F-16 (戦闘機)
表示
F-16 ファイティング・ファルコン
F-16はアメリカ合衆国のジェネラル・ダイナミクス社が開発した第4世代ジェット戦闘機である。ジェネラル・ダイナミクス社軍用機部門のロッキード社への売却と、ロッキードのマーティン・マリエッタ併合によるロッキード・マーティンへの改称により、現在はロッキード・マーティン社の製品となっている。
愛称は、当初﹁マスタングII﹂や﹁コンドル﹂も検討されていたが、空軍士官学校でマスコットに使用されているファルコン︵隼︶と決定した。しかし、航空機の商標としては﹃ファルコン﹄がダッソーのビジネスジェットに使われているため、訴訟を避ける目的で、ファイティング・ファルコン︵Fighting Falcon‥戦う隼︶と言う名称が制定されている。米空軍のパイロットや整備員の間での非公式な愛称として、宇宙空母ギャラクティカ オリジナルシリーズに由来する﹁バイパー﹂や﹃エレクトリックジェット﹄と言う名称も使用されている。[1][2][3][4]
非公式名称の一つの﹃バイパー﹄は2008年1月現在インド向けに提案されているF-16の現地公式名称として、メーカー側でも使用している。[5]
概要
バージニア州フォールズチャーチに本社を置くジェネラル・ダイナミクス社が開発した軽量戦闘機。当初は昼間軽量戦闘機として開発されたが、後に全天候対空/対地攻撃能力を付与された。正式な初飛行は1974年2月2日、アメリカ空軍では高価なF-15と安価な本機での﹁Hi-Lo-Mix ハイ・ロー・ミックス﹂運用が行われていおり、保有作戦機の過半数を占めている。[6]4,000機以上製造され世界20ヵ国以上の空軍が採用した実績から、ベストセラー戦闘機と評されている。 後継機としてF-35を開発中で、アメリカ空軍では2020年代までの運用を予定している[6]他、国によってはそれ以降も運用する見込みである。![]() | この節の加筆が望まれています。 |
開発史
F-16開発の契機は、アメリカ空軍内部のファイター・マフィアと呼ばれる集団の中でも先鋭的な、ジョン・ボイド (John Boyd) を中心とするグループが、MiG-25の存在が明らかになった事により、当初のコンセプトであるMiG-21に対して性能比で25%優位の昼間戦闘機を放棄し、大型化した制空戦闘機F-X︵後のF-15 イーグル︶に対する評価から、旧ソビエト空軍/防空軍の戦闘機部隊に対して、質だけではなく量でも凌駕する為にF-Xを導入コストが安く、稼働率の高い、F-XXによる補佐を発案したことに端を発する。安価な新型戦闘機の出現がF-15導入の予算に影響すると懸念したF-15推進派はこの動きを嫌っていたが、CL-1200ランサーの売り込み先を探していたケリー・ジョンソンの助言により、当時国防副長官だったデイヴィッド・パッカードがこの計画に興味を持ち、先進技術の実証機として軽量戦闘機︵LWF:Light Weight Fighter︶F-XXの開発計画を開始した。[7][8][9][10]
![](//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/1/1a/YF-16_and_YF-17_in_flight.jpg/230px-YF-16_and_YF-17_in_flight.jpg)
YF-17とYF-16
1972年1月6日に提示した要求提案︵RFP:request for proposal︶は、通常は詳細な性能や想定される作戦等も記載され200ページものに対し、わずか21ページという簡潔な物で、20,000lb︵約9トン︶級の小型の機体で高い機動性を持ち、搭載される電子機器は単純で、最高速度はM1.6程度、設計案のうち2案による比較テストを行うが量産や制式化は考慮しないとされていた。この要求提案を受け取ったのは9社の航空機製造メーカーであったが、グラマン︵F-14︶、フェアチャイルド︵A-10︶、マクドネル・ダグラス︵F-15︶、ロックウェル・インターナショナル︵B-1︶といった、すでに新型機の受注を得ていた企業は、米国防総省の社会主義的な受注調整の対象になると見込まれた為、開発参加を辞退した。この提案に応じたジェネラル・ダイナミクス 、ノースロップ、ボーイング、LTV、ロッキードの5社のうち、ジェネラル・ダイナミクス社が1960年代から社内研究案として計画していた軽量戦闘機モデル404/785/786の発展型であるモデル401、ノースロップ社内研究案P-530の発展型であるP-600︵後のYF-17︶をLWFの審査対象として開発する契約を締結した。[11][12][13][14][15]
ロッキード社スカンクワークスが提案したCL-1200ランサーは、ケリー・ジョンソンの﹃ハノイ上空でミグ相手にドンパチやらかしたら、航続距離不足でハノイヒルトンが満員になるようなRFPは無視しろ、俺がRFPだ!!︵要約︶﹄を始めとする暴走により極めて低い評価に終わり、F-5A/B後継海外供与機に続き採用されなかったが、2代目ボスベン・リッチは、提出したカタログスペックは量産されたF-16にきわめて近い物であったとしている。[16][8]
ベン・リッチ自身もP-530の発展型で単発機案のP-610の開発の為にノースロップのヘッドハンティングの目標とされたが、ケリー・ジョンソンから、﹃ロッキード内部のスカンク・ワークス批判派の様な連中が雁首揃えているあの会社の社風じゃ、プロジェクトリーダーであってもスカンワークスの様な裁量権は絶対に与えられないし、ノースロップがお前を欲しがっているのは、お前の空力屋としての頭の中身とウチの会社の開発陣引き抜き用の神輿に使うのが目的だから断っちまえ。︵要約︶﹄を理由に引き止めると同時に、ケリー・ジョンソン後継者としてロッキード経営陣に推薦する予定である事と金銭面でノースロップと同じ条件で雇用する事を告げられ、この引き抜きを断っている。[17][18][19]
T-1100を提出したLTVの航空機部門は、ヴォート・エアクラフト・インダストリーズとして1983年の独立後も経営を続けているが、計画自体がNice boat.された、1980年代末のA-10後継機の選定で、F-16派生型のA-16と採用を争ったA-7Fの設計を最後に航空機開発から撤退した。[15]
ボーイングにより提案されたモデル908は、初期の評価では有力な採用候補とされていたが、最終的には選考されたかった。この設計案はF-16と同様の機体下部インテークを採用しており、この配置は後の先進戦術戦闘機計画(ATF:Advanced Tactical Fighter)提出案やX-32でも採用された。[20][21]
空軍の制服組による反対や海軍アナリストの横やりも有ったが、F-4の陳腐化とインフレによるF-15の単価上昇によりLWFの実用化の動きが具体化し、1974年3月7日にジェームズ・R・シュレシンジャーが、LWFを1980年代のアメリカ空軍に配備され、多目的に使用出来るACF︵Air Combat fighter‥空戦戦闘機︶として発展させ、3年間で300機導入した場合の機体単価を300万ドルに納める戦闘機を検討するという計画を上院軍事委員会に提示し、4月27日にACFの飛行審査を決定したが、空軍内部には同盟国向け戦闘機と言う見方も存在していた。[22][11]
![](//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/c/c9/Ecuadorian_Air_Force_Dassault_Mirage_F1E.jpg/230px-Ecuadorian_Air_Force_Dassault_Mirage_F1E.jpg)
ヨーロッパへの売り込みで、一方の雄であったミラージュF-1︵画像 はF-1Eの物︶
1973年11月にNATO加盟国のうちベルギー、デンマーク、ノルウェー、オランダの4カ国がF-104Gを更新する機体の取得に際し、有利な取引条件を引き出しす為の政治的発言力強化を目的として4カ国共同行動の検討を始め、1974年の始めにMFPG︵多国戦闘機戦闘機計画グループ︶を発足した。これらの国々は、F-15やF-14と言った大型の戦闘機を必要としていなかった為、ミラージュF1やジャギュア、ACF採用案︵F-16もしくはF-17︶やP-530、サーブ37ビゲン輸出型のユーロファイターが有力な候補とされていたが、ミラージュF1/M53、ACF採用案、ユーロファイターの三機種に絞り込まれた。同年五月に結成されたMFPG調査グループは同年6月にフランスとアメリカ、7月にはスウェーデンを訪れた。[23][24]
![](//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/8/8d/Fsaabmcgipen.jpg/230px-Fsaabmcgipen.jpg)
サーブ37ビゲンは戦時の部品供給に不安を抱えていた。
YF-16の正式な初飛行は1974年2月2日とされるが、これに先立つ1月20日のタキシングテスト中にロ−ル軸のふらつきが発生、機体への壊滅的な損傷を防ぐため離陸、テストを行っていた飛行場周辺を飛行している。[13][25][14]
新型のゼネラル・エレクトリック社YJ101を使用したため、初飛行が6月9日まで遅れたYF-17との審査はそれぞれ2機を使用し、YF-16が347回、YF-17が288回の飛行を行い比較テストが行われた。
F-4とA-7、状況によっては、最新鋭機だが政府とグラマン社の間でインフレに起因する金銭的トラブルが発生していたF-14を更新する事を目的に1974年4月に正式な開発計画として始まったアメリカ海軍のVFAX︵次期戦闘攻撃機︶は、8月28日に予算削減を目的に、﹃ACFの選定で採用された航空機が採用される﹄と言う決定を議会が行ったが、アメリカ空軍はソビエト含む東側諸国より憎い不倶戴天の敵であるアメリカ海軍の要求を受け入れるつもりは無く、空軍制服組高官の中には、両者の意見交換の場で空軍側出席者に対し、公然と﹃海軍の要求を飲んだ人間には、アラスカでサーモンの数を数えてきてもらう﹄的な恫喝すら行う者も居た。[26][27][28]
