日露関係

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日露関係
JapanとRussiaの位置を示した地図

日本

ロシア
在外公館
在ロシア日本国大使館 在日ロシア連邦大使館

日露関係(にちろかんけい、ロシア語: Российско-японские отношения)では、日本ロシア連邦の両国関係について総合的に述べる。かつてこれらの地域にあった国・王朝を含める。

両国の比較[編集]

日本の旗 日本 ロシアの旗 ロシア連邦
人口 1億2614万6000人(2020年[1] 1億4593万4000人(2020年[2]
国土面積 37万7975平方キロメートル[3] 1710万平方キロメートル[4]
首都 東京 モスクワ
最大都市 東京都区部 モスクワ
政体 議院内閣制、立憲君主制[注釈 1] 半大統領制連邦共和制[4]
公用語 日本語事実上 ロシア語[4]
国教 無し 無し
GDP(名目) 5兆648億7300万米ドル(2020年[5] 1兆4834億9800万米ドル(2020年[5]
防衛費 491億米ドル(2020年[6] 617億米ドル(2020年[6]

歴史[編集]


100

202236調[7]

要人往来[編集]

ロシア・ソビエトの要人による訪日[編集]

日本の国家元首[注釈 2] である明仁天皇(左)とロシア連邦の国家元首であるウラジーミル・プーチン大統領(右)(2005年11月)。
訪日時期 ロシアの旗 ロシア・ソビエトの要人 日本の旗 日本側の会談相手 備考
1891年4月~5月 ニコライ皇太子(後のニコライ2世) 明治天皇 ロマノフ朝の皇族及び皇太子による最初で最後の訪日。大津に滞在中の5月11日、ニコライ皇太子が現地の巡査に斬り付けられる(大津事件[8]。この事件の報を受けて明治天皇は直ちに京都へ急行し、5月13日にニコライ皇太子と会談[9]
1990年1月 ボリス・エリツィン議員(後のロシア連邦大統領) エリツィンによる初の訪日[10]
1991年4月 ミハイル・ゴルバチョフ大統領 海部俊樹首相 1990年7月に行われたゴルバチョフとソ連を訪問中の池田大作創価学会名誉会長との会談でゴルバチョフの訪日が内定[11]。ソビエト連邦の首脳による最初で最後の訪日。両首脳の合意により日ソ共同声明が署名される[12]
1993年7月 ボリス・エリツィン大統領 宮澤喜一首相 エリツィンによる2度目の訪日、ロシア連邦大統領としては初の訪日。第19回先進国首脳会議(東京サミット)後の7+1会議に出席[10]
1993年10月 細川護熙首相 エリツィンによる3度目の訪日、ロシア連邦大統領としては2度目の訪日。両首脳の合意により東京宣言が署名される[13]
明仁天皇 皇居で宮中晩餐[14]
1995年2月 ウラジーミル・プーチンサンクトペテルブルク第一副市長(後のロシア連邦大統領) プーチンによる初の訪日[15]
1998年4月 ボリス・エリツィン大統領 橋本龍太郎首相 エリツィンによる4度目の訪日、ロシア連邦大統領としては3度目の訪日。両首脳により川奈合意が確認される[16]
2000年7月 ウラジーミル・プーチン大統領 森喜朗首相 プーチンによる2度目の訪日、ロシア連邦大統領としては初の訪日。第26回主要国首脳会議(九州・沖縄サミット)に参加[15]
2000年9月 明仁天皇 プーチンによる3度目の訪日、ロシア連邦大統領としては2度目の訪日。皇居で宮中午餐[17]
森喜朗首相 ロシアによる日本の国連安保理常任理事国入り支持を明記した「国際問題における日本国とロシア連邦の協力に関する共同声明」などが署名される[15][18]
2005年11月 小泉純一郎首相 プーチンによる4度目の訪日、ロシア連邦大統領としては3度目の訪日[15][19]
2008年7月 ドミートリー・メドヴェージェフ大統領 福田康夫首相 第34回主要国首脳会議(北海道洞爺湖サミット)に参加、ロシア連邦大統領としては初の訪日[20]
2009年5月 ウラジーミル・プーチン首相 麻生太郎首相 プーチンによる5度目の訪日、ロシア連邦首相としては初の訪日[15][21]
2010年11月 ドミートリー・メドヴェージェフ大統領 なし メドヴェージェフ大統領が日本との事前調整無しに国後島を訪問、ロシア・ソビエトの首脳による初の北方領土訪問となった[22]。翌2011年2月7日の北方領土の日に、菅直人首相がロシア連邦大統領による国後訪問を評して「許し難い暴挙だ」と強く非難した[23]
2016年12月 ウラジーミル・プーチン大統領 安倍晋三首相 プーチンによる6度目の訪日、ロシア連邦大統領としては4度目の訪日[24]

