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=== 前史 ===
=== 前史 ===
[[画像:Jomon vessel 3000-2000BC.jpg|thumb|150px|[[縄文式土器]]]]
[[File :Jomon Vessel with Flame-like Ornamentation, attributed provenance Umataka, Nagaoka-shi, Niigata, Jomon period, 3000-2000 BC - Tokyo National Museum - DSC05620 .JPG |thumb|150px|[[縄文式土器]]]]
日本列島では、まだ[[ユーラシア大陸]]と陸続きの時代に石製加工具類が発掘されており、約3万年前に人類が存在したとされる。この時代の人類には、[[ヒト]]([[ホモ・サピエンス]])や[[ネアンデルタール人|ホモ・ネアンデルターレンシス]]が含まれる。ただし、[[火山]]を多く持つ日本列島は[[火山灰]]に覆われており、土壌が酸性であるため[[化石]]が残りにくくなっている。[[旧石器時代]]から人類がいた事を示す遺跡は、日本列島の各地に存在するが、人類の化石そのものは未だに発見されていない<ref>{{cite news |title=実は世界の最先端だった旧石器時代の日本列島 |newspaper=[[日経ビジネス]] |date=2013-6-20 |url=http://business.nikkeibp.co.jp/article/report/20130610/249449/ |accessdate=2013-6-21}}</ref>。
日本列島では、まだ[[ユーラシア大陸]]と陸続きの時代に石製加工具類が発掘されており、約3万年前に人類が存在したとされる。この時代の人類には、[[ヒト]]([[ホモ・サピエンス]])や[[ネアンデルタール人|ホモ・ネアンデルターレンシス]]が含まれる。ただし、[[火山]]を多く持つ日本列島は[[火山灰]]に覆われており、土壌が酸性であるため[[化石]]が残りにくくなっている。[[旧石器時代]]から人類がいた事を示す遺跡は、日本列島の各地に存在するが、人類の化石そのものは未だに発見されていない<ref>{{cite news |title=実は世界の最先端だった旧石器時代の日本列島 |newspaper=[[日経ビジネス]] |date=2013-6-20 |url=http://business.nikkeibp.co.jp/article/report/20130610/249449/ |accessdate=2013-6-21}}</ref>。
2016年3月22日 (火) 04:48時点における版
概要
起源
大 和 民 族 は 、 縄 文 時 代 以 前 か ら 日 本 列 島 に 住 ん で い た 人 々 の う ち 、 弥 生 時 代 に 大 和 ︵ 奈 良 盆 地 の 南 東 部 ︶ を 本 拠 地 と す る 人 々 を 中 心 に 形 成 さ れ た ヤ マ ト 王 権 ︵ 大 和 朝 廷 ︶ に 属 す る 民 族 の 呼 称 。 ヤ マ ト 王 権 の 勢 力 拡 大 に 伴 い 、 一 地 域 名 で あ っ た ﹁ 大 和 ﹂ が 日 本 を 広 く 指 す 呼 称 と な り 、 民 族 名 と も な っ た 。 た だ し 、 ヤ マ ト 王 権 の 成 立 過 程 は 現 段 階 で も 明 ら か に な っ て お ら ず 、 謎 も 多 い 。
大 和 民 族 の 形 成 当 初 は 九 州 地 方 の 隼 人 や 、 東 北 地 方 の 蝦 夷 が 異 民 族 と さ れ て い た 。 し か し 彼 ら は 中 世 以 前 に 大 和 民 族 と 同 化 し て お り 、 ア イ ヌ も 、 大 和 民 族 と の 混 血 や 文 化 的 同 化 が 進 ん だ 結 果 、 ︵ 民 族 的 ︶ 日 本 人 と 大 和 民 族 の 範 囲 は ほ ぼ 一 致 す る よ う に な り 、 こ と さ ら 大 和 民 族 と い う 呼 称 が 使 わ れ る こ と は 稀 に な っ て い る 。
明 治 時 代 以 降 に は ア イ ヌ や 琉 球 な ど が 併 合 さ れ た [ 2 ] が 、 大 和 民 族 と い う 言 葉 は 、 当 時 日 本 国 民 と さ れ た 台 湾 、 朝 鮮 半 島 、 樺 太 な ど の 人 々 や 、 琉 球 や ア イ ヌ の 人 々 を 排 除 す る 意 味 合 い を 持 ち 、 大 日 本 帝 国 の 支 配 的 立 場 に い る 民 族 を 指 す 言 葉 と し て 使 わ れ 、 敗 戦 後 は あ ま り 使 わ れ な く な っ た [ 3 ] と す る 意 見 が あ る 。
呼 称
中 国 の ﹃ 三 国 志 ﹄ に お け る ﹁ 魏 志 倭 人 伝 ﹂ ︵ ﹃ 三 国 志 ﹄ 魏 書 東 夷 伝 倭 人 条 ︶ で は 、 親 魏 倭 王 卑 弥 呼 は 、 約 30 の 国 か ら な る 倭 国 の 都 と し て こ こ に 住 居 し て い た と し て い る 。 な お 、 現 存 す る 三 国 志 の 版 本 で は ﹁ 邪 馬 壹 國 ﹂ と 表 記 さ れ て い る が 、 晩 唐 以 降 の 写 本 で 誤 写 が 生 じ た も の と す る の が 通 説 で あ る 。 現 代 人 の 著 作 の 多 く は 、 そ れ ぞ れ ﹁ 壱 ﹂ ﹁ 台 ﹂ で 代 用 し て い る の で 、 本 稿 で も ﹁ 邪 馬 台 国 ﹂ ﹁ や ま と こ く ﹂ と 表 記 す る 。 古 く は 中 国 よ り ﹁ 倭 ﹂ と 呼 ば れ 、 大 和 民 族 も ﹁ 倭 人 ﹂ と 書 い て ﹁ ワ ジ ン ﹂ と 自 称 し た り 、 ま た ﹁ 倭 ﹂ を ﹁ ヤ マ ト ﹂ と 訓 じ る な ど し て い た が 、 や が て ﹁ 倭 ﹂ の 表 記 は 廃 れ 、 代 わ り に ﹁ 大 和 ﹂ の 表 記 が 一 般 的 と な っ た 。
な お 、 ア イ ヌ 語 で は 大 和 民 族 を シ サ ム ︵ ﹁ 隣 人 ﹂ の 意 ︶ と 呼 称 し て お り 、 日 本 語 で ア イ ヌ と の 対 比 で 大 和 民 族 に つ い て 言 及 す る 時 は 和 人 と 称 さ れ る こ と が 多 い 。 ま た 、 沖 縄 方 言 に は 自 称 の ウ チ ナ ー ン チ ュ ︵ 沖 縄 人 、 よ り 厳 密 に は 旧 琉 球 王 国 の 領 民 の う ち 沖 縄 本 島 に 居 住 し て い た 人 々 を 指 す ︶ に 対 し 、 沖 縄 で 言 う ﹁ 本 土 ﹂ の 者 を 表 す 言 葉 と し て ヤ マ ト ン チ ュ ︵ 大 和 人 ︶ と い う 呼 称 が あ る 。 し か し 日 本 国 籍 を 持 つ 者 の 大 半 が 日 本 語 を 母 語 と す る 大 和 民 族 で あ る た め ﹁ 日 本 人 ﹂ と ﹁ 大 和 民 族 ﹂ は 同 一 視 さ れ る こ と が 多 く 、 日 常 一 般 で も 大 和 民 族 や 和 人 と い う 言 葉 は あ ま り 用 い ら れ ず 、 日 本 人 と 称 す る こ と が 多 い 。
