「サウスダコタ州」の版間の差分
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| 州知事 = {{ill2|クリスティ・ノーム|en|Kristi Noem}} |
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| 公用語 = [[アメリカ英語|英語]] <ref name="EnglishCommon">{{Cite web|url = http://legis.state.sd.us/statutes/DisplayStatute.aspx?Type=Statute&Statute=1-27-20|title = South Dakota Codified Laws (1–27–20)|publisher=South Dakota State Legislature|accessdate =2010-04-27}}</ref><!--1995年--> |
| 公用語 = [[アメリカ英語|英語]] <ref name="EnglishCommon">{{Cite web|url = http://legis.state.sd.us/statutes/DisplayStatute.aspx?Type=Statute&Statute=1-27-20|title = South Dakota Codified Laws (1–27–20)|publisher=South Dakota State Legislature|accessdate =2010-04-27}}</ref><!--1995年--> |
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[[スー語]] <ref name="EnglishCommon2">{{Cite web|url = https://www.argusleader.com/story/news/politics/2019/03/22/south-dakota-recognizes-official-indigenous-language-governor-noem/3245113002/|title = South Dakota recognizes official indigenous language}}</ref><!--2019年--> |
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| 面積順位 = 17 |
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| 総面積 = 199,905 |
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== 歴史 == |
== 歴史 == |
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{{Main|サウスダコタ州の歴史}} |
{{Main|サウスダコタ州の歴史}} |
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サウスダコタ州となった地域には少なくとも数千年前から人類が住んでいた。最初の住人は[[狩猟採集社会]]型の[[パレオ・インディアン]]であり、紀元前5000年 |
サウスダコタ州となった地域には少なくとも数千年前から人類が住んでいた。最初の住人は[[狩猟採集社会]]型の[[パレオ・インディアン]]であり、紀元前5000年ごろに姿を消した<ref>Schell, p. 15.</ref>。西暦500年から800年ごろ、マウンドビルダーと呼ばれる半[[遊牧民]]が中部と東部に住んでいた。14世紀、ミズーリ川近くで数百人の男女子供が殺されるという、いわゆるクロウクリーク虐殺が起こった<ref name="DeloriaNeal">Deloria and Neal (eds.), p. 161.</ref>。[[1500年]]までに{{仮リンク|アリカラ族|en|Arikara}}(あるいはリー族)がミズーリ川流域の多くに入っていた<ref>Schell, pp. 16–18.</ref>。この地域へのヨーロッパ人による接触は、[[1743年]]にフランス人のラヴェランドリー兄弟が探検したのが始まりだった。ラヴェランドリー探検隊は現在のピア市近くに銘板を埋めており、それにはこの地域が[[フランス領ルイジアナ]]の一部であることが書かれていた<ref>Schell, pp. 28–29.</ref>。19世紀初期までにスー族がアリカラ族をほとんど排除し、地域を支配するようになっていた<ref>Schell, pp. 18–21.</ref>。 |
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1803年、アメリカ合衆国は[[フランス]]の[[ナポレオン・ボナパルト]]から[[ルイジアナ準州|ルイジアナ]]を買収した。その範囲には今日のサウスダコタ州の大半が含まれていた。時の大統領[[トーマス・ジェファーソン]]は「[[ルイス・クラーク探検隊]]」と呼ばれる部隊を編成させ、新しく獲得した地域を探検させた<ref>Thompson (ed.), pp. 56–57.</ref>。1817年、アメリカ人の毛皮交易基地が現在の[[フォートピア (サウスダコタ州)|フォートピア]]市に設立され、この地域へのアメリカ人の入植が続くようになった<ref name="SDChrono">{{Cite web|title = Chronology of South Dakota History|publisher=South Dakota Historical Society|accessdate =2007-09-03|url = http://www.sdhistory.org/soc/soc_hist.htm|archiveurl = https://web.archive.org/web/20070901170704/http://www.sdhistory.org/soc/soc_hist.htm|archivedate = 2007-09-01}}</ref>。1855年、[[アメリカ陸軍]]がピア砦を購入したが、翌年にはそこを放棄して、より便利な南のランドール砦に移った<ref name="SDChrono"/>。この時期にアメリカ人やヨーロッパ人による開拓が急速に進行し、[[1858年]]にはヤンクトン・スー族が条約に調印して、現在の州東部の大半をアメリカ合衆国に割譲した<ref>Thompson (ed.), pp. 69–71.</ref>。 |
