「デヴィッド・ボウイ」の版間の差分
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'''デヴィッド・ |
'''デヴィッド・ボウイ'''︵{{Lang-en|David Bowie}}、[[1947年]][[1月8日]] - [[2016年]][[1月10日]]<ref>{{Cite web |date=2016-01-10 |url=https://www.facebook.com/davidbowie/posts/10153176666977665 |title=David Bowie - January 10 2016 - David Bowie died peacefully today... |publisher=David Bowie Official |accessdate=2016-01-11}}</ref>︶は、[[イングランド]]出身の[[ロック (音楽)|ロック]][[音楽家|ミュージシャン]]、[[シンガーソングライター]]、[[俳優]]。本名はデヴィッド・ロバート・ジョーンズ︵{{Lang-en|David Robert Jones}}︶。
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[[グラムロック]]の先駆者として台頭し、[[ポピュラー音楽]]の分野で世界的名声を得た。役者の世界にも進出し、数々の受賞実績を持つ[[マルチタレント|マルチ・アーティスト]]として知られている<ref>{{Cite web|和書|title=プリンスが影響を受けたアーティスト10選!|url=https://tsutaya.tsite.jp/guide/music/playlist/001799.html|website=T-SITE|accessdate=2021-01-20|language=ja}}</ref>。 |
[[グラムロック]]の先駆者として台頭し、[[ポピュラー音楽]]の分野で世界的名声を得た。役者の世界にも進出し、数々の受賞実績を持つ[[マルチタレント|マルチ・アーティスト]]として知られている<ref>{{Cite web|和書|title=プリンスが影響を受けたアーティスト10選!|url=https://tsutaya.tsite.jp/guide/music/playlist/001799.html|website=T-SITE|accessdate=2021-01-20|language=ja}}</ref>。 |
2024年5月15日 (水) 07:47時点における版
デヴィッド・ボウイ | |
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1983年 キャリア最大ヒットのアルバム『レッツ・ダンス』発表時期のボウイ | |
基本情報 | |
出生名 | デヴィッド・ロバート・ジョーンズ |
別名 |
|
生誕 | 1947年1月8日 |
出身地 | イングランド ロンドン ブリクストン |
死没 | |
ジャンル | |
職業 | |
担当楽器 | |
活動期間 | 1964年 - 2016年 |
レーベル | |
公式サイト | デヴィッド・ボウイ公式サイト |
デヴィッド・ボウイ | |
---|---|
出身地 | イングランド ロンドン ブリクストン |
主な作品 | |
『地球に落ちて来た男』 『ハンガー』 『戦場のメリークリスマス』 『ラビリンス/魔王の迷宮』 『最後の誘惑』 『バスキア』 『プレステージ』 |
生涯
生い立ちから初ヒット
