「千代天山大八郎」の版間の差分
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'''千代天山 大八郎'''︵ちよてんざん だいはちろう、[[1976年]][[2月6日]] - ︶は、[[大阪府]][[大阪市]][[東住吉区]]出身で[[九重部屋]]に所属した元[[大相撲]][[力士]]。本名は角 大八郎︵すみ だいはちろう︶であり、大八郎は戸籍上の本名である。身長183cm、体重 |
'''千代天山 大八郎'''︵ちよてんざん だいはちろう、[[1976年]][[2月6日]] - ︶は、[[大阪府]][[大阪市]][[東住吉区]]出身で[[九重部屋]]に所属した元[[大相撲]][[力士]]。本名は'''角 大八郎'''︵すみ だいはちろう︶であり、大八郎は戸籍上の本名である。身長183cm、体重150kg。得意手は右四つ、寄り。最高位は西[[小結]]︵1999年7月場所︶。趣味は読書、愛称はハチ、[[ABO式血液型|血液型]]はO型。
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== 来歴 == |
== 来歴・人物 == |
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出生時は1380gの超未熟児で、1年半以上も保育器で育てられた。調理師を目指していたこともあったが、中学2年の頃に[[千代の富士貢|千代の富士]]に出会ったことで角界入りを決意し、中学卒業後[[九重部屋]] |
出生時は1380gの超未熟児で、1年半以上も保育器で育てられた。調理師を目指していたこともあったが、中学2年生の頃に[[千代の富士貢|千代の富士]]に出会ったことで角界入りを決意し、中学校を卒業後に[[九重部屋]]へ入門。1991年3月場所にて15歳で[[初土俵]]を踏んだ。同期には、後の前頭・[[金開山龍|金開山]]や同・[[春日錦孝嘉|春日錦]]などがいる<ref>千代の富士の直弟子関取第一号の[[千代大海龍二]]より後から関取になった為、千代の富士の直弟子と思われがちだが、入門時の師匠は[[北の富士勝昭]]であり、千代の富士はまだ現役の横綱で千代天山が初土俵を踏んだ翌場所で引退して、その翌年に九重部屋を継承して師匠となっている為、北の富士の直弟子で千代の富士の直弟子ではない。</ref>。
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以来順調に出世し、入門から3年で[[幕下]]に昇進した。 |
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幕下上位で苦労した時期もあったが、[[1997年]]1月場所では[[十両]]に昇進した。1999年1月場所に新入幕を果たし、その場所から3場所連続で[[三賞]]を受賞するという、大相撲史上初めての快挙を達成して周囲を驚かせた。そして同年7月場所で早々と小結への昇進を果たした。同場所は3勝12敗と大きく負け越し、三役経験は結局この1場所のみに終わっている。当時は[[雅山哲士|雅山]]とライバル関係にあった。 |
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幕下上位で苦労した時期もあったが、柔軟さを活かした左四つの相撲に磨きをかけ、1997年1月場所で新[[十両]]へ昇進した。 |
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しかし、[[2002年]]1月場所で左足の踵骨を骨折し、その影響からその後幕下にまで陥落した。一時は復調し[[2004年]]3月場所で再入幕を果たしたが幕内ではあまり活躍できず、今度は内臓疾患により十両下位に低迷し、2005年11月場所を最後に再び幕下に落ちた。以降は[[関取]]復帰を目指して土俵に上がり続けたが、幕下下位での勝ち越しがやっとの状態が続き、[[2007年]]5月場所では[[三段目]]にまで陥落してしまった。三役経験者がこの地位まで下がることは同部屋の先輩でもある[[巴富士俊英|巴富士]](元小結)以来、[[出羽ヶ嶽文治郎|出羽ヶ嶽]]・[[大豊昌央|大豊]]・[[栃赤城雅男|栃赤城]]に次いで[[昭和]]以降5人目([[平成]]以降では3人目)のこととなった。7月場所では西三段目16枚目で5勝2敗と勝ち越し、翌9月場所に幕下復帰を果たしたものの、その場所では1勝6敗と大敗を喫し、翌11月場所は西三段目27枚目まで番付を落としてしまった。そして[[2008年]]1月場所、初日の相撲を最後に31歳で引退した。[[年寄名跡]]を取得していないため、引退後は角界から離れ、理由は定かではないが[[引退相撲]]も開催されることはなかった。 |
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1999年1月場所で新入幕を果たし、同場所から3場所連続で[[三賞]]を受賞するという、大相撲史上初めての快挙を達成して周囲を驚かせた。そして同年7月場所で、早々と[[小結]]への昇進を果たした。同場所では3勝12敗と大きく負け越し、三役経験は結局この1場所のみに終わっている。当時は、[[雅山哲士|雅山]]とライバル関係にあった。その雅山には2001年3月場所、新決まり手である小づま取りで勝った第1号。2001年1月に結婚。 |
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その後は、本人のブログによると[[2008年]]2月から[[錦糸町]]の飲食店で見習いを始めたということだが、同年9月から約半年ほどブログの更新が途絶えており、その間は[[若隼人幸治|若隼人]]のちゃんこ料理店でスタッフとして働いていた。これらの下積みを経た後、[[2009年]]6月に[[和歌山県]][[白浜町]]に自身の店「力士厨房 千代天山」を開業した。店は白浜の観光地からは離れているものの、地元住民を中心にした人気店となっている。 |
