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「トロント」の地名は、ヒューロン族の言葉で「人が集まる場所」を意味する言葉に由来するとされる説が一時有名であったが、本来、言語学的にはモホーク族の言葉で「水の中に木が立っている場所」を意味する「tkaronto」を由来とし、フランス人探検家や地図制作者を介してトロントになったとされる[7]。地勢的にはトロント北部のシムコー湖にヒューロン族が魚を囲い込むために苗木を植えたオリリア市の辺りを起源とする。当時、オンタリオ湖からヒューロン湖の陸路輸送ルートであったこの辺りでは広く使われていた地名であった。
トロント港(1919年)
1904年のトロント大火で市街地の大部分は焼失したがすぐに再建された。この火災で1,000万カナダドル以上の被害を受け、この経験からより厳しく安全な消防法が採用され、消防署の設置を増やすに至った。
19世紀後半から20世紀初頭にかけて東ヨーロッパの広い地域からドイツ人やイタリア人、ユダヤ人を中心に新しい民族グループの移民が見られるようになった。この後、続いてすぐに中国人やロシア人、ポーランド人のほか、東ヨーロッパ諸国からの移民が目立った。そして、これらの新しい移民の多くは先のアイルランド人移民のように掘っ建て小屋のようなスラム街に密集して暮らすこととなる。スラム街となっていたいくつかの区域は、現在の金融街や先端医療の研究機関が集中するリサーチパーク︵ディスカバリー地区︶へと様変わりしている。1920年代、急成長にもかかわらずカナダ国内におけるトロントの人口と経済力は、より歴史あるモントリオールに甘んじて2番目だった。それでも1934年には、トロント証券取引所が国内最大の証券取引所となる。
第二次世界大戦後、戦争で荒廃したヨーロッパからの難民が流入し、またイタリアとポルトガルからは出稼ぎの建設労働者が到来した。1960年代後半に人種別移民受入政策が撤廃されて以来、世界中から移民がやって来るようになった。1951年にトロントの人口は100万人を超え、以後大規模な郊外化現象とともに1971年には200万人を突破した。1980年代にはトロントの人口はモントリオールを抜いてカナダ最大となり、カナダ経済最大の拠点となった。この時期、ケベック州で再び独立の動きが強まったことで政治不安が広がり、多くのカナダ企業と多国籍企業は本社をモントリオールからトロントやカナダ西部の都市へと移転させた[10]。
トロント市は1954年に発足した地方自治体メトロポリタン・トロントの一都市として組み入れられた。戦後のブームで郊外の急速な発展が進み、メトロ政府は土地利用と公共サービス提供の効率化のために、市町村の枠組みを超えて高速道路・公共交通機関・水道事業などのサービス提供を行った。1967年、メトロポリタン・トロントはメトロ内の7つの小さな町や村をより大きい都市へと統合し、トロントとその周辺の都市、イーストヨークやエトビコ、ノースヨーク、スカボロ、ヨークの6つの都市で構成されるようになる。1998年にメトロポリタン・トロントは解体され、この6つの都市を合併し、現在の新制トロント市が誕生した。州の地方行政区では単一層自治体に位置づけられ、大きな行政権を持つ。
2003年に発生したSARSアウトブレイクでは、感染の中心地の一つとなり注目を集めた[11]。
2009年3月には市制施行175周年を迎えた。2010年6月にはG20サミットの開催地となり、カナダ各地域の警察官からなる統合治安部隊が組織され、サミット期間中のトロント中心部の警備を担った。直前に開催されたG8サミットと併せたこの治安維持活動はカナダ史上最大の規模となり、1,000人を超える逮捕者数もカナダ史上最大となった[12]。
トロント上空から衛星写真
トロントの面積は630.18 km2︵243.21 sq mi︶であり、東京23区やソウル、マドリードとほぼ同じ大きさである。南北の長さは最大21km、東西の長さは最大43kmあり、横長の台形のような形をしている。湖岸の全長は46km。南はオンタリオ湖と、西はエトビコ・クリークとハイウェイ427号線と、北はスティールズ通り︵Steeles Ave.︶と、東はルージュ川と接し、それぞれが境界線となっている。
