「ザ・ピーナッツ」の版間の差分
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[[file:Amerikaanse trompetist Al Hirt met het Japanse zangduo The Peanuts, Bestanddeelnr 919-6264.jpg|thumb|right|300px|アメリカのジャズトランペット奏者{{仮リンク|アル・ハート|en|Al Hirt}}と。1966年]] |
[[file:Amerikaanse trompetist Al Hirt met het Japanse zangduo The Peanuts, Bestanddeelnr 919-6264.jpg|thumb|right|300px|アメリカのジャズトランペット奏者{{仮リンク|アル・ハート|en|Al Hirt}}と。1966年]] |
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'''ザ・ピーナッツ''' (The Peanuts) は、[[日本]]の[[双子]]の元[[女性]][[歌手]]([[デュオ]])、[[俳優|女優]]である。[[愛知県]][[知多郡]][[常滑町]](現・[[常滑市]])生まれ、同県[[名古屋市]]育ち |
'''ザ・ピーナッツ''' (The Peanuts) は、[[日本]]の[[双子]]の元[[女性]][[歌手]]([[デュオ]])、[[俳優|女優]]である。[[愛知県]][[知多郡]][[常滑町]](現・[[常滑市]])生まれ、同県[[名古屋市]]育ち{{efn|中日新聞1975年3月30日朝刊の名古屋でのさよなら公演の記事によると小学生時代に名古屋市[[中区 (名古屋市)|中区]][[大須|西大須]]に転居したとある。}}。略称「ピーナッツ」。 |
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発売したシングル、LPの累計売上は1000万枚以上に達する。 |
発売したシングル、LPの累計売上は1000万枚以上に達する。 |
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愛知県知多郡常滑町(現・常滑市)生まれ。ただしすぐに転居し、子供-学生時代は同県[[名古屋市]]で過ごす。 |
愛知県知多郡常滑町(現・常滑市)生まれ。ただしすぐに転居し、子供-学生時代は同県[[名古屋市]]で過ごす。 |
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愛知県名古屋市立西陵商業高等学校︵現・[[名古屋市立西陵高等学校]]︶を2年生の時に中途退学後、主に名古屋市内にあるレストラン﹁ザンビ﹂の経営者谷村一、専属バンドで演奏していた大浦郁夫に歌の指導を得て﹁'''伊藤シスターズ'''﹂名義で歌っていたが、[[1958年]]に渡辺プロダクション社長の[[渡辺晋|渡邊晋]]にスカウトされ上京 |
愛知県名古屋市立西陵商業高等学校︵現・[[名古屋市立西陵高等学校]]︶を2年生の時に中途退学後、主に名古屋市内にあるレストラン﹁ザンビ﹂の経営者谷村一、専属バンドで演奏していた大浦郁夫に歌の指導を得て﹁'''伊藤シスターズ'''﹂名義で歌っていたが、[[1958年]]に渡辺プロダクション社長の[[渡辺晋|渡邊晋]]にスカウトされ上京{{efn|最初は名ドラマーとして知られた[[ジミー竹内]]が渡邊に紹介したという。}}。同社長宅に下宿しつつ[[宮川泰]]に師事し、歌唱レッスンを受ける{{efn|社長宅には当時、事務所の先輩である[[浜村淳]]なども下宿していた。}}。
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=== デビュー === |
=== デビュー === |
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[[1959年]][[2月11日]]、﹁第2回 [[日本劇場|日劇]]コーラスパレード﹂で歌手デビュー |
[[1959年]][[2月11日]]、﹁第2回 [[日本劇場|日劇]]コーラスパレード﹂で歌手デビュー。4月、﹁可愛い花﹂で[[レコード]]デビュー。事務所はデビューより引退まで16年間一貫して[[渡辺プロダクション]]に所属。同社の専属タレント第1号であった{{R|画報118}}。[[レコード会社]]は各社の争奪戦となり、[[ビクターエンタテインメント|ビクターレコード]]{{efn|当時は独立した会社ではなく[[日本ビクター]]の一部門であった。}}と契約寸前まで達したが逆転され[[1959年]][[4月2日]]に[[キングレコード]]と[[契約]]した。
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1959年[[6月17日]]から[[1970年]][[3月31日]]まで[[フジテレビジョン|フジテレビ]]系の歌謡番組『[[ザ・ヒットパレード (テレビ番組)|ザ・ヒットパレード]]』のレギュラーに抜擢される。 |
1959年[[6月17日]]から[[1970年]][[3月31日]]まで[[フジテレビジョン|フジテレビ]]系の歌謡番組『[[ザ・ヒットパレード (テレビ番組)|ザ・ヒットパレード]]』のレギュラーに抜擢される。 |
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その後[[1961年]][[6月4日]]から[[1972年]][[10月1日]]まで[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]系の人気バラエティー番組『[[シャボン玉ホリデー]]』でメイン[[司会]]を務めた。 |
その後[[1961年]][[6月4日]]から[[1972年]][[10月1日]]まで[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]系の人気バラエティー番組『[[シャボン玉ホリデー]]』でメイン[[司会]]を務めた。 |
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﹃[[夜のヒットスタジオ]]﹄には[[1969年]]︵昭和44年︶[[1月13日]]に初出演︵曲は﹁ガラスの城﹂︶して以来、約6年間の間に40回に渡り出演。まだ﹁歌謡バラエティ﹂の色が強かった夜ヒットにおける常連歌手の一組であり、﹃シャボン玉ホリデー﹄での経験から当時の人気コーナー﹁歌謡ドラマ﹂にも率先して参加した。引退前最後の出演となった[[1975年]]︵昭和50年︶[[3月31日]]放送では番組史上初の﹁サヨナラ﹂企画が組まれ |
﹃[[夜のヒットスタジオ]]﹄には[[1969年]]︵昭和44年︶[[1月13日]]に初出演︵曲は﹁ガラスの城﹂︶して以来、約6年間の間に40回に渡り出演。まだ﹁歌謡バラエティ﹂の色が強かった夜ヒットにおける常連歌手の一組であり、﹃シャボン玉ホリデー﹄での経験から当時の人気コーナー﹁歌謡ドラマ﹂にも率先して参加した。引退前最後の出演となった[[1975年]]︵昭和50年︶[[3月31日]]放送では番組史上初の﹁サヨナラ﹂企画が組まれ{{efn|その後、[[山口百恵]]・[[南沙織]]・[[ピンク・レディー]]・[[石野真子]]・[[高田みづえ]]・[[森昌子]]などの引退・解散時にも行われ、同番組の名物企画となった。}}、[[ハナ肇]]、[[坂本スミ子]]、[[伊東ゆかり]]、[[中尾ミエ]]、こまどり姉妹ら歌手・タレント仲間が数多く駆けつけ﹁情熱の花﹂や﹁心の窓にともし灯を﹂など計4曲を熱唱した{{efn|夜ヒットでピーナッツが出演ていた時期の映像は殆ど現存していない。ただし、引退企画の回は現存していて同番組最終回でもその時に﹁情熱の花﹂を歌った映像が流された。}}。
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日本国外でも活躍し、『[[エド・サリヴァン・ショー]]』([[アメリカ合衆国|アメリカ]])や『[[カテリーナ・バレンテ・ショー]]』(当時の[[西ドイツ]]。現・[[ドイツ]])、『[[ダニー・ケイ・ショー]]』(アメリカ)<ref>[http://peanuts-holiday.jp/1966-11Impression.html ダニー・ケイ・ショーに出演して・・・]☆ピーナッツ・ホリデー☆</ref>にも出演したことがある。 |
