彼ら︵無性︶は見てゐてイタイ、と聞く。肉體的な痛みではなく。しかし、このイタイといふのは、なんなのだらう。何となく意味するところを理解できないでもない。寒々しいと言ひ換へれば、なほ含意が傳はつてこよう。
イタイの使はれる風景。
1. 行爲者はその行爲について、至つて非常識でかつ至つて生眞面目である
2. それを見てゐるひと︵=常識人。その行爲者や、行爲への關與の度合はあまり深からぬやうだ︶から見て、行爲者の考へや、その行爲は諸事情で噴飯物である
3. なので、︵指差して︶イターと云ふ
莫迦ぢやないか、と云つてゐることについて、イタイを使ふひとびとは一致してゐるやうであるけれど、﹁云々なのでその行爲或は行爲者はをかしい﹂ではなく、なぜ、イタイなのかと思ひめぐらせば、﹁あまり關はりあひたくはないのだけれど、でも、仲間内には報せて、一緒に莫迦にし合ひたい﹂などといふ﹁不健康﹂な考へが混ぢつてはゐやしまいか? 少なくとも、積極的にその行爲者にその﹁變な﹂理由を教へやうとする積りはないといつてよからう。
やり切れない、としか云ひ樣がない。
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