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概要
8000系
近鉄8000系電車 |
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枚岡を通過する8000系8086F |
基本情報 |
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製造年 |
1964年 - 1980年 |
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製造数 |
208両 |
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主要諸元 |
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編成 |
2・3・4両編成 |
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台車 |
Mc車:KD-51/KD-64 [2] M車:KD-51/KD-64/KD-86 [2] T車:KD-51D/KD-64A [2] Tc車:KD-51D/KD-64A [2] |
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主電動機 |
日立製作所HS-833Jrb [2] 三菱電機MB-3064AC [2] |
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定格速度 |
全界磁 41.5 km/h |
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制御装置 |
バーニア抵抗制御:VMC-HTB-20C [2] 抵抗制御:MMC-HTB-20B[2] 界磁位相制御:MMC-HTR-20E [2] |
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備考 |
電算記号:E(2両)、B(3両)、L(4両) |
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車体
車体は900系を基本とし、全長20,720mm(車体長20,000mm)、裾を絞った全幅2,800mmである[1][8][2]。車体塗装は当初900系と同様、ベージュ色地に窓下に青色の帯を配した塗装であったが、数年でマルーンレッド一色に塗り替えられ[* 2]、1980年代後半からは現行のシルキーホワイトとマルーンレッドのツートンカラーに塗り替えられた。
走行機器
改造
冷房化
省エネ改造・組成変更
車体更新
1983年に車体の内外装材交換および方向幕設置を中心とする車体更新が行われた。
1996年から2000年にかけて8069F以降に2回目の車体更新(B更新)が行われた。
後年、8078F・8079F・8081F・8083F・8084F・8086F・8088F - 8090Fに車体連結部の転落防止幌設置、一部編成に座席のモケット交換が行われた。
8059Fは1972年8月2日に奈良線菖蒲池駅付近を走行中に爆破される未解決事件(近鉄奈良線爆破事件)で被災しており[5]、検証・復旧後の1976年に台車は空気ばねのKD-76系が新造され、モ8059はサ8167として8600系、ク8559はモ8459として8400系に編入された[5]。
8000系8079F
モ8250形を組み込んだ3両編成
8000系8079F
モ8079号車とモ8279号車の連結部分によって車体の高さが異なっている。
8000系アルミ車体試作車
近鉄8000系電車アルミ車体試作車 |
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8074Fに組み込まれる以前の8069F(1988年) |
基本情報 |
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製造年 |
1968年 |
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廃車 |
2005年 |
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主要諸元 |
