善財童子
善財童子︵ぜんざいどうじ、Sudhanakumâra︶は、﹃華厳経入法界品﹄、﹃根本説一切有部毘奈耶薬事﹄などの仏教説話に登場する人物。
概要[編集]
﹃華厳経入法界品﹄は善財童子が仏道修行をするという内容で広く知られている[1]。華厳経[編集]
﹃華厳経入法界品[2]﹄に於いて、インドの長者の子に生まれたが、ある日、仏教に目覚めて文殊菩薩の勧めにより、様々な指導者︵善知識︶53人を訪ね歩いて段階的に修行を積み、最後に普賢菩薩の所で悟りを開くという、菩薩行の理想者として描かれている。 善知識の中には比丘や比丘尼のほか外道︵仏教徒以外の者︶、遊女と思われる女性、童男、童女も含まれている。派生作品[編集]
昔からこの様子が多くの絵や詩歌に描かれており、日本では、明恵上人高弁による善財童子の讃嘆が有名であり、また東大寺には﹃華厳五十五所絵巻﹄[3]、﹃華厳海会善知識曼荼羅図﹄などが現存している。金沢文庫に﹃善財童子華厳縁起[4]﹄がある。東海道五十三次[編集]
一説には、江戸時代に整備された東海道五十三次の五十三の宿場は、善財童子を導く五十三人の善知識の数にもとづくものとされる。
根本説一切有部毘奈耶薬事[編集]
ジャータカ︵本生経︶の1つ﹃根本説一切有部毘奈耶薬事[5]﹄によれば善財童子は曠野国に攻め入った時、通りかかった薬叉︵夜叉、王は毘沙門天︵クベーラ︶部下はパーンチカ︵鬼子母神の夫︶ら︶の援軍をえたという。西遊記[編集]
明代に集大成された西遊記では善財童子は紅孩児[6]が観音菩薩に帰依した後の名とされる。脚注[編集]
(一)^ ﹃華厳経﹄と教育 (二) The Buddha-Avatamsaka-Sutra and the Education (2) 大手前大学人文科学部論集 4, 35-71, 2003
(二)^ “大方広仏華厳経入法界品四十二字観門 三蔵沙門不空奉 詔訳”. 仏教典籍検索. 2010年7月30日閲覧。
(三)^ 森本公誠編﹃善財童子 求道の旅﹄1998年、朝日新聞社刊
(四)^ 納富常天 ﹃善財童子華厳縁起﹄について The Manuscript of the Zenzaidoji-Kegon-engi 善財童子華厳縁起 駒澤大学佛教学部論集 18, 270-298, 1987-10
(五)^ “巻第十三”. 根本説一切有部毘奈耶薬事 大唐三蔵義浄奉 制訳. 仏教典籍検索. 2010年7月30日閲覧。
(六)^ 元曲の雑劇﹃雜劇·楊景賢·西遊記·第三本“雜劇·楊景賢·西遊記·第三本” (中国語︵繁体字︶). 2010年7月30日閲覧。﹄第十二折鬼母皈依では紅孩児は鬼子母神の子である愛奴児である