「太平洋艦隊 (ロシア海軍)」の版間の差分
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{{軍隊資料 |
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|名称 = 太平洋艦隊<br>{{lang|ru|Тихоокеанский Флот}} |
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|画像 = [[File:Great emblem of the Pacific Fleet.svg|200px]] |
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|創設 = 1731年 |
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|所在地 = [[沿海地方]][[ウラジオストク]] |
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|上級部隊 = [[ロシア海軍]] |
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* [[露土戦争 (1877年-1878年)|露土戦争]] |
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* [[日露戦争]] |
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* [[第一次世界大戦]] |
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* [[第二次世界大戦]] |
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* [[2022年ロシアのウクライナ侵攻|ウクライナ侵攻]] |
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{{ロシア海軍}} |
{{ロシア海軍}} |
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'''太平洋艦隊'''︵たいへいようかんたい、 |
'''太平洋艦隊'''︵たいへいようかんたい、{{lang-ru|'''Тихоокеанский Флот}}'''、略称‥'''{{lang|ru|ТОФ}}'''︶は、[[太平洋]]上での作戦を目的とした、[[ロシア海軍]]の[[艦隊]]である。艦艇のほか地上戦力︵[[ロシア海軍歩兵]]︶や[[海軍航空隊|航空戦力]]も保有している。太平洋艦隊は[[ソ連海軍]]時代に創設されたが、それ以前の[[ロシア帝国]]︵帝政ロシア︶海軍の歴史と伝統も継承しているため、ここではロシア帝国からソ連、[[ロシア連邦]]時代を含めて解説する。
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太平洋艦隊は、[[北方艦隊]]に次いで、2番目に強力な艦隊である。 |
太平洋艦隊は、[[北方艦隊]]に次いで、2番目に強力な艦隊である。 |
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=== 帝政ロシア時代 === |
=== 帝政ロシア時代 === |
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[[ファイル:Great emblem of the Pacific Fleet.svg|thumb|left|140px|太平洋艦隊の袖章]] |
[[ファイル:Great emblem of the Pacific Fleet.svg|thumb|left|140px|太平洋艦隊の袖章]] |
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[[1731年]]、[[オホーツク海]]奥にあったロシアの軍事・探検・造船の拠点 |
[[ロシアのシベリア征服|シベリア征服]]により極東に到達したロシアは[[1731年]]、[[オホーツク海]]奥にあったロシアの軍事・探検・造船の拠点[[オホーツク]]に﹁オホーツク小艦隊﹂︵{{lang|ru|Охотская военная флотилия, Okhotskaya voyennaya flotiliya}}︶を創設した。最初の司令官はグリゴリー・スコルニャコフ=ピサレフ︵Grigoriy Skornyakov-Pisarev︶で、沿岸警備、漁船の防衛、先住民との戦闘、太平洋岸での旅客・物資輸送、[[カムチャツカ半島]]や[[アラスカ]]の探検、後の[[露米会社]]の設立と運営などが主な仕事であった。[[1799年]]には[[イギリス]]など[[列強]]の太平洋進出に対する警戒や[[日本]]︵当時は[[江戸幕府]]︶との[[千島列島]]での緊張に対処するため、小艦隊は強化されることになり、3隻の[[フリゲート]]艦と3隻の小艦艇が海軍少将I.フォミンの指揮下で[[バルト海艦隊]]からオホーツクに回航された。以後、バルト海艦隊の太平洋戦隊がオホーツク小艦隊︵及びその後身のシベリア小艦隊︶とは別に並立するようになっている。
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[[1849年]]、 |
[[1849年]]、カムチャツカ半島にある良港[[ペトロパブロフスク・カムチャツキー|ペトロパブロフスク=ナ=カムチャトカ]]が小艦隊の根拠地となり、カムチャツカ小艦隊とも呼ばれるようになる。[[1850年]]には海軍軍人[[ゲンナジー・ネヴェリスコイ]]により[[アムール川]][[河口]]の[[ニコラエフスク=ナ=アムーレ]]︵当時、正式にはまだ[[清]]国領︶に哨所が設けられ、アムール川沿岸や[[日本海]]沿岸の探検も行われるようになった。[[1854年]]夏には[[クリミア戦争]]の余波で[[イギリス]]・[[フランス]]連合軍による[[ペトロパブロフスク・カムチャツキー包囲戦]]が行われたが、オホーツク小艦隊はこれを持ちこたえるのに顕著な役割を果たし、連合軍を撃退している。この戦闘を契機として、[[1856年]]にオホーツク小艦隊は根拠地をペトロパブロフスク=カムチャツキーからニコラエフスク=ナ=アムーレに移転し、﹁'''{{仮リンク|シベリア小艦隊|ru|Сибирская военная флотилия}}'''﹂︵{{lang|ru|Сибирская военная флотилия, Sibirskaya voyennaya flotiliya}}︶と改名した。
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[[1860年]]の[[北京条約]]により、ロシアは[[外満洲]]の割譲を受け、[[沿海州]]を獲得した。河口で水深も浅いニコラエフスクに代わり、深くて冬でも凍らない港湾が沿海州南部の |
[[1860年]]の[[北京条約]]により、ロシアは[[外満洲]]の割譲を受け、[[沿海州]]を獲得した。河口で水深も浅いニコラエフスクに代わり、深くて冬でも凍らない港湾︵[[不凍港]]︶が沿海州南部の日本海沿いに造られることになった。[[1871年]]には[[ピョートル大帝湾]]の良港、[[金角湾 (ウラジオストク)|金角湾]]に建設された[[ウラジオストク]]が新たな拠点になり、極東の防衛のために[[バルト海艦隊]]から大規模な戦隊が日本海に回航された。
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19世紀までは小規模な艦隊だったシベリア小艦隊は、[[日露関係]]の緊迫化、イギリスや[[アメリカ合衆国]]などの脅威により拡充が求められるようになり、ロシア政府は建艦計画を策定した。しかしその実行は遅れ、艦隊の規模も不十分であり、1880年代まで極東の根拠地には[[ドック]]もない状態で、汽走艦の入渠修理は日本の[[長崎港]]、清国の[[上海港]]などの外国にあるドックに依存していた{{Sfn|原輝行|1998|p=98}}。
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[[日清戦争]]後には、ロシアは弱体化した清から[[満州]]のさまざまな権益を獲得し、[[1897年]]には[[遼東半島]]の清国軍港だった[[旅順口区|旅順]](ポート・アーサー / ポルト=アルトゥール)および[[大連市|大連]](ダーリニー)を占領してこれをウラジオストクに並ぶ拠点にした。1900年にはアムール川の警備のために'''[[アムール小艦隊]]'''({{lang|ru|Амурская военная флотилия}})も設置された。日露関係の緊迫化とともに極東にはバルト海から新鋭艦が回航されるようになった<ref>黒海からは艦艇の移動が認められていなかった。</ref>。 |