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編成 |
6両編成 |
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全高 |
3,970 mm [2] |
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台車 |
Mc車:KD-64[2] M車:KD-64B[2] Tc車:KD-64A[2] T車:KD-64C[2] |
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定格速度 |
全界磁 41.5 km/h |
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制御装置 |
VMC-HTB-20C [2] |
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備考 |
M車・T車:アルミ車体 Tc車・Mc車:普通鋼車体 電算記号:L69 |
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8000系の内、1968年に製造した元8069F(モ8069 - サ8720 - モ8220 - ク8569の4両)はアルミ車体試作車である[1][11]。電算記号はL69で、後述の6両編成化以降の編成記号は8074Fであった。
車体
普通鋼車同様の塗装 ︵登場当初はマルーンレッド1色、後にマルーンレッドとシルキーホワイトの2色︶ が施されているが[1]、前面隅や肩部のRが小さく角張ったスタイルと、車内灯の覆いがないことで、アルミの素材色は露出していなくともその判別は容易である。
当初はアルミの地肌のまま竣功させる案も存在したが、当時の奈良線の特急運用でマルーンレッドの編成と混結した場合の見た目の不調和を憂慮して塗装に変更された[31]。なお、この車体形状は後に登場したステンレスカー3000系や界磁チョッパ制御車8810系以降の車体設計の基本となっている。普通鋼製のモ8000の重量、約41 tに対し、モ8069では約35 tとなっている[2]。
主要機器
アルミ車用に用意されたKD-64B・Cは通常のKD-64系台車と異なり、ボルスターアンカーが同一方向を向いているのが特徴で、同編成のみの特徴でもあった[32]。
制御器はVMC型とされたが[2]、それ以外の走行機器は他の4両編成に準拠しており、パンタグラフの配置も同一となっている。
改造
- 冷房化と屋根構体の新製交換とパンタグラフの交換
1985年に冷房化の際、アルミ車全車に対して屋根構体の新製交換がなされ、同時にパンタグラフが下枠交差型に交換された。モ8069、モ8220ともに冷風改善のため、パンタグラフ寄りのクーラーの設置位置を車端側に移した影響で他の8000系パンタグラフ搭載車よりもその搭載位置を車端側に移動した。また、モ8220はパンタグラフを2基に増設可能なようにクーラー配置位置も同形他車とは大幅に変更された。クーラーキセの形状も車体形状の差異から他車に比べ、やや薄い形状のものが使用され、モのパンタグラフ寄りのキセについても上記の理由により、他車のものに比べ、やや長いものが使用されるなどしていた[33]。
組成変更
1989年の大阪線に合わせた連結器の嵩上げでは改造対象とはならず、8074Fと編成を組み合わせ、車体断面の大きく異なる6両編成固定1本に組成変更した[* 8][1]。
B更新
1998年に2回目の車体更新︵B更新︶が行われた。モ8069・ク8569が運転台の撤去により、中間車化がなされ、同時にクについてはサ8569と形式が変更されたほか、列車無線アンテナやスカートが撤去されたものの、外観は先頭車時代と何らかわらなかった[8]。
2005年12月14日に高安検修センターへ回送され、廃車[1][23]解体された。
8400系
近鉄8400系電車 |
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近鉄8400系8407F |
基本情報 |
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製造年 |
1969年 - 1972年 |
