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ルール[編集]
シューズ
●靴底のスパイクは長さ12㎜以内のものが11本まで取り付け可能で、靴底の厚さは20㎜以内のものが使用できる。
マーカー
●助走の目安となるマーカー︵目印︶を2個まで置くことができる。
●主催者側がマーカーを用意していない場合は、選手側が用意した粘着テープなどを使うことができるが、チョークやその類似品、消えないマーカーは使用できない。
試技時間
●試技開始の合図があってから、競技者が4人以上の場合は1分以内、競技者が2-3人の場合は1分30秒以内、競技者が最後の1人の場合は3分以内、競技者が2人以上の場合で同一競技者が同一の高さを連続して試技を行う場合は2分以内に、試技を行わなければならない。
●混成競技の場合は、競技者が4人以上の場合は1分以内、競技者が2-3人の場合は1分30秒以内、競技者が最後の1人の場合は2分以内、競技者が2人以上の場合で同一競技者が連続して試技を行う場合︵高さが変わっても適用︶は2分以内に、試技を行わなければならない。
試技
●審判員より事前告知された高さのうち、競技者は任意の高さから開始してもよい。
●跳躍は、片足で踏み切らなければならない。
●跳躍中の動作により、バーが落下した場合は無効試技︵失敗︶となる。
●バーを越えずに、バーの向こう側に触れたり身体の一部が出た場合は、無効試技︵失敗︶となる。ただし、跳躍になんら有利でないと審判が判断した場合は無効試技とはならない。
●3回続けて失敗すると、次の跳躍をすることが出来ない。。
●ある高さを跳ばずにパスをして次の高さを試技することができる。
●ある高さの1回目あるいは2回目を失敗した状態でパスをすることもできるが、次の高さは﹁3-(前の高さで失敗した回数)﹂回しか試技が行えない。
●最後の1人の試技では、試技者の希望の高さを聞いてバーを上げる。
順位決定方法
●複数の競技者で最後に超えた高さが同一の場合は、順位を以下のように決定する。
(一)最後に超えた高さの試技回数が最も少ない方。
(二)上記1が同一の場合、試技全体︵最後に超えた高さおよびそれまでの高さまでを含めた試技数の全体︶のうち、無効試技数の少ない方。
●なおそれでも1位が決定しなかった場合は当事者どうしの決戦試技︵ジャンプオフ︶がおこなわれる。ただし、競技者は決戦試技を拒否することができ、この場合は同率1位となる。[8]2位以下の場合は同順位となる。
跳躍方法[編集]
1928年アムステルダムオリンピックの金メダリスト、エセル・キャサーウッド によるはさみ跳び
はさみ跳び︵英語‥Scissors jump︶
バーに近い脚→バーから遠い脚を交互に振り上げてバーを超す方法。
1874年頃にはすでに用いられており、 ウィリアム・バード・ページ︵William Byrd Page︶が1874年にバーから遠い脚をやや後方に配置する跳び方に改良した[注 1]。
バー正面からの直線助走で行う﹁はさみ跳び﹂は日本においては﹁正面跳び﹂と呼ばれた[13]。
- イースタンカットオフ(英語:Eastern Cut-off)
- ウエスタンロール(英語:Western Roll)
斜めから助走し、バー側の脚で踏み切り、踏み切り脚を横向きの体の下側に引き寄せ、体は横回転してバーを越え、着地は脚から行う、といった跳び方[13]。20世紀初頭にジョージ・ホーリンが開発したとされる。背が下向きとなるバリエーションは﹁ロールオーバー︵Roll Over︶﹂と呼ばれた。
- ベリーロール(英語:Belly Roll、別名:ステラドル Straddle)
ウエスタンロール︵英語版︶と同様に斜めに助走し、バーに近い脚で踏み切り、頭部から飛び込み、クリアランス時はバーを中心に腹ばいの状態で胴体を回転させバーを越す跳び方[14]。1930年代にデビッド・アルブリットンが編み出したとされる[14][注 2]。1950年代になるとソ連の指導者・選手により、クリアランス時に上体をバーの着地側下方に倒す方法に改良され、﹁ソ連式ベリーロール﹂﹁ダイブ・ストラドル﹂と呼ばれた。
