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|英語名称= San-Ikukai Hospital |
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|前身= |
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|標榜診療科= 産婦人科、内科、小児科、外科、整形外科、眼科、耳鼻いんこう科、皮膚科、泌尿器科、緩和 |
|標榜診療科= 産婦人科、内科、小児科、外科、整形外科、眼科、耳鼻いんこう科、皮膚科、泌尿器科、緩和ケア科 |
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|許可病床数= 199 |
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|精神病床数= |
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設置母体である賛育会︵墨田区太平三丁目17番8号︶は、東京都のほか、[[長野県]]、[[静岡県]]で病院事業、[[訪問看護]]事業、[[高齢者福祉]]事業を手がけるほか、[[指定管理者]]として墨田区や[[中央区 (東京都)|中央区]]の[[特別養護老人ホーム]]の運営を行っている。本項では病院のほか、病院を設置運営する賛育会についても述べる。
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設置母体である賛育会︵墨田区太平三丁目17番8号︶は、東京都のほか、[[長野県]]、[[静岡県]]で病院事業、[[訪問看護]]事業、[[高齢者福祉]]事業を手がけるほか、[[指定管理者]]として墨田区や[[中央区 (東京都)|中央区]]の[[特別養護老人ホーム]]の運営を行っている。本項では病院のほか、病院を設置運営する賛育会についても述べる。
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== 沿革 == |
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=== 賛育会の創設 === |
=== 賛育会の創設 === |
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賛育会は[[1888年]][[5月13日]]に結成された[[東京大学|東京帝国大学]][[学生]][[キリスト教青年会|基督教青年会]]([[東京大学学生キリスト教青年会寮|東大YMCA]])の会員有志によって、[[1918年]]に創設された。当時の[[医療]]は庶民には手の届かないものであり、[[東京大学学生キリスト教青年会寮|東大YMCA]]は庶民に医療を提供するために、まず[[1917年]]に無料診療を行う[[診療所]](青年会医院)を設置した<ref>『隣りびとの友として70年 「賛育会」歩みの記録』(社会福祉法人賛育会、1988年)3頁。齊藤實『賛育会を育てた人びと 河田茂と丹羽昇の生涯』(社会福祉法人賛育会、1988年)47頁。</ref>。苦情等で医院の継続が困難になると、当時の[[東京大学学生キリスト教青年会寮|東大YMCA]]理事長で[[東京大学大学院法学政治学研究科・法学部|東京帝国大学法科大学]][[教授]]の[[吉野作造]]の指導の下、下層の母子に医療を提供することを目的として妊婦及び乳児の相談所を開くことになった。吉野は病没するまで夫妻で賛育会の活動に参加し、指導的役割を果たした。会については「婦人と小児の保護、保健、救療」<ref>[http://www.san-ikukai.or.jp/txt/history.html 法人公式サイト](2010年6月20日閲覧)より。</ref>を目的として、1918年[[3月16日]]に第1回総会を開き、設立を決定した<ref>[http://www.san-ikukai.or.jp/sumida/hospital/about/gaiyo.html 病院公式サイト](2010年6月19日閲覧)では開設年月が大正7年〔1918年〕3月16日となっているが、これは診療開始日ではない。</ref>とされるが、実際のところは定かではないようである<ref>2010年現在の法人公式サイトではこの日に創立されたとされ、1988年出版の『隣りびとの友として70年』6頁および157頁には3月16日に発起人会が開かれたとするが、1994年出版の齊藤實『賛育会の七十五年』(社会福祉法人賛育会刊)27頁では、昭和32年(1957年)12月刊の[[東京大学学生キリスト教青年会寮|東大YMCA]]『年表』に、この日に会合があったという記述がないことを指摘し、むしろ[[3月1日]]の「常務理事会」の議事に「賛育会」の文字があること、[[3月11日]]に「賛育会発起人会」が設置されたことから、すでに3月1日には「賛育会」として動き出していた、とする。</ref>。会の名称は、初代理事長である木下正中(元[[東京大学大学院医学系研究科・医学部|東京帝国大学医科大学]][[産科学]][[婦人科学]]講座教授)が『[[中庸]]』の第21章にある「天地ノ化育ヲ賛ク(てんちのかいくをたすく、万物の発育を助けるの意)」からつけた<ref>木下が『賛育会ニュース』(1934年7月5日付)に寄せた文章から。『隣りびとの友として70年』6頁。</ref>。 |
