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'''倶舎宗'''︵くしゃしゅう︶とは、[[中国]]・[[東アジア]]の[[仏教]][[宗派]]の1つ。[[世親]]が著した[[阿毘達磨倶舎論|﹃アビダルマ・コーシャ﹄(Abhidharma-kośa)]] とその漢訳本である[[真諦]]訳﹃阿毘達磨倶舍釋論﹄︵略称﹃倶舎釈論﹄︶・[[玄奘]]訳﹃阿毘達磨倶舍論﹄︵略称﹃倶舎釈﹄︶、それらの注釈書を中心として諸経論を研究・講義し、師資相承する学僧たちのグループ。﹃アビダルマ・コーシャ﹄は、インド[[瑜伽行派]]︵[[唯識派]]︶の世親が、かつて所属した有力[[部派]]である[[説一切有部]]の思想を中心にまとめた論書︵[[アビダルマ]]︶である。毘曇宗、抑舎宗、倶舎衆、薩婆多︵さっばた︶宗などとも。[[中国十三宗]]の1つ。日本の[[南都六宗]]の1つ。
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'''倶舎宗'''︵くしゃしゅう︶とは、[[中国]]・[[東アジア]]の[[仏教]][[宗派]]の1つ。[[世親]]が著した[[阿毘達磨倶舎論|﹃アビダルマ・コーシャ﹄(Abhidharma-kośa)]] とその漢訳本である[[真諦]]訳﹃阿毘達磨倶舍釋論﹄︵略称﹃倶舎釈論﹄︶・[[玄奘]]訳﹃阿毘達磨倶舍論﹄︵略称﹃倶舎釈﹄︶、それらの注釈書を中心として諸経論を研究・講義し、師資相承する学僧たちのグループ。﹃アビダルマ・コーシャ﹄は、インド[[瑜伽行派]]︵[[唯識派]]︶の世親が、かつて所属した有力[[部派]]である[[説一切有部]]の思想を中心にまとめた論書︵[[アビダルマ]]︶である。毘曇宗、抑舎宗、倶舎衆、薩婆多︵さっばた︶宗などとも。[[中国十三宗]]の1つ。日本の[[南都六宗]]の1つ。
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中国に﹃倶舎論﹄が伝来するのは真諦訳﹃阿毘達磨倶舍釋論﹄全22巻として564年であった。その後、玄奘が中国に訪れ、多数の唯識学系統の経論とともに﹃阿毘達磨倶舍論﹄全30巻として[[654年]]に再漢訳される<ref name="nipponica">[https://kotobank.jp/word/%E5%80%B6%E8%88%8E%E5%AE%97-55240#E6.97.A5.E6.9C.AC.E5.A4.A7.E7.99.BE.E7.A7.91.E5.85.A8.E6.9B.B8.28.E3.83.8B.E3.83.83.E3.83.9D.E3.83.8B.E3.82.AB.29 日本大百科全書﹁倶舎宗﹂] - コトバンク > [[日本大百科全書]]</ref>。また、玄奘は﹃倶舎論﹄の他にも六足発智婆沙等の多数のアビダルマ論典を翻訳した。そして、これらの玄奘訳のアビダルマ文献を研究する集団として倶舎宗が興った<ref>﹃望月仏教辞典﹄p.669</ref>。
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日本においては、斉明天皇の四年に、智通、智達が入唐し、本論を日本に伝え、その後、唐僧を招き興福寺などで研学された<ref>﹃望月仏教辞典﹄p.669</ref>。
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しかし、'''倶舎宗'''という宗派が公的に制定されるのは、天平勝宝年間︵[[749年]] - [[757年]]︶の[[東大寺]]においてであろう。そのころ、この宗派が大仏開眼供養にちなんで[[南都六宗]]の一つとして自宗関係の多数の経論を転読講説していることが分かっている。奈良時代以後は[[元興寺]]︵南寺︶と[[興福寺]]︵北寺︶を中心とする[[法相宗]]の付宗として伝統が伝えられた。
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しかし、'''倶舎宗'''という宗派が公的に制定されるのは、天平勝宝年間︵[[749年]] - [[757年]]︶の[[東大寺]]においてであろう。そのころ、この宗派が大仏開眼供養にちなんで[[南都六宗]]の一つとして自宗関係の多数の経論を転読講説していることが分かっている。奈良時代以後は[[元興寺]]︵南寺︶と[[興福寺]]︵北寺︶を中心とする[[法相宗]]の付宗として伝統が伝えられた。
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2015年12月3日 (木) 03:12時点における版
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倶舎宗︵くしゃしゅう︶とは、中国・東アジアの仏教宗派の1つ。世親が著した﹃アビダルマ・コーシャ﹄(Abhidharma-kośa) とその漢訳本である真諦訳﹃阿毘達磨倶舍釋論﹄︵略称﹃倶舎釈論﹄︶・玄奘訳﹃阿毘達磨倶舍論﹄︵略称﹃倶舎釈﹄︶、それらの注釈書を中心として諸経論を研究・講義し、師資相承する学僧たちのグループ。﹃アビダルマ・コーシャ﹄は、インド瑜伽行派︵唯識派︶の世親が、かつて所属した有力部派である説一切有部の思想を中心にまとめた論書︵アビダルマ︶である。毘曇宗、抑舎宗、倶舎衆、薩婆多︵さっばた︶宗などとも。中国十三宗の1つ。日本の南都六宗の1つ。
概要
中国に﹃倶舎論﹄が伝来するのは真諦訳﹃阿毘達磨倶舍釋論﹄全22巻として564年であった。その後、玄奘が中国に訪れ、多数の唯識学系統の経論とともに﹃阿毘達磨倶舍論﹄全30巻として654年に再漢訳される[1]。また、玄奘は﹃倶舎論﹄の他にも六足発智婆沙等の多数のアビダルマ論典を翻訳した。そして、これらの玄奘訳のアビダルマ文献を研究する集団として倶舎宗が興った[2]。 日本においては、斉明天皇の四年に、智通、智達が入唐し、本論を日本に伝え、その後、唐僧を招き興福寺などで研学された[3]。 また、元興寺禅院の開祖の道昭が661年に帰朝の際に、﹃倶舎論﹄および注疏を招来したとも考えられている。 しかし、倶舎宗という宗派が公的に制定されるのは、天平勝宝年間︵749年 - 757年︶の東大寺においてであろう。そのころ、この宗派が大仏開眼供養にちなんで南都六宗の一つとして自宗関係の多数の経論を転読講説していることが分かっている。奈良時代以後は元興寺︵南寺︶と興福寺︵北寺︶を中心とする法相宗の付宗として伝統が伝えられた。所依
脚注・出典
- ^ 日本大百科全書「倶舎宗」 - コトバンク > 日本大百科全書
- ^ 『望月仏教辞典』p.669
- ^ 『望月仏教辞典』p.669