今囘は第12ををさめる。これが最後である。
中々◦みぜりこるぢやの所作◦てよろがるのびるつうです◦かるぢなあれすのびるつうです◦すひりつさんとのだうねす◦へねへんつらんさ◦こんひさんのおらしよ◦しよくする時のべんさん是等の事也
慈悲の所作は十四有初め七は色身にあたり後の七はすひりつにあたる也
一にはうへたる者にしよくを與る事」(七十六オ)
二にはかつしたる者に物をのまする事
三にははだへをかくしかぬる者にいるいを與る事
四にはびやうにんをいたはり見まふ事
五にはあんぎやの者にやどをかす事
六にはとらはれ人の身をうくる事
七にはしがいをおさむる事是也
一には人によきいけんをくはゆる事
二には無知なる者に道を教る事
三には悲み有者をなだむる事
四にはせつかんすべき者をせつかんする事
五にはちじよくを堪忍致す事
六にはほろしものふそくを赦す事」(七十六ウ)
七には 生死の人と又我にあたをなす者の爲にでうすを頼み奉る事是也
一にはふるでんしや ○二にはじゆすちしあ○三にはほるたれざ 四には てんへらんさ是也
一にはひいです○二にはゑすへらんさ○三にはかりだあで是也
一には さひゑんしや○二には ゑんてんじめんと○三にはこんしりよ○四には ほるたれいざ○五には しゑんしあ○六にはひあたあて○七にはでうすのてもる是也」(七十七オ)
一にはすひりつのひんじやは天の國を持によてべあと也○二には にうはなる者は 地を進退すべきによて べあと也○三にはなく者はよろこばせらるべきによてべあと也○四にはじゆすちいしやの きかつある人は ばうまんさせ玉ふべきによてべあと也○五には慈悲有人は 御慈悲をうくべきに よてべあと也○六には 心きよき人は 御主 でうすを見奉るべきによてべあと也○七には無事有人はでうすの御子とよばるべきによてべあとなり○八にはじゆすちいさに對してしんらうをしのぐ人は天の御國を進退すべきによてべあと也」(七十七ウ)
萬事叶ひ玉ふ でうすを初め奉り いつもびるぜんのさんたまりやさんみげる あるかんじよさんじゆあんばうちした貴き あほうすとろのさんへとろさん はうろ 諸のべあと又御身はてれに科をあらはし奉る 心ことば しはざを以ておほくの科をおかせる事我があやまり也 我があやまり也 我が深きあやまり也 是によて頼み奉る いつもびるぜんの さんたまりやさんみげるあるかんじよさんじゆあんばうちした貴きあほすとろの さんへとろさんはうろ 諸のべあと又御身はてれ我が爲に我等が 御主でうすを 頼みたまへ」(七十八オ)あめん
でうすはてれ ひいりよすひりつ さんと三のへるさうな御一體のでうす我等と此おんじきの上にべんさんを唱へ玉ふ樣にと頼み奉るあめん †はてるなうすてる友
でうすのぐらうりやいやましに御座まし人間は無事にさかへ死人はふたいの けらくにいたる樣に頼み奉るあめん はてるなうすてる一友 代々をかさねしんらまんざうをおさめ給ひ萬事叶ひ玉ふでうす我等蒙□奉りたる 萬の御をんしやうの御れいをなし奉るあめん 以上」(七十八ウ)
13:39
おたがひよく知つてゐるといふのはたのしくもやはりおつかないな、と思ひます。自分に誠實なのだといはれてはじめて納得がいきました(ん)。ひとまづ歸り道ひとりで反省する習慣はやめたい。
23:48
目覺ましをいちどスヌーズボタンで止めて、そのあと目覺ましの元を消してしまつた。そのまま深い眠りに。
おとどけもの。
小松幸枝編『校本どちりなきりしたん』福井国語学グループ研究叢刊2、福井: 福井国語学グループ、1961.1。題名から知られるやうに、1600後藤版を頂点に据える一冊です。福島が見方に慣れないと使ひにくいと書いてゐたけれど(福島邦道『キリシタン資料と国語研究』1968。88)、まつたくそのとほりで。
『一冊の本』朝日新聞社、2008年3月。
