真淳
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真淳︵しんじゅん、元文元年︵1736年︶ - 文化4年︵1807年︶[1]︶は、江戸時代・中期から後期にかけての真宗高田派の僧である。
江戸期の円遵を中心とした真宗高田派の復古運動の中、末法無戒を主張する浄土真宗の教えにおいて、自ら円頓戒を実践し、また戒律を顕彰する著述活動を行った。代表的な著作として、真慧の﹃顕正流義鈔﹄に対する注釈書4冊、戒律についての主著として﹃下野伝戒記﹄﹃下野大戒秘要﹄などがある[2]。
生涯[編集]
元文元年︵1736年︶、真宗高田派の僧、真証の長男として生まれる[2]。12歳で得度[2]、宝暦2年︵1752年︶16歳の時に京都へ遊学する[2]。宝暦6年︵1756年︶20歳で再び京都へ行き[2]、徳門普寂のもとで倶舎・唯識・華厳の思想を学ぶ[2]。他に梵網経を講じた禅僧、大雲林説に師事したともいう[2]。宝暦12年︵1762年︶27歳の時、高田派・智慧光院の住職となる[2]。天明6年︵1786年︶に安居講師となり[2]、その後、宗門の学僧として活躍することとなる。寛政8年︵1796年︶に勧学堂を作り[2]、学頭職に命ぜられ[2]、翌年に権僧正に就任する[2]。文化4年︵1807年︶に逝去[2]。著作[編集]
●﹃白虎年譜﹄ - 現存せず。﹃円遵上人行実﹄に記述あり。 ●﹃下野伝戒記﹄ ●﹃下野伝戒記題則﹄ ●﹃下野大戒秘要﹄ ●﹃顕正流義鈔勧化講釋﹄ ●﹃顕正流義鈔蒙引﹄ ●﹃顕正流義鈔蒙引拾遺﹄ ●﹃西方弁岐﹄ ●﹃西方辨岐惑問﹄ ●﹃浄土二教門図嘗註﹄ ほか脚注[編集]
- ^ 栗原 2010, p. 3.
- ^ a b c d e f g h i j k l m 栗原直子「真淳における戒律と念仏の研究 : 『下野伝戒記』『下野大戒秘要』を中心として」『龍谷大学大学院文学研究科紀要』第30巻、東北大学史料館、2008年12月、48-64頁。
参考文献[編集]
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●栗原直子﹁真淳における戒律と念仏の研究 : ﹃下野伝戒記﹄﹃下野大戒秘要﹄を中心として﹂﹃龍谷大学大学院文学研究科紀要﹄第30号、龍谷大学、2008年12月、48-64頁。
●栗原直子﹁真淳における念と戒の問題﹂﹃真宗研究﹄第54号、真宗連合学会、2010年。
●栗原直子﹁近世高田派教学の研究﹂龍谷大学博士論文、2014年。