「ザ・ビートルズ日本公演 (テレビ番組)」の版間の差分
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この番組は日本テレビ(以下NTV)と[[CBCテレビ|中部日本放送]](以下CBC)、当時まだ[[アメリカ合衆国]]の施政権下にあった[[沖縄県|沖縄]]を含めた日本各地の31社の計33局をネットして放送された。NTVとの同時ネットは[[讀賣テレビ放送|読売テレビ]](YTV)など15局で、その他の局が遅れネットで放送した。この番組は[[2インチVTR|2インチの放送用カラーVTR]]で収録され<ref group="注">NTVでは[[1959年]]11月中旬に、日本で初めて[[2インチVTR|2インチのカラーVTR]]を導入し(購入当初は[[RCA|米RCA社]]製の輸入品だった)、直ぐに運用を開始しており、この日本公演も2インチカラーVTR(ローバンド方式かハイバンド方式かは不明)で収録された。</ref>、同時ネット局は一部の局を除きカラー放送だったが<ref name="monochrome">{{Cite news|title=ビートルズの放送詳細きまる|newspaper=読売新聞|date=1966-06-22|page=7}}</ref>、遅れネットの局はモノクロ放送であった局が多かった<ref>広島テレビは遅れネットながら新聞の番組表に「カラー」表示があった(出典:1966年7月4日、産経新聞・岡山版、中国新聞、各テレビ欄)。</ref>(ネット局は[[#ネットしていた局]]を参照)。 |
この番組は日本テレビ(以下NTV)と[[CBCテレビ|中部日本放送]](以下CBC)、当時まだ[[アメリカ合衆国]]の施政権下にあった[[沖縄県|沖縄]]を含めた日本各地の31社の計33局をネットして放送された。NTVとの同時ネットは[[讀賣テレビ放送|読売テレビ]](YTV)など15局で、その他の局が遅れネットで放送した。この番組は[[2インチVTR|2インチの放送用カラーVTR]]で収録され<ref group="注">NTVでは[[1959年]]11月中旬に、日本で初めて[[2インチVTR|2インチのカラーVTR]]を導入し(購入当初は[[RCA|米RCA社]]製の輸入品だった)、直ぐに運用を開始しており、この日本公演も2インチカラーVTR(ローバンド方式かハイバンド方式かは不明)で収録された。</ref>、同時ネット局は一部の局を除きカラー放送だったが<ref name="monochrome">{{Cite news|title=ビートルズの放送詳細きまる|newspaper=読売新聞|date=1966-06-22|page=7}}</ref>、遅れネットの局はモノクロ放送であった局が多かった<ref>広島テレビは遅れネットながら新聞の番組表に「カラー」表示があった(出典:1966年7月4日、産経新聞・岡山版、中国新聞、各テレビ欄)。</ref>(ネット局は[[#ネットしていた局]]を参照)。 |
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番組内容は大きく3部に分かれ、冒頭の7分間はドキュメンタリーで、[[E・H・エリック]]︵公演の司会者︶とビートルズのメンバーによる対談やメンバーのホテルでの様子が紹介された。続いて公演の録画が放映され、まず日本人出演者らによる前座の演奏、そしてビートルズのコンサートの模様という構成である。なお、ビートルズの出演部分はノーカットで放映された{{Sfn|大村|2016|pp=330 - 331}}。当時ビートルズはコンサート活動に嫌気がさしていた時期に入っていたこともあってか、公演で演奏された全11曲のほとんどが、実に散漫な歌い回し |