23:55
ミラン・クンデラ『存在の耐えられない軽さ』西永良成譯、池澤夏樹編『世界文学全集』第3巻、河出書房新社、2008.2。
題名が岩田で本文がリュウミンといふのはあまりすかない選擇だが、それはともかくも、ぐいぐい讀ませるので驚く。
23:55
科学技術・学術審議会 学術分科会 学術研究推進部会(第18回)配付資料 [参考資料3] 大学院研究科における言語学関連専攻一覧−文部科学省に某研究科がいれてもらへてないとき。前後期で組織がわからんとかさういふのが敗因か? 京大の組織も言語の文字は專攻にも研究科にも見えないのでたぶん某大學の組織のせゐなんだらう。
21:45
いままで口頭でしか傳へられてこなかつたものを文字化するといふ營みは古くからつづけられてゐて、それは功績と呼ぶほかないものである。ここから逆に功績とはその事實を書きとめやうとする營爲であつて、たとへば年表を編まうとする動機はこのやうなところから生まれてくるのかと思はせる。
22:55
工學の人に人文科學つてなにやつてゐるのかわからないといはれたので、「人文科學とは、人間の知の體系を維持し、また擴大させようとする營みである」と答へ、論文の目的はなにと聞かれたので「從來の研究のなかにその位置を獲得しようとするもの」と答へたら意味がわからないといはれました。
人文科學が操作しうる人間の知の體系そのものは、人間が記述しうるものがすべて入る集合のなかに收つてゐるのに違ひなくて、それぞれは參照といふ形で體系を作つてゐるのに違ひない。ある論文がうまれるときになされる研究史への言及はつまりそのやうな關連づけによりみづからも參照される存在になり、位置を占めると呼びうるのではないだらうか。
まあ極度に抽象化してゐるので實際にうごめいてゐるものはからきし無視なのですが。だいいち研究史と全員が戰つてゐるわけでもない。
23:55
なんとなく。底本は『〔病者を扶る心得〕』〔天草〕:〔1592〕。『きりしたん版集一』天理圖書館善本叢書和書之部38、天理大學出版部、1976、1-64。よくよめないので和文墨付きから。
それびやうじやのこんひさんを聞き或は貴きばうちずもをさづくるためにはあてれ あり合給はざる事おほき故に誰にてもあれ人 のあにまをたすかる位となす事はならびなき功力と云ひ其たう師となる事も又ふかきでうすの御恩なれば彼一大事のつとめ樣をいさゝかしるす也 故にりやくしてゑすきりつうらと學者の諸の出所をばこゝにのせず
されば 人間のつみ科を赦し給はん爲に御主ぜずきりしと二つの道をさだめ玉ふ也」(一オ)
第一にはばうちずものさからめんとの事
第二にはへにてんしや是なり
23:55
春名の像がうまくむすばれなかつた。家人にかんたんに筋を話したら「ドラマとかでよくあるよね」といはれた。王樣のブランチの書評で扱つてゐたのはさういふ文脈もあつたのだらうか。ドラマはよくわからないのだが、ドラマでは考へにくいくらゐ一瞬の小説であるやうなふうにも思ふ。
23:55
晴れ。あたたかな一日。晝ごろ起きる。
モリシアを見に行く序でに服を買ふ。知人がゐたので年甲斐もなくこそこそする。
裾の仕立てを頼んでゐるあひだに迫野虔徳「仮名遣いの発生と展開」北原保雄監修『朝倉日本語講座』第2巻、林史典編「文字・表記」、朝倉書店、2005.4、147-70を讀む。契沖におけるいろは假名といふ枠、定家と當時うまれはじめてゐた假名文字遣といふものとの關連、あるいは定家假名遣が假名文字遣と同一になつていく視軸など今後の課題にならないだらうか。契沖における下降史觀のありやうなども具體的に檢討すべきやうに觀ぜられる。また、契沖の發想が假名をあきらかに見誤つたものであるのに、なぜかうも國學徒を説得しえたのかといふのも、受容をみていくうへでは調べないといけないのだらう。だれかもうやつてるかもしれないけど。