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ロシアは[[ユーラシア大陸]]各地で[[南下政策]]を進めており、シベリア小艦隊もその一翼を担った。日本に対しては19世紀初期の千島・[[樺太]]襲撃︵[[文化露寇]]︶に続いて、[[幕末]]には[[ロシア軍艦対馬占領事件]]を起こした。この他にも越冬などの目的で日本や[[李氏朝鮮]]、清の港を頻繁に訪れてそのプレゼンスを高め、特に朝鮮で、[[元山]]などを[[軍港]]として使用することを模索した。ウラジオストク港には[[1890年]]に浮ドックが、その数年後には乾ドック{{Efn2|[[1891年]]に、[[ニコライ2世 (ロシア皇帝)|ニコライ皇太子]]臨席の下で起工式が行われ、﹁ニコライ皇太子名称乾ドック﹂と命名された{{Sfn|原輝行|1998|p=177}}。}}が完成し、同港での艦船の入渠修理が可能となった{{Sfn|原輝行|1998|p=177}}{{Sfn|原輝行|1998|loc=巻末略年表(1)}}{{Efn2|ただ、日露戦争の頃までは浮ドックと乾ドックが各1基という規模であり、修理能力は限られていた。また、19世紀末頃にウラジオストクへの配備を想定して建造されたペトロパブロフスク級戦艦も、このドックの規模を考慮して同時期の列強の戦艦よりやや小さい船体規模とされるなどの影響もあった。}}。
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[[ファイル:Cruisers_Ryurik_and_Gromoboi_in_the_Golden_Horn_Bay.png|thumb|250px|金角湾のウラジオストク軍港に入るロシアの[[装甲巡洋艦]]。左は[[リューリク_(装甲巡洋艦・初代)|リューリク]]、右は[[グロモボーイ_(装甲巡洋艦)|グロモボーイ]]([[1903年]])]] |
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[[1904年]]、[[日露戦争]]開戦直前の[[2月5日]]、極東にあったシベリア小艦隊やバルト海艦隊太平洋戦隊などに属する艦船は、[[ステパン・マカロフ]]海軍中将指揮下の'''太平洋艦隊'''へと再編された。この時点で、太平洋戦隊の艦船([[戦艦]]7、[[巡洋艦]]8、[[水雷艇]]13、[[砲艦]]2)とシベリア小艦隊の艦船の一部(巡洋艦2、[[水雷巡洋艦]]2、水雷艇12、砲艦5)は旅順に拠点を置き、残りの巡洋艦(巡洋艦4、水雷艇10)はウラジオストクに残った('''[[ウラジオストク巡洋艦隊]]''')。直後の[[2月9日]]の[[旅順口攻撃]]と[[仁川沖海戦]]より太平洋艦隊は日本海軍と交戦に入った。 |
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[[日清戦争]]後には、ロシアは弱体化した清から[[満州]]の様々な権益を獲得し、[[1897年]]には[[遼東半島]]の清国軍港だった[[旅順口区|旅順]](ポート・アーサー / ポルト=アルトゥール)および[[大連市|大連]](ダーリニー)を占領して[[旅順・大連租借に関する露清条約|旅順・大連租借条約]]を締結。旅順をウラジオストクに並ぶ拠点にした。1900年にはアムール川の警備のために'''{{仮リンク|アムール小艦隊|ru|Амурская военная флотилия}}'''({{lang|ru|Амурская военная флотилия}})も設置された。日露関係の緊迫化とともに極東には[[バルト海]]の[[バルチック艦隊]]から新鋭艦が回航されるようになった{{Efn2|クリミア戦争を終結させた[[パリ条約 (1856年)]]により、[[オスマン帝国]]以外の艦艇は[[ボスポラス海峡]]と[[ダーダネルス海峡]]を通航できず、ロシア[[黒海艦隊]]艦艇は外洋への移動が認められていなかった。}}。 |
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太平洋艦隊は[[旅順港閉塞作戦|旅順の閉塞防止]]や日本に対する[[通商破壊]]を戦い、特にウラジオストク巡洋艦隊は[[常陸丸事件]]などで日本軍の大陸への物資・兵員輸送を妨げ、[[第二艦隊_(日本海軍)|日本海軍第二艦隊]]を旅順から遠く離れたウラジオストクや朝鮮半島周辺にくぎ付けにした。その一方でマカロフは3月31日に乗艦が触雷した際に戦死してしまい、後を[[ヴィリゲリム・ヴィトゲフト]]が代行として引き継いだ。旅順艦隊にはより多くの戦力が必要であったため、バルト海艦隊から艦船を抽出して太平洋艦隊として組み込むことになり、従来の艦隊を「第一太平洋艦隊」<ref>この「艦隊」の名称には通常の「флота」ではなく「эскадра」という言葉を使用している。「эскадра」に対応する日本語は無く日本ではこれも艦隊と呼称している。</ref>とし、増援艦隊を「第二太平洋艦隊」として[[ジノヴィー・ロジェストヴェンスキー]]提督指揮下のもと極東へ向かわせることとなった。しかし[[黄海海戦 (日露戦争)|黄海海戦]]で旅順艦隊が、[[蔚山沖海戦]]でウラジオストク巡洋艦隊が打撃を受けた上、[[旅順攻囲戦|旅順の陥落]]により旅順艦隊は全ての艦が使用不能となってしまった<ref>一部の艦が残っていたが中立国において抑留されていた。</ref>。それでも新たにバルト海艦隊の残留艦で編成した「第三太平洋艦隊」(日本側では第二・第三太平洋艦隊をまとめて「バルチック艦隊」と呼ぶ)をさらに増援とし、旅順からウラジオストクに目的地を変え航海を続行させたが、[[日本海海戦]]で壊滅した。 |
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[[ファイル:Cruisers_Ryurik_and_Gromoboi_in_the_Golden_Horn_Bay.png|thumb|250px|金角湾のウラジオストク軍港に入るロシアの[[装甲巡洋艦]]。左は[[リューリク_(装甲巡洋艦・初代)|リューリク]]、右は[[グロモボーイ_(装甲巡洋艦)|グロモボーイ]]([[1903年]])。]] |
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日露戦争末期の[[ロシア第一革命]]ではウラジオストクに残った太平洋艦隊の水兵も革命に参加し、ウラジオストクでは[[1906年]]1月と[[1907年]]10月にも水兵が武装蜂起に参加した。 |
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[[1904年]]、[[日露戦争]]開戦直前の[[2月5日]]、極東にあったシベリア小艦隊やバルチック艦隊太平洋戦隊などに属する艦船は、'''太平洋艦隊'''へと再編された。この時点で、太平洋戦隊の艦船︵[[戦艦]]7、[[巡洋艦]]8、[[水雷艇]]13、[[砲艦]]2︶とシベリア小艦隊の艦船の一部︵巡洋艦2、[[水雷巡洋艦]]2、水雷艇12、砲艦5︶は旅順に拠点を置き︵通称:旅順艦隊︶、残りの巡洋艦︵巡洋艦4、水雷艇10︶はウラジオストクに残った︵'''[[ウラジオストク巡洋艦隊]]'''︶。開戦直後の[[2月9日]]、[[旅順口攻撃]]と[[仁川沖海戦]]より太平洋艦隊は[[大日本帝国海軍|日本海軍]]と交戦に入った。バルト海からさらに増援が向かっており、開戦時には[[スエズ運河]]まで抜けていたが合流は断念された。
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旅順艦隊は[[現存艦隊主義#ロシア/ソ連|艦隊保全]]を図り、ウラジオストク巡洋艦隊は[[常陸丸事件]]など[[通商破壊]]を行った。艦隊司令長官は、日本海軍による[[奇襲]]を許した[[オスカル・スタルク]]から[[ステパン・マカロフ]]に交代したが、マカロフは3月31日、座乗していた[[ペトロパブロフスク級戦艦|戦艦「ペトロパブロフスク」]]が[[機雷]]に触れて[[轟沈]]した際に戦死してしまい、後を[[ヴィリゲリム・ヴィトゲフト]]が代行として引き継いだ。バルト海から増援として艦隊を編成することになり、従来の艦隊を「第一太平洋艦隊」{{Efn2|この「艦隊」の名称には通常の「{{lang|ru|флота}}」ではなく「{{lang|ru|эскадра}}」という言葉を使用している。「{{lang|ru|эскадра}}」に対応する日本語は無く日本ではこれも艦隊と呼称している。}}とし、増援艦隊を「第二太平洋艦隊」として[[ジノヴィー・ロジェストヴェンスキー]]提督が指揮して極東へ向かわせることとなった。しかし[[黄海海戦 (日露戦争)|黄海海戦]]で旅順艦隊が、[[蔚山沖海戦]]でウラジオストク巡洋艦隊が打撃を受けた上、[[旅順攻囲戦]]に勝利した[[大日本帝国陸軍|日本陸軍]]による陸上からの砲撃で旅順艦隊は全艦が使用不能となってしまった{{Efn2|一部の艦が残っていたが中立国において抑留されていた。}}。それでも新たにバルト海艦隊の残留艦で編成した「第三太平洋艦隊」(日本側では第二・第三太平洋艦隊をまとめて「バルチック艦隊」と呼ぶ)をさらに増援とし、旅順からウラジオストクに目的地を変え航海を続行させたが、[[日本海海戦]]で壊滅した。日露戦争末期の[[ロシア第一革命]]ではウラジオストクに残った太平洋艦隊の水兵も革命に参加している。ウラジオストクでは[[1906年]]1月と[[1907年]]10月にも水兵が武装蜂起に参加した。 |
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1905年、ウラジオストクに残った太平洋艦隊の艦船や日本海海戦で生き残った艦船をもとに'''シベリア小艦隊'''が再編された。[[黄海海戦_(日露戦争)|黄海海戦]]や日本海海戦の際に中国やアジア各地の港に逃げ込み、抑留されていた艦もロシアに返還されてシベリア小艦隊に合流し、さらにヨーロッパ側からも新造艦が徐々にウラジオストクに送られている。 |