生 物 学 的 考 察
明 治 期 に お け る 人 類 学 的 な 区 分 で は 、 坪 井 正 五 郎 が 先 史 時 代 の 先 住 民 で あ る コ ロ ボ ッ ク ル 、 ア イ ヌ ︵ 及 び 樺 太 ア イ ヌ ︶ 、 琉 球 民 族 、 朝 鮮 民 族 ・ 台 湾 漢 人 、 台 湾 原 住 民 な ど を 除 い た 集 合 を 大 和 民 族 と 主 張 し て い た 。 当 時 は そ の ほ か に 、 日 本 人 に は 上 流 階 級 に 多 い 長 州 タ イ プ ・ 庶 民 に 多 い 薩 摩 タ イ プ と い う 人 種 的 区 分 が 存 在 す る と い う 指 摘 が エ ル ヴ ィ ン ・ フ ォ ン ・ ベ ル ツ ら か ら な さ れ る こ と も あ っ た 。 戦 前 の 国 定 地 理 教 科 書 で も 、 大 日 本 帝 国 を 構 成 す る 民 族 と し て 、 ﹁ 朝 鮮 人 ﹂ ﹁ 支 那 民 族 ﹂ ﹁ 土 人 ﹂ ﹁ ア イ ヌ ﹂ と と も に ﹁ 大 和 民 族 ﹂ が 挙 げ ら れ て い る [ 4 ] 。
父 系
ハ プ ロ グ ル ー プ の 動 き
Y 染 色 体 ︵ 父 系 ︶ の 研 究 で は 、 日 本 人 の 中 に は ハ プ ロ グ ル ー プ が D 1 b ( D - M 6 4 . 1 ) 系 統 ︵ 縄 文 人 ︶ と ハ プ ロ グ ル ー プ O 2 b 1 a ( O - 4 7 z ) 系 統 ︵ 渡 来 人 ︶ が 存 在 す る こ と が 判 明 し た 。 こ の う ち ハ プ ロ グ ル ー プ D 1 b の 系 統 は 日 本 人 に 固 有 に 見 ら れ る タ イ プ で 、 朝 鮮 半 島 や 中 国 人 に は 全 く 見 ら れ な い 固 有 種 で あ る こ と も 判 明 し た 。 こ れ は 縄 文 人 の 血 を 色 濃 く 残 す と さ れ る ア イ ヌ に 8 8 % 見 ら れ る こ と か ら 、 D 系 統 は 縄 文 人 ︵ 古 モ ン ゴ ロ イ ド ︶ 特 有 の 形 質 だ と さ れ る 。 ま た 本 州 日 本 人 は 3 5 % に み ら れ る な ど 、 約 3 人 に 1 人 の 割 合 で こ の 系 統 に 属 し て い る 。
ア リ ゾ ナ 大 学 の マ イ ケ ル ・ F ・ ハ マ ー ( M i c h a e l F . H a m m e r ) の Y 染 色 体 分 析 で も Y A P ハ プ ロ タ イ プ ︵ D 系 統 ︶ が 扱 わ れ 、 さ ら に チ ベ ッ ト 人 も 5 0 % の 頻 度 で こ の Y A P ハ プ ロ タ イ プ を 持 っ て い る こ と を 根 拠 に 、 縄 文 人 の 祖 先 は 約 5 万 年 前 に 中 央 ア ジ ア に い た 集 団 が 東 進 を 続 け た 結 果 、 約 3 万 年 前 に 北 方 ル ー ト で 北 海 道 に 到 着 し た と す る 仮 説 を 提 唱 し た 。 ︵ い っ ぽ う 崎 谷 満 は D 1 b 系 統 ︵ の 祖 型 ︶ は 朝 鮮 半 島 を 経 由 し て 日 本 列 島 に 到 達 し た と し て い る 。 ︶ Y 染 色 体 と ミ ト コ ン ド リ ア D N A と の 頻 度 の 違 い は 縄 文 人 が 渡 来 系 弥 生 人 集 落 へ の 一 方 的 流 入 を 起 こ し た 分 布 と な る こ と か ら 、 渡 来 人 が 一 方 的 に 縄 文 人 を 追 い 払 っ た と す る 根 拠 は 確 認 さ れ て い な い 。 [ 5 ] [ 6 ] [ 7 ]
ま た 、 渡 来 人 と 言 わ れ る ハ プ ロ グ ル ー プ O 2 b 1 a ( O - 4 7 z ) の 系 統 も 日 本 で 発 生 し 拡 散 し た と さ れ る 日 本 固 有 種 で あ る 。 大 和 民 族 と 遺 伝 的 に 最 も 近 縁 な の は 琉 球 人 と ア イ ヌ 人 で あ る [ 8 ] [ 9 ] 。
母 系
ミ ト コ ン ド リ ア D N A ︵ 母 系 ︶ の 研 究 に よ る と 、 縄 文 人 も 渡 来 人 も ど ち ら も 東 ア ジ ア に 類 似 し た D N A が 多 く 分 布 し て お り 、 こ の 研 究 で は 縄 文 人 を 南 方 系 ・ 渡 来 人 を 北 方 系 と す る 埴 原 和 郎 の 二 重 構 造 説 は 疑 問 視 さ れ て い る [ 1 0 ] [ 1 1 ] 。
ま た 、 一 方 で は 日 本 人 は 北 海 道 か ら 沖 縄 県 に 至 る ま で 遺 伝 学 的 に は 大 差 は な く 、 周 辺 の 中 国 人 や 朝 鮮 人 よ り 均 一 性 の 高 い 民 族 で あ る と い う 研 究 結 果 も あ る 。 根 井 正 利 は 、 ﹁ 現 代 人 の 起 源 ﹂ に 関 す る シ ン ポ ジ ウ ム ︵ 1 9 9 3 年 、 京 都 ︶ に て 、 日 本 人 ︵ 北 海 道 か ら 沖 縄 県 ま で ︶ は 約 3 万 年 前 か ら 北 東 ア ジ ア か ら 渡 来 し 、 弥 生 時 代 以 降 の 渡 来 人 は 現 代 日 本 人 の 遺 伝 子 プ ー ル に は ほ ん の わ ず か な 影 響 し か 与 え て い な い 、 と い う 研 究 結 果 を 出 し て い る [ 1 2 ] [ 1 3 ] [ 1 4 ] 。
2 0 0 9 年 ︵ 平 成 21 年 ︶ 12 月 10 日 、 日 本 を 含 む ア ジ ア 10 ヵ 国 の 研 究 者 に よ っ て 行 わ れ た ゲ ノ ム の 詳 細 解 析 の 国 際 共 同 研 究 の 結 果 が サ イ エ ン ス に 発 表 さ れ た 。 数 万 年 前 ま で 遡 る と 、 日 本 人 を 含 む 東 ア ジ ア 集 団 の 起 源 は 東 南 ア ジ ア に あ る と 推 定 さ れ る と い う 結 果 で あ っ た [ 1 5 ] 。
さ ら に 、 2 0 1 0 年 ま で に 沖 縄 県 石 垣 島 の 白 保 竿 根 田 原 洞 穴 遺 跡 か ら 発 掘 さ れ た 、 旧 石 器 時 代 の 人 骨 を 、 2 0 1 3 年 に 国 立 科 学 博 物 館 が 分 析 し た 結 果 、 国 内 最 古 の 人 骨 ︵ 約 2 万 - 1 万 年 前 ︶ と さ れ た 4 点 の う ち 2 点 は ハ プ ロ グ ル ー プ M 7 a と 呼 ば れ る 南 方 系 由 来 の 系 統 で あ る こ と が 明 ら か と な っ た [ 1 6 ] 。
