「京急2000形電車」の版間の差分
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| 画像説明 = 2扉時代の2000形電車<br />(2000年8月20日 久里浜工場) |
| 画像説明 = 2扉時代の2000形電車<br />(2000年8月20日 久里浜工場) |
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| 運用者 = [[京浜急行電鉄]] |
| 運用者 = [[京浜急行電鉄]] |
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| 製造所 = [[東急車輛製造]]<br />[[川崎 |
| 製造所 = [[東急車輛製造]]<br />[[川崎車両|川崎重工業]]兵庫工場 |
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| 製造年 = 1982年 - 1987年 |
| 製造年 = 1982年 - 1987年 |
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| 製造数 = 12編成72両 |
| 製造数 = 12編成72両(8両・4両×6編成) |
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| 運用開始 = 1982年12月27日 |
| 運用開始 = 1982年12月27日 |
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| 運用終了 = 2018年3月28日 |
| 運用終了 = 2018年3月28日 |
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| 編成 = |
| 編成 = 8両編成・4両編成 |
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| 軌間 = 1,435 mm ([[標準軌]]) |
| 軌間 = 1,435 mm ([[標準軌]]) |
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| 電気方式 = [[直流電化|直流]]1,500 [[ボルト (単位)|V]]<br />([[架空電車線方式]]) |
| 電気方式 = [[直流電化|直流]]1,500 [[ボルト (単位)|V]]<br />([[架空電車線方式]]) |
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| 全幅 = 2,799 mm |
| 全幅 = 2,799 mm |
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| 全高 = 4,030 mm<br />パンタグラフ搭載車 4,050 mm |
| 全高 = 4,030 mm<br />パンタグラフ搭載車 4,050 mm |
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| 車体長 = |
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| 車体幅 = |
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| 車体高 = 3,580 mm |
| 車体高 = 3,580 mm |
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| 床面高さ = 1,150 mm |
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| 車体材質 = [[炭素鋼|普通鋼]] |
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| 車体 = [[炭素鋼|普通鋼]](一部[[耐候性鋼|高耐候性鋼板]]、[[ステンレス鋼]]) |
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| 台車 = |
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| 台車 = 円筒案内支持式[[ボルスタアンカー|ボルスタ]]付[[空気ばね]]台車 |
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| 主電動機 = 補償巻線付[[複巻整流子電動機|直流複巻電動機]] |
| 主電動機 = 補償巻線付[[複巻整流子電動機|直流複巻電動機]] |
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| 主電動機出力 = 120 [[ワット|kW]] × 4 |
| 主電動機出力 = 120 [[ワット|kW]] × 4 |
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| 歯車比 = 80:19 (4.21) |
| 歯車比 = 80:19 (4.21) |
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| 制御方式 = [[界磁チョッパ制御]] |
| 制御方式 = [[界磁チョッパ制御]] |
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| 制御装置 = |
| 制御装置 = 東洋電機製造ACRF-H12120-782A形 |
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| 制動装置 = [[回生ブレーキ|回生制動]]併用[[電気指令式ブレーキ|電気指令式 |
| 制動装置 = [[回生ブレーキ|回生制動]]併用[[電気指令式ブレーキ|電気指令式空気制動]]([[応荷重装置]]付) |