トロント湾を東西に挟みこむように、市西部を流れるハンバー川と市東部を流れるドン川の2つの川があり、加えて数多くの支流が街を縦断する。トロント湾は湖の水流からの土砂の堆積によって自然に形成され、同様にトロント島やレズリーストリートスピットが形成された。小川と川が多いことから森林密度の高い峡谷が広がっており、公園や娯楽ハイキング用の小道を楽しむ理想的な場所になっている。しかしながら、峡谷は都市を格子状に設計することを阻んでおり、いくつかの通りは峡谷によって通りが分断され、またブロアー通りなどの大通りも陸橋で谷を跨ぐこととなった。これらの深い峡谷は集中豪雨の際、雨を排水する役割を果たしているが、ドン川の近くなど、いくつかの地点では大きな洪水になりやすい。しばしば川から大量の水が下水処理場の貯水タンクに流れ込み、処理しきれずにあふれ出すことがあり、汚水を未処理のままオンタリオ湖へ排出することがある。
最終氷期の時代、現在のトロントは氷河前縁湖︵英語版︶であるイロコワ氷河湖︵Glacial Lake Iroquois︶に覆われていた。今日、イロコワ湖岸︵Iroquois Shoreline︶で知られる氷河湖岸の跡を断層に見ることができる。これはスカボロの断崖︵Scarborough Bluffs)を形成した断層でビクトリアパーク通り︵Victoria Park Ave.︶とハイランド・クリーク︵Highland Creek︶の河口の間に沿ってよく見ることができる。そのほか、セントクレア通り︵St. Clair Ave.︶に沿ってバサースト通り︵Bathurst St.︶とドン川の間にも見ることができる。
トロントは高低差があまりなく、オンタリオ湖岸の海抜75mに対し、市内の北端に位置するヨーク大学近くの海抜は270mである。トロント港にある現在の湖沿岸の土地は人工によってできた埋立地で、19世紀中頃の湖岸は今より1kmほど内陸にあった。
ハイパークの桜
国内では南部に位置し、オンタリオ湖に接していることからトロントの気候はカナダの中では穏やかである。湿度の高い大陸性の気候でケッペンの気候区分では亜寒帯湿潤気候︵Dfa︶に分類される。夏は温暖で湿度があり、冬は一般的に寒い。ただし、夏は温暖と言えども日本では避暑地となり得る気候であり、冬はカナダ北部やアメリカ北西部の内陸と比べると温暖である。
四季がはっきりしているが、日々の気温に差があり、冬の寒い時期は特に気温差が大きくなる傾向にある。オンタリオ湖や他の五大湖の影響を受けやすく、湖に起因する降雪も見られる。
トロントの冬はときおり短期間ではあるが最高気温が −10℃(14°F) 以下に下がることがあり、冷えた風の影響で体感温度がさらに寒くなることがよくある。スノーストーム︵吹雪︶は時折、氷や雨が混ざって降ることもあり、雪の影響で仕事や旅行のスケジュールが大きく狂うこともある。10月末から4月中旬までの期間であれば積雪の可能性がある。しかしながら、冬の期間に降り積もった雪が解けるほど気温が上がり、5〜14℃(40〜57°F) あるいはまれにこれ以上に暖かいこともある。また、特に冬季は市街地と郊外ではヒートアイランド現象により気温差が大きくなる。
夏のトロントは長期に渡って湿度が高いことを特徴とする。時には日中の気温が30℃(86°F) を超えることもあるが、通常は一過性のものであり、長くは続かない。そのため、蒸し暑く感じる日はあるものの基本的には快適な気候である。春と秋は季節の移り変わりの時期で、一般に穏やかで涼しい気温になる。天気は乾燥したり雨が降ったりを繰り返す。同じ緯度にある内陸の地域と比べ、オンタリオ湖の影響を受けることから春や秋の訪れは遅く、気温は低めである[13]。
降水量は年間を通じて分散しているが、通常、夏から秋にかけてが最も降水量の多い時期で、そのほとんどは集中豪雨として短時間のうちに降ることが多い。年間降水量の平均は796.3mm。
トロント(1991~2020)の気候
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月 |
1月 |
2月 |
3月 |
4月 |
5月 |
6月 |
7月 |
8月 |
9月 |
10月 |
11月 |
12月 |
年
