井上知治
井上 知治 いのうえ ともはる | |
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井上知治 | |
生年月日 | 1886年7月9日 |
出生地 | 鹿児島県揖宿郡頴娃町 |
没年月日 | 1962年9月19日(76歳没) |
出身校 | 東京帝国大学法学部政治学科 |
所属政党 |
立憲政友会 日本進歩党 民主党 同志クラブ 民主自由党 自由党 自由民主党 |
井上 知治︵いのうえ ともはる、1886年︵明治19年︶7月9日[1] - 1962年︵昭和37年︶9月19日[2][3]︶は、昭和期の政治家。国務大臣。
来歴[編集]
鹿児島県頴娃郡郡村[4]︵揖宿郡頴娃村、頴娃町を経て現南九州市︶に生まれる。旧制宮崎県立都城中学校︵現‥宮崎県立都城泉ヶ丘高等学校︶、第七高等学校造士館を経て[5]、1917年︵大正6年︶東京帝国大学法学部政治学科を卒業[3][4]。鈴木商店社員[3]、読売新聞記者[3][4]を経て、1930年︵昭和5年︶第17回衆議院議員総選挙に立憲政友会所属で鹿児島県第1区から立候補し初当選[6]。以後通算当選7回[3]。政友会では床次竹二郎派、中島知久平派に所属した。 戦後は日本進歩党、民主党、同志クラブ、民主自由党、自由党、自由民主党と渡り歩き、1946年︵昭和21年︶第22回総選挙では進歩党公認で、翌1947年︵昭和22年︶第23回総選挙では民主党公認で[7]、1949年︵昭和24年︶第24回総選挙では民自党公認で当選している[8]。その間1947年に衆議院副議長に就任[3]。翌1948年︵昭和23年︶には第2次吉田内閣において国務大臣︵賠償庁長官︶として入閣した[3][4]。1953年︵昭和28年︶より参議院議員を1期務め[2]政界を引退[9]。 その他、東京歯科大学理事長も務めた[2][3]。 1962年9月19日、脳出血のため76歳にて没。国政選挙歴[編集]
- 第15回衆議院議員総選挙(鹿児島県第3区、1924年5月、政友本党)落選[10]
- 第16回衆議院議員総選挙(鹿児島県第1区、1928年2月、立憲民政党)落選[11]
- 第17回衆議院議員総選挙(鹿児島県第1区、1930年2月、立憲政友会)当選[12]
- 第18回衆議院議員総選挙(鹿児島県第1区、1932年2月、立憲政友会公認)当選[13]
- 第19回衆議院議員総選挙(鹿児島県第1区、1936年2月、立憲政友会公認)当選[14]
- 第20回衆議院議員総選挙(鹿児島県第1区、1937年4月、立憲政友会公認)当選[15]
- 第21回衆議院議員総選挙(鹿児島県第1区、1942年4月、翼賛政治体制協議会非推薦)落選[16]
- 第22回衆議院議員総選挙(鹿児島県全県区、1946年4月、日本進歩党公認)当選[17]
- 第23回衆議院議員総選挙(鹿児島県第1区、1947年4月、民主党公認)当選[18]
- 第24回衆議院議員総選挙(鹿児島県第1区、1949年1月、民主自由党公認)当選[19]
- 第3回参議院議員通常選挙(鹿児島県地方区、1953年4月、自由党)当選[20]
脚注[編集]
(一)^ 衆議院﹃第五十八回帝国議会衆議院議員名簿﹄︿衆議院公報附録﹀、1930年、34頁。
(二)^ abc﹃議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑﹄37-38頁。
(三)^ abcdefgh﹃新訂 政治家人名事典﹄71頁。
(四)^ abcd﹃鹿児島県姓氏家系大辞典﹄332頁。
(五)^ 時事通信社政治部編﹃代議士録 昭和二十四年度﹄時事通信社、1949年2月25日、175頁。
(六)^ 第17回衆議院議員選挙 - 鹿児島1区 - 選挙ドットコム内のページ。
(七)^ 第23回衆議院議員選挙 - 鹿児島1区 - 選挙ドットコム内のページ。
(八)^ 第24回衆議院議員選挙 - 鹿児島1区 - 選挙ドットコム内のページ。
(九)^ 第3回参議院議員選挙 - 鹿児島選挙区 - 選挙ドットコム内のページ。
(十)^ ﹃衆議院議員総選挙一覧 第15回﹄78頁。
(11)^ ﹃衆議院議員総選挙一覧 第16回﹄537頁。
(12)^ ﹃衆議院議員総選挙一覧 第17回﹄591頁。
(13)^ ﹃衆議院議員総選挙一覧 第18回﹄557頁。
(14)^ ﹃衆議院議員総選挙一覧 第19回﹄599頁。
(15)^ ﹃衆議院議員総選挙一覧 第20回﹄587頁。
(16)^ ﹃衆議院議員総選挙一覧 第21回﹄583頁。
(17)^ ﹃衆議院議員総選挙一覧 第22回﹄1741頁。
(18)^ ﹃衆議院議員総選挙一覧 第23回﹄603頁。
(19)^ ﹃国政選挙総覧 1947-2016﹄385頁。
(20)^ ﹃国政選挙総覧 1947-2016﹄533頁。
参考文献[編集]
●衆議院事務局編﹃衆議院議員総選挙一覧 第15回﹄衆議院事務局、1926年。 ●衆議院事務局編﹃衆議院議員総選挙一覧 第16回﹄衆議院事務局、1928年。 ●衆議院事務局編﹃衆議院議員総選挙一覧 第17回﹄衆議院事務局、1930年。 ●衆議院事務局編﹃衆議院議員総選挙一覧 第18回﹄衆議院事務局、1932年。 ●衆議院事務局編﹃衆議院議員総選挙一覧 第19回﹄衆議院事務局、1936年。 ●衆議院事務局編﹃衆議院議員総選挙一覧 第20回﹄衆議院事務局、1937年。 ●衆議院事務局編﹃衆議院議員総選挙一覧 第21回﹄衆議院事務局、1943年。 ●衆議院事務局編﹃衆議院議員総選挙一覧 第22回﹄衆議院事務局、1950年。 ●衆議院事務局編﹃衆議院議員総選挙一覧 第23回﹄衆議院事務局、1948年。 ●衆議院・参議院編﹃議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑﹄大蔵省印刷局、1990年。 ●鹿児島県姓氏家系大辞典編纂委員会編著﹃鹿児島県姓氏家系大辞典﹄角川日本姓氏歴史人物大辞典46、角川書店、1994年。 ●﹃新訂 政治家人名事典 明治~昭和﹄編集・発行日外アソシエーツ、2003年、71頁 ●﹃国政選挙総覧‥1947-2016﹄日外アソシエーツ、2017年。議会 | ||
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先代 木村小左衛門 |
衆議院副議長 第32代:1947年 |
次代 田中萬逸 |
公職 | ||
先代 吉田茂(事務取扱) |
賠償庁長官 第3代:1948年 - 1949年 |
次代 樋貝詮三 |