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機根︵きこん︶とは、仏の教えを聞いて修行しえる能力のこと。また仏の教えを理解する度量・器のことで、さらには衆生の各人の性格をいう。一般にいう根性は、この機根に由来する言葉である。
﹁機﹂とは、人の心の機縁、はたらきを意味し、﹁根︵中国語: 善根︶﹂とは、その人の根本的な性質や性格を意味する。
釈迦仏は、インドで生まれ菩提樹の下で成道してから、さまざまな人に応じて説法をした。しかしそれら衆生の性格や気質はそれぞれ異なる。そのために各人に合わせて教えを種種雑多に説いた。これを対機説法︵たいきせっぽう︶・臨機応変︵りんきおうへん︶という。
大乗・小乗、頓教・漸教︵頓=すみやか、漸=ようやく、すぐに悟れる教えを頓教、次第してようやく悟れる教えを漸教︶などの差も、この機根に応じて説かれたものである。
仏が入滅した後、この﹁機根﹂に様々な等級がつけられるようになった。
●正定聚機︵しょうじょうじゅき︶ - 教えを聞いて必ず悟ることができる機根
●邪定聚機︵じゃじょうじゅき︶ - どうしても悟りえない機根
●不定聚機︵ふじょうじゅき︶ - 前の二つの中間にあって、どちらに進むか定かでない機根
という三定聚に分かつ。
仏教においては、弟子や衆生のこの機根を見極めて説法することが肝要で、非常に大事であるとされる。
また各種経典においては、
●利根︵りこん︶ - 素直に仏の教えを受け入れ理解する人
●鈍根︵どんこん︶ - 素直に仏の教えを受け入れず理解しにくい人
などという用語も説かれている。たとえば涅槃経四依品第8にも﹁是の無上なる大涅槃微妙の経典も、鈍根薄福の者、二乗の者は業報を受けるが故に聴聞を楽︵ねが︶わず、むしろ憎悪誹謗す。それは粟、稗を食す人が、稲米、石蜜を知らず、我れ食すもの第一なりというが如くなり﹂などとある。
冒頭説明文にある通り、一般にいう根性はこの﹁機根﹂を由来とする言葉である。この場合、根性の根とは能力、あるいはそれを生み出す力・能生︵のうしょう︶のこと、性とは、その人の生まれついた性質のことを意味する。これが一般用語として転用されて使われるようになった。
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