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最高気温記録 °C (°F)
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17.6 (63.7)
|
17.7 (63.9)
|
26.0 (78.8)
|
32.2 (90)
|
34.4 (93.9)
|
36.7 (98.1)
|
40.6 (105.1)
|
38.9 (102)
|
36.7 (98.1)
|
31.8 (89.2)
|
25.0 (77)
|
20.0 (68)
|
40.6 (105.1)
|
平均最高気温 °C (°F)
|
−1.1 (30)
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−0.2 (31.6)
|
4.8 (40.6)
|
12.0 (53.6)
|
19.2 (66.6)
|
24.5 (76.1)
|
27.4 (81.3)
|
26.4 (79.5)
|
22.3 (72.1)
|
14.8 (58.6)
|
7.8 (46)
|
2.0 (35.6)
|
13.3 (55.9)
|
日平均気温 °C (°F)
|
−5.0 (23)
|
−4.4 (24.1)
|
0.4 (32.7)
|
6.9 (44.4)
|
13.7 (56.7)
|
19.2 (66.6)
|
22.0 (71.6)
|
21.2 (70.2)
|
17.0 (62.6)
|
10.1 (50.2)
|
4.0 (39.2)
|
−1.4 (29.5)
|
8.6 (47.5)
|
平均最低気温 °C (°F)
|
−8.9 (16)
|
−8.4 (16.9)
|
−4.0 (24.8)
|
1.9 (35.4)
|
8.2 (46.8)
|
13.9 (57)
|
16.6 (61.9)
|
15.9 (60.6)
|
11.7 (53.1)
|
5.5 (41.9)
|
0.1 (32.2)
|
−4.8 (23.4)
|
4.0 (39.2)
|
最低気温記録 °C (°F)
|
−32.8 (−27)
|
−31.7 (−25.1)
|
−28.9 (−20)
|
−17.2 (1)
|
−5.6 (21.9)
|
−2.2 (28)
|
3.9 (39)
|
1.1 (34)
|
−3.9 (25)
|
−8.9 (16)
|
−20.6 (−5.1)
|
−31.1 (−24)
|
−32.8 (−27)
|
雨量 mm (inch)
|
59.6 (2.346)
|
49.5 (1.949)
|
49.6 (1.953)
|
79.8 (3.142)
|
76.6 (3.016)
|
78.8 (3.102)
|
76.6 (3.016)
|
69.6 (2.74)
|
66.9 (2.634)
|
65.9 (2.594)
|
66.4 (2.614)
|
57.0 (2.244)
|
796.3 (31.35)
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出典:http://www.pogodaiklimat.ru/climate7.php?id=71624
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トロント中心部
ウォーターフロント地区の高層ビル街
トロントには傑出した設計の建物が数多くある。これらの多くは世界的な建築家による設計で、その代表的な例にはフランク・ゲーリーやダニエル・リベスキンド、ノーマン・フォスター、ウィル・アルソップ、イオ・ミン・ペイ、サンティアゴ・カラトラバ、ミース・ファン・デル・ローエの他、現地企業ではクワバラ・ペイン・マッケナ・ブラムバーグ建築事務所やダイアモンド・シュミット建築事務所どが含まれる。
トロントのスカイラインを象徴する最も代表的な建物はCNタワーであり、高さは553.33mである。地上建築物としては一時期世界で最も高い建物であって、トロント観光の中核を成している。また、電波塔として重要な役割をも担っている。
