桑野みゆき
くわの みゆき 桑野 みゆき | |
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本名 |
斎藤 みゆき さいとう みゆき[1] |
生年月日 | 1942年7月17日(81歳) |
出生地 | 日本・横浜市鶴見区[注釈 1] |
民族 | 日本人 |
血液型 | B |
職業 | 女優 |
ジャンル | 映画・テレビドラマ |
活動期間 | 1954年 - 1967年 |
配偶者 | あり |
著名な家族 | 母:桑野通子 |
主な作品 | |
『青春残酷物語』(1960年) |
桑野 みゆき︵くわの みゆき、1942年7月17日[1] - ︶は、日本の元女優。本名は斎藤みゆき[1]。横浜市鶴見区出身。母は戦前の人気女優桑野通子[1]。
1965年
1954年﹃緑はるかに﹄︵井上梅次監督︶の子役募集に応募して13歳で映画デビュー。1956年に松竹に入社[1]。清純派女優として売り出すが、1960年に﹃青春残酷物語﹄(大島渚監督)で破滅へと疾走していく女性を演じて注目を浴びる。他に﹃赤ひげ﹄︵1965年・黒澤明監督︶、﹃大根と人参﹄︵1965年・渋谷実監督︶など、松竹を中心に100作を越える映画作品に出演する。
1966年、﹃春一番﹄に主演し、後輩の松竹の看板女優・岩下志麻、倍賞千恵子と共演するが、この頃から﹁長く松竹にいるが、松竹とハダが合わないんじゃないか﹂と悩み始め、1965年11月で松竹と契約が切れた[2]。
1967年に、結婚して引退。
最後の出演作は、1967年の映画﹃堕落する女﹄︵吉村公三郎監督︶。
略歴[編集]
出演作品[編集]
映画[編集]
テレビドラマ[編集]
●三人の幸ちゃん︵1956年・日本テレビ︶ ●国道18号線︵1964年・日本テレビ︶ ●泣いてたまるか 第16話﹁かわいい怪獣ナキラ﹂︵1966年・TBS︶ ●虹の設計︵1967年・NHK︶広告[編集]
●鈴木自動車工業︵現‥スズキ︶ ︵1955年頃︶- 百万人の実用車、スズキのコレダ/スズモペット/スズライト脚注[編集]
注釈[編集]
出典[編集]
外部リンク[編集]
- 桑野みゆき - allcinema
- 桑野みゆき - KINENOTE
- 桑野みゆき - 日本映画データベース
- Miyuki Kuwano - IMDb(英語)