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法の師

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


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  • 単なる誤りであるとする池田亀鑑の説[2]
    源氏釈はこの記述の少し前にある「総角」を「椎本」の並びの巻にしてしまい、巻序を示す数字を書かなかったため、最終巻である「夢浮橋」の数字が三十六になってしまった。しかし並びの巻を除いた源氏物語全体の巻数は37になるはずだという考えのもとで、元々「夢浮橋」の異名であった「法の師」に「三十七」という数字を振って、『源氏物語』全巻の巻数を37としたのではないかとしている。
  • かつて「法の師」という巻が存在したのは事実であるとする寺本直彦の説[3][4]
    寺本は源氏物語の巻について、成立して以後にもともと一つだった巻がいくつかの巻に分割されたり逆にもともとはいくつかの連続した複数の巻だったものが合わさって一つの巻になったりしたことがあるとして、複数の巻が一つになったとき無くなった方の巻の名前が残った方の巻の異名として残ったとしている。このような考え方を元にして、源氏釈は現在本文が残っている通りに「夢浮橋」の後に「法の師」という巻が存在した源氏物語を対象に注釈を加えたのであり、その後この二つの巻が合わさって一つの巻になり、「法の師」が現在の「夢浮橋」の後半部分になるとともに「夢浮橋」が「法の師」の異名を持つようになったのではないかとしている。

脚注[編集]

  1. ^ 「雲隠六帖抄」伊井春樹編『源氏物語 注釈書・享受史事典』東京堂出版、2001年(平成13年)9月15日、pp.. 69-71。 ISBN 4-490-10591-6
  2. ^ 池田亀鑑「伊行の源氏釈より見たる初期の「註釈」の性質とその形態」『池田亀鑑選集 物語文学 2』至文堂、1969年(昭和44年)6月、pp. 56-76。
  3. ^ 寺本直彦「源氏物語目録をめぐって -異名と并び-」」『文学・語学』1978年(昭和53年)6月号のち『源氏物語受容史論考 続編』風間書房、1984年(昭和59年)1月、pp.. 645-681。
  4. ^ 寺本直彦「源氏物語目録続考 -「さむしろ」と「ならび」の一異説とについて-」源氏物語探求会編『源氏物語の探求 第四編』風間書房、1979年(昭和54年)4月、pp.. 37-67。のち『源氏物語受容史論考 続編』風間書房、1984年(昭和59年)1月、pp.. 682-713。

関連項目[編集]