日本の要人によるロシア訪問・ソ連訪問[編集]

訪露・訪ソ時期 日本の旗 日本の要人 ロシアの旗 ロシア・ソビエト側の会談相手 備考
1956年10月 鳩山一郎首相 ニキータ・フルシチョフ書記長 日本の首相による初のソ連訪問。両首脳の合意により日ソ共同宣言が署名される[25]
1973年10月 田中角栄首相 レオニード・ブレジネフ書記長 両首脳の合意により日ソ共同声明が署名される[26]
1982年11月 鈴木善幸首相 ブレジネフ書記長の葬儀に出席[27]
1985年2月 中曽根康弘首相 チェルネンコ書記長の葬儀に出席[27]
1988年7月 中曽根康弘元首相 ミハイル・ゴルバチョフ書記長 竹下政権期に中曽根がソ連を訪問[28]。約2年半後に実現したゴルバチョフ訪日の地ならしとなった
1996年4月 橋本龍太郎首相 ボリス・エリツィン大統領 モスクワ原子力安全サミットが開催され、日露首脳会談も行われた[27]
1997年11月 橋本龍太郎首相 ボリス・エリツィン大統領 日露平和条約締結に向けて日露両国が全力を尽くすことを確認(クラスノヤルスク会談[26]
1998年11月 小渕恵三首相 ボリス・エリツィン大統領 両首脳の合意によりモスクワ宣言が発出される[26]
2000年4月 森喜朗首相 ウラジーミル・プーチン大統領代行 プーチンの主な支持基盤であるサンクトペテルブルクで会談[29]
2001年7月 森喜朗首相 ウラジーミル・プーチン大統領 両首脳の合意によりイルクーツク声明が発出される[30]
2003年1月 小泉純一郎首相 ウラジーミル・プーチン大統領 両首脳の合意により日露行動計画などを策定[31]
2003年5月~6月 小泉純一郎首相 ウラジーミル・プーチン大統領 サンクトペテルブルク建都300周年ロシア語版記念行事が開催され、日露首脳会談も行われた[32]
2003年6月 森喜朗元首相 ウラジーミル・プーチン大統領 小泉政権期に森が訪露[27]
2005年5月 小泉純一郎首相 ウラジーミル・プーチン大統領 第二次世界大戦終了60周年記念式典が開催され、日露首脳会談も行われた[33]
2008年4月 福田康夫首相 ウラジーミル・プーチン大統領
ドミートリー・メドヴェージェフ次期大統領
[34]
2013年4月 安倍晋三首相 ウラジーミル・プーチン大統領 [35]
2014年2月 安倍晋三首相 ウラジーミル・プーチン大統領 ソチ冬季五輪が開催され、G7首脳からは唯一安倍が開会式に出席し、日露首脳会談も行われた[36]
2016年5月 安倍晋三首相 ウラジーミル・プーチン大統領 [37]
2018年5月 安倍晋三首相 ウラジーミル・プーチン大統領 イギリスを筆頭とする親米諸国がセルゲイ・スクリパリ暗殺未遂事件をロシアの仕業であると見なして一斉にロシア外交官を追放する中[38]、対露関係を重視した安倍が当初の予定通り訪露し、日露首脳会談も行われた[39]

