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2009年[[11月1日]]<ref name="sankei"></ref>に元生徒側は、宝塚音楽学校に対し改めて退学処分の取り消しと、[[慰謝料]]1000万円の支払いなどを求め、神戸地裁に[[訴訟]]を起こした<ref name="yomiuri"/><ref>神戸地方裁判所第六民事部 地位確認等請求事件 事件番号:平成21年(ワ)第3485番</ref>。 |
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週刊誌の取材によると、原告の主張する同期生によるいじめは、寮生活において、同期生が「存在を消して」「死ねばいいのに」「私の視界に入るな」といった罵詈雑言を原告に浴びせ<ref name=post141>山藤章一郎と本誌取材班、「ニュースを見に行く!現場の磁力:第174回宝塚<すみれ寮>でなにが起きたか「宝塚生徒 いじめ裁判」と「有馬稲子、天海祐希」の話」、『[[週刊ポスト]]』2010年4月9日号、[[小学館]]、141頁。</ref>、さらに、私物をゴミ箱に捨てられた<ref name=seven44>「陰惨法廷一部始終:宝塚音楽学校「女の園いじめ裁判」は凄い!」、『[[女性セブン]]』2010年4月22日号、[[小学館]]、44頁</ref>他、「洗濯物が汚い」という理由で洗濯機の使用を早朝5時に制限する<ref name=post143>山藤章一郎と本誌取材班、「ニュースを見に行く!現場の磁力:第174回宝塚<すみれ寮>でなにが起きたか「宝塚生徒 いじめ裁判」と「有馬稲子、天海祐希」の話」、『[[週刊ポスト]]』2010年4月9日号、[[小学館]]、143頁。</ref>、ライターやナイフを鞄に入れていると言う<ref name=sincho122>「宝塚音楽学校:清く正しく美しい「イジメ退学」大騒動」、『[[週刊新潮]]』2009年11月9日号、[[新潮社|株式会社新潮社]]、122頁。</ref>、共用スプレーを誤って鞄に入れてしまったことを「盗難」と騒ぎ立てる<ref name=sincho122></ref>、メーリングリストから一人だけ外して情報を与えない<ref name=seven45>「陰惨法廷一部始終:宝塚音楽学校「女の園いじめ裁判」は凄い!」、『[[女性セブン]]』2010年4月22日号、[[小学館]]、45頁</ref>などのものであったとされている。また、宝塚音楽学校の職員も、原告が万引きの疑惑をかけられた際に[[防犯カメラ]]を見ればわかると訴えても無視し<ref name=sincho123>「宝塚音楽学校:清く正しく美しい「イジメ退学」大騒動」、『[[週刊新潮]]』2009年11月9日号、[[新潮社|株式会社新潮社]]、123頁。</ref>、副校長が「本当にやっていないなら(弁明を)言えるんじゃないの?」と発言<ref name=sincho123></ref>、他の職員も「見ていたらイライラする」と発言した<ref name=post141></ref>ことが報道されている。 |
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週刊誌の取材によると、原告の主張する同期生によるいじめは、寮生活において、同期生が「存在を消して」「死ねばいいのに」「私の視界に入るな」といった罵詈雑言を原告に浴びせ<ref name=post141>山藤章一郎と本誌取材班、「ニュースを見に行く!現場の磁力:第174回宝塚<すみれ寮>でなにが起きたか「宝塚生徒 いじめ裁判」と「有馬稲子、天海祐希」の話」、『[[週刊ポスト]]』2010年4月9日号、[[小学館]]、141頁。</ref>、さらに、私物をゴミ箱に捨てられた<ref name=seven44>「陰惨法廷一部始終:宝塚音楽学校「女の園いじめ裁判」は凄い!」、『[[女性セブン]]』2010年4月22日号、[[小学館]]、44頁</ref>他、「洗濯物が汚い」という理由で洗濯機の使用を早朝5時に制限する<ref name=post143>山藤章一郎と本誌取材班、「ニュースを見に行く!現場の磁力:第174回宝塚<すみれ寮>でなにが起きたか「宝塚生徒 いじめ裁判」と「有馬稲子、天海祐希」の話」、『[[週刊ポスト]]』2010年4月9日号、[[小学館]]、143頁。</ref>、ライターやナイフを鞄に入れていると言う<ref name=sincho122>「宝塚音楽学校:清く正しく美しい「イジメ退学」大騒動」、『[[週刊新潮]]』2009年11月9日号、[[新潮社|株式会社新潮社]]、122頁。</ref>、共用スプレーを誤って鞄に入れてしまったことを「盗難」と騒ぎ立てる<ref name=sincho122></ref>、顔面を殴る<ref name=sincho122></ref>、メーリングリストから一人だけ外して情報を与えない<ref name=seven45>「陰惨法廷一部始終:宝塚音楽学校「女の園いじめ裁判」は凄い!」