日本国外でも活躍し、『[[エド・サリヴァン・ショー]]』([[アメリカ合衆国|アメリカ]])や『[[カテリーナ・バレンテ・ショー]]』(当時の[[西ドイツ]]。現・[[ドイツ]])、『[[ダニー・ケイ・ショー]]』(アメリカ)<ref>[http://peanuts-holiday.jp/1966-11Impression.html ダニー・ケイ・ショーに出演して・・・]☆ピーナッツ・ホリデー☆</ref>にも出演したことがある。 |
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また、女優活動も少ないながらも行っており、映画などにも数作出演。中でも『[[モスラ]]』での「[[小美人]]」役は |
また、女優活動も少ないながらも行っており、映画などにも数作出演。中でも『[[モスラ]]』での「[[小美人]]」役は2人のキャラクター性を活かした役柄であった{{R|画報118}}。 |
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[[和製ポップス]] |
[[和製ポップス]]{{efn|現代風に言えば﹁[[J-POP]]﹂と称されることもある。但し、若干意味合いが異なると定義されている。}}を[[海外]]公演などによって[[世界]]に広めた功績は大きく、特に当時の東西両ドイツや[[イタリア]]では、日本の歌手といえば即座に﹁ザ・ピーナッツ﹂と連想されるほどの活躍ぶりも高く評価された<ref>[http://peanuts-holiday.jp/Work_in_Germany.html ドイツで人気者 ザ・ピーナッツ]☆ピーナッツ・ホリデー☆</ref>。
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=== 引退 === |
=== 引退 === |
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[[1975年]][[2月18日]]に当時[[東京都]][[千代田区]][[有楽町]]の[[三信ビルヂング]]にあった渡辺プロダクション社屋 |
[[1975年]][[2月18日]]に当時[[東京都]][[千代田区]][[有楽町]]の[[三信ビルヂング]]にあった渡辺プロダクション社屋{{efn|[[2009年]]現在は[[渋谷区]]内に移転している。}}にて記者会見を開き、現役を引退することを表明した{{efn|引退自体は[[1972年]]頃より検討していた。}}。 |
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同年[[3月31日]]には番組開始時より数多く出演をした『[[夜のヒットスタジオ]]』(フジテレビ系)にて引退記念特集「さよならピーナッツ」 |
同年[[3月31日]]には番組開始時より数多く出演をした﹃[[夜のヒットスタジオ]]﹄︵フジテレビ系︶にて引退記念特集﹁さよならピーナッツ﹂{{efn|これが同番組での﹁サヨナラ﹂企画第1号とされている。ザ・ピーナッツは夜のヒットスタジオには通算40回出演している。}}が組まれ、続く[[4月5日]]には[[NHKホール]]において、[[高橋圭三]]司会で﹁さよなら公演﹂を興行{{efn|この当時は歌手の引退[[コンサート]]はまだ一般的ではなかった。また、歌手として史上初めてのさよならコンサートとも言われている。}}。
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この時、渡辺プロの主要[[タレント]]がほぼ総出で見届けていた。なお、このさよなら公演は3月から4月に掛けて[[大阪市|大阪]]・[[京都市|京都]]・[[名古屋市|名古屋]]でも行われていた。同公演を最後に[[芸能界]]を引退 |
この時、渡辺プロの主要[[タレント]]がほぼ総出で見届けていた。なお、このさよなら公演は3月から4月に掛けて[[大阪市|大阪]]・[[京都市|京都]]・[[名古屋市|名古屋]]でも行われていた。同公演を最後に[[芸能界]]を引退{{efn|その後同年[[4月13日]]の﹁さようならザ・ピーナッツ﹂、また同年[[5月25日]]に﹁最後の最後のザ・ピーナッツ﹂が[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]で放送されたが﹁さよなら公演﹂等のVTRを主としたものであり、ザ・ピーナッツは直接出演はしていない。}}。以後はほぼ公の場には姿を現すことはなかった{{efn|例外として1975年6月4日の[[比叡山延暦寺]]に於ける結婚式では一部メディアで報道されていた︵1987年1月の離婚時は不明︶。また、1987年1月に[[渡辺晋]]が死去した際、渡辺の葬儀には例外的に公の場に姿を現している。}}。
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=== 最終公演 === |
=== 最終公演 === |
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== エミとユミの相違点 == |
== エミとユミの相違点 == |
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; 双子の見分け方 |
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[[ほくろ]]のある方がエミ、ない方がユミ(最初期はユミも[[マジックインキ|マジック]]で付けほくろをしていた)。 |
: [[ほくろ]]のある方がエミ、ない方がユミ(最初期はユミも[[マジックインキ|マジック]]で付けほくろをしていた)。 |
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== エピソード == |
== エピソード == |
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*[[野球]]に興味があり、活動当時は姉妹揃って[[中日ドラゴンズ]]ファン、特に[[森徹]]のファンである。姉妹で過去に1度森を訪問したことがある。 |
*[[野球]]に興味があり、活動当時は姉妹揃って[[中日ドラゴンズ]]ファン、特に[[森徹]]のファンである。姉妹で過去に1度森を訪問したことがある。 |
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*ザ・ピーナッツの愛車は[[プリンス自動車工業|プリンス自動車]] |
*ザ・ピーナッツの愛車は[[プリンス自動車工業|プリンス自動車]]{{efn|後に[[日産自動車]]に吸収合併され現在会社は存在しないが、現在も日産販売店系列の名称に﹁日産プリンス﹂という形で名称が残っている。}}の桃︵ピンク︶色の車︵[[プリンス・グロリア|プリンス・グロリアデラックス]]︶であった。
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== 出演 == |
== 出演 == |
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*腰抜け女兵騒動(1961年1月26日、東宝) |
*腰抜け女兵騒動(1961年1月26日、東宝) |
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*飛び出した女大名(1961年4月16日、大映) |
*飛び出した女大名(1961年4月16日、大映) |
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*[[モスラ]](1961年7月30日、東宝) - [[小美人]] |
*[[モスラ]](1961年7月30日、東宝) - [[小美人]]{{efn|2003年の映画『[[ゴジラ×モスラ×メカゴジラ 東京SOS]]』でもライブフィルムでワンカット出演している。}} |
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*[[私と私]](1962年8月11日、東宝):主演映画 - 赤城増美(エミ)、山本まゆみ(ユミ)役 |