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日露戦争後、太平洋方面の艦隊は大幅に縮小され'''シベリア小艦隊'''となった。生き残るかアジア各地の港に逃げ込み抑留されていた太平洋艦隊の艦船も多くはバルト海に戻り、新造艦が徐々にウラジオストクに送られている。 |
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=== ソビエト連邦時代 === |
=== ソビエト連邦時代 === |
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[[十月革命]]および続く[[ロシア内戦]]では、シベリア小艦隊やアムール小艦隊の水兵が極東にソビエト(評議会)による支配を確立するために戦い、さらにシベリアに進出した諸国の干渉軍に対しても戦った([[シベリア出兵]])。しかし艦船の多くは[[白軍]]や日本軍に奪われている。 |
[[十月革命]]および続く[[ロシア内戦]]では、シベリア小艦隊やアムール小艦隊の水兵が極東にソビエト(評議会)による支配を確立するために戦い、さらにシベリアに進出した諸国の干渉軍に対しても戦った([[シベリア出兵]])。しかし艦船の多くは[[白軍]]や日本軍に奪われている。 |
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シベリア干渉 |
シベリア干渉がほぼ終わった[[1922年]]、ソビエトは'''[[極東共和国人民海軍]]'''を解散し、極東の艦船を赤軍ウラジオストク管区管轄下の'''極東赤色海軍'''({{lang|ru|Красный флот на Дальнем Востоке}})、およびアムール小艦隊へと改組している。アムール小艦隊は、満州の国境線をめぐる[[中ソ紛争]]で[[中華民国]]と戦っている。 |
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[[満州事変]]に伴う日本軍の脅威の増大により、ソ連政府は[[1932年]][[4月13日]]に'''極東海軍'''︵{{lang|ru|Морские силы Дальнего востока}}︶を創設し、[[1935年]]1月に'''太平洋艦隊'''と改名している。しかし当初の戦力は貧弱で、[[シベリア鉄道]]で |
[[満州事変]]に伴う日本軍の脅威の増大により、ソ連政府は[[1932年]][[4月13日]]に'''極東海軍'''︵{{lang|ru|Морские силы Дальнего востока}}︶を創設し、[[1935年]]1月に'''太平洋艦隊'''と改名している。しかし当初の戦力は貧弱で、軍艦と呼べるものは﹁[[クラースヌイ・ヴィンペル]]﹂ぐらいしかなく、[[シベリア鉄道]]で[[ウラガーン級警備艦]]を運送しなければならず、﹁[[ミチエーリ (哨戒艦)|ミチエーリ]]﹂﹁ビオーガ﹂﹁グロム﹂﹁ゲーイゼル﹂﹁モールニヤ﹂﹁ザルニーツァ﹂の六隻が太平洋艦隊にシベリア鉄道で陸送された。
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それでも1930年頃の太平洋艦隊は貧弱な戦力しか持たず、[[北洋漁業]]に従事する日本漁船の取り締まりすら満足にできていなかった。そのため、1935年に海軍とは別に[[内務人民委員部|NKVD]][[ロシア国境軍|国境警備隊]]ウラジオストク分遣隊が編成され[[警備艦]]﹁[[キーロフ (警備艦)|キーロフ]]﹂﹁ジェルジンスキー﹂の2隻が[[イタリア]]から回航され配備されている。この二隻は[[第二次世界大戦]]末期の[[ソ連対日参戦]]では海軍指揮下に入って参戦した。
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[[ファイル:Kaganovich cruiser.jpg|thumb|250px|[[ラーザリ・カガノーヴィチ (軽巡洋艦)]]。1946年頃]] |
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[[独ソ戦]]︵[[大祖国戦争]]︶開戦に伴い、太平洋艦隊も出動可能な状態となり、[[北方艦隊]]へも[[嚮導艦|嚮導駆逐艦]]や[[駆逐艦]]や潜水艦を送ったほか、水兵14万人が[[東部戦線|西部戦線]]︵ソ連側から見ての西部︶でのドイツとの戦いに動員されている。ドイツとの戦争が終わると太平洋艦隊は速やかに拡充され、[[1945年]]8月の[[ソ連対日参戦]]の時点で巡洋艦2、嚮導駆逐艦1、駆逐艦10、哨戒艇19、潜水艦78、水雷敷設艇10、掃海艇52、駆潜艇︵MO、{{lang|ru|Малый Охотник}}︶49、水雷艇204、戦闘機1459を抱えていた。
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ソ連政府はユーラシア大陸の南を航海せずに済む[[北極海航路]]の開発を進め、北極海経由での艦船回航にも成功している。1932年には水雷艇戦隊を作り、8隻の[[潜水艦]]を進水させた。[[1934年]]には26の潜水艦を受領し、その後も飛行隊、[[沿岸砲]]台、太平洋海軍学校などを整備していった。第二次世界大戦開戦時には2つの水上艦部隊、4つの潜水艦部隊、1つの水雷艇部隊、そのほか哨戒艇部隊や[[ロシア空挺軍|落下傘降下部隊]]、砲台守備隊などを持っていた。
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1945年の満州侵攻で太平洋艦隊は朝鮮半島北部沿岸で戦闘に参加し、さらに[[樺太の戦い (1945年)|南樺太侵攻]]、[[占守島の戦い|千島列島侵攻]]にも参加している。これらの戦いで多くの将兵が[[ソ連邦英雄]]などの称号や栄誉を受け、18の艦船が[[親衛隊 (ソ連・独立国家共同体)|親衛隊]]の称号を、16の艦船が[[赤旗勲章]]を受けている。
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[[1939年]][[8月]]、隷下に[[間宮海峡]]と[[オホーツク海]]防衛を任務とする'''{{仮リンク|北太平洋小艦隊|en|Northern_Pacific_Flotilla}}'''(司令部:[[ソヴィエツカヤ・ガヴァニ]])を編成した。
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[[ファイル:Soviet Pacific Fleet 1990.jpg|thumb|250px|1990年、ウラジオストク軍港に停泊する太平洋艦隊の艦船]] |
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戦後、[[ボリショイ・カーメニ]]などの海軍基地の町が多数極東に築かれた。カムチャツカ半島の[[ヴィリュチンスク]]には[[原子力潜水艦]]の基地が置かれ、[[冷戦]]下、アメリカ軍と太平洋を挟んで直接対峙する太平洋艦隊はソ連の核戦略の上で重要な役割を果たすに至った。1965年には太平洋艦隊に赤旗勲章が授与された。
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[[ファイル:Kaganovich cruiser.jpg|thumb|250px|[[ラーザリ・カガノーヴィチ (軽巡洋艦)]]。1946年頃の撮影。]]
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[[ベトナム戦争]]終了後は、南ベトナムの[[カムラン湾]]にソ連太平洋艦隊の補給基地が造られ、極東のみならず[[インド洋]]へも展開するようになった。[[1968年]]、イギリス政府は[[スエズ運河]]以東のアジアから軍事力を1971年までに引き上げることを表明したが、これ以後[[ソ連海軍]]は[[アメリカ海軍]]に対抗してインド洋に勢力を築くことに熱心になった。インド洋戦隊はカムラン湾を拠点として、[[南シナ海]]や[[フィリピン]]を睨み、[[インド]]・[[ペルシャ湾]]・[[東アフリカ]]などに定期的に入港し、そのプレゼンスを高めていった。[[南イエメン]]や[[エチオピア]]を拠点とする[[Il-38_(航空機)|Il-38]]対潜哨戒機や、ソ連艦艇に搭載された[[Ka-25 (航空機)|Ka-25]]ヘリコプターもアメリカ海軍の動向を監視していた。 |
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[[独ソ戦]]︵[[大祖国戦争]]︶開戦に伴い、太平洋艦隊も出動可能な状態となり、[[北方艦隊]]へも[[嚮導艦|嚮導駆逐艦]]や[[駆逐艦]]や潜水艦を送ったほか、水兵14万人が[[東部戦線|西部戦線]]︵ソ連側から見ての西部︶での[[ナチス・ドイツ]]との戦いに動員されている。ドイツとの戦争が終わると太平洋艦隊は速やかに拡充され、[[1945年]]8月のソ連対日参戦の時点ではアメリカから[[レンドリース]]で供与された船も含めて巡洋艦2︵完成は戦後︶、嚮導駆逐艦1、駆逐艦10、哨戒艇19、潜水艦78、水雷敷設艇10、[[掃海艇]]52、[[駆潜艇]]︵MO, {{lang|ru|Малый Охотник}}︶49、水雷艇204、戦闘機1459を抱えていた。
