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「大阪」の版間の差分

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== 歴史 ==

== 歴史 ==


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=== 「大坂」地名発生以前の大坂 ===

=== 「大坂」地名発生以前の大坂 ===

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[[1869年]]には北・南・天満の三郷から東・南・西・北の4大組に再編され、[[1875年]]に[[大区小区制]]が施行されると、順に第1~4大区となり、[[1879年]]に[[郡区町村編制法]]が施行されると、再び[[東区_(大阪市)|東]]・[[南区_(大阪市)|南]]・[[西区_(大阪市)|西]]・[[北区_(大阪市)|北]]の4区となった。[[1889年]]には[[市制]]施行により大阪府管内の[[大阪市]]となる([[市制特例]]参照)。大阪市はその後周辺の町村を合併して、[[1925年]]にはほぼ現在の領域に広がった。さらに府は周辺の県を統合した後、[[1887年]]に[[奈良県]]を分離して現在の大阪府の領域となった。この結果、元来は都市名であった大阪の地名は現在のように広域を指すようになる。なお、第二次世界大戦終了後の[[1950年代]]中頃にも周辺の町村を合併し、また後年に湾岸部の埋立などが行われたため、現在の大阪市の領域はさらに広がったが、それ以後大きな市域拡大は行われず、政令指定都市の中でも予算規模等上位にありながらも非常に面積の小さい市となっている。

[[1869年]]には北・南・天満の三郷から東・南・西・北の4大組に再編され、[[1875年]]に[[大区小区制]]が施行されると、順に第1~4大区となり、[[1879年]]に[[郡区町村編制法]]が施行されると、再び[[東区_(大阪市)|東]]・[[南区_(大阪市)|南]]・[[西区_(大阪市)|西]]・[[北区_(大阪市)|北]]の4区となった。[[1889年]]には[[市制]]施行により大阪府管内の[[大阪市]]となる([[市制特例]]参照)。大阪市はその後周辺の町村を合併して、[[1925年]]にはほぼ現在の領域に広がった。さらに府は周辺の県を統合した後、[[1887年]]に[[奈良県]]を分離して現在の大阪府の領域となった。この結果、元来は都市名であった大阪の地名は現在のように広域を指すようになる。なお、第二次世界大戦終了後の[[1950年代]]中頃にも周辺の町村を合併し、また後年に湾岸部の埋立などが行われたため、現在の大阪市の領域はさらに広がったが、それ以後大きな市域拡大は行われず、政令指定都市の中でも予算規模等上位にありながらも非常に面積の小さい市となっている。



前述のように、大阪に首都を置くことは幻に終わったが、それから約60年後の1923年に発生した[[関東大震災]]によって関東地方近郊居住していた被災者の一部が、関東地方を離れて日本国内の各地方に移住したが、その多くは近畿地方、特に大阪市域およびそれに隣接する大阪府下各都市へと移住したことにより、急速に人口が増加したことと、1925年に実施した前述の周辺町村の合併により、首府の東京府東京市(現・東京都区部)を人口で追い抜き、日本最大の人口を有する都市となった。また、世界でも6番目の人口数を誇る主要都市となり、ここに[[大大阪時代]]が到来した。しかし[[1932年]]に東京府東京市が周辺町村の合併によって市域拡大によって、人口で再び大阪市を追い抜いたため<ref group="注">大阪市も同日周辺町村の合併を実施したため、市域は拡大し人口も増加したが、東京市では[[関東大震災]]からの復興が進み、人口が急速に回復傾向にあったことや、東京市は隣接している周辺82町村の編入を一挙に実施したため、人口の増加数では東京市の方が圧倒的に多かった</ref>、大大阪時代はわずか7年で終焉した。

前述のように、大阪に首都を置くことは幻に終わったが、それから約60年後の1923年に発生した[[関東大震災]]によって関東地方近郊居住していた被災者の一部が、関東地方を離れて日本国内の各地方に移住したが、その多くは近畿地方、特に大阪市域およびそれに隣接する大阪府下各都市へと移住したことにより、急速に人口が増加したことと、1925年に実施した前述の周辺町村の合併により、首府の東京府東京市(現・[[東京都区部]])を人口で追い抜き、日本最大の人口を有する都市となった。また、世界でも6番目の人口数を誇る主要都市となり、ここに[[大大阪時代]]が到来した。しかし[[1932年]]に東京府東京市が周辺町村の合併によって市域拡大によって、人口で再び大阪市を追い抜いたため<ref group="注">大阪市も同日周辺町村の合併を実施したため、市域は拡大し人口も増加したが、東京市では[[関東大震災]]からの復興が進み、人口が急速に回復傾向にあったことや、東京市は隣接している周辺82町村の編入を一挙に実施したため、人口の増加数では東京市の方が圧倒的に多かった</ref>、大大阪時代はわずか7年で終焉した。



== 文化 ==

== 文化 ==


2018年6月14日 (木) 14:31時点における版


: Ōsaka[1][2][3]西西使




1496

[4]

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[5][6]

[7]2 1




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西


201411

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使寿

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6

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MacintoshOsaka


注釈
  1. ^ 慶応4年旧暦閏4月21日(1868年6月11日)に公布された政体書に基いて同年旧暦5月2日(1868年6月21日)に大坂の地に”府”が設置された際には「大阪府」と表記され、官報に於いても明治20年(1887年)から同24年(1891年)にかけての時期に「大坂」から「大阪」へと表記が改められた。その一方で、大阪府の公文書に於いては明治22年(1889年)時点で未だ「大坂」と「大阪」の両表記が混在していた[8]
  2. ^ 大阪市も同日周辺町村の合併を実施したため、市域は拡大し人口も増加したが、東京市では関東大震災からの復興が進み、人口が急速に回復傾向にあったことや、東京市は隣接している周辺82町村の編入を一挙に実施したため、人口の増加数では東京市の方が圧倒的に多かった
出典


(一)^  Encyclopædia Britannica Online, Encyclopædia Britannica, (2009), http://www.britannica.com/EBchecked/topic/433718/Osaka 

(二)^  Encyclopædia Britannica Online, Encyclopædia Britannica, (2009), http://www.britannica.com/EBchecked/topic/433716/Osaka 

(三)^  Encarta, , (2009), http://encarta.msn.com/encyclopedia_761578052/%C5%8Csaka.html 

(四)^   1998ISBN 4-534-02808-3

(五)^ ab (24 May 2011).  (Report). . 2017114

(六)^ (1)No.17PDF10020149132017114 

(七)^     2

(八)^ 2(3)OSAKAPHP2003120ISBN 4569578845 

関連書籍

関連項目

外部リンク