- 背面跳び(英語:Fosbury Flop)
バーに向かって半円を描くように助走し、バーから遠い脚で踏み切ると同時にバーに背を向ける方向に回転し、頭部から飛び込み、体を反ってバーを越え、そのまま背中で着地する方法。ディック・フォスベリーが考案し[14]、1968年メキシコシティーオリンピックで金メダルを獲得し、世に広まった。現在、最も使われている跳び方となっている[14]。
近代陸上競技以前の高跳び
古代ギリシャの競技会では高跳び競技は行われていなかった様である[12][14][注 3]。一方、﹁垂直方向への跳躍能力﹂を誇示したり競ったりする儀式・祭事・競技はアジア・アフリカの先住民族などの世界各地で確認されており[25]、またケルトの人々のあいだでは一般的に行われていた様である[12]。
18世紀のドイツでは子供向けの体育教育の一環として高跳びが用いられており、また1834年発行の﹃英国男性の身体訓練﹄には軍事訓練の一つとして紹介されている[14][26]。この頃は﹁バー正面から助走を行い、膝を曲げて跳び、足から安全に着地する﹂といった跳び方で、高さを競うとともに跳躍姿勢の美しさも求められるものだった様である[26]。
近代陸上競技としての走高跳の黎明
19世紀になるとイギリスの各学校で始まった陸上競技大会の一種目として走高跳が行われる様になり、1865年には﹁同一の高さの試技は3回まで﹂﹁両足踏み切り禁止﹂といった現在に繋がるルールが制定された[12]。当時の競技環境は、走幅跳のようなバー正面からの直線の助走路で、着地場所は普通の地面や芝生で[13]、着地の安全対策としてその上になめし皮やベッドマットを敷いたりする程度であった[13]。助走路の制約や着地の安全性の観点より、当時の跳躍は﹁バー正面から助走し膝を折り畳んで跳ぶ﹂[14]、﹁バー正面から助走するはさみ跳び︵正面跳び︶﹂[注 4]、﹁正面を向いたままで走り幅跳びの様な跳び方﹂[13]、﹁正面を向いたままでハードルを飛び越える様な跳び方﹂[13]といった様々な方法が取られていた。1864年の第1回オックスフォード対ケンブリッジ大学対抗戦では1.66mの記録が残っている[26]。その後、イギリスにおいては、1875年にはAAC選手権でマイケル・ジョージ・グレイズブルック︵英語版︶が1.80mを、1880年にはキャリック・オン・シュア・スポーツでパトリック・ダヴァン︵Patrick Davin︶が1.90mの記録を残した。
アメリカでの跳躍法の改良
走高跳がアメリカに伝わると、1868年には初の正式な競技会が開催された︵記録は1.67m︶。その後、着地地点を砂場にし着地の安全対策が進むと、クリアランス時に無理な態勢をとっても安全に着地できる様になり[13]、1874年にはウィリアム・バード・ページ︵William Byrd Page︶が﹁はさみ跳び﹂を改良[注 5]、また、マイケル・スウィーニー︵英語版︶がさらに改良し﹁イースタンカットオフ︵英語版︶﹂を編み出した[12]。﹁イースタンカットオフ﹂は、バー正面から助走し、脚を交互に広げ[14]、クリアランス時に体がバーと水平になる様に前屈方向に回転させることでお尻をより持ち上げる跳び方で、1880年代にはアメリカにおいて主流の跳び方となり[14]、1895年にはマイケル・スウィーニーがこの跳び方で1.97mを記録した[14]。﹁イースタンカットオフ﹂やその派生の跳び方は、1940年頃まで、速い助走を好む選手に用いられていた。
また、1896年アテネオリンピックでオリンピック競技に初めて採用され、アメリカのエラリー・クラークが1.81mで金メダルを獲得した。
20世紀に入ると、ジョージ・ホーリンが﹁斜めから助走し、バー側の脚で踏み切り、踏み切り脚を横向きの体の下側に引き寄せ、体は横回転してバーを越え、着地は脚から行う﹂といった新しい跳び方﹁ウエスタンロール︵英語版︶﹂を開発した[13][注 6]。﹁ウエスタンロール﹂に対しては﹁ダイビングの様であり走高跳の跳躍方法とはいえない﹂と異議が申し立てられ、﹁頭部は腰より高い位置に置き、両足から先にバーを越えること﹂との規則が追加されることになった[13]。﹁ウエスタンロール﹂によって、1912年にはジョージ・ホーリンが2.00mを、1937年にはメル・ウォーカー︵英語版︶が2.09mを記録した。﹁ウエスタンロール﹂は1936年ベルリンオリンピック頃までは主流の跳び方であった。