1803年、アメリカ合衆国は[[フランス]]の[[ナポレオン・ボナパルト]]から[[ルイジアナ準州|ルイジアナ]]を買収した。その範囲には今日のサウスダコタ州の大半が含まれていた。時の大統領[[トーマス・ジェファーソン]]は「[[ルイス・クラーク探検隊]]」と呼ばれる部隊を編成させ、新しく獲得した地域を探検させた<ref>Thompson (ed.), pp. 56–57.</ref>。1817年、アメリカ人の毛皮交易基地が現在の[[フォートピア (サウスダコタ州)|フォートピア]]市に設立され、この地域へのアメリカ人の入植が続くようになった<ref name="SDChrono">{{Cite web|title = Chronology of South Dakota History|publisher=South Dakota Historical Society|accessdate =2007-09-03|url = http://www.sdhistory.org/soc/soc_hist.htm|archiveurl = https://web.archive.org/web/20070901170704/http://www.sdhistory.org/soc/soc_hist.htm|archivedate = 2007-09-01}}</ref>。1855年、[[アメリカ陸軍]]がピア砦を購入したが、翌年にはそこを放棄して、より便利な南のランドール砦に移った<ref name="SDChrono"/>。この時期にアメリカ人やヨーロッパ人による開拓が急速に進行し、[[1858年]]にはヤンクトン・スー族が条約に調印して、現在の州東部の大半をアメリカ合衆国に割譲した<ref>Thompson (ed.), pp. 69–71.</ref>。 |
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|2010= 814180 |
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|2020= 886667 |
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|footnote=[https://webcache.googleusercontent.com/search?q=cache:y6lJeYAJgi0J:www.census.gov/popest/intercensal/state/ST-EST00INT-01.xls+43.+1,052,886+-+1,052,567&cd=1&hl=en&ct=clnk&gl=us July 1, 2010 Estimate] |
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*[[キリスト教]] – 87% |
*[[キリスト教]] – 87% |
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**[[プロテスタント]] – 61% |
**[[プロテスタント]] – 61% |
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***[[ルター派]]教会([[アメリカ福音ルター派教会]] |
***[[ルター派]]教会([[アメリカ福音ルター派教会]]など) – 27% |
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***[[メソジスト]] – 13% |
***[[メソジスト]] – 13% |
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***[[バプテスト教会|バプテスト]] – 4% |
***[[バプテスト教会|バプテスト]] – 4% |
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1968年に[[ミネソタ州]]の[[オジブワ族]]が組織した、スラム育ちの若者たちによる「[[アメリカインディアン運動]](AIM)」は、1970年代にアメリカ合衆国のインディアンに対する[[民族浄化]]政策に全米規模で反旗を翻した最大級の組織である。スー族は、このAIMに結成直後から参加共闘することとなった。AIM運動家でスポークスマンの[[ラッセル・ミーンズ]]は、AIM以前からのスー族権利回復運動の代表的なラコタ族インディアンとして知られる。また、合衆国によるキリスト教化に抗った伝統派の宗教者が多く、[[レイムディアー|ジョン・ファイア・レイム・ディアー]]や[[マシュー・キング]]、[[レオナルド・クロウドッグ|レナード・クロウドッグ]]といったスー族の長老宗教者たちは「[[インディアン寄宿学校]]」で伝統文化を奪われたAIMの若者たちに請われてインディアンの伝統儀式の指導を行い、1970年代の権利回復運動のなかの精神的支柱となると同時に、全米のインディアン部族の伝統宗教復活に尽力した。 |
1968年に[[ミネソタ州]]の[[オジブワ族]]が組織した、スラム育ちの若者たちによる「[[アメリカインディアン運動]](AIM)」は、1970年代にアメリカ合衆国のインディアンに対する[[民族浄化]]政策に全米規模で反旗を翻した最大級の組織である。スー族は、このAIMに結成直後から参加共闘することとなった。AIM運動家でスポークスマンの[[ラッセル・ミーンズ]]は、AIM以前からのスー族権利回復運動の代表的なラコタ族インディアンとして知られる。また、合衆国によるキリスト教化に抗った伝統派の宗教者が多く、[[レイムディアー|ジョン・ファイア・レイム・ディアー]]や[[マシュー・キング]]、[[レオナルド・クロウドッグ|レナード・クロウドッグ]]といったスー族の長老宗教者たちは「[[インディアン寄宿学校]]」で伝統文化を奪われたAIMの若者たちに請われてインディアンの伝統儀式の指導を行い、1970年代の権利回復運動のなかの精神的支柱となると同時に、全米のインディアン部族の伝統宗教復活に尽力した。 |