BCEプレイスはトロントの市街地にある複合オフィスビルで、ベイ・ウェリントン・タワーとTDカナダ・トラスト・タワーの2つの高層ビルで構成され、6階建てのアレン・ランバート・ギャラリアとつながっている。ホッケーの殿堂もBCEプレイスにある。アレン・ランバート・ギャラリアはしばしば﹁商業のクリスタル大聖堂﹂︵"crystal cathedral of commerce"︶と表され、スペイン人建築家のサンティアゴ・カラトラバによってデザインされた。トロントの金融街で最も写真が撮られる場所のひとつで、テレビや映画撮影でも背景としてよく使われる。
コマースコートは4つのオフィスビル群で金融街のキング通りとベイ通りに位置する。最初のビルは現在のコマースコート・ノースで、1930年にCIBCの本社として現在の敷地に先駆けて建設され、当時、カナダの中でも華麗な本社ビルのひとつとされた。ピアソン・ダーリング建設事務所の設計による34階建ての高層ビルで、1962年までは英連邦で最も高いビルであった。1972年に残りの3つのビル、コマースコート・ウエスト︵57階建て︶、コマースコート・イースト︵14階建て︶、コマースコート・サウス︵5階建て︶が完成した。イオ・ミン・ペイの設計であるコマースコート・ウエストは1972-76年までカナダで最も高い高層ビル︵239m︶であった。
トロント・ドミニオン・センターはミース・ファン・デル・ローエによる設計で、トロント・ドミニオン・バンク・タワー︵223m︶を筆頭に、人目を引く黒い近代的な6つの高層ビルで構成された複合オフィスビルである。
オフィスやホテル、コンドミニアムを備えたトランプ・タワーが2012年に竣工。この超高層ビルは65階建てでアンテナの高さを含めると277mである。これは国内のオフィスビルとしてはファースト・カナディアン・プレイスに次ぐ高さに相当する︵住宅、ホテルのビルとしては最も高い︶。ファースト・カナディアン・プレイスは1976年に完成し、アンテナの高さを含めると355mある72階建ての超高層ビルである。
ダウンタウン以外にも多くの高層ビルが建てられており、ミッドタウントロント、ノースヨークのヤング・ストリートに沿ったノースヨーク・シティーセンター地区、エトビコのクィーンズウェイ・ハンバー・ベイ地区、スカーバローのスカーバロー・シティーセンター地区にもオフィスやコンドミニアムの高層ビルが集中している。その他、人口増加による住宅不足を補うようにトロント郊外各地にも高層コンドミニアムが建設中である。
トロント住宅街にあるテラスハウス
住宅地の多くはトロントの商業地区に立ち並ぶ高層ビル群とは違う特徴を持っており、ビクトリア朝・エドワード朝時代の住宅街がローズデールやフォーレストヒル、キャベッジタウン、アネックス、ブライダルパス、ムーアパークなどに点在している。
ウィッチウッドパークにはトロント初期の頃にできた歴史的な建築物や住居が見られ、1985年にオンタリオ歴史遺産保護区に指定されている。1911年に建てられたカサ・ロマは中世ヨーロッパの古城スタイルの建物で、エレベーターや秘密の通路、ボウリングのレーンなども備え付けられている豪邸であった。邸宅や庭園があるスパダイナ博物館は19世紀に建てられたマナー・ハウスとして知られる。
トロント市は地勢的に大きく6つの地域で構成されており、もともとは独立した都市であった。各都市ごとに発展してきた歴史をもつことから今でもそれぞれの地名が残り使われている。また、細かく区分すると100以上の地域に分かれる。
合併前の6つの都市‥イーストヨーク | エトビコ | ノースヨーク | オールド・トロント | スカボロ | ヨーク
CNタワーから見る金融街
エトビコの高層ビル
ノースヨークの中心街
旧トロント市は一般的にダウンタウンと呼ばれる地域を網羅し、トロントの歴史的な中心を成してきた。今でも市内で最も高い人口密度をもつ。金融街が広がるベイ通り沿いには、ファースト・カナディアン・プレイスやトロント・ドミニオン・センター、スコシア・プラザ、ロイヤル・バンク・プラザ、コマース・コート、BCEプレイスなどカナダで最も大きな超高層ビル群が立ち並ぶ。ダウンタウンの北部周辺には歴史豊かな住宅街も点在し、ヨークビルやローズデール、アネックス、フォーレストヒル、ローレンスパーク、ムーアパーク、カサロマなどの地区を指す。これらの多くは高級コンドミニアムや富裕層向けの住宅が広がる高級住宅街である。