番組内容は大きく3部に分かれ、冒頭の7分間はドキュメンタリーで、[[E・H・エリック]]︵公演の司会者︶とビートルズのメンバーによる対談やメンバーのホテルでの様子が紹介された。続いて公演の録画が放映され、まず日本人出演者らによる前座の演奏、そしてビートルズのコンサートの模様という構成である。なお、ビートルズの出演部分はノーカットで放映された{{Sfn|大村|2016|pp=330 - 331}}。当時ビートルズはコンサート活動に嫌気がさしていた時期に入っていたこともあってか、公演で演奏された全11曲のほとんどが、実に散漫な歌い回しだった。そのため賛否両論があり、失望した熱狂的ファンも多かった{{Refnest|group=注|楽しみにしていたファンの中には﹁こんなの、ビートルズじゃない!!﹂とがっかりした人︵この中にはのちにビートルズ研究の一人者として知られる[[香月利一]]がいた︶や、また、ビートルズの曲とはどういうものか拝聴するという目的で見たまじめな学生の中には、あまりの散漫な内容に途中で[[NHK教育テレビジョン|NHK教育テレビ]]の﹃[[ヨハン・シュトラウス]]の夕べ﹄という番組に切り替え﹁音楽とはヨハン・シュトラウスのようなものを指すのだ。レコードで聴くビートルズは音楽を感じさせてくれるが、この日のテレビでの演奏は音楽といえない﹂と新聞に酷評を投書した人もいたという<ref>{{Cite book|和書| author = [[週刊TVガイド]]| date = 2000-12-10| title = テレビ50年 in TVガイド| page = 88| publisher = [[東京ニュース通信社]]| isbn = 4924566101}}</ref>。}}。とはいえ、ビートルズのコンサートが鮮明なカラーのVTR映像で残っているのは歴史的財産であり、現在ではNTVや、ビートルズの版権を管理する[[アップル・コア]]がカラーVTRを保管するほどの貴重な映像遺産として扱われている。
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この番組のテーマ曲には「[[ミスター・ムーンライト]]」が使われた。番組のオープニングで羽田空港に到着した4人の乗った自動車が夜明け前の高速道路を疾走するのを映し出しつつ、突然この曲が流れたことは{{要出典範囲|視聴者に強い印象を残し、リアルタイムで観たファンの目と耳に焼き付いて離れないほどだった。この曲が選ばれた理由はイントロのない曲を探した結果、同曲しかなかったからとのことである。|date=2020年6月}}<ref group=注>しかしながら当時、ビートルズがすでにリリースしていた楽曲としては、たとえば日本公演でも演奏された「[[アイム・ダウン|I'm Down]]」「[[イット・ウォント・ビー・ロング|It Won't Be Long]]」「[[オール・マイ・ラヴィング|All My Loving]]」「[[キャント・バイ・ミー・ラヴ|Can't Buy Me Love]]」などの楽曲もイントロがない。</ref>)。 |
この番組のテーマ曲には「[[ミスター・ムーンライト]]」が使われた。番組のオープニングで羽田空港に到着した4人の乗った自動車が夜明け前の高速道路を疾走するのを映し出しつつ、突然この曲が流れたことは{{要出典範囲|視聴者に強い印象を残し、リアルタイムで観たファンの目と耳に焼き付いて離れないほどだった。この曲が選ばれた理由はイントロのない曲を探した結果、同曲しかなかったからとのことである。|date=2020年6月}}<ref group=注>しかしながら当時、ビートルズがすでにリリースしていた楽曲としては、たとえば日本公演でも演奏された「[[アイム・ダウン|I'm Down]]」「[[イット・ウォント・ビー・ロング|It Won't Be Long]]」「[[オール・マイ・ラヴィング|All My Loving]]」「[[キャント・バイ・ミー・ラヴ|Can't Buy Me Love]]」などの楽曲もイントロがない。</ref>)。 |
2021年4月8日 (木) 03:09時点における版
ザ・ビートルズ日本公演 | |
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公演が行われた日本武道館 | |
ジャンル | 特別番組(音楽番組) |
出演者 | |
製作 | |
制作 | 日本テレビ |
放送 | |
放送国・地域 | 日本 |
放送期間 | 1966年7月1日 |
放送時間 | 金曜21:00 - 21:56 |
放送分 | 56分 |
回数 | 1 |
ビートルズ日本公演!今世紀最初で最後たった1度の再放送 | |