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オグララ・スー族は1973年の「[[ウンデット・ニー#ウンデッド・ニー占拠事件 |
オグララ・スー族は1973年の「[[ウンデット・ニー#ウンデッド・ニー占拠事件|ウンデッド・ニー占拠]]」の際に、また2007年には[[ラコタ]]・スー族が「[[ラコタ共和国]]」の独立国家宣言を行っている。 |
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ヤンクトン・スー族は、[[アメリカ陸軍工兵司令部]]が保養地域として占領している二つの土地の、部族への返還を求めている。工兵司令部は2005年、この土地の所有権をサウスダコタ州に譲渡した。これに反対するヤンクトン・スー族は「[[アメリカインディアンの墓地の保護と遺物の返還法]](NAGPRA)」に基づき、所有権譲渡無効を訴え、異議申し立てを行っている。[[2005年]]9月30日、連邦地方裁判所は、「この土地に関してスー族に実害は無く、連邦政府にはNAGPRAに基づく義務は生じない」と判定、スー族の訴えを却下した。ヤンクトン族は即時抗告している。 |
ヤンクトン・スー族は、[[アメリカ陸軍工兵司令部]]が保養地域として占領している二つの土地の、部族への返還を求めている。工兵司令部は2005年、この土地の所有権をサウスダコタ州に譲渡した。これに反対するヤンクトン・スー族は「[[アメリカインディアンの墓地の保護と遺物の返還法]](NAGPRA)」に基づき、所有権譲渡無効を訴え、異議申し立てを行っている。[[2005年]]9月30日、連邦地方裁判所は、「この土地に関してスー族に実害は無く、連邦政府にはNAGPRAに基づく義務は生じない」と判定、スー族の訴えを却下した。ヤンクトン族は即時抗告している。 |
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=== 連邦議会議員 === |
=== 連邦議会議員 === |
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{{See also|サウスダコタ州選出のアメリカ合衆国上院議員|w:List of United States Representatives from South Dakota}} |
{{See also|サウスダコタ州選出のアメリカ合衆国上院議員|w:List of United States Representatives from South Dakota}} |
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サウスダコタ州は連邦議会に上院議員2人、下院議員1人を送り出している。 |
サウスダコタ州は連邦議会に上院議員2人、下院議員1人を送り出している。2024年時点で全員が共和党員である。下院議員を1人しか選出できない﹁全州︵選挙︶区﹂︵“At-large district”︶州はアメリカ国内に6つあり、サウスダコタ州はその1つである<ref>{{Cite web|title = Member Information|publisher=Office of the Clerk – United States House of Representatives|accessdate =2009-04-05|url = http://clerk.house.gov/member_info/olm110.html}}</ref><ref group="注">他の5州は[[アラスカ州]]、[[デラウェア州]]、[[ノースダコタ州]]、[[バーモント州]]、[[ワイオミング州]]。</ref>。近年は、インディアン︵いわゆる﹁アメリカ・インディアン﹂﹁ネイティブ・アメリカン﹂と呼ばれる人々︶が州や郡のレベルで政治・選挙運動により活発に参加するようになってきており、その効果・影響は選挙でもしばしば表れている。例えば、2002年の[[中間選挙]]時に実施された上院議員選挙では、民主党の現職だったティム・ジョンソンが共和党の対立候補だったジョン・スーン連邦下院議員を得票率にして0.15%、得票数にして532票という僅差の大接戦を制して辛勝、再選を果たしているが、このジョンソンの勝利の背景にはインディアン票の獲得があったとされる<ref name="Florio">[http://www.denverpost.com/Stories/0,1413,36%257E53%257E1095196%257E,00.html Gwen Florio, "Indians Show Political Clout;Natives Throng Polls in 'White' S.D. County,"] ''The Denver Post,'' January 8, 2003, accessed June 8, 2011</ref><ref group="注">なお、この時ティム・ジョンソンに敗れたスーンは、任期満了で下院議員を退任した後、2004年の上院議員選挙に再び出馬、今度は再選を目指した当時の上院民主党院内総務である[[トム・ダシュル]]上院議員を約4,500票差で破るという大金星をあげている。︵ただし、ティム・ジョンソンの議席は上院のうちでも第2部︵クラス2︶に振り分けられているのに対し、ダシュルやスーンの議席は第3部︵クラス3︶に振り分けられており、両者は改選時期が異なる。︶</ref>。
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大統領選挙では、選挙人数3人が割り当てられている(全国で538人)<ref>{{Cite web|title = U.S. Electoral College – 2008 Presidential Election|publisher=archives.gov|accessdate =2008-12-15|url = http://archives.gov/federal-register/electoral-college/2008/allocation.html}}</ref>。選挙人は総取り方式である<ref>{{Cite web|title = U.S. Electoral College – Frequently Asked Questions|publisher=archives.gov|accessdate =2008-12-15|url = http://www.archives.gov/federal-register/electoral-college/faq.html}}</ref>。 |