海外への輸出先を確保出来る可能性が出てきた事による国務省からの圧力により、アメリカ空軍は1974年7月にACFの勝者をアメリカ空軍で制式に採用することを保証し、1975年のQ2とされていたACFの採用決定は1975年1月に前倒しが決定された。この決定の前倒しに、ジェネラル・ダイナミクスとノースロップの両企業は対応可能と回答していた。[29][30]
アメリカ空軍は、1975年1月13日に、機動性、航続距離、加速性での優位、F-15と共通のエンジンを使用した事によるF-15調達コストの引き下げを理由にF-16の制式採用を公表した。[31]
1975年3月にNATO運営委員会からミラージュF1/M53、F-16、サーブユーロファイターの比較レポートが公開された。このレポートの中でF-16は価格と機体性能は他の2機種よりすぐれているが、ライセンス生産のオフセットの見返りが一番少なく、MFPGが機体の開発計画に影響力を行使出来ない、先端技術を用いた部品がブラックボックス化されていると言った事を指摘されていた。[32]
この前後の時期から、断った上で持ちかけられた側が暴露した、ダッソーの代理人によるオランダの政治家に対する買収工作やCIAが公表したノースロップによる、当時フランス国民議会副議長だった、ポール・ステラン買収など、MFPG参加国の政治家への買収や対立候補への妨害工作が明るみに出始めた。[33]
1975年6月7日パリ航空ショーの会場で、ベルギー、デンマーク、ノルウェー、オランダの4カ国が共同でライセンス生産したF-16を採用する事を公表した。[34]
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/1/1a/YF-16_and_YF-17_in_flight.jpg/230px-YF-16_and_YF-17_in_flight.jpg)
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/c/c9/Ecuadorian_Air_Force_Dassault_Mirage_F1E.jpg/230px-Ecuadorian_Air_Force_Dassault_Mirage_F1E.jpg)
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/8/8d/Fsaabmcgipen.jpg/230px-Fsaabmcgipen.jpg)
![]() | この節の加筆が望まれています。 |
特徴
![]() |
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/a/a7/F-16_On_Tarmac.jpg/280px-F-16_On_Tarmac.jpg)
- 基本構造
F-16は当初から、胴体と翼を一体で整形する技術︵ブレンデッドウィングボディ,Blended Wing Body:BWB︶や機体の操縦をコンピュータで補正・制御する技術︵フライ・バイ・ワイヤ,FBW : Fly By Wire︶といった革新的技術を多く取り入れた設計となっていた。
ブレンデッドウィングボディの概念の導入は、迎え角を大きく取った場合には胴体も主翼と同じ役割を果たし揚力を発生するので、実質的に翼面荷重を低くするのと同等の効果がある。また胴体の内容積を大きく取る事ができるので、燃料搭載量が増加する事になった。
FBWはF-16の特性に大きく貢献しており、従来の操縦系では操縦桿やフットペダルをロッドリンクやワイヤーをつかって動翼と機械的に接続していたが、FBWは、一方の端からの入力を電気信号に変換して電線︵ワイヤー︶で伝送し動翼のアクチュエータやサーボモーターを制御している。この電気信号への変換は情報伝達のコンピュータによる補正を容易したことで、運動能力向上機︵Control Configured Vehicle:CCV︶の概念の一つである、静安定性緩和︵relaxed static stability:RSS︶の導入[35]が可能になった。
ブレンデッドウィングボディおよびCCVの概念の導入により、単純な主翼面積の増大による翼面荷重の低下という手法を取らなくとも、本機の運動性を向上させる事ができた。これにより空気抵抗の増大を抑える事ができ、横風に対しても安定性が高くなり、低空域での運動能力や安定性の向上に大きく寄与している。またRSSの導入により水平尾翼の釣合い荷重も小さくする事ができ、その分尾翼も小さく設計できるため、この点においても空気抵抗低減効果があったが、本格的な生産が始まってから対地攻撃時の引き起こしに問題があったため、面積で30%大型化された。
コックピット
FBWを採用した事により、操縦桿の位置を両足の間という一般的な場所から操縦者の右側への移動してシートのリクライニング角を30度と深めることで、ブラックアウトの発生を遅らせたり、高G機動時に加重を体全体に分散させる事で、対G能力を向上させている。[36][37]
操縦桿を動かした量ではなく操縦桿に加わる圧力を感知してそれに応じて舵面変角量を制御している。試作当初は操縦桿に可動が全く無く固定してあったが、加重もしくは迎え角の限界に達しているにも拘らずパイロットが引き起こしの入力を続ける事によって疲労してしまう為、後に若干の可動が与えられた。[38]
![](//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/8/83/F-16C_cockpit_m02006112700032.jpg/340px-F-16C_cockpit_m02006112700032.jpg)
F-16Cの計器版パネル、正面に有るのが、上からHUD、データ入 力パネル、アナログ式の速度計︵左︶/高度計︵右︶、姿勢指示器、方位磁針、パイロットの膝の上にあるは多機能ディスプレイ
単座型では、パイロットの視界を遮る枠が後方にのみ存在しており、全周視界が確保されているが、パイロットの大部分が機体ではなくキャノピー覆われる形になっているため、他機種から転換したパイロットは、機体と水平線の位置関係を把握できない、機体の加速で振り落とされそうになるという錯覚を抱くことがある。このため視界に慣れるまでは計器飛行を行うように指導されると一部の書籍では記載されている。[39]
エンジン
試作機やBlock 25までの機体は、プラット・アンド・ホイットニー社製のF100を一機搭載していたが、Block 30からは、ゼネラル・エレクトリック社製のF110 の搭載も可能なエンジンベイが装備された。[40]
機体下面に装備されたインテークは、この航空機の外見で大きな特徴となっており、遷音速域での効率に重点を置いた固定式インテークとしている。そのため軽量な機体に高出力のエンジンでありながら、最高速度はマッハ2に留まっている。これは開発当初にマッハ2以上の最高速度を要求されなかった事と、格闘戦が超音速域ではなく遷音速域で起こると想定していためで、ジェネラル・ダイナミクス側の発表では、F-16の最高速度をマッハ2.2にする事を前提にF-15と同様の可動式インテークを装備した場合と設計上の最高速度をマッハ2程度にした上で固定式インテークの比較では、超音速領域の最高速度と余剰推進力以外の要素で、固定式インテークの方が優れているとしている。[41]
![](//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/1/1d/HAF_F-16D_Block_52.jpg/280px-HAF_F-16D_Block_52.jpg)
ギリシャ空軍のF-16D Block 52+と搭載兵器、開発当初 想定されていなかった、ヘルメット照準に対応するIRIS-Tや撃ちっぱなし・同時多目標攻撃能力を持つAMRAAM、誘導爆弾や対レーダーミサイル、スタンドオフディスペンサーが主体となっている。
武装
M61A1 20mmバルカン砲を固定武装とし、主翼先端部や主翼下にAIM-120 AMRAAMやAIM-9を搭載可能。これに加え、無誘導爆弾やクラスター爆弾、レーザー誘導爆弾、ロケット弾などを搭載できる他にも、採用国独自の改修を施された場合もある。
運用
元来、格闘戦を目的とした軽量戦闘機ながら十分な対地攻撃能力を持ち制空戦闘と対地攻撃に使用できるため﹃スウィング・ロール﹄や﹃スウィングファイター﹄と呼ばれた。
2008年現在、この種の機体はマルチロール機と呼ばれる。低速・低空での運動性も良好であるため湾岸戦争前の時点ではA-10の後継の座をA-7Fと派生型機のA-16、AV-8Bとで争っていたが、A-10は湾岸戦争の実績により再評価された結果として、延命改修の上2028年まで使用した上でF-16ともどもF-35で更新される予定となっている。[42]
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/8/83/F-16C_cockpit_m02006112700032.jpg/340px-F-16C_cockpit_m02006112700032.jpg)
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/1/1d/HAF_F-16D_Block_52.jpg/280px-HAF_F-16D_Block_52.jpg)
![]() | この節の加筆が望まれています。 |
採用状況
![]() |
F-15は1960年代後半から1970年代末にかけてのインフレにより高価になり、アメリカ空軍でも当初計画されていた配備済のF-4全機をF-15と発展型で置き換える事ができなかっため、F-16を並行配備して作戦機数を確保している。