現 在 で は 、 縄 文 人 の 母 系 の D N A と し て は 、 ハ プ ロ グ ル ー プ F 、 B 、 M 7 a な ど の 型 が あ っ た こ と が 知 ら れ て い る 。
分 布
日 本 列 島 の 位 置
大 和 民 族 は 、 主 に 日 本 列 島 に 居 住 し て お り 、 日 本 国 の 社 会 で 多 数 派 を 形 成 す る 民 族 で あ る 。 日 本 国 は 民 族 別 の 統 計 を 詳 細 に 取 っ て い な い た め 厳 密 に は 不 明 で あ る 。 参 考 に な る 数 値 と し て は 、 日 本 の 外 国 人 ︵ 日 本 国 籍 を 持 た な い 者 ︶ が 日 本 の 人 口 全 体 に 占 め る 割 合 は 1 . 6 0 % ︵ 2 0 1 3 年 ︶ ほ ど で あ る [ 1 7 ] が 、 こ の 数 値 は 血 統 的 に 大 和 民 族 で あ っ て も 外 国 籍 な ら ば 外 国 人 と 数 え ら れ 、 逆 に 大 和 民 族 の 血 を 引 い て い な く て も 日 本 国 籍 を 取 得 し て い れ ば 日 本 人 と 数 え ら れ る の で 、 僅 か ば か り 誤 差 が 出 る 。
日 本 以 外 に は 、 移 民 ︵ 日 系 人 ︶ と し て ブ ラ ジ ル を 始 め と す る ラ テ ン ア メ リ カ 諸 国 、 ア ジ ア 、 ヨ ー ロ ッ パ 、 ア メ リ カ 合 衆 国 な ど 世 界 中 に 分 布 し た 。 た だ し 、 近 隣 の 民 族 で あ る 漢 民 族 や 朝 鮮 民 族 と 比 べ る と 日 本 国 外 へ の 移 住 者 は 比 較 的 少 な い 。 現 在 、 彼 ら は 日 系 ブ ラ ジ ル 人 や 日 系 ア メ リ カ 人 と し て 、 そ れ ぞ れ の 国 の 少 数 民 族 と し て 暮 ら し て い る 。
大 日 本 帝 国 時 代 に は 大 日 本 帝 国 が 台 湾 と 朝 鮮 半 島 を 領 有 ・ 南 洋 諸 島 ︵ マ リ ア ナ ・ パ ラ オ 他 ︶ を 委 任 統 治 し 、 さ ら に ア ジ ア や 南 太 平 洋 の 各 地 に 進 出 し て 分 布 域 を 広 げ た こ と に よ り 、 そ れ ら 外 地 に 一 定 の 社 会 基 盤 を 築 い て い っ た が 、 太 平 洋 戦 争 が 終 結 し た 後 、 日 本 政 府 統 治 地 域 ︵ 内 地 ︶ へ 帰 っ て い っ た 。
た だ し 、 終 戦 の 混 乱 に よ っ て 本 人 の 意 思 に 関 係 な く 、 現 地 に 残 っ た 人 々 が 存 在 す る 。 彼 ら の 中 に は 中 国 残 留 日 本 人 と な っ た り 、 ま た イ ン ド ネ シ ア 独 立 戦 争 な ど に 参 加 し た 残 留 日 本 兵 な ど が い る が 、 そ の ほ と ん ど は 現 在 高 齢 化 し て い る 。
戦 前 、 日 本 が 領 有 し た 地 域 の 中 で は 樺 太 や パ ラ オ 共 和 国 な ど に 、 小 規 模 な が ら 残 留 日 本 人 の 共 同 体 が 現 存 す る 。
言語
日本語の文章
古 代 か ら 日 本 語 が 話 さ れ て き た 。 日 本 国 内 の 大 和 民 族 は 日 本 語 、 も し く は 日 本 手 話 を 母 語 と し て い る 。 い わ ゆ る ﹁ 先 進 国 ﹂ に 共 通 の 事 象 で あ る が 、 日 本 語 が 話 せ れ ば 日 本 国 内 で は 高 等 教 育 も 含 め て 意 思 疎 通 に 不 自 由 す る こ と が 少 な い の で 、 流 暢 に 外 国 語 を 操 れ る 人 間 は 多 く な い 。
古 代 に 語 彙 面 で 中 国 語 の 大 き な 影 響 を 受 け 、 漢 語 が 大 量 に 入 り 込 ん だ 。 語 彙 ほ ど で は な い が 、 拗 音 や 語 頭 ラ 行 音 ・ 語 頭 濁 音 ・ 母 音 連 続 の 許 容 等 、 音 韻 面 で 受 け た 影 響 も 少 な く な い 。 近 世 前 期 ま で は 京 都 方 言 、 近 世 後 期 に は 江 戸 方 言 が 中 央 語 の 位 置 に あ っ た が 、 峻 厳 な 日 本 列 島 の 地 理 的 条 件 も あ っ て 、 近 代 以 前 の 一 部 の 地 方 に は 他 地 方 と 意 思 疎 通 に 困 難 を 来 す ほ ど の 方 言 差 が あ っ た 。 現 在 で は 共 通 語 の 普 及 も あ っ て 、 異 な る 方 言 話 者 の 間 で も 意 思 疎 通 に 大 き な 問 題 を 生 じ る こ と は 少 な い 。
な お 、 日 本 の 中 で も 奄 美 群 島 と 沖 縄 県 の 大 半 で 琉 球 民 族 に よ っ て 話 さ れ て い た 伝 統 的 な 言 語 は 、 音 韻 ・ 語 彙 が 本 土 の 日 本 語 と は 大 き く 異 な る た め 口 頭 で の 意 思 疎 通 は 困 難 で あ り 、 日 本 語 と 異 な る 言 語 、 琉 球 語 と み な す 。 た だ し 琉 球 語 も 日 本 語 と 同 系 統 の 言 語 で あ り 、 日 本 語 族 に 入 れ ら れ る 。 一 方 、 日 本 国 内 で 話 さ れ て き た 言 語 と し て は 、 他 に ア イ ヌ の ア イ ヌ 語 が あ る が 、 非 常 に 近 い 場 所 で 話 さ れ て き た に も か か わ ら ず 、 ア イ ヌ 語 と 日 本 語 は 、 一 部 の 単 語 の 借 用 を 除 き 、 類 似 性 が ほ と ん ど 認 め ら れ ず 、 全 く 別 の 言 語 で あ る 。
表 記 に つ い て は 、 漢 字 が 伝 わ る 以 前 の 独 自 の 文 字 は 現 在 ま で 見 つ か っ て い な い 。 漢 字 流 入 以 前 に 神 代 文 字 と 呼 ば れ る 文 字 が あ っ た と す る 説 も あ る が 、 学 術 的 な 根 拠 は 存 在 し な い 。 絵 文 字 と も 思 わ れ る 模 様 が 刻 ま れ た 土 器 が 発 見 さ れ た 事 例 は あ る が 、 発 掘 例 も 少 な い た め 、 文 字 と 呼 べ る だ け の 規 則 性 は 見 受 け ら れ な い と さ れ て い る 。
漢 字 の 伝 来 後 は こ れ を 表 記 に 用 い 、 後 に 、 漢 字 を 大 幅 に 崩 す こ と で 、 音 節 文 字 の 一 種 で あ る 平 仮 名 、 片 仮 名 が 成 立 し た 。 こ れ ま で 全 て 漢 字 や 万 葉 仮 名 で 記 述 さ れ て い た 日 本 語 を そ の ま ま 文 章 に す る こ と が 可 能 と な り 、 日 本 文 学 が 発 生 ・ 発 展 し た 。 中 世 に は 現 在 の 日 本 語 の 書 き 言 葉 の 原 型 と な る 和 漢 混 淆 文 が 成 立 し 、 日 本 語 は 漢 語 と 和 語 を 織 り 交 ぜ た 自 在 な 表 現 力 を 得 た 。