大統領選挙では、選挙人数3人が割り当てられている(全国で538人)<ref>{{Cite web|title = U.S. Electoral College – 2008 Presidential Election|publisher=archives.gov|accessdate =2008-12-15|url = http://archives.gov/federal-register/electoral-college/2008/allocation.html}}</ref>。選挙人は総取り方式である<ref>{{Cite web|title = U.S. Electoral College – Frequently Asked Questions|publisher=archives.gov|accessdate =2008-12-15|url = http://www.archives.gov/federal-register/electoral-college/faq.html}}</ref>。 |
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== 脚注 == |
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* [http://www.ers.usda.gov/StateFacts/SD.htm South Dakota State Facts] |
* [http://www.ers.usda.gov/StateFacts/SD.htm South Dakota State Facts] |
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* [http://www.sdshspress.com/ South Dakota State Historical Society Press] Books and journals published by the State Historical Society |
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[[Category:1889年に成立した国家・領域]] |
2024年4月25日 (木) 07:49時点における最新版
- サウスダコタ州
- State of South Dakota
-
(州旗) (州章) - 州の愛称: ラシュモア山の州
The Mount Rushmore State -
州都 ピア 最大の都市 スーフォールズ 州知事 クリスティ・ノーム 公用語 英語 [1] スー語 [2] 面積
- 総計
- 陸地
- 水域全米第17位
199,905 km²
196,735 km²
3,173 km² (1.6%)人口(2020年)
- 総計
- 人口密度全米第46位
886,667人
4.5人/km²合衆国加入
- 順番
- 加入年月日
40番目
1889年11月2日時間帯 UTC -6, -7
DST -5, -6緯度 北緯42°29' - 45°56' 経度 西経96°26' - 104°3' 東西の幅 340 km 南北の長さ 610 km 標高
-最高標高
-平均標高
-最低標高
2,208 m
670 m
295 m略称 (ISO 3166-2:US) US-SD
ウェブサイト サウスダコタ州政府 上院議員 ジョン・スーン
マイク・ラウンズ
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/2/21/Speaker_Icon.svg/13px-Speaker_Icon.svg.png)
歴史[編集]
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/1/1a/Deadwood13.jpg/220px-Deadwood13.jpg)
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/e/ef/Dust_Bowl_-_Dallas%2C_South_Dakota_1936.jpg/250px-Dust_Bowl_-_Dallas%2C_South_Dakota_1936.jpg)
地理[編集]
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/2/2c/South_Dakota_general_map_2.png/220px-South_Dakota_general_map_2.png)
地形と地質[編集]
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/d/d1/Thunder_butte_SD.jpg/220px-Thunder_butte_SD.jpg)
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/0/01/Black_Elk_Wilderness_South_Dakota_5.jpg/220px-Black_Elk_Wilderness_South_Dakota_5.jpg)
生態系[編集]
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/7/71/Pronghorn_Wind_Cave_NP.jpg/220px-Pronghorn_Wind_Cave_NP.jpg)
気候[編集]