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製造数 |
54両+車籍編入車1両 |
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主要諸元 |
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編成 |
2・3・4両編成 |
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台車 |
Mc車:KD-64/KD-73[4] T車:KD-64A[4] M車:KD-64/KD-73/KD-76B[4] Tc車:KD-64A/KD-73A[4] |
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主電動機 |
日立製作所HS-833Krb[3] 三菱電機MB-3064AC[3][4] |
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制御装置 |
抵抗制御(2両) 型式:MMC-HTB-20B[4] 界磁位相制御(3・4両) 型式:MMC-HTR-20E [4] |
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備考 |
電算記号:E(2両)、B(3両)、L(4両) |
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主要機器・性能
性能面では8000系後期型︵60番台以降︶と同様で、駆動装置や制御装置、制動方式も同系後期型に準拠し、主電動機も日立製作所HS-833Krbと三菱電機MB-3064AC︵出力は共に145kW︶が混在している[2]。台車も8000系70番台以降と同様のKD-64系が採用されているが[2]、1971年に製造された3両編成の8412F - 8414Fとモ8400形モ8415の10両は新造品の金属バネ台車︵M車はKD-73、T車はKD-73A︶を装備する[2]。
集電装置は2両編成はモ8400形の連結側に1基、3両編成はモ8450形に2基、4両編成はモ8450形とモ8400形に各1基装備した[36]。なお新製時︵非冷房時代︶は2・4両編成はそれぞれモ8450形とモ8400形に各2基、3両編成はモ8450形とモ8400形の運転台側に各1基装備されていた。
電動発電機とコンプレッサーはク8300形にそれぞれ装備し、4両分の補給能力を持たせて集約搭載している[35]。
改造
組成変更
製造時、8409Fは2両編成であったが、1972年に発生した8000系ク8500形ク8559︵近鉄奈良線爆破事件の被災車両︶を1976年に復旧させたモ8459を組み込み、3両固定編成に組成変更した[* 9][3][7]。モ8459は現在奈良線所属車で唯一の扇風機装備車であり、蒲鉾型ベンチレーターが付いている車両でもある。台車は種車の金属ばね台車ではなく、8600系のKD-76を改良したKD-76B形空気ばね台車が新造された[4]。モ8459はサ8167と異なり、2つの窓ガラスがサッシを共有せず独立して取り付けられている。運転台側に繋がるモ8400形モ8409は切妻を幅狭貫通路に改造されたが、室内側は幅広・両開扉のままの状態となっている。
製造時、8411Fは2両編成、モ8400形モ8415・モ8417は単独Mc車であったが、モ8400形モ8415は8416Fの製造時に新造のモ8450形モ8465・ク8300形ク8315と編成を組み合わせ、3両編成に組成変更し、8411Fとモ8400形モ8417は難波・京都寄りから8417 + 8411 - 8311の3両編成で運用されていたが、モ8450形モ8411は後述の冷房化の際に運転台撤去車として中間車化の上でモ8450形モ8461、モ8400形モ8417はモ8400形2代目モ8411に改番が行われ、3両1ユニット化された。
冷房化と車体前面の方向幕設置とパンタグラフの交換と回生ブレーキ化
車体更新
1986年から1993年にかけて車体の内外装材交換と車体側面の方向幕設置などを中心とする車体更新が行われた[7]。
ワンマン運転対応改造
1992年から1993年にかけて3両編成7本に足踏み式デッドマン装置と車内自動放送装置とドアブザーの設置とドア制御装置の変更などを中心とする田原本線のワンマン運転対応改造が行われた[7]。
