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{{Otheruses|日本の雑誌|中国の雑誌|新青年 (中国)}} |
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'''新青年'''︵しんせいねん︶は、日本で[[1920年]]に創刊され、[[1950年]]まで続いた[[日本]]の[[雑誌]]。発行は[[博文館]]︵末期は同社解体のため、江古田書房→文友館→博友社に移籍︶。
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{{基礎情報 雑誌 |
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| 画像ファイル名 = 新青年創刊号表紙.jpg |
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| 画像サイズ = 200px |
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| 画像説明 = 創刊号(1920年1月号)の表紙 |
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| 誌名 = 新青年 |
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| 英文誌名 = |
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| 誌名略称 = |
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| ジャンル = [[総合雑誌]] |
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| 読者対象 = |
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| 刊行頻度 = 月刊 |
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| 発売国 = {{JPN}} |
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| 言語 = ja |
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| 定価 = |
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| 出版社 = [[博文館]]<br />→江古田書房<br />→文友館<br />→博友社 |
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| 編集部名 = |
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| 発行人 = |
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| 編集人1役職 = |
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| 編集人1氏名 = [[森下雨村]]<br />→[[横溝正史]]<br />→[[延原謙]]<br />→[[水谷準]]<br />→[[乾信一郎|上塚貞雄]]<br />→水谷準<br />→[[横溝武夫]]<br />→高森栄次 |
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| 編集人2役職 = |
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| 編集人2氏名 = |
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| ISSN = |
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| 雑誌名コード = |
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| 刊行期間 = 1920年1月号 - 1950年7月号 |
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| 発行部数 = 30,000 |
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| 発行部数調査年月 = 1937年1月 |
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| 発行部数調査機関 = [[内務省 (日本)|内務省]][[警保局]]<ref name="雑誌新聞発行部数事典">{{Cite | 和書 | editor = 小林昌樹 | title = 雑誌新聞発行部数事典――昭和戦前期 附. 発禁本部数総覧 | series = 文圃文献類従 24 | publisher = 金沢文圃閣 | date = 2011-12 | isbn = 978-4907789-84-8 | page = 133 }}出典は[[内務省 (日本)|内務省]][[警保局]]﹃出版警察報﹄。</ref>
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| レーベル = |
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| 姉妹誌 = |
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| ウェブサイト = |
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| 特記事項 = |
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﹃'''新青年'''﹄︵しんせいねん︶は、[[1920年]]に創刊され、[[1950年]]まで続いた[[日本]]の[[雑誌]]。発行は[[博文館]]︵末期は同社解体のため、江古田書房→文友館→博友社に移籍︶。
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[[1920年代]]から[[1930年代]]に流行した[[モダニズム]]の代表的な雑誌の一つであり、﹁都会的雑誌﹂として都市部のインテリ青年層の間で人気を博した。国内外の[[推理小説|探偵小説]]を紹介し、また[[江戸川乱歩]]、[[横溝正史]]を初めとする多くの探偵小説作家の活躍の場となって、日本の推理小説の歴史上、大きな役割を果たした。また[[牧逸馬]]、[[夢野久作]]、[[小栗虫太郎]]、[[久生十蘭]]といった異端作家を生み出した。平均発行部数は3万部前後、多い時は5-6万部に達していたと言われている<ref>[[尾崎秀樹]]﹁﹃新青年﹄と松本清張﹂︵﹃松本清張研究﹄第2号︵1997年、砂書房︶収録︶参照。</ref>。
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[[1920年代]]から[[1930年代]]に流行した[[モダニズム]]の代表的な雑誌の一つであり、﹁都会的雑誌﹂として都市部のインテリ青年層の間で人気を博した。国内外の[[推理小説|探偵小説]]を紹介し、また[[江戸川乱歩]]、[[横溝正史]]を初めとする多くの探偵小説作家の活躍の場となって、日本の推理小説の歴史上、大きな役割を果たした。また[[牧逸馬]]、[[夢野久作]]、[[小栗虫太郎]]、[[久生十蘭]]といった異端作家を生み出した。平均発行部数は3万部前後、多い時は5-6万部に達していたと言われている<ref>[[尾崎秀樹]]﹁﹃新青年﹄と松本清張﹂︵﹃松本清張研究﹄第2号︵1997年、砂書房︶収録︶参照。</ref>。また[[内務省 (日本)|内務省]][[警保局]]による調査では、[[1927年]]︵昭和2年︶当時約1万5000部<ref>{{Cite | 和書 | title = 新聞雑誌社特秘調査 | publisher = 大正出版 | date = 1979-10-15 | page = 22}}</ref>、第18巻第1号︵1937年2月1日発行︶が3万部、第19巻第3号︵1938年2月5日発行︶が2万1000部となっている<ref name="雑誌新聞発行部数事典" />。
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日本の探偵小説を語る上で欠かすことのできない雑誌であるが、探偵小説専門誌でもなければ[[小説誌|小説専門誌]]でもなく、現代小説から時代小説まで、さらには映画・演芸・スポーツなどのさまざまな話題を掲載した娯楽総合雑誌であった<ref>{{cite|和書|author=山前譲|authorlink=山前譲|contribution=探偵小説の百科全書「新青年」|editor=ミステリー文学資料館|editor-link=ミステリー文学資料館|title=幻の探偵雑誌 (10) 「新青年」傑作選|series=光文社文庫|publisher=光文社|year=2002|month=2|isbn=4-334-73282-8|page=7}}</ref>。 |
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==歴史== |
==歴史== |
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===創刊=== |