サウスダコタ州は大陸性気候にあり、四季がはっきりして、冷涼で乾燥した冬から暑くやや湿度の高い夏がある。夏季の平均最高気温は90°F (32℃) に迫ることも多いが、夜には60°F (16℃) 近くまで下がる。毎年夏には100°F (37℃) 超えて非常に暑く乾燥した日が続くことも多い。冬季は冷涼で、1月の平均最高気温は氷点下となり、最低気温は10°F (- 12 °C) 以下になる。過去最高気温は2006年7月15日にユースタで記録された120°F (49℃)[55]、過去最低気温は1936年2月17日にマッキントッシュで記録された-58°F (-50 ℃) である[56]。 年間平均降水量は亜乾燥の北西部で15インチ (381 mm)、やや湿潤な南西部で25インチ (635 mm) 程度であるが、ブラックヒルズのリードを中心とする小地域は30インチ (762 mm) 近くになって最大である[57]。 夏は強風と雷および雹を伴う雷雨になることが多い。州東部は竜巻街道に入っていると考えられる[58]。毎年平均30の竜巻に襲われている[59]。冬には吹雪や氷雨を伴う暴風といった厳しい気象条件もある。サウスダコタ州の都市の月別平均最高最低気温(°F(℃)) | ||||||||||||
都市 | 1月 | 2月 | 3月 | 4月 | 5月 | 6月 | 7月 | 8月 | 9月 | 10月 | 11月 | 12月 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
アバディーン | 21/1 (−6/-17) | 28/9 (−2/-13) | 40/21 (4/-6) | 57/33 (14/1) | 70/46 (21/8) | 79/55 (26/13) | 85/60 (29/16) | 84/57 (29/14) | 73/46 (23/8) | 59/34 (15/1) | 39/20 (4/-7) | 26/6 (−3/-14) |
ラピッドシティ | 34/11 (1/-12) | 39/16 (4/-9) | 47/23 (8/-5) | 57/32 (13/0) | 67/43 (19/6) | 77/52 (25/11) | 86/58 (30/14) | 86/57 (30/14) | 75/46 (24/8) | 62/35 (17/2) | 45/22 (7/-6) | 36/13 (2/-11) |
スーフォールズ | 25/3 (−4/-16) | 32/10 (0/-12) | 44/21 (7/-6) | 59/32 (15/0) | 71/45 (22/7) | 81/54 (27/12) | 86/60 (30/16) | 83/58 (28/14) | 74/48 (23/9) | 61/35 (16/2) | 42/21 (6/-6) | 29/8 (−2/-13) |
[60] |
国立公園と保護区[編集]
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/d/d0/Dean_Franklin_-_06.04.03_Mount_Rushmore_Monument_%28by-sa%29.jpg/220px-Dean_Franklin_-_06.04.03_Mount_Rushmore_Monument_%28by-sa%29.jpg)
人口動態[編集]
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/e/ef/South_Dakota_population_map.png/220px-South_Dakota_population_map.png)
人口推移 | |||
---|---|---|---|
年 | 人口 | %± | |
1860 | 4,837 | — | |
1870 | 11,776 | 143.5% | |
1880 | 98,268 | 734.5% | |
1890 | 348,600 | 254.7% | |
1900 | 401,570 | 15.2% | |
1910 | 583,888 | 45.4% | |
1920 | 636,547 | 9.0% | |
1930 | 692,849 | 8.8% | |
1940 | 642,961 | −7.2% | |
1950 | 652,740 | 1.5% | |
1960 | 680,514 | 4.3% | |
1970 | 665,507 | −2.2% | |
1980 | 690,768 | 3.8% | |
1990 | 696,004 | 0.8% | |
2000 | 754,844 | 8.5% | |
2010 | 814,180 | 7.9% | |
2020 | 886,667 | 8.9% | |
July 1, 2010 Estimate |
人口[編集]
人種と民族[編集]
2010年時点でサウスダコタ州の人種構成は以下の通りである。 ●84.7% 白人︵非ヒスパニック︶ ●1.2% 黒人 ●8.5% インディアン︵アメリカ合衆国本土で3番目に高い︶ ●0.9% アジア人 ●0.1% その他人種 ●1.8% 混血 ●2.7% ヒスパニック サウスダコタ州の5つの最大祖先グループは‥ドイツ系︵40.7%︶、ノルウェー系︵15.3%︶、アイルランド系︵10.4%︶、インディアン︵8.3%︶、イギリス系︵7.1%︶である[67]。ドイツ系アメリカ人は州の大部分で最大の構成比を示しており、特にイーストリバーで高い。幾つかの郡ではスカンディナヴィア系の子孫が最大構成比になっている。また1874年にヨーロッパから移住してきた再洗礼派集団であるヒュッテライトの人口は50州の中でも最も多い[68]。![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/7/72/National-atlas-indian-reservations-south-dakota.gif/220px-National-atlas-indian-reservations-south-dakota.gif)
人口成長と田園部の過疎化[編集]
サウスダコタ州はグレートプレーンズの他州と同様、過去数十年間にわたって田園部の多くで人口が減少している。これは﹁ルーラルフライト﹂︵過疎化︶と呼ばれ、家族農家が減少している。この傾向は近年も続き、州内30郡では1990年から2000年の間に人口が減少した[70]。この期間に9郡は10%以上減少しており、北西隅にあるハーディング郡の場合は19%にもなった[70]。低い出生率および若者が流入しないことで、これらの郡は中年世代の構成比が増加し続けている。24の郡では65歳以上の高齢者世代が少なくとも20%となっている。高齢者比率の全国平均は12.8%である。 しかし、過疎化は州全体に広がっているわけではない。田園部の郡と小さな町の大半の人口が減少したが、スーフォールズ市の周辺、州間高速道路29号に沿った大型郡、ブラックヒルズ、および多くのインディアン居留地は増加した[70]。スーフォールズ市に近いリンカーン郡の場合、アメリカ合衆国でも9番目に人口増加率の高い郡になっている。これらの地域の増加量が他の地域の減少量を補っており、州全体の人口増加率は全国平均よりも低いものの、着実に成長を続けている。宗教[編集]
