暖かさうなのを買ふ。ジャケットも買つてみたりなどして。
『仏教の思想』の1-4が書店に竝べてあつたので思はず買ひ求めた(1はもう買つてある)。
櫻部建・上山春平『仏教の思想』2「存在の分析〈アビダルマ〉」、角川書店〈ソフィア文庫〉、1996.10。
梶山雄一・上山春平『仏教の思想』3「空の論理〈中観〉」、角川書店〈ソフィア文庫〉、1997.2。
服部正明・上山春平『仏教の思想』4「認識と超越〈唯識〉」、角川書店〈ソフィア文庫〉1997.6。
23:30
週の前半が午前中がない代り水曜日がほとんど一日、木金は午前だけといふ變な感じに。
書店にいつたら吉川弘文館・柏書房とあとどこかで歴史系フェアが開催されてゐたので、
池田温編『日本古代史を学ぶための漢文入門』吉川弘文館、2006.1。
柏書房『覚えておきたい古文書くずし字200選』2001.11。
をつい買ふ。\5040-。
23:55
久しぶりに(だと信じる)一日中だらだらする。このまへあんなアジテーション的文章を書いたことからわかるとほりウィキペディアへの關心が退潮しつつある今日この頃(そんな時期もある)でも、コンピュータのまへでずつといろいろ書いたりしてゐるので身體を動かさないのに食べるのだけは普通といふのが問題。
山口仲美『日本語の歴史』(岩波書店〈新書〉、2006.5)を讀了する。入門講座教員の指定書目。先木曜日までには讀んでゐる豫定だつたが、あまりみかけないのといまいち買ひかねたので讀み損ねてゐたのを、講座の友人に借りて讀むことに(え)。簡單に感想を述べると、本書では高校生の歴史教科書にあるやうなことをなぞつて書いてゐ、III章における係結びの歴史の紹介が講座の友人の印象に殘つたのもむべなるかなで、ここだけはさう當らないことも書いてゐなささうで、かつ、をもしろいのであつた。日本語の論理性や、言文一致、標準語制定などを巡る部分はひどいといはざるをえない。このやうな論調の文を讀むたびに、結局この人たちは古代の人々を莫迦にしてゐるのだらうか、とおもふのだが、本書においても同じ感想を抱いた……と、なんの具體的指摘もしない。讀めばわかる、ものでもありさうだけれど、詳細な指摘は明日にしよう(できれば)。
23:55
言葉の問題は、文部官僚が考え出した案を上から押し付けるだけでは解
決しない。国民一人一人が考え実行してはじめて解決できるといふのに、まづ疑問を呈したいのだが、この、﹁國語元年﹂或は﹁日本語元年﹂といふ﹁事態﹂は、まさに押しつけられて發生した事態であつた[1]。さうでなければ、ことさら人爲的に他人の言語に政策的に干渉する必要もなく、だからこそこれまでそんなことはなかつたのであつた。さうしたときに總意[2]としての言語を假想して作業することは可能だらうか。本書V章にもふれられてゐる通り、
どの地方からも不満のでない共
通語なるものを短時間に作り上げることは、至難どころか、だれからも滿足がいく理想的な、といふことで考へると、どれだけ時間をかけても不可能なのであり[3]、著者のこの感動的な書出しは、なんともあやしいものが滿ちてゐるといふことが知られよう。 言靈の世界の理解も皮相的である。
話し言葉だけの社会では、言葉の威
力が極めて強かった。﹁無事ですよ﹂と高らかに宣言すれば、発せられ
た言葉どおりの状態を実現できると考えていた。また、万葉集3254番の歌を
……私が宣言したのですから大丈夫。といふやうにするのは當らない。呪歌はさうあらしめんとしてうたふのであり、相手への強い働きかけである[4]。それを、
言葉は、単なる記号ではなく、それが表
す状態を実現してしまう霊力を持っているといふのは、素朴を古代に假託するやうな行爲ではないかと危ぶむ。 文字史の理解にも疑問があるが、取分け
出来上がってそれなりに完成し
ている物を作り変えるという作業は、実は新品を作るよりもある意味で
は大変だということに、日本人は気づきませんでした。といふ理解は危うく、次の行に
というより、……すべてを取り入れ、吸収せざるを得な
かったといった方がいいとはするものの、
よくも考えずに日本が漢字を