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| 保安装置 = [[自動列車停止装置#1号型 |
| 保安装置 = [[自動列車停止装置#1号型ATS|1号型ATS]]、[[自動列車停止装置#C-ATS|C-ATS]] |
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| 備考 = 最高運転速度、保安装置、編成以外は新製時のデータ |
| 備考 = 最高運転速度、保安装置、編成以外は新製時のデータ |
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| 備考全幅 = {{ブルーリボン賞 (鉄道)|26|1983}} |
| 備考全幅 = {{ブルーリボン賞 (鉄道)|26|1983}} |
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=== 車体 === |
=== 車体 === |
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[[ファイル:Keikyu 2028 kaitoku.jpg|thumb|240px|2扉時代の2021編成|代替文=]] |
[[ファイル:Keikyu 2028 kaitoku.jpg|thumb|240px|2扉時代の2021編成|代替文=]] |
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[[前照灯]]は中央上部に1灯、側面客用扉は片引き戸方式といった、従来からの伝統的京急デザインを打ち破り<ref name=":4">﹁京急電車の運転と車両探検﹂︵JTBパブリッシング発行︶p134</ref><ref name=":5">{{Cite web|title=引退2年、京急2000形にみる﹁看板列車の品格﹂ {{!}} 通勤電車 {{!}} 東洋経済オンライン {{!}} 経済ニュースの新基準|url=https://web.archive.org/web/20200517152758/https://toyokeizai.net/articles/-/349463|website=web.archive.org|date=2020-05-17|accessdate=2020-05-17}}</ref>、前面窓下に降りて[[尾灯]]と一体化したケーシングに収められ、2灯を装備した前照灯や京急としては初の採用となる両開き式の客用扉など<ref name=":4" /><ref name=":5" />、画期的なデザインを採用した。車両前面は非貫通式で左右非対称の大型の窓ガラスを採用し、腰部で﹁く﹂の字型に折れたスピード感あふれる先頭部デザインとともに<ref name=":5" />、京急の[[フラグシップ機|フラッグシップ]]トレインとして意匠が凝らされた<ref name=":0" />。この先頭部デザインは、800形開発時にデザイン案が出されながら採用されなかったものをリファインしたものである<ref>﹃鉄道ファン﹄1992年12月号 p.107</ref>。
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[[前照灯]]は中央上部に1灯、側面客用扉は片引き戸方式といった、従来からの伝統的京急デザインを打ち破り<ref name=":4">﹁京急電車の運転と車両探検﹂︵JTBパブリッシング発行︶p134</ref><ref name=":5">{{Cite web|和書|title=引退2年、京急2000形にみる﹁看板列車の品格﹂ {{!}} 通勤電車 {{!}} 東洋経済オンライン {{!}} 経済ニュースの新基準|url=https://web.archive.org/web/20200517152758/https://toyokeizai.net/articles/-/349463|website=web.archive.org|date=2020-05-17|accessdate=2020-05-17}}</ref>、前面窓下に降りて[[尾灯]]と一体化したケーシングに収められ、2灯を装備した前照灯や京急としては初の採用となる両開き式の客用扉など<ref name=":4" /><ref name=":5" />、画期的なデザインを採用した。車両前面は非貫通式で左右非対称の大型の窓ガラスを採用し、腰部で﹁く﹂の字型に折れたスピード感あふれる先頭部デザインとともに<ref name=":5" />、京急の[[フラグシップ機|フラッグシップ]]トレインとして意匠が凝らされた<ref name=":0" />。この先頭部デザインは、800形開発時にデザイン案が出されながら採用されなかったものをリファインしたものである<ref>﹃鉄道ファン﹄1992年12月号 p.107</ref>。
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外板塗装は、赤い車体に窓回りを白とした当時の800形の塗装を踏襲したが、本形式の登場後はこの塗装が﹁[[ダイヤグラム#ダイヤの作成|優等列車]]用﹂︵当時︶とされたため、800形は赤地で窓下に白帯の他の一般通勤車と同一のものに変更された。
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外板塗装は、赤い車体に窓回りを白とした当時の800形の塗装を踏襲したが、本形式の登場後はこの塗装が﹁[[ダイヤグラム#ダイヤの作成|優等列車]]用﹂︵当時︶とされたため、800形は赤地で窓下に白帯の他の一般通勤車と同一のものに変更された。
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車体は基本的に[[炭素鋼|普通鋼]]製であるが、腐食対策として外板や主要な柱には[[耐候性鋼|高耐候性鋼板]]を使用、屋根の雨樋周辺や客用ドア付近の柱・戸袋、床波板などには[[ステンレス鋼|ステンレス]]を使用している<ref name="JARi162">日本鉄道車輌工業会﹃車両技術﹄162号︵1983年6月︶﹁京浜急行電鉄2000形電車﹂pp.29 - 39。</ref>。外板裾部と[[台枠]]の接合には、重ね合わせ構造をやめて突き合わせ溶接構造とした<ref name="JARi162"/>。