===創刊=== |
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博文館では[[日露戦争]]後から発行していた﹃[[冒険世界]]﹄︵﹃日露戦争写真画報﹄﹃写真画報﹄から改名︶が[[大正]]になって時代に合わなくなったため、編集長となった[[森下雨村]]に今後の方針を任せ、森下らは若い層に向けた新雑誌の構想を立て、社主の意向で地方青年向きの内容で﹃新青年﹄という名前の雑誌として、1920年 |
博文館では[[日露戦争]]後から発行していた﹃[[冒険世界]]﹄︵﹃日露戦争写真画報﹄﹃写真画報﹄から改名︶が[[大正]]になって時代に合わなくなったため、編集長となった[[森下雨村]]に今後の方針を任せ、森下らは若い層に向けた新雑誌の構想を立て、社主の意向で地方青年向きの内容で﹃新青年﹄という名前の雑誌として、1920年︵大正9年︶1月に創刊した<ref name="乾1991,201p">{{Cite book|和書|author=乾信一郎 |title=﹁新青年﹂の頃 |publisher=早川書房 |date=1991 |page=201 |isbn=}}</ref>。当初は、若者の背中を押し海外雄飛を促すことをねらった、ブラジルに移住して新天地を拓こうといった類の評論が巻頭を飾るような硬派な雑誌であったが、森下が主導し翻訳探偵小説を載せるようになると、やがて日本における探偵小説の唯一の発表舞台として不動の地位を築き、海外雄飛を奨励する傾向は自然消滅した<ref>{{Cite book|和書|author=乾信一郎 |title=﹁新青年﹂の頃 |publisher=早川書房 |date=1991 |page=104-105 |isbn=}}</ref>。探偵小説は、当時の他の娯楽雑誌ではほとんど扱いが無く﹃新青年﹄の独自性を高める要因になった<ref name="乾1991,105p"/>。
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翻訳小説では、創刊号では青年向き読物の他に、編集局長[[長谷川天渓]]の発案で[[オースティン・フリーマン]]「オシリスの眼」([[保篠龍緒]]訳)、雨村による[[セクストン・ブレイク]]ものの紹介を掲載した。創作では、10枚の掌編ミステリ小説の懸賞募集を行った<ref name="乾1991,201p"/>。1921年1月号では翻訳6編、8月には増刊号「探偵小説傑作集」を発行し、[[モーリス・ルブラン]]「[[水晶の栓]]」、[[ギルバート・ケイス・チェスタートン|チェスタトン]]「[[ブラウン神父の童心#青い十字架(The Blue Cross)|青い十字架]]」、[[L.J.ビーストン]]「マイナスの夜光珠」などを掲載。1922年からはこの増刊は年2回発行された。また募集により、1920年に八重野潮路([[西田政治]]、「林檎の皮」1920年4月号)、21年に[[横溝正史]](「[[恐ろしき四月馬鹿]]」1921年4月号)、22年に[[水谷準]](「好敵手」1922年12月号)がそれぞれ入選する。西田、横溝、[[浅野玄府]]、[[妹尾韶夫]]、[[谷譲次]]らは翻訳も盛んに手がけ、[[小酒井不木]]も探偵小説の研究随筆、翻訳、創作を発表するようになる。 |
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編集方針として翻訳探偵小説と創作探偵小説を大きな二本柱とし、そこにエッセイやコラムを交えるのが大まかなパターンであった<ref name="乾1991,105p">{{Cite book|和書|author=乾信一郎 |title=﹁新青年﹂の頃 |publisher=早川書房 |date=1991 |page=105 |isbn=}}</ref>。編集会議ではおもしろそうな提案でも他所がやっていることは却下され、他誌がやらないことをやろうという精神が骨格にあった。新しいこと、すなわち現代風をよく表現できるものとしてコラムやエッセイ、レイアウトに着目していた<ref name="乾1991,106p">{{Cite book|和書|author=乾信一郎 |title=﹁新青年﹂の頃 |publisher=早川書房 |date=1991 |page=106 |isbn=}}</ref>。
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編集方針として翻訳探偵小説に注目し、創刊号では青年向き読物の他に、編集局長[[長谷川天渓]]の発案で[[オースティン・フリーマン]]「オシリスの眼」([[保篠龍緒]]訳)、雨村による[[セクストン・ブレイク]]ものの紹介を掲載、また探偵小説募集を行った。1921年1月号では翻訳6編、8月には増刊号「探偵小説傑作集」を発行し、[[モーリス・ルブラン]]「[[水晶の栓]]」、[[ギルバート・ケイス・チェスタートン|チェスタトン]]「[[ブラウン神父の童心#青い十字架(The Blue Cross)|青い十字架]]」、L.J.ビーストン「マイナスの夜光珠」などを掲載。1922年からはこの増刊は年2回発行された。また募集により、1920年に八重野潮路([[西田政治]]、「林檎の皮」1920年4月号)、21年に[[横溝正史]](「[[恐ろしき四月馬鹿]]」1921年4月号)、22年に[[水谷準]](「好敵手」1922年12月号)がそれぞれ入選する。西田、横溝、[[浅野玄府]]、[[妹尾韶夫]]、[[谷譲次]]らは翻訳も盛んに手がけ、[[小酒井不木]]も探偵小説の研究随筆、翻訳、創作を発表するようになる。 |
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挿絵画家としては、創刊から間もなく[[松野一夫]]が原稿を持ち込み、森下編集長に認められ挿絵の執筆を始める。松野は1921年5月号で初めて表紙絵を担当、その後、1921年7月号、10月号、1922年1月号を経て、1922年3月号から1948年3月号まで連続して表紙絵を担当することになった<ref>{{citation |
挿絵画家としては、創刊から間もなく[[松野一夫]]が原稿を持ち込み、森下編集長に認められ挿絵の執筆を始める。松野は1921年5月号で初めて表紙絵を担当、その後、1921年7月号、10月号、1922年1月号を経て、1922年3月号から1948年3月号まで連続して表紙絵を担当することになった<ref>{{citation |
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探偵小説愛好家であった[[江戸川乱歩]]は[[馬場孤蝶]]に創作作品﹁[[二銭銅貨]]﹂を送ったが読んでもらえなかったため、雨村に送り直して1923年4月号に掲載され、怪奇幻想色の濃い後年の作風とは異なる論理性の高い探偵小説を続けて発表する。これに刺激を受けて、横溝、水谷の他に、[[角田喜久雄]]、[[山下利三郎]]らが執筆、さらに新人として[[甲賀三郎 (作家)|甲賀三郎]]、[[大下宇陀児]]、[[城昌幸]]、[[渡辺温]]、[[牧逸馬]]、[[国枝史郎]]、[[夢野久作]]などがデビューした。文壇作家では[[片岡鉄兵]]、[[佐々木味津三]]、[[平林たい子]]、[[戸川貞雄]]、[[林房雄]]、[[佐藤春夫]]なども探偵小説を寄稿した。
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探偵小説愛好家であった[[江戸川乱歩]]は[[馬場孤蝶]]に創作作品﹁[[二銭銅貨]]﹂を送ったが読んでもらえなかったため、雨村に送り直して1923年4月号に掲載され、怪奇幻想色の濃い後年の作風とは異なる論理性の高い探偵小説を続けて発表する。これに刺激を受けて、横溝、水谷の他に、[[角田喜久雄]]、[[山下利三郎]]らが執筆、さらに新人として[[甲賀三郎 (作家)|甲賀三郎]]、[[大下宇陀児]]、[[城昌幸]]、[[渡辺温]]、[[牧逸馬]]、[[国枝史郎]]、[[夢野久作]]などがデビューした。文壇作家では[[片岡鉄兵]]、[[佐々木味津三]]、[[平林たい子]]、[[戸川貞雄]]、[[林房雄]]、[[佐藤春夫]]なども探偵小説を寄稿した。
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翻訳では、ビーストン、[[アーサー・コナン・ドイル|コナン・ドイル]]、[[バロネス・オルツィ]]、[[アガサ・クリスティ]]、[[メルヴィル・デイヴィスン・ポースト]]らの探偵小説、その他に[[ジョンストン・マッカレー]]、[[P・G・ウッドハウス]]、[[オー・ヘンリー]]らのコントが人気を博した。 |
翻訳では、[[L.J.ビーストン|ビーストン]]、[[アーサー・コナン・ドイル|コナン・ドイル]]、[[バロネス・オルツィ]]、[[アガサ・クリスティ]]、[[メルヴィル・デイヴィスン・ポースト]]らの探偵小説、その他に[[ジョンストン・マッカレー]]、[[P・G・ウッドハウス]]、[[オー・ヘンリー]]らのコントが人気を博した。 |
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[[1925年]]から横溝が編集に加わり、当時のモダニズムを取り入れてユーモア小説を掲載するようになり、1927年3月号から2代目編集長となる。この誌面を乱歩は﹁日本娯楽雑誌中の最も上級な新味のあるものになりきった﹂と評した<ref>1927年3月号﹁三月号寸評﹂。</ref>。乱歩が1928年8月増刊号から10月号にかけて連載した﹃[[陰獣]]﹄は、最終回の掲載された10月号が売り切れて3刷まで増刷する<ref>﹃江戸川乱歩全集 第28巻 探偵小説四十年︵上︶﹄︿光文社文庫﹀︵光文社、2006年︶, p. 343, 345.</ref>ほどの人気となったが、乱歩は、探偵小説以外に重点を置く本誌からはその後遠ざかった。また、﹃陰獣﹄の挿絵を担当したのは[[竹中英太郎]]であり、これが﹃新青年﹄への初登場となった<ref>{{citation