賛育会は[[1888年]][[5月13日]]に結成された[[東京大学|東京帝国大学]][[学生]][[キリスト教青年会|基督教青年会]]([[東京大学学生キリスト教青年会寮|東大YMCA]])の会員有志によって、[[1918年]]に創設された。当時の[[医療]]は庶民には手の届かないものであり、[[東京大学学生キリスト教青年会寮|東大YMCA]]は庶民に医療を提供するために、まず[[1917年]]に無料診療を行う[[診療所]](青年会医院)を設置した<ref>『隣りびとの友として70年 「賛育会」歩みの記録』(社会福祉法人賛育会、1988年)3頁。齊藤實『賛育会を育てた人びと 河田茂と丹羽昇の生涯』(社会福祉法人賛育会、1988年)47頁。</ref>。苦情等で医院の継続が困難になると、当時の[[東京大学学生キリスト教青年会寮|東大YMCA]]理事長で[[東京大学大学院法学政治学研究科・法学部|東京帝国大学法科大学]][[教授]]の[[吉野作造]]の指導の下、下層の母子に医療を提供することを目的として妊婦及び乳児の相談所を開くことになった。吉野は病没するまで夫妻で賛育会の活動に参加し、指導的役割を果たした。会については「婦人と小児の保護、保健、救療」<ref>[http://www.san-ikukai.or.jp/txt/history.html 法人公式サイト](2010年6月20日閲覧)より。</ref>を目的として、1918年[[3月16日]]に第1回総会を開き、設立を決定した<ref>[http://www.san-ikukai.or.jp/sumida/hospital/about/gaiyo.html 病院公式サイト](2010年6月19日閲覧)では開設年月が大正7年〔1918年〕3月16日となっているが、これは診療開始日ではない。</ref>とされるが、実際のところは定かではないようである<ref>2010年現在の法人公式サイトではこの日に創立されたとされ、1988年出版の『隣りびとの友として70年』6頁および157頁には3月16日に発起人会が開かれたとするが、1994年出版の齊藤實『賛育会の七十五年』(社会福祉法人賛育会刊)27頁では、昭和32年(1957年)12月刊の[[東京大学学生キリスト教青年会寮|東大YMCA]]『年表』に、この日に会合があったという記述がないことを指摘し、むしろ[[3月1日]]の「常務理事会」の議事に「賛育会」の文字があること、[[3月11日]]に「賛育会発起人会」が設置されたことから、すでに3月1日には「賛育会」として動き出していた、とする。</ref>。会の名称は、初代理事長である木下正中(元[[東京大学大学院医学系研究科・医学部|東京帝国大学医科大学]][[産科学]][[婦人科学]]講座教授)が『[[中庸]]』の第21章にある「天地ノ化育ヲ賛ク(てんちのかいくをたすく、万物の発育を助けるの意)」からつけた<ref>木下が『賛育会ニュース』(1934年7月5日付)に寄せた文章から。『隣りびとの友として70年』6頁。</ref>。 |
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[[1970年]]に現在の病棟︵地上7階地下1階︶を建設。[[1988年]]3月には﹁賛育会憲章﹂を制定、懸賞募集によって選ばれた賛育会のシンボルマークと賛育会の歌﹃愛の賛歌﹄﹃賛育会音頭﹄が披露された<ref>﹃賛育会の七十五年﹄156-164頁。同書163頁に﹃愛の賛歌﹄の歌詞、162頁に楽譜が掲載されている。</ref>。[[1990年代]]には墨田区・中央区の複数の老人ホームの運営を受託し、医療面では病院が1990年代後半に地域周産期母子医療センターや緩和ケア病床をもつなどの発展をしつつ、現在に至っている。
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[[1970年]]に現在の病棟︵地上7階地下1階︶を建設。[[1988年]]3月には﹁賛育会憲章﹂を制定、懸賞募集によって選ばれた賛育会のシンボルマークと賛育会の歌﹃愛の賛歌﹄﹃賛育会音頭﹄が披露された<ref>﹃賛育会の七十五年﹄156-164頁。同書163頁に﹃愛の賛歌﹄の歌詞、162頁に楽譜が掲載されている。</ref>。[[1990年代]]には墨田区・中央区の複数の老人ホームの運営を受託し、医療面では病院が1990年代後半に地域周産期母子医療センターや緩和ケア病床をもつなどの発展をしつつ、現在に至っている。
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==新生児の取り違え事故 == |
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[[1953年]]、賛育会病院で生まれた[[新生児]]が別の新生児と取り違えられる事故が発生。当時のずさんな新生児の管理が明らかになった。[[原告]]Aの60歳の男性は、取り違えられなければ本来裕福な家庭に育つことができた。原告の実の両親の家は大変裕福であり、[[不動産]][[会社]]経営をしており、広大な敷地の家の庭には池まである豪邸であった。原告の本来の兄弟たちは幼少時より[[家庭教師]]をつけられ、みな[[私立]]高校から一流[[大学]]を卒業して[[東証一部]]上場の一流企業に勤めていて、同じく取り違えられたBさんも一流[[大学]]を卒業し、育ての父親が経営していた不動産会社から独立し現在は不動産会社社長である。反対に、取り違えられたために、不本意にも貧乏な家庭に育てられた家庭は大変貧しく六畳一間の[[アパート]]暮らしで[[生活保護]]を受けて育てられた。、また事実、原告も中卒で社会にでて[[町工場]]に就職し、働きながら[[定時制]]高校を卒業している。これらの事実に鑑みて、[[東京地方裁判所]]は、[[被告]]の病院側に3,800万円の[[損害賠償]]を支払う判決を下した。
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また、現在のところ病院側は、原告Aへの謝罪をしておらず、また、取り違えが起こった当時のカルテの開示も拒否していた。
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⚫ | 賛育会では任意団体の理事長であった木下正中を初代理事長としている。法人の初代理事長は吉野作造(第2代)、社会福祉法人改組当時の理事長は藤田逸男(第3代)である。 |
