台湾史年表
台湾史年表(たいわんしねんぴょう)では、台湾の主要な歴史事項を掲示する。なお台湾の地域範囲については台湾の地域範囲を参照のこと。
先史時代[編集]
「先史時代 (台湾)」を参照
●230年:三国時代の呉の孫権が将軍衛温と諸葛直を派遣して探索を行った。
●607年:隋の将軍朱寛による台湾探索。
●1281年:元朝が澎湖諸島を領有。
●1593年:豊臣秀吉、台湾に入貢を促す。
●1608年:有馬晴信が台湾へ軍勢を派遣。
●1616年:長崎代官・村山等安が台湾へ軍勢を派遣。
オランダ植民統治時代[編集]
「オランダ統治時代の台湾」を参照
●1624年:オランダの東インド会社が、台湾島の大員︵現在の台南市周辺︶を中心とした地域を制圧。
●1626年:スペイン勢力が台湾島北部の現基隆市付近に進出して要塞を築く。
●1628年:タイオワン事件。
●1642年:オランダ東インド会社がスペイン勢力を台湾から追放する。
●1661年:鄭成功の攻撃を受け、翌年に台湾から完全撤退する︵ゼーランディア城包囲戦︶。
鄭氏政権時代[編集]
「鄭氏政権 (台湾)」を参照
「清朝統治時代の台湾」を参照
●1683年:清が台湾を制圧して鄭氏政権を滅ぼすことに成功。後に台湾を福建省に編入する。
●1684年:福建省台湾府となる。
●1732年:大肚王国が清軍の攻撃を受けて滅びる︵大甲西社抗清事件︶。
●1787年:林爽文の率いる天地会が清朝への反乱を起すが、福康安の率いる清軍に鎮圧される。
●1858年:天津条約によって安平港や基隆港が欧州列強に開港される。
●1871年:牡丹社事件︵琉球漂流民の殺害︶。
●1874年:日本による台湾出兵︵牡丹社事件︶が起きる。
●1875年:獅頭社事件。
●1884年:清仏戦争が発生して台湾もフランス軍に攻撃される。
●1887年:福建省から独立して福建台湾省︵台湾省︶を新しく設置する。
●1887年:基隆 - 台北間に鉄道を敷設する。
●1888年:郵政総局が完成する。
●1895年:下関条約︵馬關條約︶に基づいて台湾が清から日本に割譲され、台湾省が廃止される。台湾総督府設置︵初代総督に樺山資紀︶。
日本統治時代[編集]
「日本統治時代の台湾」を参照
●1895年:台湾民主国の建国・崩壊。
●1896年:芝山巌事件発生。原敬が台湾事務局に﹁台湾問題二案﹂提出。この頃、﹁台湾売却論﹂が盛んに。
●1897年:台湾住民の国籍選択最終期限。台湾高等法院長高野孟矩が罷免。
●1898年:児玉源太郎総督と後藤新平民政局長︵後に民政長官︶が着任。土地調査事業が始まる︵~1905年︶。﹁匪徒刑罰令﹂施行。
●1899年:台湾銀行の営業開始。
●1901年:新渡戸稲造が﹁糖業改良意見書﹂を提出。
●1905年:土地調査事業終了。本年度より日本国政府の補助金辞退。
●1908年:台湾縦貫鉄道の全通。
●1914年:台湾同化会結成︵翌年解散︶。
●1915年:西来庵事件︵タパニー事件︶の勃発。
●1919年:台湾総督府庁舎竣工。初代文官総督の田健治郎が着任。台湾電力株式会社の設立。
●1920年:在日台湾留学生を中心に、新民会︵林献堂が会長︶結成。
●1921年:帝国議会に第1回の﹁台湾議会設置請願書﹂提出。台湾文化協会結成。
●1922年:台北高等学校開校。治安警察法が台湾にも施行。
●1923年:摂政宮︵のちの昭和天皇︶の台湾行啓。治安警察法違反事件︵台湾議会設置請願運動の取締︶。
●1927年:台湾文化協会が分裂、台湾民衆党の結成。
●1928年:台北帝国大学の設立。
●1930年:嘉南大圳竣工。霧社事件。
●1931年:第17回全国中等学校優勝野球大会で台湾代表の嘉義農林学校野球部が準優勝。
●1934年:台湾議会設置請願運動の中止。日月潭水力発電所竣工。
●1935年:新竹・台中地震。台湾博覧会を開催。
●1936年:台湾拓殖株式会社の設立。
●1937年:新高阿里山・次高タロコ・大屯国立公園成立。西部標準時廃止。
●1940年:改姓名の開始。
●1941年:皇民奉公会の発足︵皇民化推進︶。
●1943年:6年制義務教育実施。
●1944年:日本軍による徴兵制度が発足。台湾人日本兵が兵役に服務する。これと同時に衆議院議員選挙法が改正されて台湾住民にも衆議院選挙の選挙権が認められた。
●1945年:大日本帝国が連合国に降伏。第二次世界大戦︵当時の台湾では﹁大東亜戦争﹂︶が終結。