同時にダウンタウン周辺には新しい移民や低所得層が高い比率で住んでおり、公共住宅や高層アパートなどがセントジェームズタウンやリージェントパーク、モスパーク、パークデールなどにある。ダウンタウンの東西に位置するケンジントンマーケットやレズリービル、キャベッジタウン、リバーデールなどのエリアには賑やかな商業地区と文化地区が広がっており、芸術家のスタジオなどや中産階級、富裕層に加えて、貧しい労働者や政府の生活保護を受けている貧困層が混在している。その他、市内にあるよく知られたエスニックタウンとして、2つのチャイナタウンやグリークタウン、リトルイタリー、ポルトガル・ビレッジ、リトル・ジャマイカ、リトル・インディアなどがある。
スパダイナ通り︵英語版︶にあるビルから望む西側の住宅地
トロントの内輪には合併前まで都市であったヨークとイーストヨークが含まれ、伝統的に労働者階級が多く落ち着いたエリアになっている。また、クレセントタウンやソーンクリフパーク、ウエストンなどの地区には高層アパートがあり、新移民の家族が多く住んでいる。この地区の多くは民族構成が多様で近年、再開発が進んだことから、1990年代後半から人口の増加と住宅ブームが起きた。最初にこの流れに乗ったのがリーサイドとノーストロントの地区で、段階的に西部へと再開発の波が訪れている。そして、いくつかの住宅街では今、建て替えまたは改装の過程にある。
トロント北部から見る夜景
トロントの外輪には同じく合併前まで都市であったエトビコやスカボロ、ノースヨークを含み、本格的な開発は戦後に行われた。設立は早く、ミミコやニュートンブローク、ウエストヒルなどの地区では住宅ブームやメトロ政府が誕生する前、すでに急速な発展が見られた。高級住宅街として知られるノースヨークのブライドルパス︵Bridle Path︶やスカボロの断崖周辺のギルドウッド︵Guildwood︶、エトビコの中心部、ハンバーバレービレッジ︵Humber Valley Village︶、キングスウェイ︵The Kingsway︶などもまた戦後、急速に成長した地区である。郊外開発のモデルにもなったドンミルズ︵Don Mills︶は、都市計画に基づいて早くに開発された大きい住宅街のひとつで、タウンハウスや密度の高いアパート団地が建ち並ぶ。ヤング通り沿いのノースヨークセンターとスカボロのスカボロシティセンターはトロント・ダウンタウン中心部の外にある副都心として機能している。この地区に開発された高層の建築群がノースヨークとスカボロに独自の雰囲気をもたらしており、密度の高い交通網が発達している。
ディスティラリー地区はトロントでも特に個性的な地域のひとつで、ビクトリア朝の産業建築が数多くある。北米では最も多くのコレクションをもち、保存状態も極めて良い。また、このエリアはトロント旧市街︵Old Town Toronto︶の一部を構成しており、観光名所のひとつとなっている。スカボロやエトビコには大きな工業団地が今もあるが、以前のような拡張や開発は行われていない。
ロイ・トムソン・ホール
ホッケーの殿堂
ダンダス・スクエア
グリークタウンのクリスマス・イルミネーション
CBCの本社
トロント・ブルージェイズの本拠地、ロジャース・センター
トロントを本拠地とするプロスポーツチームは以下の通りである。
ベイ通り付近の金融街
トロント市内エリアの人口推移
年度 |
市域 |
CMA |
GTA[21]
|
1861年 |
65,085 |
193,844 |
|
1901年 |
238,080 |
440,000 |
|
1951年 |
1,117,470 |
1,262,000 |
|
1971年 |
2,089,728 |
2,628,000 |
|
1976年 |
2,124,295 |
|
|
1981年 |
2,137,380 |
2,998,947 |
|
1986年 |
2,192,721 |
|
3,733,085
|
1991年 |
2,275,771 |
3,893,933 |
4,235,756
|
1996年 |
2,385,421 |
4,235,759 |
4,628,883
|
2001年 |
2,481,494 |
4,682,897 |
5,081,826
|
2006年 |
