(ジッダ市街地コース)なども開催されている。
文化
大衆文化
ネット文化
インターネットの規制が厳しく、国内から海外のサイトへの接続は厳しく制限されている。国内ではアラビア語の出会い系サイトやSNSなどが運営されている。家族以外の男女は会話をすることすら禁止されているが、親族男性の代理人がメールや書き込みを行っているという設定で女性が直接書き込んでいたりして、脱法行為的にネット上での男女交際が行われることも多い。出版
厳重な報道管制と言論統制が敷かれており、当局が許可した書籍でなければ販売することが出来ない。特に王族に関する批判的な書籍は検閲で発売を禁じられ、世界の長者番付が掲載されアブドゥッラー現国王の資産が公開されたビジネス誌﹃フォーブス﹄は国内発禁となるなど不敬規定がある。内政に関する外国マスメディアの取材も大幅に制限され、日本ではNHK﹃クローズアップ現代﹄が2006年12月にようやく許された程度である[74]。 しかし、2007年にはサウジアラビアの女性を主人公にした小説﹁リヤドの女たち﹂の発禁処分が解かれ、ベストセラーになるなど少しずつ自由化してきている。厳しい検閲が実施されているが、出版の抜け道としてメールマガジンがある。メールの送信は出版とはみなされていないため、紙に印刷されないメールマガジンによる発行は合法とされている。リヤドの女たちも元はメールマガジンで発行されていた小説だった。 出版物に関する著作権は著作権審議委員会によって管理されており、カーディ裁判は著作権問題による訴えを扱わないため、著作権侵害があった場合は民事訴訟などではなく委員会に申し立てることになっている。ただし、申し立てが出来るのは検閲による許可を受けている出版物のみで、日本や欧米のように無条件に著作物に著作権があるわけではない。食文化
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映画
祝祭日
この節の加筆が望まれています。 |
著名な出身者
脚注
注釈
出典
関連項目
外部リンク
- 政府
- サウジアラビア王国政府[リンク切れ] (英語)
- 在日サウジアラビア大使館 (英語)
- 日本政府
- サウジアラビア王国(外務省)
- 在サウジアラビア日本大使館
- 観光
- その他
- サウジアラビア(日本貿易振興機構)(日本語)
- 「ISのような国」:サウジアラビアの実態(GNV)(日本語)
- サウジアラビア(財団法人中東協力センター)(日本語)
- アラブ・イスラーム学院
- "Saudi Arabia". The World Factbook (英語). Central Intelligence Agency. (英語)
- サウジアラビア - Curlie(英語) (英語)
- サウジアラビア - NHK for School
- 『サウジアラビア』 - コトバンク
- サウジアラビアのウィキメディア地図 (英語)
- 地図 - Google マップ