日 本 語 は 多 種 の 文 字 を 組 み 合 わ せ る と い う 複 雑 な 表 記 体 系 を 持 つ が 、 近 現 代 に お い て 日 本 人 の 識 字 率 は 極 め て 高 い 。 近 世 の 大 和 民 族 は 、 世 界 的 に 見 て も 識 字 率 が 高 い 民 族 で あ っ た 。 仮 名 や 簡 単 な 漢 字 を 読 む こ と は 江 戸 時 代 の 庶 民 の 間 で は 常 識 の 域 に 属 し 、 庶 民 層 を 対 象 に し た 盛 ん な 出 版 活 動 が な さ れ た 。 江 戸 時 代 に 日 本 国 外 か ら 来 日 し た 外 国 人 は 、 大 和 民 族 が 身 分 や 男 女 の 別 な く 文 字 が 読 め る 事 を 驚 き と 共 に 本 国 に 伝 え て い る 。
現 在 で は 、 漢 字 、 仮 名 の 他 に 企 業 名 や 単 語 の 略 称 な ど に ラ テ ン 文 字 が 使 わ れ る 機 会 も 多 い 。 さ ら に 数 字 の 表 記 に は 漢 数 字 の 他 、 ア ラ ビ ア 数 字 、 ロ ー マ 数 字 を 使 用 し て い る 。
近 年 で は 日 本 語 を 解 さ な い 、 ポ ル ト ガ ル 語 、 ス ペ イ ン 語 、 漢 語 を 母 語 と す る 日 系 人 の 還 流 も 多 い 。
宗教
伊勢神宮 内宮神楽殿
大 和 民 族 の 信 仰 は 、 土 着 の 民 族 固 有 の 信 仰 が 発 展 し た 神 道 、 お よ び 外 来 宗 教 の 仏 教 が 多 数 派 で あ り 、 ﹁ 神 様 、 仏 様 ﹂ と い っ た 表 現 か ら も 伺 え る よ う に 、 一 般 の 日 本 人 は こ れ ら 2 つ を 混 在 し て 信 仰 し て い る 場 合 が 多 い 。 キ リ ス ト 教 は 、 日 本 の 文 化 に 強 い 影 響 を 与 え て い る が 、 信 徒 数 は 少 な い 。 他 、 新 興 宗 教 の 信 仰 者 や 、 無 宗 教 者 も 存 在 す る 。
古 代 に お い て は 在 来 の 神 祇 信 仰 で あ り 、 そ の 後 は そ の 発 展 形 態 で あ る 神 道 が 信 仰 さ れ る よ う に な っ た 。 ま た 仏 教 伝 来 後 は 仏 教 も 同 時 に 信 仰 さ れ る 場 合 が 多 く ︵ → 日 本 の 仏 教 、 神 仏 習 合 ︶ 、 祖 先 崇 拝 な ど で の 影 響 も 大 き い 。 そ れ ら が 複 合 し た 形 態 を も っ て 、 一 つ の 一 貫 し た 民 俗 体 系 が 構 築 さ れ て い る 。 信 仰 の あ り 方 は 一 神 教 的 な 救 済 論 的 な も の で は な く 、 習 俗 的 な 穏 や か な も の で あ り 、 自 ら を ﹁ 信 者 ﹂ と は み な さ な い 場 合 も 多 い 。 し か し 、 広 い 意 味 で の 宗 教 的 な 感 覚 は 、 冠 婚 葬 祭 や 年 中 行 事 な ど の 場 面 で 、 他 宗 教 と は 異 質 な 独 自 の 信 念 が 意 識 さ れ る こ と が あ る 。 時 に は 、 臓 器 移 植 に 対 す る 抵 抗 な ど が 独 特 の 文 化 で あ る と 主 張 さ れ て い た が 、 実 際 に は ど の 国 で も 、 生 命 倫 理 上 移 植 手 術 は 導 入 時 に 抵 抗 が あ っ た 。
文化
大 和 民 族 は 、 独 自 の 文 化 を 土 台 に し て 、 他 民 族 の 文 化 ・ 宗 教 を 上 手 く 取 り 入 れ 、 融 合 ・ 発 展 さ せ て き た 民 族 で あ る 。 ま た 、 近 代 以 降 は ア ジ ア 諸 国 を 中 心 に 他 民 族 の 文 化 に 大 き な 影 響 を 与 え て も い る 。
特 に 中 国 の 中 華 文 化 の 影 響 は 大 き く 、 自 ら 遣 隋 使 や 遣 唐 使 を 派 遣 し 、 中 国 大 陸 の 進 ん だ 技 術 や 文 化 を 貪 欲 に 学 ん で い っ た 。 そ の 一 方 で 、 大 和 民 族 は 朝 鮮 半 島 や ベ ト ナ ム な ど 、 他 の 中 華 文 明 圏 と は 違 い 、 中 国 に 直 接 支 配 さ れ た 経 験 は な く 、 ま た 海 を 隔 て る と い う 地 理 的 要 因 か ら 、 強 大 な 中 国 の 脅 威 に は あ ま り 晒 さ れ ず 、 受 け 入 れ た 外 国 の 文 化 ︵ と り わ け 中 華 文 明 ︶ を 独 自 に 消 化 し て い く 余 裕 が あ っ た 。 や が て 、 外 国 の 文 化 と 日 本 独 自 の 文 化 が 融 合 し 、 日 本 文 化 が 生 み 出 さ れ て い っ た 。
16 世 紀 、 ポ ル ト ガ ル 人 な ど の 西 洋 人 来 航 に よ り 、 日 本 人 は 西 洋 文 明 を 初 め て 直 接 受 け 入 れ 、 南 蛮 貿 易 を 通 じ て 受 け 入 れ た ヨ ー ロ ッ パ 文 化 を 独 自 の 日 本 的 な 形 に 消 化 し て い っ た 。
1 8 7 3 年 ウ ィ ー ン 万 博 の 日 本 館
幕 末 の 条 約 港 開 港 以 降 は 、 米 国 ・ 英 国 を は じ め と す る 欧 米 か ら 西 洋 の 風 習 が 日 本 に 入 り 、 そ れ ら は 在 来 文 化 と 融 合 し 、 変 化 ・ 変 質 し て 独 特 な 展 開 を 遂 げ た 。 し か し 、 明 治 維 新 以 降 の 西 洋 文 明 の 流 入 ︵ 文 明 開 化 ︶ は あ ま り に 急 激 で あ り 、 欧 化 主 義 に よ っ て 日 本 の 文 化 を 旧 態 依 然 の 古 い 物 と す る 考 え 方 が 登 場 し 、 伝 統 文 化 が 危 機 に 陥 っ た 事 も あ っ た 。 こ れ は 単 な る 外 国 崇 拝 だ け で は な く 、 当 時 の 極 端 に 低 い 日 本 の 国 際 的 地 位 を 上 げ る た め の 苦 渋 の 決 断 と い う 側 面 も 強 か っ た 。 例 え ば 、 鹿 鳴 館 の 建 設 理 由 や 経 緯 な ど は 、 当 時 の 日 本 人 の 欧 米 文 化 へ の 複 雑 な 感 情 を 端 的 に 示 し て い る 。 し か し な が ら 日 常 生 活 で は 日 本 の 旧 来 の 文 化 が 維 持 さ れ 、 着 物 と 洋 服 を 着 分 け た り 、 着 物 し か 着 な い 人 な ど と 様 々 で あ っ た 。 ま た 日 本 の 女 性 で は 洋 服 を 着 る 方 が 珍 し か っ た 。