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⚫ | [[連結器]]は京急で初めて[[連結器#電気連結器|電気連結器]]付き廻り子式密着連結器を採用した<ref name=":1" />。 |
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=== 内装 === |
=== 内装 === |
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集団見合い形の座席配置は、背ずりが深く取れることや足下を広く取れること、プライバシーを保てること、グループ客に喜ばれることなどから採用された<ref group="注">日本での集団見合い式座席配置の採用例はこの他、[[東日本旅客鉄道]](JR東日本)の「[[成田エクスプレス]]」用[[JR東日本253系電車|253系]](更新改造後の1 - 4次車)、[[JR東日本719系電車|719系]]、[[北海道旅客鉄道]](JR北海道)[[国鉄キハ54形気動車#北海道仕様車(500番台)|キハ54形500番台]]の一部車両に見られる程度である。また、本形式とほぼ同時期に製造されていた[[新幹線]][[新幹線0系電車|0系(2000番台および改造車)]]・[[新幹線200系電車|200系]][[普通車 (鉄道車両)|普通車]]では3人席に集団離反形の座席配置を採用していた。</ref>。また、京急では車体長が短く制限されていることから、車内が狭い印象を与えないためとも言われている。この配置については、1970年代後半に[[フランス国鉄]](SNCF)の[[トランシリアン|パリ近郊区間]]で導入されたZ6400形電車を参考にしたとされている<ref>『鉄道ファン』1992年12月号 p.108</ref>。 |
集団見合い形の座席配置は、背ずりが深く取れることや足下を広く取れること、プライバシーを保てること、グループ客に喜ばれることなどから採用された<ref group="注">日本での集団見合い式座席配置の採用例はこの他、[[東日本旅客鉄道]](JR東日本)の「[[成田エクスプレス]]」用[[JR東日本253系電車|253系]](更新改造後の1 - 4次車)、[[JR東日本719系電車|719系]]、[[北海道旅客鉄道]](JR北海道)[[国鉄キハ54形気動車#北海道仕様車(500番台)|キハ54形500番台]]の一部車両に見られる程度である。また、本形式とほぼ同時期に製造されていた[[新幹線]][[新幹線0系電車|0系(2000番台および改造車)]]・[[新幹線200系電車|200系]][[普通車 (鉄道車両)|普通車]]では3人席に集団離反形の座席配置を採用していた。</ref>。また、京急では車体長が短く制限されていることから、車内が狭い印象を与えないためとも言われている。この配置については、1970年代後半に[[フランス国鉄]](SNCF)の[[トランシリアン|パリ近郊区間]]で導入されたZ6400形電車を参考にしたとされている<ref>『鉄道ファン』1992年12月号 p.108</ref>。 |
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客室側窓は横引き[[カーテン]]併設の固定窓であるが<ref name=":6">「京急電車の運転と車両探検」(JTBパブリッシング発行)p129</ref><ref>{{Cite web|title=引退2年、京急2000形にみる「看板列車の品格」 {{!}} 通勤電車 {{!}} 東洋経済オンライン {{!}} 経済ニュースの新基準|url=https://web.archive.org/web/20200517154628/https://toyokeizai.net/articles/-/349463?page=2|website=web.archive.org|date=2020-05-17|accessdate=2020-05-17}}</ref>、車体中央および車端のボックスシート部は2連式の下降窓で、またロングシート部は狭幅の下降窓となった。下降窓部カーテンには横引き式とともに巻上式が併設された。製造当初、窓が開けられることが多い季節には横引きカーテンが車外に吸い出されることを防止するため、下降窓部の横引きカーテンを撤去していた。また、当初より車端妻面部に窓は設置されておらず、各車とも連結面にはドアチェック機能付きの[[貫通扉]]を装備している。 |
客室側窓は横引き[[カーテン]]併設の固定窓であるが<ref name=":6">「京急電車の運転と車両探検」(JTBパブリッシング発行)p129</ref><ref>{{Cite web|和書|title=引退2年、京急2000形にみる「看板列車の品格」 {{!}} 通勤電車 {{!}} 東洋経済オンライン {{!}} 経済ニュースの新基準|url=https://web.archive.org/web/20200517154628/https://toyokeizai.net/articles/-/349463?page=2|website=web.archive.org|date=2020-05-17|accessdate=2020-05-17}}</ref>、車体中央および車端のボックスシート部は2連式の下降窓で、またロングシート部は狭幅の下降窓となった。下降窓部カーテンには横引き式とともに巻上式が併設された。製造当初、窓が開けられることが多い季節には横引きカーテンが車外に吸い出されることを防止するため、下降窓部の横引きカーテンを撤去していた。また、当初より車端妻面部に窓は設置されておらず、各車とも連結面にはドアチェック機能付きの[[貫通扉]]を装備している。 |
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車内のカラースキームは暖色系が採用されており、座席は窓側がライラック︵ピンク系︶、通路側がエンジ色と分けられ、壁面は模様入りのベージュ系で客用扉の車内側にも同じ模様の化粧板が貼られており、妻面が木目模様でまとめられていた。また、床面には[[コルク]]を模した模様が施されたほか、ロングシート部を除いて[[網棚]]に[[繊維強化プラスチック|FRP]]製の前縁︵ベージュ色︶が装着されている。車内灯には蛍光灯カバーが設けられている<ref name=":6" />。