借りてしまうと書いてしまふのである。それなり、といふのも失禮な話であるし楷書が唐に至つて完成するまでもう僅かといふところなのだから、ほとんど完成に等しい状態で漢字が到來したのに違ひあるまいのだが、ただ﹁もし自分で文字を作るやうにできてゐたらよかつたのにねえ﹂といひたいだけなのを﹁よくも考へずに﹂などと書いたのならば、ひどい話である。すでにある文字の改變ではなく、創作がおこなはれたのはほとんどない[5]。しかも、古事記序の有名な語句をそのまま鵜呑みにしたやうに、
借り物の漢字では、うまく日本語を書き表せないもどか
しさ苦しさが切々と語られていますといふのは、今後幾度か出てくる筆者の言文一致に對する考へかたがはじめて出てきたやうなものであるが、この文言は本文を見る限りにはかには信じがたいのである。歌謠が所謂万葉假名による表記であるのを捕へて、これだけは漢文にし得なかつたといふ人もゐるが、太安万侶の創作にかかる文體にだまされたのだらうと私は考へてゐる。 紙幅に制限はないが、かけられる時間には制限がある。230ページある本書の1/10に達してもゐないところだが、睡眠の都合があるのでやめにする。しかし、本書の最大の問題は、本文がリュウミン、帶は游築36ポ+リュウミンといふことである︵違︶。 [1] 小野光代﹁標準語の諸問題 日本の﹁国語﹂とドイツの“Nationalsprache”﹂関西外国語大学、関西外国語大学短期大学部﹃関西外国語大学研究論集﹄第78号、2003.8、pp. 57-73。 [2] ここに、總意とはだれの﹁總意﹂か、といふ問題が本來發生してをかしくないのだが、問はずにおく。 [3]
﹁標準語﹂と呼べるような理想的な言語など存在しません。存
在するのは、日本全国に通じる﹁共通語﹂なのです。[4]
前期万葉の時代は、なお古代的な自然観の支配する時期であり、
人びとの意識は自然と融即的な関係のうちにあった。自然に対する態度
や行為によって、自然との交渉をよび起こし、霊的に機能させることが
可能であると考えられていたのである。[5] 現在使はれてゐる文字體系で、ヒエログリフを淵源としない文字は漢字・トンパ文字・ハングル・假名くらゐである。それ以外はすべてヒエログリフの下に收る。A. C. ムーアハウス﹃文字の歴史﹄︵ねずまさし譯、岩波書店︿岩波新書﹀、1956.3︶のp. 96などを參照せよ。
表意式から……いくつかの書体が存続している。これ
らにたいして一般的に﹁アルファベット以前﹂という言葉があてはまる
だろう。……漢字という例外を除くと、これらの書体は、すでにそれぞ
れ全盛時代を終り、今では古代史の資料の一部を形成しているにすぎな
い。23:55
440圓の食券を買はうとして、對應硬貨に500圓玉のある販賣機に540圓をいれたところ、500圓玉だけ歸つてきたので、まだ新500圓硬貨に對應してゐないのかとすこしあきれながら、1000圓札を入れ、釣り錢を出したら、100圓硬貨一枚と新500圓硬貨1枚が出てきて、たいへん悲しかつたといふことがあつた。
白川靜の著書を3册借りる。『字書をつくる』『文字遊心』『回思90年』(100年生きさうだが)(何れも平凡社)で、それぞれ77, 80, 90の齡をいはつたもの。すなはち1987, 90, 2000だが、發刊年月を調べるのが面倒なのでしない。
昨日は英語の教科書に“The Little Prince”で、校註が某陸太郎氏のものを買つたがこれも調べるのが面倒なのでこれ以上書かない。
23:23
クロード・ドビュッシーの。ドビュッシーではじめて聞いた思ひ出の曲であり、ものにしたいものだが、無料の樂譜を探したばかりに運指の指示を缺いた樂譜を使ふこととなつてしまひ、自分で多少つけてみてから、ついてゐる樂譜を探したのだが、左手なのに1から5へ飛ぶのしかみつけられなく、それなら1から4に飛んだはうがまだ餘裕があるやうにおもはれ、自分でつけきるはうに傾きつつあるのだけれど、彈きやすいものがあれば御教示くださいませ。
通ふ學科の教員より藏書を貸していただく。福島邦道『続キリシタン資料と国語研究』(笠間書院〈笠間叢書〉、1983.7)であるが、正篇もまたをもしろき書物である。新村の南蠻もの、海老澤のキリシタン文學ものはまだよくよく目を通してゐないのだが、近いうちに通したいものである、と備忘。最近の研究はあまりわからない。小島や豐島の兩氏に重要な研究があることは耳にしてゐるものの、接しかねてゐる現状である。出不精はたたる。