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1945年5月、[[プロジェクト・フラ]]が実施され計画では1945年11月1日までに180隻の艦艇の貸与と15,000人のソビエト海軍将兵の訓練を行うことになっていたが、8月で終戦したため一部は実施されず、掃海艇55隻、[[上陸用舟艇]]30隻、[[タコマ級フリゲート]]28隻、大型歩兵上陸用舟艇(LCI)30隻など計145隻の艦船が貸与された。 |
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[[1980年]]以降はソ連海軍の戦略は大洋での制海権競争から、近海での[[聖域 (軍事)|聖域戦略]]に重点を置くようになり、太平洋艦隊はオホーツク海の要塞化を進めた。[[キエフ級航空巡洋艦]]︵[[空母]]︶[[ミンスク (空母)|ミンスク]]は太平洋艦隊に所属し、1980年代は頻繁に日本近海を行き来した。同型の[[ノヴォロシースク (空母)|ノヴォロシースク]]も太平洋艦隊に配属されている。
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1945年の満州侵攻で太平洋艦隊は[[朝鮮半島]]北部沿岸で戦闘に参加し、さらに[[樺太の戦い (1945年)|南樺太侵攻]]、[[占守島の戦い|千島列島侵攻]]にも参加している。これらの戦いで多くの将兵が[[ソ連邦英雄]]などの称号や栄誉を受け、18の艦船が[[親衛隊 (ソ連・独立国家共同体)|親衛隊]]の称号を、16の艦船が[[赤旗勲章]]を受けている。
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[[ファイル:Soviet Pacific Fleet 1990.jpg|thumb|250px|ウラジオストク軍港に停泊する太平洋艦隊の艦船(1990年)]] |
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戦後、1945年9月、北太平洋小艦隊は解散した。[[1947年]]1月、太平洋艦隊は'''第5艦隊'''(主要基地はウラジオストク)と'''第7艦隊'''(主要基地はソヴィエツカヤ・ガヴァニ)の2艦隊に分割された。1950年にはアメリカから貸与されていた艦艇が返却された、返却された[[タコマ級フリゲート]]のうち18隻が日本に再供与され、[[韓国海軍]]にも供与された。[[1953年]]4月、両艦隊は再び太平洋艦隊に再編された。 |
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戦後の[[冷戦]]下、極東には[[ボリショイ・カーメニ]]などの海軍基地の町が多数築かれ、カムチャツカ半島の[[ヴィリュチンスク]]には[[原子力潜水艦]](原潜)の基地が置かれた。アメリカ本土を[[核攻撃]]できる[[潜水艦発射弾道ミサイル]](SLBM)を搭載した[[弾道ミサイル潜水艦|戦略原潜]]はソ連核戦略の要の一つであり、太平洋艦隊は日本の[[自衛隊]]や[[在日米軍]]と直接対峙した。1965年には太平洋艦隊に赤旗勲章が授与された。 |
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[[ベトナム戦争]]終了後は、南ベトナムの[[カムラン湾]]にソ連太平洋艦隊の補給基地が造られ、極東のみならず[[インド洋]]へも展開するようになった。[[1968年]]、イギリス政府は[[スエズ運河]]以東のアジアから軍事力を1971年までに引き上げることを表明したが、これ以後ソ連海軍は[[アメリカ海軍]]に対抗してインド洋に勢力を築くことに熱心になった。インド洋戦隊はカムラン湾を拠点として、[[南シナ海]]や[[フィリピン]]を睨み、[[インド]]や[[ペルシャ湾]]、[[東アフリカ]]沿岸諸国にも寄港し、そのプレゼンスを高めていった。[[南イエメン]]や[[エチオピア]]を拠点とする[[Il-38_(航空機)|Il-38]][[対潜哨戒機]]や、ソ連艦艇に搭載された[[Ka-25 (航空機)|Ka-25]][[ヘリコプター]]もアメリカ海軍の動向を監視していた。 |
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[[1980年]]以降はソ連海軍の戦略は大洋での[[制海権]]競争から、近海での[[聖域 (軍事)|聖域戦略]]に重点を置くようになり、太平洋艦隊はオホーツク海の要塞化を進めた。[[キエフ級航空母艦|キエフ級航空巡洋艦]]︵[[軽空母]]︶﹁[[ミンスク (空母)|ミンスク]]﹂は太平洋艦隊に所属し、1980年代は頻繁に日本近海を行き来した。同型の﹁[[ノヴォロシースク (空母)|ノヴォロシースク]]﹂も太平洋艦隊に配属されている。
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===ソ連崩壊後のロシア連邦=== |
===ソ連崩壊後のロシア連邦=== |
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1991年の[[ソビエト連邦の崩壊]]後は多くの艦船が[[船舶解体|スクラップ]]にされたほか、多数が極東の軍港に係留されたまま放置されていたが、 |
1991年の[[ソビエト連邦の崩壊]]後は多くの艦船が[[船舶解体|スクラップ]]にされたほか、多数が極東の軍港に係留されたまま放置されていたが、徐々に解体が進められている。 |
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[[ウラジーミル・プーチン]]政権はロシア軍の再建・拡充を進め、太平洋艦隊には新型の[[ステレグシュチイ級フリゲート]]「ソヴェルシェーンヌイ」が2017年に就役し<ref>{{Cite news|url=http://tass.ru/armiya-i-opk/4426500 |title={{lang|ru|Новейший корвет "Совершенный" вошел в состав Тихоокеанского флота}}|newspaper=[[タス通信|{{lang|ru|ТАСС}}]]|date=2017-7-20|accessdate=2017-11-19|language=ru}}</ref>、同型艦6隻の配備が計画されるなど艦隊の近代化を進めた<ref>{{Cite news|url=http://flot.com/2016/%D0%A2%D0%B8%D1%85%D0%BE%D0%BE%D0%BA%D0%B5%D0%B0%D0%BD%D1%81%D0%BA%D0%B8%D0%B9%D0%A4%D0%BB%D0%BE%D1%8215/ |title={{lang|ru|Тихоокеанцам пообещали построить шесть корветов}}|date=2016-5-21|newspaper=Mil.Press FLOT|accessdate=2017-11-19|archiveurl=https://web.archive.org/web/20160706012439/http://flot.com/2016/%D0%A2%D0%B8%D1%85%D0%BE%D0%BE%D0%BA%D0%B5%D0%B0%D0%BD%D1%81%D0%BA%D0%B8%D0%B9%D0%A4%D0%BB%D0%BE%D1%8215/|archivedate=2017-7-6|language=ru}}</ref>。既存の艦も修理を受け復帰しつつある。同じく日米と対峙する[[中国人民解放軍海軍]]との共同[[軍事演習]]も実施している<ref>{{Cite news|url=https://www.sankei.com/article/20221221-QJUL6BKGD5JJNKOFUI5X3F5DQE/ |title=中露が東シナ海で合同演習へ 日米牽制か|newspaper=[[産経デジタル|産経新聞ニュース]]|date=2022年12月21日|accessdate=2023年4月22日}}</ref>。 |
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[[2022年ロシアのウクライナ侵攻]]では太平洋艦隊の海軍歩兵が[[ヨーロッパロシア]]に移されて[[ウクライナ軍]]との地上戦闘に投入されており、[[第155独立親衛海軍歩兵旅団 (ロシア海軍)|第155独立親衛海軍歩兵旅団]]のように大きな損害を受けた部隊もある<ref name=東京新聞20230216>{{Cite news|url=https://www.tokyo-np.co.jp/article/231343 |title=ロシア精鋭部隊 5000人壊滅か﹁大攻勢﹂試み犠牲者急拡大|newspaper=[[東京新聞]]|date=2023年2月15日|accessdate=2023-2-16}}</ref>。
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== 編 |
== 編制 == |
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=== 統合部隊 === |
=== 統合部隊(北東軍集団) === |
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[[北東軍集団 (ロシア連邦軍)|北東軍集団]](旧カムチャッカ小艦隊)、1998年成立。一時期は陸軍や空軍の部隊も含んで統一指揮を行っていた<ref>[[小泉悠]]『ロシア軍は生まれ変わるか』[[東洋書店]]ユーラシア・ブックレット</ref>。 |