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その後も、2000年11月場所と2001年3月場所で[[武蔵丸光洋|武蔵丸]]に勝ち、それぞれ[[金星 (相撲)|金星]]を獲得するなどした。 |
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なお[[2002年]][[9月]]には、付け人を裸にした上、[[エアソフトガン|エアガン]]で[[暴行]]を加えていたことなどが報道された。<ref>[http://www.47news.jp/CN/200209/CN2002090601000501.html 元力士が九重親方ら提訴 「先輩の暴行で苦痛」と 2002/09/06 【共同通信】]</ref> |
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しかし、2002年1月場所で左足の踵骨を骨折し、その影響から調子を落とし、2003年5月場所では幕下にまで陥落した。一時は復調し2004年3月場所で再入幕を果たしたものの、今度は内臓疾患により本来の相撲が取れず十両下位に低迷し、2005年11月場所を最後に再び幕下へ陥落した。 |
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== 主な成績 == |
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以降は[[関取]]への復帰を目指して土俵に上がり続けたが、2007年5月場所では[[三段目]]にまで陥落してしまった。三役経験者がこの地位まで下がる事例は、[[出羽ヶ嶽文治郎|出羽ヶ嶽]]・[[大豊昌央|大豊]]・[[栃赤城雅男|栃赤城]]・[[巴富士俊英|巴富士]]に次いで、昭和以降では5人目(平成以降では3人目)のこととなった。 |
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それ以降も関取の地位へは戻れず、三段目上位に在位していた2008年1月場所、初日の相撲を最後に31歳で[[引退]]した。 |
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[[年寄名跡]]を取得できなかったため、引退後は角界から離れ、理由は定かではないが[[引退相撲]]も開催されることはなかった。 |
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その後は、2008年2月から料理人見習いを始め<ref>{{Cite news|title=今日から| |
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publisher=元・千代天山ブログ|url=http://tenzan.osakazine.net/e84144.html|date=2008-2-1}}</ref>、2009年6月に[[和歌山県]][[白浜町]]で「力士厨房 千代天山」を開業している<ref>{{Cite news|title=オープンしました| |
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publisher=元・千代天山ブログ|url=http://tenzan.osakazine.net/e196890.html|date=2009-6-30}}</ref>。白浜町に店舗を構えたのは妻の実家が白浜町にあるためであり、長男の生活環境を考えた上でのことでもある。2013年8月に[[脊髄炎]]の一歩手前と診断され、2015年12月に再開するまで店舗を休業していた<ref name="gendai">[http://www.nikkan-gendai.com/articles/view/geino/181589/2 元小結の千代天山さん 和歌山・白浜でちゃんこ屋の板長に] 日刊ゲンダイ 2016年5月23日</ref>。 |
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2002年9月には、付け人を裸にした上で[[エアソフトガン|エアガン]]で暴行を加えていたことなどが報道された<ref>{{Cite news|title=元力士が九重親方ら提訴 「先輩の暴行で苦痛」と| |
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newspaper=共同通信|date=2002-9-6|url=https://web.archive.org/web/20100529165159/http://www.47news.jp/CN/200209/CN2002090601000501.html|accessdate=}}</ref>。{{Main2|付け人への暴行|千代の富士貢#引退後}}
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== 主な成績・記録 == |
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*通算成績:519勝541敗33休 勝率.490 |
*通算成績:519勝541敗33休 勝率.490 |
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*幕内成績:144勝181敗20休 勝率.443 |
*幕内成績:144勝181敗20休 勝率.443 |
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*現役在位:102場所 |
*現役在位:102場所 |
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*幕内在位:23場所 |
*幕内在位:23場所 |
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*三役在位:1場所 |
*三役在位:1場所(小結1場所) |