対地攻撃任務は制空任務より損耗率が大きいため、高価なF-15が制空任務専門に充てられたのに対し、F-16は制空・対地の双方の任務に用いられた。
F-15系列機に対する対地攻撃任務面の長所として、軽量小型でかつCCV設計の採用によって空気抵抗が小さく、高度300m以下での低高度での機動が上回っている点もあげらている[43]。しかしその一方で、兵器の搭載量に関してはF-117を上回るものの、A-10やF-15Eとの比較では搭載量が少ない。
アメリカ空軍をはじめ多くの国で運用中であるが、2012年頃より配備開始予定のF-35 ライトニングIIで更改が進むとされる。ただしアメリカ空軍は約8,000飛行時間耐えられるF-16を2025年まで運用できるよう改良する予定で、またF-16E/Fはステルス性を除けばF-35に相当する能力を持つため、アラブ首長国空軍などF-16E/Fを運用している国では2025年以降も運用されることが予想される。
F-16は日本のF-2支援戦闘機の原型になっており、中華民国のF-CK-1 経国は、ジェネラル・ダイナミクスの協力下でF-16級の能力を目標に、韓国のT-50は、ロッキード・マーティンの協力下で、他の練習機からF-16を始めとする第4/4.5世代戦闘機へステップアップ容易にし、有事の際は攻撃機として運用する事を念頭に置いて設計されたため、類似点の多い機体となっている。
![]() | この節の加筆が望まれています。 |
実戦参加
F-16は幾つかの戦争に参加しているが、その多くは中東である。
![](//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/6/68/F-16netz002.jpg/200px-F-16netz002.jpg)
ガリラヤ平定作戦で交戦経験があると思われるF-16、5つと1/2 のシリア空軍の物とフセイン政権時代のイラク空軍の国籍標識が記載されている。
1981年6月7日にイスラエル空軍によるイラクの首都近郊の原子力発電所への航空攻撃作戦のバビロン作戦で戦火の洗礼を受け、1982年6月6日にキリスト教系民兵の支援を目的にイスラエルがレバノン内戦に介入したガリラヤ平定作戦では、F-15と共にシリア空軍に対し常に優位な立場に立ち続け、ベッカー高原の航空優勢をイスラエル側が常に掌握していた。 [44]
旧ソビエト軍のアフガニスタン侵攻の際には、パキスタン空軍のF-16によって、ソビエト空軍やアフガニスタン空軍は大きな損害を受けた。[44]
![](//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/5/55/Mark-84_bomb.jpg/200px-Mark-84_bomb.jpg)
湾岸戦争当時の﹃主要な武装﹄の一つである、MK84低抵抗爆弾、後 方のF-16に搭載されている対空ミサイルはAIM-9で、AIM-120は初期作戦能力を獲得したばかりで、支給されていなかった。
1990年8月2日にイラクが隣国クウェートに侵攻した事によって始まった、湾岸戦争ではアメリカ空軍の主力として参戦したが、当時配備されていたF-16の大多数は、精密誘導兵器の運用能力が無い上、精密誘導兵器の運用能力を持つ、F-16 Block 40/42を保有していた部隊でもLANTIRNのAN/AAQ-13航法ポッドは保有していたが、AN/AAQ-14標定ポッドは、生産が遅れから、F-15Eの部隊に優先的に引き渡されたため保有して居なかった。対空火器による損害をさけるため高度1万フィート以上から目視照準で無誘導爆弾の投下する戦術を取った事や異常気象による視界悪化で攻撃の成果は芳しい物ではなかった。[45][46]
平均して1636回の出撃で1機のF-16がイラク側の対空兵器で撃ち落とされ、戦争終結までに8機のF-16が失われた。出撃回数に対する被撃墜率は、低高度攻撃を主な任務としていたトーネード、本来想定されていない戦線後方への航空阻止に投入され大きな損害を被ったA-10に比べて低かったが、機数と出撃回数の多さから損失数はトーネードの12機の次に多かった。[47]
1992年11月27日にベネズエラで発生した、ウゴ・チャベス支持者のクーデター騒動では、F-16が2機のOV-10を撃墜した。[48]
サザン・ウォッチ作戦ではアメリカ軍のF-16によって、1992年12月にはイラク南部でMiG-25を年が明けた1993年1月にはイラク北部でMiG-23が撃墜されたが、ともに視界外交戦能力を持つAIM-120によって戦果を挙げた。[49][50]
キプロス島の領有権を巡り、対立関係にあるギリシャとトルコの間では、1960年代から偶発的な空中戦がたびたび発生しており、1996年10月10日にギリシャのミラージュ2000の攻撃でトルコ空軍のF-16Dが撃墜されたが、トルコ政府がこの事件を公表するまで、ギリシャは事件の発生を公式に認めていなかった。[51] [52]
![](//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/5/58/F-16_tail.jpg/200px-F-16_tail.jpg)
アライド・フォース作戦で撃墜されたF-16︵アメリカ空軍第555 飛行隊所属機︶のキャノピーと垂直尾翼。
中東での作戦と平行し、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争では、1994年にはセルビア空軍機との交戦と防空施設への攻撃に投入され、コソボ紛争末期にNATO軍が本格的な介入を行った、アライド・フォース作戦では、MiG-29との戦闘を経験し、1999年3月24日にオランダ空軍のF-16AMが、5月4日にアメリカ空軍のF-16CJがそれぞれ1機ずつ撃墜を記録した。[49][53]
2001年のアメリカ軍を中心とした多国籍軍のアフガニスタン侵攻や2003年のイラク戦争に投入されたが、攻撃の多くは、レーザー誘導爆弾やJDAMと言った精密誘導兵器やHARMによるスタンドオフ兵器による物だった。[54]
2006年5月23日にはギリシャとトルコのF-16が空中衝突によって失われた[55]。
2009年9月13日、イスラエル空軍所属のF-16が訓練飛行中に墜落。死亡したパイロットは、バビロン作戦に参加後、同国初の宇宙飛行士となりながらコロンビア号空中分解事故により死亡したイラン・ラモンの息子だった。
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/6/68/F-16netz002.jpg/200px-F-16netz002.jpg)
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/5/55/Mark-84_bomb.jpg/200px-Mark-84_bomb.jpg)
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/5/58/F-16_tail.jpg/200px-F-16_tail.jpg)
![]() | この節の加筆が望まれています。 |
派生型
![]() |
F-16は生産数の多さから同一マイナーコード中でも生産ブロックにより相当に仕様が異なるため多様な派生型を持つ。
社内研究案
- モデル401F
- モデル401の原型案[56]
- モデル785
- モデル401と同時期に研究されていたブレンデッドウィングボディ未適応の設計案[57]
![]() | この節の加筆が望まれています。 |
試作機
YF-16︵モデル401︶ F-16の試作機。当初は実用化を目的とはしていない実験機だったため、射撃管制用のレーダーFCSは、簡素な物を搭載している 総生産機数:単座型2機のみ F-16 FSD 機体の大型化とF-4の更改機とするためにレーダーの各種機能や全天候航法システムを追加。総生産機数:単座型6機、副座型2機、合計8機![]() | この節の加筆が望まれています。 |
F-16A/B
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/b/ba/General_Dynamics_F-16A-10_%28SN_80-0531%29_landing_060905-F-1234S-030.jpg/280px-General_Dynamics_F-16A-10_%28SN_80-0531%29_landing_060905-F-1234S-030.jpg)
![]() | この節の加筆が望まれています。 |
F-16C/D
Block 25 A/B型の能力向上版。改良されたレーダーへの変更や広角HUD︵在来型の視野角度10°に対し15°︶を搭載。搭載機器の変更により垂直尾翼基部の厚みを増し前に向かって延長している。機体構造の改良により機体後部のパネルラインが以前の機体と変わっている。[66]![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/2/2d/USAF_F16_80FS_SK.jpg/280px-USAF_F16_80FS_SK.jpg)
F100搭載機のインテーク
F100ノズル部
F110搭載機のインテーク
F110ノズル部
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/0/0f/IAF_F-16D.jpg/280px-IAF_F-16D.jpg)
Block 40/42(F-16CG)
ナイトアタックファルコンと呼ばれる機体。LANTIRN、レーザー誘導爆弾の運用能力とフライワイヤバイのデジタル化による地形追従飛行への対応、LANTIRNの光軸への干渉を避けるため従来主脚に取り付けられていた着陸灯とタクシー灯の取り付け位置の変更。