サウスダコタ州住民の信じる宗派による構成比︵2001年︶は以下の通りである。 ●キリスト教 – 87% ●プロテスタント – 61% ●ルター派教会(アメリカ福音ルター派教会など) – 27% ●メソジスト – 13% ●バプテスト – 4% ●長老派教会 – 4% ●その他のプロテスタント – 6% ●無宗派 – 7% ●ローマ・カトリック – 25% ●他のキリスト教 – 1% ●他の宗教 – 3% ●無宗教 – 8% ●無回答 – 2%インディアン部族[編集]
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/6/60/Sioux01.png/300px-Sioux01.png)
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/8/83/Crow_Creek_Flag.svg/200px-Crow_Creek_Flag.svg.png)
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/1/1c/Rosebudreservationmap.png/200px-Rosebudreservationmap.png)
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/6/6f/Lower_brule_reservation2_sd.jpg/200px-Lower_brule_reservation2_sd.jpg)
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/7/77/Pine_Ridge_Flag.svg/200px-Pine_Ridge_Flag.svg.png)
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/5/5f/AktaLakotaMuseum.jpg/200px-AktaLakotaMuseum.jpg)
≪ダコタ族≫
≪ダコタ・ナコタ族≫
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≪ラコタ族≫ |
ララミー砦の条約と、「偉大なるスーの国」[編集]
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/b/b6/Photograph_of_General_William_T._Sherman_and_Commissioners_in_Council_with_Indian_Chiefs_at_Fort_Laramie%2C_Wyoming%2C_ca._1_-_NARA_-_531079.jpg/200px-Photograph_of_General_William_T._Sherman_and_Commissioners_in_Council_with_Indian_Chiefs_at_Fort_Laramie%2C_Wyoming%2C_ca._1_-_NARA_-_531079.jpg)
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/7/75/Siouxreservationmap.png/250px-Siouxreservationmap.png)
全米最貧困地域[編集]
オグララ族、シチャング族の居住する同州の﹁パインリッジ・インディアン保留地﹂は、全米でも最貧困の地域として知られている。 同保留地の部族員の失業率は80%を超えており、また住宅事情も劣悪であり、どれも補修が必要なうえ、その1/3以上が水道や電気が未開通である。しかもこれらの家一軒につき平均して15人以上が住んでいて、それ以外の者たちは自家用車やトレーラーに住んでいる状況である。乳児の死亡率はアメリカ全国平均の3倍で、40歳以上の部族員の半分が糖尿病を患い、またアルコール依存症を抱えている。部族員であるオグララ族の一人あたりの所得は年間で約7000ドル︵全米平均の1/6未満︶である。若年層は、アメリカ軍への入隊以外、仕事の望みがほとんどなく、わずかな福祉小切手で暮らす毎日である。パイン・リッジ保留地での平均寿命は50歳である。 2010年1月15日にオバマ大統領は議会で、全国のインディアン部族の生活改善を誓約した。これに対し、オグララ・スー族部族会議議長テレサ・トゥー・ブルズはこうコメントしている。﹁アメリカの“向こう側の人達”は、私達の生活水準が第三世界のものだと気づきもしません。人々は、福祉施政やインディアン・カジノで私達が贅沢し、豚のように肥え太っていると思っています。私は、この保留地を扱うアメリカの議会の人達にこう言っています。どのように私達がここで生きていて、どういうわけでここに住んでいるのか、なぜ私達の子供が自殺するのか、その理由を自身で見つけ出してください。私達が誰なのかということを学んでください。﹂インディアンとバッファロー[編集]
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/5/5a/Bison_skull_pile-restored.jpg/200px-Bison_skull_pile-restored.jpg)
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/a/a4/Chasse_bisons_minesota.jpg/200px-Chasse_bisons_minesota.jpg)
バッファロー牧場と﹁ITBC﹂[編集]
