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「ザ・ビートルズ日本公演 (テレビ番組)」の版間の差分

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|特記事項2=カラー放送。[[ライオン (企業)|ライオン歯磨・ライオン油脂]]提供。

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『'''ザ・ビートルズ日本公演'''』は、[[ビートルズ]]が[[東京]]を訪問して行った[[日本武道館]]公演([[1966年]][[6月30日]] - [[7月2日]])のうち[[7月1日]]の昼の部を[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]が録画し、同日21時<ref group="注">この枠は通常は1時間ドラマ枠であるが、前週の[[6月24日]]に『明治天皇』(第1部。[[讀賣テレビ放送|YTV]]制作)が終了し、翌[[7月8日]]より『[[赤ちゃん誕生]]』([[松方弘樹]]主演版。YTV制作)が始まっていた。『明治天皇』の提供も当番組と同じライオンだった。</ref>から1時間番組として放送した[[音楽番組]]。


『'''ザ・ビートルズ日本公演'''』は、[[ビートルズ]]が[[東京]]を訪問して行った[[日本武道館]]公演([[1966年]][[6月30日]] - [[7月2日]])のうち[[7月1日]]の昼の部を[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]が録画し、同日21時<ref group="注">この枠は通常は1時間ドラマ枠であるが、前週の[[6月24日]]に『明治天皇』(第1部。[[讀賣テレビ放送|YTV]]制作)が終了し、翌[[7月8日]]より『[[赤ちゃん誕生]]』([[松方弘樹]]主演版。YTV制作)が始まっていた。ちなみに『明治天皇』の提供も当番組と同じライオンだった。</ref>から1時間番組として放送した[[音楽番組]]。



[[視聴率]]は56.5パーセントを記録した([[ビデオリサーチ]]・関東地区調べ)<ref>{{Cite book |author=[[引田惣弥]] |title=全記録 テレビ視聴率50年戦争―そのとき一億人が感動した |publisher=[[講談社]] |year=2004 |page=2, 94, 223 |isbn=978-4062122221 }}</ref>。これは[[2007年]]9月現在も[[特別番組]]の視聴率日本最高記録である。

[[視聴率]]は56.5パーセントを記録した([[ビデオリサーチ]]・関東地区調べ)<ref>{{Cite book |author=[[引田惣弥]] |title=全記録 テレビ視聴率50年戦争―そのとき一億人が感動した |publisher=[[講談社]] |year=2004 |page=2, 94, 223 |isbn=978-4062122221 }}</ref>。これは[[2007年]]9月現在も[[特別番組]]の視聴率日本最高記録である。

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またこの放送では前座の模様も初めて放送された。だが、1966年の当時放送されたのは初日の6月30日ではなく、翌日の7月1日の模様を放送したため正式には再放送とはならない。ちなみに7月1日の公演の模様のマスターテープはマネージャーのブライアン・エプスタインが持ち帰ってしまったため、日本には6月30日のテープが残された。皮肉にも78年の放送が本当の再放送では無いので、6月30日のテープが初めて日の目をみた事になる。しかし、武道館内に張られていた企業看板(ライオン。因みに『木スペ』には同業者の[[花王|花王石鹸]]がスポンサーの一つだった)は放送に写らないようにとの契約だったため、ライブ中画面が引きで撮影された際に企業看板が写ってしまっていたため、78年の放送では写らないようにトリミング処理をされて放送された。

またこの放送では前座の模様も初めて放送された。だが、1966年の当時放送されたのは初日の6月30日ではなく、翌日の7月1日の模様を放送したため正式には再放送とはならない。ちなみに7月1日の公演の模様のマスターテープはマネージャーのブライアン・エプスタインが持ち帰ってしまったため、日本には6月30日のテープが残された。皮肉にも78年の放送が本当の再放送では無いので、6月30日のテープが初めて日の目をみた事になる。しかし、武道館内に張られていた企業看板(ライオン。因みに『木スペ』には同業者の[[花王|花王石鹸]]がスポンサーの一つだった)は放送に写らないようにとの契約だったため、ライブ中画面が引きで撮影された際に企業看板が写ってしまっていたため、78年の放送では写らないようにトリミング処理をされて放送された。



