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{{Infobox 作家 |
{{Infobox 作家 |
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|name = 久生 十蘭<br />(ひさお じゅうらん) |
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|image = Hisao juran photo.jpg |
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|caption = 久生 十蘭 |
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|birth_date = [[1902年]][[4月6日]] |
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|birth_place = [[北海道]][[函館市|函館区]] |
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|death_date = {{死亡年月日と没年齢|1902|4|6|1957|10|6}} |
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|death_place = [[神奈川県]][[鎌倉市]] |
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|resting_place = 材木座霊園聖公会廟(鎌倉市) |
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|occupation = [[小説家]] |
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|alma_mater = [[グランゼコール|パリ市立技芸学校]]卒業 |
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|awards = [[直木三十五賞|直木賞]](1952年) |
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|debut_works = 『蠶』(1926年) |
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'''久生 十蘭'''︵ひさお じゅうらん、[[1902年]][[4月6日]] - [[1957年]][[10月6日]]︶は[[日本]]の[[小説家]]、[[演出家]]。[[北海道]][[函館市]]出身 |
'''久生 十蘭'''︵ひさお じゅうらん、[[1902年]][[4月6日]] - [[1957年]][[10月6日]]︶は、[[日本]]の[[小説家]]、[[演出家]]。[[北海道]][[函館市]]出身。本名‥阿部 正雄<ref>﹃日本幻想作家名鑑﹄[[幻想文学 (雑誌)|幻想文学]]出版局 1991年</ref>。[[推理小説]]、ユーモア小説、歴史・[[時代小説]]、現代小説、[[ノンフィクション]]ノベルなど多彩な作品を手掛け、博識と技巧的な文体で﹁多面体作家﹂﹁小説の魔術師﹂と呼ばれた。
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== 生涯 == |
== 生涯 == |
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北海道函館区に、父・小林善之助と母・鑑(戸籍上は「カン」)<ref name="道新20191126">【道南史の女性たち】8 阿部鑑(1880~1960年)函館出身の作家・久生十蘭の母/華道の腕 パリでも披露『[[北海道新聞]]』夕刊2019年11月26日(地域版「みなみ風」10頁)</ref>の長男として生まれる。母方は[[船問屋|回漕業]]を営む家の次女<ref name="道新20191126"/>で[[草月流]][[生花]]の師匠、父は[[番頭]]頭だった(後に離婚)<ref name="道新20191126"/>。2歳の時に両親と離れて、回漕業を営む祖父阿部新之助に養育される。1916年春に函館区立寶小学校高等科を卒業して北海道庁立函館中学校(現:[[北海道函館中部高等学校]])に進学するも中退。[[東京]]の[[聖学院中学校・高等学校|聖学院中学]]に編入するが、同年8月に中退した<ref name="道新20191126"/>。この頃、[[芥川龍之介]]に私淑して文学書を耽読した。1920年に帰郷して、函館中学の先輩[[長谷川海太郎]]の父の経営する[[函館新聞|函館新聞社]]に勤務。演劇に興味を抱き、1922年に演劇集団「素劇会」に参加。1923年に函館の新聞記者や短歌団体「海峡詩社」の石川正雄、竹内清、[[高橋掬太郎]]らと同人グループ「生社」を結成、1924年に同人誌『生』に8編の詩、1926年に処女小説『蠶』、処女[[戯曲]]『九郎兵衛の最後』を発表。また函館新聞の文芸欄の編集、記事執筆をしながら、同欄で創作作品を掲載。1928年に上京し、[[岸田國士]]に師事。岸田が主宰する『悲劇喜劇』の編集に従事した。 |
