谷間小百合
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たにま さゆり 谷間 小百合 | |
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本名 | 宇佐美百合子 |
生年月日 | (1922-01-01) 1922年1月1日 |
没年月日 | 2003年2月 |
出生地 | 日本 広島県広島市 |
職業 | 元女優 |
ジャンル | 歌劇、映画 |
活動期間 | 1935年 - 1952年 |
主な作品 | |
『一番美しく』 | |
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谷間 小百合︵たにま さゆり、1922年1月1日 - 2003年2月︶は、日本の女優。
広島県広島市出身。1935年に宝塚音楽歌劇学校に第25期生として入学。同期生に女優として活躍した日高澄子や東風うらゝらがいる。戦時中、戦後と映画女優として活躍した。本名は宇佐美百合子︵旧姓‥八木︶。
経歴[編集]
●1935年、宝塚少女歌劇団に入団し、花組に所属。日高澄子とともに、グランドレビュー﹃ゴンドリア﹄で初舞台。
●1939年11月、在団中に、宝塚映画﹃雪割草﹄︵原作/白井鐵造︶ に出演[1]。
●1940年5月、在団中に、宝塚映画﹃女學生と兵隊﹄︵原作/島本志津夫︶ に出演。
●1940年9月、﹃宝塚グラフ﹄の表紙を飾る。
●1941年、宝塚歌劇団を退団し、東宝に入社。黒澤明監督﹃一番美しく﹄などに出演。
●1951年、成瀬巳喜男監督の﹃めし﹄を最後に退社、
●1952年、﹃霧の夜の兇弾﹄︵東映︶出演後、芸能活動引退。
●2003年2月、逝去。享年81。
フィルモグラフィ[編集]
●﹃雪割草﹄︵宝塚映画、1939年︶
●﹃女學生と兵隊﹄︵宝塚映画、1940年︶
●﹃幸子と夏代﹄︵東宝映画東京、1941年︶
●﹃女学生記﹄︵東京発声、1941年︶
●﹃男の花道﹄︵東宝映画、1941年︶
●﹃若い先生﹄︵東宝映画、1942年︶
●﹃南海の花束﹄︵東宝映画、1942年︶
●﹃小春狂言﹄︵東宝映画、1942年︶
●﹃愛の世界 山猫とみの話﹄︵東宝映画、1943年︶
●﹃一番美しく﹄︵東宝、1944年︶
●﹃恋の風雲児﹄︵東宝、1945年完成、1953年公開︶
●﹃明日を創る人々﹄︵東宝、1946年︶
●﹃或る夜の殿様﹄︵東宝、1946年︶
●﹃わが青春に悔なし﹄︵東宝、1946年︶
●﹃今ひとたびの﹄︵東宝、1947年︶
●﹃戦争と平和﹄︵東宝、1947年︶
●﹃無頼漢長兵衞﹄︵大映、1949年︶
●﹃獄門島﹄︵東横、1949年︶
●﹃獄門島 解明篇﹄︵東横、1949年︶
●﹃女の四季﹄︵東宝 1950年︶
●﹃めし﹄︵東宝 1951年︶
●﹃わかれ雲﹄︵新東宝、1951年︶
●﹃霧の夜の兇弾﹄︵東映、1952年︶
出典[編集]
- ^ 『芸能人物事典 明治 大正 昭和』(日外アソシエーツ、1998年)
外部リンク[編集]
- 谷間小百合 - 日本映画データベース
- 谷間小百合 - 文化庁日本映画情報システム
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