、『[[女性セブン]]』2010年4月22日号、[[小学館]]、45頁</ref>などのものであったとされている。また、宝塚音楽学校の職員も、原告が万引きの疑惑をかけられた際に[[防犯カメラ]]を見ればわかると訴えても無視し<ref name=sincho123>「宝塚音楽学校:清く正しく美しい「イジメ退学」大騒動」、『[[週刊新潮]]』2009年11月9日号、[[新潮社|株式会社新潮社]]、123頁。</ref>、副校長が「本当にやっていないなら(弁明を)言えるんじゃないの?」と発言<ref name=sincho123></ref>、他の職員も「見ていたらイライラする」と発言した<ref name=post141></ref>ことが報道されている。 |
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提訴に対し宝塚音楽学校は、'''﹁事実に基づき、校訓に従い処分をした。一部で報道されているような捏造の事実はない﹂﹁本件は原告が主張するようないじめの問題ではない﹂'''と声明を音楽学校のホームページにて発表していた。︵ただし、和解成立後はその声明は削除されている。︶
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提訴に対し宝塚音楽学校は、'''﹁事実に基づき、校訓に従い処分をした。一部で報道されているような捏造の事実はない﹂﹁本件は原告が主張するようないじめの問題ではない﹂'''と声明を音楽学校のホームページにて発表していた。︵ただし、和解成立後はその声明は削除されている。︶
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宝塚音楽学校 |
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![校舎](//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/e/ed/Takarazuka_Music_School01n3000.jpg/300px-Takarazuka_Music_School01n3000.jpg) |
過去の名称 |
宝塚音楽舞踊学校 |
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国公私立の別 |
私立学校 |
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学校種別 |
各種学校 |
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設置者 |
学校法人宝塚音楽学校 |
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校訓 |
清く 正しく 美しく |
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創立者 |
小林一三 |
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共学・別学 |
男女別学 |
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学期 |
2期制 |
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所在地 |
〒665-0844 |
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兵庫県宝塚市武庫川町1-1 |
テンプレートを表示 |
概要
- 北緯34度48分23.6秒 東経135度20分50秒 / 北緯34.806556度 東経135.34722度 / 34.806556; 135.34722座標: 北緯34度48分23.6秒 東経135度20分50秒 / 北緯34.806556度 東経135.34722度 / 34.806556; 135.34722
- 修業年限:予科1ヵ年 本科1ヵ年 女子単学
- 前期(4月1日より9月末日)
- 後期(10月1日より3月末日)
- 休業日:日曜日・祝日・春季休暇(約30日間)・夏季休暇(約30日間)・正月休暇(約10日間)
- 授業時間:午前9時より午後5時(予科生は、授業開始前の掃除が日課)
- 通常、昼間は実技中心の授業、夜は個人レッスンに励む。
- 制服:洋服(制服・制帽・コート類その他)、和服(緑の袴・黒紋付…色物着用の時もある)
- 校舎:延床面積3,170平方メートル
- 専門教室(洋舞・日舞・和楽器演奏・ピアノ声楽・演劇)、ホームルーム、校長室、副校長室、職員室、応接室、保健室、会議室、講堂
- モットー:「清く 正しく 美しく」(小林一三の遺訓は「朗らかに」が前置される)