北海道函館区に、父・小林善之助と母・鑑(戸籍上は「カン」)<ref name="道新20191126">【道南史の女性たち】8 阿部鑑(1880~1960年)函館出身の作家・久生十蘭の母/華道の腕 パリでも披露『[[北海道新聞]]』夕刊2019年11月26日(地域版「みなみ風」10頁)</ref> の長男として生まれる。母方は[[船問屋|回漕業]]を営む家の次女<ref name="道新20191126"/> で[[草月流]][[生花]]の師匠、父は[[番頭]]頭だった(後に離婚)<ref name="道新20191126"/>。2歳の時に両親と離れて、回漕業を営む祖父阿部新之助に養育される。1916年春に函館区立寶小学校高等科を卒業して北海道庁立函館中学校(現:[[北海道函館中部高等学校]])に進学するも中退。[[東京]]の[[聖学院中学校・高等学校|聖学院中学]]に編入するが、同年8月に中退した<ref name="道新20191126"/>。この頃、[[芥川龍之介]]に私淑して文学書を耽読した。1920年に帰郷して、函館中学の先輩[[長谷川海太郎]]の父の経営する[[函館新聞|函館新聞社]]に勤務。演劇に興味を抱き、1922年に演劇集団「素劇会」に参加。1923年に函館の新聞記者や短歌団体「海峡詩社」の石川正雄、竹内清、[[高橋掬太郎]]らと同人グループ「生社」を結成、1924年に同人誌『生』に8編の詩、1926年に処女小説『蠶』、処女[[戯曲]]『九郎兵衛の最後』を発表。また函館新聞の文芸欄の編集、記事執筆をしながら、同欄で創作作品を掲載。1928年に上京し、[[岸田國士]]に師事。岸田が主宰する『悲劇喜劇』の編集に従事した。 |
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[[1929年]]から1933年まで[[フランス]]の[[パリ]]に遊学、パリ物理学校でレンズ工学を2年、パリ市立技芸学校で演劇を2年研究して[[シャルル・デュラン]]に師事する。母の鑑も息子を追って渡仏し、[[モンパルナス]]で挿花展を開いている<ref name="道新20191126"/>。 |
[[1929年]]から1933年まで[[フランス]]の[[パリ]]に遊学、パリ物理学校でレンズ工学を2年、パリ市立技芸学校で演劇を2年研究して[[シャルル・デュラン]]に師事する。母の鑑も息子を追って渡仏し、[[モンパルナス]]で挿花展を開いている<ref name="道新20191126"/>。 |
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1933年にパリ市立技芸学校を卒業し帰国、東京・[[青山 (東京都港区)|青山]]で母と暮らす<ref name="道新20191126"/>。[[新築地劇団]]演出部に入り、舞台監督を務めるが、まもなく脱退。函館中学校の後輩である[[水谷準]]が﹃[[新青年 (日本)|新青年]]﹄︵[[博文館]]︶の編集長を務めていたことから、同誌に、1933年に著名人探訪記事、[[トリスタン・ベルナール]]﹃天啓﹄﹃夜の遠征﹄﹃犯罪の家﹄の翻訳、1934年にパリ滞在の経験を元にコン吉・タヌ子を主人公とした﹃八人の小悪魔﹄をはじめとする連作集︵[[三一書房]]版[[全集]]で﹃ノンシャラン道中記﹄に改題︶、1935年に初の本格的な小説﹃黄金遁走曲﹄などを発表。当初は本名を用いていたが、[[1936年]]の﹃金狼﹄から'''久生十蘭'''の名義を使用し始めたほか、谷川早、六戸部力([[セクストン・ブレイク]]のもじり)、石田九万吉、阿部道代、狐野今吉、麹町子、覆面作家、安部正雄などの筆名を使った。1936年には、岸田の推薦で[[明治大学]]文芸科講師を務め、[[演劇]]論を教えた。1937年、岸田を発起人として結成された[[文学座]]に参加、文学座研究所の講師を務め、38年に[[文学座]]公演の[[ジュール・ロマン]]作﹃クノック﹄を演出、[[内村直也]]作﹃秋水嶺﹄を岸田と共同演出。1937年にはフランスの[[探偵小説]]であるレオン・サジイ﹃[[ジゴマ]]﹄、ピエール・スーヴェルト&マルセル・アラン﹃[[ファントマ]]﹄、[[ガストン・ルルー]]﹃ルレタビーユ﹄などを﹃新青年﹄別冊付録として翻訳。この原稿料で[[軽井沢]]千ヶ滝に[[別荘]]を購入し、ここで﹃魔都﹄を執筆した。
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1933年にパリ市立技芸学校を卒業し帰国、東京・[[青山 (東京都港区)|青山]]で母と暮らす<ref name="道新20191126"/>。[[新築地劇団]]演出部に入り、舞台監督を務めるが、まもなく脱退。函館中学校の後輩である[[水谷準]]が﹃[[新青年 (日本)|新青年]]﹄︵[[博文館]]︶の編集長を務めていたことから、同誌に、1933年に著名人探訪記事、[[トリスタン・ベルナール]]﹃天啓﹄﹃夜の遠征﹄﹃犯罪の家﹄の翻訳、1934年にパリ滞在の経験を元にコン吉・タヌ子を主人公とした﹃八人の小悪魔﹄をはじめとする連作集︵[[三一書房]]版[[全集]]で﹃ノンシャラン道中記﹄に改題︶、1935年に初の本格的な小説﹃黄金遁走曲﹄などを発表。当初は本名を用いていたが、[[1936年]]の﹃金狼﹄から'''久生十蘭'''の名義を使用し始めたほか、谷川早、六戸部力([[セクストン・ブレイク]]のもじり)、石田九万吉、阿部道代、狐野今吉、麹町子、覆面作家、安部正雄などの筆名を使った。1936年には、岸田の推薦で[[明治大学]]文芸科講師を務め、[[演劇]]論を教えた。1937年、岸田を発起人として結成された[[文学座]]に参加、文学座研究所の講師を務め、38年に[[文学座]]公演の[[ジュール・ロマン]]作﹃クノック﹄を演出、[[内村直也]]作﹃秋水嶺﹄を岸田と共同演出。1937年にはフランスの[[推理小説|探偵小説]]であるレオン・サジイ﹃[[ジゴマ]]﹄、ピエール・スーヴェルト&マルセル・アラン﹃[[ファントマ]]﹄、[[ガストン・ルルー]]﹃ルレタビーユ﹄などを﹃新青年﹄別冊付録として翻訳。この原稿料で[[軽井沢]]千ヶ滝に[[別荘]]を購入し、ここで﹃魔都﹄を執筆した。