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車内のカラースキームは暖色系が採用されており、座席は窓側がライラック︵ピンク系︶、通路側がエンジ色と分けられ、壁面は模様入りのベージュ系で客用扉の車内側にも同じ模様の化粧板が貼られており、妻面が木目模様でまとめられていた。また、床面には[[コルク]]を模した模様が施されたほか、ロングシート部を除いて[[網棚]]に[[繊維強化プラスチック|FRP]]製の前縁︵ベージュ色︶が装着されている。車内灯には蛍光灯カバーが設けられている<ref name=":6" />。
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=== 主要機器 === |
=== 主要機器 === |
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[[東洋電機製造]]製[[界磁チョッパ制御]]装置︵ACRF-H12120-782A形︶を採用した。[[電気車の速度制御#抵抗制御|抵抗制御]]段数は直列15段、並列8段。800形と同様に3両分12個の[[複巻整流子電動機|主電動機]]を1台の主制御器により制御する。
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[[東洋電機製造]]製[[界磁チョッパ制御]]装置︵ACRF-H12120-782A形︶を採用した<ref name="TOYODENKI55"/>。[[電気車の速度制御#抵抗制御|抵抗制御]]段数は直列15段、並列8段。800形と同様に3両分12個の[[複巻整流子電動機|主電動機]]を1台の主制御器により制御する︵1C12M制御︶<ref name="TOYODENKI55"/>。界磁チョッパ装置と運転台の[[マスター・コントローラー|主幹制御器]]︵ワンハンドルマスコン︶は800形と共通、それ以外は新規設計品とした<ref name="TOYODENKI55"/>。
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主電動機はKHM-2000(東洋製TDK-8575、[[三菱電機]]〈以下、三菱〉製MB-3281-ACの総称、出力120 k[[ワット|W]]、端子電圧250 [[ボルト (単位)|V]]、電流540 [[アンペア|A]]、分巻界磁電流24 A、定格回転数1,270 [[rpm (単位)|rpm]]、定格速度46.6 km/h)を採用した。 |
主電動機はKHM-2000︵東洋製TDK-8575、[[三菱電機]]︿以下、三菱﹀製MB-3281-ACの総称、出力120 k[[ワット|W]]、端子電圧250 [[ボルト (単位)|V]]、電流540 [[アンペア|A]]、分巻界磁電流24 A、定格回転数1,270 [[rpm (単位)|rpm]]、定格速度46.6 km/h︶を採用した。ただし、取り付け寸法や特性は800形に合わせたもので、互換性が確保されている<ref name="TOYODENKI55">東洋電機製造﹃東洋電機技報﹄第55号︵1983年5月︶﹁京浜急行電鉄株式会社納 デハ2000形特急電車用電機品﹂pp.19 - 26。</ref>︵800形に取り付けることも可能<ref name="TOYODENKI55"/>︶。[[歯車比]]は800形の85:14≒6.07から本形式では80:19≒4.21とし、高速性能向けとした<ref name="TOYODENKI55"/>。
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台車は空気ばね車体直結乾式ゴム入り円筒案内支持の<ref name=":4" />TH-2000を採用した。 |
台車は空気ばね車体直結乾式ゴム入り円筒案内支持の<ref name=":4" />TH-2000を採用した<ref name="JARi162"/>。基礎ブレーキは電動台車が片押し式[[踏面ブレーキ]]、付随台車が1軸2枚の[[ディスクブレーキ]]構造である<ref name="JARi162"/>。[[ホイールベース|固定軸距]]は2,100 mm、重量は電動台車が7,000 kg︵排障器付︶、付随台車が5,850 kg<ref name="JARi162"/>。
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集電装置は東洋製 |
集電装置は東洋製PT43-E5-M形・菱形[[集電装置|パンタグラフ]]を採用<ref name="TOYODENKI55"/>。 |
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補助電源装置はM3・M1・T車に三菱NC-DAT-140B [[静止形インバータ|SIV]] (140 k[[ボルトアンペア|VA]])を搭載している。 |
補助電源装置はM3・M1・T車に三菱電機製のNC-DAT-140B [[ゲートターンオフサイリスタ|GTOサイリスタ]][[半導体素子|素子]]による[[静止形インバータ|SIV]] (140 k[[ボルトアンペア|VA]])を搭載している<ref name="JARi162"/>。空気圧縮機はサハ2000形にレシプロ式のC-2000MまたはC-2000Lを搭載した。4両のみ改造でロータリー式のAR-2︵[[京急700形電車|700形]]の廃車発生品︶を取り付けている <ref name="RF161012">[https://railf.jp/news/2016/10/12/180000.html 京急2000形の4両編成が営業運転を終了] - 交友社﹁鉄道ファン﹂railf.jp 鉄道ニュース 2016年10月12日</ref>。
