ミクロネシア連邦
- ミクロネシア連邦
- Federated States of Micronesia
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(国旗) (国章) - 国の標語:Peace Unity Liberty
(英語: 平和、連帯、自由) - 国歌:Patriots of Micronesia(英語)
ミクロネシアの愛国者 -
公用語 英語 首都 パリキール 最大の都市 ウェノ 独立
- 日付アメリカ合衆国の信託統治領から
1986年11月3日通貨 アメリカ合衆国ドル(USD) 時間帯 UTC(+10〜11) (DST:なし) ISO 3166-1 FM / FSM ccTLD .fm 国際電話番号 691
国名[編集]
正式名称は、Federated States of Micronesia。略称、FSM。単なる Micronesia は、この国を含むさらに広い地域全体の公式名称であるが、しばしば、この国を指す言葉としても用いられる。 日本語の表記はミクロネシア連邦。通称ミクロネシア。英語での発音はマイクロニージャ[ˌmaɪkroʊˈniːʒə] である。歴史[編集]
先史時代[編集]
スペイン・ドイツ統治時代[編集]
1525年、香料諸島︵インドネシア︶を目指して航海していたポルトガルの探検隊がヤップ島本島とユリシー島を﹁発見﹂。1529年、スペインの探検隊がカロリン諸島を﹁発見﹂し、大航海時代にはスペインを中心とした国の中継点となり、ヤップ島にはスペイン植民地政府が設置され、1595年にマリアナ諸島とカロリン諸島がスペインの領土と宣言された。しかし、キリスト教の布教以外に実際の統治は行われなかった。コスラエは、1824年にフランス船が入港したのがヨーロッパとの最初の接触であった。その後、スペインは1886年に要塞建設などを開始した。 1869年、ドイツが貿易の拠点をヤップ島に開設し、スペインがそれに対し1885年に軍隊を派遣したが、結局スペインは1899年米西戦争に敗れ国力が疲弊していたこともあり、ドイツにパラオを含むカロリン諸島を売却した。ドイツはこの地を﹁ドイツ領ニューギニア﹂として植民地化した。日本統治時代[編集]
アメリカ信託統治[編集]
1947年、国際連合はミクロネシア地域を6つの地区︵ポンペイ︵旧称ポナペ︶、コスラエ︵旧称クサイエ島。当時は、ポンペイの一部とされていた。︶、チューク︵旧称トラック︶、ヤップ、パラオ、マーシャル諸島、マリアナ諸島北部︶に分け、アメリカ合衆国を受任国とする太平洋諸島信託統治領とした。 1965年アメリカはミクロネシア議会の発足に合意、1970年代後半より自治独立の交渉が始まった。1978年7月、ミクロネシア憲法が起草され、信託統治領下の6つの地域のうち、マーシャル諸島とパラオでは住民投票で否決されたものの、残りのトラック︵現在のチューク︶、ヤップ、ポナペ︵現在のポンペイ︶およびクサイエ島︵現在のコスラエ︶の4地域では可決した。独立[編集]
1979年5月10日、この憲法が発効して、ミクロネシア連邦が施行されたため、国際連盟・国連による長年にわたる管理下のもと失われていた主権を回復した。旧地区は連邦を構成する州となり、独自の州憲法を採択した。そして、連邦および各州の議員を選ぶための統一選挙も行われ、全ミクロネシア議会の議長であったトシオ・ナカヤマが初代大統領に就任した。 1986年11月3日にミクロネシア連邦は、国防と安全保障をアメリカに委託した自由連合盟約国として、事実上独立した。1990年12月に、国際連合安全保障理事会は正式に信託統治の終了を宣言し、1991年、ミクロネシア連邦は国連に加盟し、国際社会の一員となった。 独立までの経過については信託統治#太平洋諸島も参照。政治[編集]
大統領制をとっている連邦国家で、政党はない。大統領の任期は4年で、各州出身議員の間から輪番制で互選されるという紳士協定があるが、必ずしも厳格には適用されていない[4]。
連邦議会は一院制で、4年任期議員4名(各州1名)、2年任期議員10名(チューク州5名、ポンペイ州3名、ヤップ州1名、コスラエ州1名)。
アメリカ合衆国との間で締結されている自由連合盟約により、安全保障及び一部外交上の権限は同国が保持している。
軍事[編集]
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外交・国際関係[編集]
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2022年ロシアのウクライナ侵攻では、ロシアに抗議するため、同国との外交関係を断絶している[5]。
アメリカ合衆国との関係[編集]
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日本との関係[編集]
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地理[編集]
気候[編集]
熱帯雨林気候︵Af︶で年平均気温は26〜28℃。年降水量は3,000mmを越え、夏多雨。地方行政区分[編集]