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*三賞:3回 |
*三賞:3回 |
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**殊勲賞:1回(1999年5月場所) |
**殊勲賞:1回(1999年5月場所) |
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**敢闘賞:2回(1999年1月場所・3月場所) |
**敢闘賞:2回(1999年1月場所・同年3月場所) |
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*[[金星 (相撲)|金星]]:3個([[武蔵丸光洋|武蔵丸]]2個、[[花田 |
*[[金星 (相撲)|金星]]:3個([[武蔵丸光洋|武蔵丸]]2個、[[花田虎上|若乃花]]1個) |
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*各段優勝 |
*各段優勝 |
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**十両優勝:1回([[1998年]]9月場所) |
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=== 場所別成績 === |
=== 場所別成績 === |
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{{Sumo record year end}} |
{{Sumo record year end}} |
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{{Sumo record box end}} |
{{Sumo record box end}} |
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=== 幕内対戦成績 === |
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{| class="wikitable" style="text-align: center;" |
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!力士名!!勝数!!負数!!力士名!!勝数!!負数!!力士名!!勝数!!負数!!力士名!!勝数!!負数 |
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|- |
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|[[蒼樹山秀樹|蒼樹山]]||2||3 |
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|[[安芸乃島勝巳|安芸乃島]]||7||6 |
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|[[曙太郎|曙]]||0||4 |
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|[[朝青龍明徳|朝青龍]]||1||0 |
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|- |
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|[[朝乃若武彦|朝乃若]]||2||3 |
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|[[旭豊勝照|旭豊]]||1||0 |
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|[[安美錦竜児|安美錦]]||1||2 |
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|[[潮丸元康|潮丸]]||0||1 |
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|- |
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|[[皇司信秀|皇司]]||2||5 |
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|[[大碇剛|大碇]]||1||2 |
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|[[大日ノ出崇揚|大日ノ出]]||2||1 |
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|[[小城錦康年|小城錦]]||4||4 |
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|- |
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|[[魁皇博之|魁皇]]||0||5(1) |
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|[[海鵬涼至|海鵬]]||5||3 |
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|[[春日錦孝嘉|春日錦]]||1||0 |
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|[[巌雄謙治|巌雄]]||2||1 |
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|- |
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|[[北桜英敏|北桜]]||3||0 |