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[[1925年]]から横溝が編集に加わり、当時のモダニズムを取り入れてユーモア小説を掲載するようになり、1927年3月号から2代目編集長となる。この誌面を乱歩は﹁日本娯楽雑誌中の最も上級な新味のあるものになりきった﹂と評した<ref>1927年3月号﹁三月号寸評﹂。</ref>。乱歩が1928年8月増刊号から10月号にかけて連載した﹃[[陰獣]]﹄は、最終回の掲載された10月号が売り切れて3刷まで増刷する<ref>﹃江戸川乱歩全集 第28巻 探偵小説四十年︵上︶﹄︿光文社文庫﹀︵光文社、2006年︶, p. 343, 345.</ref> ほどの人気となったが、乱歩は、探偵小説以外に重点を置く本誌からはその後遠ざかった。また、﹃陰獣﹄の挿絵を担当したのは[[竹中英太郎]]であり、これが﹃新青年﹄への初登場となった<ref>{{citation
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| 和書 |
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| editor1-last = 藤川 | editor1-first = 治水 |
| editor1-last = 藤川 | editor1-first = 治水 |
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1928年10月号からは[[延原謙]]が3代目編集長となり、巻頭[[漫画]]がカラーとなり、また[[S・S・ヴァン=ダイン|ヴァン・ダイン]]の紹介が始まって人気となった。この時期には、[[稲垣足穂]]、[[海野十三]]、[[浜尾四郎]]、[[渡辺啓助]]なども掲載。[[葉山嘉樹]]、[[村山知義]]らの左翼作家作品もあった。
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1928年10月号からは[[延原謙]]が3代目編集長となり、巻頭[[漫画]]がカラーとなり、また[[S・S・ヴァン=ダイン|ヴァン・ダイン]]の紹介が始まって人気となった。この時期には、[[稲垣足穂]]、[[海野十三]]、[[浜尾四郎]]、[[渡辺啓助]]なども掲載。[[葉山嘉樹]]、[[村山知義]]らの左翼作家作品もあった。
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1929年8月号から水谷準が4代目編集長となる。[[野球]]好きだった水谷は[[学生野球]]の記事の掲載を始め、1930年には野球増刊を2回発行する。若者向けに、ファッション、新刊紹介、音楽時評、映画界噂話などのページも充実し、1931年には[[谷崎潤一郎]]﹃武州公秘話﹄の連載が話題となった。1932年には[[飛田穂洲]]﹁熱球三十年﹂、33年は[[徳川夢声]]﹁くらがり三十年﹂、[[獅子文六]]﹁西洋色豪伝﹂、[[井上吉次郎]]﹁スポーツ社会学﹂、[[矢部謙次郎]]﹁マイクロ十年﹂などを連載、創作読み切りとして[[小栗虫太郎]]﹁完全犯罪﹂掲載、34年は[[柳家金語楼]]﹁金語楼半代記﹂などを連載、創作で[[木々高太郎]]がデビューした。木々は1936年連載の﹃人生の阿呆﹄で第4回[[直木三十五賞|直木賞]]を受賞する。また1930年以降では、[[井伏鱒二]]、[[深尾須磨子]]、[[宇野千代]]、[[吉屋信子]]、[[堀辰雄]]、[[川端康成]]、[[阿部知二]]、[[岸田國士]]、[[室生犀星]]などを掲載。[[清沢洌]]の創作﹁精神分析をされた女﹂は1929年掲載。新漫画派集団として、[[吉田貫三郎]]、[[横山隆一]]、[[樺島勝一]]らが1932年頃から活躍する。
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1929年8月号から水谷準が4代目編集長となる。[[野球]]好きだった水谷は[[学生野球]]の記事の掲載を始め、1930年には野球増刊を2回発行する。若者向けに、ファッション、新刊紹介、音楽時評、映画界噂話などのページも充実し、1931年には[[谷崎潤一郎]]﹃[[武州公秘話]]﹄の連載が話題となった。1932年には[[飛田穂洲]]﹁熱球三十年﹂、33年は[[徳川夢声]]﹁くらがり三十年﹂、[[獅子文六]]﹁西洋色豪伝﹂、[[井上吉次郎]]﹁スポーツ社会学﹂、[[矢部謙次郎]]﹁マイクロ十年﹂などを連載、創作読み切りとして[[小栗虫太郎]]﹁[[完全犯罪 (小栗虫太郎)|完全犯罪]]﹂掲載、34年は[[柳家金語楼]]﹁金語楼半代記﹂などを連載、創作で[[木々高太郎]]がデビューした。木々は1936年連載の﹃人生の阿呆﹄で第4回[[直木三十五賞|直木賞]]を受賞する。また1930年以降では、[[井伏鱒二]]、[[深尾須磨子]]、[[宇野千代]]、[[吉屋信子]]、[[堀辰雄]]、[[川端康成]]、[[阿部知二]]、[[岸田國士]]、[[室生犀星]]などを掲載。[[清沢洌]]の創作﹁精神分析をされた女﹂は1929年掲載。新漫画派集団として、[[吉田貫三郎]]、[[横山隆一]]、[[樺島勝一]]らが1932年頃から活躍する。
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===戦時色の時代=== |
===戦時色の時代=== |
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[[日華事変]]が拡大するとその影響も受けるようになり、1936年に[[武藤貞一]]﹁これが戦争だ﹂、国際小説と銘打って[[泉谷彦]]﹁くの一葉子﹂﹁大海戦未来記﹂などを掲載、翌年は戦争実録ものを多く掲載し、増刊﹁輝く皇軍号﹂も発行。
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[[日中戦争|日華事変]]が拡大するとその影響も受けるようになり、1936年に[[武藤貞一]]﹁これが戦争だ﹂、国際小説と銘打って[[泉谷彦]]﹁くの一葉子﹂﹁大海戦未来記﹂などを掲載、翌年は戦争実録ものを多く掲載し、増刊﹁輝く皇軍号﹂も発行。
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1938年1月号から[[乾信一郎|上塚貞雄]]([[乾信一郎]])が5代目編集長となる。軍人による「陸海軍時局対談」の掲載、[[吉川英治]]「特急『亜細亜』」([[梅原北明]]による[[ゴーストライター|代作]]<ref>{{cite|和書|last=横井|first=司|authorlink=横井司|contribution=解題|title=梅原北明探偵小説選|series=論創ミステリ叢書|publisher=[[論創社]]|date=2015年10月15日|year=2015|ISBN=978-4-8460-1478-0|pages=383-384}}</ref>)連載など、戦時色を強めていき、探偵小説は次第に減っていった。1939年には軍人による国際問題小説、海戦小説と銘打たれた作品が増えるが、水谷が編集長に返り咲き、戦争読物を削って小説を主とするようになり、特に一千円懸賞で入選した[[鳴山草平]]などの[[時代小説]]、横溝、城、[[久生十蘭]]の捕物帳などが増加、海野、大下は科学小説に向かった。他に小説では[[宇野信夫]]、[[秘田余四郎]]や、[[山手樹一郎]]の時代小説、[[岡田誠三]]による戦争の悲惨さを描いた作品もあった。翻訳小説の増刊号も1940年が最後となり、1941年からは読物欄の名前もカタカナ名から漢字の名前に変え、小説や読物も軍人によるものが増える。1942年には用紙統制によって236ページとかつての半分となり、1944年には56ページにまで減る。1945年2月号まで発行し、3月号の見本が出来たところで印刷所の[[共同印刷]]が空襲で焼かれて発行ができなくなった。 |
1938年1月号から[[乾信一郎|上塚貞雄]]([[乾信一郎]])が5代目編集長となる。軍人による「陸海軍時局対談」の掲載、[[吉川英治]]「特急『亜細亜』」([[梅原北明]]による[[ゴーストライター|代作]]<ref>{{cite|和書|last=横井|first=司|authorlink=横井司|contribution=解題|title=梅原北明探偵小説選|series=論創ミステリ叢書|publisher=[[論創社]]|date=2015年10月15日|year=2015|ISBN=978-4-8460-1478-0|pages=383-384}}</ref>)連載など、戦時色を強めていき、探偵小説は次第に減っていった。1939年には軍人による国際問題小説、海戦小説と銘打たれた作品が増えるが、水谷が編集長に返り咲き、戦争読物を削って小説を主とするようになり、特に一千円懸賞で入選した[[鳴山草平]]などの[[時代小説]]、横溝、城、[[久生十蘭]]の捕物帳などが増加、海野、大下は科学小説に向かった。他に小説では[[宇野信夫]]、[[秘田余四郎]]や、[[山手樹一郎]]の時代小説、[[岡田誠三]]による戦争の悲惨さを描いた作品もあった。翻訳小説の増刊号も1940年が最後となり、1941年からは読物欄の名前もカタカナ名から漢字の名前に変え、小説や読物も軍人によるものが増える。1942年には用紙統制によって236ページとかつての半分となり、1944年には56ページにまで減る。1945年2月号まで発行し、3月号の見本が出来たところで印刷所の[[共同印刷]]が空襲で焼かれて発行ができなくなった。 |