沿革
●1913年︵大正2年︶7月 - 小林一三が宝塚唱歌隊を設立。
●1913年︵大正2年︶12月 - 宝塚少女歌劇養成会と改めた。
●1914年︵大正3年︶ - 宝塚少女歌劇団として宝塚新温泉で初演した。演目は﹁ドンブラコ﹂﹁浮かれ達磨﹂﹁胡蝶﹂の三本立て。
●1919年︵大正8年︶1月 - 養成会を解散し宝塚音楽歌劇学校を設立︵音楽学校と歌劇団は一体である︶。
●1923年︵大正12年︶ - 入学年齢を数え年13~19歳とする。
●1939年︵昭和14年︶ - 宝塚音楽舞踊学校と改称し、宝塚歌劇団と分離。
●1946年︵昭和21年︶ - 宝塚音楽学校に改称。予科一年制。
●1947年︵昭和22年︶ - 入学年齢を数え年16~18歳とする。
●1949年︵昭和24年︶ - 学則改定により、入学年齢は数え年17~18歳、卒業後の進路は自由となる。
●1951年︵昭和26年︶ - 準学校法人となる。
●1953年︵昭和28年︶ - 入学年齢は満15~18歳となる
●1957年︵昭和32年︶ - 予科・本科の二年制となる。
●1987年︵昭和62年︶10月 - 小林公平が理事長就任
●1996年︵平成8年︶8月 - 小林公平が校長就任。
●1998年︵平成10年︶12月 - 新校舎落成、現在の校舎に移転。
●2009年︵平成21年︶4月 - 音校旧校舎が宝塚市立宝塚文化創造館としてオープン。
●2010年︵平成22年︶4月1日 - 角和夫が理事長に就任、岩崎文夫が校長に就任、小林公平が名誉校長に就任。
特色
●毎日、声楽・バレエ・日舞など、劇団で必要な事柄について、みっちりレッスンが組まれている。その他の授業には、モダンダンス・タップダンス・演劇、ピアノなどがある。隊列行進の仕方は、実際に自衛隊から講師を招聘して、指導を受けている。授業の後もすみれ寮でのレッスンがあり、忙しい毎日を送っている。
●小林一三による﹁朗らかに、清く、正しく、美しく﹂の教えに基づき、礼儀作法やマナーも厳しく、早朝から予科生が稽古場を丁寧に掃除している事は有名である。
●かつては﹁女士官学校﹂と呼ばれるほどに厳しさは有名であった。昭和中期には現在に比べると大量の生徒を入学させていたが、同時に多数の落第者を出していた。当時は、夏長期休暇の際にはすべての生徒が家に帰宅させられ、後日通知のあった生徒のみ後期に進めるという厳しいものだった。現在は1学年につき1~3人程度の中退者が出ている。
●就業年間は2年となっているが、卒業水準に満たなければ留年もある。
教育課程編成アドバイザー
入学試験
入学試験は、毎年3月末~4月上旬に行われる。
競争倍率
毎年、定員50-40名︵定員は年によって変動、近年は40名︶に対し1000名前後の受験者がある。競争率は、だいたい20倍前後というのが、ここ数十年の平均である。﹁東の東大、西の宝塚﹂と称されるほどの難関で、82期生は史上最高の48.2倍であった。
﹃ベルサイユのばら﹄を上演した翌年の倍率は高くなるという傾向があるようである。なお、受験生の中には、﹁宝塚受験を体験したい﹂﹁宝塚音楽学校の校舎に入ってみたい﹂などの記念受験組もいる。
応募資格[2]
●容姿端麗で、宝塚歌劇団の舞台人に適する者
●義務教育終了~高卒までの年齢︵15歳~18歳︶の女子
試験内容[3]
面接
宝塚歌劇に適した容姿、言語、動作、態度等であるか否かについて審査する。
歌唱
課題曲︵願書と共に配布、数曲中より1曲を選ぶ︶の歌唱。
舞踊
体の柔軟性、リズム感、運動神経、洋舞の適性が審査対象になる。課題は、試験会場で本科生が模範演技を見せる。
試験方法の変更
宝塚音楽学校の入学試験は、創立以来内容をほぼ変更せず続けられていた[4]が、少子化に伴う受験者数の減少[5]と、﹁スクール[6]で稽古を積まなければ合格できない﹂というイメージから、受験生がスクールのある都市部に偏り、地方出身者や未経験者が受験し辛い状況になっていた事を受け[7]、2009年度入学試験より試験内容を大幅に変更。
一次試験を面接のみとし、﹁新曲視唱﹂や﹁コールユーブンゲン﹂(合唱練習)を廃止するなど、実技試験を軽減[8]。受験時の完成度ではなく、素質と将来性を重視した試験へ転換した[5]。
服装・校風
服装
●グレーの制服に、赤いリボンタイで、デザインは森英恵による。
●入学生︵予科生︶は、男役‥リーゼント、娘役‥毛先まで堅く編み込まれた三つ編みのおさげ髪。
●胸もとの校章にある﹁TMS﹂は、﹁タカラヅカ・ミュージック・スクール﹂の頭文字。
●白の三つ折りソックスを着用すること。
●なお、靴は、予科生は黒のローファー、本科生は黒のパンプスである。
●腕時計は黒皮ベルトのもの。
予科生の心得
●登下校の際は、嬌声や笑い声をたてないよう、姿勢を正してまっすぐ前を見つめて、早足で登下校する。2列縦隊で行進しながら、道行く上級生一人一人に挨拶をする。
●私服でも、赤い物を着てはいけない。ブランド品を持ってはいけない。