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1940年に岸田が[[大政翼賛会]]文化部長に就くと文化部嘱託となり、翼賛会宣伝部で﹃村の飛行兵﹄執筆。1941年に﹃新青年﹄の依頼で[[日中戦争]]下の[[中支那派遣軍|中支]]に従軍、冬青座のために[[脚本]]﹃浜木綿﹄﹃蜘蛛﹄﹃朝やけ﹄﹃鰯雲﹄執筆。1942 |
1940年に岸田が[[大政翼賛会]]文化部長に就くと文化部嘱託となり、翼賛会宣伝部で﹃村の飛行兵﹄執筆。1941年に﹃新青年﹄の依頼で[[日中戦争]]下の[[中支那派遣軍|中支]]に従軍、冬青座のために[[脚本]]﹃浜木綿﹄﹃蜘蛛﹄﹃朝やけ﹄﹃鰯雲﹄執筆。1942年舞台座の﹃鰯雲﹄を演出、[[大佛次郎]]夫妻の媒酌により三ツ谷幸子と結婚。1943年に[[大日本帝国海軍|海軍]]報道班として南方に派遣され、一時行方不明も伝えられたが、1944年に帰国。同年[[銚子市|銚子]]へ[[疎開]]、1945年[[会津若松市|会津若松]]に疎開。[[日本の降伏|終戦]]後の1946年に銚子へ転居。1947年末から[[鎌倉市|鎌倉]]の[[材木座]]に住んだ。母の鑑が同居して[[茶道]]を教え、姉のテル︵輝︶が通いで助手を務めた<ref name="道新20191126"/>。
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1951年『[[朝日新聞]]』に『十字街』連載。1957年、ラジオドラマ『[[下北半島|下北]]の漁夫』取材のために[[青森県]]の[[浅虫温泉|浅虫]]、[[野辺地町|野辺地]]に旅行し、その後の春頃から喉の異常を訴え<ref name="道新20191126"/>、6月に[[食道癌]]により東京・[[板橋区]]の癌研究院に入院、10月に自宅で死去。『肌色の月』連載最後の1回は幸子夫人が執筆し、また告別式の日が『肌色の月』映画版の封切日となった<ref>久生幸子「あとがき」(『肌色の月』中央公論社 1975年)</ref>。 |
1951年『[[朝日新聞]]』に『十字街』連載。1957年、ラジオドラマ『[[下北半島|下北]]の漁夫』取材のために[[青森県]]の[[浅虫温泉|浅虫]]、[[野辺地町|野辺地]]に旅行し、その後の春頃から喉の異常を訴え<ref name="道新20191126"/>、6月に[[食道癌]]により東京・[[板橋区]]の癌研究院に入院、10月に自宅で死去。『肌色の月』連載最後の1回は幸子夫人が執筆し、また告別式の日が『肌色の月』映画版の封切日となった<ref>久生幸子「あとがき」(『肌色の月』中央公論社 1975年)</ref>。 |
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没後の1969年頃から[[小栗虫太郎]]、[[夢野久作]]らとともに異色作家として注目されるようになり、 |
没後の1969年頃から[[小栗虫太郎]]、[[夢野久作]]らとともに異色作家として注目されるようになり、新装再刊、作品集の刊行が多くなった。 |
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筆名の久生十蘭は、[[シャルル・デュラン]]のもじりとも、「久しく生きとらん」「食うとらん」の意とも言われるが、いずれも真偽は定かでない。『新青年』の編集者だった[[乾信一郎]]の回想によれば、「食うとらん」は『新青年』等に寄稿していた映画批評家の |
筆名の久生十蘭は、[[シャルル・デュラン]]のもじりとも、「久しく生きとらん」「食うとらん」の意とも言われるが、いずれも真偽は定かでない。『新青年』の編集者だった[[乾信一郎]]の回想によれば、「食うとらん」は『新青年』等に寄稿していた映画批評家の松下富士夫が発案した[[駄洒落|シャレ]]であり、久生十蘭自身は「フランスの作家の名をもじっただけのことだよ」と語っていたという<ref>{{cite|和書|last=乾|first=信一郎|authorlink=乾信一郎|title=「新青年」の頃|publisher=早川書房|year=1991|month=11|isbn=4-15-203498-X|pages=118-122}}</ref>。熱狂的な愛読者は「ジュウラニアン」と呼ばれることもある<ref>[https://www.asahi.com/articles/DA3S13321572.html 「久生十蘭の異稿、発見 英文学者・吉田健一の遺品から」]『朝日新聞』朝刊2018年1月20日(文化・文芸面)</ref>。 |
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; 受賞等 |
; 受賞等 |
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* 1939年 『キャラコさん』で第1回新青年読者賞を受賞。 |
* 1939年 『キャラコさん』で第1回新青年読者賞を受賞。 |
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* 1952年 『鈴木主水』により第26回[[直木賞]]を受賞。 |
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* 1955年 『[[母子像 (小説)|母子像]]』(英訳者は[[吉田健一 (英文学者)|吉田健一]])が『[[ニューヨーク・トリビューン|ニューヨーク・ヘラルド・トリビューン]]』紙主催の第2回国際短篇小説コンクールで第一席に入選。 |