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博文館は[[財閥解体]]の圧力や[[大橋進一]]社長の[[公職追放]]などで解散する。1947年9月号までは博文館の発行であったが、その後、発行所の名義は江古田書房︵1947年10月号 - 1948年3月号︶、文友館︵1948年4・5月合併号 - 1949年1月号︶、博友社︵1949年2月号 - 1950年7月号︶と移り変わっている。
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博文館は[[財閥解体]]の圧力や[[大橋進一]]社長の[[公職追放]]などで解散する。1947年9月号までは博文館の発行であったが、その後、発行所の名義は江古田書房︵1947年10月号 - 1948年3月号︶、文友館︵1948年4・5月合併号 - 1949年1月号︶、博友社︵1949年2月号 - 1950年7月号︶と移り変わっている。
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1948年4・5月合併号から高森栄次が編集長となる。1949年に横溝正史﹃[[八つ墓村]]﹄の連載が始まって探偵小説色を取り戻し、江戸川乱歩﹃[[探偵小説四十年|探偵小説三十年]]﹄、次いで[[山田風太郎]]、[[島田一男]]ら新人や、[[火野葦平]]、[[林房雄]]、[[船山馨]]の探偵小説も掲載されるが、探偵小説雑誌としては﹃[[宝石 (雑誌)|宝石]]﹄﹃[[ロック (雑誌)|ロック]]﹄などの新雑誌が中心となっていて経営は改善されず、実売も1万部に満た |
1948年4・5月合併号から高森栄次が編集長となる。1949年に横溝正史﹃[[八つ墓村]]﹄の連載が始まって探偵小説色を取り戻し、江戸川乱歩﹃[[探偵小説四十年|探偵小説三十年]]﹄、次いで[[山田風太郎]]、[[島田一男]]ら新人や、[[火野葦平]]、[[林房雄]]、[[船山馨]]の探偵小説も掲載されるが、探偵小説雑誌としては﹃[[宝石 (雑誌)|宝石]]﹄﹃[[ロック (雑誌)|ロック]]﹄などの新雑誌が中心となっていて経営は改善されず、実売も1万部に満たなかった。
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1950年1月8日、正月恒例の木々高太郎邸での新年会が、この年に限って博友社で開催された。出席者は、木々高太郎、[[大坪砂男]]、永瀬三吾、宮野村子、[[岡田鯱彦]]、[[氷川瓏]]、[[本間田麻誉]]。一同揃うと、神楽坂の小料理屋”喜らく”に連れていかれ、高森編集長が、今日は座談会であると切り出した。いわゆる”[[抜打座談会事件]]”で、﹃新青年﹄1950年4月号に掲載された。これに本格派の作家たちが激怒・反論し、また本格派作家の牙城とされた雑誌﹃宝石﹄編集部が怒り心頭に達した。この事件のわずか3ヶ月後、1950年7月号で﹃新青年﹄は終刊となった<ref>{{Cite | 和書 | author = [[山村正夫]] | title = 推理文壇戦後史 | publisher = [[双葉社]] | date = 1973-10-15 | page = 86-95}}</ref><ref>{{Cite | 和書 | author =﹃新青年﹄研究会 | title = 新青年読本 昭和グラフィティ | publisher = 作品社 | date= 1988-2-20 | page = 208}}</ref>。
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なお、終刊号は上述の通り1950年7月号だが、その後に東京鉄道局旅客課編﹃山の旅案内 コースと賃金﹄という[[旅行ガイドブック|ガイドブック]]が、名目上﹃新青年﹄の7月増刊号という形で発行されており、形式的にはこちらが最終号である。内容的には本誌とは全く無関係なガイドブックで、流通の都合から雑誌増刊号という形式で出されたものと考えられている<ref>{{Cite | 和書 | author = [[新保博久]] | title = ミステリ編集道 | publisher =[[本の雑誌社]] | date = 2015-05-25 | ISBN = 978-4-86011-271-4 | pages = 70-71 }}</ref>。
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===復刻=== |
===復刻=== |
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===歴代編集長=== |
===歴代編集長=== |
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# 森下雨村(1920年1月創刊号 - 1927年2月号) |
# [[森下雨村]](1920年1月創刊号 - 1927年2月号) |
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# 横溝正史(1927年3月号 - 1928年9月号) |
# [[横溝正史]](1927年3月号 - 1928年9月号) |
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# 延原謙(1928年10月号 - 1929年7月号) |
# [[延原謙]](1928年10月号 - 1929年7月号) |
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# 水谷準(1929年8月号 - 1937年12月号) |
# [[水谷準]](1929年8月号 - 1937年12月号) |
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# 上塚貞雄(乾信一郎)(1938年1月号 - 12月号) |
# [[上塚貞雄]](乾信一郎)(1938年1月号 - 12月号) |
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# 水谷準(1939年1月号 - 1946年9月号) |
# 水谷準(1939年1月号 - 1946年9月号) |
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# 横溝武夫(1946年10月号 - 1948年3月号) |
# [[横溝武夫]](1946年10月号 - 1948年3月号) |
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# 高森栄次(1948年4・5月合併号 - 1950年7月号=廃刊)<ref>{{cite|和書|editor=江口雄輔|title=年表『新青年』とその時代|journal=ユリイカ|volume=19|issue=10|publisher=青土社|year=1987|month=9|pages=230-237}}</ref> |
# [[高森栄次]](1948年4・5月合併号 - 1950年7月号=廃刊)<ref>{{cite|和書|editor=江口雄輔|title=年表『新青年』とその時代|journal=ユリイカ|volume=19|issue=10|publisher=青土社|year=1987|month=9|pages=230-237}}</ref> |
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==小説作品== |
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===主な掲載作品=== |
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*江戸川乱歩『二銭銅貨』(1923年4月) |
*江戸川乱歩『二銭銅貨』(1923年4月) |
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*夢野久作『あやかしの鼓』(1926年10月) |
*夢野久作『あやかしの鼓』(1926年10月) |
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74行目: | 115行目: | ||
*江戸川乱歩『探偵小説三十年』(1949年10月 - 1950年7月) - 廃刊後、雑誌『[[宝石 (雑誌)|宝石]]』で続きが執筆され、『探偵小説四十年』として刊行。 |
*江戸川乱歩『探偵小説三十年』(1949年10月 - 1950年7月) - 廃刊後、雑誌『[[宝石 (雑誌)|宝石]]』で続きが執筆され、『探偵小説四十年』として刊行。 |
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==執筆者== |
===執筆者=== |
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<div style="float: left; vertical-align: top; margin-right: 1em;"> |
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'''あ行''' |
'''あ行''' |
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*[[赤沼三郎]] |
*[[赤沼三郎]] |
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86行目: | 128行目: | ||
*[[井伏鱒二]] |
*[[井伏鱒二]] |