B更新
1997年から2003年にかけて2回目の車体更新(B更新)が行われた。後年には8402F - 8404F・8406F - 8409F・8411F - 8416Fに車体連結部の転落防止幌設置、一部編成に座席のモケット交換が行われた。
アートライナー
モ8450形モ8459
8000系8059F(爆破被災車)のク8500形ク8559を中間車化・編入した車両
モ8450形モ8461
初代モ8450形モ8411を中間車化・改番した車両
モ8450形モ8459とは窓枠が異なる。
8414F
コイルばね台車(KD-73/KD-73A)を装備した3両編成
8600系
車体
冷房搭載に伴い、屋根の形状が変更され、8400系に比較して高く丸くなっている[3][41]。本系列は当初より正面の貫通ドア上部に方向幕を設置し[3][41]、以降の通勤車に標準装備されたほか、在来車にも取り付けられていった。この関係で8619Fまでの車両では大型運行標識板取付ステーが省略され、方向幕故障時には乗務員室の車掌台側前面ガラスからその標識板を掲示していた。冷房装置は10500kcal/hの集約分散型が1両あたり4台設置され、熱交換形換気装置︵ロスナイ︶を搭載して連続したクーラーキセに納められた[41]。前面の排障器も新製時から装備している[41]。
主要機器・性能
増備車
増備途中から設計変更が見られ、初期車の8601F - 8610Fはラインデリアを装備しておらず、1985年に扇風機を設置、後にローリーファンに交換されている。1976年製造の8614F以降は座席のひじ掛けが大きく湾曲したものに変更され、2800系と同一の座面の低い奥行きの広くしたものとされた。1976年に製造された8617Fは2両編成で登場したが、中間車の増備と車両組み換えですぐに4両編成を組成した︵後述︶。
1978年に登場した8619Fは唯一新造時から6両編成を組成して落成し[* 15]、サ8150形とサ8170に電動発電機とコンプレッサーが搭載され、モ8600形モ8620とク8100形ク8120の先頭車は存在しないため、欠番となった。さらに、同編成以降の車両ではブレーキ装置に除湿装置が標準装備となった。
1979年製造の8621F・8622Fは冷房効率を高めるためにラインデリアが併用され、パンタグラフは下枠交差式を採用し、当時まだ存在していた大型運行標識板取付ステーも復活した。
改造
- 組成変更
廃車
2014年に8617FのB更新で施工対象とされなかったサ8167(8000系モ8000形モ8059(近鉄奈良線爆破事件の被災車両))は編成から外され、7月23日付で車籍抹消の後に廃車解体された[22]。
6両編成は西大寺検車区、4両編成は東花園検車区に配置されている[26]。
サ8167
8000系8059F(爆破被災車)のモ8000形モ8059を中間車化・編入した車両(転落防止幌設置後の姿)
近鉄8600系初期車の天井に設置されたローリーファン
サ8177
サ8150形とは前後逆の窓配置で車体断面が異なる。
サ8177(右側の車両)
左側に連結されているモ8600形モ8617より屋根が低くなっている。
モ8617のパンタグラフを撤去した跡。
他の同系車両は運転席の扉の上部までクーラーキセが設置されているが、この車両はパンタグラフ撤去後もそうなっていない。
近鉄8600系8622F車内のB更新後のロングシート
真ん中にスタンションポールがついた。
近鉄8600系8622F車内のB更新後の連結部の扉
黒を基調にしている。
近鉄8600系8622F車内のB更新後の客用扉
黒を基調にしている。
8800系
車体
外観は8600系8621F・8622Fに類似するが、車内の貫通扉がすべて片開き式︵従来は一部両開き式︶であり、下枠交差式パンタグラフを2基︵8621F・8622Fは3基︶搭載している点で異なる[* 22]。
さらに後述の車体更新による側面の行先表示機設置までは、側面の行灯式種別表示の視認性を向上させるべく、表示部分の肩部の傾斜がないように屋根の丸みが始まる位置を8600系より25mm上げた点でも8600系とは異なっていた[8][47]。
主要機器
改造・車体更新
2023年8月現在、本系列に廃車は発生しておらず、全車が東花園検車区に所属している[26]。
運用
3両編成