21:59
歌謠が所謂万葉假名による
表記であるのを捕へて、これだけは漢文にし得なかつたといふ人もゐる
が、太安万侶の創作にかかる文體にだまされたのだらうと私は考へてゐ
る。と書いたが、これは
……いまある古事記にそくして見ると、伝承や
古語を書きとどめたというのはあたらない。……訓字の意味によってこ
とがらを述べたところで、作り出している素朴さである。また、そこに
あることばも、……文字世界のなかのことば︵訓読のことば︶なのであ
るとあるのによる。もちろん、この立場には疑問もすくなくないのであるが、いづれにしても、文字を借りるのにとどまらず、言葉をも借りて書いてゐるのを無視してゐることへの反論にはしうるだらう。この段を書くのに西條勉﹃古事記の文字法﹄︵笠間書院、1998.6︶第一章を參看したが、この問題を考へる一助となるやうに思つたので紹介する。 山口仲美﹃日本語の歴史﹄︵岩波書店︿新書﹀、2006.5︶では、序章に相当する﹁日本語がなくなったら﹂で最後にいはれてゐる、
明治
時代になると、話し言葉と書き言葉は、絶望的に離れてしまいました。
人々は、書く言葉を話す言葉に近づけようと戦い、とにもかくにも両者
の一致を完成させます。といふのは、文章語とて個人語の一種であり、手本といふ規範を明瞭に意識しつつ自らの言語に影響されながらあるのだ、といふ躍動性が一概に否定されてゐるやうで、不安を誘ふのである。もちろん概論的なこの部分で、くはしく指摘するといふことはしかねるやもしれないが、補遺として書いておくものである。 23:33
指定された圖書を買ふだけのつもりが(?)こんなになつた。
高島俊男『漢字と日本人』文藝春秋〈文春新書〉、2001.10。
田村芳朗・梅原猛『仏教の思想』5「絶対の真理〈天台〉」角川書店〈角川ソフィア文庫〉、1996.6。
鎌田茂雄・上山春平『――』6「無限の世界観〈華厳〉」角川書店〈角川ソフィア文庫〉、1996.10。
柳田聖山・梅原猛『――』7「無の探求〈中国禅〉」角川書店〈角川ソフィア文庫〉、1996.10。
塚本善隆・梅原猛『――』8「不安と欣求〈中国浄土〉」角川書店〈角川ソフィア文庫〉、1997.6。
同じところで、5冊買つたわけだが、その店の栞が5枚入つてゐてやり場に少し困る。
吉田健一『シェイクスピア』垂水書房、1960.12。奧付に〈学生版〉との由。廉價版なるか。奧付以外にこのやうなことは書いてゐないが、或は著者の割に簡素な作りと感じられるのが證なのかもしれないが、著者の單行本を手にしたことがないので能く知るところにない。
ウンベルト・エーコ『薔薇の名前』上下、河島英昭訳、東京創元社、1990.1。上卷はすでに手に入れてゐるのだが、下卷もあはせて(上下別賣りなんてブックオフくらゐしかやらない)。上卷は、美麗なはうを賣ることにならうが、しかし、結局一度もしてゐないのである。
杉勇『楔形文字入門』中央公論社〈中公新書〉、1968.9。これは、講談社學術に收められたものを新刊で購入してゐるが、原著であるので、買つてしまつた。文庫のはうは美麗であるので、これも賣るつもりである(が、いつになるやら)。
加藤一朗『象形文字入門』中央公論社〈中公新書〉、1962.11。
しめて、いくら? 六千ほどか。
17:29
『活字狂想曲』(倉阪鬼一郎)でしかしらないのだが、QCLとかいふ、なにがしたいのかわからない標語とか「わたしはかうします」といふのは、行つてゐるところがさういふところなのかもしれないが、あたりまへのごとく考へられてゐるやうなのであるが、『魅せる警備』とはなんぞや。
23:54
一囘目は海外出張に消え、二囘目は祝日であつた科目においてやうやく講義がはじまつた。同じことを説明するのでも選び方がさまざまなのだなどと月竝みかつほとんど無關係な感想を述べてみる。
待合せ。危ふくけふもすれ違ふところであつた。
朝日新書といふのを、金曜にみたのだが、その日に刊行が始まつた叢書らしい。宮崎哲彌の『新書365册』をみてみたのだが、屋名池誠『横書き登場 日本語表記の近代』(岩波書店〈岩波新書〉、2003.11)をトリビア本呼ばはりしてゐた。どうトリビアルなのか聞きたいものだが。