*[[私と私]](1962年8月11日、東宝):主演映画 - 赤城増美(エミ)、山本まゆみ(ユミ)役 |
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*[[夢で逢いましょ]](1962年9月15日、東宝) |
*[[夢で逢いましょ]](1962年9月15日、東宝) |
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*[[クレージー黄金作戦]](1967年4月29日、東宝=渡辺プロ) - 歌手 |
*[[クレージー黄金作戦]](1967年4月29日、東宝=渡辺プロ) - 歌手 |
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*[[クレージーメキシコ大作戦]](1968年4月27日、東宝=渡辺プロ) - メキシコショーの歌手 |
*[[クレージーメキシコ大作戦]](1968年4月27日、東宝=渡辺プロ) - メキシコショーの歌手 |
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また、2003年の映画『[[ゴジラ×モスラ×メカゴジラ 東京SOS]]』でもライブフィルムでワンカット出演している。 |
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== 音楽 == |
== 音楽 == |
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*[[可愛い花]](デビュー曲)/南京豆売り(1959年4月) |
*[[可愛い花]](デビュー曲)/南京豆売り(1959年4月) |
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*[[キサス・キサス]]/チャッキリ・チャ・チャ・チャ(1959年6月) |
*[[キサス・キサス]]/チャッキリ・チャ・チャ・チャ(1959年6月) |
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*[[情熱の花]] |
*[[情熱の花]]{{efn|[[歌詞]]は2種類存在している、オリジナルは{{仮リンク|カテリーナ・ヴァレンテ|en|Caterina Valente}}}}/米山さんから(1959年9月) |
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*[[乙女の祈り (ザ・ピーナッツの曲)|乙女の祈り]]/ばってん、ばってん、ばってんてん(1960年2月) |
*[[乙女の祈り (ザ・ピーナッツの曲)|乙女の祈り]]/ばってん、ばってん、ばってんてん(1960年2月) |
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*[[悲しき16才]] |
*[[悲しき16才]]{{efn|オリジナルは[[キャシー・リンデン]]}}/心の窓にともし灯を(1960年4月) |
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*[[月影のナポリ]] |
*[[月影のナポリ]]{{efn|[[森山加代子]]との競作、オリジナルはイタリアの歌手[[ミーナ・マッツィーニ|ミーナ]]。}}/白鳥の恋(1960年7月) |
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*パパはママにイカレてる |
*パパはママにイカレてる{{efn|森山加代子との競作。ただし歌詞違いであるので完全な競作ではない。また森山加代子版は題名が﹁パパはママがお好き﹂である。オリジナルは[[カテリーナ・ヴァレンテ]]。}}/[[マイ・ホーム・タウン]]{{efn|[[ダニー飯田とパラダイスキング]]との競作。ただし歌詞違いであるので完全な競作ではない。またダニー飯田とパラダイスキング版は題名が﹁恋のホームタウン﹂である。}}︵1960年10月︶
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*ジングル・ベル/サンタクロースがやってくる(1960年10月) |
*ジングル・ベル/サンタクロースがやってくる(1960年10月) |
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*清しこの夜/別れのワルツ(1960年10月) |
*清しこの夜/別れのワルツ(1960年10月) |
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*[[ルナ・ナポリターナ]] |
*[[ルナ・ナポリターナ]]{{efn|坂本九、西田佐知子、松島トモ子、島田マリとの競作。ただし歌詞違いであるので完全な競作ではない。また坂本九版は題名が「夢のナポリターナ」、松島トモ子版は「夢のナポレターナ」、島田マリ版は「夢のナポリターノ」である。}}/バイアの小道(1960年12月) |
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*17歳よさようなら/二人はしあわせ(1961年3月) |
*17歳よさようなら/二人はしあわせ(1961年3月) |
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*しあわせがいっぱい/マッダレーナおばあさん(1961年5月) |
*しあわせがいっぱい/マッダレーナおばあさん(1961年5月) |
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*[[スク・スク]] |
*[[スク・スク]]{{efn|ダニー飯田とパラダイスキングとの競作。ただし歌詞違いであるので完全な競作ではない。またパラキン版は題名が「パラキンのスクスク」である。}}/カカオの瞳(1961年8月) |
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*ペピト/[[ハロー・メリー・ルー|ヘロー・メリー・ルー]](1961年9月) |
*ペピト/[[ハロー・メリー・ルー|ヘロー・メリー・ルー]](1961年9月) |
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*[[コーヒールンバ|コーヒー・ルンバ]] |
*[[コーヒールンバ|コーヒー・ルンバ]]{{efn|[[西田佐知子]]との競作。ただし歌詞違いであるので完全な競作ではない。}}/シンデレラ(1962年1月) |
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*イエロー・バード/あなたに夢中(1962年1月) |
*イエロー・バード/あなたに夢中(1962年1月) |
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*君去りし夜/あなたなんかもういや(1962年4月) |
*君去りし夜/あなたなんかもういや(1962年4月) |
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*夕焼けのトランペット/[[ローマの恋]] |
*夕焼けのトランペット/[[ローマの恋]]{{efn|[[すぎやまこういち]]初のザ・ピーナッツ[[ソング]]作曲。}}(1962年5月) |
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*モスコーの夜は更けて/初恋のところ(1962年7月) |
*モスコーの夜は更けて/初恋のところ(1962年7月) |
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*イエスサリー/グッド・ラック・チャーム(1962年8月) |
*イエスサリー/グッド・ラック・チャーム(1962年8月) |
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*さいはての慕情/ジョニー・エンジェル(1962年9月) |
*さいはての慕情/ジョニー・エンジェル(1962年9月) |