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*[[岩藤雪夫]] |
*[[岩藤雪夫]] |
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*[[潮寒二]] |
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*[[海野十三]] |
*[[海野十三]] |
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*[[江戸川乱歩]] |
*[[江戸川乱歩]] |
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97行目: | 140行目: | ||
*[[小栗虫太郎]] |
*[[小栗虫太郎]] |
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*[[尾崎士郎]] |
*[[尾崎士郎]] |
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'''か行''' |
'''か行''' |
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*[[勝伸枝]] |
*[[勝伸枝]] |
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111行目: | 155行目: | ||
*[[小酒井不木]] |
*[[小酒井不木]] |
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*[[甲賀三郎 (作家)|甲賀三郎]] |
*[[甲賀三郎 (作家)|甲賀三郎]] |
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'''さ行''' |
'''さ行''' |
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*[[桜田十九郎]] |
*[[桜田十九郎]] |
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*[[摂津茂和]] |
*[[摂津茂和]] |
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*[[妹尾韶夫]](アキ夫) |
*[[妹尾韶夫]](アキ夫) |
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'''た行''' |
'''た行''' |
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*[[高木彬光]] |
*[[高木彬光]] |
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141行目: | 186行目: | ||
*[[戸田巽]] |
*[[戸田巽]] |
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*[[徳川夢声]] |
*[[徳川夢声]] |
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'''な行''' |
'''な行''' |
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*[[直木三十五]] |
*[[直木三十五]] |
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150行目: | 196行目: | ||
*[[延原謙]] |
*[[延原謙]] |
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*[[野村胡堂]] |
*[[野村胡堂]] |
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'''は行''' |
'''は行''' |
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*[[土師清二]] |
*[[土師清二]] |
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*[[保篠竜緒]] |
*[[保篠竜緒]] |
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*[[本田緒生]] |
*[[本田緒生]] |
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'''ま行''' |
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*[[牧逸馬]] |
*[[牧逸馬]] |
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189行目: | 236行目: | ||
*[[森下雨村]] |
*[[森下雨村]] |
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*[[守友恒]] |
*[[守友恒]] |
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'''や行''' |
'''や行''' |
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*[[八切止夫|耶止説夫]] |
*[[八切止夫|耶止説夫]] |
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*[[吉田甲子太郎]] |
*[[吉田甲子太郎]] |
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*[[米田三星]] |
*[[米田三星]] |
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'''ら行''' |
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*[[蘭郁二郎]] |
*[[蘭郁二郎]] |
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208行目: | 257行目: | ||
*[[渡辺啓助]] |
*[[渡辺啓助]] |
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*[[渡辺文子]] |
*[[渡辺文子]] |
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==コラム== |
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===モダン文化=== |
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変化する生活様式に応えるように、1929年︵昭和4年︶1月号からファッション欄である﹁わ゛にてい・ふえいあ﹂︵Vanity Fair 邦訳・虚栄の市︶が設けられた<ref>﹁わ゛にてい・ふえいあ﹂の誌面上の表記はひらがなの﹁わ﹂に濁点がついたもの</ref>。モダン・ボーイ、モダン・ガールのお洒落、伊達、流行などを扱った。また、ファッションに限定せず、映画、音楽、ダンス、ビールの種類などに至るまで、流行の最先端が紹介された。
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﹁わ゛にてい・ふえいあ﹂は翌年1930年︵昭和5年︶から﹁ヴォガンヴォグ﹂︵Vogue en Vogue︶と改題された。ここでは、洋服の基礎知識と世界の最新モード情報を紹介した<ref>{{Cite book|和書|author=阿部恒久編 |title=男性史2 モダニズムから総力戦へ |publisher=日本経済評論社 |date=2006年12月 |page=8頁 |isbn=}}</ref>。コラム内では﹁あんさず・あんさあ﹂という読者から質問を募集し、誌上で回答する欄もあった。
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執筆は服飾評論家・作家の中村進治郎が1932年まで担当し、自らグラビアにも登場している<ref>{{Cite book|和書|author=公益財団法人 神奈川文学振興会編 |title=永遠に﹁新青年﹂なるもの |publisher=県立神奈川近代文学館 |date=2021年3月 |page=37頁 |isbn=}}</ref>。
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===その他のコラム=== |
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* '''縮刷図書館''' - 国内外の雑誌から記事の要約版を掲載したもの。コラムの中でも大きな枠を割いていたが、日中戦争の激化により控えられるようになった<ref name="乾1991,106p"/>。 |
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* '''阿保宮千夜一夜譚''' - ばかばかしい話のコラムで、好評悪評は五分五分であった<ref name="乾1991,106p"/>。 |