2,503,281 |
5,113,149 |
5,555,912
|
2011年 |
2,615,060 |
5,583,064 |
6,054,191
|
2016年 |
2,731,571 |
5,928,040 |
6,417,516
|
カナダ統計局による最新の国勢調査の統計によると2016年の人口は273万15711人で2011-2016年の人口増加率は4.5%であった。国際連合開発計画によると、トロントは国外で生まれた移民の割合がマイアミに次いで世界で2番目に多い都市となっており、マイアミでは移民の出生地の多くはキューバや他の南米諸国であるのに対し、トロントは一つの国や文化が圧倒的な割合を占めることがなく多様性に富んでいる。
トロント市庁舎
トロントは単一層自治体で議会は市長制を敷いている。市の行政はトロント市の法令によって規定されており、市長は市の最高責任者として直接投票で選ばれる。トロント議会は一院制で構成されており、各地区を代表する44の市会議員によって成り立っている。市長と市会議員の任期は4年で、再任に制限はない。
2006年度におけるトロントの年間予算は76億カナダドル。歳入には税収入のほかオンタリオ州からの交付金が加えられ、予算の36%は州が策定し義務づけている行政計画に割り当てられている。53%は市の主な行政サービスに割かれ、トロント交通局やトロント公共図書館、トロント動物園などの財源も予算に含まれる[25]。
ユニオン駅
トロント市電
一般にTTCと呼ばれるトロント交通局は、地下鉄、市電︵路面電車︶、路線バスを運行する公共交通である。トロント市地下鉄はU字型をした南北を結ぶヤング・ユニバーシティ線と、東西を結ぶブロア・ダンフォース線、北部の東西を走るシェパード線がある。また、トロント市電は路面電車としては北米最大規模の広範囲な路線網を有している。加えてバスが市内隅々まで運行されている。TTCは北米の公共交通網としてはニューヨーク市都市交通局とメキシコシティ・メトロに続いて第3位の規模を持つ。
オンタリオ州政府によって運営されているGOトランジットは7つの鉄道路線をもち、周辺の小都市を結んでいる。鉄道のない地域には都市間輸送用の大型バスが主要な鉄道駅から発着しており、鉄道の枝線のような役割をしている。トロントを中心として半径140kmの範囲をカバーしており、毎日およそ16万人の利用客がある。
トロント小児病院
トロントには少なくとも20以上の病院があり、トロント小児病院︵SickKids︶[2]、マウント・サイナイ病院[3]、セントマイケルズ病院[4]、トロント総合病院[5]、トロント・ウエスタン病院[6]、サニーブルック・ヘルス・サイエンス・センター[7]、プリンセス・マーガレット病院[8]に加え、トロント大学医学部[9]などがある。
トロントのディスカバリー地区[44]は医療研究のリサーチパークになっており、トロント・ダウンタウンの一角として溶け込んでいる。2000年に、MaRSで知られる医療関連科学センター[10]が作られ、州内の医療研究と開発の中心に位置づけられている。また、分子医学の研究機関ではマクラフリン・センター︵MCMM︶[11]が知られる。
トロントは以下の都市と「国際パートナー」関係を締結している。
(一)^ Government of Canada, Statistics Canada (2017年2月8日). “Census Profile, 2016 Census - Toronto, City [Census subdivision, Ontario and Ontario [Province]]”. www12.statcan.gc.ca. 2020年2月21日閲覧。
(二)^ Government of Canada, Statistics Canada (2016年2月10日). “Table 1.1Population and demographic factors of growth by census metropolitan area, Canada”. www150.statcan.gc.ca. 2020年2月21日閲覧。
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