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空気圧縮機はサハ2000形にレシプロ式のC-2000MまたはC-2000Lを搭載した。4両のみ改造でロータリー式のAR-2([[京急1000形電車 (初代)|1000形]]の廃車発生品)を取り付けている <ref name="RF161012">[https://railf.jp/news/2016/10/12/180000.html 京急2000形の4両編成が営業運転を終了] - 交友社「鉄道ファン」railf.jp 鉄道ニュース 2016年10月12日</ref>。 |
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空調装置は[[集中式冷房装置|屋上集中式]]で、三菱CU-71DまたはCU- |
空調装置は[[集中式冷房装置|屋上集中式]]で、三菱CU-71DまたはCU-71DN(容量41.86 KW・36,000kcal/h)を搭載している<ref name="JARi162"/>。 |
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== 製造時のバリエーション == |
== 製造時のバリエーション == |
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[[1988年]]から[[1991年]]まで、京急創立90周年を記念して8両編成2本(2011編成・2041編成)に特別塗装が施された。2011編成は「さわやかギャラリー号」の特別塗装車として、2041編成は「ファンタジックトレインみらい号」として運行した<ref name=":6" />。デザインは[[久里洋二]]によるものである<ref name=":6" />。[[1989年]][[1月7日]]の[[昭和天皇]][[崩御]]の際は先頭車前面に喪章を貼付して運転された。2011編成は[[1990年]]の[[相模湾アーバンリゾート・フェスティバル1990]]開催中には「SURF'90号」として運行された。 |
[[1988年]]から[[1991年]]まで、京急創立90周年を記念して8両編成2本(2011編成・2041編成)に特別塗装が施された。2011編成は「さわやかギャラリー号」の特別塗装車として、2041編成は「ファンタジックトレインみらい号」として運行した<ref name=":6" />。デザインは[[久里洋二]]によるものである<ref name=":6" />。[[1989年]][[1月7日]]の[[昭和天皇]][[崩御]]の際は先頭車前面に喪章を貼付して運転された。2011編成は[[1990年]]の[[相模湾アーバンリゾート・フェスティバル1990]]開催中には「SURF'90号」として運行された。 |
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[[2011年]]1月には、2011編成がニューイヤーラッピングを施して運行された。これは2011年と2011編成にちなんでいる<ref>{{ |
[[2011年]]1月には、2011編成がニューイヤーラッピングを施して運行された。これは2011年と2011編成にちなんでいる<ref>{{Cite web|和書|url=http://railf.jp/news/2011/01/02/141700.html|title=京急"初日号"運転|publisher=鉄道ファン・railf.jp|accessdate=2011-01-27|date=2011-01-02}}</ref>。
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[[2013年]]には2011編成が登場時の塗装に戻された<ref name="Keikyu201301">{{PDFlink|[https://web.archive.org/web/20130406111721/http://www.keikyu.co.jp/company/20130117HP%E3%80%802000%E5%BD%A2%E3%82%92%E7%99%BB%E5%A0%B4%E6%99%82%E3%81%AE%E5%A1%97%E8%A3%85%E3%81%AB%E5%BE%A9%E6%B4%BB.pdf ﹁京急2000形登場30周年リバイバル塗装﹂運転!!]}}︵京浜急行電鉄報道発表資料・インターネットアーカイブ・2003年時点の版︶。</ref><ref name=":7">﹁京急電車の運転と車両探検﹂︵JTBパブリッシング発行︶p138</ref>。同年[[1月17日]]に2000形登場30周年を記念し2000形リバイバル塗装電車を1月下旬から運転を発表︵行先種別表示や標記類、車内設備等の車体の塗装以外の変更はない<ref name="Keikyu201301"/>︶。同時に記念乗車券も発売された<ref>{{ |
[[2013年]]には2011編成が登場時の塗装に戻された<ref name="Keikyu201301">{{PDFlink|[https://web.archive.org/web/20130406111721/http://www.keikyu.co.jp/company/20130117HP%E3%80%802000%E5%BD%A2%E3%82%92%E7%99%BB%E5%A0%B4%E6%99%82%E3%81%AE%E5%A1%97%E8%A3%85%E3%81%AB%E5%BE%A9%E6%B4%BB.pdf ﹁京急2000形登場30周年リバイバル塗装﹂運転!!]}}︵京浜急行電鉄報道発表資料・インターネットアーカイブ・2003年時点の版︶。</ref><ref name=":7">﹁京急電車の運転と車両探検﹂︵JTBパブリッシング発行︶p138</ref>。同年[[1月17日]]に2000形登場30周年を記念し2000形リバイバル塗装電車を1月下旬から運転を発表︵行先種別表示や標記類、車内設備等の車体の塗装以外の変更はない<ref name="Keikyu201301"/>︶。同時に記念乗車券も発売された<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.keikyu.co.jp/company/20130206HP%202000%E5%BD%A2%E3%83%AA%E3%83%90%E3%82%A4%E3%83%90%E3%83%AB%E5%A1%97%E8%A3%85%E8%A8%98%E5%BF%B5%E3%81%8D%E3%81%A3%E3%81%B7%E2%91%A1.pdf|title=京急2000形 誕生30周年 ﹁リバイバル塗装 記念乗車券﹂発売!|publisher=京急電鉄|date=2013-02-06|accessdate=2014-12-19|archiveurl=https://web.archive.org/web/20130518104358if_/http://www.keikyu.co.jp/company/20130206HP%202000形リバイバル塗装記念きっぷ②.pdf|archivedate=2013-05-18}}</ref>。