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* 直木賞候補に、11回﹃葡萄蔓の束﹂、15回﹃三笠の月﹄、16回﹃遣米日記﹄、17回﹃真福寺事件﹄。
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* 直木賞候補に、11回﹃葡萄蔓の束﹂、15回﹃三笠の月﹄、16回﹃遣米日記﹄、17回﹃真福寺事件﹄。
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[[顎十郎捕物帳]]は異様に顎の長い風貌を持つ仙波阿古十郎を主人公とする捕物小説で、その風貌はエドモン・ロスタン作『[[シラノ・ド・ベルジュラック (戯曲)|シラノ・ド・ベルジュラック]]』のもじりとも言われ<ref name=shimizu>[[清水邦夫]]「久生十蘭の“語り”と“騙り”」(『日本探偵小説全集 8 久生十蘭集』)</ref><ref name=eguchi/>、[[都筑道夫]]はこれが[[岡本綺堂]]『[[半七捕物帳]]』に続く正統派捕物帳として、この二作を手本にして『なめくじ長屋捕物さわぎ』書いたと述べており、さらに『[[小説現代]]』の依頼により顎十郎の新シリーズ『[[新顎十郎捕物帳]]』も執筆した<ref>『新 顎十郎捕物帳』講談社 1988年</ref>。 |
[[顎十郎捕物帳]]は異様に顎の長い風貌を持つ仙波阿古十郎を主人公とする捕物小説で、その風貌はエドモン・ロスタン作『[[シラノ・ド・ベルジュラック (戯曲)|シラノ・ド・ベルジュラック]]』のもじりとも言われ<ref name=shimizu>[[清水邦夫]]「久生十蘭の“語り”と“騙り”」(『日本探偵小説全集 8 久生十蘭集』)</ref><ref name=eguchi/>、[[都筑道夫]]はこれが[[岡本綺堂]]『[[半七捕物帳]]』に続く正統派捕物帳として、この二作を手本にして『なめくじ長屋捕物さわぎ』書いたと述べており、さらに『[[小説現代]]』の依頼により顎十郎の新シリーズ『[[新顎十郎捕物帳]]』も執筆した<ref>『新 顎十郎捕物帳』講談社 1988年</ref>。 |
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「無月物語」(1950)頃からは文体に「沈鬱でいながら明るい、重厚でありながら爽やかな響きが加わってきた」「[[森鴎外]]や[[メリメ]]と相かよう、乾ききった、それでいて対象を一刀のもとに抉りださずにいない鋭さを持つ」([[中井英夫]])<ref>中井英夫「解説」(『肌色の月』中央公論社 1975年)</ref>と言われるようになり、1952年「鈴木主水」直木賞受賞時の選後評では、[[大佛次郎]]「この浮気者(十蘭を指す)を抑へつけ、異例に属するゆたかな才能を軌道に落ち着かせる役を直木賞がするのだったら、意義のあることだと思った」、[[井伏鱒二]]「なるほど努力家であることは、表現に細心の注意を払はれていることによっても頷かれる」と述べられた<ref name=eguchi>江口雄輔「久生十蘭主要作品縦覧」(『[[ユリイカ (雑誌)|ユリイカ]]』1989年6月号</ref>。 |
「無月物語」(1950)頃からは文体に「沈鬱でいながら明るい、重厚でありながら爽やかな響きが加わってきた」「[[森鴎外]]や[[メリメ]]と相かよう、乾ききった、それでいて対象を一刀のもとに抉りださずにいない鋭さを持つ」([[中井英夫]])<ref>中井英夫「解説」(『肌色の月』中央公論社 1975年)</ref> と言われるようになり、1952年「鈴木主水」直木賞受賞時の選後評では、[[大佛次郎]]「この浮気者(十蘭を指す)を抑へつけ、異例に属するゆたかな才能を軌道に落ち着かせる役を直木賞がするのだったら、意義のあることだと思った」、[[井伏鱒二]]「なるほど努力家であることは、表現に細心の注意を払はれていることによっても頷かれる」と述べられた<ref name=eguchi>江口雄輔「久生十蘭主要作品縦覧」(『[[ユリイカ (雑誌)|ユリイカ]]』1989年6月号</ref>。 |
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私生活などを明かさないことでも知られた。[[太平洋戦争]]中の[[1943年]]に南方戦線([[ジャワ島]]や[[アンボン島]])で記した『従軍日記』が2004年に遺品の中から発見され、2007年に刊行された。従軍経験に関連する作品には、報道班員として戦地へ行く画家を描く『内地へよろしく』や、同様の設定の『風流旅情記』(『小説と読物』1950年7月号)があり、『母子像』は[[サイパン島玉砕]]の生き残りの親子を題材としている。 |
私生活などを明かさないことでも知られた。[[太平洋戦争]]中の[[1943年]]に南方戦線([[ジャワ島]]や[[アンボン島]])で記した『従軍日記』が2004年に遺品の中から発見され、2007年に刊行された。従軍経験に関連する作品には、報道班員として戦地へ行く画家を描く『内地へよろしく』や、同様の設定の『風流旅情記』(『小説と読物』1950年7月号)があり、『母子像』は[[サイパン島玉砕]]の生き残りの親子を題材としている。 |
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執筆には口述筆記を用いていた<ref |
執筆には口述筆記を用いていた<ref name="shimizu"/>。また、出版の度に文章の加筆を多く行った。全集等で初めて単行本化された作品も多い。 |