ベリーロールの登場
1933年には﹁頭の位置は腰より高く﹂との規則が、また1936年には﹁頭や胴体よりも足が先にバーを越えなければならない﹂との規則がそれぞれ撤廃された[12]。この時期にデビッド・アルブリットンが﹁ウエスタンロール﹂と同様に斜めに助走し、クリアランス時はバーを中心に腹ばいの状態で胴体を回転させバーを越す﹂といった新しい跳び方﹁ベリーロール﹂を編み出した[14][注 2]、デビッド・アルブリットンはこの跳び方で1936年に2.07mを記録するなど[31]、この当時の最も効率的な跳び方として、主流の跳躍方法となった。
﹁ベリーロール﹂で、1956年にはチャールズ・デュマ︵英語版︶が2.15m、翌1957年にはソ連のユーリー・ステパノフ︵英語版︶をが2.16mを記録したほか[注 7]、1960年にはほぼすべての競技者が﹁ベリーロール﹂を使用する様になっていた。1950年代から始まるソ連の指導者・選手による﹁ベリーロール﹂の技術改良[注 8]により、1963年にはワレリー・ブルメルが228cmまで記録を伸ばした。
背面跳びの登場︵1968年︶後の1970年代も、ベリーロールを用いる選手と、背面跳びを用いる選手が混在し、互いに競っていたが、1978年にウラジミール・ヤシュチェンコ︵英語版︶が出した室内記録2.35m、屋外での記録2.34mが、﹁ベリーロール﹂での最後の世界記録となった[36]。
背面跳びの登場
1960年代半ばには、着地用マットの整備が進むと、﹁曲線で助走し、背面を下側にバーを越え肩や背中で着地する﹂といった新しい跳躍方法﹁背面跳び﹂がディック・フォスベリーにより編み出された[12][14]。1968年メキシコシティーオリンピックでディック・フォスベリーがこの跳び方で金メダルを獲得し︵記録2.24m︶[31]、多くの選手がこの跳び方を採用するようになった。1970年代は﹁ベリーロール﹂と﹁背面跳び﹂は互いに競っていたが、1980年代以降は﹁背面跳び﹂が世界で最も使われている跳び方となっている[14]。2021年現在の世界記録は、1993年にハビエル・ソトマヨルが﹁背面跳び﹂で出した2.45mである。
女子競技とパラリンピック
女子競技はアメリカにおいて1895年に初めて開催され、オリンピックでは1928年のアムステルダム大会より正式種目となった[12]。ヨランダ・バラシュは﹁はさみ跳び﹂を使い、1958年1.78mを皮切りに1961年1.91mまで世界記録を更新し、1971年まで世界記録を保持した。﹁ベリーロール﹂では、1971年にイローナ・グーゼンバウアーが1.92mを記録、1977年にはローズマリー・アッカーマンは女子初の2.00mを記録した。1978年にサラ・シメオニが﹁背面跳び﹂で2.01mを記録、1987年にはステフカ・コスタディノヴァが﹁背面跳び﹂で2.09mを記録し、これが2021年現在の女子世界記録となっている。
パラリンピックでは、男女とも1976年のトロント大会より実施されるようになった[41]。
世界記録の変遷[編集]
世界記録の変遷 男子[注 9]
日付 |
記録 |
名前 |
国籍 |
跳躍方法など
|
1850年9月21日 |
1.675m |
フランシス・テンプル(Francis Temple) |
イギリス |
|
1860年3月27日 |
1.70m |
ロバート・バートン(Robert Burton) |
|
1864年7月9日 |
1.705m |
トーマス・ミッチェル(Thomas Mitchell) |
|
1866年3月5日 |
1.725m |
ジョン・ルーペル(John Roupell) |
|
1866年3月23日 |
1.75m |
トーマス・リトル(Thomas Little) |
|
1866年3月23日 |
1.75m |