日 本 の 文 化 は 欧 米 で も 注 目 を 浴 び 、 19 世 紀 後 半 に は ジ ャ ポ ニ ス ム と い う 一 種 の ブ ー ム を 生 ん だ 。 現 在 で も 独 特 の 文 化 や 料 理 は 高 く 評 価 さ れ て い る 。 ま た 、 非 欧 米 圏 で 初 め て 近 代 化 に 成 功 し 、 列 強 と し て ア ジ ア 諸 国 に 影 響 力 を 及 ぼ し た 日 本 の 文 化 は 、 東 ア ジ ア や 東 南 ア ジ ア 諸 国 に 影 響 を 与 え た 。
戦 後 は 伝 統 的 な 生 活 習 慣 の 多 く が 失 わ れ 、 米 国 の 影 響 を 受 け た 形 に 大 き く 変 化 し て い っ た 。 一 方 海 外 で は 戦 前 か ら の 古 い 文 化 の み な ら ず 、 ア ニ メ や 漫 画 、 オ タ ク と い っ た 現 代 的 な 文 化 産 業 も 西 洋 や ア ジ ア 諸 国 で は 注 目 を 浴 び て き て い る 。
歴史
前史
縄文式土器
日 本 列 島 で は 、 ま だ ユ ー ラ シ ア 大 陸 と 陸 続 き の 時 代 に 石 製 加 工 具 類 が 発 掘 さ れ て お り 、 約 3 万 年 前 に 人 類 が 存 在 し た と さ れ る 。 こ の 時 代 の 人 類 に は 、 ヒ ト ︵ ホ モ ・ サ ピ エ ン ス ︶ や ホ モ ・ ネ ア ン デ ル タ ー レ ン シ ス が 含 ま れ る 。 た だ し 、 火 山 を 多 く 持 つ 日 本 列 島 は 火 山 灰 に 覆 わ れ て お り 、 土 壌 が 酸 性 で あ る た め 化 石 が 残 り に く く な っ て い る 。 旧 石 器 時 代 か ら 人 類 が い た 事 を 示 す 遺 跡 は 、 日 本 列 島 の 各 地 に 存 在 す る が 、 人 類 の 化 石 そ の も の は 未 だ に 発 見 さ れ て い な い [ 1 8 ] 。
1 万 数 千 年 よ り 前 の 旧 石 器 時 代 人 骨 の 発 掘 例 は 10 例 ほ ど だ が 、 2 0 1 0 年 ︵ 平 成 22 年 ︶ 2 月 4 日 、 石 垣 島 か ら 初 め て 2 万 年 前 の も の と 見 ら れ る 人 骨 が 発 見 さ れ 、 日 本 人 の 起 源 論 の 重 要 な 手 掛 か り と 見 ら れ て い る [ 1 9 ] 。 こ の 骨 が 発 見 さ れ た 洞 窟 か ら は 、 2 0 1 1 年 11 月 に さ ら に 2 万 4 0 0 0 年 前 の 人 骨 も 見 つ か っ て い る [ 2 0 ] 。
今 日 で は 、 縄 文 時 代 の 人 骨 の ミ ト コ ン ド リ ア D N A ︵ 母 系 ︶ の 調 査 結 果 で は 、 ハ プ ロ グ ル ー プ F 、 B 、 M 7 a な ど の 型 が あ っ た こ と が 知 ら れ て お り 、 こ れ ら の 南 方 系 の 縄 文 人 や 、 ハ プ ロ グ ル ー プ A や G な ど に 代 表 さ れ る シ ベ リ ア 北 部 の 先 住 民 に 近 い 北 方 系 の 縄 文 人 の 2 系 統 が あ っ た こ と が 判 っ て い る 。 北 方 系 の 縄 文 人 は 、 氷 河 期 の 時 代 に は 海 水 面 が 低 く 、 シ ベ リ ア 北 部 か ら 、 樺 太 、 北 海 道 、 本 州 と 繋 が っ て い た た め と 思 わ れ る 。 縄 文 末 期 、 弥 生 時 代 に も 人 々 が 海 を 渡 っ て 日 本 列 島 に 漂 着 し 、 南 方 系 の 先 住 民 と 同 化 し て い っ た と 考 え ら れ て い る 。
有史
漢 字 が 渡 来 す る ま で の 文 字 は 現 在 ま で 見 つ か っ て い な い た め 、 日 本 書 紀 や 古 事 記 が 成 立 す る 以 前 の 日 本 列 島 に 居 住 し て い た 人 間 に 関 す る と 思 わ れ る 歴 史 の 調 査 は 、 大 陸 の 文 献 を 参 考 に し た り 、 各 地 に 残 る 神 話 や 伝 承 の 採 取 、 発 掘 調 査 を 行 う 他 な い 。 大 和 民 族 に つ い て 書 か れ た 最 も 古 い 文 書 は 、 紀 元 前 5 世 紀 以 降 に 書 か れ た と 思 わ れ る ﹃ 山 海 経 ﹄ で あ る 。 こ れ に よ れ ば 、 当 時 の 大 和 民 族 ︵ 倭 ︶ は 、 燕 に 属 し て い た と あ る 。 た だ し 、 山 海 経 は 大 陸 各 地 の 伝 説 を 集 め た 書 物 で あ り 、 歴 史 書 と し て は 信 憑 性 に 欠 け る 面 が あ る 。 正 規 の 歴 史 書 に 書 か れ た も の と し て は 、 論 衡 が 最 古 で あ り 、 倭 は 周 の 時 代 ︵ 弥 生 時 代 ︶ 、 大 陸 に 朝 貢 し て い た と あ る 。
他 、 有 名 な も の と し て は ﹃ 三 国 志 ﹄ 中 の ﹁ 魏 書 ﹂ ︵ 全 30 巻 ︶ に 書 か れ て い る 東 夷 伝 ︵ 東 方 異 民 族 の 列 伝 ︶ に あ る 倭 人 の 記 述 、 俗 に 言 う 魏 志 倭 人 伝 で あ る 。 こ こ で 邪 馬 台 国 の 記 述 が 初 め て 登 場 し 、 倭 人 の 風 俗 に つ い て も 、 こ れ ま で の 文 献 か ら は 比 べ 物 に な ら な い く ら い 詳 細 に 書 か れ て い る 。 た だ し 、 こ れ ら は 当 時 の 中 華 民 族 に よ る 視 点 か ら 書 か れ た も の で あ り 、 倭 人 自 身 に よ る 歴 史 の 記 述 は 、 さ ら に 後 の こ と と な る 。
い ず れ に せ よ 、 こ れ ら は 断 片 的 な 記 録 で あ り 、 大 和 民 族 の 連 合 政 権 と さ れ る ヤ マ ト 王 権 の 成 立 過 程 は 、 現 段 階 で も 明 ら か に な っ て い な い 。
支 配 域 の 拡 大 と 停 滞
蒙 古 襲 来 絵 詞
3 3 0 年 頃 ま で に 、 ヤ マ ト 王 権 は 現 在 の 南 東 北 か ら 北 部 九 州 ま で の 地 域 を 勢 力 下 に 置 い て い た よ う で あ る 。 た だ し 、 ヤ マ ト 王 権 は 独 自 性 を 持 っ た 様 々 な 部 族 の 連 合 政 権 的 な 物 だ っ た ら し く 、 ヤ マ ト 王 権 の 支 配 域 と 当 時 の 大 和 民 族 の 分 布 域 を イ コ ー ル で 結 ぶ こ と は 必 ず し も 適 切 で は な い か も し れ な い 。