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*艦艇部隊 |
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**[[第10潜水艦師団 (ロシア海軍)|第10潜水艦師団]]:クラチェニンニコフ湾 / [[ヴィリュチンスク]] |
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**[[第25潜水艦師団 (ロシア海軍)|第25潜水艦師団]]:クラチェニンニコフ湾 / ヴィリュチンスク |
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**第114水域警備艦旅団:ザヴォイコ / [[ペトロパブロフスク・カムチャツキー]] |
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***第117水域警備艦大隊 |
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***第66小型ミサイル艦大隊 |
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**第438独立救助船大隊:ザヴォイコ / [[ペトロパブロフスク・カムチャツキー]] |
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**第84保障船舶旅団:ザヴォイコ / ペトロパブロフスク・カムチャツキー |
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*海軍航空隊 |
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**第865独立戦闘機航空連隊:エリゾヴォ |
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**第317独立混成航空連隊:エリゾヴォ |
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**第216独立電子戦連隊:アングリチャンカ |
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*海軍歩兵・沿岸防衛部隊 |
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**[[第40独立親衛海軍歩兵旅団 (ロシア海軍)|第40独立親衛海軍歩兵旅団]]:ペトロパブロフスク・カムチャツキー |
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**第1532高射ミサイル連隊 |
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**第520独立沿岸ミサイル・砲兵旅団:アングリチャンカ |
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=== 艦艇部隊 === |
=== 艦艇部隊 === |
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[[ファイル:Штаб КТОФ.jpg|thumb|250px|ロシア太平洋艦隊司令部(ウラジオストク)]] |
[[ファイル:Штаб КТОФ.jpg|thumb|250px|ロシア太平洋艦隊司令部(ウラジオストク)]] |
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*太平洋艦隊旗艦:[[スラヴァ級ミサイル巡洋艦]][[ヴァリャーク (ミサイル巡洋艦・2代)|ヴァリャーク]] |
*太平洋艦隊旗艦:[[スラヴァ級ミサイル巡洋艦]]:[[ヴァリャーク (ミサイル巡洋艦・2代)|ヴァリャーク]] |
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*プリモーリェ(沿海州)諸兵科連合小艦隊:[[フォーキノ (沿海地方)|フォーキノ]] |
*プリモーリェ(沿海州)諸兵科連合小艦隊:[[フォーキノ (沿海地方)|フォーキノ]] |
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**第36水上艦艇師団:フォーキノ |
**第36水上艦艇師団:フォーキノ |
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***[[スラヴァ級ミサイル巡洋艦]] |
***[[スラヴァ級ミサイル巡洋艦]]:[[ヴァリャーク_(ミサイル巡洋艦・2代)|ヴァリャーク]] |
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***[[ソヴレメンヌイ級駆逐艦]] |
***[[ソヴレメンヌイ級駆逐艦]]:ブールヌイ、ブィーストルイ |
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**第44対潜艦旅団: |
**第44対潜艦旅団:ウラジオストク |
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***[[ウダロイ級駆逐艦]] |
***[[ウダロイ級駆逐艦]]:アドミラル・ヴィノグラードフ、アドミラル・パンテレーエフ、アドミラル・トリブツ、マルシャル・シャーポシニコフ」 |
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**第100揚陸艦旅団:フォーキノ |
**第100揚陸艦旅団:フォーキノ |
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***ロプーチャII型戦車揚陸艦 |
***[[ロプーチャ級揚陸艦|ロプーチャII型戦車揚陸艦]]:[[ペレスヴェート_(大型揚陸艦)|ペレスヴェート]] |
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***ロプーチャI型戦車揚陸艦 |
***ロプーチャI型戦車揚陸艦:アドミラル・ネヴェルスキー、[[オスリャービャ_(大型揚陸艦)|オスリャービャ]] |
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***[[タピール級揚陸艦]]:ニコライ・ヴィルコフ |
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***デュゴン型汎用揚陸艇 |
***[[ジュゴン級上陸用舟艇|デュゴン型汎用揚陸艇]]:イヴァン・カルツォフ |
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***セルナ型汎用揚陸艇 |
***[[セルナ級揚陸艇|セルナ型汎用揚陸]]艇:DKA107 |
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***オンダトラ型機動揚陸艇 |
***オンダトラ型機動揚陸艇:DKA57、DKA70 |
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**[[第19潜水艦旅団 (ロシア海軍)|第19潜水艦旅団]]:ユリス湾/ウラジオストク |
**[[第19潜水艦旅団 (ロシア海軍)|第19潜水艦旅団]]:ユリス湾/ウラジオストク |
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***[[キロ型潜水艦]] |
***[[キロ型潜水艦]]:B-260チタ、B-445シヴァティテル・ニコライ・チュドットヴォーレツ、B-345モゴーチャ、B-187コムソモリスク・ナ・アムーレ |
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**第165水上艦艇旅団:ユリシーズ湾/ウラジオストク |
**第165水上艦艇旅団:ユリシーズ湾/ウラジオストク |
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***第2親衛ミサイル艇大隊 |
***第2親衛ミサイル艇大隊 |
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****[[タランタル型コルベット|タランタル型ミサイルコルベット]] |
****[[タランタル型コルベット|タランタル型ミサイルコルベット]]:R-11、R-14、R-18、R-19、R-20、R-24、R-29、R-79、R-261、R-297、R-298 |
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***第11水域警備艦大隊: |
***第11水域警備艦大隊: |
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****[[グリシャ型コルベット]] |
****[[グリシャ型コルベット]]:MPK-17ウスチ・イリムスク、MPK-64メーティエリィ、MPK-221、MPK-222コリェエツ |
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****ソーニャ型掃海艇:BT-100、BT-114、BT-232、BT-256 |
