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2022年9月5日 (月) 18:11時点における版
高木 史朗︵たかぎ しろう、1915年8月17日 - 1985年2月12日︶は、宝塚歌劇団の劇作家・演出家。兵庫県出身。
関西学院大学卒業後、1936年に宝塚少女歌劇団に入り、1940年に演出家としてデビューした。
進取の気風で宝塚に新たな境地を開拓した。
1970年の日本万国博覧会では、閉会式の演出を担当した。
白井鐵造・内海重典とともに、宝塚の三巨匠に数えられる。
2014年、﹃宝塚歌劇の殿堂﹄最初の100人のひとりとして殿堂表彰[1][2]。
主な作品
- 人魚姫(1946年)
- シャンソン・ド・パリ(1952年)
- ボンジュール・パリ(1955年)
- 花の饗宴(1958年)
- ウイ・ウイ・パリ(1960年)
- 華麗なる千拍子(1960年)
- メイド・イン・ニッポン(1962年)
- タカラジェンヌに栄光あれ(1963年)
- 虹のオルゴール工場(1963年)
- レビューへの招待(1964年)
- レインボー・タカラヅカ(1965年)
- 7 -セブン-(1968年)
- フォリー・タカラジェンヌ(1970年)
- 星の牧場(1971年)
- カルナバル・ド・タカラヅカ(1974年)
- わが愛しのマリアンヌ(1977年)
著書
- 宝塚花物語 (秋田書店(サンデー新書) 1964年)
- 宝塚のわかる本 (広済堂出版(Kosaido books) 1976年)
- 宝塚への招待 (編著 広済堂出版(Kosaido books) 1976年)
- レヴューの王様:白井鉄造と宝塚(河出書房新社 1983年)
脚注
(一)^ 村上久美子 (2014年1月11日). “宝塚が八千草薫ら殿堂100人を発表”. 日刊スポーツ 2022年6月23日閲覧。
(二)^ ﹃宝塚歌劇 華麗なる100年﹄朝日新聞出版、2014年3月30日、134頁。ISBN 978-4-02-331289-0。