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=== 長編・連作短編=== |
=== 長編・連作短編=== |
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*『黄金遁走曲』(『新青年』1935年7-12月号、薔薇十字社・1973年) |
*『黄金遁走曲』(『新青年』1935年7-12月号、薔薇十字社・1973年) |
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*『金狼』(『新青年』1936年7-11月号、新太陽社・1947年) |
*『金狼』(『新青年』1936年7-11月号、新太陽社・1947年) |
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*『魔都』(『新青年』1937年10月-1938年10月号、挿絵は[[吉田貫三郎]]が担当。新太陽社・1948年、[[朝日文芸文庫]]・1995年) |
*『魔都』(『新青年』1937年10月-1938年10月号、挿絵は[[吉田貫三郎]]が担当。新太陽社・1948年、[[朝日文芸文庫]]・1995年、[[創元推理文庫]]・2017年) |
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*『キャラコさん』[[春陽堂書店|春陽堂]] 1939年(『新青年』1939年1-12月号) |
*『キャラコさん』[[春陽堂書店|春陽堂]] 1939年(『新青年』1939年1-12月号) |
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*﹃[[顎十郎捕物帳|顎十郎捕物帖]]﹄[[博文館]] 1940年︵﹃奇譚﹄1939年1月-1940年7月号、連載時は﹁六戸部力﹂名義、単行本は﹁谷川早﹂名義。別題﹃顎十郎評判捕物帳﹄﹃顎十郎捕物帳﹄。朝日文芸文庫・1998年︶
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*﹃[[顎十郎捕物帳|顎十郎捕物帖]]﹄[[博文館]] 1940年︵﹃奇譚﹄1939年1月-1940年7月号、連載時は﹁六戸部力﹂名義、単行本は﹁谷川早﹂名義。別題﹃顎十郎評判捕物帳﹄﹃顎十郎捕物帳﹄。朝日文芸文庫・1998年︶
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*『平賀源内捕物帳』春陽堂 1942年(『講談倶楽部』1940年1-8月号、「谷川早」名義、大日本雄弁会講談社・1949年、朝日文芸文庫・1996年) |
*『平賀源内捕物帳』春陽堂 1942年(『講談倶楽部』1940年1-8月号、「谷川早」名義、大日本雄弁会講談社・1949年、朝日文芸文庫・1996年、[[沖積舎]]・2016年) |
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*『紀の上一族』大道書房 1943年(1942年『新青年』7月号、『講談倶楽部』10月号、『モダン日本』11月号) |
*『紀の上一族』大道書房 1943年(1942年『新青年』7月号、『講談倶楽部』10月号、『モダン日本』11月号) |
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*『内地へよろしく』(『[[サンデー毎日]]』1944年7月2日号-同年12月、[[河出文庫]]、2015年) |
*『内地へよろしく』(『[[サンデー毎日]]』1944年7月2日号-同年12月、[[河出文庫]]、2015年) |
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*『ココに泉アリ』(『[[読売新聞]]』 1948年4月24日-同年8月24日) |
*『ココに泉アリ』(『[[読売新聞]]』 1948年4月24日-同年8月24日) |
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*『氷の園』(『[[新大阪 (新聞)|新大阪新聞]]』1949年10月-1950年5月) |
*『氷の園』(『[[新大阪 (新聞)|新大阪新聞]]』1949年10月-1950年5月) |
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*『十字街』朝日新聞社 1952年(『朝日新聞』夕刊1951年1月6日-同年6月17日。朝日文芸文庫・1994年) - [[スタヴィスキー事件]]を題材にした作品。 |
*『十字街』朝日新聞社 1952年(『朝日新聞』夕刊1951年1月6日-同年6月17日。朝日文芸文庫・1994年。[[小学館]]・2020年) - [[スタヴィスキー事件]]を題材にした作品。 |
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*『うすゆき抄』文藝春秋社 1952年(『オール讀物』1952年1-3月号) |
*『うすゆき抄』文藝春秋社 1952年(『オール讀物』1952年1-3月号) |
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*『あなたも私も』毎日新聞社 1955年(『[[毎日新聞]]』夕刊1954年10月29日-1955年3月24日) |
*『あなたも私も』毎日新聞社 1955年(『[[毎日新聞]]』夕刊1954年10月29日-1955年3月24日) |
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*「鈴木主水」1951年 |
*「鈴木主水」1951年 |