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*[[レモンのキッス]]/恋のジューク・ボックス |
*[[レモンのキッス]]/恋のジューク・ボックス{{efn|森山加代子、[[ベニ・シスターズ]]との競作。}}(1962年12月) |
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*祇園小唄/深川くずし(1963年1月) |
*祇園小唄/深川くずし(1963年1月) |
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*夜霧に泣くブルース/トンボラ(1963年3月) |
*夜霧に泣くブルース/トンボラ(1963年3月) |
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*悲しきカンガルー |
*悲しきカンガルー{{efn|[[ダニー飯田とパラダイスキング]]との競作。}}/ノン・ムッシュ(1964年1月) |
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*赤いダイヤ(藤田まこと)/好きになっちゃっちゃった(共演:藤田まこと)(1964年9月) |
*赤いダイヤ(藤田まこと)/好きになっちゃっちゃった(共演:藤田まこと)(1964年9月) |
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*二人の恋人は?/スーヴェニール・東京(1965年3月) |
*二人の恋人は?/スーヴェニール・東京(1965年3月) |
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|rowspan="2" | [[1961年]]<br/>6月 || A<br/>面 || '''インファントの娘''' |
|rowspan="2" | [[1961年]]<br/>6月 || A<br/>面 || '''インファントの娘'''{{efn|[[東宝]]映画「[[モスラ]]」の挿入歌として使用されたが、劇中歌唱版とは曲の構成が異なっている。}} |
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|colspan="2" | [[梶田興治|池すすむ]] |
|colspan="2" | [[梶田興治|池すすむ]] |
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|rowspan="2" | [[宮川泰]] |
|rowspan="2" | [[宮川泰]] |
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|rowspan="2" | 1962年<br/>5月 || A<br/>面 || '''私と私''' |
|rowspan="2" | 1962年<br/>5月 || A<br/>面 || '''私と私'''{{efn|東宝映画「[[私と私]]」主題歌。}} |
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|rowspan="2" | [[永六輔]] |
|rowspan="2" | [[永六輔]] |
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|colspan="2" rowspan="2" | 中村八大 |
|colspan="2" rowspan="2" | 中村八大 |
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|rowspan="2" | [[1963年]]<br/>1月 || A<br/>面 || '''[[若い季節 (ザ・ピーナッツの曲)|若い季節]]''' |
|rowspan="2" | [[1963年]]<br/>1月 || A<br/>面 || '''[[若い季節 (ザ・ピーナッツの曲)|若い季節]]'''{{efn|[[日本放送協会|NHK]]の[[若い季節 (テレビドラマ)|同名テレビドラマ]]、及び東宝の[[若い季節 (映画)|同名映画]]の主題歌。}} || 永六輔 || [[桜井順]] || 宮川泰 |
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|rowspan="2" | EB-807<br/>KO6S-434 |
|rowspan="2" | EB-807<br/>KO6S-434 |
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|rowspan="2" | 1963年<br/>5月 || A<br/>面 || '''舞妓はん音頭''' |
|rowspan="2" | 1963年<br/>5月 || A<br/>面 || '''舞妓はん音頭'''{{efn|東宝映画「[[若い仲間たち うちら祇園の舞妓はん]]」主題歌。}} || 岩谷時子 |
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|colspan="2" | 宮川泰 |
|colspan="2" | 宮川泰 |
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| B<br/>面 || ポエトリー || M.Anthony<br/>P.Kaufman || [[東海林修]] |
| B<br/>面 || ポエトリー || M.Anthony<br/>P.Kaufman || [[東海林修]] |
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|rowspan="2" | 15 || A<br/>面 || '''[[ウナ・セラ・ディ東京]]'''{{efn|前年リリースした「[[ウナ・セラ・ディ東京|東京たそがれ]]」を再アレンジした楽曲。}} || 岩谷時子 || 宮川泰 |
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|rowspan="2" | 東海林修 |
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|rowspan="2" | [[1965年]]<br/>3月 || A<br/>面 || '''かえしておくれ今すぐに'''{{efn|当時未解決だった「[[吉展ちゃん誘拐殺人事件]]」の犯人に向けて作られた楽曲。}} || [[藤田敏雄]] || [[いずみたく]] |
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|rowspan="2" | [[1978年]]<br/>5月 || A<br/>面 || '''[[モスラの歌]]''' |
|rowspan="2" | [[1978年]]<br/>5月 || A<br/>面 || '''[[モスラの歌]]'''{{efn|東宝映画「モスラ」の主題歌として使用されたが、映画公開当時の[[1961年]]にレコードリリースは無かったため、映画公開から実に17年越しのリリースとなった。}} || [[田中友幸]]<br/>[[本多猪四郎]]<br/>[[関沢新一]] |
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|colspan="2" | [[古関裕而]] |
|colspan="2" | [[古関裕而]] |
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== その他 == |
== その他 == |
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{{雑多な内容の箇条書き|section=1|date=2013年6月}} |
{{雑多な内容の箇条書き|section=1|date=2013年6月}} |