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|[[旭鷲山昇|旭鷲山]]||4||6 |
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|[[旭天鵬勝|旭天鵬]]||6||6 |
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|[[金開山龍|金開山]]||2||1 |
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|- |
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|[[五城楼勝洋|五城楼]]||2||0 |
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|[[琴ノ若晴將|琴ノ若]]||5||4 |
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|[[琴光喜啓司|琴光喜]]||0||1 |
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|[[琴龍宏央|琴龍]]||4||5 |
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|- |
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|[[敷島勝盛|敷島]]||3||3 |
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|[[十文字友和|十文字]]||1(1)||4 |
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|[[戦闘竜]]||1||0 |
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|[[大至伸行|大至]]||1||0 |
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|- |
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|[[大善尊太|大善]]||3||1 |
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|[[貴闘力忠茂|貴闘力]]||8||1 |
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|[[貴ノ浪貞博|貴ノ浪]]||1||13 |
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|[[貴乃花光司|貴乃花]]||0||2 |
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|- |
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|[[尾崎勇気|隆乃若]]||2||4 |
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|[[豪風旭|豪風]]||0||1 |
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|[[玉春日良二|玉春日]]||2||5 |
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|[[玉乃島新|玉乃島]]||1||1 |
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|- |
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|[[玉力道栄来|玉力道]]||2||0 |
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|[[出島武春|出島]]||3||7 |
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|[[寺尾常史|寺尾]]||3||1 |
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|[[出羽嵐大輔|出羽嵐]]||1||0 |
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|- |
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|[[闘牙進|闘牙]]||5||5 |
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|[[時津海正博|時津海]]||4||5 |
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|[[土佐ノ海敏生|土佐ノ海]]||1||4 |
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|[[栃東大裕|栃東]]||1||3 |
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|- |
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|[[栃栄篤史|栃栄]]||0||5 |
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|[[栃乃洋泰一|栃乃洋]]||4||6 |
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|[[栃乃花仁|栃乃花]]||2||0 |