GPSによる航法支援を追加。と最大離陸重量の増加に伴う降着装置の対応、タイヤとホイールの大型化による主脚カバーの形状変更。LANTIRNに対応するため視野角度がBlock 25/3Xの15°から18°に大型化したGECマーコーニのLANTIRN-HUDへの変更。[74][63][75][76][66][77][63]
計画ではF-16XLのF-16E/Fに続き、Block 4XはF-16G/H、Block 5XはF-16J/K、という形式になる予定であったが、納税者が新型を開発していると誤認し当時開発中であったF-22 ラプターの調達に影響を与える可能性があったため、在来型のC/Dという名称で調達を続けた。しかし同一機体の大量保有と常に改修が行われている状況下での機体の識別が必要な為、Block 4X型をF-16CG/DG、Block 5X型をF-16CJ/DJとして区別する様になった。[77]
![](//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/9/99/F-16_2_Yokota_Tokyo.jpg/280px-F-16_2_Yokota_Tokyo.jpg)
F-16 Block 50 インテーク右下に付いているペットボト ル状の物はASQ-213 HTS
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/9/99/F-16_2_Yokota_Tokyo.jpg/280px-F-16_2_Yokota_Tokyo.jpg)
Block 50/52(F-16CJ)
LANTIRNを装備可能なCG/DGの様な、夜間精密攻撃能力を持たないが、在来型から改修されたGPS/INS機器の搭載と空対空ミサイルのボアサイト射撃、ハープーン及びJDAM等のGPS誘導兵器への対応対応、機体のGリミット引き上げと改良によって増加する重量により、F-16A/Bと比較した場合﹃ブタ﹄と酷評される様になった、運動能力の改善を目的に出力増強型F100/F110へのエンジンの変更。液体酸素ボトルを機上酸素発生装置への変更。、新規でドライベイ式消火器を設置等。[78][79][80][81][80]
Block 50D/52D
Block 50/52に防空網制圧 (SEAD) 任務用装備として、フルスペックでのAGM-88 HARM対レーダーミサイル運用能力とインテーク右下側面にASQ-213 HTS︵HARM照準システム︶ポッドの装備とを生産段階で追加。
F-16 CCIP
アメリカ空軍がF-16のパイロットと整備員への教育とメンテナンスの簡易化のための共通仕様実行計画 (Common Configuration Implementation Program) によりBlock 40/42/50/52の艤装を統一した改修機体。
機体の状況により改修点が異なり、JHMCSへの対応は648機、リンク16は517機が計画対象となっているほか、CJ/DJ限定のモノクロMFDのカラー化[82]や、AN/AAQ-14やAN/AAQ-33とASQ-213の並行運用を可能にするため、ASQ-213の取り付けをインテーク左下側面へ変更と言った改修も並行して行われる。[82][83]
KF-16
大韓民国空軍が運用するF-16C/D Block 52に付けられた名称、
生産段階でCCIP仕様機相当の機体儀装を実施して[84]おり、IFF及び電子戦機器が他国のF-16CJ/DJと細部が若干異なるほか、在来型の1枚板のHUDとLANTIRN-HUDを装備する機体が混在している。
Block 50+/52+
F-16C/D Block 50/52の更新型。AN/APG-68(V)9レーダー搭載。機体構造を変更して機体背面へのCFT(コンフォーマル燃料タンク)の装備が可能になった他、イスラエル空軍と同様に、ドラッグシュート収容部の後方警戒レーダー用スペース転用や大型のドーサルスパインを取り付け電子機機材追加を実施。
F-16I
Block 52+副座型のイスラエルへの輸出型
LANTIRNポッドは、インテーク下部に装備されている。
ポーランド空軍のF-16D Block 52+ 機体上部のドーサルスパインにより機体形状が大幅に変わっている。
敵対国中枢部へのディープストライクも可能となったF-16I sufa、機体上部の丸みを帯びたコブは増槽となっている。
![]() | この節の加筆が望まれています。 |
F-16E/F
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/e/e0/F-16e_block60.jpg/280px-F-16e_block60.jpg)
2008年10月末現在開発中の発展型
エラー‥ {{予定}}は廃止されましたので使用しないでください。 F-16IN Super Viper[5] インドのMiG-21更新FXに提案されている形式、F-16E/Fをベースにアナログ計器の全やRCS軽減目的での改修が盛り込まれる予定であるが、一旦はLMの公式webサイト上で公開されていたカタログが非公開になる等、具体的な仕様は確定されていない。[85]![]() | この節の加筆が望まれています。 |
採用されなかった派生型機
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/c/c0/F-16B_J79.jpg/280px-F-16B_J79.jpg)
![]() | この節の加筆が望まれています。 |
実験機
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/4/4a/AFTI_F-16_USAF.jpg/280px-AFTI_F-16_USAF.jpg)
![]() | この節の加筆が望まれています。 |
特殊用途機
- QF-16
- QF-4の更新用として、1997年からロッキード・マーティンとトラコーフライトシステムによって開発されている、無人標的機型[53]
- GF-16
- 整備教育用の教材機
![]() | この節の加筆が望まれています。 |
F-16をベースに設計された機体
F-16とベースとした戦闘機や練習機の開発が行われたことも、特筆すべき点である。
※詳細は各項目を参照のこと。
F-CK-1︵経国戦闘機︶
中華民国︵台湾︶がF-16の開発元ジェネラル・ダイナミクスと共同で開発した戦闘機。両者の案を合併したため、設計に影響が見られる。F-16の輸出が許可されたため、製造数減少。130機。
F-2支援戦闘機
日本の航空自衛隊が運用するF-1支援戦闘機の後継として、F-16を元にし、防衛庁技術研究本部︵現‥防衛省技術研究本部︶が主契約会社を三菱重工業株式会社に認定してロッキード・マーティンと共同開発した支援戦闘機。98機。機体形状はF-16に酷似しているが、各所のサイズ、構造等には著しい差異がみられる。
T-50
ロッキード・マーティンの支援を受けKAIが開発した高等練習機。派生型として軽攻撃機A-50が計画され、軽戦闘機F-50も検討されている。
![](//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/9/90/World_operators_of_the_F-16_Fighting_Falcon.png/400px-World_operators_of_the_F-16_Fighting_Falcon.png)
F-16を採用した国。青色は50機以上、水色は50機以下。黄色は検討 中またはキャンセル。
運用国
採用
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/9/90/World_operators_of_the_F-16_Fighting_Falcon.png/400px-World_operators_of_the_F-16_Fighting_Falcon.png)
南北アメリカ
国 | 保有機数 | 備考 |
---|---|---|
アメリカ合衆国 | 2,244機 | 空軍の採用経緯は『開発史』を、装備形式は『派生型』を、海軍のアグレッサー部隊運用機については、『F-16C/D』の『F-16N/TF-16N』および『運用国』の『パキスタン』を参照 |
ベネズエラ | 24機 | 1982年に導入を決定し、1983年から機体の引き渡しが行われた。機体の引き渡し計画の名称はピース・デルタでBlock 15 OCUの単座型18機と副座型8機が引き渡された。反米的な言動を行っているウゴ・チャベスの大統領就任後は部品供給が途絶えており、2008年4月現在の運用状況は不明である。[102][103] |
チリ | 28機(内25機を運用) | 1990年代に同国空軍が保有する、航空機の更新を目的とした、Proyecto Caza 2000で、ミラージュV、F-5E/F、ハンターをすべて新型の戦闘機で更新する計画であったが、経済情勢の悪化により、ハンターをベルギーから購入した中古のミラージュVで置き換え、保有するミラージュVとF-5E/Fのアップグレードするにとどまった。しかし、ミラージュVは2010年にはすべて引退するため、Proyecto Caza 2000は規模を縮小して継続する事となった。この計画に対して、サーブグリペンやミラージュ2000、Su-27、F/A-18等も売り込まれたが、 2001年に10機のF-16 Block 52+の採用を決定したが、ミラージュV系の機体を更新するには機数が足りないため、2005年に中古F-16A/B18機をオランダから購入した。[104][105] |
ヨーロッパ
国 | 保有機数 | 備考 |
---|---|---|
ベルギー | 160機 | 機体のライセンス生産、アメリカと初期海外カスタマー4カ国で製造された部品をSABCAで組み立てた機体を保有[34] |
