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「藤式部丞 (源氏物語)」の版間の差分

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* [[清少納言]]の夫として知られる[[橘則光]]<ref>[[島津久基]]『源氏物語講話』</ref>

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* 紫式部の兄または弟とされる[[藤原惟規]]<ref>[[高橋和夫 (国文学者)|高橋和夫]]「源氏物語、帚木巻の藤式部丞のモデル」解釈学会編『解釈』第3巻第7号(通号第27号)、日本学会事務センター学術情報事業部、1957年(昭和32年)7月、pp. 14-16。 のち高橋和夫「源氏物語帚木巻の藤式部丞のモデルについて」として『源氏物語の主題と構想』[[桜楓社]]、pp. 1966年(昭和41年)2月、277-281。</ref>

* 紫式部の父親[[藤原為時]]([[藤原氏]]であり[[式部大丞]]の地位に就いていた)<ref>[[斎藤正昭]]『源氏物語のモデルたち』[[笠間書院]]、2014年(平成26年)10月17日、pp. 16。 ISBN978-4-305-70744-4 </ref>。

* 紫式部の父親[[藤原為時]]([[藤原氏]]であり[[式部大丞]]の地位に就いていた)<ref>[[斎藤正昭]]『源氏物語のモデルたち』[[笠間書院]]、2014年(平成26年)10月17日、pp. 16。 ISBN 978-4-305-70744-4 </ref>。



== 本文中での表記 ==

== 本文中での表記 ==


2016年11月15日 (火) 19:45時点における版

源氏物語 > 源氏物語の登場人物 > 藤式部丞 (源氏物語)



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参考文献

  • 篠原昭二「作中人物事典 藤式部丞」秋山虔編『源氏物語事典』学燈社〈別冊国文学〉No.36、1989年(平成元年)5月10日、p. 288。
  • 武内卓也「藤式部丞の語り方の解釈」『愛媛国文研究』第7号、愛媛国語国文学会、1958年3月、pp. 69-74。

脚注

注釈

  1. ^ 同人の他は光源氏頭中将、左馬頭の3人である。

出典

  1. ^ 島津久基『源氏物語講話』
  2. ^ 高橋和夫「源氏物語、帚木巻の藤式部丞のモデル」解釈学会編『解釈』第3巻第7号(通号第27号)、日本学会事務センター学術情報事業部、1957年(昭和32年)7月、pp. 14-16。 のち高橋和夫「源氏物語帚木巻の藤式部丞のモデルについて」として『源氏物語の主題と構想』桜楓社、pp. 1966年(昭和41年)2月、277-281。
  3. ^ 斎藤正昭『源氏物語のモデルたち』笠間書院、2014年(平成26年)10月17日、pp. 16。 ISBN 978-4-305-70744-4
  4. ^ 稲賀敬二「作中人物解説 藤式部丞」池田亀鑑編『源氏物語事典下巻』東京堂出版 1960年(昭和35年)(合本は1987年(昭和62年)3月15日刊)、p. 370。 ISBN 4-4901-0223-2