コンテンツにスキップ

「因明入正理論」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
新しいページ: '{{仏典}} '''因明入正理論'''(hetu-vidyaa-nyaaya-praveza-zaastra)は、インドの仏教論理学者である'''商羯羅主'''(zaGkara-svaamin)が著...'
 
編集の要約なし
4行目: 4行目:

 この論書は、[[玄奘]]によって中国にもたらされ、[[唐]]の[[貞観]]21年([[647年]])8月6日、弘福寺で漢訳された。<br>

 この論書は、[[玄奘]]によって中国にもたらされ、[[唐]]の[[貞観]]21年([[647年]])8月6日、弘福寺で漢訳された。<br>

 本論は、[[陳那]]の[[因明正理門論]]を基礎としつつ、論理的誤謬をとりあげて「三十三過」として、詳しい説明が簡明になされている。<br>

 本論は、[[陳那]]の[[因明正理門論]]を基礎としつつ、論理的誤謬をとりあげて「三十三過」として、詳しい説明が簡明になされている。<br>


 [[]]:[[]][[]]<br>

 [[ ()]]:[[]][[]]<br>

 さらに時代が下り、日本においては、[[講会]]の[[論式]]及び論義に際する論理的誤謬を指摘するために、本論で取り上げられた「三十三過」に注目が集まり、『因明三十三過本作法』という簡明な論書が出され、それに対する註釈、さらにその中の「四相違」に対する註釈が多く研究された。

 さらに時代が下り、日本においては、[[講会]]の[[論式]]及び論義に際する論理的誤謬を指摘するために、本論で取り上げられた「三十三過」に注目が集まり、『因明三十三過本作法』という簡明な論書が出され、それに対する註釈、さらにその中の「四相違」に対する註釈が多く研究された。



13行目: 13行目:


==註疏==

==註疏==

* [http://21dzk.l.u-tokyo.ac.jp/SAT/ddb-sat2.php?mode=detail&useid=1840_ 因明入正理論疏] [[慈恩大師]][[基]]著 大正蔵 vol.44 No.1840

* [http://21dzk.l.u-tokyo.ac.jp/SAT/ddb-sat2.php?mode=detail&useid=1840_ 因明入正理論疏] [[慈恩大師]][[基 (僧)]]著 大正蔵 vol.44 No.1840

* [http://21dzk.l.u-tokyo.ac.jp/SAT/ddb-sat2.php?mode=detail&useid=1841_ 因明義断] [[慧沼]]著 大正蔵 vol.44 No.1841

* [http://21dzk.l.u-tokyo.ac.jp/SAT/ddb-sat2.php?mode=detail&useid=1841_ 因明義断] [[慧沼]]著 大正蔵 vol.44 No.1841

* [http://21dzk.l.u-tokyo.ac.jp/SAT/ddb-sat2.php?mode=detail&useid=1842_ 因明入正理論義纂要] 慧沼著 大正蔵 vol.44 No.1842

* [http://21dzk.l.u-tokyo.ac.jp/SAT/ddb-sat2.php?mode=detail&useid=1842_ 因明入正理論義纂要] 慧沼著 大正蔵 vol.44 No.1842


2011年5月23日 (月) 12:45時点における版


仏典

上座部部派
大衆部 前3世紀

説一切有部 前2世紀

化地部

法蔵部

経量部 3世紀

分別説部南伝仏教

大乗
初期

馬鳴

龍樹中観派

中期
唯識派瑜伽行派
後期(金剛乗


(hetu-vidyaa-nyaaya-praveza-zaastra)(zaGkara-svaamin)()
 21(647)86
 
  ():
 


  vol.32 No.1630

   


  ()  vol.44 No.1840

   vol.44 No.1841

   vol.44 No.1842

   vol.68 No.2270

   vol.68 No.2271

   vol.69 No.2272