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*[[ハナ肇とクレージーキャッツ]]、[[ザ・ドリフターズ]]とともに最強時代のナベプロを築き上げていた功績が評価されている。<br/>なお、クレージーとの共演は比較的多かったものの、ドリフとの共演はほとんどない。特に[[志村けん]]加入後の後者との共演は[[茶の間]]に出回っている出典に残る範囲では[[1975年]]︵昭和50年︶[[正月]]の[[新春かくし芸大会]]と前述の﹁さよなら公演﹂ |
*[[ハナ肇とクレージーキャッツ]]、[[ザ・ドリフターズ]]とともに最強時代のナベプロを築き上げていた功績が評価されている。<br/>なお、クレージーとの共演は比較的多かったものの、ドリフとの共演はほとんどない。特に[[志村けん]]加入後の後者との共演は[[茶の間]]に出回っている出典に残る範囲では[[1975年]]︵昭和50年︶[[正月]]の[[新春かくし芸大会]]と前述の﹁さよなら公演﹂{{efn|ただしドリフは会場で出迎えをしたのみ。}}、[[8時だョ!全員集合]]でのゲスト出演が数回ある程度である<ref>書籍﹁芸能ビジネスを創った男 〜渡辺プロとその時代〜﹂の表紙裏のページに[[1975年]]︵昭和50年︶の新春かくし芸大会の写真が掲載されている</ref>。{{efn|志村がドリフに加入したのはピーナッツ解散前年の[[1974年]]だった為。ピーナッツ解散後の[[1979年]]にドリフは渡辺プロから暖簾分けの形でドリフのマネージャーだった井沢健が設立した[[イザワオフィス]]に移籍している。}}
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*上記のような縁もあってか、ハナ肇が1993年に他界する直前にはハナの弟子である[[なべおさみ]]と共に看病に当たっていた<ref>野々山葉子『幸せだったね、ハナちゃん』(1994年9月、扶桑社、ISBN 4-594-01520-4)、なべおさみ『病室のシャボン玉ホリデー ハナ肇最期の29日間』(書籍版:文藝春秋社、2008年。文庫版:イースト・プレス、2014年、ISBN 9784781671222)より。</ref>。ハナは伊藤姉妹が見舞うたびに笑顔で「いつも済まないねえ」「おとっつぁん、それは言わない約束でしょ」と『シャボン玉ホリデー』のコントのセリフを繰り返していたという。 |
*上記のような縁もあってか、ハナ肇が1993年に他界する直前にはハナの弟子である[[なべおさみ]]と共に看病に当たっていた<ref>野々山葉子『幸せだったね、ハナちゃん』(1994年9月、扶桑社、ISBN 4-594-01520-4)、なべおさみ『病室のシャボン玉ホリデー ハナ肇最期の29日間』(書籍版:文藝春秋社、2008年。文庫版:イースト・プレス、2014年、ISBN 9784781671222)より。</ref>。ハナは伊藤姉妹が見舞うたびに笑顔で「いつも済まないねえ」「おとっつぁん、それは言わない約束でしょ」と『シャボン玉ホリデー』のコントのセリフを繰り返していたという。 |
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*同じ双子の歌手であった[[こまどり姉妹]]とはデビューした年も同一であったこともあり、公私共に交流があった。 |
*同じ双子の歌手であった[[こまどり姉妹]]とはデビューした年も同一であったこともあり、公私共に交流があった。 |
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**『[[シャボン玉ホリデー#スペシャルドラマ『シャボン玉の消えた日』|シャボン玉が消えた日]]』([[1989年]][[12月31日]]、[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]系) |
**『[[シャボン玉ホリデー#スペシャルドラマ『シャボン玉の消えた日』|シャボン玉が消えた日]]』([[1989年]][[12月31日]]、[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]系) |
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**:『[[シャボン玉ホリデー]]』の最終回の裏側を描いたドラマ。ちなみにWinkはその後、ザ・ピーナッツのヒット曲「ふりむかないで」をカバーしてシングルCDで発売した。 |
**:『[[シャボン玉ホリデー]]』の最終回の裏側を描いたドラマ。ちなみにWinkはその後、ザ・ピーナッツのヒット曲「ふりむかないで」をカバーしてシングルCDで発売した。 |
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*[[安倍なつみ]]、[[安倍麻美]] |
*[[安倍なつみ]]、[[安倍麻美]]{{efn|双子でないが、姉妹である。}} |
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**『[[ザ・ヒットパレード〜芸能界を変えた男・渡辺晋物語〜]]』([[2006年]][[5月26日]]・[[5月27日]]、[[フジテレビジョン|フジテレビ]]系で2夜連続放送) |
**『[[ザ・ヒットパレード〜芸能界を変えた男・渡辺晋物語〜]]』([[2006年]][[5月26日]]・[[5月27日]]、[[フジテレビジョン|フジテレビ]]系で2夜連続放送) |
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*[[堀内敬子]]、[[瀬戸カトリーヌ]] |
*[[堀内敬子]]、[[瀬戸カトリーヌ]] |
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**[[ミュージカル]]『ザ・ヒットパレード〜ショウと私を愛した夫〜』([[2007年]][[7月10日]] - [[7月30日]]、東京[[ル テアトル銀座]]にて公演) |
**[[ミュージカル]]『ザ・ヒットパレード〜ショウと私を愛した夫〜』([[2007年]][[7月10日]] - [[7月30日]]、東京[[ル テアトル銀座]]にて公演) |
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**:[[渡辺晋]]・[[渡辺美佐 (芸能事務所社長)|美佐]]夫妻の夫婦愛を軸に描くミュージカル。「恋のバカンス」「恋のフーガ」などといった懐かしのヒット曲を劇中で披露した。 |
**:[[渡辺晋]]・[[渡辺美佐 (芸能事務所社長)|美佐]]夫妻の夫婦愛を軸に描くミュージカル。「恋のバカンス」「恋のフーガ」などといった懐かしのヒット曲を劇中で披露した。 |
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*[[奈津子]]、[[亜希子]] |
*[[奈津子]]、[[亜希子]]{{efn|実際の双子の姉妹である。}} |
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**『[[ヒットメーカー 阿久悠物語]]』([[2008年]][[8月1日]]、日本テレビ系) |
**『[[ヒットメーカー 阿久悠物語]]』([[2008年]][[8月1日]]、日本テレビ系) |
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*瀬戸カトリーヌ、[[池田有希子]] |
*瀬戸カトリーヌ、[[池田有希子]] |
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**ミュージカル『ザ・ヒットパレード〜ショウと私を愛した夫〜』([[2009年]][[3月5日]] - [[3月25日]]、東京・ル テアトル銀座、[[4月1日]] - [[4月5日]]、大阪・[[シアターBRAVA!]]にて公演) |
**ミュージカル『ザ・ヒットパレード〜ショウと私を愛した夫〜』([[2009年]][[3月5日]] - [[3月25日]]、東京・ル テアトル銀座、[[4月1日]] - [[4月5日]]、大阪・[[シアターBRAVA!]]にて公演) |
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*[[鈴木みな・まりあ]] |
*[[鈴木みな・まりあ]]{{efn|実際の双子の姉妹である。}} |