1947年1月8日、イギリスのロンドン南部ブリクストンにケント出身でウェイトレスをしていたマーガレット・マリー︵英語: Margaret Mary、1913年 - 2001年︶と、ヨークシャー出身で子供のためのチャリティー団体バーナード・ホームズで広報活動をしていたヘイウッド・ステントン・ジョーンズ︵英語: Haywood Stenton Jones、1912年 - 1969年︶[10]の間に生まれた。本名はデヴィッド・ロバート・ヘイウッド・ジョーンズ。一家は、ロンドン南部のブリクストンとストックウェルの境界に近い、40 Stansfield Roadに住み、ボウイは6歳になるまでストックウェルの幼児学校に通っていたが、1953年に一家はブロムリーの郊外に引っ越す。 子供の頃から、音楽好きの父親が買ってくるフランキー・ライモン&ザ・ティーンエイジャーズ、プラターズ、ファッツ・ドミノ、リトル・リチャード、エルヴィス・プレスリーなどの、アメリカのポピュラー・ロック音楽に親しむ[11][12]。 ボウイは、異父兄であるテリー・バーンズ︵英語: Terry Burns︶の影響でモダンジャズに関心を持ち、特にチャールズ・ミンガスやジョン・コルトレーンにあこがれた。14歳になった1961年に、母親はプラスチック製のアルト・サックスを贈り、その後さっそく地元のミュージシャンにレッスンを受ける[13]。 1962年、ボウイは重傷を負う。学校でガールフレンドを巡る喧嘩を起こし、その際に彼の友人のジョージ・アンダーウッドが左目を殴ったために、4か月の入院と数度にわたる手術をその左目に受ける羽目になった[14]。結果として医師は、ボウイの視力は完全に回復しそうもなく、左目の知覚能力は不完全で、常に瞳孔が散大した状態であり続けることを確認した。ボウイの虹彩の色が左右で違うのは目を殴られたためとの説があるが、先天性の虹彩異色症によるものである。この一件にもかかわらず、二人の友達づきあいはそれからも続き、アンダーウッドはボウイの初期のアルバムのアートワークを制作した[15]。 1962年ボウイが15歳の時に、プラスチック製のアルト・サックスを卒業して、本物の楽器を扱うようになり、彼にとっての最初のバンド﹁コンラッズ︵英語: Konrads︶﹂を結成した。このバンドではギターかベースを担当し、主な演奏場所は若者の集まりか、あるいは結婚式であった。バンドのメンバーは概ね4人から8人の間で、中にボウイとガールフレンドを取り合ったアンダーウッドも居た[16]。 1964年6月5日に﹁ディヴィー・ジョーンズ・アンド・ザ・キング・ビーズ︵英語: Davie Jones with the King Bees︶﹂名義で最初のシングル﹁リザ・ジェーン ︵英語: Liza Jane︶﹂を発表[17]。しばらくはヒットに恵まれず、﹁ザ・マニッシュ・ボーイズ︵英語: the Manish Boys︶﹂﹁ディヴィー・ジョーンズ・アンド・ザ・ロウアー・サード︵英語: Davy Jones & the Lower 3rd︶﹂[18]などと名を変えたが、モンキーズのボーカリストであるデイビー・ジョーンズと紛らわしいことから[19]、1966年4月のシングル﹁Do Anything You Say﹂から使い始めた﹁デヴィッド・ボウイ﹂でやっと芸名が定着することになる。このボウイの名前は19世紀に活躍したアメリカの開拓者であるジェームズ・ボウイと、彼が愛用していたナイフであるボウイ・ナイフから取られた[20]。グラム・ロック時代
アメリカ時代
ベルリン時代
カルト・スターとの決別
ティン・マシーン時代
ソロ活動再開
1991年に﹃ティン・マシーンII﹄を発表。この後、現在までティン・マシーンのアルバムはリリースされておらず、正式な解散発表はないものの、事実上の解散状態となる。 1993年にモデルのイマン・アブドゥルマジドと再婚。そして、ナイル・ロジャースと再び組んで6年ぶりのソロアルバム﹃ブラック・タイ・ホワイト・ノイズ﹄を発表、﹃トゥナイト﹄以来9年ぶりに全英1位を獲得する。1995年に今度はブライアン・イーノと再び組んで﹃アウトサイド﹄をリリース。その後、1997年に﹃アースリング﹄、1999年に﹃アワーズ…﹄をリリースする。 メジャーなロック・スターに珍しく、1990年代のボウイはコンスタントに新しい作品の発表とツアー活動を行い、時代の実験的なアプローチを導入した。病気療養と引退報道
突然の復帰、そして死