外交使節、大使館[編集]

在ロシア日本大使・公使[編集]

在ロシア日本国大使館 および在ロシア連邦日本大使を参照。

在日ロシア大使[編集]

駐日ロシア大使館および駐日ロシア大使を参照。

経済関係[編集]


2013貿332196136貿14[40]貿2.21.52.8[40]2013貿849[40]貿3.7[40]

[40]7[41]2[42]

1994貿[40][43]貿2[40][40][43]

[40]123550[44][40]

スポーツ交流[編集]

柔道[編集]

ロシア大統領ウラジーミル・プーチン(右)に嘉納治五郎の直筆の書を献上する東海大学体育学部教授山下泰裕(左)(2005年11月)。嘉納は「柔道の父」と謳われた教育者である

19111914[45]1917219281930[46]1937

1930使[47]1964

1972: Федерация дзюдо СССР[46]: Федерация дзюдо России調1976219801西EUN1992320121

1999200052KGB201291208[45]

文化交流[編集]

クラシック音楽[編集]


1999

20137[48]


脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 解釈が異なる見解については、立憲君主制の項にある注釈の中の記載を参照。
  2. ^ 法制上は天皇を国家元首とする明文規定は無いものの、外交慣例上は天皇は国家元首として扱われる。

出典[編集]



(一)^ 2調  PDF20211130 2021121https://warp.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/11969009/www.stat.go.jp/data/kokusei/2020/kekka/pdf/summary_01.pdf202239 

(二)^ 2  (PDF). 2022. . (20223). p. 24. 2022312. https://web.archive.org/web/20220312102547/https://www.stat.go.jp/data/sekai/pdf/2022al.pdf 2022312 

(三)^ 1  (PDF). 2022. . (20223). p. 2. 202239. https://web.archive.org/web/20220309042516/https://www.stat.go.jp/data/nihon/pdf/22nihon.pdf 202239 

(四)^ abc. .   (201842). 20205112022312

(五)^ abGross domestic product 2020 (PDF) ().   (20211029). 202235202239

(六)^ abTrends in World Military Expenditure, 2020 () (PDF). SIPRI Fact Sheet (). (April 2021). 2022-03-08. https://web.archive.org/web/20220308094719/https://www.sipri.org/sites/default/files/2021-04/fs_2104_milex_0.pdf 202239. 

(七)^  :  : . (202236). 202238

(八)^ 西 |  |  | 西 

(九)^ 14 130 | 

(十)^ ab | 

(11)^ SOKAnet 

(12)^ (35)  | 

(13)^ (46)  | 

(14)^ 5 - 

(15)^ abcde: 

(16)^ (55)  | 

(17)^ 1279 - 

(18)^ 14 | 

(19)^ : 

(20)^  - 200878

(21)^  | 

(22)^  17 AFPBB News

(23)^ asahi.com - 

(24)^   

(25)^ (18)  | 

(26)^ abc  

(27)^ abcd | 

(28)^  ( 1988080200007) 

(29)^ 2001  | 

(30)^ 13325 | 

(31)^  | 

(32)^  | 

(33)^ -60- | 

(34)^  7 AFPBB News

(35)^  4 AFPBB News

(36)^  20142 | 調

(37)^   

(38)^ 20  - BBC

(39)^   

(40)^ abcdefghij.  使. 20161016

(41)^ 貿2015VCIS (PDF).  貿. p. 9. 20161016

(42)^ .  | NHK | WEB. NHK. 2022525

(43)^ ab貿.   (2015119). 20161016

(44)^ 調10002018

(45)^ ab120 |  - 2012913

(46)^ abG. 1993p.302 (Г. Пархомович «Основы классического дзюдо», Урал-Пресс. Лтд, 1993 г., 302 с.)  - ISBN 5-86610-037-1.

(47)^ Japan SAMBO Federation

(48)^   - 2013716

関連項目[編集]

外部リンク[編集]