日が日でわづかな人にしか缺禮を御報せできなかつたので吉都年賀状が數枚舞ひこんで來てゐるのに違ひない、と思つたのだけれども一枚も著てをらず首を捻る今現在いかが御過ごしでせうか。私はリプトンを一杯煽つて(違)ぼうつとしてゐます。
13:06
御惠みに與り成金になつたので古本屋に寄つてみた。池澤夏樹『見えない博物館』(平凡社〈ライブラリ〉、2001)。石井細明朝の漢字と本蘭のかな。漢字がかなにくらべてぼやけてゐるのもありなんか合はない。印刷は東京印書館。
23:30
金井美恵子の『一冊の本』(朝日新聞社)の2006年1月号の聯載を見てゐて知つたのだが、皇族はいまだに自尊敬語を遣ふらしい。何日か前に皇后の書いた文章を集めた本の広告が新聞に載っていて、広告中に皇后の文章の一部が引用されているのだが、そもそも皇后の書いた文章など読んだことがなかったので、「ご成婚の日のお馬車」という書き方に面喰った
といふのである。金井はそれをこれを眼にするかぎり、皇室は敬語の乱れの一因
ではないかと述べるが(何せ昭和天皇の研究を集めた本の書評を新聞に書いていた東大教授の山内昌之の文章が、ごく洗練されない敬語(当然のことだろう)を四苦八苦して使用して醜悪
であるのが皇室の周縁である(らしい))、それよりも、氣にすべきは自尊敬語を未だに使つてゐることである。いま皇族の地位として承認されてゐる〈象徴〉といふ地位は、はたしてその〈象徴〉するところの屬民への優越をも含んでゐるだらうか? 亂れの原因も問題かもしれないけれど(でも皇室ファンがこれで自尊敬語を使ふやうになるとは思はれないが)。
23:40
パッドとかいふ石油由來の素材と本體との金具のところがなんだか緑變してゐる。なんだらうこれ。
22:57
風呂に入る前と入る後で體脂肪率といふのは檢出値が違ふのかどうか氣になつて、やつてみたら體重が0.2kg増え體脂肪率が0.5%減る。なんだこりや。
23:22
紀元前300年から同200年頃の
ものとみられる象形文字が、
メキシコで発見された紀元前600年頃のものより古いわけがない。……のだが、原文を見てもよくわからない。うううむ。 狩野さんが正月返上でFontforgeにcontributeしてゐらしたやうである。そのためか、日付が1月40日といふありえない日にちになつてゐる。直したはうがよいと思ひます。 21:06 ●なはは。 (ふかはさん) 06 1/10 6:46 ●英文を見ても紀元前600年が最古のやうに見えます。謎。 (kzhrさん) 06 1/10 18:27 ●原文には、今回の研究チームの一人が﹁メキシコOaxaca谷で発見された前600年の文字が最古といふ説があるが論争中﹂と語ってゐる云々とありますね。今回のは放射線測定で年代が確かなものとして最古といふ主張でせう。それにしても訳文は略しすぎ。読者も訳者もちゃんと読め。 (うちださん) 06 1/10 22:49 ●さうだとしたら原文も不深切ですよね。"though"以下の話者が私にわかりかねたのでしたが。發見されてはゐるけれども、論爭中で、こちらは確實とぐらゐ書いてくれてもよささうなものを。 (kzhrさん) 06 1/11 19:53 ●原文に関しては、Saturnoの発見と主張、それから発見の意義に関する他の学者のコメントが、過不足無く報道されてゐると思ひますが。 (うちださん) 06 1/11 22:24 ●私は600 B.C.に發見された文字についての書き方が不深切だなあ、と述べたので、それ以外はたしかにきちんと書いてあると思ひます。 (kzhrさん) 06 1/12 19:09 ●放射線測定,ええと日本語でいうとカーボンフォーティーンの年代は全部おかしいのです。 (ふかはさん) 06 1/20 20:53 ●さういふものですか。 (kzhrさん) 06 1/20 21:10