2013年1月8日、ボウイの66歳となる誕生日に突如、新曲﹁ホエア・アー・ウィー・ナウ?﹂と10年ぶりとなる新作﹃ザ・ネクスト・デイ﹄を3月に発売すると発表。先行シングルの﹁ホエア・アー・ウィー・ナウ?﹂は全世界119か国のiTunes Storeにて一斉配信開始され、リリースから24時間で27か国のiTunesチャート1位になった[24]。 ボウイ重病説を信じたエコー&ザ・バニーメンのフロントマン、イアン・マッカロクは、彼は亡くなるものだと思い込み、トリビュート・ソングを作っていたため、突然のカムバックに驚かされたらしい[25]。 2015年、自身が1976年に主演した映画﹃地球に落ちて来た男﹄が舞台化され、自身もプロデュースを担当することが発表される。舞台化作品のために、新曲の書きおろしと、過去の楽曲がアレンジされて提供される[26]。人物
家族
最初の妻は、モデル出身のメアリー・アンジェラ・バーネットと1970年に結婚。翌年、長男 ダンカン・ジョーンズ︵現・映画監督︶を授かる。1980年に離婚。1992年にスーパーモデル、イマン・アブドゥルマジドと再婚。2000年に長女 アレクサンドリア・ザーラ・ジョーンズ︵英語: Alexandria Zahra Jones︶が生まれている[32]。-
長男 ダンカン・ジョーンズ(2009年)
-
後妻 イマン・アブドゥルマジド(2009年)
音楽家としてのボウイ
役者としてのボウイ
思想
過去の︽バウンス︾誌によれば、ボウイは60年代のヒッピーに激怒したことがある。ボウイはヨーロッパの芸術、貴族への憧憬を持ち続けた。それがエスカレートしたのか、70年代にファシズム支持発言をしている。1974年にボウイは﹁イギリスはファシズムのリーダーになる用意がある﹂[35]との問題発言をおこなった。後にファシズムへの傾倒は﹁浮気﹂だったこと等を、明かしている。1976年の︽プレイボーイ︾誌のインタビューでは﹁ロック・スターは皆、ファシスト﹂﹁ヒットラーはロック・スターだった﹂[35]と再度の問題発言をしている。同時期に、エリック・クラプトンも人種差別的な発言をしており[注 2]、そうしたクラプトンやボウイの問題発言に激しく反発した若者を中心とする人々は、﹁ロック・アゲインスト・レイシズム﹂の運動を実施した[39]。 1980年代以降、ボウイは反人種差別と反ファシズムに急激にシフトした。1983年、MTVのアンカーマークグッドマンとのインタビュー[40][41]で、ボウイはMTVが黒人ミュージシャンのミュージックビデオをゴールデンタイムに全くオンエアしないことを批判し、グッドマンが理由の1つとして﹁アメリカ中西部の市民にはTVに黒人が映るとびっくりする人たちがいるため配慮している﹂と述べた際に目に見えて不快になった。﹃チャイナガール﹄と﹃レッツ・ダンス﹄のミュージックビデオは、ボウイによって人種差別に対する﹁非常に単純で非常に直接的な﹂意見の表現だとされた。親日家
栄典および受賞等
フランス
1999年 フランス芸術文化勲章コマンドール[52][53]米国
1999年 バークリー音楽院名誉音楽博士号[54]献名
●David Bowie Spider︵Heteropoda davidbowie︶‥アシダカグモ科のクモの一種。キャメロンハイランドからマレー半島、タイ、シンガポールに生息する。2008年にドイツの生物学者ペーター・イェーガーが発見。種小名のdavidbowieはデヴィッド・ボウイの﹃The Rise And Fall Of Ziggy Stardust And The Spiders From Mars﹄にちなんで献名された[55][56]。音楽作品
出演
日本のテレビ番組
●1983年10月の来日公演時に、テレビ朝日の60分の﹃戦メリ﹄ボウイ特番﹃独占!!デヴィッド・ボウイ﹄に、大島渚らと共に出演した。司会は、山本コウタローとジュディ・オングが務めた。 ●1992年1月29日から2月17日までの3週間、ティン・マシーンで来日公演を行った際、テレビ東京の﹃タモリの音楽は世界だ﹄、日本テレビの﹃鶴ちゃんのプッツン5﹄に出演し、両番組内ともに、口パクで﹁Baby Universal﹂を披露した。 ●MTV、"I want my MTV"・キャンペーン︵1983年 - 1985年、アメリカ、楽曲﹁モダン・ラヴ﹂︶日本公演