オランダ | 213機 | 機体のライセンス生産、アメリカと初期海外カスタマー4カ国で製造された部品をフォッカー(1996年倒産)で組み立てた機体を保有[34]、1983年には111機、1989年は損耗分の補充として10機が追加発注された。[2] |
ノルウェー | 74機 | 部品のライセンス生産、アメリカと初期海外カスタマー4カ国で製造された部品をフォッカー(1996年倒産)で組み立てた機体を保有[34] |
デンマーク | 70機 | 部品のライセンス生産、アメリカと初期海外カスタマー4カ国で製造された部品をSABCAで組み立てた機体を保有[34] |
ギリシャ | 140機 | キプロス島の領有権を巡り、トルコと対立関係にあるギリシャは、1984年にF-16の導入を公表、1987年に導入が確定し、1988年から引き渡しが始まった。このピース・ゼニアIでは、40機のBlock 30で、内訳はC型32機/D型8機であった。その後もトルコ側のF-16増強と歩調を合わ競る形で、ミラージュ2000の導入と共にF-16の追加購入も続けられ、1993年4月の契約されたピース・ゼニアIIでBlock 50を40機、2000年3月のピース・ゼニアIIIでは60機のBlock 52+を導入、2005年には一旦は導入する事を公表していたユーロファイター タイフーンの採用を導入コストの問題から白紙化し、F-16の増強を決定した。[106] |
ポルトガル | 45機 | 1990年にアメリカから20機のBlock 15 OCUの導入を決定し、1994年から引き渡しが行われ、1997年に25機が追加発注された。[107] |
イタリア | 34機 | タイフーンの初期作戦能力獲得とF-104の退役のタイムラグで生じ防空能力の低下を補うために5年契約でリース。2003年から配備開始。[107] |
ポーランド | 48機 | 従来から配備している旧ソビエト製戦闘機の更新を目的に、F-16、ミラージュ2000、グリペンの三機種で比較選考を行い、2002年にF-16の採用を決定。2006年11月9日からピース・スカイとして、48機のF-16 Block 52の引き渡しが開始された。[108][107] |
アジア・アフリカ
国 | 保有機数 | 備考 |
---|---|---|
イスラエル | 362機 | A/B(新造機と中古機)/C/D/I(全て新造機)の各形式を保有、IAIラビ原型、1978年8月15日にF-16を導入する事を公表したが、当初公表されたのはイラン向けに製造が始まっていた75機のみで、採用理由は、イラン向けの機体がキャンセルされたため、早期に機体を受け取る事が出来るためとしており、第二次発注分である75機の存在は隠匿されていた。ピース・マーブルIでの機体引き渡しは、1980年から開始されたが、バビロン作戦で2週間、レバノン侵攻で11ヶ月の禁輸措置を受け、湾岸戦争時にイラクフセイン政権のスカッド攻撃に対して反撃を行わなかった為、アメリカから中古のBlock 10を50機の譲渡が行われた。[109][110]
F-16の導入は、既に作戦立案が始まっていたバビロン作戦にも影響を与え、CFTを装備したF-15による原子炉への攻撃は、原子炉攻撃を受け持つF-16と護衛のF-15で編成されたストライクパッケージによる攻撃に変更された。引用エラー:
<ref> タグ内の引数が無効です
1986年から始まったピース・マーブルIIでBlock 30のC型51機とD型24機、イスラエル製戦闘機のラビの開発中止により発注されたピース・マーブルIIIでは、Block 40C型30機、D型30機が引き渡された。[108]
敵国中枢部への攻撃能力向上を目的とした航空機選定でロッキードが提案したF-16SEは、F-15Eのイスラエル仕様であるF-15Iに敗北したが、1999年の発注では再びF-16が選定された。この時に導入された機体はBlock 52+の副座型で、当初は50機の正式採用に加え、50機のオプション契約であったが、オプション契約分も正式に発注された。[108]
|
エジプト | 220機 | 1979年のキャンプ・デービッド合意後、旧東側製の航空機の更新を目的に1982年のピース・ベクターIで42機(A型:34/B型:8機)と1986年のピース・ベクターIIでBlock 32が40機(C型:34/D型:6機)、1988年のピース・ベクターIIIでBlock 40が47機(C型:35/D型:12機)が引き渡されたのに続き、1993年のピース・ベクターIVでは、トルコ製のBlock 42を46機(C型:34/D型:12機)を導入した、Block 4X系の増強はその後も進んだが、1998年のピース・ベクターV(21機導入)と2001年のピース・ベクターVI(24機導入、C型:12/D型:12機)では再びアメリカ製のBlock 40を導入した。[111][103] |
インドネシア | 12機 | 1989年から1990年にかけてBlock 15 OCUの単座型8機と副座型4機を引き渡された。防空能力向上のためにパキスタン向けに引き渡されなかった完成機の導入も検討していたが、スハルト政権下での人権問題を理由とした売却差し止めやアジア通貨危機による同国政府の資金難により、Mig29やSu-30と言ったロシア製軍用機を導入した。[112][113][114] |
台湾 | 150機 | 1970年代から導入を希望していたが、新型戦闘機を売却した事で発生する、中国の抗議をかわすための代案としてF-16/79かF-20の売却を持ちかけられたが、これらの機体では台湾空軍の要求性能を満たせなかった事に加えレーガン政権による台湾への高性能兵器の輸出禁止により、GDとの共同開発による台湾製戦闘機F-CK-1の採用およびフランス製のミラージュ2000を導入する事を決定した。ミラージュ2000と言う戦闘機市場でのライバルの出現により、アメリカ政府は方針を転換し、F-16の売却を決定したが、中国の反発を防ぐため、Block 15の機体にBlock 25以降相当の艤装を行ったF-16 Block 20の輸出を承認した。F-16の導入によりF-CK-1の配備予定数も下方修正された。[115] |
韓国 | 180機 | 韓国は F-16C/D Block 32の完成機、完成機及び自国内でのノックダウン生産/ライセンス生産したKF-16(F-16C/D Block 52 CCIP相当)を保有、T-50原型
アメリカからの援助による、防空システムの近代化の一環として1981年12月に導入が決定し、防空システムの近代化の終了した、1986年2月からピース・ブリッジとして、Block 32のC型28機、D型8機合計36機の引き渡しが行われた。1988年には、ピース・ブリッジの余剰予算からBlock 32のD型4機が追加発注された。[116][117]
1989年のKFP I︵韓国戦闘機計画I︶選定では、韓国国内でのライセンス生産を前提に、一旦はレガシーホーネットの採用を決定したが、アメリカ側が難色を示した事と韓国の経済情勢から白紙化され、1994年にF-16 Block 52の採用が決定した。この計画で120機︵C型80機/D型40機︶導入されたF-16のうち12機がロッキード製、36機がキット組み立て、72機がライセンス生産機で、2000年に契約された、KFP II︵韓国戦闘機計画II︶で、20機のF-16が生産された。[118]
|
オマーン | 12機(予定) | 2007年からピース・アサマ・アサフィアとして、12機のF-16 Block 50仕様機の引き渡しが開始された。[107] |
バーレーン | 22機 | F-15・F/A-18・トーネード ADV・ミラージュ2000・旧ソビエト製戦闘機との比較検討の上で、1987年にF-16採用を決定し、1990年5月から引き渡しが始まった。[119][120]
同年7月のイラクのクウェート侵攻で始まった、湾岸戦争に導入されたばかりのF-16も実戦参加を行ったが、この作戦行動にアメリカ空軍退役後、バーレーン空軍の指導を行っていたの人物が、アメリカ大使館関係者から、国務省が調査の準備を行っていると言う警告を受けるまで、パイロットとして参加していた。[121]
湾岸戦争終結後に保有するF-5の置き換えにF(TF)-16Nの斡旋を受けたが、実戦投入可能な状態するには手間がかかる状態であったため、1998年にF-16の新造機を導入しを決定し、2000年から引き渡しが行われた。同国が保有するF-16はすべてBlock 40仕様機で、1990年のピース・クラウンIでは単座型8機と副座型4機が、ピース・クラウンIIでは単座型10機が引き渡された。[120]
|
パキスタン | 40機 + 71機(予定) |
1983年 Block 15の単座型28機と副座型12機を引き渡され、1985年に引き渡しは完了した。1989年にBlock 15 OCU 71機を発注し、前払金65800万ドルの支払いも済ませていたが、核開発疑惑により引き渡が停止され、単座型13機と副座型15機はアメリカ国内に保管される事となり、行き先を失った機体の導入をインドネシアやニュージーランドが検討したが諸般の事情によって断念した。デビスモンサンで保管されていた機体は2000年代になってからテロ戦争への協力の見返りとして一旦はパキスタンへの引渡しが決定したが、パキスタン側はF-16Block 52+を購入の上で保有しているF-16Block 15のOCU改修を選んだ為にアメリカ軍が引き取った。空軍ではシステムコマンドで2.3機のみの使用に終わり、多くの機体はアメリカ海軍のアグレッサー部隊で使用されている。[122][119] |