23:55
妙に愛らしい誤字なのでそのまま。
文字や書物の形態について述べるとき、つねに、自己のフェティズムを暴露してゐるやうな恥づかしさを覺える。とりわけ、相手が興味がないなと思つてしまつたとき。文字や書物となると、そこへのチャンネルが開かれてゐるひとが少ない、からだらうか。ほかのことであつても、チャンネルが開いてゐないひとびとのチャンネルをこぢあけるのはおなじやうに暴力的であるはずだが、しかし、どこか開くものと信じやすい節があるごとくおもはれる。
23:55
XREAの無料サーバのメールに廣告がついたのを期に(これが數か月前)、お金を拂つてゐるサーバのメールに移行しようと思ひつつ時流れ、やうやうにしてけふ切替へ。いざやればとんでもなくあつけなく、なんでいままでしぶつてゐたのかと思ふばかり。
いいかげんBlog toolに乘換へようかとおもへば、MySQLのバージョンがふるくてはやりのWordPressが入らない。どうせ化石みたいなサーバにずつとゐるわ……。
23:55
山田孝雄などは、假名遣の保持と傳統の保持を同列にしてゐるが、これはどのやうな起源をもつ思想なのだらうか。護國を唱へて豫算をもらはうなどといふ「いやしい」根性ばかりで假名遣が傳統を守るのだなどと唱へだしたのではないだらう。實際にさういふ效用があると信じてこそ主張も力が入るといふものである。この點につき、契沖が發音の違ひといふことに思ひもよらず、意味のちがひを書きわけてゐたのだと考へてゐたことはもつと重視せらるべきではなからうか、と考へてゐるものの、國字論爭は讀むのが疲れるので、乘り氣にならない。
23:55
楷書のあとに本格的な變革のなく、築地體のあとに本格的な變革のなく、といはれる。これらの極みはつねに私たちひとりひとりに問ひかけてきて、結果として、過去と連續してをり、未來へしていくはずの私たちの字は、ちぎれちぎれになつてゐるやうに見える。これは本を讀む者は常に起源にとらまへられることををしへてゐるやうである。下降史觀はそれじたい現代に生きることを否定するものではない。今に生きることを否定させがちにはするけれども、過去を内在化しうるものとして扱ふ能力を生みもし、それは結局今を生きてゐることを確かめさせもする。
ポスト楷書にしてポスト築地體の世に生きる私たちに、私たちのものだとして受け渡すものがあるか。ポスト=事後史觀といふ束縛そのものをどう生きていくか。それは結局、なにかのついでに生まれたことを認め内在化しつつ生きていくことしかないやうに思へて、しかしだからこそ私たちは抱へきれない煩惱を不愍に思ひ、すくなくともポスト・モダーンが下降史觀に生きられないことをなにより確かに思ふ。
23:55
先だつて彌生云々と書いてゐたのはなにかの氣の迷ひです……(恥)。
昨日の日記はドーダでいふ陽ドーダに類するもののやうにおもへてきました。ευρηκα!といふのはなべてさうだらうと思つていただけると燃やさずに濟みます。めづらしくあんなものを書いた反動に思ひかへせば、氣に入つた表現をパラグラフにしようとして失敗しただけともいへます。お讀みになるときは關係がありさうな詩句をよささうな具合につなげるとなにが嬉しかつたのか察していただけるかもしれません、て、なんでこんな妙な釋明してるんだらう。
とどいた
『一冊の本』2008年4月號、朝日新聞社。
23:55
——貪欲と嫌惡と迷妄とを捨て、結び目を破り、命を失ふのを恐れることなく、犀の角のやうにただ獨り歩め
(中村元譯『ブッダの言葉 スッタニパータ』74詩、岩波書店、1984)
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