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* '''すりい・もんきい''' - 辛口の音楽評論<ref name="乾1991,106p"/>。 |
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* '''アスファルト''' - 都市圏のニュース<ref name="乾1991,106p"/>。 |
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* '''海外問答''' - 海外情報を短信で発信するもの<ref name="乾1991,106p"/>。 |
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* '''ブックス・アブロード''' - 西欧の新刊諸情報<ref name="乾1991,106p"/>。 |
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* '''カレッジ・セクション''' - 大学のキャンパス情報<ref name="乾1991,106p"/>。 |
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* '''Ōtancino Paca Pacacino''' - ばかばかしいコントを読者から募集するもの<ref name="乾1991,106p"/>。 |
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==研究・保存・展示== |
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1986年に創立された『新青年』研究会では、雑誌「新青年」やミステリー、モダニズム、大衆文化、文学などを研究しており、例会が月1回程度開催され、機関誌「『新青年』趣味」が発行されている<ref>{{Cite web|和書|url=https://shinseinen.web.fc2.com/index.html |title=『新青年』研究会 公式サイト |publisher =『新青年』研究会 |accessdate=2021-04-27}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.bunsei.co.jp/itemlist/sales-agent/shinnseinenn-syumi/ |title=『新青年』趣味 |publisher =文生書院 |accessdate=2021-04-27}}</ref>。 |
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[[世田谷文学館]]では開館記念展﹁横溝正史と﹃新青年﹄の作家たち﹂が1995年4月1日から5月7日まで開催された<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.setabun.or.jp/exhibition/sp_detail.php?id=sp00001 |title=企画展 世田谷文学館開館記念展 横溝正史と﹁新青年﹂の作家たち |publisher=世田谷文学館 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20170705042208/http://www.setabun.or.jp/exhibition/sp_detail.php?id=sp00001 |archivedate= 2017-07-05 |accessdate=2021-04-27}}</ref>。また、2019年10月12日から2020年4月5日には、コレクション展﹁﹃新青年﹄と世田谷ゆかりの作家たち﹂が開催され、横溝正史、小栗虫太郎、海野十三などの関連作品が展示された<ref>{{Cite web|和書|url=https://setagaya.guide/events/shinseinen-to-setagaya/ |title=﹁新青年﹂と世田谷ゆかりの作家たち |publisher=世田谷ガイド |archiveurl=https://web.archive.org/web/20210120103533/https://setagaya.guide/events/shinseinen-to-setagaya/ |archivedate= 2021-01-20 |accessdate=2021-04-27}}</ref>。
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[[ミステリー文学資料館]]では特別コレクションとして﹁新青年﹂400冊を極美本で所蔵しており、開館10周年記念行事として館内展示﹁﹃新青年﹄の作家たち﹂を行なった<ref>{{Cite web|和書|url=https://kobun.or.jp/past/ |title=過去の活動﹁﹃新青年﹄の作家たち﹂ |publisher=光文文化財団 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20210113001023/https://kobun.or.jp/past/ |archivedate= 2021-01-13 |accessdate=2021-04-27}}</ref>。
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[[群馬県立土屋文明記念文学館]]では、2019年4月13日から6月9日まで、「第104回企画展『ミステリー小説の夜明け-江戸川乱歩、横溝正史、渡辺啓助、渡辺温-』」が開催され、雑誌「新青年」と、群馬県渋川市ゆかりの渡辺啓助やその弟・渡辺温などが紹介された<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.walkerplus.com/article/186728/ |title=江戸川乱歩や横溝正史らの世界に触れる・群馬県立土屋文明記念文学館で「ミステリー小説の夜明け」開催中 |publisher=ウォーカープラス |archiveurl=https://web.archive.org/web/20210429021510/https://www.walkerplus.com/article/186728/ |archivedate= 2021-04-29 |accessdate=2021-04-27}}</ref>。 |
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[[くまもと文学・歴史館]]では、企画展﹁﹃新青年﹄創刊100年 編集長・乾信一郎と横溝正史﹂が2020年7月17日から9月22日まで開催され<ref>{{Cite web|和書|url=https://www2.library.pref.kumamoto.jp/?page_id=1053 |title=展示令和2年度︻展示室1︼﹁新青年﹂創刊100年 編集長・乾信一郎と横溝正史 |publisher=熊本県立図書館 くまもと文学・歴史館 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20210122225511/https://www2.library.pref.kumamoto.jp/?page_id=1053 |archivedate= 2021-01-22 |accessdate=2021-04-27}}</ref>、横溝正史や熊本の作家・乾信一郎の自筆原稿・書簡などの貴重資料が展示された<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.yukoyuko.net/guide/event/e0045066 |title=﹁新青年﹂創刊100年編集長・乾信一郎と横溝正史 |publisher=ゆこゆこ |archiveurl=https://web.archive.org/web/20210429023456/https://www.yukoyuko.net/guide/event/e0045066 |archivedate= 2021-04-29 |accessdate=2021-04-27}}</ref>。
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[[神奈川近代文学館]]では、2021年3月20日から5月16日まで、「創刊101年記念展 永遠に『新青年』なるもの――ミステリー・ファッション・スポーツ――」が開催された<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.kanabun.or.jp/exhibition/13484 |title=創刊101年記念展 永遠に「新青年」なるもの ――ミステリー・ファッション・スポーツ―― |publisher=神奈川近代文学館 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20210216070124/https://www.kanabun.or.jp/exhibition/13484 |archivedate= 2021-02-16 |accessdate=2021-04-27}}</ref><ref name="penオンライン">{{Cite web|和書|url=https://www.pen-online.jp/news/art/shinseinen/1 |title=江戸川乱歩や横溝正史らを輩出した“伝説の雑誌”『新青年』の企画展がスタート。 |publisher=penオンライン |archiveurl=https://web.archive.org/web/20210322185244if_/https://www.pen-online.jp/news/art/shinseinen/1 |archivedate= 2021-03-22 |accessdate=2021-04-27}}</ref><ref name="日経20210423">{{Cite web|和書|url=https://www.nikkei.com/article/DGXZQOFG012FJ0R00C21A4000000/ |title=乱歩ら輩出 モダニズム伝える雑誌「新青年」がズラリ |publisher=日本経済新聞 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20210427214859/https://www.nikkei.com/article/DGXZQOFG012FJ0R00C21A4000000/ |archivedate= 2021-04-27 |accessdate=2021-04-27}}</ref>。 |