ジョン・ルーペル |
|
1871年4月3日 |
1.765m |
ロバート・ミッチェル(Robert Mitchell) |
|
1873年7月7日 |
1.785m |
トーマス・ダヴィン(Thomas Davin) |
|
1874年3月30日 |
1.80m |
マーシャル・ブルックス(英語版) |
|
1876年3月17日 |
1.83m |
「a feet first technique」[12]
|
1876年4月7日 |
1.89m |
|
1880年7月5日 |
1.90m |
パトリック・ダヴァン(Patrick Davin) |
|
1887年8月15日 |
1.91m |
ウィリアム・バード・ページ(William Byrd Page) |
アメリカ合衆国 |
|
1887年10月7日 |
1.93m |
|
1892年10月8日 |
1.935m |
マイケル・スウィーニー(英語版) |
イースタンカットオフ
|
1895年8月19日 |
1.945m |
ジェームズ・ライアン(James Ryan) |
イギリス |
|
1895年8月28日 |
1.955m |
マイケル・スウィーニー |
アメリカ合衆国 |
|
1895年9月2日 |
1.965m |
|
1895年9月21日 |
1.97m |
イースタンカットオフ[14]
|
1912年3月29日 |
1.985m |
ジョージ・ホーリン |
ウエスタン・ロール
|
1912年5月18日 |
2.00m
|
1914年5月2日 |
2.01m |
エドワード・ビーソン(フランス語版)
|
1924年5月27日 |
2.03m |
ハロルド・オズボーン
|
1933年5月13日 |
2.04m |
ウォルター・マーティ(英語版)
|
1934年4月28日 |
2.06m |
ウォルター・マーティ |
|
1936年7月12日 |
2.07m |
コーネリアス・ジョンソン |
ウエスタン・ロール
|
1936年7月12日 |
2.07m |
デビッド・アルブリットン |
ベリーロール
|
1937年8月12日 |
2.09m |
メル・ウォーカー(英語版) |
ウエスタン・ロール
|
1941年4月26日 |
2.10m |
レスター・スティアーズ(英語版) |
ベリーロール
|
1941年5月24日 |
2.105m
|
1941年6月17日 |
2.11m
|
1953年6月27日 |
2.12m |
ウォルト・デイビス(英語版) |
ウエスタン・ロール
|
1956年6月29日 |
2.15m |
チャールズ・デュマ(英語版) |
ベリーロール
|
1957年7月13日 |
2.16m |
ユーリー・ステパノフ(英語版) |
ソビエト連邦
|
1960年4月30日 |
2.17m |
ジョン・トーマス |
アメリカ合衆国
|
1960年6月24日 |
2.18m
|
1960年7月1日 |
2.22m
|
1961年6月18日 |
2.23m |
ワレリー・ブルメル |
ソビエト連邦
|
1961年7月16日 |
2.24m
|
1961年8月31日 |
2.25m
|
1962年7月22日 |
2.26m
|
1962年9月29日 |
2.27m
|
1963年7月21日 |
2.28m
|
1970年11月8日 |
2.29m |
倪志欽(中国語版) |
中国
|
1973年7月11日 |
2.30m |
ドワイト・ストーンズ |
アメリカ合衆国 |
背面跳び
|
1976年6月5日 |
2.31m
|
1976年8月4日 |
2.32m
|
1977年7月3日 |
2.33m |
ウラジミール・ヤシチェンコ(英語版) |
ソビエト連邦 |
ベリーロール
|
1978年6月16日 |
2.34m |
ソビエト連邦
|
1980年5月25日 |
2.35m |
ヤチェク・ウショラ |
ポーランド |
背面跳び
|
1980年8月1日 |
2.36m |
ゲルト・ベッシク |
東ドイツ
|
1983年6月11日 |
2.37m |
朱建華 |
中国
|
1983年9月22日 |
