出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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|名称= 賛育会病院 |
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|正式名称= 社会福祉法人賛育会 賛育会病院 |
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|英語名称= San-Ikukai Hospital |
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|前身= |
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|標榜診療科= 産婦人科、内科、小児科、外科、整形外科、眼科、耳鼻いんこう科、皮膚科、泌尿器科、緩和ケア科 |
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|標榜診療科=産婦人科、内科、小児科、外科、整形外科、眼科、耳鼻いんこう科、皮膚科、泌尿器科、緩和ケア科 |
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|許可病床数= 199 |
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|結核病床数= |
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|一般病床数= 199 |
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|療養病床数= |
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|病院機能評価= 一般200床以上500床未満:Ver6.0 |
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|開設者= 社会福祉法人賛育会 |
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|管理者= 鈴木 正明(病院長) |
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|地方公営企業法= |
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|所在地郵便番号= 130-0012 |
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|二次医療圏= 区東部 |
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2024年4月9日 (火) 14:29時点における版
脚注
注釈
(一)^ 妊産婦乳児相談所の開設日。
(二)^ 緩和ケア病床を持つ同医療圏の病院はほかにがん研究会有明病院︵都道府県がん診療連携拠点病院︶があるが、同病院が豊島区上池袋一丁目から江東区有明三丁目に移転したのは2005年である。
(三)^ 2010年現在の法人公式サイトではこの日に創立されたとされ、1988年出版の﹃隣りびとの友として70年﹄6頁および157頁には3月16日に発起人会が開かれたとするが、1994年出版の齊藤實﹃賛育会の七十五年﹄︵社会福祉法人賛育会刊︶27頁では、昭和32年︵1957年︶12月刊の東大YMCA﹃年表﹄に、この日に会合があったという記述がないことを指摘し、むしろ3月1日の﹁常務理事会﹂の議事に﹁賛育会﹂の文字があること、3月11日に﹁賛育会発起人会﹂が設置されたことから、すでに3月1日には﹁賛育会﹂として動き出していた、とする。
(四)^ 初代の病院長である石川正臣によると、地元の医師会との約束を守ろうとする木下の主張で無料診療だったということである。﹃隣りびとの友として70年﹄16頁︵﹃賛育会ニュース﹄1952年1月10日号からの転載︶。
(五)^ 実費診療への転換は吉野作造の方針によるものだが、このことは、1919年に河田茂が実費診療所の創設者である鈴木梅四郎から病院建設の寄付を受ける際に﹁早く慈善をやめて実費になさい﹂と言われたこととも関係するとされる。﹃賛育会を育てた人びと﹄96頁、﹃賛育会の七十五年﹄32頁。
出典
(一)^ 東京都保健医療計画105頁。区東部保健医療圏では、ほかに東京都立墨東病院が1999年6月に総合周産期母子医療センターの指定を受けている。
(二)^ ﹃隣りびとの友として70年 ﹁賛育会﹂歩みの記録﹄︵社会福祉法人賛育会、1988年︶3頁。齊藤實﹃賛育会を育てた人びと 河田茂と丹羽昇の生涯﹄︵社会福祉法人賛育会、1988年︶47頁。
(三)^ 法人公式サイト︵2010年6月20日閲覧︶より。
(四)^ 病院公式サイト︵2010年6月19日閲覧︶では開設年月が大正7年︹1918年︺3月16日となっているが、これは診療開始日ではない。
(五)^ 木下が﹃賛育会ニュース﹄︵1934年7月5日付︶に寄せた文章から。﹃隣りびとの友として70年﹄6頁。
(六)^ ﹃賛育会の七十五年﹄157頁、齊藤實﹃賛育会を育てた人びと﹄69頁。
(七)^ ﹃隣りびとの友として70年﹄15頁。同7頁によると、吉野は理事会には必ず出席したとのことである。このときの理事には吉野の妻、吉野たまのの名前が、監事には鳩山秀夫の名前が確認できる。
(八)^ ﹃賛育会の七十五年﹄32頁。
(九)^ ﹃隣りびとの友として70年﹄52頁、賛育会ニュース 社会福祉法人賛育会公式サイト。
(十)^ ﹃隣りびとの友として70年﹄46、161頁。﹃賛育会の七十五年﹄年表には﹁2月中に疎開完了﹂とある。
(11)^ ﹃隣りびとの友として70年﹄69頁。
(12)^ ﹃隣りびとの友として70年﹄120頁によると、﹁清風﹂の語は、理事長の片山が好んだ漢詩の一句﹁清風自来﹂から命名されたという。
(13)^ ﹃賛育会の七十五年﹄60頁。
(14)^ ﹃隣りびとの友として70年﹄130頁、﹃賛育会の七十五年﹄78頁。清林ハイツの﹁清﹂は清風園から、﹁林﹂は、平林の姓からとられたものであるという。
(15)^ ﹃賛育会の七十五年﹄156-164頁。同書163頁に﹃愛の賛歌﹄の歌詞、162頁に楽譜が掲載されている。
(16)^ 秋丸生帆 (2023年9月28日). “東京に﹁赤ちゃんポスト﹂ 墨田区の病院が2024年度に設置構想”. 毎日新聞. 2023年9月29日閲覧。
(17)^ “墨田区の病院、国内2例目の﹁赤ちゃんポスト﹂設置へ…﹁内密出産﹂とともに来年度開始目指す”. 読売新聞 (2023年9月28日). 2023年9月29日閲覧。
(18)^ 張春穎、太田原奈都乃 (2023年9月28日). “﹁赤ちゃんポスト﹂設置を表明 東京・墨田の病院 都﹁連携が必要﹂”. 朝日新聞. 2023年9月29日閲覧。
(19)^ ﹃賛育会ニュース﹄第602号。
(20)^ 2004年度事業・決算報告 社会福祉法人賛育会公式サイト、2010年6月19日閲覧。
(21)^ 就任年月日は賛育会年表︵齊藤實﹃賛育会の七十五年﹄︶及び﹃賛育会ニュース﹄による。
(22)^ 日本経済新聞︵2013/11/26の記事︶