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**『[[のぼせもんやけん#テレビドラマ|植木等とのぼせもん]]』([[2017年]][[9月2日]] - [[10月21日]]、[[NHK総合テレビジョン|NHK総合]]) |
**『[[のぼせもんやけん#テレビドラマ|植木等とのぼせもん]]』([[2017年]][[9月2日]] - [[10月21日]]、[[NHK総合テレビジョン|NHK総合]]) |
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**『[[越路吹雪物語]]』([[2018年]][[1月8日]] - [[3月30日]]、[[テレビ朝日]]) |
**『[[越路吹雪物語]]』([[2018年]][[1月8日]] - [[3月30日]]、[[テレビ朝日]]) |
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== 脚注 == |
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=== 注釈 === |
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* {{Cite book|和書|title=ゴジラ画報 東宝幻想映画半世紀の歩み|edition=第3版|date=1999-12-24|origdate=1993-12-21|publisher=[[竹書房]]|isbn=4-8124-0581-5|ref={{SfnRef|ゴジラ画報|1999}}}} |
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== 関連項目 == |
== 関連項目 == |
2021年11月21日 (日) 11:34時点における版
ザ・ピーナッツ | |
---|---|
![]() 1960年 | |
基本情報 | |
別名 | ピーナッツ |
出身地 |
![]() |
ジャンル |
和製ポップス 歌謡曲 (最初期には一部民謡も歌唱) |
活動期間 | 1959年2月11日 - 1975年4月5日 |
レーベル | キングレコード |
事務所 | 渡辺プロダクション |
メンバー |
伊藤エミ(ハーモニー) 伊藤ユミ(メロディー) |
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/6/61/Amerikaanse_trompetist_Al_Hirt_met_het_Japanse_zangduo_The_Peanuts%2C_Bestanddeelnr_919-6264.jpg/300px-Amerikaanse_trompetist_Al_Hirt_met_het_Japanse_zangduo_The_Peanuts%2C_Bestanddeelnr_919-6264.jpg)
人物
●姉 伊藤エミ︵本名、澤田[1] 日出代︵さわだ ひでよ︶︵旧姓、伊藤︶1941年︵昭和16年︶4月1日 - 2012年︵平成24年︶6月15日︶享年71。 ●妹 伊藤ユミ︵本名、伊藤 月子︵いとう つきこ︶1941年︵昭和16年︶4月1日 - 2016年︵平成28年︶5月18日[2]︶享年75。略歴
生い立ち
愛知県知多郡常滑町︵現・常滑市︶生まれ。ただしすぐに転居し、子供-学生時代は同県名古屋市で過ごす。 愛知県名古屋市立西陵商業高等学校︵現・名古屋市立西陵高等学校︶を2年生の時に中途退学後、主に名古屋市内にあるレストラン﹁ザンビ﹂の経営者谷村一、専属バンドで演奏していた大浦郁夫に歌の指導を得て﹁伊藤シスターズ﹂名義で歌っていたが、1958年に渡辺プロダクション社長の渡邊晋にスカウトされ上京[注釈 2]。同社長宅に下宿しつつ宮川泰に師事し、歌唱レッスンを受ける[注釈 3]。デビュー
1959年2月11日、﹁第2回 日劇コーラスパレード﹂で歌手デビュー。4月、﹁可愛い花﹂でレコードデビュー。事務所はデビューより引退まで16年間一貫して渡辺プロダクションに所属。同社の専属タレント第1号であった[3]。レコード会社は各社の争奪戦となり、ビクターレコード[注釈 4]と契約寸前まで達したが逆転され1959年4月2日にキングレコードと契約した。 1959年6月17日から1970年3月31日までフジテレビ系の歌謡番組﹃ザ・ヒットパレード﹄のレギュラーに抜擢される。 その後1961年6月4日から1972年10月1日まで日本テレビ系の人気バラエティー番組﹃シャボン玉ホリデー﹄でメイン司会を務めた。 ﹃夜のヒットスタジオ﹄には1969年︵昭和44年︶1月13日に初出演︵曲は﹁ガラスの城﹂︶して以来、約6年間の間に40回に渡り出演。まだ﹁歌謡バラエティ﹂の色が強かった夜ヒットにおける常連歌手の一組であり、﹃シャボン玉ホリデー﹄での経験から当時の人気コーナー﹁歌謡ドラマ﹂にも率先して参加した。引退前最後の出演となった1975年︵昭和50年︶3月31日放送では番組史上初の﹁サヨナラ﹂企画が組まれ[注釈 5]、ハナ肇、坂本スミ子、伊東ゆかり、中尾ミエ、こまどり姉妹ら歌手・タレント仲間が数多く駆けつけ﹁情熱の花﹂や﹁心の窓にともし灯を﹂など計4曲を熱唱した[注釈 6]。 日本国外でも活躍し、﹃エド・サリヴァン・ショー﹄︵アメリカ︶や﹃カテリーナ・バレンテ・ショー﹄︵当時の西ドイツ。現・ドイツ︶、﹃ダニー・ケイ・ショー﹄︵アメリカ︶[4]にも出演したことがある。 また、女優活動も少ないながらも行っており、映画などにも数作出演。中でも﹃モスラ﹄での﹁小美人﹂役は2人のキャラクター性を活かした役柄であった[3]。 和製ポップス[注釈 7]を海外公演などによって世界に広めた功績は大きく、特に当時の東西両ドイツやイタリアでは、日本の歌手といえば即座に﹁ザ・ピーナッツ﹂と連想されるほどの活躍ぶりも高く評価された[5]。引退
1975年2月18日に当時東京都千代田区有楽町の三信ビルヂングにあった渡辺プロダクション社屋[注釈 8]にて記者会見を開き、現役を引退することを表明した[注釈 9]。 同年3月31日には番組開始時より数多く出演をした﹃夜のヒットスタジオ﹄︵フジテレビ系︶にて引退記念特集﹁さよならピーナッツ﹂[注釈 10]が組まれ、続く4月5日にはNHKホールにおいて、高橋圭三司会で﹁さよなら公演﹂を興行[注釈 11]。 この時、渡辺プロの主要タレントがほぼ総出で見届けていた。なお、このさよなら公演は3月から4月に掛けて大阪・京都・名古屋でも行われていた。同公演を最後に芸能界を引退[注釈 12]。以後はほぼ公の場には姿を現すことはなかった[注釈 13]。最終公演
引退後
名付け親
グループ名は元・日本テレビのプロデューサー、井原高忠がグループ名、2人の芸名ともに名付けた。また、姉妹それぞれの芸名を付けたのは渡邊晋である[10]。エミとユミの相違点
双子の見分け方 ほくろのある方がエミ、ない方がユミ︵最初期はユミもマジックで付けほくろをしていた︶。 双子の性格の違い エミは本人によればおっちょこちょい、ユミによれば優しいが短気で周りによるとドジ気味。ユミはエミによると冷静で素直。 歌のパート ハーモニーがエミ、メロディーがユミで歌うのが通常のパターンである。エピソード
●野球に興味があり、活動当時は姉妹揃って中日ドラゴンズファン、特に森徹のファンである。姉妹で過去に1度森を訪問したことがある。 ●ザ・ピーナッツの愛車はプリンス自動車[注釈 14]の桃︵ピンク︶色の車︵プリンス・グロリアデラックス︶であった。出演
主なテレビ番組
●魅惑の宵︵初レギュラー番組︶ ●ザ・ヒットパレード ●シャボン玉ホリデーラジオ番組
●﹃ザ・ピーナッツ﹄︵ニッポン放送 1961年 - 1965年/朝帯番組︶映画
●素晴らしき十九歳︵1959年7月14日、松竹︶ ●実は熟したり︵1959年9月17日、大映) ●可愛い花︵1959年11月3日、日活︶ ●右門捕物帖 地獄の風車 ︵1960年3月1日、東映︶ - 風車売りの姉妹 ●女は抵抗する ︵1960年3月8日、大映︶ - 新人歌手 ●情熱の花︵1960年11月12日、日活︶ ●腰抜け女兵騒動︵1961年1月26日、東宝︶ ●飛び出した女大名︵1961年4月16日、大映︶ ●モスラ︵1961年7月30日、東宝︶ - 小美人[注釈 15] ●私と私︵1962年8月11日、東宝︶‥主演映画 - 赤城増美︵エミ︶、山本まゆみ︵ユミ︶役 ●夢で逢いましょ︵1962年9月15日、東宝︶ ●若い仲間たち うちら祇園の舞妓はん︵1963年6月30日、東宝︶‥主演映画 ●モスラ対ゴジラ︵1964年4月29日、東宝︶ - 小美人 ●三大怪獣 地球最大の決戦︵1964年12月20日、東宝︶ - 小美人 ●大冒険︵1965年10月31日、東宝=渡辺プロ︶ - クラブの歌手 ●クレージー黄金作戦︵1967年4月29日、東宝=渡辺プロ︶ - 歌手 ●クレージーメキシコ大作戦︵1968年4月27日、東宝=渡辺プロ︶ - メキシコショーの歌手音楽