この2年後の1980年ポールが来日公演を行うために来日したが、大麻を所持していたため全公演が中止となり「ファンへの慰め」を兼ね、同年2月9日に新たなビートルズヒストリーを製作し、6月30日の模様が放送され、皮肉にも今回の放送で6月30日の公演は本当の再放送となり、ライブをノーカットで放送するのもこれが最後となった。

この2年後の1980年ポールが来日公演を行うために来日したが、大麻を所持していたため全公演が中止となり「ファンへの慰め」を兼ね、同年2月9日に新たなビートルズヒストリーを製作し、6月30日の模様が放送された。このため今回の放送で6月30日の公演は本当の意味での再放送となり、ライブをノーカットで放送するのもこれが最後となった。



1988年に[[マイケル・ジャクソン]]の日本公演が放送されるキャンペーンとして、[[エルヴィス・プレスリー]]の『[[アロハ・フロム・ハワイ]]』の再放送とともに当時の技術を使用して6月30日の公演をリマスターし、番組内でオリジナル映像と当時の最新画質改善映像を比較するシーンも放送された。この1988年の放送が現時点では最後の放送となっている。

1988年に[[マイケル・ジャクソン]]の日本公演が放送されるキャンペーンとして、[[エルヴィス・プレスリー]]の『[[アロハ・フロム・ハワイ]]』の再放送とともに当時の技術を使用して6月30日の公演をリマスターし、番組内でオリジナル映像と当時の最新画質改善映像を比較するシーンも放送された。この1988年の放送が現時点では最後の放送となっている。

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[[Category:1966年のテレビ番組 (日本)]]

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[[Category:日本テレビの番組の歴史]]

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2024年1月1日 (月) 18:17時点における版

ビートルズ > ザ・ビートルズ日本公演 (テレビ番組)

ザ・ビートルズ日本公演
公演が行われた日本武道館
ジャンル 特別番組音楽番組
出演者
製作
制作 日本テレビ
放送
放送国・地域日本の旗 日本
放送期間1966年7月1日 (1966-07-01)
放送時間金曜21:00 - 21:56
放送分56分
回数1
ビートルズ日本公演!今世紀最初で最後たった1度の再放送
放送期間1978年10月12日 (1978-10-12)
放送時間木曜19:30 - 20:54
放送枠木曜スペシャル
放送分84分
回数1
テンプレートを表示

1966630 - 727121[ 1]1

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37EH[4]11[ 3]

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(一)

(二)

(三)

(四)

(五)

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(七)

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(九)

(十)

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CBC[ 6]CBCTBS[ 7]

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TBS

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7216:00 - 17:00 

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NTV57163022VTR#

参考文献

  • 大村亨『「ビートルズ」と日本 熱狂の記録 -新聞、テレビ、週刊誌、ラジオが伝えた「ビートルズ現象」のすべて-』シンコーミュージック・エンタテイメント、2016年。ISBN 978-4-401-64281-6 

脚注

注釈



(一)^ 16241YTV78YTV

(二)^ NTV1959112VTR(RCA)2VTR()

(三)^ !!NHK[5]

(四)^ I'm DownIt Won't Be LongAll My LovingCan't Buy Me Love

(五)^ 2017

(六)^ CBCCBCNTV

(七)^ TBS

(八)^ 19733

(九)^ 21[8]

(十)^ RSK

(11)^ 105 252

出典

  1. ^ 引田惣弥 (2004). 全記録 テレビ視聴率50年戦争―そのとき一億人が感動した. 講談社. p. 2, 94, 223. ISBN 978-4062122221 
  2. ^ a b c d “ビートルズの放送詳細きまる”. 読売新聞: p. 7. (1966年6月22日) 
  3. ^ 広島テレビは遅れネットながら新聞の番組表に「カラー」表示があった(出典:1966年7月4日、産経新聞・岡山版、中国新聞、各テレビ欄)。
  4. ^ 大村 2016, pp. 330–331.
  5. ^ 週刊TVガイド『テレビ50年 in TVガイド』東京ニュース通信社、2000年12月10日、88頁。ISBN 4924566101 
  6. ^ 大村 2016, p. 214.
  7. ^ 大村 2016, p. 219.
  8. ^ “電波に乗るビートルズ”. 読売新聞: p. 7. (1966年6月10日) 
  9. ^ 中部日本放送『中部日本放送50年のあゆみ』2000年、135頁。 
  10. ^ 大村 2016, p. 525.