5 世 紀 に は 農 業 生 産 力 が 上 が り 国 力 が 増 大 し 、 ﹃ 日 本 書 紀 ﹄ や ﹃ 広 開 土 王 碑 ﹄ に は 、 ヤ マ ト が こ の 時 期 に 朝 鮮 半 島 に 兵 を 送 り 、 一 時 期 は 朝 鮮 半 島 の 一 部 を 領 有 し た ︵ → 任 那 日 本 府 説 ︶ と 記 さ れ て い る 。 た だ し 、 5 世 紀 後 半 か ら 6 世 紀 に は 既 に 朝 鮮 半 島 で の 利 権 は 縮 小 化 し 、 磐 井 の 乱 で ヤ マ ト 王 権 も 朝 鮮 半 島 へ の 興 味 を 失 う こ と と な り 、 も っ ぱ ら 日 本 列 島 内 で 徐 々 に 勢 力 を 拡 大 し て い く よ う に な る 。
日 本 列 島 内 に は 、 王 権 の 支 配 に 従 わ な い 九 州 南 部 の 隼 人 ︵ 熊 襲 ︶ 、 東 北 の 蝦 夷 な ど が い た が 、 隼 人 の 反 乱 の 鎮 圧 や 征 夷 大 将 軍 坂 上 田 村 麻 呂 の 活 躍 、 関 東 ・ 北 陸 方 面 か ら 東 北 地 方 へ の 入 植 に よ り 、 隼 人 は 8 世 紀 に 、 蝦 夷 は 12 世 紀 ま で に 完 全 に 大 和 民 族 に 同 化 し た と さ れ る 。 こ れ に よ っ て 、 本 州 ・ 九 州 ・ 四 国 の 全 域 を 大 和 民 族 が 支 配 す る こ と と な っ た 。
こ の 間 、 百 済 滅 亡 に よ っ て 亡 命 し て き た 百 済 人 ︵ 半 島 居 住 の 大 和 民 族 や 現 在 の 朝 鮮 人 と は 異 な る 民 族 ︶ や 、 大 和 民 族 か ら 招 か れ た 仏 教 の 僧 侶 や 技 術 者 な ど 、 大 な り 小 な り ユ ー ラ シ ア 大 陸 か ら 海 を 渡 っ て き た 人 々 ︵ 渡 来 人 ま た は 帰 化 人 ︶ も い た 。 た だ し 、 彼 ら 移 住 者 は そ れ ぞ れ 少 数 で あ り 、 速 や か に 大 和 民 族 に 統 合 ・ 同 化 さ れ た た め 、 国 内 で の 大 和 民 族 の 数 的 な 優 位 性 は 変 わ ら な か っ た 。
ま た 、 元 寇 ・ 白 村 江 の 戦 い な ど 外 国 と の 戦 争 も あ っ た が 、 領 土 の 奪 取 、 失 陥 を 伴 わ ず 、 特 に 大 和 民 族 の 影 響 力 を 増 大 ・ 減 少 さ せ る も の で は な か っ た 。 大 和 民 族 は 、 遣 隋 使 や 遣 唐 使 を 派 遣 し て 、 自 ら 海 外 の 文 化 や 技 術 を 吸 収 し て い っ た 。
13 世 紀 以 降 は 、 鎌 倉 時 代 、 南 北 朝 時 代 、 室 町 時 代 を 通 じ て 、 大 和 民 族 の 分 布 域 は 、 北 海 道 の 渡 島 半 島 南 部 に 定 着 し た ︵ 渡 党 を 参 照 ︶ 程 度 で 、 拡 大 は 停 滞 し た 。 だ が 、 独 特 の 文 化 が 国 風 文 化 と し て 花 開 き 、 現 在 ま で 続 く 日 本 の 文 化 も こ の 流 れ を 汲 む も の が 多 い 。
日 本 国 外 と の 関 わ り
南 蛮 人 ︵ 1 6 - 1 7 世 紀 、 狩 野 内 膳 画 の 南 蛮 屏 風 よ り ︶ 。 戦 国 時 代 か ら 、 そ れ ま で 日 本 に は ほ ぼ 存 在 し な か っ た 白 人 や 黒 人 と 、 大 和 民 族 は 接 触 し た 。
こ の 状 況 が 一 時 的 に 崩 れ る の は 戦 国 時 代 で あ り 、 大 和 民 族 は 日 本 人 と し て 世 界 各 国 と 貿 易 す る よ う に な り 、 こ れ ま で の 価 値 観 と は 全 く 異 な る も の に 触 れ る よ う に な る 。 キ リ ス ト 教 が 伝 来 し て 信 者 を 集 め 、 南 蛮 貿 易 を 通 じ て 伝 わ っ た 鉄 砲 な ど の 最 新 技 術 が 瞬 く 間 に 全 国 へ と 普 及 し た 。
ま た 、 移 民 と し て も 進 出 し 、 東 南 ア ジ ア で は ア ユ タ ヤ 日 本 人 町 の よ う に 一 定 の 基 盤 を 持 つ 社 会 を 構 成 し た 。 さ ら に は 、 支 倉 常 長 な ど の よ う に 遠 く ヨ ー ロ ッ パ に も 渡 っ た 者 も い た 。
豊 臣 秀 吉 に よ っ て 天 下 統 一 が 成 さ れ る と 、 大 和 民 族 は 中 国 大 陸 へ と 二 度 に 渡 っ て 軍 を 進 め 、 文 禄 ・ 慶 長 の 役 を 起 こ し た 。 日 本 軍 は 一 時 は 朝 鮮 半 島 の ほ ぼ 全 域 を 征 圧 、 朝 鮮 王 室 の 王 子 二 人 ︵ 臨 海 君 ・ 順 和 君 ︶ を 捕 虜 に す る な ど 優 勢 で あ っ た が 、 明 の 援 軍 に よ っ て 戦 況 は 膠 着 状 態 と な り 、 や が て 豊 臣 秀 吉 の 死 に よ っ て 戦 争 は 終 結 、 明 と 朝 鮮 国 の 征 服 は 失 敗 し た 。
こ れ ら 日 本 国 外 へ の 拡 大 の 動 き は 江 戸 幕 府 の ﹁ 鎖 国 ﹂ 政 策 の 確 立 に よ っ て 衰 退 す る こ と と な る 。
江 戸 時 代
江 戸 時 代 に は 、 統 一 権 力 と し て の 江 戸 幕 府 が 外 交 権 を 掌 握 し 、 キ リ シ タ ン 禁 制 や 、 国 際 紛 争 の 悪 影 響 の 防 止 な ど の 観 点 か ら 、 貿 易 や 出 入 国 の 管 理 と 統 制 を 強 化 し て い き 、 最 終 的 に ﹁ 四 つ の 口 ﹂ ( 長 崎 - 中 国 ︵ 明 ・ 清 ︶ と オ ラ ン ダ ・ 対 馬 - 朝 鮮 王 朝 ・ 薩 摩 - 琉 球 王 国 ・ 松 前 - ア イ ヌ モ シ リ ) で 、 貿 易 と 出 入 国 を 管 理 ・ 統 制 す る 体 制 を 、 家 光 の 治 世 に 到 り 完 成 さ せ た 。 こ の 体 制 は 19 世 紀 以 降 、 欧 米 諸 国 の 開 港 要 求 を 拒 否 し 、 ﹁ 祖 法 ﹂ と し て 維 持 す る 観 点 か ら ﹁ 鎖 国 ﹂ と 呼 ば れ る よ う に な る 。
ま た 、 幕 府 は 、 国 内 に お い て は 、 各 々 の 身 分 の 社 会 的 分 業 に よ る 秩 序 の 安 定 を 実 現 さ せ 、 2 5 0 年 に わ た る ﹁ 泰 平 ﹂ を 築 い た 。 こ の 間 、 社 会 は 幕 府 の 強 大 な 支 配 に 置 か れ て 安 定 し た 社 会 が 築 か れ 、 経 済 活 動 が 活 発 化 し て 庶 民 が 台 頭 、 江 戸 ・ 大 坂 ・ 京 都 の 三 大 都 市 を 中 心 に 町 人 文 化 が 花 開 い た 。