全編成が踏面清掃装置を装備するため編成単独で運用可能ではあるが奈良線系統では田原本線を除き、3両編成単独での運用は存在しないためこれらを2編成連結した6両編成で運用されており、通常では原則として8000系は8000系同士、8400系は8400系同士で連結して運用されている。
奈良線では大阪難波駅折り返しの急行 - 普通列車で運用されており、京都線では急行を中心に京都駅 - 新田辺駅間の準急・普通列車で運用されている。6両編成単独および他形式連結の8両・10両編成で運用する列車もある。6両固定編成の8600系8619Fと共通で運用されている。
ワンマン運転対応の8400系8409F・8411F - 8415Fは単独編成で田原本線でも運用されている[7]。2001年3月から2003年3月までの2年間は、8000系共々生駒線でも日中時間帯に3両単独で運行されていた時期があったが、こちらは車掌乗務であった。
4両編成
- 8000系 8081F・8083F・8084F・8086F・8088F - 8090F
- 8400系 8402F - 8404F・8406F - 8408F
- 8600系 8601F - 8610F・8612F - 8618F・8621F・8622F
- 8800系 8802F・8804F
6両編成
6両固定編成であるため、京都線では急行運用が大半であるが、京都駅 - 新田辺駅間の準急・普通列車での運用も存在する。奈良線では大阪難波駅折り返し列車に限定して、列車種別や編成両数を問わずに幅広く運用されている。8000系・8400系の3両編成を2本連結した6両編成と共通運用となっている。
過去の運用
- 8000系 8031F - 8058F・8060F・8075F・8085F・8087F
- 8400系 8405F・8410F
主に他編成と併結した4両 - 10両編成で京都線系統の急行 - 普通列車や奈良線大阪難波駅 - 近鉄奈良駅間の快速急行 - 普通列車で運用されていた。6両編成の不足時では3 - 5編成連結した6 - 10両編成で運用する事もあった。最後期は8000系8085F・8087Fと8400系8410Fの6両が在籍していた[22]。
3両編成
- 8000系 8070F・8071F・8076F・8077F
4両編成
- 8000系 8021F - 8030F・8061F - 8068F・8072F・8073F・8080F・8082F
- 8400系 8401F
- 8600系 8611F
6両編成
関連項目
脚注
注釈
(一)^ 900系モ901 - 912をモ8001 - 8012、ク951 - 962をク8501 - 8512とする計画であった。そのため、モ8001 - 8020、ク8501 - 8520は欠番になっている。
(二)^ モ8000形8069以降、モ8200形8211以降、ク8500形8569以降、サ8700形8711以降は新製時よりマルーンレッド一色で登場した。
(三)^ 当初ラインデリアは非設置だったが、1985年に実施された車体更新時に同時に設置工事が行われた。
(四)^ ラインデリア非装備車であり、平屋根でなかったことから、外観においては他の冷房化改造がなされた車両と趣を異にし、8600系とほぼ同様の見かけとなっている。ただし、冷房装置等の配置ならびにクーラーキセの形状には、細かな部分では違いがみられる。
(五)^ なお、この時用意されていた以後の冷房改造の機器は余剰となったが、これらのうち一部は10400系の冷房装置の更新に転用された。そのため、この形状のクーラーキセとKD-51系の金属ばね台車を装備したものとの組み合わせは新造車での2610系ク2710形・サ2760形の一部の旧型車台車KD-49C流用のものを除けば、近鉄の車両としては唯一のものとなった。
(六)^ 6両編成1本に組成変更するにあたり、そのままではMc + Mc - T - M - Tc + Tcとなるため、大阪難波側からモ8074︵Mc︶ + サ8720︵T︶ - モ8220︵M︶ - ク8569︵Tc︶ + モ8069︵Mc︶ + ク8574︵Tc︶の6両編成としてモ8069とク8569が向かい合うように組成している[12]。
(七)^ 製造されたのは208両だが、モ8250形が登場したとき、8059Fはすでに他形式に編入されていた。
(八)^ 6両編成1本に組成変更するにあたり、そのままではMc + Mc - T - M - Tc + Tcとなるため、大阪難波側からモ8074︵Mc︶ + サ8720︵T︶ - モ8220︵M︶ - ク8569︵Tc︶ + モ8069︵Mc︶ + ク8574︵Tc︶の6両編成としてモ8069とク8569が向かい合うように組成している[12]。