『文學』38卷第6號に掲載されるところの藤堂秋保の白川靜『漢字』書評をみたのだが、新法黨の王なんとかの説をおほまぢめに説いてゐたのでどうしようかとおもつた。第9號において白川に鼻でわらはれるのも仕方がないとおもふのであつたが、如何。
23:55
西漢の時に方︵あた︶
り、專門名家の師、衆︵おほ︶きは千餘人に至る。然れども能く後世に
見︵あら︶はるる者は寡︵すく︶なし。揚子︵雄︶、惟︵た︶だ一︵ひ
とり︶の侯〓︵艸冠に巴︶あるのみ。――故に識︵し︶る者は、千人と
謂ふとも多しと爲さず。一人も少なしと爲さず。とする。丁度﹃回思九十年﹄を讀み、
私は従来、学会的な活動をしたことがない。東方学会に
も名を列ねているだけで、参加したことも発表したこともない。それで
学会からの推挙を受けることがないのは、当然である。といふ行をみたあとであつたので、感ずるところあつてメモとしてのこしておく。 22:32
遠藤周作のやうに河にのみこませて有耶無耶にしたり、汎神を説いて結局汎神といふひとつの存在にしたりせず、かくある、といふものを見極めたいといふこと。……かくあるものの一つとして。
23:50
「テキストを買はないひとには」とて教員の配りける舊版の内容は新版とは異なりぬ。價を拂うて新版を買ひける我如何すべき。
歸りに購ひけるもの:
デカルト『方法序説』落合太郎譯、岩波書店〈岩波文庫〉、1953.8、1967.3(二版)。
大岡昇平『野火』新潮社〈新潮文庫〉、1954.4、1987.5(二版)。
蓮見重彦『表層批評宣言』筑摩書房〈ちくま文庫〉1985.12。
23:10
紅茶クッキーを買つてみたら、なぜかあたたかい紅茶がほしくなつた。
かひものー:
米原万里『必笑小咄のテクニック』集英社〈集英社新書〉、2005.10。
ミヒャエル・エンデ『はてしない物語』上田真而子・佐藤真理子譯、岩波書店、1982.6。
と学会編『トンデモ本の世界』洋泉社、1995.5。
23:55
格差があるわけではない有權者間にある一票の格差の是正もできない議員で構成される立法機關とそれを立法行爲論で片付ける司法機關に「改善」だとか「まとも」だとかを求めるのは現状肯定をし過ぎてゐる嫌ひがあると感じるが(權威の源が危ふいのである)、かと云つて、或はさうだから、共謀だの「怪しい取引は報告せよ」だのといひだした時には「考へなほせ」ではなく「やめろ」なのだらう(書き始めの趣旨を忘れた)。定員を二倍にして給料を三分の一にするのが早いとおもふ(何に)。
01:05
それなら、
キリシタン版はどのくらいの部数印刷されたのであろうか。それについ
て、長崎の廿六聖人館長パチュコ師︵日本名、結城了悟︶は、長崎版﹁
こんてむつすむん地﹂におついてであるが、一三〇〇部印刷されたとい
う証拠文献を示されたのである。キリシタン版は、一般に、一〇〇〇部
から二〇〇〇部ぐらい印刷されたのではないかと思われる。とあり、註して、
パチェコ﹁長崎サンティアゴの鐘﹂︵﹃キリシタン研究第十四輯﹄
︿昭和四十七年﹀︶とするのだが、原論文にあたらうとおもひ、調べたところ、論題は﹁長崎サンティアゴ病院の鐘﹂なのだつた。書誌を掲げておく。Diego Pacheco S.J.﹁長崎サンティアゴ病院の鐘﹂佐久間正譯、キリシタン文化研究会編﹃キリシタン研究﹄第14輯、吉川弘文館、1972.8。NDL-OPACにも第十四輯までをも含めて題名が採録されてゐるが、さうではなからうとおもふ。ちなみに、この論文は冨永牧太﹃きりしたん版文字攷﹄︵富永牧太先生論文集刊行会、1978.4︶において、﹁みたびこんてむつすむん地の版式について﹂だとかいふ論文においても取り上げられてゐるが、いま手許にないので詳らかにしないし、このあとにもかかはらないのでこれに留める。さて、間違ひを確かめたのはNDL-OPACにおいてであり、原論文にあたる必要はキリシタン版一般の發行部數の論據が見出せないかと考へたからだが、すぐにあたらうと決めたのは論題の誤記が重要であつた。しかし、Webcatにより十四輯を探したものの、近場にないので、一度は行つてもみんと、國會圖書館へ行くことにしたのである。上記件について調べてゐたらば、何の因果か天理ギャラリー第122回展 近世の文化と活字本 きりしたん版・伏見版・嵯峨本…のページを見出し︵2004年の狩野さんのページから行つたのだけれど、狩野さんのページにいきついたのはなんでだつけ︶、それでその資料からはなにか︵最近の研究だとか︶得るところがあるのではないかとおもひ、これも見るものにくはへて、はじめての國會圖書館詣でに行つたのだつた。 