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⚫ | * 木下正中([[1918年]][[3月16日]]<ref>就任年月日は賛育会年表(齊藤實『賛育会の七十五年』)及び『賛育会ニュース』による。</ref> - [[1926年]]) |
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== 年表 == |
== 年表 == |
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* [[1998年]] - 緩和ケア病床の届出。 |
* [[1998年]] - 緩和ケア病床の届出。 |
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* [[2008年]][[7月1日]] - DPC対象病院となる<ref>『賛育会ニュース』第602号。</ref>。 |
* [[2008年]][[7月1日]] - DPC対象病院となる<ref>『賛育会ニュース』第602号。</ref>。 |
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⚫ | 賛育会では任意団体の理事長であった木下正中を初代理事長としている。法人の初代理事長は吉野作造(第2代)、社会福祉法人改組当時の理事長は藤田逸男(第3代)である。<ref>[http://www.san-ikukai.or.jp/txt/statement_2004a.html 2004年度事業・決算報告] 社会福祉法人賛育会公式サイト、2010年6月19日閲覧。</ref>。 |
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⚫ | * 木下正中([[1918年]][[3月16日]]<ref>就任年月日は賛育会年表(齊藤實『賛育会の七十五年』)及び『賛育会ニュース』による。</ref> - [[1926年]]) |
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* 小堀洋志(2014年7月1日 - ) |
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== 診療科・診療部門 == |
== 診療科・診療部門 == |
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* [[泌尿器科学|泌尿器科]] |
* [[泌尿器科学|泌尿器科]] |
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* [[緩和医療|緩和ケア]] |
* [[緩和医療|緩和ケア]] |
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* [[精神医学|こころのケアー科]] |
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* [[麻酔科学|麻酔科]] |
* [[麻酔科学|麻酔科]] |
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* 看護部 |
* 看護部 |
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== 主な関係者 == |
== 主な関係者 == |
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* [[鴨下重彦]](前病院長、[[東京大学]][[名誉教授]]) |
* [[鴨下重彦]](前病院長、[[東京大学]][[名誉教授]]) |
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== 報道 == |
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[[1953年]]に賛育会病院で生まれた[[新生児]]が、別の新生児と取り違えられていたという訴訟について報道された |
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<ref>[http://www.nikkei.com/article/DGXNASDG2603N_W3A121C1CC1000/ 日本経済新聞(2013/11/26の記事)]</ref>。 |
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== 脚注 == |
== 脚注 == |
2015年1月8日 (木) 08:39時点における版
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情報 | |
正式名称 | 社会福祉法人賛育会 賛育会病院 |
英語名称 | San-Ikukai Hospital |
標榜診療科 | 産婦人科、内科、小児科、外科、整形外科、眼科、耳鼻いんこう科、皮膚科、泌尿器科、緩和ケア科 |
許可病床数 |
199床 一般病床:199床 |
機能評価 | 一般200床以上500床未満:Ver6.0 |
開設者 | 社会福祉法人賛育会 |
管理者 | 鈴木 正明(病院長) |
開設年月日 | 1918年4月1日[1] |
所在地 |
〒130-0012 東京都墨田区太平三丁目20番2号 |
位置 | 北緯35度42分9秒 東経139度48分50秒 / 北緯35.70250度 東経139.81389度 |
二次医療圏 | 区東部 |
PJ 医療機関 |