シングル
カヴァー・ポップス作品
●可愛い花︵デビュー曲︶/南京豆売り︵1959年4月︶ ●キサス・キサス/チャッキリ・チャ・チャ・チャ︵1959年6月︶ ●情熱の花[注釈 16]/米山さんから︵1959年9月︶ ●乙女の祈り/ばってん、ばってん、ばってんてん︵1960年2月︶ ●悲しき16才[注釈 17]/心の窓にともし灯を︵1960年4月︶ ●月影のナポリ[注釈 18]/白鳥の恋︵1960年7月︶ ●パパはママにイカレてる[注釈 19]/マイ・ホーム・タウン[注釈 20]︵1960年10月︶ ●ジングル・ベル/サンタクロースがやってくる︵1960年10月︶ ●清しこの夜/別れのワルツ︵1960年10月︶ ●ルナ・ナポリターナ[注釈 21]/バイアの小道︵1960年12月︶ ●17歳よさようなら/二人はしあわせ︵1961年3月︶ ●しあわせがいっぱい/マッダレーナおばあさん︵1961年5月︶ ●スク・スク[注釈 22]/カカオの瞳︵1961年8月︶ ●ペピト/ヘロー・メリー・ルー︵1961年9月︶ ●コーヒー・ルンバ[注釈 23]/シンデレラ︵1962年1月︶ ●イエロー・バード/あなたに夢中︵1962年1月︶ ●君去りし夜/あなたなんかもういや︵1962年4月︶ ●夕焼けのトランペット/ローマの恋[注釈 24]︵1962年5月︶ ●モスコーの夜は更けて/初恋のところ︵1962年7月︶ ●イエスサリー/グッド・ラック・チャーム︵1962年8月︶ ●さいはての慕情/ジョニー・エンジェル︵1962年9月︶ ●レモンのキッス/恋のジューク・ボックス[注釈 25]︵1962年12月︶ ●祇園小唄/深川くずし︵1963年1月︶ ●夜霧に泣くブルース/トンボラ︵1963年3月︶ ●悲しきカンガルー[注釈 26]/ノン・ムッシュ︵1964年1月︶ ●赤いダイヤ︵藤田まこと︶/好きになっちゃっちゃった︵共演‥藤田まこと︶︵1964年9月︶ ●二人の恋人は?/スーヴェニール・東京︵1965年3月︶ ●かわいい小鳥/ブルーレディーに紅バラを︵1965年8月︶ ●乙女の涙/明日になれば︵1965年12月︶ ●シュガー・キャンディー/スパニッシュ・フリー︵1966年8月︶オリジナル作品
# | 発売日 | A面 B面 |
タイトル | 作詞 | 作曲 | 編曲 | 型番 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
1960年代 | |||||||
1 | 1961年 6月 |
A 面 |
インファントの娘[注釈 27] | 池すすむ | 宮川泰 | EB-7030 | |
B 面 |
草原情歌 | 劉俊南 青山梓 |
王洛賓 | ||||
2 | 1961年 8月 |
A 面 |
今池音頭 | 高橋掬太郎 | 飯田三郎 | 宮川泰 | EB-535 |
B 面 |
お城音頭 | - | |||||
3 | A 面 |
あれは十五の夏祭り | 岩谷時子 | 宮川泰 | EB-570 | ||
B 面 |
スク・スク・ドール | 青島幸男 | 中村八大 | 宮川泰 | |||
4 | 1962年 2月 |
A 面 |
いつも心に太陽を | 横井弘 | 中田喜直 | 宮川泰 | EB-7072 |
B 面 |
山小屋の太郎さん | 岩谷時子 | 宮川泰 | ||||
5 | A 面 |
ふりむかないで | 岩谷時子 | 宮川泰 | EB-7075 | ||
B 面 |
アテネの恋唄 | M.Hajidakis | 宮川泰 | ||||
6 | 1962年 5月 |
A 面 |
私と私[注釈 28] | 永六輔 | 中村八大 | EB-7088 | |
B 面 |
幸福のシッポ | ||||||
7 | 1962年 10月 |
A 面 |
手編みの靴下 | 竹内伸光 岩谷時子 |
宮川泰 | EB-7150 | |
B 面 |
二人の高原 | 岩谷時子 | |||||
8 | 1963年 1月 |
A 面 |
若い季節[注釈 29] | 永六輔 | 桜井順 | 宮川泰 | EB-807 KO6S-434 |
B 面 |
わたしの心はうわのそら | 竹内伸光 音羽たかし |
宮川泰 | ||||
9 | 1963年 4月 |
A 面 |
恋のバカンス | 岩谷時子 | 宮川泰 | EB-7196 | |
B 面 |
チャオ | あらかはひろし | G.Ferrio | 宮川泰 | |||
10 | 1963年 5月 |
A 面 |
舞妓はん音頭[注釈 30] | 岩谷時子 | 宮川泰 | SB-914 | |
B 面 |
わてら祇園の舞妓はん | 池すすむ | 萩原哲晶 | ||||
11 | 1963年 11月 |
A 面 |
東京たそがれ | 岩谷時子 | 宮川泰 | EB-987 | |
B 面 |
こっちを向いて | 秋元近史 | |||||
12 | 1964年 3月 |
A 面 |
キャンディー・ムーン | 安井かずみ | 宮川泰 | BS-7003 | |
B 面 |
ドミニク | 福地美穂子 | S.Sourire | 宮川泰 | |||
13 | 1964年 5月 |
A 面 |
ジューン・ブライド | 岩谷時子 | 宮川泰 | BS-9 | |
B 面 |
ほほにかかる涙 | 安井かずみ | R.Satti | 宮川泰 | |||
14 | 1964年 9月 |
A 面 |
青空の笑顔 | 安井かずみ | 宮川泰 | BS-7039 | |
B 面 |
ポエトリー | M.Anthony P.Kaufman |
東海林修 | ||||
15 | A 面 |
ウナ・セラ・ディ東京[注釈 31] | 岩谷時子 | 宮川泰 | 東海林修 | BS-7040 | |
B 面 |
知らなかった | 三田恭次 | P.Calvi | ||||
16 | 1964年 11月 |
A 面 |
マイ・ラヴ | 安井かずみ | 宮川泰 | BS-7053 | |
B 面 |
ブーベの恋人 | 漣健児 | C.Rustichelli | 東海林修 | |||
17 | 1965年 3月 |
A 面 |
かえしておくれ今すぐに[注釈 32] | 藤田敏雄 | いずみたく | 宮川泰 | BS-7085 |
B 面 |
ドンナ・ドンナ | 安井かずみ | S.Secunda | ||||
18 | 1965年 7月 |
A 面 |
あなたの胸に | 安井かずみ | 宮川泰 | BS-7102 | |
B 面 |
私を愛して | 漣健児 | J.Kennedy M.Singleton |
宮川泰 | |||
19 | 1966年 5月 |
A 面 |
愛は永遠に | 岩谷時子 | 宮川泰 | BS-7141 | |
B 面 |
花のささやき | 音羽たかし | C.Donida | 宮川泰 | |||
20 | 1966年 10月 |
A 面 |
ローマの雨 | 橋本淳 | すぎやまこういち | 服部克久 | BS-515 |
B 面 |
銀色の道 | 塚田茂 | 宮川泰 | ||||
21 | 1967年 5月 |
A 面 |
東京ブルー・レイン | 有馬三恵子 | 鈴木淳 | 宮川泰 | BS-641 |
B 面 |
しあわせの花を摘もう | 塚田茂 | 宮川泰 | ||||
22 | 1967年 8月 |
A 面 |
恋のフーガ | なかにし礼 | すぎやまこういち | 宮川泰 | BS-692 |
B 面 |
離れないで | 橋本淳 | 筒美京平 | ||||
23 | 1968年 2月 |
A 面 |
恋のオフェリア | なかにし礼 | 宮川泰 | BS-778 | |
B 面 |
愛のフィナーレ | ||||||
24 | 1968年 6月 |
A 面 |
恋のロンド | 橋本淳 | すぎやまこういち | 宮川泰 | BS-838 |
B 面 |
愛への祈り | すぎやまこういち | |||||
25 | 1968年 10月 |
A 面 |
ガラスの城 | なかにし礼 | 鈴木邦彦 | 森岡賢一郎 | BS-917 |