放送期間 | 1978年10月12日 |
放送時間 | 木曜19:30 - 20:54 |
放送枠 | 木曜スペシャル |
放送分 | 84分 |
回数 | 1 |
概要
この番組は日本テレビ︵以下NTV︶と中部日本放送︵以下CBC︶、当時まだアメリカ合衆国の施政権下にあった沖縄を含めた日本各地の31社の計33局をネットして放送された。NTVとの同時ネットは読売テレビ︵YTV︶など15局で、その他の局が遅れネットで放送した。この番組は2インチの放送用カラーVTRで収録され[注 2]、同時ネット局は一部の局を除きカラー放送だったが[2]、遅れネットの局はモノクロ放送であった局が多かった[3]︵ネット局は#ネットしていた局を参照︶。 番組内容は大きく3部に分かれ、冒頭の7分間はドキュメンタリーで、E・H・エリック︵公演の司会者︶とビートルズのメンバーによる対談やメンバーのホテルでの様子が紹介された。続いて公演の録画が放映され、まず日本人出演者らによる前座の演奏、そしてビートルズのコンサートの模様という構成である。なお、ビートルズの出演部分はノーカットで放映された[4]。当時ビートルズはコンサート活動に嫌気がさしていた時期に入っていたこともあってか、公演で演奏された全11曲のほとんどが、実に散漫な歌い回しだった。そのため賛否両論があり、失望した熱狂的ファンも多かった[注 3]。とはいえ、ビートルズのコンサートが鮮明なカラーのVTR映像で残っているのは歴史的財産であり、現在ではNTVや、ビートルズの版権を管理するアップル・コアがカラーVTRを保管するほどの貴重な映像遺産として扱われている。 この番組のテーマ曲には﹁ミスター・ムーンライト﹂が使われた。番組のオープニングで羽田空港に到着した4人の乗った自動車が夜明け前の高速道路を疾走するのを映し出しつつ、突然この曲が流れたことは視聴者に強い印象を残し、リアルタイムで観たファンの目と耳に焼き付いて離れないほどだった。この曲が選ばれた理由はイントロのない曲を探した結果、同曲しかなかったからとのことである。[要出典][注 4]︶。 日本公演および当番組のスポンサー﹁ライオン油脂﹂と﹁ライオン歯磨﹂︵現在は統合されてライオン︶の看板が日本武道館に掲げられていた。なおライオン歯磨は公演に先立ち、自社製品﹁ダイヤフッソライオン﹂︵練歯磨︶や﹁バン﹂︵制汗剤︶の空き箱を送ると、抽選で公演チケットが当たる懸賞を行っていた[注 5]日本公演における曲目
(一)ロック・アンド・ロール・ミュージック (二)シーズ・ア・ウーマン (三)恋をするなら (四)デイ・トリッパー (五)ベイビーズ・イン・ブラック (六)アイ・フィール・ファイン (七)イエスタディ (八)アイ・ウォナ・ビー・ユア・マン (九)ひとりぼっちのあいつ (十)ペイパーバック・ライター (11)アイム・ダウン ︵※番組のテーマ曲として﹁ミスター・ムーンライト﹂が使用された︶放送していた局
ビートルズの日本公演は読売新聞社とCBCの主催で行われた[注 6]。このため、読売新聞社の系列局である日本テレビとCBCの系列キー局であるTBS[注 7]との間で放映権を巡る争いが起こった。CBCは早い段階からTBS制作で公演の中継準備に取りかかったのに対し、日本テレビは読売新聞を通じてCBCと変則ネットを組む案を出した。日本テレビの案に対してはTBSと当時の名古屋の日本テレビ系列局である名古屋放送[注 8]が﹁ネット協定に違反するものだ﹂として反対した[6]。結局、1966年5月20日に日本テレビが放映権を獲得、ただし名古屋地区はCBCが主催者であることを考慮して、CBCで放映することになった[7][注 9]。 ●=日本テレビ系、△=TBS系、☆=フジテレビ系、□=NETテレビ︵現・テレビ朝日︶系 ●中部日本放送△︵現・CBCテレビ、主催局︶ ※7月3日︵日曜︶16:30 - 17:30に放送[9]。モノクロ放送。 ●日本テレビ放送網●︵製作局︶ ●札幌テレビ放送●☆︵同時ネット︶ ●青森放送● ●岩手放送︵現・IBC岩手放送︶△ ●仙台放送☆● ●秋田放送● ●山形放送●︵同時ネット、モノクロ︶[2] ●福島テレビ●△ ●山梨放送●︵同時ネット︶ ●新潟放送△ ●信越放送△ ●静岡放送△ ●北日本放送● ●北陸放送△ ●福井放送● ●讀賣テレビ放送●︵同時ネット︶ ●日本海テレビジョン放送●□☆ ※当時は鳥取県のみの放送︵同時ネット︶。 ●山陰放送△︵7月2日、16:00 - 17:00︶ ※当時はテレビが島根県のみの放送。 ●広島テレビ放送●☆︵7月4日、20:00 - 20:56。カラー放送︶ ●山口放送●︵同時ネット、モノクロ︶[2] ●四国放送● ●西日本放送● ※当時の法定エリアは香川県のみ︵同時ネット︶[注 10]。 ●南海放送●︵同時ネット︶ ●高知放送●︵同時ネット、モノクロ︶[2] ●テレビ西日本☆︵7月8日、22:00 - 23:00︶[10] ●長崎放送△ ●熊本放送△ ●大分放送△ ●宮崎放送△ ●南日本放送△ ●琉球放送△︵﹁ザ・ビートルズジョー﹂の番組名で放送︶再放送
1978年10月12日午後7時30〜8時54分にNTV系21局で﹃木曜スペシャル﹄枠内で﹁今世紀、最初で最後、たった一度の“再放送”﹂と銘打たれ、ビートルズのヒストリーなど1965年8月15日に行われたシェアスタジアム公演の模様とともに放送された[注 11]。 またこの放送では前座の模様も初めて放送された。だが、1966年の当時放送されたのは初日の6月30日ではなく、翌日の7月1日の模様を放送したため正式には再放送とはならない。ちなみに7月1日の公演の模様のマスターテープはマネージャーのブライアン・エプスタインが持ち帰ってしまったため、日本には6月30日のテープが残された。皮肉にも78年の放送が本当の再放送では無いので6月30日のテープが初めて日の目をみた事になる。しかし、武道館内張られていた企業看板︵ライオン。因みに﹃木スペ﹄には同業者の花王石鹸がスポンサーの一つだった︶は放送に写らないようにとの契約だったため、ライブ中画面が引きで撮影された際に企業看板が写ってしまっていたため、78年の放送では写らないようにトリミング処理をされて放送された。 この2年後の1980年ポールが来日公演を行うため来日したが大麻を所持していたため全公演が中止となり﹁ファンへの慰め﹂を兼ね、同年2月9日に新たなビートルズヒストリーを製作し6月30日の模様が放送され、皮肉にも今回の放送で6月30日の公演は本当の再放送となり、ライブをノーカットで放送するのもこれが最後となった。 1988年にマイケル・ジャクソンの日本公演が放送されるキャンペーンとしてエルヴィス・プレスリーのライブも放送され当時の技術を使用して6月30日の公演をリマスターし番組内で画質改善をオリジナル・フィルムと当時の最新画像補正を比較するシーンも放送された。しかし、曲間のMCはカットされたためノーカット放送ではない。この1988年の放送が現時点では最後の放送となっている。その他
NTVでは、日本公演の全5公演のうち、この7月1日の昼の公演と6月30日の夜の部の計2公演を、2インチのカラーVTRにて収録している︵詳細は、ビートルズ#日本公演を参照︶。参考文献
- 大村亨『「ビートルズ」と日本 熱狂の記録 -新聞、テレビ、週刊誌、ラジオが伝えた「ビートルズ現象」のすべて-』シンコーミュージック・エンタテイメント、2016年。ISBN 978-4-401-64281-6。
脚注
注釈
出典
- ^ 引田惣弥 (2004). 全記録 テレビ視聴率50年戦争―そのとき一億人が感動した. 講談社. p. 2, 94, 223. ISBN 978-4062122221
- ^ a b c d “ビートルズの放送詳細きまる”. 読売新聞: p. 7. (1966年6月22日)
- ^ 広島テレビは遅れネットながら新聞の番組表に「カラー」表示があった(出典:1966年7月4日、産経新聞・岡山版、中国新聞、各テレビ欄)。
- ^ 大村 2016, pp. 330–331.
- ^ 週刊TVガイド『テレビ50年 in TVガイド』東京ニュース通信社、2000年12月10日、88頁。ISBN 4924566101。
- ^ 大村 2016, p. 214.
- ^ 大村 2016, p. 219.
- ^ “電波に乗るビートルズ”. 読売新聞: p. 7. (1966年6月10日)
- ^ 中部日本放送『中部日本放送50年のあゆみ』2000年、135頁。
- ^ 大村 2016, p. 525.