前置きが長くなつた。朝一番の講義だけ出て、結局大學を出たのは二限が終つたころなのだけれども、ついた。上記二件の借受申請︵貸出申請といふのは貸出しくださらんことを申し請ふといふことで、主客がをかしからう︵?︶︶をし、利用者登録の申請をしたり、どこからくるのかわからないのでうろうろしてゐたりで、圖書カウンタに行つたらもう準備ができてゐた。一番最初にでてきたのは天理の圖録で︵よくわからないのだが、二册以上一遍にたのめないのだらうか︶、眺めてゐたのだが、ひとつ特に印象深く憶えてゐるのが、﹁キリシタン版の文字は小さい﹂といふことであつた。そして、小さく、大ぶりである。キリシタン版國字本大活字は、横幅が約29pt (10mm程度︶で、小活字は約24pt︵8.5mm程度︶である︵中根勝﹃日本印刷技術史﹄八木書店、1999.12、p. 118︶が、嵯峨本の伊勢物語近畿大學本︵慶長13年初刊︶は横幅が14.2mmである︵鈴木広光﹁近畿大学中央図書館蔵 嵯峨本﹃伊勢物語﹄︵慶長十三年初刊︶ 組版と活字﹂﹃嵯峨本の印刷技法の解明とビジュアル的復元による仮想組版の試み﹄平成16・17年度文部科学省科学研究費補助金研究成果報告書、2006.3︶。圖録で想像したのに過ぎないのだが、木活において、平假名が、キリシタン版の大きさにまで縮むのは、1800年ごろの印行を待たねばならないやうだ。山口忠男﹁初期きりしたん版の国字大字本について ﹁ばうちずもの授けやう﹂の印刷面を中心として﹂︵﹃ビブリア﹄98号、1992年5月︶では種字に木が想定されてをり、さうすると、この違ひはなんだらうと思ふ。今後資料を廣く探る必要があるやうである。さうかうしてゐるうちに、﹃キリシタン研究﹄第14輯の準備もできたやうで、受取り可能となつてゐた。さう長いものではなかつたので、必要な部分だけを拔出して複寫をしてもらつた。1枚24圓といふのは、1枚10圓でコピーをふだんしてゐるので高くおもはれた。それを待つ間に、大學の圖書館にはない、ヨハネス・ラウレス﹃キリシタン文庫﹄︵原題略、上智大學、1958︵3版︶︶と、﹃活版見本﹄︵東京築地活版所、1903︶を頼む。しばらくしてきて、タイトルページをメモしたり中をいくらか讀んだりするが、英語ばかりでなく原語で資料が引かれてゐるのに挫折。2010年には著作權保護期間が、狂氣によつて延長されてゐなければだが、切れるので和譯がされることを期待しておく。マイクロフィッシュで出てきた﹃活版見本﹄については、マイクロ資料を使つてみるのが目的だつたので、すこし遊んですぐ返す。 そんなこんなで、退散して、パチェコ師論文を讀んだのだが、いろいろ問題があるやうにおもはれるので、また後日指摘しようとおもふ。 かひもの。 財団法人矢野恒太記念会編、矢野一郎監修﹃日本国勢図会﹄国勢社、1927、1984.6︵42版︶。 遠藤周作﹃沈黙﹄新潮社、1966.3。いつか記した﹃沈黙﹄後書きといふのは、これにあるもののことのやうだ。文庫類にはいづれもないやうにおもふ。 ラム﹃シェイクスピア物語﹄松本恵子譯、新潮社︿新潮文庫﹀、1952.7。 23:55
家人の誕生日。だけれども起きたのが11時で(半日寐てゐたことになる!)その後も家でごろごろしてゐるだけだので私からは夕飯時におめでたうとだけ云ふ(準備が惡いだけでもある)。
土曜日にやたらと豫定が入るのはなぜだらう……。
23:55
みんな違つてみんないい(違)。
あの王子さま(「昔々あるところに、一人の王子様がいました。彼は、自分1人がやっと暮らせるぐらいの小さな星に住んでいて、友達を欲しがっていました」
)、孤獨で手一杯なのに、友達なんか欲して。
23:55
In just a impression――a impression of particular scene of one interviewee, he must judge of his employment. Is not it a dull judgement ? He just wants help――not dull interviewee and interview.