こ の ﹁ 鎖 国 ﹂ 体 制 の 中 で 、 一 般 の 大 和 民 族 は 海 外 へ の 渡 航 は 基 本 的 に 許 さ れ ず 、 海 外 へ の 大 和 民 族 の 拡 大 は 停 止 し た 。 例 外 的 に 、 船 を 頻 繁 に 利 用 す る 商 人 や 漁 師 な ど が 、 嵐 や 事 故 に よ っ て 海 外 に 漂 流 し た 事 例 や 、 犯 罪 者 や 冒 険 心 に 富 ん だ 者 が 、 幕 府 に 捕 ま れ ば 処 罰 さ れ る 危 険 を 承 知 で 渡 航 し た 例 が い く つ か あ る の み で あ る 。
一 方 、 日 本 列 島 内 で の 勢 力 拡 大 は 徐 々 に 続 き 、 こ の 時 代 の 初 期 に 、 薩 摩 藩 に よ る 琉 球 王 国 制 圧 が 起 こ り 、 王 国 は 事 実 上 幕 藩 体 制 の 支 配 下 へ と 組 み 込 ま れ た 。 蝦 夷 地 ︵ 現 在 の 北 海 道 、 千 島 列 島 及 び 樺 太 ︶ で の 勢 力 も 増 し て い き 、 渡 島 半 島 は 内 地 化 ︵ 和 人 地 化 ︶ し 、 北 海 道 全 域 と 南 千 島 が 大 和 民 族 の 勢 力 下 に 置 か れ る よ う に な っ た 。
蝦 夷 地 に は 先 住 民 の ア イ ヌ が 住 ん で い た が 、 大 和 民 族 の 活 発 な 経 済 活 動 と 、 松 前 藩 に よ る 支 配 権 確 立 は 、 彼 ら の 生 活 を 圧 迫 し て い く こ と に な る 。 江 戸 時 代 の 初 期 、 こ の 大 和 民 族 の 勢 力 拡 大 に 反 対 し た 一 部 の ア イ ヌ は 、 シ ャ ク シ ャ イ ン を 指 導 者 と し て 、 蝦 夷 地 を 支 配 し て い た 松 前 藩 と ア イ ヌ が 衝 突 し 、 シ ャ ク シ ャ イ ン の 戦 い が 発 生 し た 。 戦 い は 3 ヶ 月 ほ ど 続 い た が 、 最 終 的 に は 松 前 藩 お よ び 幕 府 の 勝 利 で 幕 を 下 ろ し 、 以 後 、 ア イ ヌ は 時 折 小 規 模 な 反 乱 を 起 こ す も の の 大 勢 は 変 わ ら ず 、 大 和 民 族 に 支 配 さ れ 続 け る こ と と な る 。
近 代 国 家 へ
明 治 天 皇
江 戸 幕 府 は 様 々 な 問 題 を 抱 え な が ら も 、 国 内 外 は 比 較 的 平 和 の 中 に あ っ た が 、 世 界 は ヨ ー ロ ッ パ を 主 体 と す る 植 民 地 獲 得 競 争 と も 言 え る 帝 国 主 義 の 時 代 と な っ て い た 。 19 世 紀 に な る と 日 本 近 海 に ロ シ ア や ア メ リ カ を 始 め と す る 列 強 が 頻 繁 に 来 航 す る よ う に な る 。
新 た な 時 代 に ど う 対 応 す る か 、 日 本 国 内 は 様 々 な 主 張 が 噴 出 し 、 や が て そ の 中 か ら 幕 府 を 打 ち 倒 す 勢 力 ︵ 薩 摩 藩 や 長 州 藩 ︶ が 主 体 と な っ て 、 幕 府 と の 間 に 戊 辰 戦 争 が 発 生 し た 。 こ れ ら 一 連 の 出 来 事 は 明 治 維 新 と 呼 ば れ 、 戦 争 は 倒 幕 派 が 勝 利 し 、 江 戸 幕 府 は 滅 亡 し た 。
明 治 維 新 に よ っ て 新 時 代 を 迎 え る と 、 西 洋 列 強 を 手 本 に し た 政 府 や 軍 隊 を 整 備 し た り 、 従 来 の 東 ア ジ ア 諸 国 と の 国 際 関 係 を 近 代 的 な も の に 再 編 す る な ど 、 近 代 的 な 国 家 運 営 を 進 め 、 近 代 国 家 と し て 大 日 本 帝 国 を 成 立 さ せ た 。 日 本 は 、 強 大 な 西 洋 諸 国 に 対 抗 す る 形 で 各 国 に 経 済 的 ・ 軍 事 的 に 進 出 し て い っ た 。 ま た 対 外 的 に も 、 琉 球 列 島 や 千 島 列 島 と い っ た 日 本 列 島 の 付 属 島 嶼 や 小 笠 原 諸 島 の 領 有 を 確 立 し 、 現 在 の 日 本 の 領 土 を ほ ぼ 確 定 さ せ た 。 他 に 、 国 策 と し て 日 本 国 外 へ の 移 民 を 奨 励 し て 、 ブ ラ ジ ル や ア メ リ カ 、 ペ ル ー 、 カ ナ ダ 、 ハ ワ イ 、 メ キ シ コ 、 ア ル ゼ ン チ ン 、 パ ラ グ ア イ な ど に 多 数 の 移 民 が 渡 っ た 。
明 治 ・ 大 正 期 以 降 、 日 本 は 日 清 ・ 日 露 戦 争 や 第 一 次 世 界 大 戦 で 世 界 の 列 強 と 争 っ た 。 日 清 戦 争 で の 勝 利 、 日 露 戦 争 で の 講 和 、 第 一 次 世 界 大 戦 に お け る 派 兵 、 満 州 事 変 の 結 果 、 台 湾 を 領 有 、 大 韓 帝 国 を 併 合 、 南 洋 諸 島 を 委 任 統 治 領 と し 、 満 州 国 を 建 国 す る な ど 、 東 ア ジ ア ・ ミ ク ロ ネ シ ア 各 地 に 急 速 に 分 布 域 を 広 げ た た め に 多 民 族 国 家 と な っ た 。 帝 国 主 義 か ら 現 地 の 住 民 と の 大 小 の 衝 突 、 時 に は 反 乱 を 起 こ さ れ な が ら も 、 着 実 に 支 配 を 固 め 、 社 会 基 盤 を 築 い て い っ た 。 国 際 連 盟 の 常 任 理 事 国 に も な り 、 国 際 的 地 位 も 高 ま っ た 。
こ の 過 程 で 、 台 湾 や 朝 鮮 か ら 日 本 列 島 へ の 他 の 民 族 の 流 入 も 起 こ っ た 。 さ ら に 、 第 二 次 世 界 大 戦 に お い て は 大 東 亜 共 栄 圏 の 構 想 を 打 ち 出 し 、 当 時 イ ギ リ ス や オ ラ ン ダ な ど の 列 強 が 植 民 地 化 し て い た 東 南 ア ジ ア に 進 軍 し 、 欧 米 の 占 領 軍 を 追 い 出 し て 後 釜 に 座 る 形 で ほ ぼ 全 域 を 影 響 下 に 置 い た 。 こ の 状 況 は 、 第 二 次 世 界 大 戦 に 敗 北 し た 事 に よ っ て 終 わ り を 告 げ る 。 列 島 周 辺 の 主 権 を 失 っ た た め に 、 各 地 に 移 住 し て い た 日 本 人 の 大 半 は 日 本 政 府 統 治 地 域 に 再 移 住 し た ︵ 引 揚 者 ︶ 。
戦 後