ミクロネシア連邦は、4つの州からなる。
国旗の4つの白い星は、主要4島(コシャエ、トラック、ポナペ、ヤップ)を表す。
経済[編集]
漁業と農業(ココナッツやキャッサバ)が主産業で、魚介類を主に日本へ輸出し、生活必需品を主にアメリカ合衆国から輸入しているが、貿易額は赤字を記録している。
IMFに加盟しており、歳入の約5割がアメリカからの援助額で、2003年から20年間で13億ドルを援助する予定で漁業・農業・観光による自立経済を目指している。
交通[編集]
空港[編集]
国民[編集]
民族[編集]
住民はミクロネシア系が多い。また、ポリネシア系の住民もいる。日系ミクロネシア連邦人もおり、人口の2割を占めているとも言われ、初代大統領のトシオ・ナカヤマは日系2世、第7代大統領であるマニー・モリは日系4世である。
また、1990年代以降は華人・フィリピン人の移民も増加している。
言語[編集]
言語は英語が公用語であり、また共通語として使われている。その他チューク語、ヤップ語、コスラエ語、ポンペイ語、ウリシ語、ウォレアイ語、カピンガマランギ語、ヌクオロ語などが使われている。
現在では減少しているが、高齢者の中には日本語を話せる人もいる。また、日本語由来の単語も多く、日本人の姓を使っている人もいる。
宗教[編集]
宗派宗教としてはキリスト教が有力であり、ローマ・カトリックとプロテスタントが半分程度である。ただし土着の精霊信仰も色濃く残っており、近年はキリスト教によって抑圧されていた儀式の復活も行われている。
教育[編集]
保健[編集]
治安[編集]
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人権[編集]
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マスコミ[編集]
情報・通信[編集]
文化[編集]
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同連邦の文化は国体が成立する以前から一元化されている訳ではなく、現在まで画一されていない。したがって同連邦の州4ヶ所にはそれぞれ独自の文化と伝統が存在している。
同連邦の文化的特徴として一般的に挙げられるものは、氏族ならび一族の系統の濃厚さであり、世帯が両親や祖父母、子、いとこ、そしてさらに遠い親戚を含んだ拡大家族を形成するといった繋がりを築き上げている。またこれは、国内の複数の島に広がることもあって複雑なものとなっている。
食文化[編集]
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文学[編集]
エメリター・キーレンは、ミクロネシア連邦における著名な作家である。キーレンは元々グアムの出身だが、同連邦へ帰化した存在の一人である。
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音楽[編集]
同連邦の伝統音楽は4つの州で大きく異なっている。最近ではユーロポップ、カントリー・ミュージック、レゲエの影響を受けたポピュラー音楽へ進化している面が見受けられる。
建築[編集]
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世界遺産[編集]
祝祭日[編集]
日付 | 日本語表記 | 現地語表記 | 備考 |
---|---|---|---|
1月1日 | 元日 | ||
5月10日 | ミクロネシア連邦記念日 | 憲法記念日 | |
10月24日 | 国連の日 | ||
11月3日 | 独立記念日 | ||
12月25日 | クリスマス |
祝日が日曜日に当たる場合は翌日の月曜日へ振り替えられる仕組みとなっており、同様に祝日が土曜日に当たる場合は前日の金曜日へ差し替えられる形で祝われるようになっている。
また、各州には独自の祝日が制定されていて公式に定められているものでない為に、旅行などの用事で同連邦を訪れる人々からは混乱を招く要因の一つとされている面がある。
スポーツ[編集]
オリンピックにおけるミクロネシア連邦は2000年シドニー五輪で初参加を果たし、以後夏季オリンピックには継続して出場している。しかし、冬季オリンピックには未出場である。
サッカー[編集]
ミクロネシア連邦サッカー協会によって構成されるサッカーミクロネシア連邦代表は、これまでFIFAワールドカップやOFCネイションズカップには未出場となっている。
著名な出身者[編集]
脚注[編集]
注釈[編集]
- ^ 鋭利な刃を矢の先端に付け、それを射るといった手口。
出典[編集]
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
- 政府
- ミクロネシア連邦政府 (英語)
- 日本政府
- 日本外務省 - ミクロネシア連邦 (日本語)
- 観光
- ミクロネシア政府観光局 (日本語)
- チューク州政府観光局 (日本語)
- ヤップ州観光局 (日本語)
- その他