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神奈川近代文学館が所蔵する﹁新青年﹂揃い全400冊のほか、﹁新青年﹂に掲載された作品の原稿や草稿、挿絵原画、関連する実物資料など約600点が出品された<ref name="penオンライン"/><ref name="日経20210423"/><ref>{{Cite journal|和書|journal=神奈川近代文学館 |title=﹁新青年﹂創刊101年記念展を開催 |volume= |issue=152}}</ref>。
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編集委員は成蹊大学文学部教授で﹁新青年﹂研究会会員<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.shinchosha.co.jp/writer/6088/ |title=浜田雄介 著者プロフィール |publisher =新潮社 |accessdate=2021-04-27}}</ref>の浜田雄介が務めた<ref name="日経20210423"/>。
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== 脚注・出典 == |
== 脚注・出典 == |
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==関連書籍== |
==関連書籍== |
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*[[中島河太郎]]編『新青年傑作選』(全5巻)立風書房 1970年 |
*[[中島河太郎]]編『新青年傑作選』(全5巻)[[立風書房]] 1969年 - 1970年 |
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*[[中島河太郎]]編『新青年傑作選集』(全5巻)[[角川書店]]〈[[角川文庫]]〉 1977年 - 立風書房版とは別内容。 |
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*新青年研究会編『新青年読本』作品社 1988年 |
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*新青年研究会編『新青年読本 昭和グラフィティ』[[作品社]] 1988年 |
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*[[ミステリー文学資料館]]編『江戸川乱歩と13人の新青年 〈文学派〉編』 |
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*同『江戸川乱歩と13人の新青年 〈論理派〉編』各・[[光文社文庫]] 2008年 |
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*同『悪魔黙示録「新青年」一九三八 探偵小説暗黒の時代へ』光文社文庫 2011年 |
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*新青年研究会編『『新青年』名作コレクション』[[ちくま文庫]] 2021年 |
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==参考文献== |
==参考文献== |
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*木本至『雑誌で読む戦後史』新潮社 1985年 |
*[[木本至]]『雑誌で読む戦後史』[[新潮社]] 1985年 |
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*『[[幻想文学 (雑誌)|幻想文学]]』33号 幻想文学出版局 1992年(特集「日本幻想文学必携 美と幻妖の系譜」) |
*『[[幻想文学 (雑誌)|幻想文学]]』33号 幻想文学出版局 1992年(特集「日本幻想文学必携 美と幻妖の系譜」) |
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*[[鈴木貞美]]「三つの雑誌を繰りながら」(『昭和文学の風景』小学館 1999年) |
*[[鈴木貞美]]「三つの雑誌を繰りながら」(『昭和文学の風景』[[小学館]] 1999年) |
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*中島河太郎編『君らの魂を悪魔に売りつけよ 新青年傑作選』角川書店 2000年 |
*[[中島河太郎]]編『君らの魂を悪魔に売りつけよ 新青年傑作選』角川書店〈角川文庫〉 2000年 |
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*{{cite|和書|editor=ミステリー文学資料館|title=幻の探偵雑誌 (10) 「新青年」傑作選|series=光文社文庫|publisher=光文社|year=2002|month=2|isbn=4-334-73282-8}} |
*{{cite|和書|editor=ミステリー文学資料館|editor-link=ミステリー文学資料館|title=幻の探偵雑誌 (10) 「新青年」傑作選|series=[[光文社文庫]]|publisher=[[光文社]]|year=2002|month=2|isbn=4-334-73282-8}} |
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*[[乾信一郎]]『「新青年」の頃』早川書房、1991年 |
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==外部リンク== |
==外部リンク== |
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* [https://shinseinen.web.fc2.com/ 『新青年』研究会公式サイト] - 現行の公式HP(2018年春より) |
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* {{Wayback|url=http://members.at.infoseek.co.jp/sinseinen8/ |title=『新青年』研究会|date=20081010160839}} |
* {{Wayback|url=http://members.at.infoseek.co.jp/sinseinen8/ |title=『新青年』研究会|date=20081010160839}} |
||
* [ |
* [https://sinseinen.hatenablog.com/ Pub Antiquarian~『新青年』研究会のブログ~] |
||
* [https://www.bunsei.co.jp/itemlist/sales-agent/shinnseinenn-syumi/ 文生書院での研究会 会誌の案内] |
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[[Category:日本の文芸雑誌 (休廃刊)]] |
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[[Category:1920年 |
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[[Category:1950年休廃刊の雑誌]] |
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[[Category:日本の文芸雑誌 (休廃刊)]] |
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[[Category:日本の推理雑誌 (休廃刊)]] |
2023年11月23日 (木) 00:57時点における最新版
新青年 | |
---|---|
創刊号(1920年1月号)の表紙 | |
ジャンル | 総合雑誌 |
刊行頻度 | 月刊 |
発売国 | 日本 |
言語 | 日本語 |
出版社 |
博文館 →江古田書房 →文友館 →博友社 |
編集長 |
森下雨村 →横溝正史 →延原謙 →水谷準 →上塚貞雄 →水谷準 →横溝武夫 →高森栄次 |
刊行期間 | 1920年1月号 - 1950年7月号 |
