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2022年2月12日 (土) 08:28時点における版

僧正遍昭(狩野探幽『三十六歌仙額』)

7816 - 2119890212   [1]

経歴


1284513846284938503

118698851218寿殿70[2]

289011975

歌風

遍昭は『古今和歌集仮名序において、紀貫之が「近き世にその名きこえたる人」として名を挙げた六歌仙の一人である。貫之による遍昭の評は以下の通りである。

僧正遍昭は、歌のさまは得たれどもまことすくなし。 (現代語訳:僧正遍昭は、歌の風体や趣向はよろしいが、真情にとぼしい。)

遍昭の歌風は出家前と出家後で変化しており、出家後は紀貫之が評したように物事を知的にとらえ客観的に描き出す歌を多く作ったが、出家前には情感あふれる歌も詠んでいる。特に『百人一首』にもとられている「天つ風雲の通ひ路吹きとぢよ をとめの姿しばしとどめむ」には遍昭の真情が現れているといえよう。 『古今和歌集』(16首)以下の勅撰和歌集に35首入集[3]。家集に『遍照集』があるが、三代集から遍昭作の歌をひいて編集したもので、遍昭の独自性はない。          

  • すゑの露 もとのしづくや 世の中の おくれ先だつ ためしなるらん
  • 天つ風 雲の通ひ路 吹きとぢよ をとめの姿 しばしとどめむ    

説話

僧正遍昭


系譜

良岑氏系図


官歴




11844 [5]

12845 711

13846 13

2849 [6]

3850 73223

3879 [5]

8851023[5]

2890 19

脚注

  1. ^ 日本文徳天皇実録』嘉祥3年3月28日条による。『尊卑分脈』では正四位下・左少将、「良峰氏系図」(『続群書類従』所収)では右少将とする。
  2. ^ 『日本三代実録』
  3. ^ 『勅撰作者部類』
  4. ^ 「良峰氏系図」(『続群書類従』巻174 所収)による。子孫を尾張国丹羽郡の良峰氏とするが、この氏は丹羽郡領家である椋橋宿禰であり、素性の俗名である玄利との名の相似から、桓武天皇裔の良峰氏を仮冒したものと考えられる(宝賀寿男『古代氏族系譜集成』古代氏族研究会,1986年 による)。
  5. ^ a b c 『三十六人歌仙伝』
  6. ^ 『蔵人補任』

関連項目