トルコ | 240機 | 1983年に採用とライセンス生産を行う事を公表し、ピース・オニックスIとしてBlock 30を43機(C型:34/D型:9機)、Block 40を117機(C型:101/D型:16機)装備した。1987年に初めて引き渡された8機のBlock 30はアメリカ製の機体であったが、それに続く機体はトルコ国内での製造キットの組み立て(ノックダウン生産)であった。製造が進むとトルコ製部品の比率は高くなり、Block 40からはトルコ航空宇宙工業の完全なライセンス生産機に切り替わった、ピース・オニックスIIでは80機のBlock 50が発注された。このトルコ製F-16は、契約上アメリカ軍への売却のみ認められており、近隣の米軍基地でタッチ&ゴーを行い、形式上いったん米軍に納入した機体をトルコ政府が米軍から対外有償軍事援助(FMS:Foreign Military Sales)形式で購入している。トルコ航空宇宙工業はエジプト向けの完成機体とアメリカ製機体向けの部品供給も行った。[123][106] |
シンガポール | 80機[124] | 初期に導入されたBlock 15の一部はタイへ譲渡[125] |
タイ | 61機 | 1984年にF-16A/B導入を表明したが、アメリカ政府はASEAN諸国の急速な軍備増強による地域の不安定化を理由にF-16/79の売却のみ認めていたが、1987年にアメリカ政府の方針が変更され、F-16 Block 15 OCUの売却が認められた。このピース・ナレアンIで単座型14機と副座型8機の導入契約が結ばれたが、タイの財政状況悪化から一旦単座型6機の契約がオプション契約に切り替えられたが、1987年12月にオプション契約分も正式に発注された。1995年のピース・ナレアンIIでは大きなトラブルは発生せず、F-16 Block 15 OCUの単座型12機と副座型8機を導入した。1997年により高性能の航空機の導入を決定し、F-16を含む複数の候補の中からF/A-18C(D)を選定したが、アジア通貨危機によりこの導入計画は白紙化された。この計画の代案として2000年7月(一部の書籍では1999年3月としている。[125])にF-16の増強を決定し、アメリカからF-16 ADFの中古機16機を導入した。その後もF-16増強が行われ、シンガポールからBlock 15の単座型3機と副座型4機を寄贈された[125]。[126] |
アラブ首長国連邦 | 80機 | 1994年から1998年にかけて選考を行いF-16の採用を決定した。この選考で比較対象とされた機種はラファールであった。2003年6月にF-16E 55機とF-16F 8機を発注し、2004年4月から引き渡しが開始されている。[108] |
ヨルダン | 34機 | 保有機の更新用にF-16の導入を希望している事を表明していたが、隣国であるイスラエルと対立関係に有った事から、アメリカ政府はF-16を売却する事に難色を示していたが、イスラエルと和平合意に達した事とロシアとMig29を購入するための交渉を始めた事からF-16 ADF 16機(単座型12機と副座型4機)が5年契約のリースで引き渡された。[127]
その後、一旦は新造機の導入計画を公表したが具体的な進展は無い一方で、2006年にオランダとベルギーからF-16の中古機を導入すると公表した。[107] |
採用決定・納入待ち
国 | 保有機数 | 備考 |
---|---|---|
ルーマニア | 48機(予定) | 2008年5月20日にMiG-21 ランサーの後継機としてF-16の導入を決定し、F-16C/D Block 50/52 24機とF-16C/D Block 25再生改修機24機がFMSで引き渡されることになっており、2010年頃からの配備が予定されている。[128] |
モロッコ | 24機(予定) | 1991年に一旦は中古のF-16A/Bの導入を決定したが、具体的な進展が無く、話自体が立ち消えとなっていたが、2008年6月にLMがモロッコ政府からF-16 Block 52 24機と機体の保守契約を受注したと発表した。[129][130] |
採用検討中・検討後不採用・採用取り消し
採用検討中
エラー: {{予定}}は廃止されましたので使用しないでください。
国 | 備考 |
---|---|
イラク | イラク政府は防空体制の確保を目的に、アメリカ国防総省に対して価格の問い合わせをしている。購入には自らの予算で賄うとしており、約800億ドルを用意している[131]。 |
インド | MiG-21更新F-Xに対して提案中。[5] |
ブルガリア | [103] |
スロベニア | [103] |
フィリピン | 1980年代から導入を希望しているが、2008年現在も導入に向けて商談中であると報道されている。[132][103] |
検討後不採用・採用取り消し
国 | 備考 |
---|---|
サウジアラビア | F-5E更新F-Xとして検討していた。[122] |
スペイン | F-16の量産機が視界外交戦能力を実装していなかったため、F-18A/TF-18(現:F/A-18B)をC.15/EC.15として採用した[133]。 |
カナダ | F-16の量産機が視界外交戦能力を実装していなかったため、F-18A/BをCF-188A/Bとして採用した[133]。 |
オーストラリア | F-16の量産機が視界外交戦能力を実装していなかったため、F-18A/Bを採用した[133]。 |
南アフリカ | サーブ 39 グリペンを採用 |
日本 | F-104後継F-Xで提案が行われたが、F-15を採用した。[134]F-2支援戦闘機原型機。それぞれの経緯は該当項目を参照 |
ニュージーランド | A-4更新用F-Xとしてパキスタンに引き渡されなかったの機体をリース取得を予定していたが、空軍の戦闘機部隊解散が決定したことによりキャンセルされた。[122][102] |
ブラジル | F-5後継F-X2にF-16BRが提案されていたが、一次選考で脱落。[135] |
チェコ | グリペンを採用[103] |
ハンガリー | グリペンを採用[103] |
イラン | NATO4カ国に続く採用決定国であったが、同国のゴム州ゴム市で発生した暴動を発端とする国内情勢悪化により発注自体を取り消し、イラン空軍使用で製造されていた機体は、既に組み立てが始まっていた機体も含めてイスラエルが取得した。[136]
このイラン向けの機体はアメリカ海軍標準の武装での運用を前提に製造されており、対地攻撃時に使用する爆弾はMk83低抵抗1000lb爆弾が標準武装とされていた。 引用エラー: |
スペック
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/0/07/General_Dynamics_F-16_Fighting_Falcon_3-view_line_drawing.svg/500px-General_Dynamics_F-16_Fighting_Falcon_3-view_line_drawing.svg.png)
機体仕様
参考文献 (脚注を除く)
- Block 25/50:『航空情報 No.789』
- Block 42/F-16E:『戦闘機年鑑 2009-2010』 ISBN 978-4-86320-157-6
- F-16C Block 25
- 全幅:9.45 m
- 全長:15.03 m
- 全高:5.09 m
- 翼面積:27.87 m²
- 自重:8.27 t
- 最大離陸重量:19.19 t
- 発動機:プラット・アンド・ホイットニー F100-PW-200 (A/B使用時 10,809 kg) 1基
- RCS:約 2 m²
- FCS:AN/APG-68[77]
- レーダー警戒装置:ALR-69[137]
- 燃料搭載量:
- 最大速度:マッハ2.02
- 上昇率:15,240 m/m
- 実用上昇限度:15,240 m
- 離陸滑走距離:260 m
- 着陸滑走距離:600 m
- 最大搭載量:7,070 kg
- 航続距離:4,200 km
- 乗員:1名
- F-16C Block 42 (F-16CG)
- 全幅:10.00 m (翼端AAM含む)
- 全長:15.03 m
- 全高:5.09 m
- 翼面積:27.9 m²
- 空虚重量:8,627 kg
- 全備重量:10,780 kg
- 最大離陸重量
- 制空任務:12,331 kg
- 最大装備:19,187 kg
- 発動機:ゼネラル・エレクトリック F110-GE-100 (A/B使用時 128.9 kN) 1基
- FCS:AN/APG-68(V)[77]
- レーダー警戒装置:ALR-69もしくはALR-56[138]
- 燃料搭載量:3,896 l (機内搭載) + 1,402 l ×2 (増槽)
- 最大速度:マッハ2.0+ (2,414 km/h)
- 実用上昇限度:15,240 m+
- 機外搭載量:5,443 kg
- 戦闘行動半径
- Hi-Lo-Hi:740 nm
- Hi-Lo-Lo-Hi:340 nm
- 迎撃任務:710 nm
- 航続距離:2,000 nm+
- 乗員:1名
- F-16C Block 50 (F-16CJ)
- 全幅:9.45 m
- 全長:15.04 m
- 全高:5.09 m
- 翼面積:27.9 m²
- 自重:8.27 t
- 全備重量:12 t (空戦時)
- 最大離陸重量:19.19 t
- 発動機:ゼネラル・エレクトリック F110-GE-129 (A/B使用時 13,154 kg) 1基
- 推力重量比:0.69
- FCS:AN/APG-68(V)9
- レーダー警戒装置:ALR-56M[139]
- 最大速度:マッハ2.0
- 上昇率:15,240 m/m
- 実用上昇限度:15,240 m
- 翼面荷重:687.7 kg/m²
- 翼福加重:236.9 kg/m²
- 最大搭載量:7,070 kg
- 戦闘行動半径:1,759 km-
- 航続距離:約 3,982 km
- 乗員:1名
- F-16E
- 全幅:9.45 m (翼端ミサイルランチャー含む)
- 全長:15.03m
- 全高:5.09m
- 翼面積:27.87 m²