●阪急電鉄の宝塚線と今津線にそれぞれ乗車する際は、一番後ろの車両に乗らなければいけない[9]。両親と同伴のときも守る必要がある。講師・本科生が、予科生を指導しやすいようにするためというのが、その理由と思われる。また、阪急電鉄関係者であることから[10]、他の乗客に対する礼として為す、という意味もあるようである。加えて、電車内で座ることも禁止されており、下車駅で阪急電車にお辞儀をするといったことも規則で決められている[11]︵一般に鉄道事業社員は勤務中乗車では、絶対に座らない︶。
●校内では、来客が通りやすいように、廊下の端を歩く。
●公私すべてにおいて、本科生が予科生を指導し、その面倒をみるシステムになっている。
●本科生になると、上述の規則はゆるやかになる。
※以上のことは決して校則ではない。あくまで生徒間での指導の下で行われる予科生の心得である。
※2008年度からは本科生が予科生を厳しく指導することが禁じられた為、上記の予科生の心得も緩くなっている。
学校生活
入学後
1年目は﹁予科﹂、2年目は﹁本科﹂と呼ばれ、ほとんどの生徒は寮で集団生活する。
2年生︵本科︶の文化祭が、芸名でのお披露目であり、この時に﹁男役でいくか、娘役でいくか﹂を決める。だいたい身長167cmを境にして分かれるとされ、舞台上の性別は﹁身長だけで決まってしまう﹂とも言われる。ただし本人の個性︵顔立ち・声など︶が顕著な場合は例外もある。
卒業後
音楽学校卒業後、歌劇団から入団を拒否されたり、個人的な事情で入団辞退する者もいるが、基本的には全員入団する。学校の成績は入団時にも付いて回る。新入団者の﹁序列﹂は、卒業時の成績であり、これが様々なリストなどで公開されている。さらに、奇数年次には試験があり、それにより序列が変動していくという仕組みになっている。
形式的には、この新入団者たちは﹁研究科﹂と呼ばれる。﹁研究科1年﹂、略して﹁研1﹂という風に呼ばれ、この﹁研究科﹂は7年で終る。その後は、﹁タレント契約﹂という形で残ることになるが、あまり不出来だとタレント契約を拒まれることもある。
なお、入団後の初舞台はラインダンスをレビューで披露する伝統があり、毎年の風物詩になっている。
イベント
以下に、2005年次の学園イベントのスケジュールを例に挙げる。
その他
●毎週日曜日には、小学4年~中学2年まで︵継続なら中学3年まで︶の少女の健全育成を目的とした日曜教室﹁宝塚コドモアテネ﹂も開設され、宝塚音楽学校の講師陣と設備を利用し、バレエ・日舞・声楽の指導を実施している。
●受験合格者の中に宝塚コドモアテネほか、予備校と呼ばれるスクールの出身者が多い。ほとんどのスクールで元タカラジェンヌが直接指導をしており、受験にはとても有利になるという。
●宝塚ファミリーランドがあった当時は、宝塚音楽学校生徒で制服着用ならば園内の遊具の利用料が無償でありフリーパスだった。卒業生である大地真央が未来創造堂出演の際、学生時代に、ジェットコースターが好きで休みの時、よく遊んだと述べている。
●2003年度よりのカリキュラム改革
●高校未卒業者のために向陽台高校と連携した高校修学︵高卒資格取得︶サポート制度︵希望者のみ︶がスタートした。初年度は24人、制度導入後4年間で101名︵歌劇団生徒を含む︶が利用。
●2004年度から2008年度まで千里国際学園から派遣されたネイティブスピーカーによる英会話の授業が週1回行っていた。
●2009年度より﹁ピラティス﹂﹁ボイストレーニング﹂の科目を新設。﹁音楽史﹂﹁狂言﹂﹁茶道﹂﹁英会話﹂の科目が廃止、選択授業の﹁器楽﹂も種目から琴・三味線を廃止しピアノのみに変更。従来からある﹁演劇﹂﹁日舞﹂の授業内容も見直しが行われた。
いじめに起因する退学問題
2008年11月[12]、同校に通っていた96期生の女子生徒に対し、万引と宝塚大劇場で拾った財布を届け出ず寮の自室に9日間保管していた事などを理由に退学処分を行った[13]。
しかし、生徒は﹁他の生徒からいじめを受けており、身に覚えの無い万引をでっち上げられて告げ口で退学処分になった﹂、﹁虚偽の事実を元にした処分は無効﹂と宝塚音楽学校に地位確認を求める仮処分を求めて神戸地方裁判所に申し立てた。
2009年1月、地裁は﹁万引きを裏付ける事実はなく、拾った財布を届けなかったことで退学処分は酷﹂[13]と、元生徒の地位を認める仮処分命令を下す。これに対して17日、学校は二度目の退学処分を行う。生徒側は2度目の仮処分申請を地裁に申し立て、同年3月、裁判所は前回と同様にこの退学処分も無効とし[12]、学校が仮処分命令に従わない場合は、服するまでの1日につき1万円の間接制裁を課す命令が下された。
学校側はこれを不服として大阪高等裁判所に抗告をするが、2009年8月、大阪高裁は神戸地裁の判断を認めて不許可の決定を下し、元生徒の復学を認める仮処分が確定した。だが、学校側は大阪高裁による仮処分確定後も司法命令に遵わずに、裁判所が下した決定を無視するという社会規範からの逸脱行為を続行している。裁判所は﹁学校に教育的配慮に欠けている。﹂︵大阪高裁︶﹁処分を正当化するために責任転嫁を行っている。﹂︵神戸地裁︶と学校の姿勢を問題視している。