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|[[栃乃和歌清隆|栃乃和歌]]||1||0 |
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|- |
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|[[濱錦竜郎|濵錦]]||4||1 |
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|[[濱ノ嶋啓志|濱ノ嶋]]||2||3 |
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|[[追風海英飛人|追風海]]||0||2 |
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|[[春ノ山竜尚|春ノ山]]||0||1 |
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|- |
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|[[肥後ノ海直哉|肥後ノ海]]||5||2 |
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|[[普天王水|普天王]]||0||1 |
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|[[武雄山喬義|武雄山]]||0||4 |
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|[[水戸泉眞幸|水戸泉]]||1||0 |
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|- |
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|[[湊富士孝行|湊富士]]||4||1 |
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|[[雅山哲士|雅山]]||2||6 |
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|[[武蔵丸光洋|武蔵丸]]||3||6 |
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|[[武双山正士|武双山]]||0||5 |
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|- |
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|[[若孜浩気|若孜]]||2||0 |
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|[[若の里忍|若の里]]||2||2 |
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|[[若ノ城宗彦|若ノ城]]||0||1 |
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|[[花田虎上|若乃花]]||1||0 |
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|- |
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|[[和歌乃山洋|和歌乃山]]||5||6 |
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|} |
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{{注|※カッコ内は勝数、負数の中に占める不戦勝、不戦敗の数。}} |
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== 改名歴 == |
== 改名歴 == |
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*角 大八郎(すみ だいはちろう)1991年 |
*角 大八郎(すみ だいはちろう)1991年5月場所-1993年5月場所 |
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*千代天山 大八郎(ちよてんざん - )1993年7月場所-2008年1月場所 |
*千代天山 大八郎(ちよてんざん - )1993年7月場所-2008年1月場所 |
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== 関連項目 == |
== 関連項目 == |
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*[[小結一覧]] |
*[[小結一覧]] |
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*[[関取在位後に4階級以上陥落した力士一覧]] |
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== 外部リンク == |
== 外部リンク == |
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{{goo-sumo|62|千代天山 大八郎}} |
{{goo-sumo|62|千代天山 大八郎}} |
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*[http://tenzan.osakazine.net/ 元・千代天山ブログ] |
*[http://tenzan.osakazine.net/ 元・千代天山ブログ] |