第 二 次 世 界 大 戦 後 、 朝 鮮 、 台 湾 な ど の 統 治 権 を 失 い 単 一 民 族 に 近 い 国 家 に 戻 っ た 日 本 は 平 和 国 家 と し て 再 出 発 し 、 ア メ リ カ 合 衆 国 の 軍 事 的 な 保 護 の も と 、 急 激 に 諸 外 国 の 文 化 ︵ 主 に ア メ リ カ 文 化 ︶ を 吸 収 し て 経 済 発 展 ︵ 高 度 経 済 成 長 ︶ を 成 し 遂 げ 、 経 済 大 国 と な っ た 。 最 近 で は 日 本 国 の 国 力 が 世 界 有 数 に な っ た た め 、 国 策 と し て の 海 外 移 民 は 終 了 し 、 集 団 で の 移 民 も 見 ら れ な く な っ て い る が 、 個 人 で 海 外 に 職 を 求 め て 出 て 行 く 人 々 は 現 在 に 至 る ま で 多 く 存 在 し て い る 。 逆 に 近 年 で は 、 少 子 高 齢 化 の 影 響 か ら 国 策 と し て 移 民 の 受 け 入 れ を 唱 え る 主 張 も 一 部 に は 出 て き て い る 。
脚注
(一) ^ 倭 人 は 古 い 日 本 人 の 呼 称 だ が 、 中 国 中 南 部 の 百 越 の 一 部 を 起 源 と す る 説 が あ る な ど 、 大 和 民 族 と 同 義 で は な い 。
(二) ^ 網 野 善 彦 著 ﹁ 日 本 の 歴 史 00 ﹁ 日 本 ﹂ と は 何 か ﹂ 講 談 社 、 p 1 0 9
(三) ^ 網 野 善 彦 著 ﹁ 日 本 の 歴 史 00 ﹁ 日 本 ﹂ と は 何 か ﹂ 講 談 社 、 p 2 2 1
(四) ^ ﹃ 尋 常 小 学 地 理 書 ﹄ 巻 一 、 1 9 3 8 年 、 文 部 省 。
(五) ^ M c D o n a l d , J . D . ( 2 0 0 5 ) , Y c h r o m o s o m e a n d M i t o c h o n d r i a l D N A h a p l o g r o u p s , http://www.scs.uiuc.edu/~mcdonald/WorldHaplogroupsMaps.pdf 2 0 0 8 年 4 月 14 日 閲 覧 。
(六) ^ N a t i o n a l G e o g r a p h i c , e d . , A t l a s o f t h e H u m a n J o u r n e y , https://www3.nationalgeographic.com/genographic/atlas.html 2 0 0 8 年 4 月 14 日 閲 覧 。
(七) ^ I n t e r n a t i o n a l S o c i e t y o f G e n e t i c G e n e a l o g y , e d . ( 2 0 0 7 ) , Y - D N A H a p l o g r o u p T r e e 2 0 0 6 , 1 . 2 4 , http://www.isogg.org/tree/Main06.html 2 0 0 8 年 4 月 14 日 閲 覧 。 要 引 用
(八) ^ h t t p : / / i d o u s h i . j p / ? p a g e _ i d = 8 6
琉 球 列 島 の ヒ ト 過 去 か ら 現 代 ま で 琉 球 大 学 大 学 院 医 学 研 究 科 石 田 肇
(九) ^ 篠 田 謙 一 ﹃ 日 本 人 に な っ た 祖 先 た ち ― D N A か ら 解 明 す る そ の 多 元 的 構 造 ﹄ ︵ N H K ブ ッ ク ス ︶
(十) ^ 篠 田 謙 一 ﹃ 日 本 人 に な っ た 祖 先 た ち ― D N A か ら 解 明 す る そ の 多 元 的 構 造 ﹄ ︵ N H K ブ ッ ク ス ︶
(11) ^ 尾 本 恵 市 ﹃ 日 本 人 の 起 源 ﹄ ︵ 裳 華 房 刊 ︶
(12) ^ ︵ 月 刊 誌 ﹃ 選 択 ﹄ 2 0 0 7 年 12 月 号 ︶ 。
(13) ^ 松 本 秀 雄 ﹃ 日 本 人 は 何 処 か ら 来 た か ― 血 液 型 遺 伝 子 か ら 解 く ﹄ 日 本 放 送 出 版 協 会 、 1 9 9 2 年 I S B N 4 1 4 0 0 1 6 5 2 3 ︵ ア イ ヌ を 含 む 北 海 道 か ら 沖 縄 県 ま で の ︶ 現 代 日 本 人 は 均 質 性 が あ り 、 朝 鮮 半 島 の 人 々 や 中 国 人 と は 異 質 性 が あ る 。
日 本 人 は 北 方 系 で あ り 南 方 系 と の 混 血 率 は 多 く 見 積 も っ て も せ い ぜ い 7 - 8 % 程 度 で あ る と す る 説 も あ る 。 松 本 秀 雄 の 日 本 人 バ イ カ ル 湖 畔 起 源 説 は 、 該 当 項 目 参 照
(14) ^ 李 成 柱 ﹁ 血 液 分 析 に よ り 民 族 の 移 動 経 路 を 判 明 す る ﹂ 東 亞 日 報 、 2 0 0 1 年 1 月 3 日 日 本 人 は 韓 国 人 以 上 に 純 血 度 が 高 い
(15) ^ “ 日 本 人 の ル ー ツ は 東 南 ア ジ ア ? 研 究 グ ル ー プ が ゲ ノ ム 解 析 ” . 産 経 新 聞 . ( 2 0 0 9 年 12 月 11 日 ) . http://sankei.jp.msn.com/science/science/091211/scn0912110400002-n1.htm 2 0 0 9 年 12 月 11 日 閲 覧 。 [ リ ン ク 切 れ ]
(16) ^ “ ﹃ 白 保 竿 根 田 原 洞 穴 : 旧 石 器 人 骨 か ら D N A … 国 内 で 最 古 ﹄ ” . 毎 日 新 聞 ( 2 0 1 3 年 12 月 2 日 ) . 2 0 1 3 年 12 月 2 日 閲 覧 。
(17) ^ “ 平 成 24 年 末 現 在 に お け る 在 留 外 国 人 数 に つ い て ” . 法 務 省 ( 2 0 1 3 年 3 月 25 日 ) . 2 0 1 4 年 9 月 22 日 閲 覧 。
(18) ^ “ 実 は 世 界 の 最 先 端 だ っ た 旧 石 器 時 代 の 日 本 列 島 ” . 日 経 ビ ジ ネ ス . ( 2 0 1 3 年 6 月 20 日 ) . http://business.nikkeibp.co.jp/article/report/20130610/249449/ 2 0 1 3 年 6 月 21 日 閲 覧 。
(19) ^ “ 日 本 最 古 ・ 2 万 年 前 の 人 骨 、 石 垣 島 に 放 射 性 炭 素 で 測 定 ” . 朝 日 新 聞 . ( 2 0 1 0 年 2 月 4 日 ) . http://www.asahi.com/science/update/0204/SEB201002040007.html 2 0 1 0 年 2 月 4 日 閲 覧 。 [ リ ン ク 切 れ ]
(20) ^ “ 2 万 4 0 0 0 年 前 の 人 骨 発 見 ” . N H K . ( 2 0 1 0 年 11 月 10 日 ) . http://www3.nhk.or.jp/news/html/20111110/t10013858281000.html 2 0 1 0 年 11 月 10 日 閲 覧 。
関連項目