発行部数 | 30,000部(1937年1月内務省警保局[1]調べ) |
歴史[編集]
創刊[編集]
博文館では日露戦争後から発行していた﹃冒険世界﹄︵﹃日露戦争写真画報﹄﹃写真画報﹄から改名︶が大正になって時代に合わなくなったため、編集長となった森下雨村に今後の方針を任せ、森下らは若い層に向けた新雑誌の構想を立て、社主の意向で地方青年向きの内容で﹃新青年﹄という名前の雑誌として、1920年︵大正9年︶1月に創刊した[5]。当初は、若者の背中を押し海外雄飛を促すことをねらった、ブラジルに移住して新天地を拓こうといった類の評論が巻頭を飾るような硬派な雑誌であったが、森下が主導し翻訳探偵小説を載せるようになると、やがて日本における探偵小説の唯一の発表舞台として不動の地位を築き、海外雄飛を奨励する傾向は自然消滅した[6]。探偵小説は、当時の他の娯楽雑誌ではほとんど扱いが無く﹃新青年﹄の独自性を高める要因になった[7]。 翻訳小説では、創刊号では青年向き読物の他に、編集局長長谷川天渓の発案でオースティン・フリーマン﹁オシリスの眼﹂︵保篠龍緒訳︶、雨村によるセクストン・ブレイクものの紹介を掲載した。創作では、10枚の掌編ミステリ小説の懸賞募集を行った[5]。1921年1月号では翻訳6編、8月には増刊号﹁探偵小説傑作集﹂を発行し、モーリス・ルブラン﹁水晶の栓﹂、チェスタトン﹁青い十字架﹂、L.J.ビーストン﹁マイナスの夜光珠﹂などを掲載。1922年からはこの増刊は年2回発行された。また募集により、1920年に八重野潮路︵西田政治、﹁林檎の皮﹂1920年4月号︶、21年に横溝正史︵﹁恐ろしき四月馬鹿﹂1921年4月号︶、22年に水谷準︵﹁好敵手﹂1922年12月号︶がそれぞれ入選する。西田、横溝、浅野玄府、妹尾韶夫、谷譲次らは翻訳も盛んに手がけ、小酒井不木も探偵小説の研究随筆、翻訳、創作を発表するようになる。 編集方針として翻訳探偵小説と創作探偵小説を大きな二本柱とし、そこにエッセイやコラムを交えるのが大まかなパターンであった[7]。編集会議ではおもしろそうな提案でも他所がやっていることは却下され、他誌がやらないことをやろうという精神が骨格にあった。新しいこと、すなわち現代風をよく表現できるものとしてコラムやエッセイ、レイアウトに着目していた[8]。 挿絵画家としては、創刊から間もなく松野一夫が原稿を持ち込み、森下編集長に認められ挿絵の執筆を始める。松野は1921年5月号で初めて表紙絵を担当、その後、1921年7月号、10月号、1922年1月号を経て、1922年3月号から1948年3月号まで連続して表紙絵を担当することになった[9]。モダニズムの時代[編集]
探偵小説愛好家であった江戸川乱歩は馬場孤蝶に創作作品﹁二銭銅貨﹂を送ったが読んでもらえなかったため、雨村に送り直して1923年4月号に掲載され、怪奇幻想色の濃い後年の作風とは異なる論理性の高い探偵小説を続けて発表する。これに刺激を受けて、横溝、水谷の他に、角田喜久雄、山下利三郎らが執筆、さらに新人として甲賀三郎、大下宇陀児、城昌幸、渡辺温、牧逸馬、国枝史郎、夢野久作などがデビューした。文壇作家では片岡鉄兵、佐々木味津三、平林たい子、戸川貞雄、林房雄、佐藤春夫なども探偵小説を寄稿した。 翻訳では、ビーストン、コナン・ドイル、バロネス・オルツィ、アガサ・クリスティ、メルヴィル・デイヴィスン・ポーストらの探偵小説、その他にジョンストン・マッカレー、P・G・ウッドハウス、オー・ヘンリーらのコントが人気を博した。 1925年から横溝が編集に加わり、当時のモダニズムを取り入れてユーモア小説を掲載するようになり、1927年3月号から2代目編集長となる。この誌面を乱歩は﹁日本娯楽雑誌中の最も上級な新味のあるものになりきった﹂と評した[10]。乱歩が1928年8月増刊号から10月号にかけて連載した﹃陰獣﹄は、最終回の掲載された10月号が売り切れて3刷まで増刷する[11] ほどの人気となったが、乱歩は、探偵小説以外に重点を置く本誌からはその後遠ざかった。また、﹃陰獣﹄の挿絵を担当したのは竹中英太郎であり、これが﹃新青年﹄への初登場となった[12]。 1928年10月号からは延原謙が3代目編集長となり、巻頭漫画がカラーとなり、またヴァン・ダインの紹介が始まって人気となった。この時期には、稲垣足穂、海野十三、浜尾四郎、渡辺啓助なども掲載。葉山嘉樹、村山知義らの左翼作家作品もあった。 1929年8月号から水谷準が4代目編集長となる。野球好きだった水谷は学生野球の記事の掲載を始め、1930年には野球増刊を2回発行する。若者向けに、ファッション、新刊紹介、音楽時評、映画界噂話などのページも充実し、1931年には谷崎潤一郎﹃武州公秘話﹄の連載が話題となった。1932年には飛田穂洲﹁熱球三十年﹂、33年は徳川夢声﹁くらがり三十年﹂、獅子文六﹁西洋色豪伝﹂、井上吉次郎﹁スポーツ社会学﹂、矢部謙次郎﹁マイクロ十年﹂などを連載、創作読み切りとして小栗虫太郎﹁完全犯罪﹂掲載、34年は柳家金語楼﹁金語楼半代記﹂などを連載、創作で木々高太郎がデビューした。木々は1936年連載の﹃人生の阿呆﹄で第4回直木賞を受賞する。また1930年以降では、井伏鱒二、深尾須磨子、宇野千代、吉屋信子、堀辰雄、川端康成、阿部知二、岸田國士、室生犀星などを掲載。清沢洌の創作﹁精神分析をされた女﹂は1929年掲載。新漫画派集団として、吉田貫三郎、横山隆一、樺島勝一らが1932年頃から活躍する。戦時色の時代[編集]
日華事変が拡大するとその影響も受けるようになり、1936年に武藤貞一﹁これが戦争だ﹂、国際小説と銘打って泉谷彦﹁くの一葉子﹂﹁大海戦未来記﹂などを掲載、翌年は戦争実録ものを多く掲載し、増刊﹁輝く皇軍号﹂も発行。 1938年1月号から上塚貞雄︵乾信一郎︶が5代目編集長となる。軍人による﹁陸海軍時局対談﹂の掲載、吉川英治﹁特急﹃亜細亜﹄﹂︵梅原北明による代作[13]︶連載など、戦時色を強めていき、探偵小説は次第に減っていった。1939年には軍人による国際問題小説、海戦小説と銘打たれた作品が増えるが、水谷が編集長に返り咲き、戦争読物を削って小説を主とするようになり、特に一千円懸賞で入選した鳴山草平などの時代小説、横溝、城、久生十蘭の捕物帳などが増加、海野、大下は科学小説に向かった。他に小説では宇野信夫、秘田余四郎や、山手樹一郎の時代小説、岡田誠三による戦争の悲惨さを描いた作品もあった。翻訳小説の増刊号も1940年が最後となり、1941年からは読物欄の名前もカタカナ名から漢字の名前に変え、小説や読物も軍人によるものが増える。1942年には用紙統制によって236ページとかつての半分となり、1944年には56ページにまで減る。1945年2月号まで発行し、3月号の見本が出来たところで印刷所の共同印刷が空襲で焼かれて発行ができなくなった。戦後[編集]
1945年10月に32ページ70銭で復刊、2万部発行。編集長の横溝武夫︵横溝正史の異母弟︶が探偵小説嫌いなためもあり、現代小説、ユーモア小説主体で発行。山本周五郎が﹁覆面作家﹂名義で﹃寝ぼけ署長﹄などを連載した。 博文館は財閥解体の圧力や大橋進一社長の公職追放などで解散する。1947年9月号までは博文館の発行であったが、その後、発行所の名義は江古田書房︵1947年10月号 - 1948年3月号︶、文友館︵1948年4・5月合併号 - 1949年1月号︶、博友社︵1949年2月号 - 1950年7月号︶と移り変わっている。 1948年4・5月合併号から高森栄次が編集長となる。1949年に横溝正史﹃八つ墓村﹄の連載が始まって探偵小説色を取り戻し、江戸川乱歩﹃探偵小説三十年﹄、次いで山田風太郎、島田一男ら新人や、火野葦平、林房雄、船山馨の探偵小説も掲載されるが、探偵小説雑誌としては﹃宝石﹄﹃ロック﹄などの新雑誌が中心となっていて経営は改善されず、実売も1万部に満たなかった。 1950年1月8日、正月恒例の木々高太郎邸での新年会が、この年に限って博友社で開催された。出席者は、木々高太郎、大坪砂男、永瀬三吾、宮野村子、岡田鯱彦、氷川瓏、本間田麻誉。一同揃うと、神楽坂の小料理屋”喜らく”に連れていかれ、高森編集長が、今日は座談会であると切り出した。いわゆる”抜打座談会事件”で、﹃新青年﹄1950年4月号に掲載された。これに本格派の作家たちが激怒・反論し、また本格派作家の牙城とされた雑誌﹃宝石﹄編集部が怒り心頭に達した。この事件のわずか3ヶ月後、1950年7月号で﹃新青年﹄は終刊となった[14][15]。 なお、終刊号は上述の通り1950年7月号だが、その後に東京鉄道局旅客課編﹃山の旅案内 コースと賃金﹄というガイドブックが、名目上﹃新青年﹄の7月増刊号という形で発行されており、形式的にはこちらが最終号である。内容的には本誌とは全く無関係なガイドブックで、流通の都合から雑誌増刊号という形式で出されたものと考えられている[16]。復刻[編集]
本の友社より1990年から2003年にかけて合本復刻されている。歴代編集長[編集]
(一)森下雨村︵1920年1月創刊号 - 1927年2月号︶ (二)横溝正史︵1927年3月号 - 1928年9月号︶ (三)延原謙︵1928年10月号 - 1929年7月号︶ (四)水谷準︵1929年8月号 - 1937年12月号︶ (五)上塚貞雄︵乾信一郎︶︵1938年1月号 - 12月号︶ (六)水谷準︵1939年1月号 - 1946年9月号︶ (七)横溝武夫︵1946年10月号 - 1948年3月号︶ (八)高森栄次︵1948年4・5月合併号 - 1950年7月号=廃刊︶[17]小説作品[編集]
主な掲載作品[編集]
●江戸川乱歩﹃二銭銅貨﹄︵1923年4月︶ ●夢野久作﹃あやかしの鼓﹄︵1926年10月︶ ●小栗虫太郎﹃黒死館殺人事件﹄︵1934年4月 - 12月︶ ●横溝正史﹃八つ墓村﹄ ︵1949年3月 - 1950年3月︶- 病気のため連載を中断している間に廃刊となり、﹃宝石﹄で続きが執筆された。 ●江戸川乱歩﹃探偵小説三十年﹄︵1949年10月 - 1950年7月︶ - 廃刊後、雑誌﹃宝石﹄で続きが執筆され、﹃探偵小説四十年﹄として刊行。執筆者[編集]
あ行