- 空虚重量:9,979 kg (CFT装備)
- 全備重量:13,154 kg
- 最大離陸重量:20,866 kg
- 発動機:ゼネラル・エレクトリック F110-GE-132 (A/B使用時 144.47 kN) 1基
- FCS:AN/APG-68(V)9[140]もしくはAN/APG-80[141]
- レーダー警戒装置:不明
- 最大速度:マッハ2.02
- 乗員:1名
武装
- 空対空ミサイル
- 空対地ミサイル
- 空対艦ミサイル
- その他兵装
出典・脚注
(一)^ ビル・ガンストン ﹃F-16 ファイティングファルコン 最先端テクノロジー機のすべて﹄ 浜田一穂訳、原書房、1996年︵新装版 第2刷︶ISBN 4-562-02764-9、123頁
(二)^ ab﹃エアワールド﹄Vol.333号 、エアワールド社、2004年、51頁
(三)^ トム・クランシー﹃トム・クランシーの戦闘航空団解剖﹄平賀秀明 新潮社︿新潮文庫﹀、1997年、ISBN 4-10-247206-1、204頁
(四)^ 世界の傑作機 No.86 F-4ファントムII米空軍型65頁
(五)^ abcF-16IN Super Viper|Lockheed Martin
(六)^ ab﹃JWings﹄No114 イカロス出版 2008年 54頁
(七)^ ﹃航空ファン別冊 航空ファンILLUSTRATED﹄10号、1982年、文林堂、140頁
(八)^ abビル・ガンストン ﹃F-16 ファイティングファルコン 最先端テクノロジー機のすべて﹄ 浜田一穂訳、原書房、1996年︵新装版 第2刷︶ISBN 4-562-02764-9、12頁
(九)^ ビル・ガンストン ﹃F-16 ファイティングファルコン 最先端テクノロジー機のすべて﹄ 浜田一穂訳、原書房、1996年︵新装版 第2刷︶ISBN 4-562-02764-9、4頁
(十)^ ﹃航空ファン﹄558号、文林堂、1999年、44頁
(11)^ ab﹃航空ファン別冊 航空ファンILLUSTRATED﹄10号、1982年、文林堂、130頁
(12)^ ベン・リッチ﹃ステルス戦闘機—スカンク・ワークスの秘密﹄増田興司訳 講談社 1997年 ISBN 4-06-208544-5 407頁
(13)^ ab﹃航空ファン﹄558号、文林堂、1999年、45頁
(14)^ ab﹃航空ファン別冊 航空ファンILLUSTRATED﹄10号、1982年、文林堂、131頁
(15)^ ab﹃エアワールド﹄Vol.333号 、エアワールド社、2004年、50頁
(16)^ ベン・リッチ﹃ステルス戦闘機—スカンク・ワークスの秘密﹄増田興司訳 講談社 1997年 ISBN 4-06-208544-5 388-389頁
(17)^ ビル・ガンストン ﹃F‐18ホーネット—戦闘攻撃機﹄ 浜田一穂訳、原書房、1986年、ISBN 4-562-01806-2、11頁
(18)^ ベン・リッチ﹃ステルス戦闘機—スカンク・ワークスの秘密﹄増田興司訳 講談社 1997年 ISBN 4-06-208544-5 373頁
(19)^ ベン・リッチ﹃ステルス戦闘機—スカンク・ワークスの秘密﹄増田興司訳 講談社 1997年 ISBN 4-06-208544-5 382-384頁
(20)^ ﹃エアワールド﹄Vol.13 6号 、エアワールド社、1989年、69頁
(21)^ ジェイ・ミラー﹃最強戦闘機F-22ラプター﹄石川潤一訳 P27
(22)^ ビル・ガンストン ﹃F-16 ファイティングファルコン 最先端テクノロジー機のすべて﹄ 浜田一穂訳、原書房、1996年︵新装版 第2刷︶ISBN 4-562-02764-9、14-17頁
(23)^ ビル・ガンストン ﹃F-16 ファイティングファルコン 最先端テクノロジー機のすべて﹄ 浜田一穂訳、原書房、1996年︵新装版 第2刷︶ISBN 4-562-02764-9、70-71頁
(24)^ ビル・ガンストン ﹃F-16 ファイティングファルコン 最先端テクノロジー機のすべて﹄ 浜田一穂訳、原書房、1996年︵新装版 第2刷︶ISBN 4-562-02764-9、73頁
(25)^ ビル・ガンストン ﹃F-16 ファイティングファルコン 最先端テクノロジー機のすべて﹄ 浜田一穂訳、原書房、1996年︵新装版 第2刷︶ISBN 4-562-02764-9、45頁
(26)^ ビル・ガンストン ﹃F‐18ホーネット—戦闘攻撃機﹄ 浜田一穂訳、原書房、1986年、ISBN 4-562-01806-2、28頁
(27)^ abオア・ケリー ﹃F/A-18の秘密﹄ 吉良忍訳、朝日ソノラマ、1992年、ISBN 4-257-17250-9、73頁
(28)^ ビル・ガンストン ﹃F‐18ホーネット—戦闘攻撃機﹄ 浜田一穂訳、原書房、1986年、ISBN 4-562-01806-2、30頁
(29)^ ビル・ガンストン ﹃F-16 ファイティングファルコン 最先端テクノロジー機のすべて﹄ 浜田一穂訳、原書房、1996年︵新装版 第2刷︶ISBN 4-562-02764-9、18頁
(30)^ ビル・ガンストン ﹃F-16 ファイティングファルコン 最先端テクノロジー機のすべて﹄ 浜田一穂訳、原書房、1996年︵新装版 第2刷︶ISBN 4-562-02764-9、68-69頁
(31)^ ビル・ガンストン ﹃F-16 ファイティングファルコン 最先端テクノロジー機のすべて﹄ 浜田一穂訳、原書房、1996年︵新装版 第2刷︶ISBN 4-562-02764-9、20-22頁
(32)^ ビル・ガンストン ﹃F-16 ファイティングファルコン 最先端テクノロジー機のすべて﹄ 浜田一穂訳、原書房、1996年︵新装版 第2刷︶ISBN 4-562-02764-9、86-88頁
(33)^ ビル・ガンストン ﹃F-16 ファイティングファルコン 最先端テクノロジー機のすべて﹄ 浜田一穂訳、原書房、1996年︵新装版 第2刷︶ISBN 4-562-02764-9、83-84頁
(34)^ abcdeビル・ガンストン ﹃F-16 ファイティングファルコン 最先端テクノロジー機のすべて﹄ 浜田一穂訳、原書房、1996年︵新装版 第2刷︶ISBN 4-562-02764-9、88-92頁
(35)^ ﹃航空ファン別冊 航空ファンILLUSTRATED﹄10号、1982年、文林堂、139頁
(36)^ ビル・ガンストン ﹃F-16 ファイティングファルコン 最先端テクノロジー機のすべて﹄ 浜田一穂訳、原書房、1996年︵新装版 第2刷︶ISBN 4-562-02764-9、140頁
(37)^ ビル・ガンストン ﹃F-16 ファイティングファルコン 最先端テクノロジー機のすべて﹄ 浜田一穂訳、原書房、1996年︵新装版 第2刷︶ISBN 4-562-01806-2 141頁
(38)^ ビル・ガンストン ﹃F-16 ファイティングファルコン 最先端テクノロジー機のすべて﹄ 浜田一穂訳、原書房、1996年︵新装版 第2刷︶ISBN 4-562-01806-2 143頁
(39)^ ビル・ガンストン ﹃F-16 ファイティングファルコン 最先端テクノロジー機のすべて﹄ 浜田一穂訳、原書房、1996年︵新装版 第2刷︶ISBN 4-562-01806-2 146-153頁
(40)^ ﹃エアワールド﹄Vol.14 12号 、エアワールド社、1990年、68頁
(41)^ ﹃航空ファン別冊 航空ファンILLUSTRATED﹄10号、1982年、文林堂、136-139頁
(42)^ ﹃航空ファン﹄Vol38、No5、文林堂、1989年、77頁
(43)^ Locations | Lockheed Martin Aeronautics Company
(44)^ abトム・クランシー﹃トム・クランシーの戦闘航空団解剖﹄平賀秀明 新潮社︿新潮文庫﹀、1997年、ISBN 4-10-247206-1、220頁
(45)^ ﹃航空ファン﹄527号、文林堂、1996年、52頁
(46)^ ﹃軍事研究﹄No510 ジャパン・ミリタリー・レビュー 2008年 122-124頁
(47)^ トム・クランシー・チャック・ホーナー﹃暁の出撃︵下︶﹄白幡憲之 原書房 2000年 106-113頁
(48)^ Cooper, Tom and Juan Sosa. “Venezuelan Coup Attempt, 1992”. Air Combat Information Group (ACIG), 1 September 2003. Retrieved: 16 May 2008.
(49)^ ab﹃航空ファン﹄558号、文林堂、1999年、27頁
(50)^ Anon. "F-16 Aircraft Database: F-16 Airframe Details for 86-0262". F-16.net. Retrieved: 16 May 2008.
(51)^ Anon. “Greek & Turkish Air-to-Air Victories”. Air Combat Information Group (ACIG), 28 October 2003; updated 18 September 2004. Retrieved: 16 May 2008.
(52)^ Dewitte, Lieven. “Deadly 1996 Aegean clash is confirmed”. F-16.net, 22 May 2003. Retrieved: 16 May 2008.
(53)^ ab﹃航空ファン﹄558号、文林堂、1999年、29頁
(54)^ ﹃航空ファン﹄606号、文林堂、2003年、58頁
(55)^ “Greek F-16 and Turkish F-16 collide - 1 pilot OK”. F-16.net, 23 May 2006. Retrieved: 16 May 2008.