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*「うすゆき抄」1952年 |
*「うすゆき抄」1952年 |
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*「母子像」1954年 |
*「[[母子像 (小説)|母子像]]」1954年 |
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*「無惨やな」1956年 |
*「無惨やな」1956年 |
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* 『母子像・鈴木主水』[[角川文庫]] 1959年 |
* 『母子像・鈴木主水』[[角川文庫]] 1959年 |
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* 『美国横断鉄路』奢霸都館 1975年 |
* 『美国横断鉄路』奢霸都館 1975年 |
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* 『久生十蘭「従軍日記」 |
* 『久生十蘭「[[終戦日記|従軍日記]]」』講談社 2007年、講談社文庫 2012年。小林真二翻刻・[[橋本治]]解説 |
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; 全集 |
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*『久生十蘭全集(全7巻)』三一書房 1969-1970年 |
*『久生十蘭全集(全7巻)』三一書房 1969-1970年 |
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::[[江口雄輔]]、[[川崎賢子]]、[[浜田雄介]]、[[沢田安史]]:編集委員 |
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*『コレクシオン・ジュラネスク(全3巻)』出帆社 1973年 |
*『コレクシオン・ジュラネスク(全3巻)』出帆社 1973年 |
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*『肌色の月』[[中公文庫]] 1975年 |
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*『久生十蘭傑作選(全5巻)』社会思想社(現代教養文庫) 1976-77年 |
*『久生十蘭傑作選(全5巻)』社会思想社(現代教養文庫) 1976-77年 |
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**『魔都』『黄金遁走曲』『地底獣国』『昆虫図』『無月物語』 |
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*『日本探偵小説全集 8 久生十蘭集』[[東京創元社]] 1986年 |
*『日本探偵小説全集 8 久生十蘭集』[[東京創元社]]・[[創元推理文庫]] 1986年 |
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*『叢書 新青年 久生十蘭―遁走するファントマ』博文館新社 1992年 |
*『叢書 新青年 久生十蘭―遁走するファントマ』博文館新社 1992年 |
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*『久生十蘭集』リブリオ出版(くらしっくミステリーワールド) 1997年 |
*『久生十蘭集』リブリオ出版(くらしっくミステリーワールド) 1997年 |
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*『久生十蘭集 ハムレット』[[日下三蔵]]編 [[ちくま文庫]] 2001年 |
*『久生十蘭集 ハムレット』[[日下三蔵]]編 [[ちくま文庫]] 2001年 |
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*『湖畔・ハムレット』講談社文芸文庫 2005年 |
*『湖畔・ハムレット 久生十蘭作品集』講談社文芸文庫 2005年 |
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⚫ | *『定本 久生十蘭全集(全11巻 |
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*『久生十蘭短篇選』[[川崎賢子]]編 岩波文庫 2009年 |
*『久生十蘭短篇選』[[川崎賢子]]編 岩波文庫 2009年 |
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*『久生十蘭短篇傑作選(全7巻)』河出文庫 2010-2013年 |
*『久生十蘭短篇傑作選(全7巻)』河出文庫 2010-2013年 |
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**『久生十蘭ジュラネスク』『十蘭万華鏡』『パノラマニア十蘭』『十蘭レトリカ』『十蘭錬金術』『十蘭ビブリオマーヌ』『十蘭ラスト傑作選』 |
**『久生十蘭ジュラネスク』『十蘭万華鏡』『パノラマニア十蘭』『十蘭レトリカ』 |
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**『十蘭錬金術』『十蘭ビブリオマーヌ』『十蘭ラスト傑作選』 |
