「藤式部丞 (源氏物語)」の版間の差分
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﹁かしこき女﹂と呼ばれる女性との経験を語る。藤式部丞が文章生であった頃に師として学んでいた[[文章博士]]の娘のもとに通うことになり、父親である博士公認で正式な結婚を前提に付き合うことになった。その娘は才能ある人で、閨房の語らいにも、漢詩文を作ることなど朝廷に仕えるのに役立つ学問的なことを教えてくれて、感謝していたが、普段の語らいの中でも学問に関する問いかけをされることがたびたびあり、それに答えられないことが度々あったため心休まる妻としては考えられないようになり、次第に通う間隔が長くなった。久しぶりにたまたま訪れた際﹁今は風邪のため薬草を服しているので体から臭い匂いがする。匂いが抜けた頃にまた来てほしい﹂と言われたのを強引に会うとものすごい匂いがしたので逃げ出してしまいそれきりで関係が切れてしまった。
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== モデル == |
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2015年10月9日 (金) 06:27時点における版
藤式部丞︵とうしきぶのじょう︶とは、源氏物語に登場する架空の人物。
概要
第02帖帚木巻の中の﹁雨夜の品定め﹂と呼ばれる場面に登場する過去の女性体験を語る4人の人物[注釈 1]の一人である。藤式部丞の呼称は藤原氏であることと式部丞の地位にあることに由来すると考えられる。源氏物語の中で、ここにのみ現れる人物であり、﹁藤式部丞﹂という呼称から藤原氏であることはわかるものの、係累などは一切不明である。藤式部丞の語る女性体験
﹁かしこき女﹂と呼ばれる女性との経験を語る。藤式部丞が文章生であった頃に師として学んでいた文章博士の娘のもとに通うことになり、父親である博士公認で正式な結婚を前提に付き合うことになった。その娘は才能ある人で、閨房の語らいにも、漢詩文を作ることなど朝廷に仕えるのに役立つ学問的なことを教えてくれて、感謝していたが、普段の語らいの中でも学問に関する問いかけをされることがたびたびあり、それに答えられないことが度々あったため心休まる妻としては考えられないようになり、次第に通う間隔が長くなった。久しぶりにたまたま訪れた際﹁今は風邪のため薬草を服しているので体から臭い匂いがする。匂いが抜けた頃にまた来てほしい﹂と言われたのを強引に会うとものすごい匂いがしたので逃げ出してしまいそれきりで関係が切れてしまった。モデル
﹁藤式部丞﹂のモデルについては、以下のようないくつかの説が唱えられている。 ●清少納言の夫として知られる橘則光[1] ●紫式部の兄または弟とされる藤原惟規[2] ●紫式部の父親藤原為時︵藤原氏であり式部大丞の地位に就いていた︶[3]。本文中での表記
第02帖 帚木にのみ登場。本文中では﹁藤式部丞﹂、﹁式部﹂、﹁藤式部大輔﹂︵別本の国冬本︶等と表記されている[4]。参考文献
●篠原昭二﹁作中人物事典 藤式部丞﹂秋山虔編﹃源氏物語事典﹄学燈社︿別冊国文学﹀No.36、1989年︵平成元年︶5月10日、p. 288。 ●武内卓也﹁藤式部丞の語り方の解釈﹂﹃愛媛国文研究﹄第7号、愛媛国語国文学会、1958年3月、pp. 69-74。脚注
注釈
出典
(一)^ 島津久基﹃源氏物語講話﹄
(二)^ 高橋和夫﹁源氏物語、帚木巻の藤式部丞のモデル﹂解釈学会編﹃解釈﹄第3巻第7号︵通号第27号︶、日本学会事務センター学術情報事業部、1957年︵昭和32年︶7月、pp. 14-16。 のち高橋和夫﹁源氏物語帚木巻の藤式部丞のモデルについて﹂として﹃源氏物語の主題と構想﹄桜楓社、pp. 1966年︵昭和41年︶2月、277-281。
(三)^ 斎藤正昭﹃源氏物語のモデルたち﹄笠間書院、2014年︵平成26年︶10月17日、pp. 16。 ISBN978-4-305-70744-4
(四)^ 稲賀敬二﹁作中人物解説 藤式部丞﹂池田亀鑑編﹃源氏物語事典下巻﹄東京堂出版 1960年︵昭和35年︶︵合本は1987年︵昭和62年︶3月15日刊︶、p. 370。 ISBN 4-4901-0223-2
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