****ソーニャ型掃海艇:BT-100、BT-114、BT-232、BT-256 |
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**第38独立水域警備艦大隊:[[ソヴィエツカヤ・ガヴァニ]] |
**第38独立水域警備艦大隊:[[ソヴィエツカヤ・ガヴァニ]] |
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***グリシャ型コルベット |
***グリシャ型コルベット:MPK191ホルムスク、MPK-214ソヴェツカヤ・ガヴァニ |
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***ソーニャ型掃海艇 |
***ソーニャ型掃海艇:BT-256 |
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**第79独立救助船大隊:ウラジオストク |
**第79独立救助船大隊:ウラジオストク |
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***バクラザーン型サルベージ曳船 |
***バクラザーン型サルベージ曳船:フォチイー・クリロフ |
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***イングル型サルベージ曳船:マシューク |
***イングル型サルベージ曳船:マシューク |
||
***ミハイル・ラドニスキー級サルベージ艦 |
***ミハイル・ラドニスキー級サルベージ艦:サヤニイ |
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***イェルバ型水中作業母船 |
***イェルバ型水中作業母船:VM-20 |
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***ポザールヌイ型消防船 |
***ポザールヌイ型消防船:PZHK-82 |
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***モルコフ型消防船 |
***モルコフ型消防船:PZHK-1514 |
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**第31保障船舶旅団:ウラジオストク |
**第31保障船舶旅団:ウラジオストク |
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***第1補助艦集団: |
***第1補助艦集団: |
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****ボリス・チリキン級補給艦 |
****[[ボリス・チリキン級補給艦]]:ボリス・ブトマ |
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****改アルタイ級給油艦 |
****改アルタイ級給油艦:イェルニャ、イゾーラ、イリーム |
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****[[ドゥブナ級補給艦]] |
****[[ドゥブナ級補給艦]]:ペチェンガ、イルクート |
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***第2補助艦集団: |
***第2補助艦集団: |
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****[[オビ級病院船]] |
****[[オビ級病院船]]:イルティシュ |
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****エンバ型電纜敷設艦 |
****エンバ型電纜敷設艦:ケーム |
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****カシュタン型設標艦 |
****カシュタン型設標艦:KIL-498、KIL-927 |
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****オネガ型音響測定艦 |
****オネガ型音響測定艦:SFP-173 |
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****ペリム型消磁艦 |
****ペリム型消磁艦:SR-111 |
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****オホーツク型航洋曳船 |
****オホーツク型航洋曳船:アレクサンデル・ピスクノフ |
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****ネフテカズ型航洋曳船 |
****ネフテカズ型航洋曳船:カラール |
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****ソールム型航洋曳船 |
****ソールム型航洋曳船:MB-99 |
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***第3補助艦集団: |
***第3補助艦集団: |
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****プロメテイ型港内曳船 |
****プロメテイ型港内曳船:RB-179、RB-239 |
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****スティヴィドル型港内曳船 |
****スティヴィドル型港内曳船:RB-325 |
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****サイドホール型港内曳船 |
****サイドホール型港内曳船:RB-194、RB-240 |
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***第4補助艦集団: |
***第4補助艦集団: |
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****港内輸送用のポンツーンを配備 |
****港内輸送用の[[ポンツーン]]を配備 |
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**第515独立偵察艦大隊 |
**第515独立偵察艦大隊:ソヴィエツカヤ・ガヴァニ |
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***[[バルザム型情報収集艦]] |
***[[バルザム型情報収集艦]]:プリバルチカ |
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***[[ヴィシュニヤ型情報収集艦]] |
***[[ヴィシュニヤ型情報収集艦]]:クリルイ、カレリヤ |
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**第72建造・修理潜水艦旅団:[[ボリショイ・カーメニ]] |
**第72建造・修理潜水艦旅団:[[ボリショイ・カーメニ]] |
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=== 海軍航空隊 === |
=== 海軍航空隊 === |
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*第568独立混成航空連隊 |
*第568独立混成航空連隊:カーメンヌイ・ルチェイ。[[Tu-95 (航空機)#派生型|Tu-142M]]を装備。 |
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*第289独立混成対潜航空連隊‥ニコラエフカ。[[Il-38_(航空機)|Il-38]]、[[An-12_(航空機)|An-12]]、[[An-26_(航空機)|An-26]]、[[Mi-8_(航空機)|Mi-8]]を装備
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*第289独立混成対潜航空連隊‥ニコラエフカ。[[Il-38_(航空機)|Il-38]]、[[An-12_(航空機)|An-12]]、[[An-26_(航空機)|An-26]]、[[Mi-8_(航空機)|Mi-8]]を装備
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*第71独立輸送航空飛行隊:クネヴィッチ。An-12、[[An-24_(航空機)|An-24]]、An-26を装備 |
*第71独立輸送航空飛行隊:クネヴィッチ。An-12、[[An-24_(航空機)|An-24]]、An-26を装備 |
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117行目: | 181行目: | ||
=== 海軍歩兵・沿岸防衛部隊 === |
=== 海軍歩兵・沿岸防衛部隊 === |