(九)^ 登場時、モ8459は8000系ク8500形ク8559︵近鉄奈良線爆破事件の被災車両︶の運転台撤去および中間電動車化と方向転換と改番が行われた運転台撤去車のため、運転台側の連結面が丸みを帯びている。
(十)^ 回生ブレーキ車はパンタグラフを回生失効に備え、2基装備とされていた。
(11)^ そのため、回生ブレーキ化が行われるためには、冷房装置の配置を変更・移設するための改造が必要なため、その改造の対象からは外された。
(12)^ 8000系ク8500形ク8559︵爆破被災車︶を改造編入したモ8450形モ8459を除く。
(13)^ 形態としては、8000系ラインデリア車の発電制動冷房改造車のモ8200形と同様。
(14)^ 唯一のサ8350形として残存していたこのサ8355の廃車により、8400系からはサ8350形が形式消滅した。8405Fの2両編成化以前は8410Fが8400系で唯一の2両固定編成であった。
(15)^ 難波方からモ8619 + サ8169 + モ8670 + サ8170 + モ8669 + ク8119という編成とした[42][43]。
(16)^ サ8617は8000系モ8000形モ8059︵近鉄奈良線爆破事件の被災車両︶の運転台撤去および中間付随車化、運転台側のパンタグラフ撤去、電装解除だけでなく方向転換と改番が行われた。そのため、元運転台だった連結面が丸みを帯び、運転台側にはパンタグラフ台の痕跡がそのまま残置された。
(17)^ 元・モ8000形モ8059。事件後に電装解除された車両。
(18)^ 8612Fの元モ8612の主制御装置は8000系モ8000形モ8059近鉄奈良線爆破事件の被災車両︶より転用されたVMC式のため、改造の対象となった。なお、他の8600系抵抗制御車の制御装置はMMC式である。
(19)^ 当初から界磁位相制御方式の新造冷房車として製造された8800系および8000系モ8250形を除き、新造冷房車で界磁位相制御へ改造されたのは8601F - 8603F・8612Fのほかに名古屋線1000系1002Fが存在する。
(20)^ ク8150形は電動車時代の名残として屋根上のクーラーキセの配置がパンタグラフ搭載時のままの分割された状態を残しており、外観上の大きな特徴となっている。
(21)^ スタンションポールの設置によって扉間の7人掛け座席6区画については6人掛け座席に変更されており[45]、1人あたり座席幅が従来の430mmから約501.7mmに拡大された︵車端部の6人掛け区画は約466.7mmのまま据え置き︶。またMc車の車椅子スペース整備で撤去された3人掛け座席1区画を含めた座席定員は4両全体で27名減少している[45]。
(22)^ ただしモ8800形奇数車は、モ8671・モ8672とは違い、パンタグラフ搭載位置が若干車端側に寄せられている特徴がある。
(23)^ ただし、田原本線の大型車導入自体は1990年7月1日に実施され、この時は8000系の3両編成車も運用されていた。 - 交友社﹁鉄道ファン﹂1990年10月号 POST欄
出典
(一)^ abcdefghijklm三好好三﹃近鉄電車﹄p.83
(二)^ abcdefghijklmnopqrstuvwxyzaaabacadaeafagah飯島・藤井・井上﹃復刻版 私鉄の車両13近畿日本鉄道II﹄p.172-173
(三)^ abcdefghijklmnop三好好三﹃近鉄電車﹄p.84
(四)^ abcdefghijklmnopqrs飯島・藤井・井上﹃復刻版 私鉄の車両13近畿日本鉄道II﹄p.170-171
(五)^ abcde三好好三﹃近鉄電車﹄p.82
(六)^ abcdefg飯島・藤井・井上﹃復刻版 私鉄の車両13近畿日本鉄道II﹄p.68
(七)^ abcdefghi諸河久・山辺誠﹃日本の私鉄 近鉄2﹄p.65
(八)^ abcdef柴田東吾 (2022年9月30日). 大手私鉄サイドビュー図鑑 近鉄通勤車(下). イカロス出版株式会社. pp. 56-58
(九)^ ab三好好三﹃近鉄電車﹄p.230
(十)^ 私鉄電車ガイドブック5近鉄 p.193 - p.203
(11)^ abcdef諸河久・山辺誠﹃日本の私鉄 近鉄2﹄p.66
(12)^ ab諸河久・山辺誠﹃日本の私鉄 近鉄2﹄p.150