同州のラピッドシティーには、﹁バッファロー牧場﹂の互助発展組織である非営利団体﹁ITBC︵部族相互野牛協同組合︶﹂の本部がある。 1991年2月、同州のブラックヒルズで、インディアンやエスキモーの漁猟狩猟権団体﹁NAFWS︵魚と野生動物のアメリカ先住民協会︶﹂の主催で、全米の﹁バッファロー牧場﹂の総合組織である﹁ITBC︵部族相互野牛協同組合︶﹂の第一回結成検討会議が開かれた。この会議に集まったのは、サウスダコタ州各地の保留地からスー族、モンタナ州からはクロウ族、ショーショーニー族、バンノック族、グロー・バントル族、アシニボイン族、ブラックフット族、ニューメキシコ州からは多数のプエブロ族、ネブラスカ州とウィスコンシン州からはウィンネバーゴ族、オクラホマ州からはチョクトー族、カリフォルニア州からはラウンド谷部族会議など、総勢19のインディアン部族だった。ITBCはこう述べている。﹁この中には、歴史的に敵同士だったものもあった。しかし今ここに、彼らは共通の任務のために結集したのだ﹂ 1991年6月、﹁NAFWS﹂の尽力によって、連邦議会からインディアン部族のバッファロー育成プログラムに基金が割り当てられ、これを基に12月に活動指針が決められ、組織作りが行われた。1992年4月、各部族代表がニューメキシコ州のアルバカーキで会議を開き、﹁ITBC﹂は公式のインディアン機関と認定され、役員の選定、会員資格、定款、および内規基準が決められた。こうして1992年の夏に、同州のラピッドシティーに﹁ITBC﹂の本部が置かれ、9月にはコロラド州で組織化された。 ﹁バッファロー牧場﹂が供給するバッファローの肉は、スローフードに沿う低カロリー食品として、多くのインディアンが抱える肥満・糖尿病に対策する伝統食として注目されており、各部族の健康センターでは部族民に対し、この肉の支給が行われている。彼らがバッファローを射殺する際には古式に則り、必ず呪い師が付き添い、大精霊に許しを乞う。こうして得られたバッファローの毛皮や皮は、伝統衣装や民芸品の復興にも役立てられ、また肉や各種製品はアメリカ内外にもリリースされている。 現在﹁ITBC﹂は非営利団体として57部族が会員資格を持ち、上記された7つの州に加え、オレゴン州、ワシントン州、アリゾナ州、アイダホ州、ユタ州、コロラド州、ミシガン州、ミネソタ州、ワイオミング州、カンザス州、ノースダコタ州、またアラスカ州の合計19の州のインディアン部族を傘下としている。これらの州のインディアン保留地の﹁バッファロー牧場﹂では現在、総合して15000頭以上のバッファローが飼育されており、インディアン以外の団体にも提携を拡げている。またバッファローの生態データの統計、観光資源活用、野生動物としての社会啓蒙、﹁大草原の復活提案﹂など、活動内容は多岐に渡っている。インディアン・カジノ[編集]
サウスダコタ州でのインディアン・カジノは、すべてスー族によって運営されている。営業実績は隣州ミネソタ州の﹁シャコペー・ムデワカントン・スー族﹂の﹁ミスティック湖畔カジノホテル﹂に大きく差をつけられており、﹁シャイアン川スー族﹂部族会議は現在、保留地外の州中央部のオアヘ湖畔での部族カジノ開業を計画している。 2008年7月、﹁シャイアン川スー族﹂が大きな期待を寄せるこの国境外部族カジノ計画についてサウスダコタのマイク・ラウンズ知事は﹁聞いていない﹂とコメントした。ラウンズ知事はインディアン部族による保留地外でのカジノ開設案に反対しており、先行きは不透明である。
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主要な都市[編集]
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/7/75/Downtown_Sioux_Falls_61.jpg/220px-Downtown_Sioux_Falls_61.jpg)
行政と法律[編集]
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/4/4b/PierreSD_Capitol.jpg/220px-PierreSD_Capitol.jpg)
政府[編集]
連邦議会議員[編集]
政治[編集]
年 | 共和党 | 民主党 |
---|---|---|
2008年 | 54.30% 203,019 | 45.70% 170,886 |
2004年 | 59.91% 232,584 | 38.44% 149,244 |
2000年 | 60.3% 190,700 | 37.56% 118,804 |
1996年 | 46.49% 150,543 | 43.03% 139,333 |
1992年 | 40.66% 136,718 | 37.14% 124,888 |
1988年 | 52.85% 165,415 | 46.51% 145,560 |
1984年 | 63.0% 200,267 | 36.53% 116,113 |
経済[編集]
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/0/05/B-1B_Take_Off.jpg/220px-B-1B_Take_Off.jpg)
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/1/16/SDethnl1.jpg/220px-SDethnl1.jpg)
タックスヘイブン[編集]
サウスダコタ州の信託は、元配偶者や不満を抱いたビジネスパートナー、債権者、訴訟クライアントといった人々の請求から資産を保護する [102]。州税[編集]
2005年時点で、サウスダコタ州の一人当たり州税率は国内最低である[103]。個人や法人の所得税[104]、相続税[105]、あるいは無形資産税は徴収していない。消費税率は4%である。地方自治体などによって独自の加算が行われるので、6%を徴収するところもある。消費税はインディアン居留地に住むインディアンには適用されないが、多くの居留地は州と盟約を結んでいる。居留地内の企業は税を徴収し、郡内あるいは関連する地域に住む総人口に対するインディアン人口の比率に応じて、州はインディアン部族に還付金を戻している。従価資産税は地方税であり、教育学区、郡、自治体など地方政府にとって大きな財源になっている。サウスダコタ州特別税地区がたばこや酒類に関わる税などいくつかの税を規制している[106]。交通[編集]
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/5/54/Beaver_Creek_Bridge_in_Wind_Cave_National_Park.jpg/220px-Beaver_Creek_Bridge_in_Wind_Cave_National_Park.jpg)
教育[編集]