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*第155海軍歩兵旅団 |
*[[第155独立親衛海軍歩兵旅団 (ロシア海軍)|第155独立親衛海軍歩兵旅団]]:ウラジオストク |
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*第72独立沿岸ミサイル連隊: |
*第72独立沿岸ミサイル連隊:[[地対艦ミサイル]]を装備。 |
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*第217独立電波電子戦連隊:[[シコトヴォ17|シコートヴォ]] |
*第217独立電波電子戦連隊:[[シコトヴォ17|シコートヴォ]] |
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*第42海上偵察所(軍部隊59190):[[ルースキー島]]。[[海軍スペツナズ]] |
*第42海上偵察所(軍部隊59190):[[ルースキー島]]。[[海軍スペツナズ]]。 |
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== 主要基地 == |
== 主要基地 == |
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*[[ウラジオストク]]:太平洋艦隊本部所在地 |
*[[ウラジオストク]]:太平洋艦隊本部所在地 |
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*[[ペトロパブロフスク・カムチャツキー|ペトロパヴロフスク・カムチャツキー]]:ルイバチー([[ヴィリュチンスク]]市)。原潜部隊の所在地 |
*[[ペトロパブロフスク・カムチャツキー|ペトロパヴロフスク・カムチャツキー]]:ルイバチー([[ヴィリュチンスク]]市)。原潜部隊の所在地。 |
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*[[フォーキノ (沿海地方)|チハアケアンスキー]]:ストレローク湾。[[フォーキノ (沿海地方)|フォーキナ]]、又は「シュコートヴァ-17」とも言う。書類上、太平洋艦隊所属の巡洋艦、駆逐艦、揚陸艦は、同地が母港となっている。 |
*[[フォーキノ (沿海地方)|チハアケアンスキー]]:ストレローク湾。[[フォーキノ (沿海地方)|フォーキナ]]、又は「シュコートヴァ-17」とも言う。書類上、太平洋艦隊所属の巡洋艦、駆逐艦、揚陸艦は、同地が母港となっている。 |
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*パブロフスキー湾:原潜基地。現在は退役原潜の保管場所として使われている。 |
*パブロフスキー湾:原潜基地。現在は退役原潜の保管場所として使われている。 |
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ウラジオストクには、乾ドック、浮きドック、通常弾頭倉庫が存在し、造船所「ダリザヴォード」では、艦艇の近代化及び修理が行われている。接岸施設の総延長は、27kmである。 |
ウラジオストクには、乾ドック、浮きドック、通常弾頭倉庫が存在し、造船所「ダリザヴォード」では、艦艇の近代化及び修理が行われている。接岸施設の総延長は、27kmである。 |
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[[ボリショイ・カーメニ]]市には |
[[ボリショイ・カーメニ]]市には[[ズヴェズダ造船所]]が有り、原子力潜水艦の整備や修理、解体が行われている。 |
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テムプ町(ラズボイニク湾)近隣とカムチャッカの「ゴルニャク」工場(クラシェンニコフ湾)近隣には、放射線廃棄物保管庫が存在する。ルイバチー([[ヴィリュチンスク]]市)の隣には、核弾頭保管庫が存在する。ラズボイニク湾には、1979年に日本から購入した石川島播磨重工 |
テムプ町(ラズボイニク湾)近隣とカムチャッカの「ゴルニャク」工場(クラシェンニコフ湾)近隣には、放射線廃棄物保管庫が存在する。ルイバチー([[ヴィリュチンスク]]市)の隣には、核弾頭保管庫が存在する。ラズボイニク湾には、1979年に日本から購入した石川島播磨重工([[IHI]])製の超大型浮きドックが置かれている。 |
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== 歴代司令官 == |
== 歴代司令官 == |
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!|職名||氏名||階級||在任期間||出身校||前職 |
!|職名||氏名||階級||在任期間||出身校||前職 |
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|司令官||[[ヴィクトル・ヒョードロフ]]||大将||2001 |
|司令官||[[ヴィクトル・ヒョードロフ]]||大将||2001年12月-2007年12月||太平洋高等海軍学校||太平洋艦隊参謀長 |
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|司令官||セルゲイ・アバンキャッツ||大将||(不明)-2023年4月{{Efn2|[[ユーリ・トルトネフ]]副首相が2023年4月19日に公表し、理由は退職年齢に達ししたためと説明されている<ref>『[[読売新聞]]』朝刊2023年4月22日国際面記事「露太平洋艦隊司令官が退任 侵略巡る引責か」</ref>。}}|||| |
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== 脚注 == |
== 脚注 == |
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{{脚注ヘルプ}} |
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=== 注釈 === |
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=== 出典 === |
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== 参考文献 == |
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* {{Cite book |和書 |author=原輝行|title=ウラジオストク物語 |publisher=三省堂 |year=1998 |isbn=978-4385358390 |ref=harv }} |
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== 外部リンク == |
== 外部リンク == |
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* [http://www.mil.ru/ ロシア連邦国防省公式サイト](ロシア語、英語) |
* [http://www.mil.ru/ ロシア連邦国防省公式サイト](ロシア語、英語) |
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* [http://flot.com/ ロシア海軍](ロシア語、英語) |
* [http://flot.com/ ロシア海軍](ロシア語、英語) |
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* [http://www.fegi.ru/PRIMORYE/flot/index.htm 太平洋艦隊の歴史](ロシア語。ロシア科学アカデミー極東支部極東地質学研究所内) |
* [http://www.fegi.ru/PRIMORYE/flot/index.htm 太平洋艦隊の歴史](ロシア語。[[ロシア科学アカデミー]]極東支部極東地質学研究所内) |
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* [http://jp.rian.ru/photolents/20080714/114037217.html/ ロシア太平洋艦隊の演習] |
* [http://jp.rian.ru/photolents/20080714/114037217.html/ ロシア太平洋艦隊の演習] |
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{{ロシア連邦軍}} |
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{{Normdaten}} |
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{{デフォルトソート:たいへいようかんたい}} |
{{デフォルトソート:たいへいようかんたい}} |
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[[Category:ロシア海軍]] |
[[Category:ロシア海軍の艦隊]] |