2.38m
|
1984年6月10日 |
2.39m
|
1985年8月11日 |
2.40m |
ルドルフ・ポバルニツィン |
ソビエト連邦
|
1985年9月4日 |
2.41m |
イゴール・パクリン |
ソビエト連邦
|
1987年6月30日 |
2.42m |
パトリック・ショーベリ |
スウェーデン
|
1988年9月8日 |
2.43m |
ハビエル・ソトマヨル |
キューバ
|
1989年7月29日 |
2.44m
|
1993年7月27日 |
2.45m
|
世界歴代10傑[編集]
世界各エリア記録[編集]
U20世界記録[編集]
日本歴代10傑[編集]
日本歴代10傑 男子[59]
順 |
記録 |
名前 |
所属 |
日付
|
1 |
2.35m |
戸邉直人 |
つくばツインピークス |
2019年2月2日
|
2 |
2.33m |
醍醐直幸 |
富士通 |
2006年7月2日
|
3 |
2.32m |
君野貴弘 |
順天堂大学 |
1993年9月18日
|
4 |
2.31m |
吉田孝久 |
ミズノ |
1993年5月9日
|
真野友博 |
九電工 |
2020年9月20日
|
6 |
2.30m |
阪本孝男 |
東海スポーツ |
1984年5月6日
|
衛藤昂 |
AGF |
2017年4月16日
|
赤松諒一 |
アワーズ |
2023年7月22日
|
9 |
2.28m |
氏野修次 |
近大和歌山高校教員 |
1984年7月21日
|
井上基史 |
筑波大学 |
1987年6月7日
|
野中悟 |
洛北高校教員 |
1993年6月13日
|
宇野雅昭 |
福岡大学 |
1993年8月8日
|
尾上三知也 |
スズキ |
1997年5月5日
|
高張広海 |
日立ICT |
2015年5月10日
|
平松祐司 |
筑波大学 |
2015年5月16日
|
藤田渓太郎 |
佐竹食品AC |
2020年10月24日
|
日本ジュニア記録[編集]
中学記録 男子 / 女子[65][66]
|
記録 |
名前 |
所属 |
日付
|
男子 |
2.10m |
境田裕之 |
旭川市立春光台中学校 |
1986年11月2日
|
|
記録 |
名前 |
所属 |
日付
|
女子 |
1.87m |
佐藤恵 |
新潟市立木戸中学校 |
1981年10月25日
|
オリンピック・世界選手権における日本人入賞者[編集]
(一)^ ﹁はさみ跳びはページが初めて使用した﹂[12]とする資料もある。
(二)^ ab﹁1919年頃までには登場したが、普及したのが1930年代﹂とする資料もある。
(三)^ ﹁当初は実施されていなかった﹂、﹁実施された形跡はほとんどない﹂[25]、﹁実施されていた﹂、とする資料もある。
(四)^ ﹁︵後の︶1874年にウィリアム・バード・ページが初めて使用した﹂[12]、﹁着地地点に砂場が出現した後にはさみ跳びが出現した﹂[13]、とする資料もある。
(五)^ ﹁ページが初めて使用した﹂[12]と、﹁砂場になり、はさみ跳びが出現した﹂[13]、とする資料もある。
(六)^ 背が下向きとなるバリエーションは﹁ロール・オーバー﹂と呼ばれた。
(七)^ この当時は靴底の厚さについての規制が無く、最大5cmものの特注厚底靴が競技に使われていた。ステパノフのこの記録もこのような厚底靴を使用したもので、翌1958年には国際陸連により靴底の厚さが規制されるようになった。[33]
(八)^ クリアランス時に上体をバーの着地側下方に倒す方法で、﹁ソ連式ベリーロール﹂﹁ダイブ・ストラドル﹂と呼ばれた。
(九)^ 国際陸上連盟︵IAAF︶設立以前の1912年3月29日までの記録はアマチュア記録のみを記載。
(十)^ 国際女子スポーツ連盟︵FSFI︶設立以前の1920年11月13日までの記録は木製バー使用の記録のみを記載︵ロープ、竹製バー使用の記録は未記載︶。
(一)^ 日本陸上競技連盟 2021, pp. 133–135, 138.
(二)^ ab日本陸上競技連盟 2021, p. 220.
(三)^ ab日本陸上競技連盟 2021, p. 226.