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*『墓地展望亭・ハムレット他六篇』川崎賢子編 岩波文庫 2016年 |
*『墓地展望亭・ハムレット他六篇』川崎賢子編 岩波文庫 2016年 |
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*『黒い手帳』日下三蔵編 光文社文庫 2022年 |
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*『肌色の月 探偵くらぶ』日下三蔵編 [[光文社文庫]] 2023年 |
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=== 放送台本 === |
=== 放送台本 === |
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*『再会 第一部かりそめの逢瀬 第二部相寄る魂』木村恵吾監督、[[久我美子]]主演、大映 1953年 |
*『再会 第一部かりそめの逢瀬 第二部相寄る魂』木村恵吾監督、[[久我美子]]主演、大映 1953年 |
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*『おしゅん捕物帖 謎の尼御殿』滝沢英輔監督、[[月丘夢路]]主演、日活 1955年(原作「顎十郎捕物帳 都鳥」) |
*『おしゅん捕物帖 謎の尼御殿』滝沢英輔監督、[[月丘夢路]]主演、日活 1955年(原作「顎十郎捕物帳 都鳥」) |
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*『愛情会議』萩山輝男監督、[[斎藤達雄]]主演、[[松竹]] 1955年 |
*『愛情会議』萩山輝男監督、[[斎藤達雄 (俳優)|斎藤達雄]]主演、[[松竹]] 1955年 |
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*『母子像』[[佐伯清]]監督、[[山田五十鈴]]主演、[[東映]] 1956年 |
*『母子像』[[佐伯清]]監督、[[山田五十鈴]]主演、[[東映]] 1956年 |
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*『拳銃を捨てろ』小石栄一監督、[[高倉健]]主演、東映 1956年 |
*『拳銃を捨てろ』小石栄一監督、[[高倉健]]主演、東映 1956年 |
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162行目: | 167行目: | ||
*『顎十郎捕物帳』TBS 1968年、[[若林豪]] |
*『顎十郎捕物帳』TBS 1968年、[[若林豪]] |
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* 『霧の湖』 NHK 1974年(原作『肌色の月』) |
* 『霧の湖』 NHK 1974年(原作『肌色の月』) |
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=== 漫画 === |
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* 『久生十蘭漫画集 予言・姦』KADOKAWA 2016年 [[河井克夫]] |
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== 海外への翻訳 == |
== 海外への翻訳 == |
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=== 中国本土(簡体字) === |
=== 中国本土(簡体字) === |
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* {{lang|zh|黑色 |
* {{lang|zh|黑色記事本}} (2010年12月,[[吉林省|吉林]]出版集団有限責任公司) |
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** 「黒い手帳」「湖畔」「月光と硫酸」「海豹島」「墓地展望亭」「母子像」「ハムレット」 |
** 「黒い手帳」「湖畔」「月光と硫酸」「海豹島」「墓地展望亭」「母子像」「ハムレット」 |
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* {{lang|zh|地底 |
* {{lang|zh|地底獣国}} (2010年12月,吉林出版集団有限責任公司) |
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**「 |
**「肌色の月」「鶴鍋」「春雪」「雪間」「白雪姫」「地底獣国」「昆虫図」「水草」「骨仏」「予言」「虹の橋」 |
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* {{lang|zh|魔都}} (2010年12月,吉林出版集 |
* {{lang|zh|魔都}} (2010年12月,吉林出版集団有限責任公司) |
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* {{lang|zh|十字街}} (2010年12月,吉林出版集 |
* {{lang|zh|十字街}} (2010年12月,吉林出版集団有限責任公司) |