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[[Category: |
[[Category:赤旗勲章受章者]] |
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[[Category:ウラジオストク]] |
[[Category:ウラジオストク]] |
2024年6月12日 (水) 11:45時点における最新版
![]() |
太平洋艦隊 Тихоокеанский Флот | |
---|---|
![]() | |
創設 | 1731年 |
所属政体 |
![]() |
所属組織 |
![]() |
兵種/任務/特性 | 艦隊 |
所在地 | 沿海地方ウラジオストク |
愛称 | ТОФ |
上級単位 | ロシア海軍 |
主な戦歴 |
![]() ![]() |
国防省 |
---|
主要艦隊 |
他作戦部隊 |
歴史・伝統 |
その他 |
歴史[編集]
帝政ロシア時代[編集]
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/6/63/Great_emblem_of_the_Pacific_Fleet.svg/140px-Great_emblem_of_the_Pacific_Fleet.svg.png)
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/2/22/Cruisers_Ryurik_and_Gromoboi_in_the_Golden_Horn_Bay.png/250px-Cruisers_Ryurik_and_Gromoboi_in_the_Golden_Horn_Bay.png)
ソビエト連邦時代[編集]
十月革命および続くロシア内戦では、シベリア小艦隊やアムール小艦隊の水兵が極東にソビエト︵評議会︶による支配を確立するために戦い、さらにシベリアに進出した諸国の干渉軍に対しても戦った︵シベリア出兵︶。しかし艦船の多くは白軍や日本軍に奪われている。 シベリア干渉がほぼ終わった1922年、ソビエトは極東共和国人民海軍を解散し、極東の艦船を赤軍ウラジオストク管区管轄下の極東赤色海軍︵Красный флот на Дальнем Востоке︶、およびアムール小艦隊へと改組している。アムール小艦隊は、満州の国境線をめぐる中ソ紛争で中華民国と戦っている。 満州事変に伴う日本軍の脅威の増大により、ソ連政府は1932年4月13日に極東海軍︵Морские силы Дальнего востока︶を創設し、1935年1月に太平洋艦隊と改名している。しかし当初の戦力は貧弱で、軍艦と呼べるものは﹁クラースヌイ・ヴィンペル﹂ぐらいしかなく、シベリア鉄道でウラガーン級警備艦を運送しなければならず、﹁ミチエーリ﹂﹁ビオーガ﹂﹁グロム﹂﹁ゲーイゼル﹂﹁モールニヤ﹂﹁ザルニーツァ﹂の六隻が太平洋艦隊にシベリア鉄道で陸送された。 それでも1930年頃の太平洋艦隊は貧弱な戦力しか持たず、北洋漁業に従事する日本漁船の取り締まりすら満足にできていなかった。そのため、1935年に海軍とは別にNKVD国境警備隊ウラジオストク分遣隊が編成され警備艦﹁キーロフ﹂﹁ジェルジンスキー﹂の2隻がイタリアから回航され配備されている。この二隻は第二次世界大戦末期のソ連対日参戦では海軍指揮下に入って参戦した。 ソ連政府はユーラシア大陸の南を航海せずに済む北極海航路の開発を進め、北極海経由での艦船回航にも成功している。1932年には水雷艇戦隊を作り、8隻の潜水艦を進水させた。1934年には26の潜水艦を受領し、その後も飛行隊、沿岸砲台、太平洋海軍学校などを整備していった。第二次世界大戦開戦時には2つの水上艦部隊、4つの潜水艦部隊、1つの水雷艇部隊、そのほか哨戒艇部隊や落下傘降下部隊、砲台守備隊などを持っていた。 1939年8月、隷下に間宮海峡とオホーツク海防衛を任務とする北太平洋小艦隊(司令部:ソヴィエツカヤ・ガヴァニ)を編成した。![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/a/a4/Kaganovich_cruiser.jpg/250px-Kaganovich_cruiser.jpg)
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/4/4e/Soviet_Pacific_Fleet_1990.jpg/250px-Soviet_Pacific_Fleet_1990.jpg)
ソ連崩壊後のロシア連邦[編集]
1991年のソビエト連邦の崩壊後は多くの艦船がスクラップにされたほか、多数が極東の軍港に係留されたまま放置されていたが、徐々に解体が進められている。 ウラジーミル・プーチン政権はロシア軍の再建・拡充を進め、太平洋艦隊には新型のステレグシュチイ級フリゲート﹁ソヴェルシェーンヌイ﹂が2017年に就役し[4]、同型艦6隻の配備が計画されるなど艦隊の近代化を進めた[5]。既存の艦も修理を受け復帰しつつある。同じく日米と対峙する中国人民解放軍海軍との共同軍事演習も実施している[6]。 2022年ロシアのウクライナ侵攻では太平洋艦隊の海軍歩兵がヨーロッパロシアに移されてウクライナ軍との地上戦闘に投入されており、第155独立親衛海軍歩兵旅団のように大きな損害を受けた部隊もある[7]。編制[編集]
統合部隊︵北東軍集団︶[編集]
北東軍集団︵旧カムチャッカ小艦隊︶、1998年成立。一時期は陸軍や空軍の部隊も含んで統一指揮を行っていた[8]。 ●艦艇部隊 ●第10潜水艦師団‥クラチェニンニコフ湾 / ヴィリュチンスク ●第25潜水艦師団‥クラチェニンニコフ湾 / ヴィリュチンスク ●第114水域警備艦旅団‥ザヴォイコ / ペトロパブロフスク・カムチャツキー ●第117水域警備艦大隊 ●第66小型ミサイル艦大隊 ●第438独立救助船大隊‥ザヴォイコ / ペトロパブロフスク・カムチャツキー ●第84保障船舶旅団‥ザヴォイコ / ペトロパブロフスク・カムチャツキー ●海軍航空隊 ●第865独立戦闘機航空連隊‥エリゾヴォ ●第317独立混成航空連隊‥エリゾヴォ ●第216独立電子戦連隊‥アングリチャンカ ●海軍歩兵・沿岸防衛部隊 ●第40独立親衛海軍歩兵旅団‥ペトロパブロフスク・カムチャツキー ●第1532高射ミサイル連隊 ●第520独立沿岸ミサイル・砲兵旅団‥アングリチャンカ艦艇部隊[編集]
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/4/40/%D0%A8%D1%82%D0%B0%D0%B1_%D0%9A%D0%A2%D0%9E%D0%A4.jpg/250px-%D0%A8%D1%82%D0%B0%D0%B1_%D0%9A%D0%A2%D0%9E%D0%A4.jpg)
海軍航空隊[編集]
●第568独立混成航空連隊‥カーメンヌイ・ルチェイ。Tu-142Mを装備。 ●第289独立混成対潜航空連隊‥ニコラエフカ。Il-38、An-12、An-26、Mi-8を装備 ●第71独立輸送航空飛行隊‥クネヴィッチ。An-12、An-24、An-26を装備 マンゴフトには、太平洋艦隊の除籍された機体のための大航空基地が存在する。海軍歩兵・沿岸防衛部隊[編集]
●第155独立親衛海軍歩兵旅団‥ウラジオストク ●第72独立沿岸ミサイル連隊‥地対艦ミサイルを装備。 ●第217独立電波電子戦連隊‥シコートヴォ ●第42海上偵察所︵軍部隊59190︶‥ルースキー島。海軍スペツナズ。主要基地[編集]
●ウラジオストク‥太平洋艦隊本部所在地 ●ペトロパヴロフスク・カムチャツキー‥ルイバチー︵ヴィリュチンスク市︶。原潜部隊の所在地。 ●チハアケアンスキー‥ストレローク湾。フォーキナ、又は﹁シュコートヴァ-17﹂とも言う。書類上、太平洋艦隊所属の巡洋艦、駆逐艦、揚陸艦は、同地が母港となっている。 ●パブロフスキー湾‥原潜基地。現在は退役原潜の保管場所として使われている。 ●ラクーシュカ‥ウラジーミル湾 ●コルサコフ ●マガダン ●ナホトカ ●オリガ ●ソヴィエツカヤ・ガヴァニ ウラジオストクには、乾ドック、浮きドック、通常弾頭倉庫が存在し、造船所﹁ダリザヴォード﹂では、艦艇の近代化及び修理が行われている。接岸施設の総延長は、27kmである。 ボリショイ・カーメニ市にはズヴェズダ造船所が有り、原子力潜水艦の整備や修理、解体が行われている。 テムプ町︵ラズボイニク湾︶近隣とカムチャッカの﹁ゴルニャク﹂工場︵クラシェンニコフ湾︶近隣には、放射線廃棄物保管庫が存在する。ルイバチー︵ヴィリュチンスク市︶の隣には、核弾頭保管庫が存在する。ラズボイニク湾には、1979年に日本から購入した石川島播磨重工︵IHI︶製の超大型浮きドックが置かれている。歴代司令官[編集]
職名 | 氏名 | 階級 | 在任期間 | 出身校 | 前職 |
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司令官 | ヴィクトル・ヒョードロフ | 大将 | 2001年12月-2007年12月 | 太平洋高等海軍学校 | 太平洋艦隊参謀長 |
司令官 | セルゲイ・アバンキャッツ | 大将 | (不明)-2023年4月[注 6] |
脚注[編集]
注釈[編集]
出典[編集]
参考文献[編集]
- 原輝行『ウラジオストク物語』三省堂、1998年。ISBN 978-4385358390。
外部リンク[編集]
- ロシア連邦国防省公式サイト(ロシア語、英語)
- ロシア海軍(ロシア語、英語)
- 太平洋艦隊の歴史(ロシア語。ロシア科学アカデミー極東支部極東地質学研究所内)
- ロシア太平洋艦隊の演習