昨日までの2-4時に寢て11時ごろに起きる(眠り自體は9時ぐらゐからもう相當淺くなつてはゐるのですが)といふ生活を強制的に改めて6:30起きです。眠い。呼吸が意識しないとすぐにレベルダウンします。23:00に寢るのが目標。寢られるかな(?)。
18:31
雪がとんでもないことになつてゐる。いまどきのJRのプラットフォームの電光掲示板には、運行情報も流れるものだが、けふそれを見てゐたら、北斗星が區間運休との由。では、どこが運休になつたかといへば、上野-盛岡間なのである。つまり、あの雰圍氣だけの列車に乘るために、東京の豫約者は盛岡まで何らかの手段で行かなければならないのだ。これは札幌發も同樣であることだらう。なんたること! これは、某3セク2企業(なんで分割しなければならないのだらう? 元々1つであつたのを、2つにするのに何の利益があるのだらうか。d/SIGN 9號のあの水俣からの報告を見れば、鹿兒島本線が3セクになつただけで惡影響が出てゐるのにさらに2つにされてゐるのだから(しかも行政區畫で別けるのは意味がない!)どうしようもないことなのはすぐわかる)が北斗星で通る客からの收入を見込んでゐるから、とかさういふ邪推をするためのものだらうか? 雰圍氣だけの列車といふのは異論があらうか。サンライズのやうに最新の機械で味氣もない、といふのよりは、あのちんたらはいいかもしれないが、池澤夏樹が書くやうに、「D51やC62がすみっこで黒煙を吐こうとも、新幹線というあののっぺりした軽薄な乗り物が主流で」(「雪の日の操車場」『見えない博物館』平凡社〈ライブラリー〉、2001)あつて、あのディーゼルに曳かれる青い車輛群は、ただの「玩具」に過ぎない。
21:33
來週明けを締切にしたのはただの莫迦だつたと思ふけふこのごろ。ひいひい。しかも何を間違へたか築地五號平假名(明治30-)開發の歴史ロマン小説である。ロマンなので考證無視(と主張)。いや、今日だけですよ?
20:54
リービ秀雄『超えてきたものの記録』の拔萃(初出等不明)を讀む。彼が萬葉の研究者だと始めて知つたのだが、しかしさうならば、平假名で漢文化に對抗したなどと書くのはよくわからない。平假名の成立がさう大したことだとは思へない。すでに萬葉假名があつたからである。
18:04
黒い鉛筆を用意せねばならぬのを忘れてゐた。
19:50
小飼彈さんといふ、jcode.pm (not pl) 及びencode.pmの開發者のblogで、金丸の搜査を引合ひに出して、檢察は輿論を氣にしてゐると述べてゐた[1]。すると、その〈輿論〉とやらは、マス・メディアを通じて捏造されたものだから、彼らを御用メディアだと思つてゐたのは間違ひで、單なる風見鷄に過ぎないのだといへはせぬか。〈輿論〉が風見鷄なのかな。はて。
18:05
築地活版六號明朝體 (1886-) 覆刻書體による。ポイント活字時代のことは知らないのだが、築地・秀英の號數書體の中で唯一「明朝風」片假名を採用して、どうやらそのままだつたらしい。平假名だとアウトラインを叮嚀になぞるのだが片假名は現在の電子書體の漢字のやうに多角形で構成したはうがうまくいく、やうに思ふ。オの傾きが凄い。
17:02
部活動に提出する小説作品(このまへの彫り師のやつ)を、最後だといふので意を決して(そこまでのものでもないが)「正字正かな」で押し通して出したら、不斷はあれこれ假名を振れといふ部員が、「君の勝ちだ」などと云つて「一切振らなくていいよ」とさへ云ひました。何があつたのでせうか。
23:50