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=== フランス語 === |
=== フランス語 === |
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* ''Portrait d'une mère et de son enfant'' (''La Famille - Anthologie de nouvelles japonaises contemporaines, Tome 4'' 所収) (Jean-Jacques Tschudin訳) (2009, Éditions du Rocher) |
* ''Portrait d'une mère et de son enfant'' (''La Famille - Anthologie de nouvelles japonaises contemporaines, Tome 4'' 所収) (Jean-Jacques Tschudin訳) (2009, Éditions du Rocher) |
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** 「母子像」 |
** 「母子像」 |
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'''英語''' |
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* [https://web.archive.org/web/20200928033809/https://welkinmag.com/water-grass/ 「Water Grass」]''Welkin Magazine: A Magazine of the Fantastic'' (2020年9月) |
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== 脚注 == |
== 脚注 == |
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== 参考文献 == |
== 参考文献 == |
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* 『[[ユリイカ (雑誌)|ユリイカ]]』"特集久生十蘭 文体のダンディズム"(1989年6月号) |
* 『[[ユリイカ (雑誌)|ユリイカ]]』"特集久生十蘭 文体のダンディズム"青土社(1989年6月号) |
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* [[長谷部史親]]『欧米推理小説翻訳史』[[本の雑誌社]] 1992年/[[双葉文庫]] 2007年 |
* [[長谷部史親]]『欧米推理小説翻訳史』[[本の雑誌社]] 1992年/[[双葉文庫]] 2007年 |
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* 江口雄輔『久生十蘭』[[白水社]] 1994年 |
* 江口雄輔『久生十蘭』[[白水社]] 1994年 |
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* [[島崎博]]「久生十蘭著作年表」 |
* [[島崎博]]「久生十蘭著作年表」『無月物語』社会思想社 1977年 |
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* 『久生十蘭 評する言葉も失う最高の作家』[[河出書房新社]]〈文芸の本棚〉 2015年 |
* 『久生十蘭 評する言葉も失う最高の作家』[[河出書房新社]]〈文芸の本棚〉 2015年 |
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*「久生十蘭略年譜」 |
*「久生十蘭略年譜」河出文庫『内地へよろしく』2015年 |
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== 外部リンク == |
== 外部リンク == |
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{{直木賞|第26回}} |
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[[Category:日本の小説家]] |
[[Category:20世紀日本の小説家]] |
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[[Category:明治大学の教員]] |
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2023年8月22日 (火) 01:54時点における最新版
久生 十蘭 (ひさお じゅうらん) | |
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久生 十蘭 | |
誕生 |
1902年4月6日 北海道函館区 |
死没 |
1957年10月6日(55歳没) 神奈川県鎌倉市 |
墓地 | 材木座霊園聖公会廟(鎌倉市) |
職業 | 小説家 |
言語 | 日本語 |
国籍 | 日本 |
最終学歴 | パリ市立技芸学校卒業 |
ジャンル | 小説 |
主な受賞歴 | 直木賞(1952年) |
デビュー作 | 『蠶』(1926年) |
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