(四)^ abcd日本陸上競技連盟 2021, p. 230.
(五)^ abc日本陸上競技連盟 2021, p. 235.
(六)^ 日本陸上競技連盟 2021, p. 231.
(七)^ 日本陸上競技連盟 2021, p. 232.
(八)^ “俺もお前も金メダル! 男子走り高跳び決勝で珍事 | 陸上 | 東京オリンピック”. 東京2020オリンピック | NHK. 2021年8月2日閲覧。
(九)^ 日本陸上競技連盟 2021, pp. 232–234.
(十)^ abcJürgen Schiffer 2009, p. 11.
(11)^ abc真鍋周平 2020, p. 43.
(12)^ abcdefghijkl“High jump - Introduction” (英語). oaaf.org Hme of World Athletics. International Association of Athletics Federations. 2012年10月25日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年7月14日閲覧。
(13)^ abcdefghijkl岡尾惠市 (2019年3月19日). “陸上競技のルーツをさぐる30走高跳の歴史<そのIII>”. 筑波大学陸上競技部OB・OG会. 2021年7月12日閲覧。
(14)^ abcdefghijklmnop苅部俊二 (2012年10月20日). “苅部俊二のダッシュ!!>vol.31﹁走高跳﹂”. ハマスポ. 横浜市スポーツ協会. 2021年7月8日閲覧。
(15)^ ab真鍋周平 2020, p. 44.
(16)^ abcde真鍋周平 2020, p. 45.
(17)^ ab細谷真澄 1977, p. 91.
(18)^ abJürgen Schiffer 2009, p. 10.
(19)^ abcdefghiJürgen Schiffer 2009, p. 9.
(20)^ ab真鍋周平 2020, p. 50.
(21)^ ab真鍋周平 2020, pp. 51–52.
(22)^ abcd真鍋周平 2020, p. 52.
(23)^ abcd真鍋周平 2020, p. 56.
(24)^ abcdefg真鍋周平 2020, p. 40.
(25)^ ab岡尾惠市 (2019年3月5日). “陸上競技のルーツをさぐる28走高跳の歴史<そのI>”. 筑波大学陸上競技部OB・OG会. 2021年7月8日閲覧。
(26)^ abc岡尾惠市 (2019年3月12日). “陸上競技のルーツをさぐる29走高跳の歴史<そのII>”. 筑波大学陸上競技部OB・OG会. 2021年7月8日閲覧。
(27)^ abcd真鍋周平 2020, p. 42.
(28)^ ab細谷真澄 1977, p. 94.
(29)^ abcRichard Hymans 2021, p. 172.
(30)^ abc真鍋周平 2020, p. 46.
(31)^ ab岡尾惠市 (2019年3月26日). “陸上競技のルーツをさぐる31走高跳の歴史<そのIV>”. 筑波大学陸上競技部OB・OG会. 2021年7月13日閲覧。
(32)^ ab真鍋周平 2020, p. 49.
(33)^ “High Jump”. World Athletics. 2021年7月14日閲覧。
(34)^ Richard Hymans 2021, p. 478.
(35)^ abcdRichard Hymans 2021, p. 176.
(36)^ “Yashchenko, the last king of the straddle” (英語). WORLD ATHLETICS (1999年12月1日). 2021年7月11日閲覧。
(37)^ Richard Hymans 2021, p. 177.
(38)^ abcdRichard Hymans 2021, p. 340.
(39)^ 真鍋周平 2020, pp. 59–60.
(40)^ ab真鍋周平 2020, p. 60.
(41)^ "走高跳び". 日本大百科全書︵ニッポニカ︶. コトバンクより2021年7月11日閲覧。
(42)^ Richard Hymans 2021, pp. 171–177.
(43)^ Richard Hymans 2021, p. 173.
(44)^ abcdefRichard Hymans 2021, p. 174.
(45)^ Richard Hymans 2021, pp. 336–343.
(46)^ Richard Hymans 2021, p. 337.
(47)^ Richard Hymans 2021, p. 338.
(48)^ abcdefRichard Hymans 2021, p. 339.
(49)^ Richard Hymans 2021, p. 341.
(50)^ abRichard Hymans 2021, p. 342.
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