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[[2018年]]1月には、2011編成に賀正ステッカーが掲出された。これは2018年と2011編成の品川寄りの先頭車2018号にちなむ<ref>{{Cite journal |和書 |journal=鉄道ダイヤ情報 |publisher=交通新聞社|date=2018-2-15 |page=44}}</ref>。
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[[2018年]]1月には、2011編成に賀正ステッカーが掲出された。これは2018年と2011編成の品川寄りの先頭車2018号にちなむ<ref>{{Cite journal |和書 |journal=鉄道ダイヤ情報 |publisher=交通新聞社|date=2018-2-15 |page=44}}</ref>。
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== 参考文献 == |
== 参考文献 == |
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=== 書籍 === |
=== 書籍 === |
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* {{ |
* {{Cite book|和書|author=吉村光夫|authorlink=吉村光夫|coauthors =|year = 1982|title = 日本の私鉄14 京浜急行|publisher = [[保育社]]|ref = 吉村1982|id =|isbn =}} |
||
* {{Cite book|和書|author =吉本尚|authorlink = |coauthors =|year = 1999|title = 京急ダイヤ100年史|publisher = [[電気車研究会]]|ref = 吉本1999|id =|isbn = 4885480930}} |
* {{Cite book|和書|author =吉本尚|authorlink = |coauthors =|year = 1999|title = 京急ダイヤ100年史|publisher = [[電気車研究会]]|ref = 吉本1999|id =|isbn = 4885480930}} |
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* {{Cite book|和書|author =佐藤良介|authorlink = |coauthors =|year = 2004|title = 京急の車両 現役全形式・徹底ガイド(JTBキャンブックス)|publisher = JTBパブリッシング|id =|isbn =9784533055461}} |
* {{Cite book|和書|author =佐藤良介|authorlink = |coauthors =|year = 2004|title = 京急の車両 現役全形式・徹底ガイド(JTBキャンブックス)|publisher = JTBパブリッシング|id =|isbn =9784533055461}} |
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京急2000形電車 | |
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![]() 2扉時代の2000形電車 (2000年8月20日 久里浜工場) | |
基本情報 | |
運用者 | 京浜急行電鉄 |
製造所 |
東急車輛製造 川崎重工業兵庫工場 |
製造年 | 1982年 - 1987年 |
製造数 | 12編成72両(8両・4両×6編成) |
運用開始 | 1982年12月27日 |
運用終了 | 2018年3月28日 |
主要諸元 | |
編成 | 8両編成・4両編成 |
軌間 | 1,435 mm (標準軌) |
電気方式 |
直流1,500 V (架空電車線方式) |
最高運転速度 | 120 km/h |
設計最高速度 | 130 km/h |
起動加速度 | 3.0 km/h/s |
減速度(常用) | 3.5 km/h/s |
減速度(非常) | 4.0 km/h/s |
車両定員 |
140人 座席定員 56(先頭車52)人 |
自重 |
電動車35 t 8両編成の付随車29 t 4両編成の付随車31 t |
全長 | 18,000 mm(先頭車 18,500 mm) |
全幅 | 2,799 mm |
全高 |
4,030 mm パンタグラフ搭載車 4,050 mm |
車体高 | 3,580 mm |
床面高さ | 1,150 mm |
車体 | 普通鋼(一部高耐候性鋼板、ステンレス鋼) |
台車 | 円筒案内支持式ボルスタ付空気ばね台車 |
主電動機 | 補償巻線付直流複巻電動機 |
主電動機出力 | 120 kW × 4 |
駆動方式 | たわみ板式継手 |
歯車比 | 80:19 (4.21) |
制御方式 | 界磁チョッパ制御 |
制御装置 | 東洋電機製造ACRF-H12120-782A形 |
制動装置 | 回生制動併用電気指令式空気制動(応荷重装置付) |
保安装置 | 1号型ATS、C-ATS |
備考 | 最高運転速度、保安装置、編成以外は新製時のデータ |
概要[編集]
車両概説[編集]