●1973年 Ziggy Stardust Tour ●4月8・10・11日‥東京厚生年金会館、12日‥名古屋市公会堂、14日‥広島郵便貯金ホール、16日‥神戸国際会館、17日‥大阪厚生年金会館、18日・20日‥渋谷公会堂 ●1978年 Isolar II Tour ●12月6・7日‥大阪厚生年金会館、9日‥万博記念公園、11日‥日本武道館、12日‥NHKホール ●1983年 Serious Moonlight Tour ●10月20・21・22・24日‥日本武道館、25日‥横浜スタジアム、26・27日‥大阪府立体育会館、29日‥名古屋市国際展示場、30日‥万博記念公園、31日‥京都府立体育館 ●1990年 Sound + Vision Tour ●5月15・16日‥東京ドーム ●1992年 Tin Machine It's My Life Tour ●1月29日‥京都会館、30・31日‥大阪フェスティバルホール、2月2日‥九州厚生年金会館、3日‥メルパルクホール広島、5・6日‥NHKホール、7日‥神奈川県立県民ホール、10・11日‥北海道厚生年金会館、13日‥仙台サンプラザ、14日‥大宮ソニックシティ、17日‥NHKホール ●1996年 Outside Tour ●6月4・5日‥日本武道館、7日‥名古屋センチュリーホール、8日‥広島厚生年金会館、10日‥大阪城ホール、11日‥九州厚生年金会館、13日‥福岡サンパレス ●2004年 A Reality Tour ●3月8・9日‥日本武道館、11日‥大阪城ホールボウイを描いた作品
●スターダスト (2020年の映画) - ガブリエル・レンジ監督のイギリス・カナダ合作映画。 ●世界的名声を得る直前のボウイに焦点を当て、自らの世界を確立しようともがく彼の苦悩と葛藤に加え、アルバム﹁ジギー・スターダスト﹂の誕生秘話を描いた伝記映画[57]。脚注
注釈
出典
参考文献
●デヴィッド, ボウイ﹃デヴィッド・ボウイ詩集―スピード・オヴ・ライフ﹄古川貴之︵翻訳︶、シンコーミュージック、2002年。ISBN 978-4401617623。 ●マーク, ペイトレス﹃BOWIE STYLE﹄Yuki Hashimoto︵翻訳︶、TOKYO FM 出版、2003年。ISBN 978-4887450783。 ●﹃アーカイヴ・シリーズ No.12 デヴィッド・ボウイ﹄シンコーミュージック、2004年。ISBN 978-4401618484。 ●スローガン﹃デヴィッド・ボウイ・ファイル﹄シンコーミュージック、2006年。ISBN 978-4401619764。 ●バックレー, デヴィッド﹃全曲解説シリーズ(7) デヴィッドボウイ﹄前むつみ︵翻訳︶、森幸子︵翻訳︶、シンコーミュージック、2006年。ISBN 978-4401630264。 ●吉村栄一﹃評伝デヴィッド・ボウイ 日本に降り立った異星人(スターマン)﹄DU BOOKS、2017年。ISBN 978-4866470085。外部リンク
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- イングランドのポップ歌手
- イングランドのロック歌手
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- 20世紀イングランドの俳優
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- コロムビア・レコードのアーティスト
- RCAレコードのアーティスト
- デッカ・レコードのアーティスト
- バイセクシュアルの音楽家
- バイセクシュアルの男性
- グラミー賞受賞者
- ブリット・アワード受賞者
- エクスペリメンタル・ポップ・ミュージシャン
- グラムロック
- ディスコ
- ハリウッド・ウォーク・オブ・フェーム
- ロックの殿堂入りの人物
- 隻眼の人物
- 在アメリカ合衆国イギリス人
- 肝癌で亡くなった人物
- ランベス区出身の人物
- 1947年生
- 2016年没