(56)^ ﹃航空ファン別冊 航空ファンILLUSTRATED﹄10号、1982年、文林堂、135頁
(57)^ ﹃航空ファン別冊 航空ファンILLUSTRATED﹄10号、1982年、文林堂、136頁
(58)^ abc﹃航空ファン﹄527号、文林堂、1996年、62頁
(59)^ abcd﹃航空ファン別冊 航空ファンILLUSTRATED﹄10号、1982年、文林堂、150頁
(60)^ ﹃航空ファン別冊 航空ファンILLUSTRATED﹄10号、1982年、文林堂、107頁
(61)^ ﹃航空ファン﹄527号、文林堂、1996年、60頁
(62)^ ﹃航空ファン﹄558号、文林堂、1999年、47頁
(63)^ abcd﹃モデルアート﹄No.409、モデルアート社、1993年、29頁 引用エラー: 無効な
<ref>
タグ; name "MA199306 P-29"が異なる内容で複数回定義されています
(64)^ ビル・ガンストン ﹃F-16 ファイティングファルコン 最先端テクノロジー機のすべて﹄ 浜田一穂訳、原書房、1996年︵新装版 第2刷︶ISBN 4-562-02764-9、230頁
(65)^ ﹃モデルアート﹄No.409、モデルアート社、1993年、30頁
(66)^ ab﹃航空ファン﹄616号、文林堂、2004年、57頁
(67)^ ﹃航空ファン﹄Vol.38 No.5、1989年、69頁
(68)^ ﹃モデルアート﹄No.409、モデルアート社、1993年、28頁
(69)^ トム・クランシー﹃トム・クランシーの戦闘航空団解剖﹄平賀秀明 新潮社︿新潮文庫﹀、1997年、ISBN 4-10-247206-1、216頁
(70)^ abc﹃航空ファン﹄614号、2004年、文林堂、63頁
(71)^ ﹃航空ファン﹄653号、文林堂、2007年、61頁
(72)^ ﹃航空ファン﹄568号、文林堂、2000年、90頁
(73)^ ﹃エアワールド﹄Vol.15 2号 、エアワールド社、1991年、80頁
(74)^ ﹃航空ファン﹄519号、文林堂、1996年、27頁
(75)^ トム・クランシー﹃トム・クランシーの戦闘航空団解剖﹄平賀秀明 新潮社︿新潮文庫﹀、ISBN 4-10-247206-1、1997年、210頁
(76)^ ﹃航空ファン﹄527号、文林堂、1996年、55頁
(77)^ abcd﹃航空ファン﹄558号、文林堂、1999年、51頁
(78)^ ﹃航空ファン﹄527号、文林堂、1996年、64頁
(79)^ ﹃ミリタリー エアクラフト﹄13号、デルタ出版、1994年、200頁
(80)^ ab﹃ミリタリー エアクラフト﹄13号、デルタ出版、1994年、203頁
(81)^ ﹃航空ファン﹄527号、文林堂、1996年、65頁
(82)^ ab﹃航空ファン﹄632号、文林堂、2005年、8月号、51頁
(83)^ ﹃航空ファン﹄632号、文林堂、2005年、8月号、53頁
(84)^ ﹃航空ファン﹄602号、文林堂、2003年、17頁
(85)^ ﹃航空ファン﹄666号、文林堂、2008年、61頁
(86)^ ビル・ガンストン ﹃F‐18ホーネット—戦闘攻撃機﹄ 浜田一穂訳、原書房、1986年、ISBN 4-562-01806-2、33頁
(87)^ abビル・ガンストン ﹃F‐18ホーネット—戦闘攻撃機﹄ 浜田一穂訳、原書房、1986年、ISBN 4-562-01806-2、32頁
(88)^ ビル・ガンストン ﹃F‐18ホーネット—戦闘攻撃機﹄ 浜田一穂訳、原書房、1986年、ISBN 4-562-01806-2、34頁
(89)^ abオア・ケリー ﹃F/A-18の秘密﹄ 吉良忍訳、朝日ソノラマ、1992年、ISBN 4-257-17250-9、74頁
(90)^ オア・ケリー ﹃F/A-18の秘密﹄ 吉良忍訳、朝日ソノラマ、1992年、ISBN 4-257-17250-9、85頁
(91)^ オア・ケリー ﹃F/A-18の秘密﹄ 吉良忍訳、朝日ソノラマ、1992年、ISBN 4-257-17250-9、86頁
(92)^ オア・ケリー ﹃F/A-18の秘密﹄ 吉良忍訳、朝日ソノラマ、1992年、ISBN 4-257-17250-9、87頁
(93)^ ビル・ガンストン ﹃F-16 ファイティングファルコン 最先端テクノロジー機のすべて﹄ 浜田一穂訳、原書房、1996年︵新装版 第2刷︶ISBN 4-562-02764-9、166頁
(94)^ ﹃エアワールド﹄Vol.14 12号 、エアワールド社、1990年、70頁
(95)^ ﹃エアワールド﹄Vol.13 6号 、エアワールド社、1989年、77-78頁
(96)^ ビル・ガンストン ﹃F-16 ファイティングファルコン 最先端テクノロジー機のすべて﹄ 浜田一穂訳、原書房、1996年︵新装版 第2刷 206頁
(97)^ ﹃エアワールド﹄Vol.15 2号 、エアワールド社、1991年、77頁
(98)^ ﹃エアワールド﹄Vol.14 12号 、エアワールド社、1990年、71頁
(99)^ ﹃エアワールド﹄Vol.15 2号 、エアワールド社、1991年、70-71頁
(100)^ ﹃軍事研究別冊 新兵器最前線シリーズ8空自F-2/F-1戦闘機と世界の戦闘攻撃機﹄ ジャパン・ミリタリー・レビュー 2008年 33頁
(101)^ ビル・ガンストン ﹃F-16 ファイティングファルコン 最先端テクノロジー機のすべて﹄ 浜田一穂訳、原書房、1996年︵新装版 第2刷︶ISBN 4-562-02764-9、188頁
(102)^ ab﹃エアワールド﹄Vol.333号 、エアワールド社、2004年、58頁
(103)^ abcdefg﹃航空ファン﹄666号、文林堂、2008年、63頁
(104)^ ﹃航空ファン﹄666号、文林堂、2008年、9頁
(105)^ ﹃航空ファン﹄666号、文林堂、2008年、15頁
(106)^ ab﹃エアワールド﹄Vol.333号 、エアワールド社、2004年、59頁
(107)^ abcde﹃JWings﹄No114 イカロス出版 2008年 57頁
(108)^ abcd﹃エアワールド﹄Vol.333号 、エアワールド社、2004年、56頁
(109)^ ビル・ガンストン ﹃F-16 ファイティングファルコン 最先端テクノロジー機のすべて﹄ 浜田一穂訳、原書房、1996年︵新装版 第2刷︶ISBN 4-562-02764-9、219-221頁
(110)^ ﹃エアワールド﹄Vol.333号 、エアワールド社、2004年、55-56頁
(111)^ ﹃エアワールド﹄Vol.333号 、エアワールド社、2004年、56-57頁
(112)^ ﹃航空ファン﹄558号、文林堂、1999年、48頁
(113)^ ﹃JWings﹄No114 イカロス出版 2008年 56頁
(114)^ ﹃エアワールド﹄Vol.333号 、エアワールド社、2004年、61頁
(115)^ ﹃エアワールド﹄Vol.333号 、エアワールド社、2004年、62-63頁
(116)^ ﹃エアワールド﹄Vol.333号 、エアワールド社、2004年、57頁
(117)^ ビル・ガンストン ﹃F-16 ファイティングファルコン 最先端テクノロジー機のすべて﹄ 浜田一穂訳、原書房、1996年︵新装版 第2刷︶ISBN 4-562-02764-9、223-224頁
(118)^ ﹃エアワールド﹄Vol.333号 、エアワールド社、2004年、57-58頁
(119)^ ab﹃JWings﹄No114 イカロス出版 2008年 55頁
(120)^ ab﹃エアワールド﹄Vol.333号 、エアワールド社、2004年、61-62頁
(121)^ トム・クランシー﹃トム・クランシーの戦闘航空団解剖﹄平賀秀明 新潮社︿新潮文庫﹀、1997年、ISBN 4-10-247206-1、369-371頁
(122)^ abc﹃航空ファン﹄558号、文林堂、1999年、49頁
(123)^ ﹃航空ファン﹄618号、2004年、文林堂、30頁
(124)^ ﹃航空ファン﹄666号、文林堂、2008年、68頁
(125)^ abc﹃JWings﹄No114 イカロス出版 2008年 58頁
(126)^ ﹃エアワールド﹄Vol.333号 、エアワールド社、2004年、60-61頁
(127)^ ﹃エアワールド﹄Vol.333号 、エアワールド社、2004年、63頁
(128)^ ﹃航空ファン﹄668号、2008年、文林堂、125頁
(129)^ ﹃航空ファン﹄558号、文林堂、1999年、25頁
(130)^ 米ロッキード・マーチン、モロッコからF-16戦闘機24機を受注 AFP通信 2009年6月6日
(131)^ ﹃軍事研究﹄No516、ジャパン・ミリタリー・レビュー、2009年、166頁
(132)^ ビル・ガンストン ﹃F-16 ファイティングファルコン 最先端テクノロジー機のすべて﹄ 浜田一穂訳、原書房、1996年︵新装版 第2刷︶ISBN 4-562-02764-9、226-227頁
(133)^ abcビル・ガンストン ﹃F‐18ホーネット—戦闘攻撃機﹄ 浜田一穂訳、原書房、1986年、ISBN 4-562-01806-2、3頁
(134)^ ﹃丸メカニック﹄42号、潮書房、1983年、61頁
(135)^ ﹃航空ファン﹄672号、文林堂、2008年、123-124頁
(136)^ ビル・ガンストン ﹃F-16 ファイティングファルコン 最先端テクノロジー機のすべて﹄ 浜田一穂訳、原書房、1996年︵新装版 第2刷︶ISBN 4-562-02764-9、218頁
(137)^ 以下の点から、F-16N/TF-16Nを除いたBlock 1からBlock 4Xまで、出荷段階ではALR-69を装備していると判断した。 1.﹃F-16 ファイティングファルコン 最先端テクノロジー機のすべて ﹄の110ページに記載された、量産前のアビオニクス整備システム開発で名称があげられている。2.﹃戦闘機年鑑 2005-2006年度版﹄35ページで、F-16N/TF-16Nは従来搭載されていたALR-69を装備していない、Block 4Xは後日Block 5Xと同様のALR-56Mに交換されたと記述されていた。
(138)^ ﹃戦闘機年鑑 2005-2006年度版﹄ イカロス出版 2005年 35頁
(139)^ ﹃エアワールド﹄Vol.14 12号 、エアワールド社、1990年、69頁
(140)^ ﹃軍事研究﹄No514 ジャパン・ミリタリー・レビュー 2009年 81頁
(141)^ ﹃戦闘機年鑑 2005-2006年度版﹄ イカロス出版 2005年 37頁
外部リンク
- F-16 Fighting Falcon|Lockheed Martin -ロッキード・マーティンの運営する公式HP (英語)
- 2009年パリショーでのデモフライト -ロッキード・マーティンによってYouTubeに投稿された動画
- F-16.net - F-16に関する情報 (英語)
- コープノース演習に参加したF-16の着陸(動画) - アンドリュース空軍基地公式HP