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/f/ff/Coughlin_Campanile_1.jpg/220px-Coughlin_Campanile_1.jpg)
単科及び総合大学[編集]
州知事が指名した理事で構成されるサウスダコタ州理事会が州内6つの公立大学を管理している。ブルッキングス市にあるサウスダコタ州立大学が州内最大の大学であり、学生数は12,376人である[121]。バーミリオン市のサウスダコタ大学は州内最古の大学であり、州内唯一の法科大学かつ医科大学である[122]。州内にはいくつかの私立大学もあり、そのうちの最大はスーフォールズ市にあるオーガスタナ大学である[121]。- オーガスタナ大学、スーフォールズ市
- ブラックヒルズ州立大学
- ダコタ州立大学
- ダコタ・ウェスレアン大学
- ヒューロン大学(2005年閉校)
- マウント・マーティ・カレッジ
- ナショナル・アメリカン大学
- ノーザン州立大学
- オグララ・ラコタ・カレッジ
- プレゼンテーション・カレッジ
- シント・グレスカ大学
- サウスダコタ工業工科学校
- サウスダコタ州立大学
- スーフォールズ大学
- サウスダコタ大学
- USDSU
- ヤンクトン・カレッジ(1984年閉校)
文化[編集]
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/1/10/Laura_Ingalls_Wilder.jpg/220px-Laura_Ingalls_Wilder.jpg)
スポーツチーム[編集]
- ラピッドシティ・フライングエースズ - インドアフットボール, National Indoor Football League
- スーフォールズ・カナリーズ - 野球, アメリカン・アソシエーション
- スーフォールズ・スカイフォース - バスケットボール, NBAデベロップメントリーグ
- スーフォールズ・スピットファイア - サッカー, USLプレミアデベロップメントリーグ
- スーフォールズ・ストーム - アリーナフットボール, Indoor Football League
その他[編集]
サウスダコタ州出身の有名人[編集]
- サウスダコタ州出身の有名人(英文)
- スパーキー・アンダーソン - 野球選手・監督 (アメリカ野球殿堂表彰者)
- ヒューバート・ハンフリー - 第38代アメリカ合衆国副大統領
- ジョージ・マクガヴァン - 政治家
- マーク・エリス - 野球選手
州の象徴など[編集]
- 州の鳥 - コウライキジ
- 州の魚 - ウォールアイ
- 州の花 - セイヨウオキナグサ
- 州の木 - ブラックヒルズトウヒ
- 州のモットー - "Under God, the people rule"
- 州のスローガン - Great Faces. Great Places.
- 州の愛称 - 「ラシュモア山の州」(公式)、「コヨーテ州」「サンシャイン州」(非公式
- 州の鉱物 - ローズクォーツ
- 州の昆虫 - セイヨウミツバチ
- 州の動物 - コヨーテ
- 州の宝石 - フェアバーンメノウ
- 州の歌 - "Hail, South Dakota!"
日本の姉妹都市[編集]
脚注[編集]
注釈[編集]
出典[編集]
参考文献[編集]
- Hasselstrom, Linda M. (1994). Roadside History of South Dakota. Missoula, MT: Mountain Press Publishing Company. ISBN 0878422625
- Schell, Herbert S. (2004). History of South Dakota. Pierre, SD: South Dakota State Historical Society Press. ISBN 0971517134
- Thompson, Harry F. (ed.) (2009). A New South Dakota History (Second ed.). Sioux Falls, SD: Center for Western Studies – Augustana College. ISBN 978-0-931170-00-3
- Lauck, Jon K. Prairie Republic:The Political Culture of Dakota Territory, 1879–1889 (University of Oklahoma Press;2010) 281 pages
- Wishart, David J. ed. Encyclopedia of the Great Plains, University of Nebraska Press, 2004, ISBN 0-8032-4787-7. complete text online;900 pages of scholarly articles
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
- 公式ウェブサイト
- South Dakota Tourism
- 在シカゴ日本国総領事館
- South Dakota State Databases – Annotated list of searchable databases produced by South Dakota state agencies and compiled by the Government Documents Roundtable of the American Library Association.
- Energy Profile for South Dakota
- USGS real-time, geographic, and other scientific resources of South Dakota
- U.S. Census Bureau
- South Dakota State Facts
- South Dakota State Historical Society Press Books and journals published by the State Historical Society
- サウスダコタ州 - Curlie
サウスダコタ州に関連する地理データ - オープンストリートマップ
- 地図 - Google マップ