「因明入正理論」の版間の差分
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この論書は、[[玄奘]]によって中国にもたらされ、[[唐]]の[[貞観]]21年([[647年]])8月6日、弘福寺で漢訳された。<br> |
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本論は、[[陳那]]の[[因明正理門論]]を基礎としつつ、論理的誤謬をとりあげて「三十三過」として、詳しい説明が簡明になされている。<br> |
本論は、[[陳那]]の[[因明正理門論]]を基礎としつつ、論理的誤謬をとりあげて「三十三過」として、詳しい説明が簡明になされている。<br> |
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この論が翻訳されて後、中国において[[基]]によって﹃因明入正理論疏﹄︵俗称:[[因明大疏]]︶が出てから、大変多くの註釈が著わされた。その後、[[法相宗]]が日本に伝わると、本論および因明大疏も伝わり、さらに多くの註釈が加えられた。<br>
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この論が翻訳されて後、中国において[[基 (僧)]]によって﹃因明入正理論疏﹄︵俗称:[[因明大疏]]︶が出てから、大変多くの註釈が著わされた。その後、[[法相宗]]が日本に伝わると、本論および因明大疏も伝わり、さらに多くの註釈が加えられた。<br>
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さらに時代が下り、日本においては、[[講会]]の[[論式]]及び論義に際する論理的誤謬を指摘するために、本論で取り上げられた「三十三過」に注目が集まり、『因明三十三過本作法』という簡明な論書が出され、それに対する註釈、さらにその中の「四相違」に対する註釈が多く研究された。 |
さらに時代が下り、日本においては、[[講会]]の[[論式]]及び論義に際する論理的誤謬を指摘するために、本論で取り上げられた「三十三過」に注目が集まり、『因明三十三過本作法』という簡明な論書が出され、それに対する註釈、さらにその中の「四相違」に対する註釈が多く研究された。 |
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==註疏== |
==註疏== |
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* [http://21dzk.l.u-tokyo.ac.jp/SAT/ddb-sat2.php?mode=detail&useid=1840_ 因明入正理論疏] [[慈恩大師]][[基]]著 大正蔵 vol.44 No.1840 |
* [http://21dzk.l.u-tokyo.ac.jp/SAT/ddb-sat2.php?mode=detail&useid=1840_ 因明入正理論疏] [[慈恩大師]][[基 (僧)]]著 大正蔵 vol.44 No.1840 |
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* [http://21dzk.l.u-tokyo.ac.jp/SAT/ddb-sat2.php?mode=detail&useid=1841_ 因明義断] [[慧沼]]著 大正蔵 vol.44 No.1841 |
* [http://21dzk.l.u-tokyo.ac.jp/SAT/ddb-sat2.php?mode=detail&useid=1841_ 因明義断] [[慧沼]]著 大正蔵 vol.44 No.1841 |
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* [http://21dzk.l.u-tokyo.ac.jp/SAT/ddb-sat2.php?mode=detail&useid=1842_ 因明入正理論義纂要] 慧沼著 大正蔵 vol.44 No.1842 |
* [http://21dzk.l.u-tokyo.ac.jp/SAT/ddb-sat2.php?mode=detail&useid=1842_ 因明入正理論義纂要] 慧沼著 大正蔵 vol.44 No.1842 |
2011年5月23日 (月) 12:45時点における版
上座部・部派 |
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■ 大衆部 前3世紀
■ 説一切有部 前2世紀 ■ 化地部 ■ 法蔵部 ■ 経量部 3世紀
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大乗 |
初期 |
■馬鳴
|
中期 |
■ 唯識派(瑜伽行派) |
後期(金剛乗) |
因明入正理論(hetu-vidyaa-nyaaya-praveza-zaastra)は、インドの仏教論理学者である商羯羅主(zaGkara-svaamin)が著わした仏教論理学(因明)の入門書である。 この論書は、玄奘によって中国にもたらされ、唐の貞観21年(647年)8月6日、弘福寺で漢訳された。 本論は、陳那の因明正理門論を基礎としつつ、論理的誤謬をとりあげて﹁三十三過﹂として、詳しい説明が簡明になされている。 この論が翻訳されて後、中国において基 (僧)によって﹃因明入正理論疏﹄︵俗称:因明大疏︶が出てから、大変多くの註釈が著わされた。その後、法相宗が日本に伝わると、本論および因明大疏も伝わり、さらに多くの註釈が加えられた。 さらに時代が下り、日本においては、講会の論式及び論義に際する論理的誤謬を指摘するために、本論で取り上げられた﹁三十三過﹂に注目が集まり、﹃因明三十三過本作法﹄という簡明な論書が出され、それに対する註釈、さらにその中の﹁四相違﹂に対する註釈が多く研究された。