22:06
食事も大事、20時間の斷食と4時間の睡眠の初體驗はなんにもないのに泣けてくるなどとかいふ情緒不安定を呼び込んでくださいました。
23:43
0時一寸過ぎに寐て12時半過ぎに起きたのだから、7時にPHSにメイルが屆いてがたがた鳴つたのにいくらか目が覺めたのを除くと、12時間半もずつと寐てゐたことになる。昨晩が遲くて湯浴みできなかつたのでシャワーを浴びてから晝食を攝つた。その後一時間ほどぼおつとしてゐたのち、明治學院大學へ出かけた。
飯田橋が15:24の電車だつたはずなのだが、出て電車にのつてメイルを出さうとしたら電池が切れてしまつたのでその後の時間はよくわからないのだが、圖書館には閉まるまへに行けた。あとでもらつたヘボン傳記によると、芝白金の一万坪の新校地
とあるが、それから一切擴張してゐないかのやうな狹い校地である(東京ドーム0.7個分の土地! 横濱にもキャンパスがあるやうだが、それがなければ狹くてやつてらんないことだらう)。その狹い校舍の2–4階が圖書館であるのだが、2階の狹い一室がギャラリであつた。狹い割にはいろいろな本が展示されてゐるのだが展示物の量以上には努力がないやうな感じもした。岸田吟香の片假名活字はどこに行つたのだらうか、といふのが感想である(ぇ)。
神保町に行くとまた散財するだけなのでやめにして、どうにもお腹がすくので飯田橋でパイと苺ジュース(正確な意味での)を買ふ。そのあと津田沼でふらふらとハーゲンダッツによりクッキー・アンド・クリームを買ふ。レモン水がおいてあつて口がさつぱりとした。さらにふらふらと歩いて昭和堂(T.ケイ『白い子犬をワルツを』で有名になつた店である)で本をみてまはり、ちくま学芸はいい本のおほい文庫だなあとおもひつつ佐々木力『数学史入門』(筑摩書房〈ちくま学芸文庫〉、2005.6)をかへず。1000圓…………高い文庫だ。その割に、1300圓の池田俊二『日本語を知らない俳人たち』(PHP研究所、2005.3)を買つてしまふ。なんで立讀みですませなかつたんでせうかね?
横書きが自然だといふ主張は着實に浸透してゐるやうだ。水村美苗がその小説で意識的に採用したのにくはへて、小説を横書きで出版するといふビジネスをやるグループのことを朝日新聞で以前に讀んだものの、けふ昭和堂にフェアが開催されてゐた光文堂(……だつけ)のペーパーバックは、タイトルページといふ歐文の著作まで眞似して、それでなほかつ「現在の日本語には横書きが自然だ」といふことを書いてゐる。
22:22
善本叢書から、山口忠男が『ビブリア』98で傾斜活字の例に出してゐた部分を探すが、「ばうちずもの授けやう」のしかみあたらないやうだ。嵯峨本を録する叢書もないやうである。
明日からある大學祭の準備におはれる。明日も早い。
23:55
——貪欲と嫌惡と迷妄とを捨て、結び目を破り、命を失ふのを恐れることなく、犀の角のやうにただ獨り歩め
(中村元譯『ブッダの言葉 スッタニパータ』74詩、岩波書店、1984)
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