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*[http://blog.murablo.jp/chiyotenzan/ 力士厨房 千代天山] 千代天山の妻によるブログ |
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[[Category:1976年生]] |
[[Category:1976年生]] |
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[[Category:存命人物]] |
[[Category:存命人物]] |
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[[Category:大阪府出身の人物]] |
2024年5月11日 (土) 17:16時点における最新版
来歴・人物[編集]
出生時は1380gの超未熟児で、1年半以上も保育器で育てられた。調理師を目指していたこともあったが、中学2年生の頃に千代の富士に出会ったことで角界入りを決意し、中学校を卒業後に九重部屋へ入門。1991年3月場所にて15歳で初土俵を踏んだ。同期には、後の前頭・金開山や同・春日錦などがいる[1]。 以来順調に出世し、入門から3年で幕下に昇進した。 幕下上位で苦労した時期もあったが、柔軟さを活かした左四つの相撲に磨きをかけ、1997年1月場所で新十両へ昇進した。 1999年1月場所で新入幕を果たし、同場所から3場所連続で三賞を受賞するという、大相撲史上初めての快挙を達成して周囲を驚かせた。そして同年7月場所で、早々と小結への昇進を果たした。同場所では3勝12敗と大きく負け越し、三役経験は結局この1場所のみに終わっている。当時は、雅山とライバル関係にあった。その雅山には2001年3月場所、新決まり手である小づま取りで勝った第1号。2001年1月に結婚。 その後も、2000年11月場所と2001年3月場所で武蔵丸に勝ち、それぞれ金星を獲得するなどした。 しかし、2002年1月場所で左足の踵骨を骨折し、その影響から調子を落とし、2003年5月場所では幕下にまで陥落した。一時は復調し2004年3月場所で再入幕を果たしたものの、今度は内臓疾患により本来の相撲が取れず十両下位に低迷し、2005年11月場所を最後に再び幕下へ陥落した。 以降は関取への復帰を目指して土俵に上がり続けたが、2007年5月場所では三段目にまで陥落してしまった。三役経験者がこの地位まで下がる事例は、出羽ヶ嶽・大豊・栃赤城・巴富士に次いで、昭和以降では5人目︵平成以降では3人目︶のこととなった。 それ以降も関取の地位へは戻れず、三段目上位に在位していた2008年1月場所、初日の相撲を最後に31歳で引退した。 年寄名跡を取得できなかったため、引退後は角界から離れ、理由は定かではないが引退相撲も開催されることはなかった。 その後は、2008年2月から料理人見習いを始め[2]、2009年6月に和歌山県白浜町で﹁力士厨房 千代天山﹂を開業している[3]。白浜町に店舗を構えたのは妻の実家が白浜町にあるためであり、長男の生活環境を考えた上でのことでもある。2013年8月に脊髄炎の一歩手前と診断され、2015年12月に再開するまで店舗を休業していた[4]。 2002年9月には、付け人を裸にした上でエアガンで暴行を加えていたことなどが報道された[5]。主な成績・記録[編集]
- 通算成績:519勝541敗33休 勝率.490
- 幕内成績:144勝181敗20休 勝率.443
- 現役在位:102場所
- 幕内在位:23場所
- 三役在位:1場所(小結1場所)
- 三賞:3回
- 殊勲賞:1回(1999年5月場所)
- 敢闘賞:2回(1999年1月場所・同年3月場所)
- 金星:3個(武蔵丸2個、若乃花1個)
- 各段優勝
- 十両優勝:1回(1998年9月場所)
場所別成績[編集]
一月場所 初場所(東京) |
三月場所 春場所(大阪) |
五月場所 夏場所(東京) |
七月場所 名古屋場所(愛知) |
九月場所 秋場所(東京) |
十一月場所 九州場所(福岡) |
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1991年 (平成3年) |
x | (前相撲) | 東序ノ口15枚目 4–3 |
東序二段115枚目 2–5 |
東序ノ口5枚目 3–4 |
西序ノ口8枚目 5–2 |
1992年 (平成4年) |
東序二段100枚目 5–2 |
西序二段52枚目 3–4 |
東序二段79枚目 3–4 |
東序二段101枚目 4–3 |
西序二段74枚目 0–1–6 |
東序二段145枚目 7–0 |
1993年 (平成5年) |
東三段目98枚目 5–2 |
西三段目67枚目 4–3 |
西三段目48枚目 1–3–3 |
東三段目78枚目 5–2 |
西三段目42枚目 5–2 |
東三段目16枚目 1–3–3 |
1994年 (平成6年) |
東三段目52枚目 6–1 |
東三段目6枚目 1–6 |
西三段目37枚目 4–3 |
西三段目24枚目 5–2 |
東幕下57枚目 5–2 |
西幕下36枚目 2–5 |
1995年 (平成7年) |
東幕下60枚目 5–2 |
西幕下36枚目 5–2 |
西幕下22枚目 4–3 |
西幕下18枚目 4–3 |
東幕下13枚目 3–4 |
東幕下18枚目 4–3 |
1996年 (平成8年) |
西幕下12枚目 4–3 |
東幕下9枚目 3–4 |
東幕下17枚目 3–4 |
西幕下22枚目 4–3 |
東幕下17枚目 6–1 |
西幕下4枚目 5–2 |
1997年 (平成9年) |
東十両12枚目 8–7 |
西十両9枚目 7–8 |
西十両10枚目 5–10 |
西幕下筆頭 5–2 |
西十両11枚目 9–6 |
東十両5枚目 6–9 |
1998年 (平成10年) |
東十両8枚目 8–7 |
東十両6枚目 8–7 |
東十両4枚目 7–8 |
西十両6枚目 7–8 |
東十両8枚目 優勝 12–3 |
東十両2枚目 9–6 |
1999年 (平成11年) |