2009年11月1日[12]に元生徒側は、宝塚音楽学校に対し改めて退学処分の取り消しと、慰謝料1000万円の支払いなどを求め、神戸地裁に訴訟を起こした[13][14]。
週刊誌の取材によると、原告の主張する同期生によるいじめは、寮生活において、同期生が﹁存在を消して﹂﹁死ねばいいのに﹂﹁私の視界に入るな﹂といった罵詈雑言を原告に浴びせ[15]、さらに、私物をゴミ箱に捨てられた[16]他、﹁洗濯物が汚い﹂という理由で洗濯機の使用を早朝5時に制限する[17]、ライターやナイフを鞄に入れていると言う[18]、共用スプレーを誤って鞄に入れてしまったことを﹁盗難﹂と騒ぎ立てる[18]、顔面を殴る[18]、メーリングリストから一人だけ外して情報を与えない[19]などのものであったとされている。また、宝塚音楽学校の職員も、原告が万引きの疑惑をかけられた際に防犯カメラを見ればわかると訴えても無視し[20]、副校長が﹁本当にやっていないなら︵弁明を︶言えるんじゃないの?﹂と発言[20]、他の職員も﹁見ていたらイライラする﹂と発言した[15]ことが報道されている。
提訴に対し宝塚音楽学校は、﹁事実に基づき、校訓に従い処分をした。一部で報道されているような捏造の事実はない﹂﹁本件は原告が主張するようないじめの問題ではない﹂と声明を音楽学校のホームページにて発表していた。︵ただし、和解成立後はその声明は削除されている。︶
しかし、その後の2009年末、1人の96期生のブログが発覚[21]。ブログは2008年の入学当初から始まっており、その中には当時予科生だった原告元生徒を実名で誹謗・中傷する記事、集団同期いじめを窺わせるいじめ内容記事・画像が掲載されていた。この生徒は、その後の12月24日にブログ作成を理由に退学処分が決定。翌12月25日に自主退学している。
裁判の過程で、2010年3月18日、4月1日両日、計13名の96期生が証人として出廷した。4月2日には、原告の中学時代の教師、原告の母親が原告側証人として、宝塚音楽学校副校長、同校事務長が被告側証人として出廷。その後原告本人が出廷し証言し、裁判は結審した。判決は6月18日の予定だったが、7月20日に延期された。結審後も和解協議が続けられ、7月14日裁判所の調停を原告、被告が受け入れ裁判は終結した。公表された調停内容は、被告︵宝塚音楽学校︶は二度の退学処分を取り消す、原告に卒業資格を与え、卒業証明に必要な書類を送付する、原告は宝塚歌劇団に入団しない、というもので、原告の主張がほぼ認定されて受理された。宝塚音楽学校から原告への謝罪の有無や慰謝料の金額は非公開[22]。
当事者である96期生は退学した2人を除いて2010年3月1日に全員卒業し、全員宝塚歌劇団に入団している。
2010年11月には山下教介がこの訴訟の経過をルポルタージュにまとめ、﹃ドキュメント タカラヅカいじめ裁判―乙女の花園の今﹄と題して鹿砦社から出版した。宝塚音楽学校でいじめが行われている事実が内容に記載されている。
周辺情報
脚注
関連項目
外部リンク
ウィキメディア・コモンズには、
宝塚音楽学校に関連するカテゴリがあります。
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各組 |
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現役の理事 |
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現役生徒 |
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新専科に在籍していた生徒 |
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用語一覧 |
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専用劇場 |
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定期公演会場 |
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劇団統括団体 |
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関連会社 |
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メディア展開 |
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関連項目 |
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歴代主演男役・主演娘役・組長・副組長の'・・'は先代次代関係なし、'-'は先代次代関係あり。◎マークは現在宝塚歌劇団に在籍している演出家。 |