中華民国統治時代[編集]
南京政府[編集]
「国民政府」を参照
●1945年:中華民国国民政府・国民党軍が台湾を接収して台湾省を設置。台湾省を統治する機関・台湾省行政長官公署を設置。
●1947年:二・二八事件が勃発。以降、国民党政権による白色テロが頻発する。台湾省行政長官公署を台湾省政府に改組。
●1949年:蔣介石が国共内戦で崩壊状態にあった中華民国政府を台北市へ移転︵遷都︶し、実行統治区域内で戒厳令を実施。
中国国民党による一党独裁時代[編集]
「中国国民党による一党独裁時代の台湾」を参照
●1950年:蔣介石が総統職に復帰。中華民国・台湾での中華民国政府の活動が本格化。アメリカが第七艦隊を台湾海峡に派遣。
●1951年:米華共同防衛相互援助協定調印。
●1952年:日本との平和条約︵日華平和条約︶調印。中国青年反共救国団の設立、蔣経国が主任。日本語と台湾語の教学を厳禁。
●1954年:アメリカとの相互防衛条約調印。
●1955年:中華民国が浙江省・大陳列島を喪失。これにより、今日の台湾地域︵広義の台湾︶が形成される。
●1958年:金門砲戦勃発。台湾海峡緊迫。
●1964年:吉田茂元首相が台湾訪問。
●1967年:国家安全会議と国家安全局が発足。
●1971年:国際連合総会にて、アルバニア提案の﹁国府追放、北京招請﹂案が可決され、中華民国は﹁中国﹂の代表権を喪失。同時に国連から脱退。
●1972年:蔣経国、行政院長に就任。日本と中華人民共和国の国交樹立により日華平和条約が終了。中華民国が日本との国交を断絶。
●1973年:﹁十大建設﹂開始。
●1975年:蔣介石死亡。厳家淦副総統が総統に、蔣経国が中国国民党主席に就任。
●1978年:蔣経国が総統に就任。
●1979年:米中国交樹立。アメリカ合衆国が中華民国と国交を断絶。美麗島事件が勃発。
●1981年:鄧小平が﹁一国家二制度﹂に基づく中国と台湾の統一を提案。
●1986年:民主進歩党の結成。
●1987年:38年続いていた戒厳令を解除。
●1988年:蔣経国死去。李登輝副総統が本省人として初めて総統に就任。
●1989年:李登輝総統、﹁現実外交︵柔軟外交︶﹂を宣言。戒厳令解除後初めての統一選挙で民主進歩党が躍進。
●1990年:民主進歩党が﹁台湾の主権独立﹂決議案採択。総統府に国家統一委員会が発足。
●1991年:中国共産党を反乱団体と定義していた憲法の付属条項を廃止。
●1993年:連戦が行政院長になり、李登輝が国民党政権の﹁党﹂﹁政﹂﹁軍﹂﹁特﹂を全面掌握。シンガポールで台湾と中国の窓口交流機関代表が初会談。
●1995年:中国共産党江沢民総書記が台湾政策8項目を提案、台湾李登輝が中国に対する6項目の逆提案、その後李登輝が訪米し、台湾・中国間が緊迫。
総統民選期[編集]
「総統民選期の中華民国」を参照
●1996年:国民の直接選挙による総統選が実施され、李登輝が当選。国民党の一党独裁体制が消滅。
●1998年:上海で台湾と中国の窓口交流機関代表が会談。
●1999年:李登輝総統、中国と台湾を﹁特殊な国と国の関係﹂と定義。921大地震、死者2000人以上。
●2000年:中国が台湾白書を発表。統一交渉の無期限の拒絶は武力行使の対象になると警告。総統に民進党の陳水扁が選出、国民党が初めて野党となる。
●2002年:WTO加盟。陳水扁総統が﹁一辺一国﹂発言。のち軌道修正の発言。
●2003年:李登輝前総統、台湾独立派﹁台湾正名運動連盟﹂の会合で﹁“台湾”を国名に﹂と発言。陳水扁総統が民進党結党17周年記念式典で﹁2006年に新憲法制定﹂を掲げる。
●2004年:二二八事件57周年記念行事で李登輝前総統の呼びかけで独立派が中国のミサイル配備に﹁人間の鎖﹂を作って抗議。陳水扁が総統選前日に銃撃され負傷するものの再選。チャドとの共同声明の際に﹁中華民国︵台湾︶﹂という表記を初めて使用。
●2005年:連戦国民党主席が中華人民共和国を訪問。胡錦濤共産党総書記と1945年以来の国共首脳会談を行なう。
●2006年:陳水扁総統、国際社会に対して﹁台湾﹂名義での国連加盟を強調︵2007年8月申請、却下︶
●2007年:呉伯雄が国民党主席に就任。
●2008年:馬英九が総統に就任し、国民党が政権を奪還。
●2016年:蔡英文が総統に就任し、民進党が政権を奪還。