(13)^ ab鉄道ピクトリアル1997年10月臨時増刊号﹁新車年鑑﹂186頁
(14)^ ab鉄道ピクトリアル1998年10月臨時増刊号﹁新車年鑑﹂210頁
(15)^ 鉄道ピクトリアル1999年10月臨時増刊号﹁新車年鑑﹂184 - 185頁
(16)^ 鉄道ピクトリアル2000年10月臨時増刊号︵No.692)﹃新車年鑑 2000年版﹄200 - 201頁
(17)^ ab鉄道ピクトリアル2001年10月臨時増刊号(No.708)﹃新車年鑑 2001年版﹄183頁
(18)^ ab鉄道ピクトリアル2002年10月臨時増刊号(No.723)﹃鉄道車両年鑑 2002年版﹄196 - 197頁
(19)^ 鉄道ピクトリアル2003年10月臨時増刊号(No.738)﹃鉄道車両年鑑 2003年版﹄216 - 217頁
(20)^ ab鉄道ピクトリアル2005年10月臨時増刊号(No.767)﹃鉄道車両年鑑 2005年版﹄226 - 227頁
(21)^ abcd﹃鉄道ファン﹄2007年9月号 交友社﹁大手私鉄車両ファイル2007 車両配置表&車両データバンク﹂
(22)^ abcd﹃鉄道ファン﹄2015年8月号 交友社﹁大手私鉄車両ファイル2015 車両データバンク﹂
(23)^ ab鉄道ピクトリアル2006年10月臨時増刊号(No.781)﹃鉄道車両年鑑 2006年版﹄216 - 217頁
(24)^ ﹃鉄道ファン﹄2011年9月号 交友社﹁大手私鉄車両ファイル2011 車両データバンク﹂
(25)^ ﹃鉄道ファン﹄2009年9月号 交友社 ﹁大手私鉄車両ファイル2009 車両配置表&車両データバンク﹂
(26)^ abcd交友社﹃鉄道ファン﹄2019年8月号 Vol.59/通巻700号 付録小冊子﹁大手私鉄車両ファイル2019 車両配置表﹂︵当文献にページ番号の記載無し︶
(27)^ ab諸河久・山辺誠﹃日本の私鉄 近鉄2﹄p.67
(28)^ 鉄道ピクトリアル2018年12月臨時増刊号(No.954)﹃近畿日本鉄道﹄219 - 220頁
(29)^ 鉄道ピクトリアル2018年12月臨時増刊号(No.954)﹃近畿日本鉄道﹄237 - 238頁
(30)^ 鉄道ピクトリアル2018年12月臨時増刊号(No.954)﹃近畿日本鉄道﹄233 - 234頁
(31)^ ﹃鉄道ピクトリアル﹄1969年1月号 電気車研究会 No.219 p.20
(32)^ サイドビュー近鉄.2︵レイルロード発行︶の同車側面写真からも、他車との比較が容易である。
(33)^ サイドビュー近鉄.2︵レイルロード発行︶に詳しい。
(34)^ abcd諸河久・山辺誠﹃日本の私鉄 近鉄2﹄p.64
(35)^ abc飯島・藤井・井上﹃復刻版 私鉄の車両13近畿日本鉄道II﹄p.64
(36)^ 飯島・藤井・井上﹃復刻版 私鉄の車両13近畿日本鉄道II﹄p.161
(37)^ ﹃鉄道ファン﹄2013年8月号 交友社﹁大手私鉄車両ファイル2013 車両データバンク﹂
(38)^ ab田原本線100周年記念復刻塗装列車第2弾の運転開始 交友社﹃鉄道ファン﹄railf.jp 2018年7月20日掲載
(39)^ ab交友社﹃鉄道ファン﹄2018年7月号 Vol.58/通巻687号 POST欄 p.145
(40)^ 三好好三﹃近鉄電車﹄p.230-231
(41)^ abcdef飯島・藤井・井上﹃復刻版 私鉄の車両13近畿日本鉄道II﹄p.60
(42)^ ab飯島・藤井・井上﹃復刻版 私鉄の車両13近畿日本鉄道II﹄p.162
(43)^ 諸河久・山辺誠﹃日本の私鉄 近鉄2﹄p.149
(44)^ ﹃鉄道ファン﹄2015年8月号 交友社﹁大手私鉄車両ファイル2015 車両データバンク﹂
(45)^ abcdefghijk交友社﹃鉄道ファン﹄2016年11月号︵第56巻 通巻667号︶特集﹁近畿日本鉄道 内装デザイン変更車両﹂p.56 - p.57
(46)^ abcdef三好好三﹃近鉄電車﹄p.86
(47)^ abcd飯島・藤井・井上﹃復刻版 私鉄の車両13近畿日本鉄道II﹄p.52
(48)^ 諸河久・山辺誠﹃日本の私鉄 近鉄2﹄p.62
(49)^ abc諸河久・山辺誠﹃日本の私鉄 近鉄2﹄p.63
(50)^ 三好好三﹃近鉄電車﹄p.231
(51)^ ab交友社﹃鉄道ファン﹄2019年8月号 Vol.59/通巻700号 付録小冊子﹁大手私鉄車両ファイル2019 車両データバンク﹂︵当文献にページ番号の記載無し︶
参考文献
外部リンク