東前頭14枚目 10–5 敢 |
東前頭9枚目 9–6 敢 |
東前頭3枚目 9–6 殊★ |
西小結 3–12 |
東前頭6枚目 6–9 |
西前頭8枚目 7–8 |
2000年 (平成12年) |
東前頭11枚目 9–6 |
西前頭5枚目 6–9 |
西前頭6枚目 6–9 |
東前頭9枚目 10–5 |
東前頭2枚目 6–9 |
西前頭3枚目 6–9 ★ |
2001年 (平成13年) |
西前頭6枚目 8–7 |
東前頭2枚目 7–8 ★ |
西前頭2枚目 4–11 |
西前頭8枚目 6–9 |
東前頭11枚目 8–7 |
西前頭8枚目 8–7 |
2002年 (平成14年) |
東前頭4枚目 3–7–5[6] |
西前頭10枚目 休場 0–0–15 |
西前頭10枚目 5–10 |
西前頭13枚目 5–10 |
東十両5枚目 8–7 |
東十両4枚目 3–12 |
2003年 (平成15年) |
西十両12枚目 4–11 |
西幕下6枚目 5–2 |
西幕下2枚目 5–2 |
西十両11枚目 9–6 |
東十両7枚目 8–7 |
東十両6枚目 8–7 |
2004年 (平成16年) |
西十両3枚目 11–4 |
西前頭13枚目 3–12 |
東十両5枚目 6–9 |
西十両6枚目 5–10 |
西十両11枚目 8–7 |
西十両10枚目 6–9 |
2005年 (平成17年) |
西十両13枚目 5–10 |
西幕下2枚目 5–2 |
西十両11枚目 7–8 |
東十両13枚目 6–9 |
東幕下2枚目 5–2 |
東十両10枚目 4–11 |
2006年 (平成18年) |
東幕下2枚目 2–5 |
西幕下8枚目 2–5 |
東幕下21枚目 3–4 |
東幕下28枚目 3–4 |
東幕下36枚目 4–3 |
東幕下29枚目 4–3 |
2007年 (平成19年) |
西幕下22枚目 2–5 |
東幕下41枚目 2–5 |
東三段目5枚目 3–4 |
西三段目16枚目 5–2 |
西幕下56枚目 1–5–1 |
西三段目27枚目 5–2 |
2008年 (平成20年) |
東三段目4枚目 引退 0–1–0 |
x | x | x | x | x |
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。 優勝 引退 休場 十両 幕下 三賞:敢=敢闘賞、殊=殊勲賞、技=技能賞 その他:★=金星 番付階級:幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口 幕内序列:横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列) |
幕内対戦成績[編集]
力士名 | 勝数 | 負数 | 力士名 | 勝数 | 負数 | 力士名 | 勝数 | 負数 | 力士名 | 勝数 | 負数 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
蒼樹山 | 2 | 3 | 安芸乃島 | 7 | 6 | 曙 | 0 | 4 | 朝青龍 | 1 | 0 |
朝乃若 | 2 | 3 | 旭豊 | 1 | 0 | 安美錦 | 1 | 2 | 潮丸 | 0 | 1 |
皇司 | 2 | 5 | 大碇 | 1 | 2 | 大日ノ出 | 2 | 1 | 小城錦 | 4 | 4 |
魁皇 | 0 | 5(1) | 海鵬 | 5 | 3 | 春日錦 | 1 | 0 | 巌雄 | 2 | 1 |
北桜 | 3 | 0 | 旭鷲山 | 4 | 6 | 旭天鵬 | 6 | 6 | 金開山 | 2 | 1 |
五城楼 | 2 | 0 | 琴ノ若 | 5 | 4 | 琴光喜 | 0 | 1 | 琴龍 | 4 | 5 |
敷島 | 3 | 3 | 十文字 | 1(1) | 4 | 戦闘竜 | 1 | 0 | 大至 | 1 | 0 |
大善 | 3 | 1 | 貴闘力 | 8 | 1 | 貴ノ浪 | 1 | 13 | 貴乃花 | 0 | 2 |
隆乃若 | 2 | 4 | 豪風 | 0 | 1 | 玉春日 | 2 | 5 | 玉乃島 | 1 | 1 |
玉力道 | 2 | 0 | 出島 | 3 | 7 | 寺尾 | 3 | 1 | 出羽嵐 | 1 | 0 |
闘牙 | 5 | 5 | 時津海 | 4 | 5 | 土佐ノ海 | 1 | 4 | 栃東 | 1 | 3 |
栃栄 | 0 | 5 | 栃乃洋 | 4 | 6 | 栃乃花 | 2 | 0 | 栃乃和歌 | 1 | 0 |
濵錦 | 4 | 1 | 濱ノ嶋 | 2 | 3 | 追風海 | 0 | 2 | 春ノ山 | 0 | 1 |
肥後ノ海 | 5 | 2 | 普天王 | 0 | 1 | 武雄山 | 0 | 4 | 水戸泉 | 1 | 0 |
湊富士 | 4 | 1 | 雅山 | 2 | 6 | 武蔵丸 | 3 | 6 | 武双山 | 0 | 5 |
若孜 | 2 | 0 | 若の里 | 2 | 2 | 若ノ城 | 0 | 1 | 若乃花 | 1 | 0 |
和歌乃山 | 5 | 6 |
※カッコ内は勝数、負数の中に占める不戦勝、不戦敗の数。
改名歴[編集]
- 角 大八郎(すみ だいはちろう)1991年5月場所-1993年5月場所
- 千代天山 大八郎(ちよてんざん - )1993年7月場所-2008年1月場所
脚注[編集]
- ^ 千代の富士の直弟子関取第一号の千代大海龍二より後から関取になった為、千代の富士の直弟子と思われがちだが、入門時の師匠は北の富士勝昭であり、千代の富士はまだ現役の横綱で千代天山が初土俵を踏んだ翌場所で引退して、その翌年に九重部屋を継承して師匠となっている為、北の富士の直弟子で千代の富士の直弟子ではない。
- ^ “今日から”. 元・千代天山ブログ. (2008年2月1日)
- ^ “オープンしました”. 元・千代天山ブログ. (2009年6月30日)
- ^ 元小結の千代天山さん 和歌山・白浜でちゃんこ屋の板長に 日刊ゲンダイ 2016年5月23日
- ^ “元力士が九重親方ら提訴 「先輩の暴行で苦痛」と”. 共同通信. (2002年9月6日)
- ^ 左足踵骨骨折により10日目から途中休場