時代によつて評價が異なる、といふと評價軸の變遷など、個人の中でさへあるのにこのひとの多き世の中の文物の積み重ねたる歴史からなんの制限もつけずに探してこい、といふのは隨分贅澤な課題である。採點官諸賢にあられては、どんなものを持ち出されても平氣であらうし〈專門分野〉になくとも同僚諸賢の援助が得られようが、こちらはなんの參考資料の用意もなくつまり貧弱な知能で書くほかないが、それゆゑの少しの記憶違ひなどは、當然容認されるものと信ずる。
さて本題に移らう。當被試驗者は次の主題の元に當小論文を敍述する: 「書體の評價の變遷を巡つて 日本における活字書體とその使用」
寺院を中心に行はれてゐた開版の作業において、木活字が導入されたのはいつごろかは知らぬが、そこに用ゐられた文字はほぼ楷書に限られただらう。なぜならば、大陸や半島との交流によつて齎された佛典などの中心に据わつてゐて、その書體はまづ〈楷書〉の枠のなかに收めうる書體であつたからである。その〈楷書=漢字カナ交ぢり〉のフレームは、官衙や寺院のなかでささへられてきた。よくよく知られるとほり李朝銅活字は楷書であつたし、皇帝に上奏するその文字は楷書、しかも政府制定の字書とたがはぬことが要されて、それで行草が用ゐられやうもなかつた。手紙文などの、そのそとである〈行草=假名漢字交ぢり〉の世界へ印刷の世界が廣がつたのは、きりしたん版によるものといはれる。彼らはなぜいままで多かつた楷書から行書へと轉じただらうか。さきに掲げたフレームのなかで、きりしたん版は對象讀者を官ではなく民に向けた。これは、織田信長がキリスト教勢を佛教精力と論爭させた、そのやうな官許の道ではなくて神の教へを人々に説いてやる方法で、それには楷書ではなくて行書が必要だつたのであつた。活字を評價する軸としては、このやうな書體を用ゐる場との對照がまづ行はれてゐた時代があつた。そして、活字はプライベート・プレスへと追ひやられ、世は製版と寫本が覆つたが、それでもこの枠は維持されたままであつた。
時間が掛かりすぎるのでここらで打ち止め。
22:37
ビートルズにHello and good-bye(適當)といふ曲のあるらしいことを最近洋樂ばかり聞いてゐる友人から大分前に聞き(2ヶ月くらゐ前か)、『直譯すれば』、「こんにちは、さやうなら」なのだが、Helloは實は「もしもし」といふことで、電話口で「もしもし別れませう」といふ意味なのだ、直譯しただけではわからないねとの御高説。
直譯意譯以前の論議だが直譯はだめだ、といふ言説は、案外この手合が多いのではなからうか。
23:10
「男系天皇の傳統」といふのはどれほど「傳統性」があるのだらうとか。意思がない行爲に對して意思を見出さうとするやうなことではない、とどうやつて證明されてゐるのだらう。
18:15
『活版見本』(東京築地活版製造所、明治36年11月)から採取した六號の「ズ」が、岩田明朝體の「ズ」と位置關係(始點、屈折、終點の位置)がほぼ同じであつたのがへえと思ひました。圖版は面倒なのでありません。
18:32
——貪欲と嫌惡と迷妄とを捨て、結び目を破り、命を失ふのを恐れることなく、犀の角のやうにただ獨り歩め
(中村元譯『ブッダの言葉 スッタニパータ』74詩、岩波書店、1984)
DiaryMaker1.02b
Script written by れん©
Mail me for annul@karpan.net
annulをkzhrに@の後ろにmail.をつけてください。
著作權で保護されてゐる著作物は著作權者の許可なく、私的な範圍を超えた複製をしてはなりません。
Copyright some right reserved.
この日記のKzhrの作品については、
クリエイティブ・コモンズ・ライセンス(by-sa 日本)
の下でライセンスされています。