本項では、製造時の仕様について述べる。 8両編成は3両1群の電動車ユニット2つの間に付随車を2両挟んでいる。京急の信号システムは先頭台車が電動台車であることを前提に設計されているため、4両編成の場合には電動車ユニット3両の中間に制御回路を引き通した付随車を1両挟み両先頭車を電動車としている。車種構成は、8両編成が浦賀方からM1c-M2-M3-Tu-Ts-M1-M2-M3c[5]、4両編成が同じくM1c-M2-T-M3cである[5]。車体[編集]
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/e/e6/Keikyu_2028_kaitoku.jpg/240px-Keikyu_2028_kaitoku.jpg)
内装[編集]
主要機器[編集]
東洋電機製造製界磁チョッパ制御装置︵ACRF-H12120-782A形︶を採用した[14]。抵抗制御段数は直列15段、並列8段。800形と同様に3両分12個の主電動機を1台の主制御器により制御する︵1C12M制御︶[14]。界磁チョッパ装置と運転台の主幹制御器︵ワンハンドルマスコン︶は800形と共通、それ以外は新規設計品とした[14]。 主電動機はKHM-2000︵東洋製TDK-8575、三菱電機︿以下、三菱﹀製MB-3281-ACの総称、出力120 kW、端子電圧250 V、電流540 A、分巻界磁電流24 A、定格回転数1,270 rpm、定格速度46.6 km/h︶を採用した。ただし、取り付け寸法や特性は800形に合わせたもので、互換性が確保されている[14]︵800形に取り付けることも可能[14]︶。歯車比は800形の85:14≒6.07から本形式では80:19≒4.21とし、高速性能向けとした[14]。 台車は空気ばね車体直結乾式ゴム入り円筒案内支持の[6]TH-2000を採用した[9]。基礎ブレーキは電動台車が片押し式踏面ブレーキ、付随台車が1軸2枚のディスクブレーキ構造である[9]。固定軸距は2,100 mm、重量は電動台車が7,000 kg︵排障器付︶、付随台車が5,850 kg[9]。 集電装置は東洋製PT43-E5-M形・菱形パンタグラフを採用[14]。 補助電源装置はM3・M1・T車に三菱電機製のNC-DAT-140B GTOサイリスタ素子によるSIV (140 kVA)を搭載している[9]。空気圧縮機はサハ2000形にレシプロ式のC-2000MまたはC-2000Lを搭載した。4両のみ改造でロータリー式のAR-2︵700形の廃車発生品︶を取り付けている [15]。 空調装置は屋上集中式で、三菱CU-71DまたはCU-71DN︵容量41.86 KW・36,000kcal/h︶を搭載している[9]。製造時のバリエーション[編集]
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/a/a5/Keikyu_2011_at_Shin-Banba_stn_19950702.jpg/240px-Keikyu_2011_at_Shin-Banba_stn_19950702.jpg)
1982年︵昭和57年︶12月製造車[編集]
●8両編成︵1本︶‥2011 - 2018 東急車輛製造︵以下﹁東急車輛﹂︶製・川崎重工業︵以下﹁川崎重工﹂︶製 1982年12月に落成した、先行量産的要素を持つ車両。2000形で唯一2社で分けて製造した編成で、浦賀方4両 (2011 - 2014) が東急車輛製、品川方4両 (2015 - 2018) が川崎重工製。これ以降の製造車とは細部が異なる。1984年5月製造車が営業開始したころまでは、補助椅子が使用されておらず、また屋根肩部広告は掲出されず、中吊り広告も京急の広告に限定されていた。1984年︵昭和59年︶5月製造車[編集]
●8両編成︵2本︶‥2021 - 2028 東急車輛製、2031 - 2038 川崎重工製 2011編成の使用実績をもとに細部に設計変更が施された。今回増備の代替として600形の廃車が始まり、16両が廃車された。 ●前照灯・尾灯ケースのカバー形状を変更。 ●運転台のデジタル時計を廃止。 ●ワイパーの向きを変更。 ●車掌側仕切り窓の上部を開閉可能に変更。 ●下降窓部のロールアップカーテン色を灰色からベージュに変更。 ●下降窓部窓枠の形状を変更。 ●車端部吊革を設置。 ●下降窓が車体外側からも開閉できるよう取っ手を設置。 ●シート下の足元の蹴込み板に凹みを設置。 ●肘掛支柱の形状・色を変更。 ●車内スピーカを肩部から天井に移動。 ●鴨居部の内装板処理を変更、角をR処理し折れ部が目立たなくなった。 ●Ts車床下機器配置を変更。 ●コンプレッサを低騒音型に変更。 ●増粘着装置をエアシリンダで車輪に清掃子を押し付ける方式からバネで押し付ける方式に変更。1985年︵昭和60年︶2月・3月製造車[編集]
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/a/a5/Keikyu_2400_Misakiguchi.jpg/240px-Keikyu_2400_Misakiguchi.jpg)
1986年︵昭和61年︶2月・3月製造車[編集]
●8両編成︵2本︶‥2051 - 2058 川崎重工製、2061 - 2068 東急車輛製 ●4両編成︵2本︶‥2431 - 2434 東急車輛製、2441 - 2444 川崎重工製 前回製造車から設計変更はない。この年の3月末をもって600形16両が廃車され全廃となった。今回の増備で日中の快特所定8運用全てを2000形で賄えるようになり京急もその旨を宣伝したが、実際は予備車に余裕がなく定期検査入場時などは昼間でも1000形の快特運用が見られることがあった。1987年︵昭和62年︶6月製造車[編集]
●4両編成︵2本︶‥2451 - 2454 川崎重工製、2461 - 2464 東急車輛製 最終増備車。前回、前々回製造車から設計変更はない。前回製造分で増備は完了の予定だったが、夕方・夜間時間帯の下り快特の12連化に伴い追加製造された[16]。改造工事[編集]
2011編成の改造[編集]
他編成と異なる仕様が多かった2011編成だが、1983年︵昭和58年︶に初めて重要部検査入場した際に運転台デジタル時計撤去、車端部吊革増設が行われた。その後、1989年ごろの定期検査入場時に座席が交換され、1984年以降製造車と同様にシート下の足元の蹴込み板に凹みを設置、肘掛支柱の形状・色が変更された。同編成では補助椅子カバー色が2021編成登場までに何回か変更され、補助椅子自動復帰機構の調整も繰り返し行われていた。120 km/h対応改造[編集]