B 面 |
たった一度の夢 | 岩谷時子 | 宮川泰 | ||||
26 | 1969年 3月 |
A 面 |
悲しきタンゴ | なかにし礼 | すぎやまこういち | 宮川泰 | BS-958 |
B 面 |
愛しい人にさよならを | すぎやまこういち | |||||
27 | 1969年 7月 |
A 面 |
哀愁のヴァレンティーノ | なかにし礼 | すぎやまこういち | 宮川泰 | BS-1028 |
B 面 |
夕陽に消えた恋 | ||||||
28 | 1969年 9月 |
A 面 |
野いちご摘んで | 山口あかり | 田辺信一 | 小谷充 | BS-1075 |
B 面 |
ついて行きたい | ||||||
1970年代 | |||||||
29 | 1970年 3月 |
A 面 |
男と女の世界 | 山上路夫 | 沢田研二 | クニ河内 | BS-1157 |
B 面 |
しあわせの誓い | ||||||
30 | 1970年 7月 |
A 面 |
東京の女 | 山上路夫 | 沢田研二 | 宮川泰 | BS-1235 |
B 面 |
愛が終ったとき | クニ河内 | |||||
31 | 1970年 12月 |
A 面 |
大阪の女 | 橋本淳 | 中村泰士 | 森岡賢一郎 | BS-1300 |
B 面 |
青白いバラ | 山上路夫 | 沢田研二 | 宮川泰 | |||
32 | 1971年 5月 |
A 面 |
なんの気なしに | 山上路夫 | 沢田研二 | 宮川泰 | BS-1380 |
B 面 |
北国の恋 | ||||||
33 | 1971年 10月 |
A 面 |
サンフランシスコの女 | 橋本淳 | 中村泰士 | 高田弘 | BS-1442 |
B 面 |
ロンリー香港 | 岩谷時子 | 宮川泰 | ||||
34 | 1972年 3月 |
A 面 |
リオの女 | 橋本淳 | 中村泰士 | 高田弘 | BS-1505 |
B 面 |
恋のカーニバル | 安井かずみ | |||||
35 | 1972年 8月 |
A 面 |
さよならは突然に | 山上路夫 | 鈴木邦彦 | BS-1584 | |
B 面 |
夜行列車 | ||||||
36 | 1973年 2月 |
A 面 |
指輪のあとに | 安井かずみ | 加瀬邦彦 | 馬飼野俊一 | BS-1636 |
B 面 |
最終便 | ||||||
37 | 1973年 7月 |
A 面 |
情熱の砂漠 | 山上路夫 | 加瀬邦彦 | 星勝 | BS-1734 |
B 面 |
あの時、もし | 安井かずみ | |||||
38 | 1974年 1月 |
A 面 |
気になる噂 | 山上路夫 | 加瀬邦彦 | 星勝 | BS-1789 |
B 面 |
ひとり暮し | ||||||
39 | 1974年 4月 |
A 面 |
愛のゆくえ | 荒木とよひさ | 加瀬邦彦 | 宮川泰 | BS-1827 |
B 面 |
さよならは微笑んで | 山上路夫 | |||||
40 | 1974年 9月 |
A 面 |
お別れですあなた | 千家和也 | すぎやまこういち | BS-1868 | |
B 面 |
季節めぐり | ||||||
41 | 1975年 3月 |
A 面 |
浮気なあいつ | 山口洋子 | 宮川泰 | BS-1917 | |
B 面 |
よこがお | 宮川泰 | 森岡賢一郎 | ||||
42 | 1978年 5月 |
A 面 |
モスラの歌[注釈 33] | 田中友幸 本多猪四郎 関沢新一 |
古関裕而 | TV-41 | |
B 面 |
インファントの娘 | 池すすむ | 古関裕而 |
シングル以外
- ふたりの四季(ABCホームソングとして制作・放送。後に梓みちよが、3番をカットしたものを「ポカンポカン」のタイトルでカバーしヒット)
- 砂に消えた涙(弘田三枝子、伊東ゆかりなどとの競作)
- オー・シャンゼリーゼ
- スター・ダスト
- 白い恋人たち(1968年グルノーブルオリンピックの同名記録映画主題曲の日本語訳歌唱)
- 昭和フォーティーズ~ザ・ピーナッツ・オン・ステージ(ヒット曲や洋楽カバーなどを収録したライブ盤、1972年)
みんなのうた
CMソング
コマーシャルソングの一部を記述。 ●日立キドカラーの歌 ●小田急ピポーの電車 ●オークラ・コロコンの唄 ●キッコーマンの歌 ●レナウンの唄︵﹁ワンサカ娘﹂︵弘田三枝子︶が発表される前はザ・ピーナッツの歌が使用されていた︶ ●エーワンベーカリーのうた ●プリンス自動車の歌 ●日本テレビの歌 ●QRソング︵文化放送︶ ●資生堂ミラクルの歌 ●ハマフォームポーリーの唄︵横浜ゴム︶ ●しるこサンド ●マルゴのタナベ︵田辺製薬︵現・田辺三菱製薬︶︶ など。放送番組向けソング
●ミュージックフェア民謡
民謡関連の一部の曲目を記述。 ●ばってん、ばってん、ばってんてん︵おてもやん︶ ●お城音頭/今池音頭 ●米山さんから︵三階節︶ ●ちゃっきり、ちゃ、ちゃ、ちゃ︵ちゃっきり節︶ ●五木の子守唄 ●八木節 ●斎太郎節 など。クリスマスソング
●清しこの夜 ●ジングル・ベル ●サンタクロースがやってくる/サンタが町にやってくる ●ホワイト・クリスマスその他
●別れのワルツ支えた裏方達
ザ・ピーナッツ担当のマネージャーは基本的に幹部候補生を数名抜擢した。これらの担当者は後年、渡辺プロで、あるいは独立し、それぞれが芸能界で大成している。- 主なマネージャー
- 松下治夫(渡辺プロダクション元社員) - 芸能プロ・ワイズメン代表
- 諸岡義明(渡辺プロダクション社員(現・取締役)、後にキャンディーズも担当する)
- 池田道彦(渡辺プロダクション元社員) - 元・アトリエ・ダンカン代表取締役
- 大里洋吉(渡辺プロダクション元社員) - 株式会社アミューズ代表取締役会長
NHK紅白歌合戦出場歴
年度/放送回 | 回 | 曲目 | 出演順 | 対戦相手 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
1959年(昭和34年)/第10回 | 初 | 情熱の花 | 07/25 | 和田弘とマヒナ・スターズ | |
1960年(昭和35年)/第11回 | 2 | 悲しき16才 | 11/27 | 和田弘とマヒナ・スターズ(2) | |
1961年(昭和36年)/第12回 | 3 | スク・スク | 19/25 | ダーク・ダックス | |
1962年(昭和37年)/第13回 | 4 | ふりむかないで | 05/25 | ダーク・ダックス(2) | |
1963年(昭和38年)/第14回 | 5 | 恋のバカンス | 22/25 | デューク・エイセス | |
1964年(昭和39年)/第15回 | 6 | ウナ・セラ・ディ東京 | 24/25 | 坂本九 | トリ前 |
1965年(昭和40年)/第16回 | 7 | ロック・アンド・ロール・ミュージック | 21/25 | デューク・エイセス(2) | |
1966年(昭和41年)/第17回 | 8 | ローマの雨 | 16/25 | ジャッキー吉川とブルーコメッツ | |
1967年(昭和42年)/第18回 | 9 | 恋のフーガ | 22/23 | アイ・ジョージ | トリ前(2) |
1968年(昭和43年)/第19回 | 10 | ガラスの城 | 06/23 | 西郷輝彦 | |
1969年(昭和44年)/第20回 | 11 | ウナ・セラ・ディ東京(2回目) | 20/23 | フランク永井 | |
1970年(昭和45年)/第21回 | 12 | 東京の女 | 03/24 | 野村真樹 | |
1971年(昭和46年)/第22回 | 13 | サンフランシスコの女 | 18/25 | 堺正章 | |
1972年(昭和47年)/第23回 | 14 | さよならは突然に | 11/23 | ビリー・バンバン | |
1973年(昭和48年)/第24回 | 15 | ウナ・セラ・ディ東京(3回目) | 12/22 | 上條恒彦 | |
1974年(昭和49年)/第25回 | 16 | ブギウギ・ビューグル・ボーイ | 20/25 | 布施明 |
- 対戦相手の歌手名の()内の数字はその歌手との対戦回数、備考のトリ等の次にある()はトリ等を務めた回数を表す。
- 曲名の後の(○回目)は紅白で披露された回数を表す。
- 出演順は「(出演順)/(出場者数)」で表す。
その他
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