1995年︵平成7年︶4月のダイヤ改正直前の同年2月21日より120 km/h運転を一部列車・区間で実施することに伴い[17]、120 km/hからの非常制動時の停止距離を600 m以内とするための改造工事が全車を対象に行われた[17]。元の空気溜圧力を増加させたため、通称﹁増圧ブレーキ﹂と呼ばれる。ドアチェック機能廃止[編集]
貫通仕切扉を確実に閉じることで車内の低騒音化を狙って設けられた貫通仕切扉ドアチェック機能だったが、開閉時に扉が重くなるため、1997年ごろに撤去された。3扉化改造[編集]
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/e/ef/Keikyu2400-kzb-kzh.jpg/240px-Keikyu2400-kzb-kzh.jpg)
電気連結器配列変更[編集]
本形式の電気連結器配列は1500形以降の形式と異なっていため他形式との連結ができなかったが[17]、2000年︵平成12年︶7月22日のダイヤ改正で分割併合列車が大幅に増えたため[17]、配列を変更し他形式と連結が可能になった[17]。これは3扉化工事とは別件で実施されたため、2扉車にも施工されていた。空気圧縮機増設[編集]
4両編成は当初単独運用を考慮しておらず、空気圧縮機が1台しか搭載されていなかったが[5]、2000年︵平成12年︶7月以降単独運転される機会が増え、空気圧縮機が故障した場合運行不能となることを防ぐため2003年12月から2004年3月にかけて浦賀方先頭車に700形や1000形の廃車発生品のロータリ式空気圧縮機︵AR-2形︶を搭載した[17]。方向幕交換[編集]
2003年に入ってからは行先表示器の字幕を白地黒文字・英語併記のものに順次変更された。転落防止幌設置[編集]
2000年代から転落防止用外幌の設置が進められた。冷房装置交換[編集]
2002年から、冷房装置が1500形更新車などと同様のCU-71E-G1に順次交換された。特別塗装[編集]
1985年10月16日から﹁さわやかアップ京急運動﹂の一つとして、2031編成を使用して車内に京急沿線の幼稚園・小学校の園児や児童および各サークルが描いた絵画や写真などを展示する﹁さわやかギャラリー号﹂の運行を開始した[12]。1986年3月から2011編成に変更され、1997年11月には2011編成の格下げ改造のため2061編成に変更されたが、1999年3月31日をもって終了した。下記の特別塗装実施前後で若干装飾が異なっていた。 1995年まで存在した夏季ダイヤでは本形式は号車指定列車﹁ミュージックトレイン号﹂に運用され、毎年8両編成3本に﹁ミュージックトレイン号﹂用に号車番号を窓に掲示、車内には出演歌手のPRポスターが展示するなどの特別装備が施された。2031編成が﹁ミュージックトレイン号﹂用装備とされた年は期間中﹁さわやかギャラリー号﹂としての運行を休止していた。 1988年から1991年まで、京急創立90周年を記念して8両編成2本︵2011編成・2041編成︶に特別塗装が施された。2011編成は﹁さわやかギャラリー号﹂の特別塗装車として、2041編成は﹁ファンタジックトレインみらい号﹂として運行した[12]。デザインは久里洋二によるものである[12]。1989年1月7日の昭和天皇崩御の際は先頭車前面に喪章を貼付して運転された。2011編成は1990年の相模湾アーバンリゾート・フェスティバル1990開催中には﹁SURF'90号﹂として運行された。 2011年1月には、2011編成がニューイヤーラッピングを施して運行された。これは2011年と2011編成にちなんでいる[21]。 2013年には2011編成が登場時の塗装に戻された[22][23]。同年1月17日に2000形登場30周年を記念し2000形リバイバル塗装電車を1月下旬から運転を発表︵行先種別表示や標記類、車内設備等の車体の塗装以外の変更はない[22]︶。同時に記念乗車券も発売された[24]。 2018年1月には、2011編成に賀正ステッカーが掲出された。これは2018年と2011編成の品川寄りの先頭車2018号にちなむ[25]。-
「ファンタジックトレイン みらい」
1988年5月 三浦海岸駅 -
さわやかギャラリー号
1994年4月 新大津駅 -
さわやかギャラリー号、特殊塗装時
1989年8月 金沢八景駅 -
喪章をつけて金沢検車区で待機する特殊塗装車。
1989年1月 -
2051編成「御乗用列車」
1986年3月 金沢八景駅 -
登場時の塗装に戻された2011編成
2013年2月 京急鶴見駅
運用[編集]
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/6/61/Keikyu_2451_at_Keikyu-Kawasaki_station_20160611.jpg/220px-Keikyu_2451_at_Keikyu-Kawasaki_station_20160611.jpg)
廃車[編集]
元々優等種別で運用されていた故に高速走行向けのモーター、3ドア化改造の影響や登場から30年が経過したことで老朽化が進み[23]、加えて品川駅から先への乗り入れ不可能な構造が影響し[23]、通常の車両よりも加速性能が低く[23]、運用に支障が出ている事から、2012年度から廃車が始まった[23][31][32][33]。なお、4両編成の殆どは8両編成よりも早く廃車になっている。 ●2012年5月4日 2411編成・2421編成・2431編成[23][34] ●2014年7月3日 2021編成[35] ●2016年 ●3月4日 2441編成・2461編成[36] ●10月12日 2451編成︵同編成の廃車をもって、4両編成は消滅。退役目前には大師線の運用に入り[37]、10月11日の最終運用では1521編成と共に品川発快特・京急久里浜行として運行した︶[38]。 ●2017年 ●2月7日 2031編成 ●3月8日 2041編成![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/8/83/Keikyu-2011.png/220px-Keikyu-2011.png)